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同盟題目!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 8月 1日(火)22時55分14秒
  23時より開始します。よろしくお願い致します。  

ルパン三世様

 投稿者:石嵜  投稿日:2017年 8月 1日(火)21時57分35秒
  初めまして。潮出版社と雇用機会均等法の件拝見しました。

各女性社員は個人として会社と交渉したようですが、
労働組合があればもっと楽にできたでしょう。
お局のハラスメントも団体交渉に持ち込んで
会社側から止めるようにできたと思います。

職員と外郭団体にも労働組合が必要です。
 

(無題)

 投稿者:史人  投稿日:2017年 8月 1日(火)21時38分15秒
  もう題を書く気力もなく・・

まぁつまらない日記によるものです。
平成29年8月1日(火)午前7時18分
一心に仏を見るとは赤子が母を求めるようなものだ
心を一にして仏を見るとは赤子が乳を飲むようなものだ
心を見れば仏なりとは赤子が母を察し、母が赤子を察するようなものだ

勤行をした後新聞を読むと妙法の根源という言葉を見ました。
新聞を読む前(勤行の時)、南無妙法蓮華経の御本尊といっても根源に日蓮大聖人の命を思っていました。つまり、日蓮大聖人の命を根源(始まり)として、感謝しています。

今日の座談会の拝読御書の下の仏界のところに、生命の根源が妙法であると覚知することによって開かれる・・・とありましたが、私は根源を御本尊を顕された日蓮大聖人の命がなされた始まりとしてのものと捉え、そこに恩というものを考えていて、私自身、根源の捉え方自体、全く外れてしまいましたが、やはり日蓮大聖人への返しきれない感謝ということに繋がります。
最初に考えた一心欲見仏という私が思い出だした解釈と気持ち的には同じです。
 

本部も聖教も公明党も寿退社が原則だったような気がします

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 8月 1日(火)21時22分42秒
  青年部時代の記憶。  

配慮が足りませんでした。

 投稿者:通行人  投稿日:2017年 8月 1日(火)20時59分56秒
  「邪悪」と戦ってこそ「正義」
→「「邪悪」と戦ってこそ「正義」」
とすべきでした。

「たとえ我が身は傷つこうとも、その方々を苦しめる者とは、私は断固戦う。一歩もひかない。一生涯、その方々の盾となって生き抜き、死んでいく決心である。」

「その方々を苦しめる者」として厳しく糾弾されたお言葉が「議員と坊主には騙されるな」です。
本部職員などについても厳しくおっしゃられていましたね。
 

にゅうかい29様

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 8月 1日(火)20時06分26秒
  お気持ち、よく分かります。私も確かめながら歩いています。宿坊に書かれていることの殆どは事実のようですが、自分で直接つかめる情報は知れています。
宿坊は出会い系ではないという声もありますが、正義も連帯しなければなりません。
悪はすぐに結託するのに、正義はそれをしないから負けてしまうと、池田先生は言われていました。
まず最初にアクセスしやすいところは元職員3名の座談会でしょうね。そこには宿坊メンバーもよく参加しています。
次は大阪ということで、私も行きたいと考えています。
もし可能ならどうですか?
去年の大阪座談会にはアメリカから来た人もいて、ビックリしました。
遠いようなら、また別の機会もあるでしょう。
いずれにしろ、人間は歓喜に比例した力しか発揮できません。焦らずに歓喜の中の大歓喜を蓄えていって下さい。

http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/?pc

 

先生の仰られた通りです。

 投稿者:ダメよ~ ダメダメ  投稿日:2017年 8月 1日(火)19時51分54秒
編集済
  ルパン三世さんのご投稿ごもっともなお話。

30年ほど前、ある懇談会だったか会食会だったか先生が外郭企業をメッタ斬りにされたことが

あります。

その中で、「傲慢な潮(出版社)」と仰られました。その時一緒に「信心が無い第三文明」とも


>ここにも前代未聞の赤字経営に陥った要因がうかがえる。社員が一番の資本だという、当たり前

>の考えすらない、ジャーナリストとしては立派でも、経営者としては最低最悪、人材を育てる哲

>学もなければ、人の心も分からない才能ある畜生である。


先生が30年ほど前にご指摘された通りで現在も変わっていない、否、酷くなっています。

悪い意味で潮は「人は変われど我は変わらじ」なんですね(笑)
 

尼倶律陀長者のように!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 8月 1日(火)18時57分4秒
編集済
  【無限に深化する信心こそ「一生成仏の信心」】
******

 鳥には鳥の飛ぶ道があります。魚には魚の泳ぐ道があります。同じように、人間には人間として幸福になるための生命の道がある。凡夫には容易に見えないが、仏の眼(まなこ)には、その正しき道は明瞭に映っています。この幸福への不滅の起動を、日蓮大聖人は、「一生成仏の大道」として、万人の眼前に開き示してくださいました。それが唱題行です。

 唱題行は、ある意味では、鳥の道や魚の道のように、成仏への「最も自然な道」です。なぜならば、本抄で「衆生本有の妙理」と仰せのように、私たちの生命に本来具わっている妙理を現していく道だからです。大聖人は、「衆生本有の妙理」を表し“自然の道”としての唱題行の意義を強調されています。

 「我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(御書二四六㌻)
 「妙法蓮華経の五字は経文に非ず其の義に非ず唯一部の意なるのみ、初心の行者其の心を知らざれども而も之を行ずるに自然に意に当るなり」(御書三四二㌻)
 「疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」(御書二三四㌻)

 妙法蓮華経は仏が悟った生命本有の法であるがゆえに、唱題行は確かなる一生成仏の修行になるのです。ゆえに「一生成仏更に疑いあるべからず」(御書三八四㌻)と仰せなのです。しかし、“自然の道”といっても、何もしないでよいというものではありません。いかなる道も、切り開かれ、障害物が取り除かれ、踏みならされてこそ、多くの人が通ることができます。
 同様に、唱題の道も、己心の妙法蓮華経を信ずるという「信心」を貫いて、生命に具わっている「元品の無明」を打ち破っていく戦いが必要です。妙法蓮華経の五字を受持すると、それまでの悪から悪へ、迷いから迷いへ、苦悩から苦悩へという無明の流転を転換して、成仏の因果を自然のうちに私たちの生命に刻むことができるのです。

 成仏の因果とは、信心によって、悪と不幸の根源である無明を打ち破り、本有の妙理である妙法蓮華経のリズムが私たちの生命に厳然と現れることです。この妙法蓮華経のリズムと一体になった生命こそが、仏界の生命です。この信心を「因」として、仏界の生命の湧現を「果」とする因果が、成仏の因果なのです。この成仏の因果が、それまでの無明に基づく悪の因果に取って代わっていくのです。そして、いかなる無明、魔性にも負けない信心を鍛えぬけば、成仏の因果は私たちの生命の骨髄として確立されるのです。

 このように、どこまでも「信心」が重要です。それゆえに御文では「この旨を深く信じて」(御書三八四㌻)と仰せられているのです。この御文だけでなく、本抄では、「深く信心を発(おこ)すべきなり」(御書三八三㌻)、「深く信心を発して」(御書三八四㌻)と、「深く」「深く」と重ねて仰せられ、どこまでも「信心」を強調されています。信心を深めていくことこそが、「成仏の王道」であることを教えられているのです。胸中の妙法を湧現すれば、必ず仏に成れる――このことを、どこまで深く信じ切れるか。そこに凡夫成仏の要諦があります。
 この無限に深化する信心こそ、「一生成仏の信心」であるといえます。「地涌の菩薩」の特色は、まさにこの「信心」にあるのです。大聖人は地涌の菩薩について「されば能く能く心をきた(鍛)はせ給うにや」(御書一一八六㌻)と言われています。

 本抄の末尾に、妙法蓮華経を唱えることによって一生成仏できることの文証として、法華経如来神力品第二十一の一節が挙げられています。このことは、地涌の菩薩の「鍛えられた信心」こそ「一生成仏の信心」であることを示されていると拝することができます。すなわち、神力品では、釈尊から上行菩薩をはじめとする地涌の菩薩への結要(けっちょう)付属が行われた後、釈尊滅後における上行等の弘教の振る舞いや内容が明かされます。その結論として、上行等の「弘教の功徳」を明かした文が、本抄の結論として引用されているのです。

 「我が滅度の後に於(おい)て・応(まさ)に斯(こ)の経を受持すべし・是の人仏道に於て・決定して疑有る事無けん」(御書三八四㌻)
 ここで説かれる「斯の経を受持すべし」とは、上行菩薩が弘める結要付属の要法である題目の受持にほかならない。「諸法実相抄」では、「地涌の菩薩の出現に非(あら)ずんば唱えがたき題目なり」(御書一三六〇㌻)と仰られています。なぜ「唱えがたき」なのか。それは、一次元から拝するならば、無明に打ち勝ち、魔性を打ち破っていく「鍛えられた信心」で唱えるからです。

 さらに言えば、自ら唱えるだけでなく、他にも弘めてこそ、地涌の菩薩の唱題行の本義があります。「三大秘法抄」には、像法時代の南岳大師や天台大師が題目を唱えることがあったが、それは「自行」にとどまって「化他」にわたらない。それに対して、大聖人が唱える題目は「自行化他」にわたることを明かされています。像法時代の化他に力がないのは、題目が妙理を観ずるための象徴にとどまっていたからです。
 また、「観心本尊抄」では、大聖人の題目は「事行の南無妙法蓮華経」(御書二五三㌻)であると言われています。「事行」とは、信・行の題目の実践であり、事実として生命に成仏の因果を行じていることを言います。末法の地涌の菩薩が唱える事行の題目は、自他ともの幸福を目指す民衆救済の唱題行なのです。

 「諸法実相抄」に、「日蓮一人はじめ南無妙法蓮華経と唱えしが、二人・三人・百人と次第に唱え伝ふるなり」(御書一三六〇㌻)と仰せのように、「唱え伝える」題目こそが、唱題の本質です。無明・魔性と戦い抜く、深く鍛え抜かれた信心、そして自行化他にわたる唱題の実践。――これが地涌の菩薩の唱える題目です。その本質は、一言でいえば「広宣流布の信心」であると言えます。


 大聖人は、あらゆる障魔と戦い抜かれる覚悟と決断のうえで立宗宣言をなされ、その直後に一生成仏の原理を説き明かされました。そして、その後、妙法蓮華経の五字を弘通された大聖人の闘争が、大難と迫害の連続の御生涯であられたことを、決して忘れてはなりません。この大聖人の妙法弘通の現実のお姿と離れて、一生成仏を論じても、それは観念の遊戯となってしまうことを銘記しておきたい。大聖人御自身が、「日蓮生まれし時より・いまに一日片時も・心やすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり」(御書一五五八㌻)と振り返っておられることを、よくよく拝していかなければなりません。

