土佐みやげの定番? エチオピア饅頭
2007/12/03
高知
|
ヒロスエも嘉門達夫も好きだという通称「エピまん」 |
ラブ度: ★★★
土佐と饅頭とエチオピア。三題話のような取り合わせだが、高知には「エチオピア饅頭」というをインターナショナルなスイーツを作っている老舗和菓子店があり、カルト的な人気を呼んでいる。
ニッポンのGOHAN総元締のぐうが@高知さんも、上京した際に47編集部を訪れて
「ほれ、高知の土産じゃキニ!」
と含み笑いをして手渡してくれたのが、このエチオピア饅頭であった。・・・・なんだこれ? ポカ~ンと口を半開きにした私に、ぐうがさん曰く「箱の中に、名前の由来とか、ヒロスエのこととか、GOHANの記事にしたらどうよ」。
というわけで、なぞの「エチオピア饅頭」をありがたくいただいた。
おそるおそる箱を開けてみると、黄色っぽい小さな饅頭が20個ならんでいた。一つつまんで中を割ってみたが、特に変わったところはない。口に含んでも、黒糖風味のおいしい饅頭であることはよく分かったけれど、どこがエチオピアなのか全く分からない。メーカーは高知県香南市の有限会社・近森大正堂。うーむ、わからん・・・
ぐうがさんが言っていたとおり、箱の中には〈しおり〉が入っていて、名前の由来が記されていた。それによると、近森大正堂さんの創業の地は「白下糖」と呼ばれる黒糖の特産地で、1919年(大正8)に初代店主が黒糖を使って「黄まんじゅう」を製造・販売した。商品名は、会社の所在地にちなんで「のいち饅頭」と命名された。
それから十数年後、遠いエチオピアの地で戦争が勃発した。近森大正堂さん〈しおり〉には
エチオピア大国はイタリアの侵略を受けましたが、エチオピア軍は勇敢に迎えうち苦戦のうちに撃退することができました
とある。これだけではよく分からないので、百科事典を調べてみると、この戦争は第2次エチオピア戦争と呼ばれ留物であることが分かった。
当時のイタリアはムッソリーニ首相がファシズムを推進しており、1935年10月にエチオピアへの侵略を始めた。イタリア軍の近代兵器に対し、エチオピア側はラスと呼ばれる地方の豪族たちが連携して抗戦した。しかし、毒ガスまで使ったイタリア軍の攻撃に、1936年5月、首都アジス・アベバが陥落。エチオピア側はゲリラ戦を展開し、 36年にエチオピアの主権が回復した。
なんだか歴史の教科書みたいになった。
近森大正堂さんの〈しおり〉には、こうんな文章が載っている。
このニュースに非常な感動を受けた主人は、このエチオピアの名を敬意と賞賛とを込めて、愛する饅頭に名づけ「エチオピア饅頭」と改めたのでございます。
つまり、高知の饅頭と
エチオピアとの間には、縁もゆかりもく
なく、たんに初代店主さんが、エチオピア軍の闘いに心を打たれたというだけのようだ。だが、「だけ」などというと、少し失礼にあたる。なぜなら、エチオピア饅頭が話題を呼ぶにつれてエチオピア大使館の知るところとなり、1996年にエチオピア大使が近森大正堂さんを訪問するという、初代店主が聞けば感涙モノのイベントがあった。以来、エチオピア饅頭の看板やパンフ、しおりには「エチオピア駐日大使公認」の文字が刷られるようになった。
どこまで行っても歴史の教科書みたいなので、最近の話題を少々。
このエチオピア饅頭は、タレントの嘉門達夫さんがTBSテレビの「花まるマーケット」で紹介したり、ヒロスエ(広末涼子)さんが好物だと公言しています。芸能界ではブレークしているようですね。
いずれにしても、ごちそうさまでした>ぐうがさん
| あるっく@江戸 |2007/12/03|08:30
新聞社の(食)特集
- 室蘭カレーラーメン-【室蘭民報】
- 山形県内 ご当地味覚-【山形新聞】
- もりおか三大麺めぐり-【岩手日報】
- ふくしまの「ご当地グルメ」-【福島民友新聞】
- 信州そば漫遊-【信濃毎日新聞】
- グルメ・アットエス-【静岡新聞】
- 味わう-【岐阜新聞】
- かにカニ福井-【福井新聞】
- ふうプラスグルメ情報-【福井新聞】
- おすすめこの店-【京都新聞】
- 神戸洋菓子職人-【神戸新聞】
- キーライフ−グルメ-【紀伊民報】
- 広島風お好み焼き「炎の鉄板」-【中国新聞】
- 讃岐うどん遍路-【四国新聞】
- おすすめグルメガイド-【高知新聞】
- 高知喫茶天国-【高知新聞】
- トランプ氏「記者に言うな」 壁建設費巡る負担拒否
- 常陸宮さま風邪で入院 宮内庁「大事を取って」
- 細野氏が民進離党を検討 政権批判の受け皿新党視野
- 首相、秋の改憲案提示先送り 衆院解散は「白紙」
- 築地場外で火災 7棟900平方メートル超延焼
共同通信社動画
参加新聞社動画