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21世紀への選択  優れた「対話の人」こそ真の平和主義者 P49 投稿しました。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 8月 4日(金)02時40分10秒
  21世紀への選択  優れた「対話の人」こそ真の平和主義者 P49 投稿しました。

対話で大切なことは、理解できる言葉で話を進めなければ、対話は成り立ちません。

そこに言語の壁がありますが、池田先生は良い弟子を持っておられて・・・、通訳がミスなく伝えてこそ

深い理解が成り立つのだと思います。

松戸氏の『凡夫即身成仏論』を半ばまで読み進みましたが、まだ評価はしません。

しかしドイツ語の通訳として、先生の講演の文章を翻訳したと知って、信頼感は出てきました。

先生の思想を外国の人に理解させることは、その人の育った文化とか環境とか性格とか、その言葉選びは

至難な事であったろうと理解出来ました。

日連大聖人の哲学を理解せずして、先生の思想の理解はできる訳がないからです。

宗教学者として、仏教と天台学だけではなく日寛教学も勉強されていることは、わかりました。

先生は、「法華経の智慧」で正宗教学を直ちに切り捨てず・・・過渡期の思想的変遷であると理解。

伝統的正宗教義>>宇宙生命論>>本覚思想>>凡夫本仏論・・・

私が思うに、この文証↑をまず理解することが大事。

この文を見たとたん、読む気を無くす人が多数居られることを知っています。

私は御義口伝講義を学びました、日寛上人の五重秘伝、文底秘沈抄も途中まででしたが、御書研究会で勉強

した最後の男子部だと思います。

ゆえに、学んだことは、日興上人の文章です、あるいは日寛上人の文章です、しかし、池田先生の講義ですから

池田先生の思索を経て、紡ぎだされた講義文ですから、先生の哲学だと思っています。

先生の哲学思想を後世に残すために講義録を、一文一句を考えながら、平仮名化しています。

今の男子部は難しい天台の語句、日寛上人の語句を学んだ人たちは教宣部員一握りだと思います。


 21世紀への選択 優れた「対話の人」こそ真の平和主義者 P49
ポイント

* 池田
モンテーニュは、さらに続けます。

「いかなる信念も、たとえそれが私の信念とどんなに違っていようと、私を傷つけない」。・・・・


* 池田
 人々の内奥の道徳的側面にアピールしていく対話の眼目はまさに、魂と魂の交流を促すその精神の

働きかけにあるといってよいでしょう。

対話とは名ばかりの、一方的に押しつけるような態度で臨むのであれば、心の底からの

納得などは生まれません。
 

21世紀への選択 優れた「対話の人」こそ真の平和主義者 P49

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 8月 4日(金)02時36分32秒
  優れた「対話の人」こそ真の平和主義者 P49


池田
 その意味でも、歴史を振り返って、先人たちが残した足跡を顧みることは、きわめ

て有益となりましょう。

ソクラテスと並んで、私が優れた「対話の人」として挙げたいのは、宗教対立が相次ぐ

惨劇を引き起こした十六世紀のフランスを生き抜いた、モンテーニュです。

彼は『エセー(随想録)』のなかで、「精神を鍛練するもっとも有効で自然な方法は、私

の考えでは、話し合うこと」であるとし、それは「人生の他のどの行為よりも楽しいも
の」(原二郎訳、岩波文庫)と記しています。

テヘラニアン
 私も、「対話」すること自体が大変好きです。

池田
 それこそ、本物の「平和主義者」の証です。

モンテーニュは、さらに続けます。

「いかなる信念も、たとえそれが私の信念とどんなに違っていようと、私を傷つけない。

どんなにつまらない、突飛な思想でも、私にとって人間の精神の所産としてふさわしく思

われないものはない」・・・と。

テヘラニアン
 私どもが提示したルールにも通じる視点が、見受けられますね。

池田
 ええ。キケロの言葉「反駁なしには議論は成り立たない」をわが信条としていた

モンテーニュは、対話の目的は真理の探究にこそあると強調しています。

時と場所は異なりますが、先に触れたマハトマ・ガンジーも、「真理こそ神である」を

モットーとし、徹底してセクト性を排しました。

そして、"聖なるもの"を求める精神の力、内なる力を全人類に目覚めさせようと、非暴力

(アヒンサー)の行動を貫いたのです。

テヘラニアン
 ガンジーといえば、会長のガンジー記念館での講演(九二年二月、「不戦世界を目指して
・・・ガンジー主義と現代」)に、大変感銘を受けました。

対話というのは、ガンジーのいう「サティヤーグラハ(真理を求め、守り抜くこと)」と

深い関連性があると、私も思います。

なぜなら、「サティヤーグラバ」は、人々の内奥の道徳的側面にアピールしていく戦い

であるからです。

池田
 人々の内奥の道徳的側面にアピールしていく対話の眼目はまさに、魂と魂の交

流を促すその精神の働きかけにあるといってよいでしょう。

対話とは名ばかりの、一方的に押しつけるような態度で臨むのであれば、心の底からの

納得などは生まれません。そこに残るのは結局、博士が先に述べた「憎しみの種子」だけ

でしょう。そんな対話では、人と人とを結びつけることなど到底できないのです。

対話の必要性を訴えていく努力とともに、対話のあり方そのものを問い直す作業が欠か

せません。

この二つが相まってこそ、初めて対話の真の効用というものが社会のなかで発現し、時

代を動かす大きな力として結実していくのではないでしょうか。
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年 8月 4日(金)00時08分27秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
原田会長、副会長の方々、一部職員の方々
真面目で誠実な勇気ある会員に対する
査問指示、役職解任、嘘の流布、イジメをお止めください
学会の役職を自ら辞退してください

史人様へ
私も同盟題目参加する迄、鏡を見るのが嫌いでした
自分の写る写真も殆ど持ち合わせません
自分自身が好きになる様に御題目唱える毎日です
他人と比較する事が減りました、心が軽くなりました
御題目の力を実感します、一人では無い事を実感します
一緒に頑張りましょう
おやすみなさい
 

同盟題目23時より開始します。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 8月 3日(木)23時00分53秒
  よろしくお願い致します。

追伸
螺髪様
以前に問題提起のあった憲法20条について
logicさんの投稿は良い題材です。
 

一人のSGI 様

 投稿者:史人  投稿日:2017年 8月 3日(木)21時26分52秒
  ありがとうございますm_m

昔のことなので、自分で書いていて恥ずかしくなりますね・・・。
それはともかく、一代聖教大意の御書ありがとうございました。
初めて読む御書です。

御書もネット検索でほとんどスポット的にしか読んだことがないので、正直意味がわかっていないことの方が多いです。
自分即ち他みたいな、今日感じていたことのようなことが度々とまではいかなくとも、見えない世界からの働きかけみたいなものがどの御仁にもあるのだろうなぁと考えているところです。

なので、今日一日感じた様々な現象、動きは人様からの真心の重みを感じさせられるものとなりました。

実はこれから洗濯して色々なことをしてみたいと思います。
1時過ぎには目が覚め、ストップウォッチのカウンドダウン機能で34分に設定して夜中でも最低30分の唱題とかを実行し始めたところです。
0時前に1時間の時間がごくたまに出来るので、信心も時間との戦いとなっております。

体を労わる為に数点。
麦茶よりはウーロン茶、水よりはウーロン茶。
一日中出ていた鼻水は一日中出なくなりましたが、敢えてお医者様から小青竜湯の処方箋を書いていただいています。
私の場合は仕事の時だけ朝と昼だけアネトンも服用してセキも痰もほとんど出ません。
体はよくなっているし、追加して、

コーヒーよりは緑茶。それも眠くなった時だけ。
毎日昼にチーズ4切れ。
いつも足を触る仕事をされている方から、随分丈夫な骨ですねと言われました。
これも仕事に行く時だけそうしています。
健康管理は人それぞれあるかと思いますが、ともなく何でもないことを続けていくことが肝要かと。

私の場合は1人暮らしのこともあり、冷蔵庫やポットは未使用で、電気代も毎月夏でも2000円弱です。
お砂糖、塩、醤油もほとんど未使用の暮らしぶりです。
昼はコンプのおにぎり3個。これも体にいいものと考えております。

どうぞ、使命ある身なので、いつまでも長生きされてくださいね。
少し前に書いたように野党のどなたかが正宗の数珠をかけておられるのをだいぶ以前にテレビで見ました。
私もその為に引っ越したの?と学会の上の人に言われたことがあります。
人はどうにでも勝手に思うものです。

目に見える世界だけが全てではなく、お題目を唱えていく信心がある人であれば姿形に必ず出てきます。
といっても、私は一日中全く鏡を見ない人ですが・・・。(自分に自信がない)
 

春様

 投稿者:史人  投稿日:2017年 8月 3日(木)20時59分37秒
  ありがとうございますm_m

今日は心なしか、職場含めて見えざる働きかけが多い一日となりました。
目に見えない世界からの働きかけでしょうか?こちらがそう思っていると思わぬ働きかけが多く感じられました・・・。

23時20分頃から0時までは他サイト(5日で8年になる)へ足を運んでいます。
生活直接ではないのですが、何がしか仏法用語を避けて(ブロクでは生命の内実とかの表現とさせていただいています。)、ご挨拶なり言葉など掛けさせていただき、励まさせていただいていますが、どなたも大変喜ばれます・・・。

東日本大震災後消息不明の方やご家族が代理でくも膜下出血で倒れたとか報告される切実なことや、この8年の間に体が不自由になり、病魔と闘っておられる方が私の交流させていただいている人の中でも出てきて、ついこの間まで挨拶していたのにという方など結構あります。
またこのご病気は私が40歳の時に同い年の方が亡くなっており、このネットでの人も私と同い年です。
私が0時前の訪問を重視してきた理由は、その方々(100人弱)が一日お元気にされていたかなど気になるから、一日の終わりにさせていただいています。


23時という時間は多分空けようと思えば空けられた筈なので、一度だけたまたま23時のお題目となったことはありますが、是非とも考えております。
 

お詫び・訂正その四十

 投稿者:The logic in the place  投稿日:2017年 8月 3日(木)19時48分29秒
  お詫び・訂正その四十

以下は、極善会員の部外者さまの投稿と連続しましたので合わせて表記します。

正誤表 その002 ?
投稿者:The logic in the place   875
投稿日:2015年 4月30日(木)17時03分8秒

本日のSK第一面左中記事「牧口常三郎 創価教育の源流」パンプキン編集

(誤)1871年(明治4年)6月6日の生誕から、← 太陰暦

(正)1871年(明治4年)7月21日生誕から、← 太陽暦

6月6日には、またまた幹部を徴集して記念勤行会を開催されるんでしょうが、先生ご健在の時には、いちいちやってませんでした。何か、選挙の時みたいに人(幹部)をかき集めて記念勤行会やらないと不安なんですかぁ~?
近い将来、記念日は6月6日、御正当誕生会は7月21日なんて2回記念勤行会を開催して、広布基金をかき集めるなんてことはしないでくださいね。

わたしは、近年の学会本部が事あるごとに幹部集めて勤行会をやっているシーンをSKに掲載していることに違和感を感じています。一念の章にあるとおり、一人で、黙々と唱えるものであり、この掲示板のように同盟題目で良いのでは。
集合・離散する無駄時間・無駄エネルギーの消費もなく、地球にやさしい会合を心がけましょうね、HHTA!


Re:正誤表 その002 ?
投稿者:部外者
投稿日:2015年 4月30日(木)17時50分30秒
>(誤)1871年(明治4年)6月6日の生誕から、← 太陰暦

>(正)1871年(明治4年)7月21日生誕から、← 太陽暦

日本国内において、明治5年12月2日までは太陰太陽暦(天保暦)を使用し、その翌日の「明治6年1月1日」から太陽暦(グレゴリオ暦)に切り替えたわけです。
よって、牧口先生の誕生日については、当時使用されていた太陰太陽暦の「6月6日」で表記することは間違いではありませんよ。

これが「間違い」だとするならば、江戸時代以前の歴史に関する年月表記や、蓮祖・蓮祖門下に関連した史実の年月表記も「間違い」になってしまいますが。


レレレの正誤表002 ?
投稿者:The logic in the place   874
投稿日:2015年 5月 1日(金)22時31分55秒

模範解答の様な、現状維持の堕落したマニュアル文章ですね。20数年前に同じ事を聖教新聞社にした事があります(^o^)
蓮祖の年代も全て太陽歴に修正するんですよ。どうしてでしょうか?


