​壇蜜がセクハラを容認しちゃう感じ

今回取り上げるのは壇蜜。色気ばかりが話題になりますが、知的でユーモアあふれるコメントが支持されています。しかし先日出演した宮城県の観光PR動画が炎上。この事件から、壇蜜のスタンスとメディアの出すジェンダー表現の受け止め方を考えます。

スカートを切られても「私は悲鳴なんか上げない」と歌わせる

欅坂46の新しい楽曲のタイトルが「月曜日の朝、スカートを切られた」だと知ってうなだれたのだが、ファンの皆様はまだ運営側にお怒りにならないのだろうか。歌詞を読んでも「月曜日の朝、スカートを切られた/通学電車の誰かにやられたんだろう/どこかの暗闇でストレス溜め込んで/憂さ晴らしか/私は悲鳴なんか上げない」とある。かつて、握手会でのこぎりを持った男にAKB48のメンバーが襲われた後、「『夢をあきらめるわけにはいかない』。その信念から傷ついた彼女たちは立ち上がり、前に進んだ」と感動物語に加工するコメントを出した秋元康は、あらゆる事案を商機に変換する非道な才能を持つ。悲鳴を上げられない仕組みに置かれる彼女たちがこういう曲名・歌詞を歌わされることに対して、彼女らを応援する人たちから「秋元ふざけんな」との声が本格的にあがらないのかが不思議でならない。もしかして、ふざけんな、とは思っていないのだろうか。

朝日新聞デジタルによるアンケート「メディアが発進するジェンダー表現をめぐって『炎上』がたびたび起きる現象をどう捉えますか?」(7月30日)に対し、回答が多い順から並べて3番目から5番目にかけて「問題となるのが、女性への差別表現に偏っていて不公平」「表現の自由が狭められてしまう不安がある」「一部の人が騒いでいるに過ぎず、さまつな問題だ」なんて回答が並んでしまう。「エロ頼み」のCMやPR動画の炎上案件があまりにも頻繁に出現するのを受けて、こういった達観してる風の回答で済ましたくなるのか。でも、いちいち問題視するのは、いちいちそういうものを作るから、でしかない。「女性への差別表現に偏っていて不公平」なんて見解にそれなりの回答が集まっているのにはただただ呆れる。その手の作りに勝手に慣れてしまった人たちに対し、慣れんなよ、と言うしかない。

「好きな人にしか見せないし触らせないの。ごめんね」

壇蜜が出演した宮城県観光PR動画に対して批判が殺到している。「涼・宮城の夏」と題した動画では、いかにもな口調で「肉汁とろっとろ、牛のし・た」「え、おかわり? もう~、欲しがりなんですから」「上、乗ってもいいですか?」と語りかけるなど、性的な内容を連想させるフレーズを、唇のアップ映像と共に畳み掛けていく。宮城県・村井嘉浩知事は同県議会議員からの配信停止の申し出を受け入れず、「私としては面白いと思っている」し、閲覧数が増えたのだから「災い転じて福となすという捉え方もできる」と結論付けた。なにより、この動画の制作には「復興の寄付金などが原資の基金から拠出した」約2300万円が投じられており(7月28日・東京新聞)、宮城県は大金を使ってわざわざ評判を下げている。

壇蜜は昨年、朝日新聞の人生相談コーナーに寄せられた、男子生徒から毎日のように「パンツ見せて」「ブラジャー何色?」などと聞かれて困っている女子生徒からの悩みに対し、「思いきってその手をぎゅっと握り『好きな人にしか見せないし触らせないの。ごめんね』とかすかに微笑んでみてはどうでしょうか」と回答をし、物議を呼んだ。壇蜜が日頃から放っているこの手の言い様に慣れているかどうかでその反応が異なっていたように記憶するが、そもそもこのように、その存在に慣れているかどうかを、許容する・許容しないの基準にすべきではない。なんで? 不特定多数の人に届く官公庁や新聞の仕事だから? うん、だからだ、と思う。

反抗してよ、抵抗してよ

壇蜜が2015年から毎年、文庫書き下ろしで刊行している日記本は、憤りや企みを巧みに混ぜ込む文体が魅力的で刊行される度に読んでいるのだが、この度読み返してみると、彼女が「セクハラ」について語っている日記を見つける。セクハラについて、「需要はどうあれ慰み者として生きることも自分の天命の一環と考えている女には語る資格のないこと」であって、「私に限っては言われても仕方のないコトだと思う。一般的にはびこる女の幸せ論の中身からはだいぶ離れているので、反論も抵抗も面とむかってできない」(壇蜜『壇蜜日記』)とする。

