未来を創れる人を創る
鈴木 かつひろ
2009~2013年 東京都議会議員略歴 |
総務委員会委員(平成21年~平成22年) 財政委員会委員(平成22年~平成23年) 都議会民主党総務副会長(平成24年) 文教委員会委員(平成24年~現在) 公営企業決算委員会委員(平成21年) 一般会計決算委員会委員(平成24年) 財団法人東京都スポーツ文化事業団評議員 東京都中央卸市場取引業務運営協議会委員 |
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私の幼少時代
足立区鹿浜に生まれる。区画整理が始まるまでは、周りは田んぼばかりの東京の農村地域、近所の子供たちと毎日遅くまで外で飛び回っていた。このころの思い出は、四手網での魚とりの興奮、冬の寒さによる手のあかぎれの痛み、四季の草花のにおい、など体に染み付いている。
星美学園小学校時代
毎日の登下校はバス通学、今でも同じ学校に通う小学生をバスで見かけると自分のことを思い出す。ランドセルがとても大きく見える姿は、愛おしいとともに不安にもなる。神様がいつも見ていて、悪いことをしてもお許し下さる、だけど日々徳の花を咲かせることが重要であること、そして他人を決して傷つけてはいけないことなど、カトリックの学びの園は、私の幼少のころの倫理観をはぐくんだと思う。
(左写真:弟と二人兄弟)
早稲田中学・高校時代
多くの友人ができた。私の席にはいつも人だかりができる。仲間は決して偏っていなかった。ワルから優等生、クラブもクラスもばらばら、人気者ではなかったけれど、人が集まる場所となる、オアシスみたいなものかな。多くの仲間は、本当にさまざまな人生を歩んでいます。クラブ活動は卓球部とバレーボール部、2つともオリンピックに感化されて入部、卓球は長谷川、伊藤という世界チャンピオンに憧れ、バレーはご存知、ミュンヘンの男子バレー奇跡の金メダルに憧れました。オリンピックは子供に大きな夢を与える、本当です。校風の良さは、とにかく自由なところ、何にでも本人任せでした。自分で考え、自分で行動し、責任を取るということがわかるようになる。青春の時代に学ぶべき、人としての基本を学ばせていただいたと思う。先生方に感謝です。勉強は嫌いでした。だけど成績は悪くなかったと思います。熱中できる科目がなかったことが残念です。
(右写真:早稲田中学の同級生と)
中央大学法学部時代
よく遊びよく学ぶ大学生時代でした。高校時代の反動ですが。すべてに熱中していましたね。法律や歴史、文学、音楽などさまざまな分野に興味を持ちましたね。もちろん女の子ともよく遊びました。ディスコの全盛期、六本木や赤坂にも出没していました。3年生のときに外交官を志します。外交官試験の受験勉強のために中央大学外交研究会に入会します。一緒に勉強した仲間はさまざまな分野で活躍しています。私の人生を大きく左右する人との出会いがありました。外務官僚、商社マン、政治家、法曹界、研究者などさまざまな分野に仲間がいます。人生の梁山泊と呼ぶべき場所でした。このころ私は外務省に入り、外交を通じて世界を知り、国益を知り、政治家になることを夢見ていました。卒業後、2年間夢を捨てきれず浪人生活を送ったことも今では良き思い出です。青年期の志は必ず人生の中で諦めなければ果たされると確信しています。
(右写真:秋田犬ジョンと)
リクルート時代
社会人としてのスタートはリクルートでした。
最初はアルバイトの営業からです。負けず嫌いな私は正社員よりも良い成績を上げるために、たぶん3倍ぐらいの仕事量をしていたと思います。すぐに正社員の道が開かれ、そしてすぐに管理職にもなりました。
社会人としてはスタートが出遅れたわけですが、リクルートのすばらしいところは、アルバイトや契約社員にも、社員と同じチャンスが用意されているところです。男女や雇用契約の違いがあっても、仕事では対等に評価してくれ、かつ、待遇してくれる。この会社との出会いは、私にとって、社会人としてのあり方や、企業としての考え方など、大変影響を受けた会社でした。そして江副さんという稀有の起業家とも出会えたわけです。
リクルート時代の私の自慢は、常に自分たちの情報誌を自ら世に送り出すことで時代を創りだしてきたということです。就職情報の創刊は、中途採用を新卒採用と同様の、企業にとっての重要な採用方法に変えました。そして人材の流動をスムーズにすることにより、日本の高度成長を人材面で支えました。エービーロードの創刊は、海外旅行社1000万人を実現し、日本人の世界を知る民間外交を実現したのです。ケイコとマナブの創刊は、趣味を広げ、新しい技術や知識を身につけるために、社会人として学ぶことの重要性を問う情報誌です。
現在多くの若者が職に付けないのは、職業訓練がこの国の制度として充分に備わっていないことが指摘されています。自分の好きな仕事を手に入れるために創刊されたこの情報誌は再雇用のための情報誌でもあるのです。
リクルートの社員としてこのように多くの情報誌にかかわれたことは、私の人生の原点にもなっています。私の座右の銘のひとつ、「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」は、リクルートの理念であり、リクルートの社訓です。そして私が自ら唱えていることのひとつに「未来を創れる人を創る」という言葉があります。
私の政治理念のひとつは、人創り。人生を自分のちからで創れる力を持つ若者を育てることこそ日本の未来を創ることです。
「リクルート」を卒業し、ベンチャー企業で上場 なぜ、ベンチャーから政治の世界にとらばーゆしたのか
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