 長くなりますからとどめますが、以下にも次のような一節があります。

+++++

 三障四魔と戦う信心が、仏の境涯を開きます。
 三類の強敵との闘争無くして、成仏はありません。
 広宣流布へ向かって前進する人こそが、真実の弟子です。
 (131㌻)

 「戦う心」がなければ成仏はできない。「戦う心」によって、成仏の因果が我が生命を貫く黄金の柱として打ち立てられるのです。
 「本因の姿勢」「不退転の覚悟」「獅子王の心」「負けじ魂」「日々、つよる信心」――さまざまに言い換えることができますが、要するに、南無妙法蓮華経の題目とは、「無限の前進」の源泉の法にほかならないということです。
 (137㌻)

+++++

(一生成仏抄講義123~130㌻、2006年1~7月大白蓮華掲載、2007年1・26発行)

******

 「宗教は人間を弱くするのか、強くするのか」の結論とも感じられます。「瞋り」です。尼倶律陀長者(にくりだちょうじゃ)が氏神に向って大悪口と大瞋恚を向けて賢子を設ける大願を成就したのと同じです。
 常の時に氏神(帝釈天)に向いて大瞋恚を生ずれば今生は身をほろぼし、後世には悪道に堕つことになりますが、一大事の時は違います。「当に知るべし瞋恚は善悪に通ずる者なり」(諫暁八幡抄584㌻)と。「仏界所具の修羅」と言えましょうか。



 

一人立つ連帯

 投稿者:男子部Nメール  投稿日:2017年 8月 1日(火)18時56分18秒
  >権力の怖さも知っています。ましてや国家権力ともなれば足がすくみます。~ 怖くて前には進めません。

一番怖いのは、その自分の内にある臆病という敵です。

池田先生は指導されました「仏法に敵う物はない!それには勇気が大事です。我々には御本尊様がある。題目で師子王の心を出し、悪と戦う勇気を出し、その勇気で戦うのです」

「勇気も伝染すれば、臆病も伝染してしまうのです。勇気が大事です。戦う勇気が一番大事です」

先生の師子吼で勇気が湧き出ます。

本部を始め組織に臆病者が渦巻く中で、先生と共に勇気を出して傲慢な悪党と戦える事が感謝です。

天魔原田らの極悪を打ち破り師弟の極善の連帯を築いてまいります。
 

正義を考える

 投稿者: にゅうかい29  投稿日:2017年 8月 1日(火)18時12分48秒
  「邪悪」と戦ってこそ「正義」
投稿者:通行人様のご意見に私も全く同感です。しかし、権力の怖さも知っています。ましてそれが国家権力ともなれば足がすくみます。少数で戦っては叩き潰されてしまうのが明白です。正義は貫きたいと思う心はありますが、同じ思いの同士がいなければ、怖くて前には進めません。
 

「邪悪」と戦ってこそ「正義」

 投稿者:通行人  投稿日:2017年 8月 1日(火)14時16分32秒
  「思慮深く軽蔑することを練習せよ。傲慢な者を力強く軽蔑し、そして弱い者を崇高に高めよ」

1989年8月2日  常来坊で開催された学生部夏期講習会  全体集会の指導で引用されたペスタロッチの言葉。

私は、どこまでも、すべての会員を大切になされようとしているのが先生のお心だと、そのお姿から学ばせていただきました。
 

ダブルスタンダードを止めろ

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年 8月 1日(火)12時37分19秒
  大阪地検特捜部が、籠池夫婦を逮捕。
補助金適正化法違反ではなく、より罪が重くなる、詐欺罪の容疑で。

籠池氏の味方をする訳ではないが、逃亡のおそれや、罪証隠滅のおそれが、本当にあるのか?
なければわざわざ逮捕する必要は無い。見せしめのつもりか?

8億円値引きしてもらった籠池氏より、値引きした近畿財務局や財務省の罪はどうなっている。国税庁長官に出世した、佐川元理財局長の扱いも、あれでいいのか?

ついでに言えば、安倍首相の御用ジャーナリスト、山口敬之氏のレイプ事件はそれからどうなった。
放ったらかしてそのままか?

いつまで持つかも分からない安倍政権に、いつまでも忖度する必要はない。
適正に法を運用しろ。ねじ曲げて運用するのはもういい加減にしろ。

政権側に有利な甘い捜査で終わらせるようなら、世論の批判は、次は大阪地検に向かう事になる。
実際もうすでに、国策捜査ではないかという批判の声が上がっている。
ダブルスタンダードであってはならない。

稲田元防衛相の退任式。何だあれは。
不祥事を起こして退任する場合、退任式を辞退するのが普通らしいが、稲田氏はそうせず、上機嫌で教訓めいた言葉を垂れ、栄誉礼までしっかり受けて退任。自分の不祥事に対する謝罪、反省の言葉は一切無し。
シラケ鳥が飛びまくっていた。

稲田氏は閉会中審査には出たくないそうだが、それをたしなめる事もなく、自民党国対委員長の竹下氏まで、稲田氏の参考人招致に応じないと言い出すしまつ。
張本人が出席しない閉会中審査に、何の意味がある?稲田隠し以外の何物でもない。
また安倍首相が甘やかしたのだろうか。

本当に、一般世間の常識から遠く離れた内閣だと思う。

ケリがついた事件は、まだ一つも無い。



 

21世紀への選択 「人間性」という共通の大地に立って

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 8月 1日(火)11時24分26秒
  21世紀への選択   「人間性」という共通の大地に立って p42 投稿します。


二十一世紀への対話 120 ・・・まなこ さまの投稿に連動して・・・、
イスラムと仏教、キリスト教の「対話」が勉強になります。
トインビー氏と、テヘラニアン氏のイスラムの評価の違いがよく分かります。



対話の基点は、政治体制でもなく、国家、国境線、人種や貧富の差ではない。

「人間である」と言う視点から相手を尊敬し、その宗教や文化を否定せずに「対話を」進める。

池田先生が、ゴルバチョフ・ソ連共産党のトップと対談されたことは、世界に衝撃を与えました。

宗教を全否定する共産党です、価値観がまるで違います、それでも池田先生は、「人間性」という共通性を信じて、対話をされました。

その対話は、無価値なものだろうと西欧の識者は冷たい目でに見て居たと思います。

しかし、宗教界の哲学者と、共産党の無神論者が、和やかに政治の話、哲学的な話、平和について、教育のあり方など、その対話は、価値的な実りある友情溢れるものになりました。

世の学者達は、ショックだったと思います。

池田先生は、無神論者、唯物主義者のゴルバチョフを折伏されたのです。


ポイント
* テヘラニアン
対話がない世界は、暗黒です。

「対話」なければ人間は、独善という暗闇の中を歩み続けねばならないのです。

* 池田
 博士の比喩を借りれば、「対話」とは、その暗闇にあって自身の足元を照らし出す
ものとも表現することができますね。

・・・社会主義の国々を訪れた際にも、「そこに人間がいるから」という信念で、私は「友好

の橋」を架けようと努めてきました。

友か敵かといった、二者択一的な関係を打ち破り、「人間性」という共通の大地に立って、

心を開いて話し合うことが、問題解決の糸口を見いだすことにつながると固く信じてきました。
 

21世紀への選択 「人間性」という共通の大地に立って p42

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 8月 1日(火)11時22分2秒
  第一章 仏教とイスラム・・・平和への対話 23

「人間性」という共通の大地に立って p42

テヘラニアン
対話がない世界は、暗黒です。

「対話」なければ人間は、独善という暗闇の中を歩み続けねばならないのです。

池田
 博士の比喩を借りれば、「対話」とは、その暗闇にあって自身の足元を照らし出す
ものとも表現することができますね。

人間と人間が語り合うこと・・・ここからすべては始まります。

現代の大きな焦点となっている「文明間の対話」といっても、あくまでその基本となるのは
「人間と人間の対話」なのです。

社会主義の国々を訪れた際にも、「そこに人間がいるから」という信念で、私は「友好

の橋」を架けようと努めてきました。

友か敵かといった、二者択一的な関係を打ち破り、「人間性」という共通の大地に立って、

心を開いて話し合うことが、問題解決の糸口を見いだすことにつながると固く信じて
きました。

テヘラニアン
 池田会長の行動は、実に先駆的です。過去四十年間にわたり、トインビー博士から

ゴルバチョフ元大統領など、世界の指導的な立場の方々と一五〇〇回を超える対話を
続けてこられた。

ご指摘のように、「相違点」と同時に「共通点」を見いだし、認め合うことから新しい
価値は生まれてくるのです。

池田
 かつて社会主義国に対して、そうだったように、いまはイスラム圏に対して、欧米

諸国を中心とする多くの人たちが、ステレオタイプ(紋切り型)の偏った先入観を抱い
ていると思います。非常に危険なことです。

テヘラニアン
 私も、現在の状況を深く憂慮しています。

しかし、これまでさまざまな文化を背景とする識者との対話を重ねられ、また仏教と

キリスト教をはじめ、宗教間の対話にも意欲的に取り組んでこられた池田会長ならば、その
難しい「橋渡し」も実現可能なのではないでしょうか。

会長は、国際社会において、特定の国が"孤立化"しないよう率先して行動してこられ
た。

世界を「分断」の危機から救おうとされる、そのご努力に、私は心より敬意を表したい
のです。

池田
  いや、博士こそ、戸田平和研究所での短期間のめざましい実績を拝見しただけでも、

グローバルな対話の推進役になられています。

「よく知る」ということが、友好を深めるための第一歩となります。

互いの長所を認め合い、謙虚に学び合っていく姿勢が、現代を生きる私たちには求め
られております。

仏教とイスラムという、異なる背景をもつ私たち二人が行う対談が、その一助になれば
と願っています。

テヘラニアン  同感です。私も、全力で取り組みます。
 

イングランド・ロスト

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 8月 1日(火)10時42分43秒
  >【保存用文証】新・人間革命 雌伏68 事実の改ざんについて(まとめ)  投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年 6月25日(日)05時21分30秒   通報 編集済
池田先生は『恩師の二十三回忌に思う』について、「宗門の指示を受けた学会首脳から、原稿を作成して懇請されたので了承した」と裁判で証言されました。
当時の執行部が書いた原稿について、一字・一句たりとも加筆・訂正せず、そのまま掲載した事を裁判で証言されているのです。<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/71236
→『雄飛 三十八』ではヤマトモ証言について、わざわざ「東京地方裁判所判決、昭和56年(刑わ)第288号」から引っ張ってきています。なのに『雌伏 六十八』ではそれをしなかったのはなぜ???
池田先生に偽証罪を被らせる? 池田先生は弟子を守るために自ら偽証罪OKとした?

そんな弟子でいいのか???