えっ、言ってよ、反抗してよ、抵抗してよ、と思ってしまう。日頃、テレビで見かける彼女は、「殿方」などといった言葉遣いを好むことからも分かるように、「セクハラを受けても仕方のない女」との自己認識をひとつのキャラクターに昇華させてきた。それが商売の方針だと言えばそれまでだが、でも、そのキャラクターを、せめて県のPR動画や新聞の人生相談といった公共性の高いものに安直に投入しないでほしい。前出の東京新聞の記事にあった清水晶子・東京大准教授のコメント、「企業がセクシーな商品の宣伝に性的表現を使うことは何ら問題がない。今回の問題の中心は、そんな事情とは無関係の宮城県のPR動画が、女性を性的対象として描くことで、性別に基づく固定観念を助長しかねない点にある」の通りである。

「私は仕方ない」ではなく

PR動画について聞かれた、宮城県・村井知事の定例会見(7月24日)の文字起こしを通読してみると、「一番最初に見たときは、非常に面白いと思いました。ただ、鈍感なのでそんなにエロチックなところがあると、思わず見て割りとかわいい、ほのぼのとした動画だなというくらいでした」と答えたかと思えば、同じ会見で「あれ壇蜜さんでなければ、恐らくこんなふうに言われることはなかったと思います。多分私が出て、乗っていいですかと言われて、『涼しいです』と、『欲張りなんだから』と言っても、多分全然盛り上がらなかったと思います。あれは壇蜜さんがおっしゃるから、そういうふうに皆さんイメージされたということです」とも答えている。何だ、それ。そもそも6月の記者発表の時点で「クールで妖艶な壇蜜さんをイメージキャラクターにした動画を制作いたしました」と記しているので、「かわいい、ほのぼのとした動画」という言い分は苦しい。

自分は「セクハラを受けても仕方のない女」、その認識を公共性の高い仕事で撒くのはやめてもらいたい、と思う。私はいいけれど、という区分け自体がよろしくない。その区分けによって生まれる、本人が大丈夫って言ってるんだから、という言い訳を駆除しないと、この手のエロに頼った広報活動は止まらない。そして、繰り返される度に「一部の人が騒いでいるに過ぎず、さまつな問題だ」との回答が補強されてしまう。彼女の日記を読み返しながらつくづく感じたことだが、本来、とても慎重に言葉を使う人なのだから、「私は仕方ない」が生み出す害毒に気づいていただきたいものだ。

(イラスト:ハセガワシオリ


『わたしのかたち 中村佑介対談集』(青土社)『コンプレックス文化論』(文藝春秋) 刊行記念
中村佑介 × 武田砂鉄 トークイベント

日程:2017年8月11日 (金)
時間:14:00~15:30(開場 13:30~)
料金:1,350円(税込)
定員:110名
会場:青山ブックセンター本店大教室
東京都渋谷区神宮前5-53-67コスモス青山ガーデンフロア (B2F)
http://www.aoyamabc.jp/event/nakamuratakeda/

「天然パーマという自然エネルギー」文化はコンプレックスから生まれる

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ワダアキ考 〜テレビの中のわだかまり〜

武田砂鉄

365日四六時中休むことなく流れ続けているテレビ。あまりにも日常に入り込みすぎて、さも当たり前のようになってしったテレビの世界。でも、ふとした瞬間に感じる違和感、「これって本当に当たり前なんだっけ?」。その違和感を問いただすのが今回ス...もっと読む

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s_wisteria_s 壇蜜がセクハラを容認しちゃう感じ|武田砂鉄 @takedasatetsu | 約9時間前 replyretweetfavorite

c0strk 壇蜜がセクハラを容認しちゃう感じ|武田砂鉄 @takedasatetsu | 約9時間前 replyretweetfavorite

kiracorico 壇蜜がセクハラを容認しちゃう感じ|武田砂鉄 @takedasatetsu | 約9時間前 replyretweetfavorite

monmon0312 武田砂鉄さんのエッセイ、いつも痒いところに手が届く感じで素晴らしい。 約11時間前 replyretweetfavorite