Re:レレレの正誤表002 ?
投稿者:部外者
投稿日:2015年 5月 2日(土)00時47分15秒
>>模範解答の様な、現状維持の堕落したマニュアル文章ですね

牧口先生誕生当時に、日本国内で太陰太陽暦が使用されていたのは事実ですから、明治4年6月6日の表記は「間違いとは言えません」

もっとも、その当時の海外ではグレゴリオ太陽暦が主流になってたから、牧口先生の誕生日について「1871年7月21日(グレゴリオ暦)」と表記するのも、これも間違いではありませんね。

>>蓮祖の年代も全て太陽歴に修正するんですよ。どうしてでしょうか?
海外向けの翻訳を意味するのでしたら、
「日本国太陰太陽暦元号○年太歳○月○日」に「ユリウス暦□年□月□日」の「注釈」「併記」でしょう。


レレレのレレ正誤表002 ?
投稿者:The logic in the place  872
?投稿日:2015年 5月 5日(火)01時01分25秒

日本国信濃町学会村の常識では、「~であれば、~かも」なんていう上級公務員がよく使う表現方法に似て、堕落した論理を延々と展開して結論を先送りすることが常道なんでしょう。
アルベア様が言うような「バチカン市国のような」なんて考えられません。
創価ネットやら聖教オンラインと言う信者しか見ない限られた空間の中でも、未だに「6月6日(旧暦)」なんて表示しながら誕生日を表記しています。
新入会のメンバーが単純に疑問視されたのは、「どうして、逝去された日は新暦なのに、誕生日は旧暦なんですか?」と言った簡単な質問で、私は単純に「それは創価学会が旧暦が好きだから!」と答えました。旧暦フェチだと。

南元町流に言えば、「生まれ=オツム(A谷・H田)ペンペン=旧暦月日、逝去=オシリ(弓T川)ナデナデ=新暦月日」なんて言う下世話な学会村の感覚ですね。

牧口常三郎(西暦・旧暦月日生まれ~西暦・新暦月日逝去)という、だれもが「?」なんていう感じです。日本の創価ネットでは、わざわざ「6月6日(旧暦)」と表示していますが、海外のSGIホームページでは(旧暦)表示はなく、(6月6日)のままです。
どうしましょうか?ウィッキのネット辞典でも「6月6日」のまま、旧暦なんて表示はありません。英翻訳もされるネット辞典でかなりの方が閲覧するところでも「6月6日」のままです。

旧暦フェチの信濃町学会村の論理からすれば
「いいんじゃな~い、今さら、生誕記念日変えるのめんどくさいし~、学会が認定して(笑)制定した記念日に間違いはない!旧暦も新暦も関係ない。間違える奴が間違っている!」なんて吼えているんでしょうね。

先般、トフラー論の「パワーシフト」が紹介されていましたが、これに付け加えるならば、日本国の信濃町学会村(閉鎖的な宗教社会)は、「未来からの砲撃」を受けています。この砲撃をしているのは、宿坊の掲示版に書き込んでいる現場で闘う正しい学会員からです。

まあ、恥を晒す南元町(職員の方々)もスパイスになって良いと思います。永遠に記録に残しましょう。ネトリスメンバーの氏名は既に公表されてましたね。

キリスト教圏のフランス人(カルトな奴)がこの英文ウィッキの牧口常三郎の生没を確認したら、すぐに書き込みするでしょう。「実は創価学会創始者の牧口常三郎は、6月6日午前6時に生まれた悪魔の申し子だ、だからSGIは悪魔だ!」なんてね。誤解が誤解を生む発端を作って訂正もせずに延々と議論して終わり。同世代では、昭和50年代に「モラトリアム人間」とか「タコツボ人間」なんていう流行語が流行りましたが、今の信濃町学会村ではほとんどの職員がモラトリアムとなり、「タコツボ」に入ったまま、ダンマリを決めているようです。まさにBDですね。


レレレのレレ正誤表002(補足) ?
投稿者:The logic in the place   872
投稿日:2015年 5月 5日(火)02時50分39秒

日本国信濃町学会村のタコツボ論を丸山真男から学びましょう。

知の快楽 哲学の森に遊ぶ

タコツボ社会としての日本:丸山真男「日本の思想」
丸山真男が「日本の思想」の中で展開した議論の中で、「実感信仰」とともに最も大きなインパクトを与えたものは「ササラ型とタコツボ型」の対比を巡るものであろう。(日本の思想第三章「思想のあり方について」)

丸山は西洋文化がササラ型であるのに対して、日本文化はあらゆる点でタコツ
ボ型だといったうえで、そのタコツボ型の制約のようなことを論じた。つまり
一種の日本文化論になっていたわけで、そこのところが大いに話題になったわけだ。

ササラ型というのは、ササラのように同じ根っこから様々な枝葉が分かれるタイプの文化である。そうした文化では、根っこが共通だから枝葉同志の対話が成り立つ。
ところがタコツボ型の文化では、学問芸術から社会組織のあり方まであらゆるものがタコツボのように孤立して存在し、相互の関わり合いがない。
したがって対話が成立しない。日本では、文学者と社会科学者が共通の言葉を話すこともない、そう丸山は言って、文学と社会科学のみならず、あらゆる学問芸術分野が共通する言葉を使う西洋との著しい対比をあぶりだしている。(ヘーゲルでさえ使っている用語はそうした普通の言葉なのだ)

丸山は、このように社会が様々な部分に分断されて、統合の要素が弱いか、あるいは全く働かない文化は非常に危険だという問題意識をもって、こういう議論を展開したのだと思う。
こういう文化では、社会の構成部分はそれぞれに孤立して存在するから、「うち」に向かっては求心的な力が働き、外に向かっては排外的な力が働く。「うち」と「よそ」が峻別されるわけである。その結果社会全体としては統合の力が弱まり、それぞれの人間は統合された全体社会の一員として自分を意識するのではなく、あくまでも自分が属する狭い世界の一員として意識するようになる。

こういう社会では、統合の要素は社会の内部からではなく、外部からもたらされるほかはない。外部からの力は、必ずしもその社会にとって望ましい結果をもたらすとは限らない。むしろ望ましくない結果をもたらす可能性が強い。
日本がたどった超国家主義の悲劇がそれを物語っている。丸山が日本ファシズム批判の中で展開した議論のうちで、日本の社会のあり方が天皇を頂点としてヒエラルキー的に組織されていたという指摘があるが、それはタコツボ型の日本社会をまとめるものが天皇制イデオロギー以外になかったということを確認
する議論でもあったわけだ。

このタコツボ社会のあり方は、日本を破滅へと追いやる最大の要因になったわけだが、タコツボ型はそのほかにもいろんな面で深刻なマイナス効果を発揮している。先ほど文学と社会科学との間で共通の言葉を使った対話が成り立たないことについて述べたが、同じようなことは芸術・文化のあらゆる部分で生じ
ている。その結果日本には日本独特のタコツボ文化が栄えることになった。

タコツボ社会の最大の特徴は、「となりは何をする人ぞ」と言った具合に、隣近所を理解しないことであるから、自分が社会の中で占めている位置というものを正確に把握できない。その結果どういうことになるかと言うと、自分は隣の奴らから不当な仕打ちを受けているのではないかと妄想する被害者意識が蔓延することだ。つまりタコツボ同士で、隣のタコツボに疑心暗鬼になり、いらぬ心配をするばかりか、妄想が暴走してとんでもない言いがかりをつけたりもする。

これはもう理性的人間で構成される近代社会と言うのではなく、非理性的生き物で構成される餓鬼の世界というべきだ。そんな餓鬼の世界の段階から現実の日本は抜け出ていない。そんな趣旨のことをこの小論は主張したわけである。
「実感信仰」の問題と並んでこの「タコツボ型」の議論が大方のタコツボ知識人から猛烈な反発を食らったのも、十分な理由があったというべきだろう。


ーーーーーーーーーーーーーー
この正誤表002並びにやり取りは、以下の会則

????????
第14章 賞罰
(懲 戒)
第78条 この会は、会員としてふさわしくない言動をした会員に対し、その情状に応じ、戒告、活動停止または除名の処分を行なうことができる。
????????

に大変該当します。

反逆者!裏切者!極悪!大極悪人です。極善会員の部外者さまの言を逆なでし、最高幹部を愚弄して挙げつらう極悪会員であり大変ふさわしくない言動です。私が極悪人です。

誠に誠に申し訳有りませんでした。
二度、三度と、欠点を挙げつらうことは致しません。極善弟子になるために、二度、三度とこのような投稿は致しません。
だから許して下さいね。
何度もお詫び・訂正・謝罪、改心を裏でやらずにこの宿坊の掲示板で公に謝罪しますね。

会則における全権統理する会長が『黒は白だ、偉いんです!』と認定発言されれば、我々末端の会員は、それに付き従い『その通り、黒は白です!』と口裏合わせするのが当たり前です。それが大極善弟子になり、改心した証となり、処分も解雇もクリアーできる営為です。これが極善会員の見本です。

間違いなど無い!間違いを糾す者が間違ってる!と言うことを私は繰り返して、頭悪いんで、また繰り返すかもしれません。この繰り返しが極善会員の改心活動です。

その都度、何度も訂正して、『間違いが間違っているから、間違いなんだ?いや、会長が認定している!池田先生も認定しているはずだ!だから、これで良いのだ!』と三段論法的に謝罪・訂正・お詫びをばしていきたいと存じます。今更、改心しても手遅れですが、頭悪いんでこれからもどしどし誠実にして真面目な極善会員になれるよう、改心した極善会員の証を投稿したいと存じます。処分の撤回は全く有りませんが今後も続けていきますよ。

全ては、会則にある通り、会長の全権統理に従い『間違いなし!』と会員として右に倣らう所存です。その結果・責任は、会則上の全権統理する会長にあるのです。

このような言を展開している内容を精査すると極悪人の私ひとりで投稿していないことが分かりますね、思想家の丸山真男まで出てくる。
その通りでこの投稿も代理投稿です。
私はマルチプレーヤーではありません。頭も回りません。仕事しながら、次々と投稿するのは無理です。困難な仕事を抱えた場合、十倍以上の作業が必要です。

この板を監視対象として、お仕事されているネットリスク対策室の極善会員(職員?)の皆様方、そしてその「報告事項」を読まずに片耳で聴いて認定作業される大極善幹部の皆様方とはぜんぜん違い世界なのです。

我々、一般会員は朝から晩まで、または深夜から早朝まで身体をボロボロにして仕事をしています。お酒飲むのも年に数回、付き合い程度です。
多くの現場末端会員は、ゆっくり休暇を楽しむとか週休三日とか朝9時から夕方5時で仕事が終わるような職場ではありませんよ。仕事は人の三倍どころか十倍二十倍(高齢化・人手不足)、毎日、毎日どのように処理を適正にやるかに能力が傾注されています。この宿坊の掲示板を毎日コピペして遊ぶように人物特定するような無駄仕事の世界では無いのです。
コメントのやり取りはメールでしますが、投稿責任は私に有ります。この投稿を続けている最中でも付け加え文が届きますが、極力定型文にして、お詫び・訂正・謝罪の企図が伝わるように極善会員の皆様にご配慮しているところです。
その気持ちが伝われば良いと考えていますよ。









 

一人のSGIさん

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 8月 3日(木)18時03分52秒
   一人のSGIさん

 いやー、参りました。そう言えば、御主人は、生粋の海外の方でしたね。

 ちょっと、失礼な追伸かとも思ったのですが(御免なさい)、辛酸を舐めて来られた方ですし、また、その生粋の海外の方が仏法を実践されてこられたわけですから、われわれにはわからない知見があると思って追伸してみました。いろいろな状況も、多方面の気遣いもあられるでしょうから、どうか無理をなされないようにお願いします。
 いまは、翻訳ソフトもありますからいいようなものの、長文となると、目の前も頭の中も真っ白になりそうです(笑い)。

 >仏法はパラドックスも多くて複雑ですが、生命を説いているのでしかたないですね(笑)<
 http://6027.teacup.com/situation/bbs/72733

 まったくその通りです。
 「自分の内にあって自分を超える妙法」――現代的な、帰納法的な言葉を使うなら“調和の当体”ほどの表現しかないのかも知れませんね。


 一生成仏抄講義の続きです。

 【妙法蓮華経】
******

 本有の妙理たる妙法蓮華経と一体になった生命が、仏界の生命です。南無妙法蓮華経は、この根源的な仏の生命の名でもあります。
 =中略=

 まず妙法蓮華経の「妙」について、私たち衆生の一念の心の不思議なる様(さま)こそが「妙」であると仰せです。そして、その不思議な様(さま)を、「有」と「無」の概念を用いて示されています。こう仰せです

 ――私たち自身の一念の心は、瞬間瞬間、起滅し、変転している。その変化極まりない心を探求してみると、「有る」と言おうとすれば、その心がどのような色で、どのような姿や形であるかは言えない。しかし、色や姿、形がないからといって、「無い」と言おうとすれば、様々に心が次から次に起こってくる。そう考えると、一念の心は、「有る」と考えるべきでもないし、「無い」と考えるべきでもない。すなわち、「有る」「無い」という二つの言葉では把握できず、「有る」「無い」という二つの考えも及ばない。
 言い換えれば、一念のこころは、「有」「無」の概念を超えている。しかも必ず「有」「無」のいずれかの姿をとる。「有」でも「無」でもなく、しかも「有」でもあり「無」でもある――

 このような不可思議なあり方をとる一念の心を、大聖人は「中道一実の妙体」と言われています。周知のように、「中道」とは、単なる中間という意味ではなく、二つの極端な立場にとらわれることなく、むしろ、それらを包む、より高次の立場に立つことです。
 釈尊は快楽主義と苦行主義という二つの極端な思想的・実践的立場を超えた、正しい思想・実践のあり方を立て、それを「中道」と称しました。そして、大聖人は、本抄において、「有」「無」という二つの極端を超え、しかも「有」「無」の両方のあり方をとる究極の真理を指して「中道」と言われています。その真理の究極性の面を指して「一実(唯一無二の真実もしくは実在)」と言われていると拝されます。