ところで、虹の戦士さん、アース・ウインド&ファイアー『ファンタジー』の詩、良いですね。曲は有名ですが、歌詞は知りませんでした。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/72689
「夢の王国」は「九識心王真如の都」を言いたかったのでしょうか。志向したのでしょうか。でも「九識心王真如の都」は『ファンタジー』ではありません。実在します。(ゴダイゴ『ガンダーラ』とも違います。)そこはディズニーランドではありません。娑婆世界です。
https://www.youtube.com/watch?v=OY_WOPA0WeE
『ボギー!俺も男だ』という映画があったが、ミック!俺も民衆だ!

“しっかりしなきゃな 状況を打破して 落ち着いて 彼女はヒットに夢中”
“世界はひっくり返って 誰もが狂人に道化で 誰も真実を語らない”
“町を取り仕切るのは気狂い達 しっかりしなきゃな 状況を打破して 落ち着いて”
『ガッタ・ゲット・ア・グリップ』ミック・ジャガー
https://denihilo.com/mick-jagger/gotta-get-a-grip
https://www.youtube.com/watch?v=rYw6FxEGDCY

“失われた”
“イングランドを見に行ったけど、イギリスらしさは失われたみたいだね”
“みんな言ってたよ、俺たちは、皆んな食い物にされてるって”
『イングランド・ロスト』ミック・ジャガー
http://lyrics-wayaku.seesaa.net/article/452202633.html
https://www.youtube.com/watch?v=98gj0z0RkXE
イギリスへの思いを込めて先週発表して話題になっている久々ミック・ソロの新曲。
「世界中に9人も子供がいる(分かっているだけで)」ことが理由でエリザベス女王から勲章を贈ることを嫌がられていた(同世代の怪鳥はファン?)ミックだが、イギリスを愛していて、若い頃からデモに参加したりもしていた。
会員は黙って金と票さえ出せばいい。皆んな食い物にされてるって?
SOKA LOST?
池田先生の創価学会を取り戻そう!!!

P.S.ルパン三世様
「次回予告 潮出版社と関西タカリ事件」ですか? 怖いなぁ。あまり関西の生々しい話は聞きたくないなぁ。おとぎの国なのに。
 

二十一世紀への対話 120

 投稿者:まなこ  投稿日:2017年 8月 1日(火)10時16分35秒
  【トインビー】 イスラム教徒が、原則として、イスラム法学者の解釈によるアラーの権威しか受け入れないことは事実です。アラーというのは、もちろんアラビア語で単純に“神”を意味する言葉にすぎません。そして、このイスラム教徒にとっての“神”とは、ユダヤ教徒にとっての“ヤーウェ”、またキリスト教徒にとっての“父なる神”、すなわち三位一体の第一位格にあたる神と同じものなのです。しかし、実際には、イスラム史の初期の頃から、彼らは専制的な政治的、世俗的支配を受け入れてきています。もちろん、世俗的支配者といえどもイスラム法に従うものとされており、イスラム法に関する最終決定権は公認の法学者がもっています。しかし、実情をいえば、イスラム圏の歴代政権はいほとんどがきわめて独裁的でした。
今日では、近代ナショナリズムがイスラム世界にも感染しています その影響が顕著な例としては、二つの国があげられます。一つは第一次世界大戦後のトルコであり、もう一つはイギリスが統治を放棄した後のパキスタンです。
第一次世界大戦後、トルコ人が最初に行なったことは、オスマン王朝の廃絶でした。このこと自体は、イスラム法に背反することではありません。イスラム法には、信徒が独裁者の支配を受けなければならないという定めはないからです。しかし、トルコの改革者たちが講じた措置のいくつかは、イスラム法に違反するものであり、これは他のイスラム諸国に少なからぬ衝撃を与えました。トルコはまず、予言者マホメットの政治的継承者の働きをする――ただし宗教的なそれとは明確に分離されている――カリフ制を廃して、非宗教国家にしました。ついで、イスラム法によればアラビア語でなければならないとされていたにもかかわらず、『コーラン』をトルコ語に翻訳しました。つまり、トルコでは、ナショナリズムのほうがイスラム法よりも強力であることが、はっきりしたわけです。
パキスタンはこれと多少異なるケースで、ここではインド人イスラム教徒による統一への願望から国家が形成されました。彼らはそれまでインド中の各地に散在し――ヒンズー教徒のインド人と同じく――多くの異なる民族に属していましたが、結束して自分たちの国をつくろうと決めたのでした。イスラム教は人種的、言語的障壁を超越するだろう――という想定のもとに、彼らはインド中の全イスラム教徒を、現在でいう西パキスタンとバングラデシュに集結させました。彼らは、たとえイスラム教をもってしても、これら二地域を結ぶ永久に有効な絆とはなりえない、などとは夢想だにしなかったのです。しかし、問題が起こるのにそう長い時間はかかりませんでした。バングラデシュの民衆は、まず西パキスタンの公用語であるウルドゥー語を、自分たちの公用語として受け入れるのを拒否しました。彼らはまたアラビア文字の使用を断わり、ベンガル人のヒンズー教徒とイスラム教徒の共通語である、ベンガリ文字に固執しました。
つまりバングラデシュでも、さきのトルコの場合と同じく、ナショナリズムがイスラム教を凌駕する影響力をもつようになったわけです。今日、バングラデシュは、いうまでもなくパキスタンから離脱したわけですが、これは民族主義的な理由によるものです。
こうしたいきさつは、いずれもイスラム圏諸国の団結に大きな痛手を与えるものでした。しかし、いずれにせよ、イスラム教も結局はキリスト教と同じく、ナショナリズムに対して免疫性がなくなっているわけです。これら二つの宗教の場合、いずれもその狂信性の対象が、宗教そのものから国家へと移行してきているのです。

【池田】 いいかえれば、イスラム教が宗教としてもっていた狂信性は、今日では、イスラム教徒をナショナリズムヘと傾斜させていく起動力になっているということですね。 このナショナリズムヘの転化というのは、中国が共産化していった過程のなかでもみられることです。つまり、中国は決して直線的に共産主義に走ったのではなく、その道程は民族主義化の里程標を経由してきているように思われます。そしてこの経緯は、共産化に成功した今日においても、中国の重要な性格となって残っています。
私はここで、中国がこのように二面的な性格を形成してきたことは、興味深い問題を提起していると思うのです。といいますのは、一般に、共産主義はもともと民族主義や国家主義を超克するイデオロギーである、とする通念があります。もちろん事実上は、反帝国主義、反植民地主義の旗印のもとに、世界各地の民族解放運動を支援してきたわけですが、共産主義の究極的理念は、諸国家の消滅、諸民族の帯同にあるといわれてきました。しかしながら、このような共産主義に関する通念とか理念は、少なくとも共産中国の現状である民族主義的傾向とは、明らかに一致しません。また今後の中国の進路を決定しそうな潜在的要素も考えに入れると、あるいは、中国には、単純な共産主義や民族主義の概念からはみだした性格があるのかもしれません。
もしそうだとするなら、このように中国に潜在する複雑性が、何に由来するのかを考えなければならないと思います。その答えを見いだすには、中国の伝統の精神的土壌をもう一度掘り起こして考えなければならないでしょう。
中国において、かつて儒教が育んできたものは、個人が大なる秩序に服する姿勢であり、権威あるものを認める思考でした。その対象は、父母であり先輩であり、王であり指導者であるという具合いに、場合に応じて変化しうるものでした。ここから、最高の人格者としての“君子”という考え方、それに最高の権威としての“天”という考え方が展開されたわけです。また、こうした人間観と秩序観が「修身、斉家、治国、平天下」という、道徳的な政治理念に整合されていました。
こういった精神性は、共産化した今日の中国においても、その民族的性格の底に流れているのではないでしょうか。それゆえにこそ、マルクスやレーニンや毛沢東、そして社会そのものが、忠誠の対象として自然に受け入れられているのだと思うのです。
ところで、中国の共産主義は、しばしばソビエト・ロシアの共産主義と対比されます。ロシアには、東方教会派のキリスト教が長い間根を張っていました。このロシアの宗教的伝統は唯心的なものでしたが、同時に、神秘主義的ともいえる非合理的な性格をもっていました。それが、レーニンの指揮する共産主義革命によって、一挙にして、唯物的で合理的な思想の流れに変わったわけです。
もちろん、そこには、こうした急激な社会変革にあらわれた暴力性、あるいは多数の人々を犠牲にした悲劇性といった問題もあります。そうした強硬手段ではありましたが、しかしいずれにせよ、この革命は、本来、反唯物主義的、反共産主義的な宗教をもつ民族国家が共産化する可能性もあるということを、示唆するものだと思います。もっとも、このロシアの革命期には、まだ共産化の前例が世界のどこにもありませんでした。ロシア革命以後は、共産化の路線を追う民族国家が数多く出現し、その多くが試行錯誤の道を歩んでいます。それらの国々の現状から察すると、今日、共産化がそのまま理想社会の実現につながらないことが、しだいに認識できるようになってきていると思います。

【トインビー】 東方正教キリスト教は、共産主義と同じく権威主義的です。西欧的な共産主義にみられる合理性や共産主義以前の合理主義と、キリスト教のもつ非合理性とが、互いに一致しないものであるにもかかわらず、共産主義がロシアを支配下に収めることができたのは、たぶん一つにはそこに理由があったのでしょう。ピョートル大帝が導入し、ロシア支配の点では共産主義の先駆者的存在となった、西欧風に“啓蒙”された絶対君主制の場合も、それは当てはまるこでした。しかし、私の想像では、そうした不一致というものも、実際には見かけほど大きくないのではないかと思います。共産主義は、その合理主義的な仮面の下に、古来のユダヤ的非合理性を多分に残しているからです。たとえば、プロレタリアート独裁という思想は、ユダヤの選民思想と大いに共通する面があります。こうした考え方は、いずれも合理的でもなければ健全なものでもありません。

【池田】そうした本質をもった共産主義が諸社会に受け入れられていくかどうか――その点の未来性についてはいかがでしょう。たとえば、ヒンズー教の思想は非合理性が強く、これがインドの伝統になっていて、その生活習慣、社会習慣に根強く浸透しています。力ースト制度を残存させているヒンズー教独特の思考法は、共産主義が求める階級闘争による権力奪取とか、階級なき社会の理念を、はじき返すような働きをするのではないでしょうか。

【トインビー】 ヒンズー社会のように根深い非合理性をもつ社会では、共産主義はあまり未来性があるとはいえません。また、西欧に追いつくための強行軍を必要としない社会についても、同じことがいえます。

【池田】 インドや西アジアの国々は、ロシアや中国が歩んできた道、あるいは西欧先進諸国の道などとは、およそ異なる道をたどることになるのではないかと思われてなりません。そこで、インドといい、西アジアの国々といい、いずれも栄光に輝く過去をもっているわけですが、その歴史が未来への志向にどのように反映されていくか――あるいはまったく顧みられないか――という点については、いかがでしょう。

