© 2000 Jamie Zawinski
<jwz@jwz.org>
resignation and postmortem.
木村誠(kmakoto@bekkoame.ne.jp訳、山形浩生(hiyori13@alum.mit.edu) 改訂
1999 年 4 月 1 日は、ぼくが America Online 社 Netscape Communications 事業部門の従業員であり、そして mozilla.org のために働く最後の日となる。
Netscape にはかなり長いこと、えらくがっかりさせられてきた。ぼくたちがこの会社を始めたとき、世界を変えてやるつもりだった。そして、ぼくたちは変えてみせた。ぼくたちがやらなくても、その変化は多分、6 ヶ月だか 1 年だかたてば起こっただろう。だれがそれをどういうふうにやったかは知るよしもないけれど。でも、それを実際にやったのはぼくたちだった。買物袋に印刷された URL、ビルボードの上の URL、トラックの両サイドの URL、そして、スタジオロゴのすぐ後に映画上映の最後としてクレジットされる URL が見られるようになったが、それはぼくたちの仕業だ。ぼくたちがそこまで世界を変えたのだ。ぼくたちはインターネットを普通の人たちの手の届くものにした。ぼくたちは、新しいコミュニケーションのメディアの先鞭を切ったのだ。ぼくたちは世界を変えた。
でも、それをやったのは 1994~1995 年のことだった。1996 年から 1999 年にやったことは、以前にやったことから生じた波に乗り、惰性で進んできただけだ。
なぜか? 会社がイノベーションを止めてしまったからだ。会社は大きくなり、そして大会社はどうしても創造性がなくなる。例外はもちろんある。しかし一般的に、すごいことをやるのは、動機づけが高く、目的を一つにした人たちの小集団だ。関わる人たちが増えれば増えるほど、その集団はグズでまぬけになる。
また、別の要因が生まれてくる。つまり、ぼくたちの業界では、人を二種類に分けることができる。一方は、会社を成功させたいために働きたい人。他方は、成功した会社で働きたい人だ。 Netscape の早期の成功と急速な成長により、ぼくたちには前者の人がこなくなり、後者の人ばかりが集まりだした。
1998 年 1 月、 Netscape は最悪の暗黒時代を迎えた。 第一次の解雇である。それは正に、目を覚ませという報せでもあった。Netscape というコンピュータ業界の寵児、世界で最も急成長した会社も、不沈艦ではなかった。
もっと具体的にいえば、これは、俗にいう「ブラウザ戦争」でついにぼくたちが敗れたことを認識した時期だった。Microsoft は、市場の破壊に成功した。もう誰もウェブブラウザを販売することによる収益を得ることができなくなってしまった。ぼくたちの最初の製品、ぼくたちの主力製品は、あっという間にどうでもいいものになりつつあった。
そこへまったく予想もしない出来事が起きた。経営陣がソースコードを開放することを決心したのだ。mozilla.org プロジェクト創成の歴史については、ここでは繰り返さない。でもこれが大量解雇後のわずか二週間後の出来事だったことは言っておく。それは、ぼくにとって希望の灯であった。Netscape 社がふたたび、なにか果敢なことをやっている。この会社が二度とできないだろうと思っていた、戦略上の大転換をやっているじゃないか。追いつめられて、窮鼠ネコを噛むような行動だろうか? そうかもしれない。しかし、非常に興味深く、予想外の行動であることには変わりない。あまりにイカレすぎていて、かえってうまく行くかも知れない。ぼくは、自分の役割を受入れ、活動を開始し、その夜にドメインを登録し、組織構成を設計し、ウェブサイトに最初のバージョンを書いた。さらに、仲間の陰謀実行者たちと Netscape 社の従業員とマネージャたちの部屋から部屋を廻り、いかにフリーソフトウェアの仕組みと、ぼくたちが成功するために、何をしなくてはならないかを説明して廻った。
このときぼくは、Netscape 社はもう決して製品を出荷することはできないだろうと強く信じていた。Netscape 社のエンジニアリング部門は、ぼくたちがかつて持っていた、より役に立つものをすばやく出荷するという、一つにまとまった心を失っていた。もう、それは起こり得ない。Netscape はガラクタを出荷し、そしてその出荷は遅れた。
果敢な動きがあろうとなかろうと、この点は変わらないだろう。Netscape 社には、品質の高い製品を出荷するためのエンジニアリングあるいはマネジメント的な才能が失われていた。あの魔法はもうなくなってしまった。魔術師たちは、もっと納得のいく会社に転職したか、またはまわりに集まった凡庸な連中に埋もれてしまい、その声は騒々しい群集のにまぎれてもう聞こえなくなってしまっていた。
ぼくにとって大切だった Netscape は、死んでしまっていた。
しかし、ぼくには、mozilla.org は、避難用ポッドを射出するチャンスのように見えた。ぼくたちが苦労して書いてきたコードに、Netscape の死を超えても生き延びるチャンスと、世界にとってなんらかの意味を持ち続ける機会を与えるチャンスだ。
そこまで至らなくともぼくには、コードがほんとうに華開くチャンスとなるように見えた。これを Netscape プロジェクトではなく、Netscape が単なる貢献者の一人となるような公共プロジェクトとすることで、Netscape 社が製品構築能力をもはや持っていないということは問題とはならなくなる。外部の人たちが Netscape にやりかたを見せてくれることになる。ウェブブラウザをコントロールする座を、手を挙げる人すべてにゆだねることで、その人たちが各個人の利害に基づいてブラウザを生き延びさせてくれるのが確実になるだろう。