 「有・無を超えている」とは、「有」と「無」にわたって変化してやまない無常の現象を超えているという意味として拝することができます。そして、「しかも有・無の両方にわたる」と言われているのは、有・無を超えているといっても、無常の現象から全く切り離された超絶した実在や絶対者を指しているのではなく、無常の現象を包み、無常の現象に内在している真の永遠なるものを意味しているのです。
=中略=

 次に、これまで明かされた「妙なる心」を「法」というと言われています。
 「妙なる心」こそが「妙法」です。「空」といっても「三諦円融」といっても、抽象的な理論や言葉だけでは妙法とはいえません。人間の中道の智慧になって示されてこそ、人々の規範となり、法となって、弘まるからです。さらに、「此の法門の不思議をあらわす譬えを事法にかたどりて蓮華と名(なず)く」(御書三八四㌻)と仰せです。

 妙法といっても、目に見えません。その「此の法門の不思議」を仏は凡夫に理解させるために、具体的な事物を用いた「譬え」で説明します。それが「蓮華」です。

 なぜ蓮華なのか――。それは、普通の植物では、花が咲いた後に果実がもたらされます。この関係を因果の譬喩として用いれば、普通は花が原因で、実が結果となります。これは「因果異時」です。これに対して、ハスの花は、花弁とともに果実である蓮台が同時に成長し、花が開いた時に実が同時に生じる。蓮華の花と実は「因果倶時」を譬えることができます。

 成仏の仏因仏果について、法華経以外の爾前権教の教えでは、因である凡夫の生命の中に仏界があるのではなく、長い歴劫修行を経てはじめて仏の境涯が築かれることを説きます。これは「因果異時」です。しかし法華経の教えは、凡夫の生命に本来的に具わっている仏の境涯を、直ちに開き顕すと説きます。心に即して言えば、衆生の「迷いの心」が、仏の「妙なる心」へと直ちに転換すると説きます。この「因果倶時」を「蓮華」で譬えるのです。

 大聖人は、「経」の意義についても「心の妙」を示すものとして説明されています。
 すなわち、「一心を妙と知りぬれば亦(また)転じて余心をも妙法と知る処を妙経とは云うなり」(御書三八四㌻)と仰せです。「経」という字は「たて糸」を意味し、時間的経過を表します。その意味から、「一心」とはある瞬間の心、「余心」とは別の瞬間の心とみることができます。私たちの生命は、瞬間瞬間、変化しています。しかし、唱題行に具わる強き祈り信で無明を打ち破れば、心に「本有の妙理」が現れ、妙法蓮華の生命が開花する。

 「無明の一念」を「法性真如の一心」に転換する成仏の因果を、唱題の持続によって日々、積み重ねていくことができる。その因果の功徳が、我が生命の骨髄となって、人格と人生に功徳の花が開花するのです。これが、一人の人における「妙経」です。またこの「妙経」を自分から他者への広がりと拝することもできます。「一心」を仏自身の心、「余心」を一切衆生の心と捉えれば、まさに「経」とは、仏が「妙なる心」である悟りの一端を説いたものです。そして「妙なる心」そのものを説いた経王が法華経であり、その真髄が妙法蓮華経となります。
 この意味で、自行化他にわたって南無妙法蓮華経と声も惜しまず唱えて弘めていく広宣流布の展開こそが、「妙経」に当たるといえるでしょう。

 以上見てきたように、「妙法蓮華経」はまさに己心の法であり、一人ひとりが唱題による己心の瞬間瞬間の変革を積み重ねることによって、それが生命の根本的変革に、そして人生全体の変革すなわち一生成仏に、さらに広宣流布という人類の大変革の潮流となっていくのです。そして、そのあらゆる次元の変革の躍動がすべて、妙法蓮華経なのです。

(一生成仏抄講義106~112㌻、2006年1~7月大白蓮華掲載、2007年1・26発行)

******

 この「中道」ということについて、こうも思いました。極端な禁欲主義になる必要もないし、また極端な快楽主義になってもならない。つまり、適度に「喜び」を楽しめということになるかも知れません。なぜなら、「歓喜」も喜びです。


 

希望対話より

 投稿者:京都のおんな  投稿日:2017年 8月 3日(木)17時24分22秒
  私は信じている。

使命ある諸君が、

何があろうと負けるわけがない、と。

君たちは「勝つために生まれてきた」のだから。
 

内閣改造、ほとんど意味なし

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年 8月 3日(木)12時25分44秒
  何のための内閣改造なのか、よく分からない結果になった。サプライズも特になし。

何だこれは?  本当に、国民の意識からズレまくった内閣だ。庶民の心が分かっていない。

これでは国民の望む政策を実現出来ないのも、むしろ当たり前だと思う。

延命の為、不人気閣僚を切っただけ、にしか見えない。

安倍首相が交代してこそ意味が有るのに、これでは支持率も回復しないだろう。  良い事だが。
来年まで何とか持たせよう、という気なのかも知れないが、そうは行くまい、と言うか、そうはさせない。

森友、加計、共謀罪に安保法制。これらの問題を白紙に戻すまで、追撃の手を緩めてはならない。

福田元首相。
各省庁の幹部が、官邸の顔色を見て仕事をしている事を批判。
国家の破滅に近づいている、とまで言ったそうだが、破滅に近づいているという点で、私もまったく同意する。

池田先生は、この国が再び、戦争への道を歩み始めないように、との思いを込めて、公明党を作られた。
なのにその最も大事な時に、公明党創価学会は、自民党と同じ戦争推進の側に立ったのだ。師敵対、明白な裏切りだ。

現在、少し押し戻したのは民衆の力。
公明党と創価学会は、平和を守る為に何もしていない。
むしろ権力に媚びへつらい、積極的に先生の平和主義を壊そうとして、ここまで来ている事を見破るべきだ。

破滅の危機は、まだ全然去ってはいない。



 

史人様へ 

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 8月 3日(木)11時45分20秒
編集済
  わからないことだらけ・・    投稿者:史人  投稿日:2017年 7月21日(金)00時42分29秒

私も「わからないことだらけ」だという事だけはよくわかります。(笑)
自分が信じるものを深く心に留めた上で、あとは一生涯かけて学んでいけばいいと思います。
全部わかれば、仏でしょうから。
私たちは仏でありながら、まだ仏にはなりきってないのも事実ですものね。(笑)

これも又私個人の考えですが、
「地涌の菩薩」の意味を、「総別の二義」の「総」の解釈において広域に捉えれば、信心しているいないに関わらず、すべての生命はおしなべて「地涌の菩薩」の予備軍であるのではないでしょうか。
一念三千の法理と、すべての生命に久遠元初の無作の三身が内在しているという事を考えればそういう結論になります。

「千草万木・地涌の菩薩に非ずと云う事なし」 御義口伝 p751
という御書の一節もあります。

もちろんそこから段階的に「別」していけば究極的には地涌の菩薩の上首である大聖人にたどり着きますが。

そう考えると、史人様の

>ここで「一心欲見仏」の一心とは信心のことであろうと思うが、人が生まれてから、譬えば赤子が乳を飲むのは一心にではあるが、
これは本能的に飲んでいることであり、一からということを考えている訳ではない。しかし一からという心は信心の智慧に通じる
のではないだろうか。<

というお考えは、私も同意します。
赤子が乳を飲む様な、生きていく自然の智慧も又仏性の一部の表れだと思います。
生きとし生けるものは、戸田先生が言われている「仏とは生命なんだ」に当てはめると、「生命それ自体が仏なんだ」ともなるからです。

>今日の座談会の拝読御書の下の仏界のところに、生命の根源が妙法であると覚知することによって開かれる・・・とありましたが、
私は根源を御本尊を顕された日蓮大聖人の命がなされた始まりとしてのものと捉え、そこに恩というものを考えていて、私自身、
根源の捉え方自体、全く外れてしまいましたが、やはり日蓮大聖人への返しきれない感謝ということに繋がります。
最初に考えた一心欲見仏という私が思い出だした解釈と気持ち的には同じです。<

私は史人様が外れているとは思いません。
少しお疲れの様に見受けられますが、これだけ純粋な信心があれば少しリラックスしても大丈夫ですよ。
史人様も実行されていると思いますが、私の体験からいうと、題目を上げるとき、今の組織の状態を改善するために、正しい大聖人の仏法の興隆を真剣に願うと元気が出ます。


 

【自分の内にあって自分を超える妙法】

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 8月 3日(木)11時38分57秒
  螺髪さんへ

以前、主人からよくこう質問されていました。

「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、」
 日女御前御返事 p 1244

御書にはこうあるが、現実に御本尊は自分の外にあるじゃないか、、と。(笑)
依正不二論などで四苦八苦?して説明した記憶があります。

螺髪さんの先の投稿で昔の事を思い出していました。

(投稿の件、主人に伝えておきましたよ。そのうち投稿するかもしれません。
英語になりますが、、。(笑) )

http://6027.teacup.com/situation/bbs/72606
【自分の内にあって自分を超える妙法】
>凡そ妙法蓮華経とは我等衆生の仏性と梵王・帝釈等の仏性と舎利弗・目連等の仏性と文殊・弥勒等の仏性と三世の諸仏の解の妙法と一体不二なる理を妙法蓮華経と名けたるなり」(御書五五七㌻)<

又、別の御書にもこうもありますね。

「今の法華経は自力も定めて自力にあらず十界の一切衆生を具する自なる故に我が身に本より自の仏界・一切衆生の他の仏界・我が身に具せり、 されば今仏に成るに新仏にあらず又他力も定めて他力に非ず他仏も我等凡夫の自具なるが故に又他仏が我等が如く自に現同するなり、」
    一代聖教大意 p403

今の法華経は自力も単なる自力ではない。十界の一切衆生を具する自己であるゆえに、我が身に自己の仏界も一切衆生の他の仏界も元から具しているのである。だから今、仏になるということは自分で新しく仏に成るのではなく、自己に本来具する自他の仏界を顕現することにほかならない。また法華経は他力も単なる他力ではない。他の仏も我ら凡夫自身に具するゆえに他力ではない。
また他の仏も我らと同じように自らに現れるのである。

転載終わり

これは十界互具の法理ですね。
自力他力不二論とでもいいましょうか。
少し乱暴な解釈をするのを許していただけるなら、もともと自分の生命の全ての境涯に仏界を具しているのは、個人の努力によるものではないから単なる自力ではなく、しかしそれでも、その全ての仏界の境涯は自己の内部にあるものに他ならないので、自己に則してしか現れないので単なる他力でもない、、となりましょうか。

又、別の言い方をすれば、御本尊という存在は確かに外にあって「仏力、法力」として私たちの仏界顕現の縁になるという意味では、その修行自体は「他力」の面もあります。
しかし、修行をする私たちの「信力」「行力」の「自力」によって御本尊と境智冥合し仏界が顕現できるのは、翻っていえば、私たちの中にも「仏力」「法力」が潜在しているからではないでしょうか。
ですから、ここにもまた、自力他力不二の側面があるのではないかと思っています。

仏法はパラドックスも多くて複雑ですが、生命を説いているのでしかたないですね(笑)
「総別の二義」や「一応、最応」で言葉の意味を多重構造で解釈したり、而二不二論で生命の多元的な構造を説明したり、開会などで部分観を究極の一つの真理に昇華したり、等々。

史人様の気持ちがよくわかります。
 

幻の正本堂

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2017年 8月 3日(木)08時53分53秒
編集済
 

大石寺の正本堂には1度だけしか行ったことが
ありません。そして、いまは幻の正本堂。
みんながお金を出して願いを実現した
はずなのに、これを破壊した日顕と日顕宗には絶対に
もどってはいけないとこの動画を見て思いま
した。そして、日顕は大御本尊を信じていなかった
とは。ただ、そんな日顕から離れて日蓮大聖人様
の仏法を広めようとしたお坊さんたちもいたとが
未来への救いです。

なんだか同じことが現在の創価学会
でおきているように思われてしかたが
ありません。三代の会長よりも自分を
大きく見せようとする姿が見えて
きませんか?