【トインビー】 偉大な過去への追憶というものは、ハンディキャップとなることがあります。中国、アラブ、ギリシアの諸民族は、それぞれ過ぎ去った栄光への追憶をもっていますが、これは彼らにとって、日本人やトルコ人のもつ同じような追憶の場合よりも、重い負担としてのしかかっています。このため、近代西欧文明の同化にかけては、日本人のほうが、また日本人ほどではなかったにしろトルコ人のほうが、中国人やアラブ民族よりも成功しています。ただし、日本人もトルコ人も、ギリシア人ほどの成功は収めていないかもしれません。日本については、徳川政権下での、独自の経済発展があったため、一八六八年以後に西欧式の経済と技術を導入するのが、
比較的容易だったのです。
 

潮出版社と男女雇用機会均等法

 投稿者:ルパン三世  投稿日:2017年 8月 1日(火)09時59分54秒
  会員の浄財で赤字経営を継続する潮出版社。
今だ経営陣は責任を取らず退陣しない。
今回は男女雇用機会均等について触れたい。

厚生労働省が定める『男女雇用機会均等法』には以下のようにある。

男女雇用機会均等法 第5条・第三6条
・ 募集・採用、配置(業務の配分及び権限の付与を含む)・昇進・降格・教育訓練、
一定範囲の福利厚生、職種・雇用形態の変更、退職の勧奨・定年・解雇・労働契約
の更新について、性別を理由とする差別を禁止しています。

男女雇用機会均等法 第9条
婚姻、妊娠・出産等を理由とする不利益取扱いの禁止等
・ 婚姻、妊娠、出産を退職理由とする定めを禁止しています。
・ 婚姻を理由とする解雇を禁止しています。
・ 妊娠、出産、産休取得、その他厚生労働省令で定める理由による解雇その他不利
益取扱いを禁止しています。
・ 妊娠中・産後1年以内の解雇を、事業主が、妊娠等が理由でないことを証明しないい限り無効としています。

潮出版社は過去に女性職員は結婚と同時に退職をしなければならないという慣習がもたらされていた。
過去に遡ればこの法律に抵触する可能性は多分にある。

潮出版社職員のA子さんはこの慣例を破った第一人者である。結婚と同時に暗に退職を求められたが、A子さんの能力を評価する上司の根回しによって退職を免れた。
しかし、所謂お局様達によって陰口を叩かれ、肩身の狭い思いをしたことは周知の事実である。
現在は要職に就いている。

B子さんは結婚と同時に退職をした。
暗に退職を求められたからである。
また、A子さんの結婚後の職場に残る苦労をみて、潮出版社に残りたい意志がありつつも、それを判断した。
退職後、すぐに民間の出版社に就職していることから、B子さんは出版社の仕事を引き続き従事したかった事が見受けられる。

C子さんは結婚と同時に退職を求められたが、『男女雇用機会均等法』に触れる法律違反であると会社に訴え、退職を免れた。
その後、C子さんは産休も取得しているが、例に漏れずお局様達によってハラスメントは受けていたようだ。

問題提起したいのは、B子さんについてである。
B子さんが民間の出版社に就職した数年後、潮出版社より連絡があり、『ひとつのプロジェクト』を手伝ってほしいと要請があった。
苦労して民間の出版社に就職して数年しか経っていない。大変に悩んだようだ。だが、先生のお仕事のお役に立てるならばと、そのプロジェクトを引き受けることになった。
潮出版社が提示した条件は契約社員であった。
そこには、契約が延長される可能性があることや、正社員登用の示唆も含められていたため、B子さんは希望をもってプロジェクトに参加した。
もちろん、民間の出版社を退職をするのに肩身の狭い思いをしたしとは言うまでもない。何よりもB子さん自身がその出版社に申し訳ないという気持ちを抱いたことは想像にかたくない。

その後、B子さんが参加したプロジェクトは成功をおさめた。
そして、待ち受けていたのは、『契約満了』であった。

B子さんは失意の中、潮出版社を退職した。
その後、再び民間の出版社に就職している。
潮出版社のある役員はB子さんとの会食の際にこんなことを話している。
『民間の出版社に就職できたのは潮出版社のおかげでしょ?』と。
B子さんは、民間の出版社を辞めてまで潮出版社に来たのに、再雇用できなかったことを詫びてくれるのかと思ったが、思わぬ言葉に絶句したという。

また、B子さんの御両親は、『人の娘の人生を何だとおもってんだ!』と激怒していたという。

B子さん自身も池田先生にこの経緯を手紙に認めお送りしようと悩んだが、先生にご心配おかけするのは申し訳ないと断念した。


このような非人道的な行いを凡そ信仰者と名乗るものがすることであろうか。
そもそも、厚生労働省が定める法律を犯していながら、なおかつ非人道的な行為を行う。
ゲスの極みである。

ここにも前代未聞の赤字経営に陥った要因がうかがえる。社員が一番の資本だという、当たり前の考えすらない、ジャーナリストとしては立派でも、経営者としては最低最悪、人材を育てる哲学もなければ、人の心も分からない才能ある畜生である。

学会本部は賢明な判断を。
学会本部は定期的な点検を。


次回予告
潮出版社と関西タカリ事件
 

世界遺産 大阪悲願、登録へ「一歩」 百舌鳥・古市古墳群

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 8月 1日(火)09時31分6秒
  『世界遺産 大阪悲願、登録へ「一歩」 百舌鳥・古市古墳群』
https://mainichi.jp/graphs/20170731/hpj/00m/040/004000g/9
地元民としてはやはり嬉しい。が、松井さんの言うように登録されたら本気で喜びたい。
あの古墳の美しさは上から見ないと分からないことが残念。我が母校も円形校舎が無くなったので見つけにくくなった。「観光用ドローン」の開発に期待したい。
祝福するように今日は富田林PL花火。文化の力「ソフトパワー」でこそ市民革命はなされる。ヨーロッパの平和集会では定番でネーナの『ロックバルーンは99』を歌うらしい。
https://www.youtube.com/watch?v=La4Dcd1aUcE
政治「ハードパワー」は遅れてやって来る!ヤァ!ヤァ!ヤァ!
『山口代表「衆院解散いつあってもおかしくない」』
https://mainichi.jp/articles/20170801/k00/00m/010/139000c?fm=mnm
池田先生は「色心不二を知る人材を議会に送り込みたい」とされていましたが、今の彼らは……知っとるけ? NOなら送り込む必要があるのか?
都議選惨敗自民は混迷党に好都合だろうが、かつて800万近い全国比例票を出した勢いは既になく、自民からのオコボレ頂戴がなければもう600程度しかないことは薬師寺克行氏、中野潤氏、塚田 穂高氏・藤田庄市氏らの著作から知られるようになった。「ドラは出世の妨げ」という麻雀の格言があるが、『金太の大冒険』ならぬ『安倍の大冒険』とやらはどう出るか?
https://www.youtube.com/watch?v=2xXlS9pQSo8

と、前置きが長くなりましたが、日蓮仏法2.0さん、ありがとうございました。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/72553
今のところは「池田先生は日寛教学の『六大秘法』を使われてい」ることだけを残しておきたいのです。私は21世紀語に翻訳された2.0~のバージョンアップ大賛成です。まだご著作も読めておらず、十分な対話が出来ませんが……大聖人の御書は全て文底の立場で読むものと単純に解釈していて、深くは整理できていません。
「人とは釈尊に帰命し奉るなり」の釈尊も自動的に「文底の釈尊=日蓮大聖人」と考えていました。この点については今後、勉強していきたいと思います。ので、先送りです。

螺髪さん、電気屋である私はこの「よびよばれて」の一節から『法華初心成仏抄』を十一大部に数えるべき重書とさえ思っています。この「よびよばれて」は物理(2.0?)では「共鳴・共振」に読み替えることが出来ると思います。戸田先生・池田先生がよく言われた「科学が仏法の正しさを証明する時代が来る」を実感させます。
(8月座談会御書ですね。聖教の解説より螺髪さんの解説の方がずっと良いですね。活用させていただきます。ありがとございます。)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/72606
「よびよばれて」は一念三千・因果ぐ時であり、イコール立正安国の原理であり、量子論とも共鳴・共振します。
本来「よびよばれて」は仏界を「呼び」「呼ばれて」現れることを言われているのですが、正確には10種類(10チャンネル)あるのですよね。

2010年以降、「呼び」「呼ばれてジャジャジャジャーン♪」は地獄界の方が強くなってきました。何キロワットまで強化されたか分かりませんが、十界のシェア争い(10チャンネルでの視聴率争い)では地獄界(読売テレビ? ちなみにトラキチの私が思う仏界はサンテレビ)が上位に来ている。(サンテレビはほぼ阪神戦しか観られていない)

五陰世間・衆生世間で強くなる地獄界に共鳴・共振して国土世間に響けば、大震災として物質化(ハード=仮諦=如是相=色法)され、その本性を顕わにする。
この地獄界たちも「よびよばれて」「顕れ給う」。国土世間は地面だけじゃなく空中においても……今日も暑い! また集中豪雨! 雷!

……ということで「一凶を禁ぜん」には? 衆院選、波たかし???

私は裏方経験からこう分析しています。確かに都議選は勝利ですが、
①無党派から支持が得られなかった事実は比例してガイの票は殆ど取れていない。全国から遠路はるばる大量投入したF取り作戦は空回り不発で疲弊とダメージだけを残した。
②これまで取り逃していたナイの票を取り戻したことで票数を稼いだが、その「これまで取り逃していたナイ」は自民との連立で去っていた票で、小池とつるむ作戦が当たっただけ。しかし次の選挙で風見鶏はどちらを向くのか?

「一凶」とは??? 権力という名の「他化自在天」。「自受用身」とは真逆の生命では?