でも、それは起きなかった。どんな理由があろうとも、このプロジェクトは外部には受け入れられなかった。いつまでも Netscape プロジェクトのままだった。もちろん、それでもこれはポジティブな変化ではあった ―― Netscape 社はこのプロジェクトを世界中から丸見えの公開の場で開発していて、世界はそれに対して重要で役に立つフィードバックを与えたということだ。Netscape は、その結果として、すぐれた意思決定ができている。
でも、それだけでは十分ではなかった。
正直にいえば、こういうことだ。Mozilla プロジェクトへの貢献者は、約 100 名ものフルタイムの Netscape 社の開発者がいた。外部の開発者は片手間の 30 人ほど。この事実によって、プロジェクトはまだ完全に Netscape に属している状態であった――というのも、コードを書く人だけが真の意味でプロジェクトをコントロールしていることになるのだから。
そして Mozilla プロジェクト開始から1年が過ぎた。ぼくたちは、いまだベータ版さえ出荷していない。
ぼくの慎ましいながらも正しい意見として、ぼくたちは、ソースコードが開放された後、6 ヶ月以内に Netscape Navigator 5.0 を出荷すべきであった。しかし、ぼくたち(mozilla.org グループ)は、これをどうやって実現すればいいか、つきとめられなかった。このことについて、ぼくにも相応の責任があることは認めるし、これはぼく個人の失敗でもあると思う。しかしながら、じゃあどうしていれば良かったのか、ぼくにはわからない。
ぼくは、なぜぼくたちがそんなに遅れたのか、言い訳や説明はいろいろ思いつく(神さまもご存じのとおり、ぼくはこのプロジェクト期間の半分以上を費やして、これらの言い訳をメディアに対してやって来た。)その幾つかをここで示そう。
中でも最悪なことは、mozilla.org が netscape.com ではないということをみんなに納得させるために、ぼくが多大な時間を費やして格闘してきたということである。ぼくはみんなに、何度も何度も繰り返し、言ってきた。mozilla.org という組織は、Netscape クライアント・エンジニアリング・グループの希望だけにしたがうものではない。むしろ、だれであれMozillaプロジェクトのすべての貢献者の希望にしたがうものなんだ、と。そして、これは確かに真実である。しかし事実上は、Netscape 社で働いていない人たちからの貢献は本当に少なかった。だから mozilla と netscape の区別云々も、現実にはいささか理屈上のものでしかなくなってしまった。
さて、公平を期すために言っておけば、最初の 1 年でぼくたちは、いくつかとても良いこともやってきた。
しかし、これらにもかかわらず、ぼくたちは去年ぼくが達成したかった目標を達成できなかった。Mozilla プロジェクトを、Netscape 社が単に数多くの貢献者の中の一員でしかないような、ネットワーク上の協同プロジェクトとするには至らなかった。そして、ぼくたちはエンドユーザ向けソフトウェアを出荷していない。ぼくにとっては、出荷して事が成立するのだ。
ぼくの目標が、高望みすぎたのかもしれない。その目標を達成するには(達成できるとしての話だが)1 年なんかよりずっと長くかかるということは、プロジェクトを発足させたときにはっきりわかっているべきだったのかもしれない。でも、当時のぼくは、そんなことはわかっていなかったし、いまのぼくもわかっていない。ぼくの目指した目標はそういうことだった。それはいまだに実現されていない。
だからそういうわけで、ぼくはあきらめる。
Mozilla プロジェクトの作業を続けるのはあまりに陰鬱で苦痛になってきた。ぼくは、Mozilla には、いまとはちがうものになって欲しかった。そしてそれを実現させるために戦い、待ち続けるのにも疲れてしまった。自分がまったく役立たずのように感じさせられるばかりで、それはあまり気分のよくないことなのだ。
続けていくことを選択した人たちには、幸多きことを願っている。
ただし、Netscape から辞めるのではなく、AOL を辞めるのだという点は気分がいいということは言っておこう。まるで辞職した気分にはならない。ぼくは、Mosaic Communications Corporation(万歳三唱!)の 20 人目の社員だった。この 20 人の社員の内、たった 5 人が残っている。ぼくが構築を手伝ってきた会社は、はるか昔になくなってしまった。ぼくたち、Netscape は、幾つか素晴らしいことをやった。でもぼくたちは、もっとほんとうにたくさんの素晴らしいことができたはずだ。偉大になるべく一矢を放ったのに、狙いを外してしまったような気分だ。
ぼくが最も恐れているのは、ぼくがこんなに長く関わり続けてきた理由の一つでもあるのだが、みんなが mozilla.org の失敗をオープン・ソース一般についての見本と見なしてしまうことだ。断言しておきくが、Mozilla プロジェクトにどんな問題があろうとも、それはオープン・ソースがダメなせいではない。オープンソースはうまく働くものである。しかし、最も大切なことは、何にでも効くような特効薬ではないということだ。もし、ここに教訓があるとすれば、死にかけたプロジェクトをつかまえて、オープンソースという魔法の妖精の粉をふりかけて、すべてが魔法のようにうまく行くなどということはない、ということだ。ソフトウェアは難しい。問題はそんなに簡単なものじゃない。
Jamie Zawinski, 31-Mar-1999
(訳 1999年4月11日)
jwz home cries for help Translator's Home Revisor's Home