日蓮正宗は日達法主の時代にもどり、創価学会は
戸田先生の時代にもどってほしいと思います。
---------------------------------


日蓮大聖人様が全世界の民衆を救うために
書かれた弘安二年の大御本尊と、さまざま
な場面で個人のために書かれたもの、あるいは
誰かがまねて書いたものが同じであるわけが
ありません。その曼荼羅に込められた一念が
ちがうからです。

戸田先生が指導されたように、
弘安二年の大御本尊様でなければだめ
なのだと思ったほうが、毎日元気に楽しく
生きていけると思います。
---------------------------------
現在の創価学会もおかしいし、現在の
日顕宗もおかしい、どこに行ったら
いいのか考えると、両方とも飛び越えて
私は四条金吾のような純粋な信心をめざそうと
思うのでした。
私の心は幻の正本堂で四条金吾といっしょに
毎日弘安二年の大御本尊様にお題目を唱えています。
---------------------------------




http://imagine-happy-life.tokyo/

 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、もう『多部数購読』は必要ありませんねぇ~(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 8月 3日(木)08時02分16秒
  おはようございます。原田怪鳥様、9月の本部幹部会が全国学生部大会になったとのコト、誠におめでとうございま~す(笑)

「御義口伝」を研鑽されるそうデスが、〇大教授であらせられ、某宗教団体で、教学部アドバイザー様でもあらせられる〇田教授サマは、

徹底的な真蹟主義で、「御義口伝」などは、お認めになってないと伺いましたが、ダイジョウブですかぁ~(爆)


それと、原田怪鳥様、4面・5面と電子書籍の2面ブチ抜きの大宣伝、誠にご苦労様で~す(笑)

全国の多部数購読者の皆さぁ~ん、もう多部数購読をする必要はありませぇ~ん(爆)

5部や10部は当たり前、推進月間には、やれ20部だ30部だと、ムダな浪費も必要ありませぇ~ん(爆)

政教珍聞も大白蓮華も、全て電子版にしましょうねぇ~、複数の端末で読めるそうデスので、多部数自体必要ありませぇ~ん(爆)

また、減部したからといって、除名になることもないでしょ~う(笑)

「どうして減部したの?」「先生からのお手紙なのよ!」「一家の人数分だけ購読するのが、当たり前でしょう!」

などといった、ワケのわからない周囲の声からも解放されまぁ~す(爆)


もっとも、小生のごとく、未だにスマホも使いこなせないガラケー人間には無理なハナシですので、

1部をじっくりと読ませていただきマスケドぉ~(笑)

原田怪鳥様、ナニか? 魂胆があってのコトですかぁ~(爆)

まあ、これで、政教珍聞減部による新たな除名者が出ないように、期待しないで待ってまぁ~す(爆)


 

わが友に贈る 2017年8月3日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年 8月 3日(木)07時18分40秒
  海・山・川での
事故が増える時期。
天候の急変や体調管理に
くれぐれも注意を。
「心に深き用心」あれ!
 

先生が本当にお元気ならば…

 投稿者:コンペー  投稿日:2017年 8月 3日(木)05時59分30秒
  先生がご出席された最後の本部幹部会から7回目の夏。先生が本当にお元気なら、こんな学会にはならなかっただろう。残念でならない。

誰かがつぶやいていた。
ある著名な政治記者とのやりとりの中での先生の言葉…  趣旨  今の永田町やその周辺にぴったりですね。

「独裁は臆病である。必ず滅びる。」







 

21世紀への選択 「他者性の尊重」に基づく「開かれた対話」 p46

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 8月 3日(木)01時29分23秒
  21世紀への選択 「他者性の尊重」に基づく「開かれた対話」 p46


地球市民と言う大所・高所から文明と文明の違いを乗り越えて対話していく基準が述べられています。

10項目ありますが、『他者を尊重し・・・他者の意見を聞く』『意見の多様さを認め、グループ

思考は避ける』と・・・。

日本人はグループ思考で一番良い意見より、みんなが納得する意見でまとめようとします。

これが、有名な「和をもって貴しとなす」聖徳太子です。

この考え方は、力ある先輩や役職上位の人の意見は正しい、となって間違った方向に行く可能性が

高いです。

東芝のトップは経団連の常連で政界にも、強い影響力を持っていました。

その組織は上位下達の風通しの悪い、組織だったと・・・日本式の会社であったのだろうと、推測
されます。

そのことが仇となって、下からの意見は通らず、上部の者だけで全てを取り仕切ったがために大失敗
を犯して、倒産寸前です。

其の点では、ソニーとか日産自動車は一時危ないと言われていましたが、外国人の社長を入れて黒字
回復しました。

それだけではなく、日産は三菱自動車も吸収して電気自動車では、あのトヨタ自動車より評価を高め
ています。

カルロス・ゴーン会長の力だと誰でも思うのではないでしょうか。

日本的な組織を、西欧風な合理主義の体制に、改革したのが大成功したモデルとなっていると思いま
す。

宗教団体でも、会社でも組織でも改革も何もしなければ、役職が上の者が言うことに忠実な、ポチ的

な人間がはびこり、硬直化した肥満体の組織となり動脈硬化を起こします。

念のため・・・決して、信濃町周辺の団体のことではありません。

結論として『他者を尊重し・・・他者の意見を聞く』『意見の多様さを認め、グループ思考は避ける』と・・・。

これを実践する組織は活性化して、成長していきます、植物でも眠ったように花が咲かない木には、

根を切ったり、枝に傷をつけて活性化を図ると言います、上部の団体にも剪定とダイエットと根切り

を勧めたいと思います。

そして、風通し良い、””自身の同僚たちにその貢献を感謝する””組織にしませんか。

以上 鈴之助


ポイント
* テヘラニアン・・・21世紀への選択 「「他者性の尊重」に基づく「開かれた対話」 p46

一、他者を尊重し、心情と精神のすべてをもって他者の意見に深く耳を傾ける。

二、総意への共通の基盤を探求するが、意見の多様さを認め、重んじて、グループ思考は避ける。

十、自身の同僚たちにその貢献を感謝する。

* 池田・・・

すべての項目を通じて、「他者性の尊重」に根ざした「開かれた対話」という視点が貫かれて

います。

人類がめざすべき対話のモデルを提示した試みとして、高く評価されてしかるべきでしょう。
 

21世紀への選択 「他者性の尊重」に基づく「開かれた対話」 p46

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 8月 3日(木)01時19分6秒
  21世紀への選択 「他者性の尊重」に基づく「開かれた対話」 p46

テヘラニアン
 さきほども紹介しましたが、戸田平和研究所では「地球市民のための文明間の対話」を

モットーに掲げ、研究を進めております。

その有様を模索するなかで、「対話のルール」ともいうべき、一つのガイドラインをま

とめました。網羅的ではなく、あくまで試案的なものですが、ここで紹介させていただい

てよろしいでしょうか。

池田
 どうぞ、ぜひお願いします。

テヘラニアン
 全部で十項目あります。

一、他者を尊重し、心情と精神のすべてをもって他者の意見に深く耳を傾ける。

二、総意への共通の基盤を探求するが、意見の多様さを認め、重んじて、グループ思

考は避ける。

三、不適切な干渉も、節度のない干渉もしない。

四、討論に自身が貢献する前に、他者の貢献を認める。

五、沈黙も言葉であることを忘れない。発言は、適切な問いを提起するか、事実を述べるか、

主張するか、主張を明確にするか、討論をより具体的な点へ、またはより大きな総意へ進める

ことによってなすべき寄与があるときに限る。

六、重大な意見の相違があるときは、相違を認めたうえでさらに討議する。

七、自身の意見を通すため他者の意見を歪めることは決してしない。自身の異論を述べ

る前に、他者の立場に他者が満足するまで言い及ぶように努める。

八、いかなる討議事項にも一致点を形成したあと、次の議題に移る。

九、グループの方針と行動のため、一致点に含まれる意味合いを引き出す。

十、自身の同僚たちにその貢献を感謝する。

・・・以上です。

池田
 いずれも重要なポイントですね。

すべての項目を通じて、「他者性の尊重」に根ざした「開かれた対話」という視点が貫かれて

います。

人類がめざすべき対話のモデルを提示した試みとして、高く評価されてしかるべきでしょう。

また、後世に残る試みだと信じます。

テヘラニアン
 ありがとうございます。

今後も、さまざまな角度からさらに検討を加えながら、研究を進めていきたいと思います。
 

「安倍氏選挙応援で公選法違反の疑い」を読み以下を連想

 投稿者:新感性  投稿日:2017年 8月 3日(木)00時14分52秒
編集済
  文春オンライン2017年08月02日 16:00加計学園 安倍氏選挙応援で公選法違反の疑い - 「週刊文春」編集部
http://blogos.com/article/238205/

週刊文春が入手したという、2009年7月28日付の加計学園の労働組合の「要求書」には、
法人職員の職場ぐるみの選挙活動については、職場の上下関係において上位にある者が行えば、強要の意図がなくとも下位の者は非常に断りにくい状況に追い込まれることは火を見るより明らかであり、これは思想信条の自由に対する重大な侵害である〉との記述があるそうです。

また文春記事は公職選挙法に詳しい神戸学院大の上脇博之教授の指摘も拝見しました。

学校法人同様に国法で優遇措置が認められている宗教法人の職員についても公選法上の問題が出てくるかどうかの疑問が浮かんできました。
学校法人職員はダメだけど宗教法人職員なら問題ないのでしょうか?
このことは宗教法人に限らず労働組合など別の法人についても当てはまるのかもしれません。
もちろんこれは宗教法人による特定政党への支援の是非とは別問題で宗教法人職員の業務としての政治活動のことを言っています。業務に職務命令は不可分です。
逆に宗教法人職員が勤務とは離れた日時で個人として選挙活動をするのは自由だと思います。(これについてもこと職員に関しては勤務との分離は実質不可能など異議があれば御指摘ください)

文春が報じる加計学園職員の行動に問題が生じるのであれば宗教法人職場においてもその上下関係において強要の意図があろうとなかろうとも問題は発生しないのでしょうかね?
検索してみましたが、ありきたりの政教一致・分離に関するものではなくこの部分に関しては私の読解では見当たりません。

今回の文春の記事を読み、行政からの各種優遇措置が講じられていようといまいと、職場ぐるみの選挙活動自体、従業員・雇用者の思想信条の自由を侵害する可能性もあるという意味では憲法違反、あるいは公職選挙法違反(職位を利用した強制的な投票の指示等)、政治資金規正法違反を問われかねないのではと思ってしまいました。

このあたりについてどなたか端的でもかまいませんのでご説明していただけるご親切な方がいらっしゃることを希望します。

 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年 8月 3日(木)00時00分27秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
会長、副会長、一部職員の詐欺師集団に会員さんがだまされません様に

史人様へ
初めまして
同盟題目で唱題すると元気になり自分に自信がつきます
私自身、助けられ他人と比較して心が落ち込む事がへりました
同盟題目に初参加した日は、思い出せませんが一年は過ぎたと思います
元気になりました
よろしければ、一緒に題目を唱えましょう
おやすみなさい

 

北海道奥尻島沖排他的専管水域に着弾した北朝鮮の大陸間弾道ミサイルは本来、日本の何処でも狙える着弾精度を持つ!

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 8月 2日(水)23時46分47秒
  南無公明党佛。南無公明党佛。南無公明党佛。北朝鮮を空爆撲滅せよ!日本の、就中、東京の安全保障のために?  

同盟題目は23時に開始です。よろしくお願いします。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 8月 2日(水)22時55分19秒
  池田先生と奥様のご健康を祈ります。

追伸
赤胴鈴之助 様
テヘラニアン博士との対談をありがとうございます。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/72664

>>21世紀への選択??
求められる「対話」の精神 p40投稿します。

久しぶりに「21世紀への選択」を読み返しています。
 

御供養と御得の違い・・

 投稿者:史人  投稿日:2017年 8月 2日(水)22時47分51秒
編集済
  如是相はごまかせない・・
日蓮正宗?系のお数珠を丸くして親指にかけている光景を見たことがある。
どうしたった何がしかの日蓮大聖人の御本尊に手を合わせていれば、相が立派になっていく。

かくいう私は全く立派には見えない。寧ろ今迄立派に見られたことは一度もない。
ただ、7年前まで4年間務めた会社の社長が、兄ちゃんのお母さんはよほど立派な人なんやろう!?
と度々言っていました。妙法の功徳はハッキリと姿形に現われない場合もある。
それでも、何かの立ち居振る舞いでそれと気づかれてしまうこともあるようです・・・。
それが妙法の不思議さです。如是相に出ないのも不思議なら、遠因を親に見る人も居ます。
私自身、男女共、人に好かれたことはないと自覚しているし、寧ろ、憎まれ、疎まれ(今の会社に入ってからずっとだったと昨日知る)、横柄に物を言われてきていることから一目瞭然です。

それでも、また今朝思ったことですが、ご観念文の中の回向について、自分の目に見えない功徳を回向していけばよい(そう振舞えばよい)と思い、お題目もそのように唱えてまた40分以上かかる帰途の途中で考えていました。

ある人が何度違うと言っても「南無下種三宝御報恩謝徳御供養の為、南無妙法蓮華経」の御供養のところを御得と聞く耳持たずです・・・。
見てると振る舞いがどうしてもそういうふうになってしまっています。

自分達さえよければいいという、偏屈にさせるものもある、考えが凝り固まってしまうと、人への施しというものをしなくなる。
それが妙法を信じている人の中にもたくさん居るのではないか?と時折考えますが、「得」という考えは本当に大事なのか?

ここで数珠の掛け方が正宗系でなくとも、どうしても相などに顕れてしまうのは、これは御供養の心が根本なのか、それとも御得の心が根本なのか、是非とも知りたいものです。
 

可哀想な執行部とその仲間達ヽ(^○^)ノ

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2017年 8月 2日(水)22時47分18秒
編集済
  栃木の久保田です。ヽ(^○^)ノ

『創価学会は人生の総合大学である』と先生は言われ

ました。

どの様な┐('~`;)┌世間で言うところの一流大学でも、

授業の中には無い。最高学府でも教えて貰えない生き

方をヽ(^○^)ノそれも最も幸福な人生、生き方を教えてくれる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私は学会二世です。少年部の時から部員会に出来る限り参加して来ました。中等部の時も、高等部に成ってもヽ(^○^)ノ

私の家が地区や支部の拠点として会場を提供してきたのもあり、仕切り無しに学会員さんが出入りし色んな人と知りあい、お世話になったり、一緒に遊んでもらったりしてきました。

そのような人達とのかかわりや毎回自宅で行われてきた座談会やヽ(^○^)ノ御書の勉強会や折伏座等、周りに常にいた色んな世代の学会員さん。

いつも元気な男子部のお兄さん、優しいお姉さん、婦人部のお母さん達、包容力のある壮年部のおじさん達、中には少しは問題のあった方も居ましたが、とても素晴らしい人達の中で現在の自分が有るのだと痛感致します。

これ等の私がかかわった素晴らしい人達全ての中心が池田先生の生命とのつながりで池田先生が偉大だったからみんな素晴らしい人達だったのだ!