“わかってるんだ あいつとこのまま付き合ってたら 破滅するっていうことくらい”
“たとえそうはならなくたって お互いに何も感じられなくなるぜ”
“あいつにかかったら いつもの自分じゃなくなって どうしようもなくなるんだよ”
“だけどまだ そんなのは序の口で その先で もっと酷い目に遭うはずだけど”
『キャント・フィール・マイ・フェイス』ザ・ウィーケン
https://www.youtube.com/watch?v=KEI4qSrkPAs
 

不軽菩薩のように

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2017年 8月 1日(火)08時55分48秒
編集済
 
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「我深敬汝等、不敢軽慢。所以者何、汝等皆行菩薩道、当得作仏」

「我は深く汝等を敬い、敢えて軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べければなり」

「過去の威音王仏の像法に三宝を知る者一人も無かりしに・不軽菩薩出現して教主説き置き給いし二十四字を一切衆生に向って唱えしめしがごとし、彼の二十四字を聞きし者は一人も無く亦不軽大士に値って益を得たり、是れ則ち前の聞法を下種とせし故なり、今も亦是くの如し、彼は像法・此れは濁悪の末法・彼は初随喜の行者・此れは名字の凡夫・彼は二十四字の下種・此れは唯五字なり」

最近出会ったすべての人に心の中で南無妙法蓮華経と唱えて礼拝してます。
なんだか出会う人も笑顔になるようです。不思議ですね。

http://imagine-happy-life.tokyo/

 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、本日も御尊顔を拝するコトができませんデスたぁ~(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 8月 1日(火)07時56分52秒
  おはようございます。原田怪鳥様、本日も怪鳥様の御尊顔を拝するコトができませんデスたぁ~(笑)

4号・5号と夏休みデスかぁ~? それとも、公明首班を狙って、水面下での工作デスかぁ~(笑)

怪鳥様のおハナシを伺わないと、小生も、力が湧いてきませんよぉ~(笑)ぜひとも早めの登場を、お願いしまぁ~す(笑)


さて、「珍・人間革命」雄飛の章も『忘れ得ぬ同志』の執筆、『人間革命』の再開と、ドラマはどんどん進んでマスねぇ~(笑)

ところで「ヤマトモ」や「ハラジマ」は、あれで終わりデスかぁ~? 広布破壊の大罪人なのに、扱いがえらく少ないデスねぇ~(笑)

北條会長から、恐喝された報告を受けて、山本伸一はナニを思い、どう行動したんデスかぁ~(笑)

あれだけ、情けない弟子の有様をカットして、山本伸一の心情を描いていたのに、今回はナシですかぁ~(爆)

執筆チームの皆さ~ん、「ヤマトモ」の謀略を描いた著作は、数多くあるのデスからぁ~、少しは勉強して、雄飛の章に生かして下さいねぇ~(笑)


あと、4面の拝読御書の解説デスが、小生は、教学力がないため、皆様方の御耳を汚すコトになってもいけないのデスがぁ~(笑)

ナニか? 紛らわしくゆがめていませんかぁ~(笑)

>民衆救済を願って妙法弘通に生き抜かれた大聖人を根本の師として尊敬し<
(政教珍聞4面より抜粋)

まるきり間違いではありませんが、大聖人は、御本仏じゃないんデスかぁ~? ただの「師」デスかぁ~(笑)

>あらゆる衆生の仏性を呼び表す題目<
>南無妙法蓮華経の唱題行によって、胸中の仏界を現すことができます<
(政教珍聞4面より抜粋)

これも、まるきり間違いとは言えませぇ~ん、が、「御本尊」とすべきトコロを「題目」に言い換えていませんかぁ~(笑)

この文章を素直に読むと、身延であろうが、他宗であろうが、団体であろうが、個人であろうが、

「南無妙法蓮華経」と唱えている全ての宗教団体と個人は、仏性を呼び現すコトができると読めませんかぁ~(笑)

独自性がドンドン無くなっていってるなぁ~、って思うのは小生だけでしょうかぁ~(笑)

教学部の皆さぁ~ん、創価学会の独自性はドコにあるんデスかぁ~? ぜひとも暗愚な小生に教えて下さいねぇ~(笑)


もっとも、原田怪鳥様はじめ、執行部の方々に言わせれば、「教学なんてどうでもイイんだよぉ~!」

「大切なのは、選挙だ!」「これだけ選挙活動している宗教団体は他にはない!」「これが、創価学会の独自性だぁ~!」

なんてトコロですかぁ~(大爆)

どうか、独自性に異論を唱える方々を、査問・処分・除名されないように、期待しないで待ってまぁ~す(爆)





 

わが友に贈る 2017年8月1日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年 8月 1日(火)07時21分20秒
  励ましの要諦は
「話す」よりも
「聞く」ことにあり!
友の心を軽くする
希望と安心の灯台に!
 

先生が読まれても、

 投稿者:大阪の地区ブチョ~  投稿日:2017年 8月 1日(火)04時45分58秒
  恥ずかしくない文章を書きたいと思います。
以上です。
 

いつのまにか変貌

 投稿者:愚人  投稿日:2017年 8月 1日(火)02時04分48秒
  現在の創価学会の現状

座談会等の会合では、洗脳された爺じぃ、婆ばぁ、地区幹部、おばたりあん、お姉さんが中心となり、毎月の聖教新聞セールスの目標達成のためのシツコイお願いと、有無を言わさぬ公明党の強制的支援依頼。
更に、精一杯やらないと功徳出ませんよ!仏はアナタの財布を見てますよ!的な、銭ゲバ的財務の金集めの指導。
これらのどこが「平和・文化・教育」の団体なんだろう。
御書講義等は片鱗も無し。
最近は宗門の批判を出来る人材もあの世へ旅立ち、顕正会には気を付けましょうという指導ばかり。
何か「先生」という文言が出汁にされているような不快感が残る。
この中で先生から直接指導を受けた人材が何人いるのだろうとも脳裏をよぎる。

30年前の座談会

大白蓮華を使って御書講義、体験発表、選挙前は公明党議員自らの抱負とお願い。
財務は半強制ではあるが、全強制ではなく、貧困者や生活弱者には指導されていない。
上から下まで「先生」を中心者として広宣流布して行こうと云う気概があり、会合の後はやる気と清々しさが感じられた。
「平和・文化・教育」団体として、災害地では真っ先に学会青年部が救援活動に駆けつけて感謝された。
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年 8月 1日(火)00時00分35秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
原田会長、副会長の方々が査問指示で、誠実で真面目な会員さんをイジメません様に
職員の方々が、池田先生と魂の結合が出来、ねずみから獅子に変われます様に

昨日、富士宮で池田先生と魂の結合をされた真の弟子、獅子にお会い出来ました
これも、この宿坊掲示板に出会えたおかげです
管理人様、信濃町様
ありがとうございました
池田先生の名前を利用する詐欺師の方々お見えの様ですね
宿坊掲示板からお去りください
おやすみなさい
 

同盟題目は23時より開始です。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 7月31日(月)22時53分51秒
  よろしくお願い致します。
池田先生、奥様のご健康、ご長寿。
皆様、一人ひとりの大活躍を祈ります。
 

7/17 横浜レポート 共謀罪資料2

 投稿者:JACK  投稿日:2017年 7月31日(月)22時37分38秒
  〔第2 共謀罪法はなぜ廃止しなければならないか〕

1 審議手続きの国会法56条の3違反

共謀罪法案(組織犯罪処罰法改正案)については、衆議院法務委員会ではわずか30時間の議論で強行採決され、参議院法務委員会に至っては、わずか17時間50分しか議論されていない。
参議院法務委員会に至っては、委員会採決手続すら行われておらず、2017年6月15日午前7時46分の参議院本会議における「中間報告」(国会法56条の3)により法務委員会の採決が省略され、共謀罪法案の採決が強行された。
この「中間報告」について、国会法56条の3は、「特に必要があるとき」に各議院が中間報告を求め、さらに「特に緊急の必要を要すると認めたとき」に「委員会の審査に期限」を附けるか、議院の会議(本会議のこと)において審議することができるとしている。
本法案については、法案を一刻も早くい法を成立させなければ、国民生活に重大な支障が生ずるような事情はなく、国会法56条の3に反する疑いがある。
さらに、「中間報告」は前日に提案するのが通例であるが、今回、連立与党は14日朝に突然、「中間報告」手続きを野党に提案した。
このような法案採決手続は異例であり、国会内での十分な議論はもとより、市民社会との対話を尽くしたとは到底評価できず、「究極の強行採決」であると野党や市民社会から厳しい批判を受けている。
 

7/17 横浜レポート 共謀罪資料1

 投稿者:JACK  投稿日:2017年 7月31日(月)22時36分15秒
  海渡雄一弁護士の講演は、YouTubeに掲載されていますので、参加者に当日配布された資料を記載致します。
資料の後半に入ると牧口先生の話もありますので、それまでご覧頂ければ幸いです。


〔第1 はじめに〕
今日、 共謀罪法が施行される。
共謀罪法案に対する反対運動は、日本全国に大きく広がった。
おびただしい数の市民集会、デモ、街頭宣伝、国会周辺では連日の座り込みや昼夜の共同行動が行われた。
国会内では4野党と1会派が結束して闘った。
法律家も立ち上がり、日弁連及び52の単位弁護士会の全てが共謀罪に反対する声明を発した。
多数の刑事法・憲法学者、広範な研究者、作家、ジャーナリスト、マスメディアが反対の意見を表明し論陣を張った。
世論調査では反対が賛成を上回り、慎重審議を求める世論はほとんどの世論調査で7割を超える圧倒的な多数を占めた。
しかし、政府は、この国民的反対を無視して法成立を強行し、法は、7月11日に施行されようとしている。
この法律が広範に濫用されれば、市民のプライバシーは監視下に置かれ、その表現の自由は、萎縮させられるであろう。
私たちは、共謀罪廃止を目標に広範な運動の構築をめざし、共謀罪廃止を共同の目標として、「共謀罪の廃止を求める連絡会」のような組織の結成をめざしたい。
この法律が実行化されることを防ぎ、速やかに廃止するための運動の今後の課題を検討してみたい。
 

批判ばかりでは何も変わらない

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年 7月31日(月)21時27分25秒
編集済
  批判ばかりでは何も変わらない。
それは虹自身が身で分かった事。

虹は、悪と戦う事だけで、広宣流布が進むと思ってしまった。
そもそも、それが過ち。

悪と戦う事は大切ですが、その目的は広宣流布を進めるため。
希望の対話を拡げるために、悪と戦うのです。

気付けば、批判だけの毎日になっていた時期があった。
その気持ちは十分理解できるが、それでは広宣流布は進みません。

民衆との対話を忘れ、悪との戦いをしているならば本末転倒と言わざるを得ない。
そのような人は、民衆の心の機微に鈍感になる。

民衆との対話を忘れた人の言葉は、一般会員の心に響かない。
独りよがりの傲慢な正義で、池田先生の正義は勝ち取れない。

創価権力者から処分を受けても、民衆との対話を続ける人がいる。
その人こそ権力者に屈しない、本物の池田先生の弟子。

希望を生む対話を続けよう。民衆に声をかけよう。
そこに、池田先生の正義が生まれるからだ。
 

御書を根本に行動、話し

 投稿者:大阪の地区ブチョ~  投稿日:2017年 7月31日(月)21時22分38秒
  先日、御書を根本に話しをする方。そして、御書を根本に行動している方の話しを聞く機会かありました。
御書を片手に話しをする人に会うのは、もう何十年ぶりでしたでしょう。懐かしいような、あっ、これでしたという説得力というのは、御書を根本にしているからかと。

感動しました、
 

twitterより。質問さえ憚れるのが今の組織。遠藤さん、宮地さんも左遷どころか退職したとか。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 7月31日(月)21時09分23秒
  昔の資料を見聞きすると、戸田先生や池田先生は会合で質問会をしてくれた。先輩に聞くと昔の会合では幹部指導の最中や会合終了後に質問できる機会がふんだんにあったと。今は質問しようとする会員や、疑問や質問がないかと問う幹部がいないね #創価学会 #座談会 #うのみ信仰 #現状を疑え


公的に質問を受け付ける会合、ん十年前の座談会以外、記憶ないですね。質問会やっても応える自信ない幹部ばっかりなのかな?


