☆人革「雄飛」に学ぶ.
今、新人間革命は山崎正友や宗門との戦いの内容が連載されている。
新聞は毎日切り抜き、過去の流れも確認しながら読み返している。
そこで気付かされるのは、池田先生の戦い方。
先生は宗門の言論の攻撃に、言論で返していない。
先生は渾身の力で、学会員の一生成仏のための布石を打ち続ける。
会合での指導、家庭訪問、手紙、要人との会談・・
会長勇退後、さらなる学会攻撃が行われる中、池田先生は「小説・人間革命第11巻」の執筆をスタートされました。
「雄飛41」に、当時の学会員の姿が挿絵に描かれていました。
壮年部員と婦人部員が歓喜の顔で、聖教新聞の小説・人間革命に見入っている姿です。
その挿絵のある「雄飛41」の写真を以下に添付します。
この挿絵は作り物ではありません。
これは当時の学会員の真実の姿であり、時代を超え、今の私自身そのもの。小説・人間革命こそ、学会員の誇りであり、魂です。
池田先生は激闘に継ぐ激闘で、疲労が蓄積されていたという。
発熱もあり、肩も上がらない。そこで小説の執筆を口述された。
語り、横になり、また語る。体力が消耗し切っていらっしゃる。
しかし、その労苦の作業を通じて会員に届けられる掲載記事は皆に活力を与え、学会を異体同心ならしめ、広宣流布のエンジンとなっていく・・
そう、これこそが創価の戦い方に他ならない。
目には目を、歯には歯をの戦いであってはならない。
一切を会員の、人類への貢献と支援とに生命を捧げる行動と言動とが、批判者らの邪悪を打ち破る武器になる。
会員の一人一人が揺るぎない幸福を得ることが真の武器である。
なぜ、山崎や宗門らが四分五裂して崩壊したか。
それは「一人の人間を幸福にする」という仏の境涯から逸脱し、闘諍堅固(とうじょうけんご)の修羅道に堕しているからです。
闘諍堅固とは、自説を主張して譲らず、争いが盛んな状態をいう。
相手をいかにすれば殺せるかを考え行動する日顕宗。
一方、世界広宣流布、一切衆生の成仏を願い行動する輝かしい池田先生。
そして、その創価学会の生活からほとばしり出る個々人の功徳の体験・・
まさに、これこそ佐渡御書「アリ塚と華山」(961)の相違です。
砂場の砂山のごとき日顕宗が、富士のごとき大山の池田先生と創価学会員に勝てるはずもなかったのです。
ひらがな御書「「アリ塚と華山」(961)を以下に示す。
hiraganagosho.web.fc2.com/b956
私自身、濁悪な世界、穢土の中に生活しています。
腹立たしい矛盾や搾取、差別や偏見の中を生きております。
その戦い方は、口頭での反撃では成り立ちません。
職場で、何かのサークルで、同様のことが起るのです。
見知らぬ人通しのネットではできても、現実の社会ではできない。
黙々と汗を流して仕事をし、さらに自らができうる広宣流布の戦いを継続することが、道は遠いように思えても、最高の近道です。
そのことを小説・人間革命で教えてくださっている。
この師匠の人生の軌跡こそ、最強の模範です。
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