池田先生の授業を受けてきた池田大学の生徒の皆さんだったから素晴らしかったのだと痛感する。

現会長の原田は『指導者』と呼べるのか?┐('~`;)┌

少くても私は原田から何も教わった物は無い(  ^∀^)

『秋谷は5口』は長年?何をやって来たんだ┐('~`;)┌

池田先生の近くにいながら何故正しい生き方を学んで来なかったのか?

勉強の出来るバカなんだねヽ(^○^)ノ

仏法の人間主義が全然身に付いていない執行部の?

『勉強の出来る』盛りのついた猿?

『人のカッコした』発情したネズミ?

どっちにしても可哀想な人達だ┐('~`;)┌

原田、秋谷、八尋、谷川勃樹(^o^)、浩、

お前達の事だよ(# ゜Д゜)

                      
 

お詫び・訂正その三十九

 投稿者:The logic in the place  投稿日:2017年 8月 2日(水)21時50分41秒
  レ・ミゼラブル018 ?
投稿者:The logic in the place
投稿日:2015年 4月30日(木)01時05分8秒

七 クラヴァット

 ここに自然、省いてならない一事を述べておかなければならない。それはディーニュの司教がいかなる人物であったかをよく示す事がらの一つだから。
 オリウールの峡路を荒した山賊ガスパール・ベスの一隊が瓦解した後、その首領の一人であったクラヴァットという者が山中に逃げ込んだ。彼はガスパール・ベスの仲間の残党である無頼の徒とともに、しばらくニースの伯爵領に身を潜めていたが、それからピエモンの方へ行き、そして突然フランスのバルスロンネットの方面に現われた。ジューグ・ド・レーグルの洞窟に身を隠して、そこからユベーおよびユベエットの谷合いを通って村落の方へやってきた。アンブロンまでもでかけてゆき、ある晩などは大会堂に侵入して聖房の品物を奪い去った。その略奪はその地方を悩ました。憲兵をして追跡せしめたが無益であった。彼はいつも巧みに脱し、時としては猛烈な抵抗を試みた。。実に不敵な悪漢だった。
 その恐惶の最中に司教がそこへやって行った。巡回をしていたのである。シャストラルで、村長は彼を訪れてきて途を引き返すように勧めた。クラヴァットはアルシュおよびその向こうまで山を占領していたのである。警護の人をつれてもなお危険であった。三四人の不幸な憲兵をいたずらに危険にさらすのみだった。
 「それですから、」と司教は言った。「私は警護なしに一人で行くつもりです。」
「そんなお考えを・・・。」と村長は叫んだ。

(中略)

「閣下、彼らはあなたの持物を奪うでしょう。」
 「私は何も持っていません。」
 「あなたを殺すかも知れません。」
 「他愛もないことをつぶやいて通っていく年老いた牧師をですか?ばかな!それが何になるでしょう。」
 「ああそれでも、もしお出会いなされたら?」
 「私は彼らに貧しい人々のための施しを求めましょう。」
 「閣下、どうか行かないで下さい。お命にかかわります。」
 「村長どの。」と司教は言った、「ちょうどそのことです。私がこの世にいるのは、自分の生命を守るためではなくて、人々の魂を守らんがためです。」
 彼のなすに任せるほかなかった。彼は案内者になろうと自ら申し出た一人の子供だけを伴って出立つした。彼の頑固はその付近の人々の口に上り、そして非常に人々の心を痛めた。
 彼は妹をもマグロアールをも連れて行こうとしなかった。彼は驢馬の背に乗って山を通り、だれにも出会わず、無事に彼の「善良な友」たる羊飼いたちのもとに着いた。そこで彼は信仰を説き祭式を執り物を教え道徳を説きなどして、十五日の間留まっていた。出発の迫ってきた頃彼は正式をもって讃歌(テデオム)を歌うことにした。彼はそのことを主任司祭に話した。しかしいかにしたらいいか。司教の飾具なんか一つもない。村のみずぼらしい聖房と平細で飾られたダマ織りの古いすりきれた二三の法衣とが、使用し得らるるすべてであった。
 「なに、」と司教は言った、「司祭さん、やはり会衆に讃歌(テデオム)のことを伝えておきましょう。どうにかなるでしょう。」
 人々は付近の会堂をさがし歩いた。が付近の教区のすべてのりっぱなものを集めても、大会堂の一人の合唱隊長の適宜な衣装にも足りなかった。
 この当惑の最中に、二人の見知らぬ騎馬の男が大きな一つの箱を持ってきて、司教へと言って司祭の家に置き、そのまま立ち去ってしまった。箱を開いてみると中には、金襴の法衣、金剛石をちりばめた司教の冠、大司教の十字架、見事な笏杖、その他一月前にアンブロンのノートルダーム寺院から盗まれたすべての司教服がはいっていた。箱の中に一枚の紙があって、その上に次の語が誌してあった。「クラヴァットよりビヤンヴニュ閣下へ。」
 「だから、どうにかなるでしょうと私が申し上げたのです!」と司教は言った。それから彼はほほえみながらつけ加えた。「司祭の白衣で満足する者に、神は大司教の法衣を下されます。」「閣下、」と司祭は頭を振り立てながらほほえんでつぶやいた、「神様か ― または悪魔か。」司教は司祭をじっとながめた、そしておごそかに言った。「神です。」

 (中略)

 その晩床につく前に彼はなお言った。「決して盗賊や殺人者をも恐れてはいけない。それらは外部の危険で小さなものである。われわれはわれわれ自身を恐れなければならない。偏見は盗賊である。悪徳は殺人者である。大きな危険はわれわれの内部にある。われわれの頭や財布を脅かすものは何でもない。われわれの心霊を脅かすもののことだけを考えればよいのだ。」

 (以下略)

・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

4月20日SK第一面左中に「大道を歩む Ⅲ」の中国語(繁体字)版が出版されていたという記事を見て、先般のキッシンジャー発言(正誤表001)を載せたのですがネトリス対策室の高学歴・傲慢・学会職員(売僧)の方は、過去の「大道を歩む Ⅱ」中国語(繁体字)版の内容を確認されましたでしょうか?「毛沢東」と「周恩来」の違いもさることながら、キッシンジャー氏が嘘を言っていたとか、先生が耄碌してデタラメ話をしていたと言う、はっきり言って、弟子の裏切り行為であり、日中友好に泥を塗る営為?わざと誰かの指示でやったのですね、と私は信じています(笑)。こうやって師匠を貶めていく。さすがHHTA、TSIのBD!今後も正誤表で追及していきます。

さて、ミリエル司教の最後の言葉の
「決して盗賊や殺人者をも恐れてはいけない。それらは外部の危険で小さなものである。われわれはわれわれ自身を恐れなければならない。偏見は盗賊である。悪徳は殺人者である。大きな危険はわれわれの内部にある。われわれの頭や財布を脅かすものは何でもない。われわれの心霊を脅かすもののことだけを考えればよいのだ。」
から、「偏見は盗賊」・「悪徳は殺人者」を考えてみましょう。

「偏見」とはHHTAが直接指示をして某ツイッターを叩き潰すために、スパイさせてメンバーリストを作成し、方面幹部からTSIのBD幹部を使って、査問・面談してツイッターを壊滅。ところが今度は、この掲示板にすべての情報が流れ込んでしまい、世界発信される始末となりました。創価・公明党の対外交渉にも多大な影響を与えていますね。
今にして思えば、会則変更、会憲、教義変更の悪巧みを数年前からHHTAを含むBD幹部が予定していたから、某ツイッターが恐ろしくなり(聞くところによると、HHTAは、ツイッターが学会内の分派工作をしていると錯覚)豪腕を奮ったと言うじゃありませんか?ツイッターメンバー内では笑い話ですが、「悪事の偏見(盗賊行為?)」が今になって「宿坊の掲示板」で世界発信されてしまうとは誰も予想していませんでしたね。

そしてT治を含む富士宮TSI・BDの「悪徳行為」は、信仰を潰す「殺人者」です。
皆さんも(まともな弟子もそうじゃないBDネトリスTSMも)、小説読みながら、ウ~と唸ってみてください(笑)。

ーーーーーーーーーーーーーー
書籍の抜粋引用は、以下の会則

????????
第14章 賞罰
(懲 戒)
第78条 この会は、会員としてふさわしくない言動をした会員に対し、その情状に応じ、戒告、活動停止または除名の処分を行なうことができる。
????????

は、該当していません。

ーーーーーーーーーーーーーー
以下、解説で書かれている部分は、に大変該当します。反逆者!裏切者!極悪!大極悪人です。
HHTAの最高幹部さまや・富士宮の大極善大幹部さま、横領・着服の大極善弟子のT痔さまを愚弄して挙げつらう極悪会員であり大変ふさわしくない言動です。

私が極悪人です。
秋谷元会長先生・原田会長先生の大極善弟子歴代会長が『改心して問題無し!極善弟子に認定!池田先生もお認めになっている?』(私のような現場末端の弟子には頭悪いんで、どのようになっているか全く分かりませんが)からですね。

このような極善弟子へと改心された組織犯罪者が大勢居るところが、創価学会であると外部の方から言われましたが、私は言に『そんかことはない!断じて無い!改心して反省・謝罪を(誰にしてどうされたかは分かりませんが?)した組織犯罪者でも、池田先生からケダモノ呼ばわりされたり、遠くへ飛ばせと言われても、会運営の時の会長さまが全権統理されて極善認定をして、大極善弟子となって、黙って貴族のように優雅な生活を保障されているのです。これが実証です!』と釈明してします。
だから、この板でのお詫び・訂正でも釈明しますね。誠に誠に申し訳有りませんでした。

会則において全ての権限を有する会長が『黒は白だ、偉いんです!』と認定発言されれば、我々末端の会員は、主観的な会則判断に付き従い『その通り、黒は白です!』と何も考えずに口裏合わせするの役職の無い一会員の正しい言動です。

それが分かった私だから右に倣らうのが大極善弟子になり、改心した証となり、処分も解雇もクリアーできる営為だと認識しました。

これが極善会員への道です。道を踏み外した者は、村八分、査問・除名されます。だから、平坦で何も無い下り坂の道を下っていくことが楽チンであり、波風など立ててはダメ?舗装された坂道は躓くことも、波風も立ちませんね。
ゆっくりと周りの風景を眺めながら、お花畑を夢みながら、群れを成して歩みを止めずに進んでいきましょう。
私は頭の悪い極悪人なので、どうも下りは歩行困難になったりして立ち止まり追いつかないのですが、逆に困難な稜線が続く岩だらけの坂道を好んで登っているようです。

間違いなど無い!間違いを糾す者が間違ってる!と言うことを私は繰り返して、頭悪いんで、また繰り返すかもしれません。この繰り返しが極善会員の改心活動です。

『ブラボーわが人生』ならぬ『アン・ビリバーボー?わが人生』、もう池田先生に直接指導を受けた弟子は皆、この世の使命を終えて、私のような先生とは会ったことも指導を受けたこともない弟子ばかりになります。

この中で大極善弟子の大幹部の皆様方は、次々に益々御元気に、若々しくメッセージや提言、著名人との対談、そして歴史に残る新・人間革命を執筆されて、認定もどしどし指示されて居ることでしょう。極善弟子の皆様と違い、現場末端の極悪平会員の私には理解できない世界です。でも、メッセージ出したり、出さなかったり、聖教に掲載したり、掲載しなかったり、口頭だけだったりと一貫性がないのは、極悪弟子でなくとも違和感が有ります。
外部購読者からも笑われてしまいました。でも極悪の私は『不遜だ!オカシナことはない!創価学会には断じて無い!なんでも皆、正しいのが創価学会である!』と述べて置きましたよ。

感受的なところへ、私は師匠同様に外へ外へと友情を結びます。








 

“感受”的なところで動く!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 8月 2日(水)20時01分21秒
編集済
   人間は、きわめて“感受”的なところで動いていると見ざるを得ません。

 アーノルド・トインビーの言葉に、なぜ教会にいくのだろうかとの問いに、こうあったのを記憶しています。「彼らは聖書の言葉とか、教義を理解して礼拝に参加しているのではないのです」(趣旨)と――。
 確か、「21世紀への対話」だと思って再度めくったのですが、やはり端折り読みでは見つけられません。おかげで上・下をもう一度読むことはできましたが(笑い)。

 そのあとに、「むしろ誰かに会いに行っている」という趣旨の文言が続いていたように記憶します。(ほかの書物だったかもしれません)聖書や聖職者の言葉を聞くとか聞かないとかではなく、同じ仲間の「人」に会いに行っているということになります。
 まなこさんの投稿を注意して見ています。