純粋な質問でさえも幹部に異端と受け止められるのではないかとヒヤヒヤしていますので、黙っています(笑)


いろんな考えの人がいて、それらを大きく抱え込む組織的な度量があれば良いですよね。
質問できない雰囲気…こんな事を聞いたら会館へ呼ばれて査問されるんじゃないかしら?とか(笑)


数年前まで正統な見解が、ここ数年で異端になっているのがヒヤヒヤです。しかも根本部分が。
座談会の御書講義の準備のために、日蓮大聖人御書講義全集なんかひっぱりだして説明すると、大変なことになりますね(笑)


確かにそうですね。質問に答える技量、力量も、質問を受け付ける度量もない。まさに、日顕宗の如き態度ですね。


学生時代の御書学は、なんでも質問に答えてくれる方がいて、教学面からすべてを解説するアプローチが新鮮でした。左遷された遠藤、宮地さんらもいなくなり、創価教学はどこへ行くのか。教学に興味のない会員増やすのも信濃町の深謀遠慮?
 

「よくわからん」という人

 投稿者:謎の弟子X  投稿日:2017年 7月31日(月)20時34分46秒
  「よくわからん」という人、あなたこそ、誰かのマルチアカウントではありませんか?

初めて、この板で投稿される方に、マルチアカウントよばわりされる覚えはありません。

私は1つしか投稿者名は使ったことはありませんし、創価大学卒業生で、査問を受けた経験があることを公表しています。

「よくわからん」という人へ、あなたこそ何者ですか? 
 

お詫び・訂正その三十七

 投稿者:The logic in the place  投稿日:2017年 7月31日(月)19時57分20秒
  正誤表 その001 ?
投稿者:The logic in the place
投稿日:2015年 4月20日(月)10時16分50秒

大道を歩む:正誤表
(誤り)
大道を歩む 私の人生記録 Ⅱ
2000年3月16日発行
池田大作 著
発行所 毎日新聞社
発行人 山本 進
編集人 山本 敦
P.228~
『大革命と呼ばれるフランス革命の意義は、今日では、さまざまな角度から論議されている。が、こんな話がある。旧知のキッシンジャー博士(元アメリカ国務長官)が、かつて中国の周恩来総理にフランス革命の評価を求めた。すると周総理は、こう答えたという。「評価するには、まだ早すぎます」~』

(正しい)
フランス革命に関わる視点「毛沢東発言」
出典:「平和」と「人生」と「哲学」を語る 昭和62年9月5日発行
H・A・キッシンジャー 池田大作 著
発行所 ㈱潮出版
発行者 富岡勇吉
P.99~
『キッシンジャー
ある人が毛沢東に「フランス革命についてどう思いますか」と質問したときに、彼は「結論を出すには、まだ時期尚早である」と答えた、という話があります。』

(解説)
* キッシンジャー氏の話が、キッシンジャーと周恩来との対話に置き換わり、発言内容は同一となっている。
* 「結論を出すには、まだ時期尚早である」→「評価するには、まだ早すぎます」

大百蓮華と第三文明社が連載していたものを毎日新聞社が出版しているので、この正誤訂正の責任は、学会側にあります。

**************

精密機械の師匠を愚弄して、いい加減な編集作業をしてきた職員の皆様のために、レ・ミゼラブルとは、別に事有る度に、当方で貯めている正誤表を公開します。かなり有ります(笑)。
供養で飯食っていて、何してたんでしょうかね。だから、「Be damned!」と言われてしまうんですね。

それから、「ミミズ千匹の穴」とか「羊千匹云々」と言う表現方法があまりに下品であるとの指摘を受けましたので(笑)、今後は省略化して書き込みます。

ミミズ千匹の穴 →
The hole of thousand angleworms??→ 「HTA」

ミミズ千匹の穴ハンター →
The hole hunter of thousand angleworms
→ 「HHTA」

→谷○事務総長 →
ネトリス対策室メンバー

羊千匹 →
Thousand sheep
 →「TS」

羊千匹会員 →
The thousand sheep member
 → 「TSM」

羊千匹志向 →
The thousand-sheep intention
 → 「TSI」 → 大誓堂に棲む人々

地獄に堕ちろ →
Be damned
 →「BD」→ TSIに組みするバカ幹部


以上で今後は省略化して表現に努めます。下品な表現は慎みますのでよろしくお願いいたします。

ーーーーーーーーーーーーーー
この正誤表は、以下の会則

????????
第14章 賞罰
(懲 戒)
第78条 この会は、会員としてふさわしくない言動をした会員に対し、その情状に応じ、戒告、活動停止または除名の処分を行なうことができる。
????????

に大変該当します。反逆者!裏切者!極悪!大極悪人です。
最高幹部を愚弄して挙げつらう極悪会員であり大変ふさわしくない言動です。私が極悪人です。

誠に誠に申し訳有りませんでした。
二度と、欠点を挙げつらうことは致しません。極善弟子になるために、二度とこのような投稿は致しません。だから許して下さいね。何度もお詫び・訂正・謝罪、改心を裏でやらずに公に表明します。


会則における会長が『黒は白だ、偉いんです!』と認定発言されれば、我々末端の会員は、それに付き従い『その通り、黒は白です!』と口裏合わせするのが当たり前です。それが大極善弟子になり、改心した証となり、処分も解雇もクリアーできる営為です。これが極善会員の見本です。

間違いなど無い!間違いを糾す者が間違ってる!と言うことを私は繰り返して、頭悪いんで、また繰り返すかもしれません。この繰り返しが極善会員の改心活動です。

その都度、何度も訂正して、『間違いが間違っているから、間違いなんだ?いや、会長が認定している!池田先生も認定しているはずだ!だから、これで良いのだ!』と三段論法的に謝罪・訂正・お詫びをばしていきたいと存じます。今更、改心しても手遅れですが、頭悪いんでこれからもどしどし誠実にして真面目な極善会員になれるよう、改心した極善会員の証を投稿したいと存じます。処分の撤回は全く有りませんが今後も続けていきます。

全ては、会則にある通り、会長の全権統理に従い『間違いなし!』と右に倣らう所存です。だから、レスはしませんよ。

ーーーーーーーーーーーーーー

簡略化表現は、PPAP同様に分かりやすくする企図が有りましたが、誠実にして真面目な処分前に改心して認定された最高幹部会員を愚弄する表現となりました。衷心よりお詫び申し上げます。

ましてや、このような方は、今の創価学会大幹部にはいらっしゃらず、いや、断じてそんな者が、創価学会最高幹部になるなどと、池田先生がお認めになるはずもなく・皆さん誠実にして真面目な大極善弟子の方々ばかりです。こんな感じでお詫び・訂正・謝罪をしていきますので、宜しくお願い申し上げ奉ります。

よって、いきなり家庭訪問とか丁寧口調の脅迫郵便物とか、無言電話、恫喝捨てゼリフの電話はしないでください。かなりの心的外傷を受けています。氏名不詳の告訴から実名刑事告訴に至る事になります。この板での誹謗・中傷もお断りします。






 

本日の政教珍聞、夕刊で~す、(笑)原田怪鳥様、御尊顔が拝謁できないのデスがぁ~(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 7月31日(月)17時01分50秒
  原田怪鳥様、ここのトコロ、原田怪鳥様の御尊顔が拝謁できていないのデスが、お元気デスかぁ~(笑)

金曜日に青年部が最高協議会を行い、博正サンも御出席されたみたいデスが、原田怪鳥様は御出席されなかったんデスかぁ~(笑)

4号・5号で忙しかったんデスかぁ~? それとも後期高齢者の怪鳥様には、御出席の資格が無かったんデスかぁ~(笑)

なんとも都合のイイ「じ・き・で・し」があったものデスねぇ~、池田先生がお元気であれば、絶対、出席されていたハズでぇ~す(笑)


それと「珍・人間革命」雄飛の章も、いよいよ佳境デスねぇ~(笑)

でもねぇ~、執筆チームの皆さ~ん、「正史」であるならば、表面上の事実をなぞるのは、いい加減にしましょうねぇ~、(笑)

「ヤマトモ」や「ハラジマ」がナニをしたか? なんて誰もが知っているコトでしょ~う(笑)

山本伸一の訪中の際の心中を描くぐらいならば、例えば、ヤマトモの恐喝を北條会長から報告をうけた山本伸一が、どう思ったか?

内々に、どんな手を打ったか? とか、山本伸一にしか知り得ないコトを描くのが、「正史」と言えるんじゃないデスかぁ~(笑)

それとも、執筆チームの皆さんは、池田先生に、内容を報告せず、状況も聞かず、現在残っている資料を基に、勝手に描いてるんデスかぁ~(笑)

表面上の事実の羅列は、小説としての価値を落とすだけデスよぉ~(爆)

恐喝事件、宗門問題をふくめ、山本伸一の心情がどう描かれるか? 明日からも期待しないで待ってまぁ~す(爆)


 

twitterより。王道の人たれ、善の智者たれ。偽善者を見抜く明鏡。池田先生、若き日の日記から。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 7月31日(月)16時43分8秒
  王道の人たれ、覇道の人になる勿れ。
民衆の王たれ、権力の将になること勿れ。
大衆の友たれ、財力の奴隷になる勿れ。
善の智者たれ、悪の智慧者になること勿れ。
(若き日の日記 昭和30年 1月30日)

明鏡。なんと明快な。
今は偽指導者を見抜く民衆のための明鏡か。
 

よくわからん様、同一人物を装うグループが主体となってます。

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2017年 7月31日(月)13時08分18秒
  7月19日、ハンドルネームの「乃」の字が急に「の」になっていて、不思議?さんという方が突っ込みを入れています。
同一ハンネを名乗って別の人物が違う端末から書き込んだということですね。
去年の時点でおおよその察しがついていました。何度かやり取りしても、どうも“中の人”が違ってくる様子だったので、まともに相手しても意味ないです。

だいたい「残業禁止の超優良上場企業の経営者」(去年、私や他の方々に語った“自己設定”)が大切な従業員さんをほっぽらかして、昼となく夜となく一人でこんなネット掲示板に粘着して妄言駄文を書き連ねる、、、なんて社会常識から見て有り得ないことですよね。
数人が持ち回りでスレ汚しの妨害投稿をやっている。だから誰とも話が噛み合わない。
単体じゃないから「卒業します」「もう来ません」と書く端から別の誰かが補充されて同じことをやり続ける。

そういったカラクリを知っていて、あえて利用しようとの思惑も秘めて確信犯的に彼(ら)を擁護するのもいれば、、、
事情がのみこめないまま部分的に同調してしまっている人もいる。。様々です。