 学会会合参加者にも似たような光景が見受けられます。
 長い、聞くだけの会合が終わって(笑い)、残って、幹部とか、組織別とかで集まります。そのあと、ロビーで打ち合わせのために集ります。そして、玄関で知り合いを見つけて話し込み、さらに外にいって、駐車場でも気心の知れた人と話す(笑い)、といった光景が日常茶飯事で見られるのです。情報の交換とか、打ちだし内容の確認とかではないようです。

 どうも話してないと心が休まらないようです。安堵感が得られないのです。むしろ、その人との心の一体感を求めているようです。“仲間”だということを感じたいわけです。要するに安心したいわけです。それは、むしろ、感受の世界です。とくに上位役職者は、その傾向が強いようです。意識するかしないに関わらず、“自分の側にいる”ことを確かめたいだけなのかも知れません。つまり、“自分”のためです

 それは、「群れたがる」こととほぼ同じようです。人は“臆病”だから、群れたがります。群れて、片時なりともその臆病を覆い隠そうとするのです。臆病は三悪道・四悪趣の特徴です。「畜生」と特定していいかもしれません。臆病の恐怖から逃れ、安心したいから群れるのです。安心、安楽は「涅槃」です。

 十界本有ですから、どんな衆生も臆病です。臆病の衆生でこの娑婆は一杯です。
 「よからんは不思議わるからんは一定とをもへ、ひだるし(空腹)とをもわば餓鬼道ををしへよ、さむしといわば八かん地獄ををしへよ、をそろししと・いわばたかにあへるきじ(雉)ねこにあえるねずみを他人とをもう事なかれ、=中略=なごへ(※名越)の尼せう房・のと房・三位房なんどのやうに候、をくびやう物をぼへず・よくふかく・うたがい多き者どもは・ぬれるうるしに水をかけそらをきりたるやうに候ぞ」(聖人御難事1190~1191㌻)

 「をくびやう(※臆病)物をぼへず・よく(欲)ふかく・うたがい(疑い)多き者」。俗に、退転四点セットです(笑い)。
 “境涯”を変えるというのは、「学ぶ」ということです。何かに向けて「行動」を起こすということです。何もしなければ、何も変わりません。その学び、行動を起こす源泉が「生命力」です。つまり信、行、学(順次逆)です。

 “痛み”や“慈愛”は、言葉や論理から生まれるものではありません。「感受」があって、それが“痛み”や“慈愛”という言葉を生み出します。「感受」が先にあって「認識」を生みます。そして、何らかのきっかけ(縁)でその「感受」が生じた時にのみ、“痛み”や“慈愛”という言葉に共鳴します。そして、今度は「認識」が「感受」に作用します。その繰り返しの積算が「一念三千」の「三千」だということが言えるでしょうか。


 

夏季友好期間中ですが、個人的には親しくしている地区部長から盛夏見舞いのメールが届きました。

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 8月 2日(水)18時30分22秒
  昨今の北朝鮮による大陸間弾道ミサイルの発射実験を受けて、北朝鮮撲滅戦争即時開戦止む無し、とのメッセージが書かれていました。南無公明党佛。南無公明党佛。南無公明党佛。東京におられる池田大作先生をお護りするがためには、多少の犠牲はヤムを得ない。南無公明党佛。南無公明党佛。南無公明党佛。  

twitterより。池田先生が生涯をかけて訴えてきた事は国家主義への警鐘。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 8月 2日(水)18時07分24秒
  池田名誉会長が生涯をかけて訴えてきた事は、平和憲法の死守と、人々を戦争に引きずり込む国家主義への警鐘。その為にあえて創共協定にも踏切った。
安倍自民党・日本会議が目論む国家主義的改憲こそ 名誉会長が最も危惧し阻止しようとしたこと。
自民改憲支持は 名誉会長の努力を否定することに。
 

二十一世紀への対話 121

 投稿者:まなこ  投稿日:2017年 8月 2日(水)16時12分11秒
  8 愛国心と人類愛

【池田】 自分自身が生きている国土や社会を愛し、より発展させていこうと願うことは、元来、自分の生命を慈しみ、生活を向上させようとする人間の本性に根ざした心情が、社会的な方向をとったものであると思います。
それ自体は美しいことであり、人間として大切な問題です。そうした意欲も気力もなかったならば、今日の人類社会の発展はなかったことでしょう。しかし、自身の生存する社会への自然な愛が、ひとたび国家対国家の対立のなかに巻き込まれ、利用され始めると、それは妖しい光を帯びてくるものです。これは、人間の心の自然の発露が、国家というまったく次元の異なる原理によって変形させられるからだと思います。
国家対国家の関係は、敵対関係としてとらえられることが、ままあります。それは必然的に、自国が他国に対して優位に立つことを要求します。また、国民の意識のうえにも、あらゆる点において、他の国よりも優れた国家として自覚することを要求します。
西洋においては、この自国優先の思想は、古代ユダヤ教、ひいてはその流れを受けたキリスト教につきまとう選民思想によって裏打ちされ、神の恩寵を受けた国家という意識にまで強められていったようです。また、明治以降の日本にあっても、“神国日本”という信念が精神的バックボーンとして採用されてきた事実があります。
この国家主義のもとに、どれほど多くの青年たちの純粋な愛国心が歪められ、利用され、踏みにじられてきたことか――。そこでは、自己の生存する社会への純粋な愛であったものが、他国民への憎悪ないし蔑視に変わり、自己と社会の共存の理念であったものが、いつのまにか国家社会のための自己犠牲へと変質していったわけです。

【トインビー】 二度にわたる世界大戦をはじめ、アメリカ独立戦争やフランス革命以後に起こったほとんどの戦争において、世界中のあまりにも多くの青年たちを悲劇と破滅に追いやった、あの種の愛国心というものは、私のみるところでは、一種の古代宗教なのです。西欧諸民族がこの古代宗教へと再転落したのは、彼らが近代に至って先祖伝来の宗教たるキリスト教への信仰を失い、その結果生じた宗教的空白に自分たちがいることに気づいたときのことでした。この新たに蘇生したキリスト教以前の宗教は、地域共同体の集団力をその崇拝の対象とするものです。元来それは、古代シュメールやギリシアの都市国家における、市民たちの宗教だったのです。
ギリシア・ローマの歴史では、こうした各地域の集団力への崇拝が、やがてローマ帝国全体の集団力に対する崇拝へと変容していきました。ローマ帝国は、領民が知るかぎりでは“天下万物”を治めており、その意味では同帝国の権力は世界的なものでした。しかし、ローマ帝国はそれよりも長く存続していた帝政中国と数世紀にわたって併存していたのであり、帝政中国も、そ
の領民が知る範囲では、やはり“天下万物”を治めていたわけです。ところで、キリスト教の殉教者たちは、このローマ帝国の集団力崇拝を不満足かつ不十分な宗教であるとし、この宗教への帰依を意味する儀式を執り行なうことをきらって、むしろ殉教の道を選んだのでした。
私の考えでは、このキリスト教殉教者たちの態度は正しかったと思います。もっとも、神としてのシーザーや女神としてのローマを崇拝したことは、都市国家アテネの地域的集団力の象徴としての女神アテナヘの崇拝に比べれば、人間の集団力崇拝としては、まだ害の少ないものでした。世界的な広がりでの人間の集団力崇拝は、人類に政治的統合を、したがってまた平和を、もたらしたからです。しかし、地域的なものであれ世界的なものであれ、人間の集団力が崇拝の対象として適当でないことは確かです。国家というものは、地方国家であれ世界国家であれ、たんなる公共施設にとどまるべきものです。

【池田】 国家意識ないし国家対国家の敵対意識は、地域的集団力が基盤となって成立してきたものだという、博士の御意見には私も賛成です。そして、その人間の集団力を崇拝することがまったく誤りであることも、御指摘の通りです。
ところで、現代人にとって、生活の基盤はすでに全世界的規模に広がっており、かつてのように、人間の生存の基盤が国家という限られた狭い枠に閉じ込められ、しかもそれが人間生存の不可欠の要素と信じられた時代とは、もはやまったく様相を異にしています。現代においては、自分が生きている国土とは、そのまま世界を意味するといえましょう。 したがって、かつての本来的な愛国心の理念にあたるものを現代に求めるとするならば、それは世界全体を“わが祖国”とする人類愛であり、世界愛でなくてはならないと思います。そのとき、国家的規模における国土愛は、いまでいう郷土愛のようなものになっていくのではないでしょうか。

【トインビー】 いまや人類の居住地全体が技術面で統合されているわけですから、心情面でも、これを統合することが必要です。これまで人類の居住地のうち、局地のみに、そしてその住民と政府のみに捧げられてきた政治的献身は、いまや全人類と全世界、いなむしろ全宇宙へと向けられなければなりません。
ギリシア哲学のストア学派では、人間は宇宙の一市民であると唱えました。中国新儒学派の哲学者程コウ(★景+頁)は「“仁”の人は天地万物をすべて一体とみる。彼には、彼自身にあらざるものはない」また「自然と人間には何の分けへだてもない」と述べました。また、王陽明の世界観によれば偉大なる人は、天地万物をみな一体とみなす。この人は世界を一家と考える」とのことてす。
私は、人間にとっての正しい崇拝の対象とは、“宇宙の中に、その向こうに、またその背後にある究極の精神的実在”であると信じています。私の考えではまた、この究極の実在とは愛のことです。その意味で、私は「至高なる目的とは、人格の顕現、諸人への愛を第一義とすることである」という王陽明の格言に賛同しています。人間は、たとえそれが自己犠牲へ導くものであろうとも、あくまで愛に従わなければならないと考えるのです。愛とは、奪う代わりに与えるという、精神的衝動です愛はまた、自我を全宇宙との調和へと引き戻す衝動です。自我が宇宙から疎外されているのは、その本然的な、しかし克服不可能ではない、自己中心性のゆえなのです。
 

保身という壁

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年 8月 2日(水)12時23分16秒
  明日は内閣改造。

しかし、期待するものなど何も無い。

いつものメンバーがいつもの様に、グルグルと、多少ポストが変わろうが、多少新しいメンバーが加わろうが、そんな事は国民にとってどうでもいい。所詮、コップの中の嵐だ。

そんな事で国民の歓心や信頼を、取り戻す事が出来ると考えているとしたら、それは笑うべき読み違えだ。

森友に始まる今回の一連の事件を通して、国民は国政の私物化という、とんでもない真相に気付いてしまった。
私自身、国会中継を録画してまで見たのは、人生初のこと。安保法制の時でさえ録画はしていない。
今までとは違うのだ。

公明首班がもしあったとしても、それは公明党大崩壊のスイッチが入るだけの事。問題の解決にはならない。
自民党はしぶとく公明党を利用して生き残り、公明党はかつての社会党の様に、溶けて無くなるだろう。


昔、創大草創の頃、創大生は副会長が束になって来ても喜ばない  という事がよく言われていた。
池田先生が急に来校出来なくなり、代理の副会長が来たりすると、かなり露骨な、ブーイングに近い声さえ会場に響いたものだ。(笑)

しかし今思うとそれは、本物とそうでないものとを、正しく区別出来ていたという事だろう。

見分けは、決して難しいものではなかった。誰でも分かるほどはっきりしていた。

安倍政権についても、創価学会執行部についても、同じ事が言える。

これほどはっきりと、指導者としての器でない事がわかる相手に、何も言わないとしたら、それはただひとえに、勇気が不足しているのだ。保身という壁を、突破出来ていないのだ。
 

何が何でも勝たねばならぬ

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2017年 8月 2日(水)08時21分16秒
編集済
 

目の前にはいろんな姿で
仏敵が現れるけれど
その正体は何か
自分の心に潜む元品の無明
この相手に戦い勝つための
たったひとつの方法は
大御本尊様を信じること
信じて、信じて、信じ切ること
それ意外にはありません
---------------------------------
吹いても飛ばないパソコンに
かけた命を笑わば笑え~♪

もし、ある日突然、会長さんと仲間
たちが、今日から教義はバラモン教
にするといい始めたらどうしますか?
池田先生はそんなことは絶対言わない
と思います。まさか、座談会では
鼻の穴に針を通したり、火を吹いたりとか・・・
それは見世物としては面白く
人も集まるかもしれませんが、
そんなのダメーにきまってますね。

ということは・・・?

私の場合は弘安2年の御本尊にかけた
命を笑わば笑えです。

守るべきものは守り続けましょう





http://imagine-happy-life.tokyo/

 

職員の権利意識のお粗末さ

 投稿者:-Q-  投稿日:2017年 8月 2日(水)08時08分47秒
編集済
  石嵜さんの意見には共感します。しかし、学会等の職員に限った話ではないけれど、近頃の被雇用者には労働者としての権利意識がほとんどないようです。
法学部出身の職員であっても、自分がどのような法的地位にあるのかを理解しているようにはとても見えない。労働組合の結成を、などというと、途端に、キョーサントーに毒された反逆者予備軍、とでも思い込むよう訓練されているのか。

だからこそ怪しげなコンサルタントの示す、配達員から労災保険を取り上げるという非道な経費削減案も、あっさり受け入れてしまうのだろう。
もう、信濃町は行き着くところまでいかないと目が覚めないのではないか。

会員の中で最大のコアボリュームを占めているはずの、いわゆる団塊の世代。彼らのすべてが後期高齢者となるまであとわずか7年。その時組織内にどんな風景が待ち受けているのかを、連中は知る由もない。


 

わが友に贈る 2017年8月2日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年 8月 2日(水)07時20分37秒
  「平和」とは
遠くにあるのではない。
母を大切にするという
人間学の真髄の中にこそ
未来を開く光源がある!
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、創価大学で全国未来部夏季研修会、誠におめでとうございま~す(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 8月 2日(水)07時13分23秒
  おはようございます。原田怪鳥様、創価大学で、全国未来部夏季研修会がスタートとのコト、誠におめでとうございま~す(笑)

特に、池田先生がメッセージを贈られ、ナゼか? 今回は概略でなく、2面に全文掲載、誠におめでとうございま~す(笑)

全文掲載する、しない、はナニか? 基準でもあるのでしょうかぁ~(笑)

なんとも都合のイイ「永遠の指針」があったものデスねぇ~(笑)


ナニはともあれ、創価後継の「道」を託されたわけデスからぁ~、しっかりと研修してもらいたいものでぇ~す(笑)

第一に「平和の未来へ羽ばたく『英知の翼の道』」デスねぇ~(笑)

英知を磨くのは何のためか? 一言でいえば騙されないようにするためかもしれませんねぇ~(笑)

創価大学教授でありながら、学会教学を身延教学に落としめた張本人がいらっしゃいまぁ~す(爆)

しっかりと学んで、矛盾を追及できるように、頑張って下さいねぇ~(笑)


第二に「共々に勝利の前途を照らしゆく『友情の光の道』」デスよぉ~(笑)

くれぐれも、「怪鳥様は、偉い人なんデスッ!」などと権威主義に陥らないように、異論を唱える人を、査問・処分・除名などしないよう、

対話と友情の道を歩んで下さいねぇ~(笑)


第三に「信仰の無敵のエンジンで勝ち進む『栄光の巌の道』」デスねぇ~(笑)

一番正しいからこそ、一番魔が競い起こるのでぇ~す(笑)

創価学会も、原田怪鳥様のお力で、権力の中枢に陣取り、おかげで難が起こるコトなく、今を謳歌しておりまぁ~す(笑)

「信心」で勝つのではなく、「選挙」で勝ち進むことのみを目指す原田怪鳥様はいかがなものでしょうかぁ~(笑)


ともあれ、未来部の皆さぁ~ん、純粋な目で物事を批判できるのは若者の特権でぇ~す(笑)

学内で同志をいじめるコトがないように、頑張ってくださるコトを、大いに期待してまぁ~す(爆)


 

お詫び・訂正その三十八

 投稿者:The logic in the place  投稿日:2017年 8月 2日(水)01時25分27秒
  同世代人の責任 ?
投稿者:The logic in the place
投稿日:2015年 4月25日(土)17時52分23秒

アルベア様、書き込みありがとうございます。
HHTAと私、アルベア様は同世代人であり、この世代の言語解釈と先生のスピーチも
今の青年部とは異なります。光、太陽、空間や時間認識の表現は、昭和49年代の「生命
を語る」とか「宇宙と仏法を語る」等からだと思います。かなり他の書物を読み込んで
いないと「生命を語る」は理解できませんでした。下地がなければ、特にHTAばかり
にうつつを抜かして、うまい物を食べ、美しいものばかりを見て、高学歴に酔いしれて
いたHHTAは「富士の如くに」なんていう師匠の詩はちゃんちゃらおかしくて、笑っ
ていたはずです。
だから、私は境涯を落としても?HTTAと同苦して?その十界境涯(犬畜生)に命根性を落として、言論を展開している訳です(笑)。

学会の指導主義は「同苦」と先生は述べています。つまりは、相手の境涯に合わせて、「自分もHHTAだったら、どう悩むのかな~」とこちらもその犬畜生の境涯で悩むところから始まるわけで、今の青年部やらヤング壮年部は理解できますでしょうか?これがHHTAと同世代の我々の責任だと考えています。

本日の新人間革命の「北海道の歌」なつかしいですね。この作詞は先生ですが、当初の暗い~曲を付けた音楽隊隊長と鼓笛隊長Aが、札幌文化会館裏で、逢引して抱き合(当然不倫)っていたのを発見したのもアルベア様でしたね。
裏教宣で動いていた私が方面へ報告し、却下されましたが、先生は見抜いていたと思います。この音楽隊長は堕落して退転、Aは第二次宗門問題で一家ごと脱会して日顕宗へ下りました。

昨年、大誓堂でアルベヤ様ご夫妻とひさしぶりに対面し、それからまもなく街角のコン
ビニでアルベア様とお会いしてから煙草スパスパ吸いながら、様々な視点の変化を教え
てもらいながら、この掲示板を紹介したのが始まりでした。余り空のかなたに飛んでい
かないように、現場で苦しむ投稿メンバーのために、役立つお話をわかりやすく展開し
てください。

ーーーーーーーーーーーーーー
この投稿内容は、以下の会則

????????
第14章 賞罰
(懲 戒)
第78条 この会は、会員としてふさわしくない言動をした会員に対し、その情状に応じ、戒告、活動停止または除名の処分を行なうことができる。
????????

に大変該当します。反逆者!裏切者!極悪!大極悪人です。
HHTAの最高幹部を愚弄して挙げつらう極悪会員であり大変ふさわしくない言動です。
私が同世代の極悪人です。同苦なんて関係ありませんね。同世代として、誠に誠に申し訳有りませんでした。

会則における会長が『黒は白だ、偉いんです!』と認定発言されれば、我々末端の会員は、それに付き従い『その通り、黒は白です!』と口裏合わせするのが当たり前です。それが大極善弟子になり、改心した証となり、処分も解雇もクリアーできる営為です。これが極善会員の見本です。

間違いなど無い!間違いを糾す者が間違ってる!と言うことを私は繰り返して、頭悪いんで、また繰り返すかもしれません。この繰り返しが極善会員の改心活動です。

群れ合いの場、良い表現ですね。私は場の論理を組み立てて、既に脱出しています。
ところで、NHKラジオ月末午前4時の絶望名言、お聴きなっていますか?
カフカが述べるゲーテの詩、素晴らしい。
8月はシェークスピアですが、ゲーテは先生がよく引用して詠まれていたと記憶しています。極悪の私は、仕事をしながら、いつも聴いています。ネガティヴで後ろ向きな話、極善会員と皆様も感動するかも?




 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年 8月 1日(火)23時51分46秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
池田先生のお名前を使い、背中を撃ち続け会員さん達を
騙し続ける詐欺師集団の会長、副会長、一部の職員の方々
に、御題目をおくります
ありがとうございました
おやすみなさい
 

参考資料:1人のメリット

 投稿者:JACK  投稿日:2017年 8月 1日(火)23時15分57秒
  様々な事情で、ふとした時に孤独を感じ、不安を覚えることは、年代問わずあることと思います。

ご参考までに、臨床心理士の視点から見た情報をご紹介いたします。


<一人ぼっちでも大丈夫? 「友達ゼロ」の人の結末>
2017/6/19(月) 5:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170619-58371233-woman-bus_all&p=1


<要旨>
元の文は少々長い記事ですので、要旨を簡単にご紹介いたします。

・「誰かと絶えずくっつくことで安心感を獲得し、そうでない人間を排除しようとする人たち」こそ問題。

・本当に優れた発想というのは、一人で自分の内面と深く会話している時にこそ生まれる。

・日本では多くの人が、「友達集団や職場集団のなどの組織構成員と同じ価値観の下、同じ行動をしなければ安定した生活を送れない」と思い込んでいる。

・年を取るにつれて、同調圧力(みんなと同じことをしなければならないというプレッシャー)の強迫観念から解放される人もいるが、染み付いた同調圧力の価値観を抱え、精神的に幼いまま大人になる人も多い。
そのような幼い人にとっては、“自分や周囲に同調しない者”は「おかしな人」であり「変な人」であり「異端」と考える。

・「群れる相手」「つるむ相手」の数が増えるほど、「自分にそれだけ価値がある」という根拠なき自信を持つようになるが、孤独の中で自分の心を深く見つめなければ解決することができない問題を先送りするようになるので、人間としてなかなか成長できない。

・「群れること」の弊害は、自分が何をどう感じていて、何を欲しているのか分からなくなること。

・一人の時間をしっかり持っている人は、自分と向き合い、深い部分で自分が本当はどう生きたいのかよく考えていることが多い。そのため、どんな時も心のバランスを維持することが可能。

・相手が苦しい時に自分の身を投げ出してでも何とかしようとする。そうした深い人間関係は、「孤独を知った者同士」の間にこそ生まれる。人間は本来孤独であり、それぞれ自分の道を生きるしかない。

・同調圧力を背景に、半ば脅迫的につながっただけの関係の相手に、いざという時の親身な支援を期待するのは無理。
 

同盟題目!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 8月 1日(火)22時55分14秒
  23時より開始します。よろしくお願い致します。  

ルパン三世様

 投稿者:石嵜  投稿日:2017年 8月 1日(火)21時57分35秒
  初めまして。潮出版社と雇用機会均等法の件拝見しました。

各女性社員は個人として会社と交渉したようですが、
労働組合があればもっと楽にできたでしょう。
お局のハラスメントも団体交渉に持ち込んで
会社側から止めるようにできたと思います。

職員と外郭団体にも労働組合が必要です。
 

(無題)

 投稿者:史人  投稿日:2017年 8月 1日(火)21時38分15秒
  もう題を書く気力もなく・・

まぁつまらない日記によるものです。
平成29年8月1日(火)午前7時18分
一心に仏を見るとは赤子が母を求めるようなものだ
心を一にして仏を見るとは赤子が乳を飲むようなものだ
心を見れば仏なりとは赤子が母を察し、母が赤子を察するようなものだ

勤行をした後新聞を読むと妙法の根源という言葉を見ました。
新聞を読む前(勤行の時)、南無妙法蓮華経の御本尊といっても根源に日蓮大聖人の命を思っていました。つまり、日蓮大聖人の命を根源(始まり)として、感謝しています。

今日の座談会の拝読御書の下の仏界のところに、生命の根源が妙法であると覚知することによって開かれる・・・とありましたが、私は根源を御本尊を顕された日蓮大聖人の命がなされた始まりとしてのものと捉え、そこに恩というものを考えていて、私自身、根源の捉え方自体、全く外れてしまいましたが、やはり日蓮大聖人への返しきれない感謝ということに繋がります。
最初に考えた一心欲見仏という私が思い出だした解釈と気持ち的には同じです。
 

本部も聖教も公明党も寿退社が原則だったような気がします

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 8月 1日(火)21時22分42秒
  青年部時代の記憶。  

配慮が足りませんでした。

 投稿者:通行人  投稿日:2017年 8月 1日(火)20時59分56秒
  「邪悪」と戦ってこそ「正義」
→「「邪悪」と戦ってこそ「正義」」
とすべきでした。

「たとえ我が身は傷つこうとも、その方々を苦しめる者とは、私は断固戦う。一歩もひかない。一生涯、その方々の盾となって生き抜き、死んでいく決心である。」

「その方々を苦しめる者」として厳しく糾弾されたお言葉が「議員と坊主には騙されるな」です。
本部職員などについても厳しくおっしゃられていましたね。
 

にゅうかい29様

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 8月 1日(火)20時06分26秒
  お気持ち、よく分かります。私も確かめながら歩いています。宿坊に書かれていることの殆どは事実のようですが、自分で直接つかめる情報は知れています。
宿坊は出会い系ではないという声もありますが、正義も連帯しなければなりません。
悪はすぐに結託するのに、正義はそれをしないから負けてしまうと、池田先生は言われていました。
まず最初にアクセスしやすいところは元職員3名の座談会でしょうね。そこには宿坊メンバーもよく参加しています。
次は大阪ということで、私も行きたいと考えています。
もし可能ならどうですか?
去年の大阪座談会にはアメリカから来た人もいて、ビックリしました。
遠いようなら、また別の機会もあるでしょう。
いずれにしろ、人間は歓喜に比例した力しか発揮できません。焦らずに歓喜の中の大歓喜を蓄えていって下さい。

http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/?pc

 

先生の仰られた通りです。

 投稿者:ダメよ~ ダメダメ  投稿日:2017年 8月 1日(火)19時51分54秒
編集済
  ルパン三世さんのご投稿ごもっともなお話。

30年ほど前、ある懇談会だったか会食会だったか先生が外郭企業をメッタ斬りにされたことが

あります。

その中で、「傲慢な潮(出版社)」と仰られました。その時一緒に「信心が無い第三文明」とも


>ここにも前代未聞の赤字経営に陥った要因がうかがえる。社員が一番の資本だという、当たり前

>の考えすらない、ジャーナリストとしては立派でも、経営者としては最低最悪、人材を育てる哲

>学もなければ、人の心も分からない才能ある畜生である。


先生が30年ほど前にご指摘された通りで現在も変わっていない、否、酷くなっています。

悪い意味で潮は「人は変われど我は変わらじ」なんですね(笑)
 

尼倶律陀長者のように!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 8月 1日(火)18時57分4秒
編集済
  【無限に深化する信心こそ「一生成仏の信心」】
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 鳥には鳥の飛ぶ道があります。魚には魚の泳ぐ道があります。同じように、人間には人間として幸福になるための生命の道がある。凡夫には容易に見えないが、仏の眼(まなこ)には、その正しき道は明瞭に映っています。この幸福への不滅の起動を、日蓮大聖人は、「一生成仏の大道」として、万人の眼前に開き示してくださいました。それが唱題行です。