詳しいいきさつは知りませんが、京都の某所に、手下の者を使って学会関連の様々な情報をかき集め、だけどもそれを執行部を恫喝しつつ取引材料にする、ゆすり・たかりのネタにしかしないような、性根の腐った老人とその郎党がたむろしている模様です。
諸悪の元凶はそいつらですね。。

去年、ある方が信平事件の週刊誌報道をここに貼付けていくのにその一群が狼狽して執拗に攻撃を加える様子を見て合点がいきました。
事情通気取りで情報を独占し、閲覧者が自主的判断で精査するのを妨げる。信平関連も彼らにとっては、ゆすり・たかりの大事なネタですからあのような形で拡散されてしまったら“価値”が下がるのです。

いずれにせよ一人を装って「会おう会おう」などと美人局(つつもたせ)みたいなことをやってる集団とは一切関わらないのが無難です。つるんでいる者たちの胡散臭さも賢明な閲覧者はみな見抜いておりますので。。


 

日本以外の国が知らない事

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年 7月31日(月)12時53分40秒
  北朝鮮のミサイル発射を受けて、日米首脳電話会談。

北朝鮮に対し、より圧力を強めると言っているが、軍事的圧力を強めるという意味ならやめておけ。
余計な事をせずに、退陣してくれた方が余程ありがたい。

今回の発射成功で、アメリカの西海岸地域が、射程内に収まったようだ。
アメリカにとって、大きな脅威であることは間違い無いが、一方日本にとっては、これまでの情況と、それほど変わった訳ではないだろう。日本全域が北朝鮮ミサイルの射程内に収まったのは、もうずっと前からの事だ。

パキスタンのムシャラフ大統領が、2002年、インドに対し、本気で核兵器の使用を検討していた事を明かした。
結局インドの報復を恐れ断念したが、追い込まれると暴発しそうになるのは、どの国も同じこと。

しかし、常にそういうブレーキが、正常に働くとは限らない。
崩壊寸前の安倍政権、トランプ政権などは、最も危険。
自らの延命の為に、国民を道連れにした、冒険主義に打って出る気かも知れない。

日本以外の国は、核兵器の本当の恐ろしさを知らない。多分考えが甘い。

現在絶版になっている「戦争を知らない世代へ」という膨大な戦争体験の記録。
広島、長崎の被爆体験も、克明に記されていた。

日本国内、諸外国に啓蒙すべきこれらの体験談を、事もあろうに絶版にするとは、底無しの阿保だ。
経営がおかしくなるのも、当たり前だ。
第三文明社の事だ。
 

私の回りには執行部により処分された人がいる(# ゜Д゜)

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2017年 7月31日(月)10時48分41秒
  栃木の久保田です。m(._.)mヽ(^○^)ノ

宿板の皆さまm(._.)mおはようございます。m(._.)m

私の回りには極悪執行部の指示により、地方の幹部と執行部が共謀して不当にも処分を受けた人達が何人もおります。

この創価学会執行部から不当に処分を受けた人達こそ日蓮大聖人様の立正安国の思想を現代に実現しようとそして池田先生が大切にされてきた創価学会を守るためにその理想に燃えて宗教次元の極悪どもと勇敢に戦い続けて来た人達であります。


この人達は一般の会員さん。もっと言えば学会組織の中でも中々ひかりの当たらない未活動の人達や病気がちだったり体が思うように動かなくなって来てしまったお年寄りや未活動の親をもつ未来部の子供達などが、学会を敵害視している極悪宗教者の誘惑や勧誘から守り、その組織の長よりも速く被害者を励まし勇気付けて来た人達です。

その人たちは正義感が強く人格は重厚で尊敬できる人

であり、常に朗らかで弱い立場の人に最もやさしく相手に合わせて細やかに気を配れる言わば池田先生の分身としての自覚の有る人達だと感じてきました。

この人達は一般の学会員、特に活動家の会員さんからは余り知られていなくとも、学会を敵害視している極悪宗教者達からは恐れられ会いたくない学会の幹部と思われており、嫌われています。何故なら善人の集まりである創価学会を守ろうとそして池田先生をおとしめようとデマを垂れ流す輩を妥協なく攻めて来たからです。

初代牧口先生は『悪人の敵と成りうる勇者でなければ善人の友とはなり得ない』と言われ、この言葉と思想を通し池田先生が『悪を見て見ぬふりをしてはいけない』

『見て見ぬふりをすれば結果は同じであるからだ』

と教えてくださいました。

また私事で恐縮ですが、私が極悪宗教者共と戦っていたときに栃木県の幹部達から嫌がらせやらいじめを受けていたときに地元の会合に池田先生からのメッセージが届けられその中に

『極悪と戦う者は極善である。極善の人をいじめる者は極悪人である』と送って下さり、師匠の真心に涙した経験が有ります。

少なく見積もっても学会を極悪から守ってきた人達を処分している現執行部は極悪人であると私は断じます。

極悪執行部(# ゜Д゜)これ以上善人達を処分することを直ちに止め処分してきた人達をもとに戻し、土下座して誠心誠意詫びよ(*`Д´)ノ!!!

お前達がそんなに気になるのであれば見に来いよ
ヽ(^○^)ノ

歓迎するよヽ(^○^)ノ

その代わりボコボコに破折されるかもしれないけど

見に来なよヽ(^○^)ノ勇気を(  ^∀^)出してo(^o^)o

直接会って話をすればわかりあえる筈だからo(^o^)o

一度はボコボコに破折されるだろうけどヽ(^○^)ノ

さぁ~勇気を出してo(^o^)o




 

元京都西京区乃虎ー笑ー謎の弟子Xー元愛読者のやり取りを読んでの感想

 投稿者:よくわからん  投稿日:2017年 7月31日(月)10時22分9秒
  オフ会?とか言う話が出てきて、数日間どうでもよい投稿が続き、括りは元愛読者。この四名様はみんな同一人物では?または多重ハンドルネームですか?  

祈りを重ねましょう

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2017年 7月31日(月)09時22分37秒
編集済
 

心をつなぎ合わせること
それは対話ですね
一切衆生の幸せ
世界の平和
宗教の名前はちがっていても
みんなの祈りは同じ
ポピ族の人たちの祈りに
祈りを重ねましょう


http://imagine-happy-life.tokyo/

 

二十一世紀への対話 119

 投稿者:まなこ  投稿日:2017年 7月31日(月)08時39分24秒
  7 民族再建と共産主義

【池田】 過去に偉大な文明を築き、人類の歴史に光彩を放ちながら、近世に入ってヨーロッパ諸国の植民地と化した国が、アジアにはいくつもあります。たとえば、中国やインドや西アジアの国々がそのような体験を経ているわけですが、これらの国の民族は、独立と主権を回復した今日でも、再建にあたっては苦悩の多い道を歩んでいます。
こうした過去の文明国のうち、現在、欧米先進国のレベルに急速に近づいているのは、中国だけのようです。インドや西アジアの国々の場合は、先進諸国自体がかなりの速度で進んでいるため、むしろ相対的にはギャップが拡大しているとさえいえるでしょう。この停滞の原因としては、政治的な不安定や、社会資本の蓄積が貧弱なことなど、種々の要素が考えられます。ところが中国は、共産党による支配体制を樹立して、政治的安定を得ました。それに、社会主義体制によって計画経済を実行し、社会資本の蓄積を強力に進めています。中国は、ここに自らの再建の軌道を完全に敷いたように思われます。
そこで、インドや西アジアも、中国にならって共産化する以外に、再建の道はないのか――という問題を考えたいと思います。
中国の場合は、もちろん、たんに共産化しただけでなく、そこには毛沢東という偉大な指導者がいました。この指導者の有無ということも、重要な条件として考えなければなりません。毛沢東は、マルクス・レーニン主義を中国の歴史的、精神的風土のなかで消化し、新しい民族国家を形成する原理を打ち出した優れた指導者であり、私は彼あるがゆえに中国革命は成功していると思っています。

【トインビー】 私は、共産主義は一つの宗教であり、とりわけユダヤ系諸宗教の新たな旗頭であるという分析をしています。共産主義には、その無神論的な語彙による変装の下に、ちゃんとユダヤ的神話が保たれています。ユダヤ系の全宗教を共通に特徴づけるものは、一つには、強固な組織と厳格な規律です。この面に、これら諸宗教の排他性、不寛容性が濃厚にあらわれています。
危機にさいしては、人々は規律を必要とし、それを甘受するものです。しかもあらゆる非西欧文明社会は、西欧文明がそれらに衝撃を与え始めてよりこのかた、ずっと危機にさらされてきたのです。この挑戦により、これら諸文明社会は、近代西欧が他の世界より一時的に優勢であった分野で――なかんずく技術の分野において――西欧に追いつくべく、強行軍を試みざるをえなくなりました。強行軍は、軍隊式の規律を要請します。そして共産主義は、まさにこの種の規律を与えてくれるものなのです。したがって、他文明の吸収同化という離れわざを試み、成し遂げなければならない社会にとっては、共産主義は有用な宗教となるわけです。まして、社会の自己変革が十分速やかに、かつ徹底的になされないと、その社会は全面的崩壊の危機に瀕してしまうという場合、とくにそのことがいえます。

【池田】 共産主義は、主として現世における社会的問題と取り組み、人間の生き方を規制する宗教であり、この点、これまでの宗教と異なっています。これまでの宗教が立脚していたのは、この現実を超えた観念についての信仰であり、この人生を超えた永遠なるものをめざしていました。共産主義は、死の彼方の問題については、ほとんどなにもいっていません。
そこで思うことは、再び中国の場合です。中国が比較的容易に共産主義を受け入れることができたのは、中国人には伝統的に合理主義的な思想があったからではないでしょうか。道教は神秘主義の色彩を相当にもっていますが、儒教はまったく合理主義的な政治哲学であり、人生哲学ともいうべきものです。そういう意味での非宗教的な精神性、合理主義的な思考の伝統が、マルクス・レーニン主義を受け入れるのを助けたのではないでしょうか。
この中国の場合と対照的なのが、西アジアのイスラム教世界だと思います。そこでは、アラーの神は、超絶的存在であると同時に、その立場から現実の社会と人生を強く規制しています。もちろん、イスラム教徒が絶対に共産主義を受け入れないとは断定できませんが、その精神的土壌から判断しますと、中国人に比べて受け入れがたいのではないかと思います。