 唱題行は、ある意味では、鳥の道や魚の道のように、成仏への「最も自然な道」です。なぜならば、本抄で「衆生本有の妙理」と仰せのように、私たちの生命に本来具わっている妙理を現していく道だからです。大聖人は、「衆生本有の妙理」を表し“自然の道”としての唱題行の意義を強調されています。

 「我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(御書二四六㌻)
 「妙法蓮華経の五字は経文に非ず其の義に非ず唯一部の意なるのみ、初心の行者其の心を知らざれども而も之を行ずるに自然に意に当るなり」(御書三四二㌻)
 「疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」(御書二三四㌻)

 妙法蓮華経は仏が悟った生命本有の法であるがゆえに、唱題行は確かなる一生成仏の修行になるのです。ゆえに「一生成仏更に疑いあるべからず」(御書三八四㌻)と仰せなのです。しかし、“自然の道”といっても、何もしないでよいというものではありません。いかなる道も、切り開かれ、障害物が取り除かれ、踏みならされてこそ、多くの人が通ることができます。
 同様に、唱題の道も、己心の妙法蓮華経を信ずるという「信心」を貫いて、生命に具わっている「元品の無明」を打ち破っていく戦いが必要です。妙法蓮華経の五字を受持すると、それまでの悪から悪へ、迷いから迷いへ、苦悩から苦悩へという無明の流転を転換して、成仏の因果を自然のうちに私たちの生命に刻むことができるのです。

 成仏の因果とは、信心によって、悪と不幸の根源である無明を打ち破り、本有の妙理である妙法蓮華経のリズムが私たちの生命に厳然と現れることです。この妙法蓮華経のリズムと一体になった生命こそが、仏界の生命です。この信心を「因」として、仏界の生命の湧現を「果」とする因果が、成仏の因果なのです。この成仏の因果が、それまでの無明に基づく悪の因果に取って代わっていくのです。そして、いかなる無明、魔性にも負けない信心を鍛えぬけば、成仏の因果は私たちの生命の骨髄として確立されるのです。

 このように、どこまでも「信心」が重要です。それゆえに御文では「この旨を深く信じて」(御書三八四㌻)と仰せられているのです。この御文だけでなく、本抄では、「深く信心を発(おこ)すべきなり」(御書三八三㌻)、「深く信心を発して」(御書三八四㌻)と、「深く」「深く」と重ねて仰せられ、どこまでも「信心」を強調されています。信心を深めていくことこそが、「成仏の王道」であることを教えられているのです。胸中の妙法を湧現すれば、必ず仏に成れる――このことを、どこまで深く信じ切れるか。そこに凡夫成仏の要諦があります。
 この無限に深化する信心こそ、「一生成仏の信心」であるといえます。「地涌の菩薩」の特色は、まさにこの「信心」にあるのです。大聖人は地涌の菩薩について「されば能く能く心をきた(鍛)はせ給うにや」(御書一一八六㌻)と言われています。

 本抄の末尾に、妙法蓮華経を唱えることによって一生成仏できることの文証として、法華経如来神力品第二十一の一節が挙げられています。このことは、地涌の菩薩の「鍛えられた信心」こそ「一生成仏の信心」であることを示されていると拝することができます。すなわち、神力品では、釈尊から上行菩薩をはじめとする地涌の菩薩への結要(けっちょう)付属が行われた後、釈尊滅後における上行等の弘教の振る舞いや内容が明かされます。その結論として、上行等の「弘教の功徳」を明かした文が、本抄の結論として引用されているのです。

 「我が滅度の後に於(おい)て・応(まさ)に斯(こ)の経を受持すべし・是の人仏道に於て・決定して疑有る事無けん」(御書三八四㌻)
 ここで説かれる「斯の経を受持すべし」とは、上行菩薩が弘める結要付属の要法である題目の受持にほかならない。「諸法実相抄」では、「地涌の菩薩の出現に非(あら)ずんば唱えがたき題目なり」(御書一三六〇㌻)と仰られています。なぜ「唱えがたき」なのか。それは、一次元から拝するならば、無明に打ち勝ち、魔性を打ち破っていく「鍛えられた信心」で唱えるからです。

 さらに言えば、自ら唱えるだけでなく、他にも弘めてこそ、地涌の菩薩の唱題行の本義があります。「三大秘法抄」には、像法時代の南岳大師や天台大師が題目を唱えることがあったが、それは「自行」にとどまって「化他」にわたらない。それに対して、大聖人が唱える題目は「自行化他」にわたることを明かされています。像法時代の化他に力がないのは、題目が妙理を観ずるための象徴にとどまっていたからです。
 また、「観心本尊抄」では、大聖人の題目は「事行の南無妙法蓮華経」(御書二五三㌻)であると言われています。「事行」とは、信・行の題目の実践であり、事実として生命に成仏の因果を行じていることを言います。末法の地涌の菩薩が唱える事行の題目は、自他ともの幸福を目指す民衆救済の唱題行なのです。

 「諸法実相抄」に、「日蓮一人はじめ南無妙法蓮華経と唱えしが、二人・三人・百人と次第に唱え伝ふるなり」(御書一三六〇㌻)と仰せのように、「唱え伝える」題目こそが、唱題の本質です。無明・魔性と戦い抜く、深く鍛え抜かれた信心、そして自行化他にわたる唱題の実践。――これが地涌の菩薩の唱える題目です。その本質は、一言でいえば「広宣流布の信心」であると言えます。


 大聖人は、あらゆる障魔と戦い抜かれる覚悟と決断のうえで立宗宣言をなされ、その直後に一生成仏の原理を説き明かされました。そして、その後、妙法蓮華経の五字を弘通された大聖人の闘争が、大難と迫害の連続の御生涯であられたことを、決して忘れてはなりません。この大聖人の妙法弘通の現実のお姿と離れて、一生成仏を論じても、それは観念の遊戯となってしまうことを銘記しておきたい。大聖人御自身が、「日蓮生まれし時より・いまに一日片時も・心やすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり」(御書一五五八㌻)と振り返っておられることを、よくよく拝していかなければなりません。

 長くなりますからとどめますが、以下にも次のような一節があります。

+++++

 三障四魔と戦う信心が、仏の境涯を開きます。
 三類の強敵との闘争無くして、成仏はありません。
 広宣流布へ向かって前進する人こそが、真実の弟子です。
 (131㌻)

 「戦う心」がなければ成仏はできない。「戦う心」によって、成仏の因果が我が生命を貫く黄金の柱として打ち立てられるのです。
 「本因の姿勢」「不退転の覚悟」「獅子王の心」「負けじ魂」「日々、つよる信心」――さまざまに言い換えることができますが、要するに、南無妙法蓮華経の題目とは、「無限の前進」の源泉の法にほかならないということです。
 (137㌻)

+++++

(一生成仏抄講義123~130㌻、2006年1~7月大白蓮華掲載、2007年1・26発行)

******

 「宗教は人間を弱くするのか、強くするのか」の結論とも感じられます。「瞋り」です。尼倶律陀長者(にくりだちょうじゃ)が氏神に向って大悪口と大瞋恚を向けて賢子を設ける大願を成就したのと同じです。
 常の時に氏神(帝釈天)に向いて大瞋恚を生ずれば今生は身をほろぼし、後世には悪道に堕つことになりますが、一大事の時は違います。「当に知るべし瞋恚は善悪に通ずる者なり」(諫暁八幡抄584㌻)と。「仏界所具の修羅」と言えましょうか。



 

一人立つ連帯

 投稿者:男子部Nメール  投稿日:2017年 8月 1日(火)18時56分18秒
  >権力の怖さも知っています。ましてや国家権力ともなれば足がすくみます。~ 怖くて前には進めません。

一番怖いのは、その自分の内にある臆病という敵です。

池田先生は指導されました「仏法に敵う物はない!それには勇気が大事です。我々には御本尊様がある。題目で師子王の心を出し、悪と戦う勇気を出し、その勇気で戦うのです」

「勇気も伝染すれば、臆病も伝染してしまうのです。勇気が大事です。戦う勇気が一番大事です」

先生の師子吼で勇気が湧き出ます。

本部を始め組織に臆病者が渦巻く中で、先生と共に勇気を出して傲慢な悪党と戦える事が感謝です。

天魔原田らの極悪を打ち破り師弟の極善の連帯を築いてまいります。
 

正義を考える

 投稿者: にゅうかい29  投稿日:2017年 8月 1日(火)18時12分48秒
  「邪悪」と戦ってこそ「正義」
投稿者:通行人様のご意見に私も全く同感です。しかし、権力の怖さも知っています。ましてそれが国家権力ともなれば足がすくみます。少数で戦っては叩き潰されてしまうのが明白です。正義は貫きたいと思う心はありますが、同じ思いの同士がいなければ、怖くて前には進めません。
 

「邪悪」と戦ってこそ「正義」

 投稿者:通行人  投稿日:2017年 8月 1日(火)14時16分32秒
  「思慮深く軽蔑することを練習せよ。傲慢な者を力強く軽蔑し、そして弱い者を崇高に高めよ」

1989年8月2日  常来坊で開催された学生部夏期講習会  全体集会の指導で引用されたペスタロッチの言葉。

私は、どこまでも、すべての会員を大切になされようとしているのが先生のお心だと、そのお姿から学ばせていただきました。
 

ダブルスタンダードを止めろ

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年 8月 1日(火)12時37分19秒
  大阪地検特捜部が、籠池夫婦を逮捕。
補助金適正化法違反ではなく、より罪が重くなる、詐欺罪の容疑で。

籠池氏の味方をする訳ではないが、逃亡のおそれや、罪証隠滅のおそれが、本当にあるのか?
なければわざわざ逮捕する必要は無い。見せしめのつもりか?

8億円値引きしてもらった籠池氏より、値引きした近畿財務局や財務省の罪はどうなっている。国税庁長官に出世した、佐川元理財局長の扱いも、あれでいいのか?

ついでに言えば、安倍首相の御用ジャーナリスト、山口敬之氏のレイプ事件はそれからどうなった。
放ったらかしてそのままか?

いつまで持つかも分からない安倍政権に、いつまでも忖度する必要はない。
適正に法を運用しろ。ねじ曲げて運用するのはもういい加減にしろ。

政権側に有利な甘い捜査で終わらせるようなら、世論の批判は、次は大阪地検に向かう事になる。
実際もうすでに、国策捜査ではないかという批判の声が上がっている。
ダブルスタンダードであってはならない。

稲田元防衛相の退任式。何だあれは。
不祥事を起こして退任する場合、退任式を辞退するのが普通らしいが、稲田氏はそうせず、上機嫌で教訓めいた言葉を垂れ、栄誉礼までしっかり受けて退任。自分の不祥事に対する謝罪、反省の言葉は一切無し。
シラケ鳥が飛びまくっていた。

稲田氏は閉会中審査には出たくないそうだが、それをたしなめる事もなく、自民党国対委員長の竹下氏まで、稲田氏の参考人招致に応じないと言い出すしまつ。
張本人が出席しない閉会中審査に、何の意味がある?稲田隠し以外の何物でもない。
また安倍首相が甘やかしたのだろうか。

本当に、一般世間の常識から遠く離れた内閣だと思う。

ケリがついた事件は、まだ一つも無い。



 

21世紀への選択 「人間性」という共通の大地に立って

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 8月 1日(火)11時24分26秒
  21世紀への選択   「人間性」という共通の大地に立って p42 投稿します。


二十一世紀への対話 120 ・・・まなこ さまの投稿に連動して・・・、
イスラムと仏教、キリスト教の「対話」が勉強になります。
トインビー氏と、テヘラニアン氏のイスラムの評価の違いがよく分かります。



対話の基点は、政治体制でもなく、国家、国境線、人種や貧富の差ではない。

「人間である」と言う視点から相手を尊敬し、その宗教や文化を否定せずに「対話を」進める。

池田先生が、ゴルバチョフ・ソ連共産党のトップと対談されたことは、世界に衝撃を与えました。

宗教を全否定する共産党です、価値観がまるで違います、それでも池田先生は、「人間性」という共通性を信じて、対話をされました。

その対話は、無価値なものだろうと西欧の識者は冷たい目でに見て居たと思います。

しかし、宗教界の哲学者と、共産党の無神論者が、和やかに政治の話、哲学的な話、平和について、教育のあり方など、その対話は、価値的な実りある友情溢れるものになりました。

世の学者達は、ショックだったと思います。

池田先生は、無神論者、唯物主義者のゴルバチョフを折伏されたのです。


ポイント
* テヘラニアン
対話がない世界は、暗黒です。

「対話」なければ人間は、独善という暗闇の中を歩み続けねばならないのです。

* 池田
 博士の比喩を借りれば、「対話」とは、その暗闇にあって自身の足元を照らし出す
ものとも表現することができますね。

・・・社会主義の国々を訪れた際にも、「そこに人間がいるから」という信念で、私は「友好

の橋」を架けようと努めてきました。

友か敵かといった、二者択一的な関係を打ち破り、「人間性」という共通の大地に立って、

心を開いて話し合うことが、問題解決の糸口を見いだすことにつながると固く信じてきました。
 

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