【トインビー】 共産主義は、ある面では、科学的合理主義という近代西欧宗教のいかがわしい一変形であり、中国のように、その国在来の支配的伝統が――儒教のように――合理主義的、権威主義的であるような国では、比較的受け入れられやすいのです。
これまでのところ、イスラム教徒が共産主義に対して拒絶的であることは、はっきりしています。これはたしかに驚くべきことです。なぜなら、イスラム教は、ユダヤ系の宗教としては、キリスト教よりも合理的な宗教であり、また少なくともキリスト教と同じくらい権威主義的であるからです。ちなみに“イスラム”という言葉は“自己放棄”(帰依すること)を意味しています。
トルコ人は、中国人と同じように、かつて帝国を築いた誇り高い民族です。また彼らは、西欧文明を同化するにあたっての緩慢さを、かつて中国人に加えられたと同じような屈辱を嘗めることによって、贖ってきました。しかし、トルコ人は中国人と違って、最終的には、共産主義に頼ることなく自らの強行軍を行なったのです。アラブ民族は、トルコ人よりもはるかにひどい屈辱を味わってきました。しかし、彼らもまた共産主義に対しては、拒絶反応を示しています。彼らは、イスラエルとアメリカに対抗すべくソビエトから援助を受けている関係上、外面的には共産主義と妥協してきましたが、しかし内実は反発してきたのです。このようにイスラム圏が共産主義を受け入れようとしないことは、私には不可解でなりません。

【池田】 その点については、私は、こういうふうに考えることができると思うのです。つまり、イスラム教徒にとっては、服従すべき対象、すなわち権威が、アラーの神として、厳然と定まっています。しかも、この神は、たんに死の彼方の世界だけでなく、現実のこの社会と人生においても、強い規制力をもって君臨しております。したがって、別の服従の対象がそこに入り込む余地がないわけで、これがイスラム教徒の共産主義化を困難にしている理由ではないかと、私は推測するのですが、いかがでしょうか。
 

獅子

 投稿者:ジョーカー  投稿日:2017年 7月31日(月)08時33分14秒
  あきらか様

悪と戦わない理由(言い訳)ならいくらでもつくれます。しかし、自分自身を欺くことは出来ない。自身の奥底の一念が獅子なのか、それともネズミなのか。御書に、「師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし」(P957)とあるように、悪と勇敢に戦う一念こそが仏なのです。

悪と戦う獅子の一念へと変革することが、題目を唱える肝心要の意義です。題目を唱えれば、師子王である日蓮大聖人の一念に感応し、仏が湧現する。獅子となると決めて祈ったときに、御本尊と境智冥合する。54年の総括と云っても、自身の人間革命が出発点であり、因果?時であるが故に、そこが終着点でもあります。

獅子として生きるか、ネズミとして生きるか。環境がどうあれ、決定権は自分にあります。結局信心とは、自分と御本尊の一点であり、誰人もその間に介入することはできない。そして、創価三代の一念も獅子であることは言うまでもありません。まさに師弟不二とは、自分自身が、勇敢に悪と戦う獅子の一念へと人間革命を遂げること。そこにこそ創価三代に連なる道があります。
 

「まことの道心者とは」 名代講師

 投稿者:陰ながら  投稿日:2017年 7月31日(月)07時25分8秒
編集済
   「大白」2016年11月号掲載「池田SGI会長講義」にこうあります:

<法華経の法門をきくにつけて・なをなを信心をはげむを・まことの道心者とは申すなり、――― 法華経はあいのごとし修行のふかきは・いよいよあをきがごとし> (「上野殿後家尼御返事」 1505)

(名代講義)

 「――― 自身の生命に、大聖人の勇気と正義のお振る舞い、弟子を思う大慈悲、何より妙法流布への大情熱を焼き付けるのです。「法華経にそめられ奉れば必ず仏になる」(1474)と仰せの通りです。――― 学べば学ぶほど、「学」が深まり、「信」も「行」も深まるのです。永遠に前進し、向上してゆく健気な信心の人こそ、本当の求道者として、自由自在の境涯に生ききってゆける。」

 この「板」の論師の方々、「信」、「行」を深める機会を与えてくださり、感謝します。
 

やはり対話ですよね。

 投稿者:菩薩  投稿日:2017年 7月31日(月)07時24分56秒
  おはようございます。
やはり対話ですよね。
人間は対話から始まります。
そして顔を付き合わせて対話する。
拒否した時点で終わります。
対話のない強行採決と変わりませんね。
 

ひらがなプロジェクトへ立正観抄ひらがなを投稿しました。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 7月31日(月)02時48分58秒
   ひらがなプロジェクトへ立正観抄ひらがなを投稿しました。

21世紀への選択   求められる「対話」の精神 p40投稿します。

私が今、池田先生の講義録と対話集を、取り上げるかと言えば、世界広布は3代会長の、平和思想を
流布すべきだと思うからです。

天台大師、伝教大師は、法華経を開いて一念三千・摩訶止観を中国と日本に広めました。

日蓮大聖人は一念三千・摩訶止観を開いて、御義口伝に、いま日蓮大聖人およびその門下の意で如来
を論ずるならば、総じては、一切衆生はことごとく如来である。
すべての衆生に仏界は存在する・・・と教えられました。

日蓮大聖人の、『すべての衆生に仏界は存在する』を開かれて、池田先生は「事実の上に人々を成仏
せしめていく力強い教えでなければ、何のための仏法であろうか」と解釈されています。

せかいに流布すべき思想哲学は、世界中の民衆と「対話」して、納得し理解して行動に移してもらえ
ること。

その思想は、教えがあり、理論的に納得がいき、現在の人生が幸せになり、人間革命出来て、生活が
豊かになる等々・・・、先生はそうでなければ「何のための仏法であろうか」と説かれています。

池田先生の各国識者との対談、大学での講演、その内容は、創価三代の平和思想の啓蒙であったと
理解すべきかと思います。


21世紀への選択 ポイント
* テヘラニアン・・・
いまや私たちの時代は、この「生命」や「平和」と同程度に、「対話」が必要と

される歴史の段階に入ったのです。

実のところ「対話」こそが、「生命」と「平和」を保障しうる唯一の手段かもしれないのです。

* 池田・・・・
思うに、人間の人間たる証は、つまるところ対話の精神に表れるのではないでしょうか。

博士の故国イランの大詩人・サアディーは、こう訴えています。

「人間は語ることによって、獣にまさる。よいことを語らなければ、獣が汝にまさる!」
と。

* 池田・・・
 そんな乱れた社会にあって、釈尊は、人々の幸福のために、生涯、国々を遍歴し、平和への

行動を貫きました。

 その武器が"非暴力の対話"でした。釈尊は対話によって、「生命の尊厳」を説き、暴力の排除

へと社会をリードしていったのです。

以上 鈴之助

・・・・・・・・・・・・・・


御義口伝講義巻下 寿量品廿七箇の大事

 だが、いまなお法華経迹門の段階では、不完全であった。
それは、わが生命の理論的、哲学的考察の域を出なかったからである。
いかにわが身が妙法の当体であり、わが生命に仏界が内包されていることを、理論的に納得してみ
ても、現実に、わが身の上に、仏界が顕現され、妙法に輝く生命の当体として、人生を生ききるの
でなければ、意味をなさない。
不幸にあえぐ民衆を、その本質は妙法の当体なりといかに力説しても、事実、宿命転換させ、幸福
への大道を歩まされるのではなくて、何の意味があろうか。
 およそ、仏法は、一切衆生を現実に幸福にせしめていくために説かれたものである。
たんなる理論の展開でもなければ、学問のためでもない。
したがって、事実の上に人々を成仏せしめていく力強い教えでなければ、何のための仏法であろう
か。
ここに迹門を理上の教相とも、理の一念三千というのである。


御義口伝講義巻下 寿量品廿七箇の大事
いま日蓮大聖人およびその門下の意で如来を論ずるならば、総じては、一切衆生はことごとく如来
である。
だがこれはあくまで理の上で論じたものであり、別して、事の上で論ずるならば、日蓮大聖人およ
びその、弟子檀那のことである。
 されば、無作の三身とは、末法の法華経の行者、すなわち末法に全民衆救済のために出現された
御本仏日蓮大聖人の御事である。
 この無作の三身、即日蓮大聖人の宝号を、南無妙法蓮華経というのである。
これ人法一箇の本尊であり、寿量品の事の三大事、すなわち内証の寿量品に顕わされた事の一念三千
の当体たる本門の本尊・本門の題目・本門の戒壇の三大秘法とはこのことなのである。
 南無妙法蓮華経如来寿量品第十六の立ち場から如来を六即に配立するならば、この品の如来は、
決して色相荘厳の仏をいうのではなく、理即の凡夫をいうのである。
われわれ凡夫の身を離れて如来はないのである。


この御義口伝講義巻下 寿量品廿七箇の大事の講義は、昭和40年代前半の教学で使用されていた
ものです。

この講義を助教授昇格試験で勉強しました。
残念ですが、ポイントが分からず落ちました、聖教新聞で勉強しても、御書は身につかないと
部隊長の指導でした。
 鈴之助・・・( ;∀;)
 

21世紀への選択   求められる「対話」の精神 p40

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 7月31日(月)02時32分7秒
  21世紀への選択   求められる「対話」の精神 p40

池田
さて、テヘラニアン博士は、私たちの対談を始めるにあたって、これを「対話への選択」と意義付けたいと提案されましたね

テヘラニアン
 はい、会長と二人の卓越した学者、アーノルド・トインビー博士との対談集『生への選択』

(英語版タイトル、日本語版は『二十一世紀への対話』)、ヨハン・ガルトゥング博士との

対談集『平和への選択』は、興味深く読ませていただきました。

二つの対談集ではそれぞれ、平和的な手段によって平和を探求し、生命の尊厳をいかに

保つかというテーマに、主として焦点が向けられていました。

いずれも、人類そのものとともに始まった古くからの問題であり、同時に今日において

もきわめて重要な問題であることに変わりありません。

しかし、いまや私たちの時代は、この「生命」や「平和」と同程度に、「対話」が必要と

される歴史の段階に入ったのです。

実のところ「対話」こそが、「生命」と「平和」を保障しうる唯一の手段かもしれないのです。

池田
 そうした思いを共有して、私は、この対談の日本語版のタイトルを「二十一世紀

への選択」と発案させていただきました。

思うに、人間の人間たる証は、つまるところ対話の精神に表れるのではないでしょうか。

博士の故国イランの大詩人・サアディーは、こう訴えています。

「人間は語ることによって、獣にまさる。よいことを語らなければ、獣が汝にまさる!」
と。

テヘラニアン
 同じく「ペルシャの三大詩人」の一人であるルーミーも、同様のことを繰り返し訴えていました。

そのルーミーは、異なる地域で誕生した文化的遺産・・・仏教とイスラムの教えを結びつ

けながら、二つの文明の橋渡しをしたのではないか、と私は考えています。

池田
 サアディーにしても、ルーミーしても、言葉を生命とする詩人であるからこそ、「対話」の重要

性を肌身で感じ取っていたのでしょうか。

ともあれ、異なる文化、文明間の橋渡しという作業が、二十一世紀における大きな課題

となってくることは間違いありませんん。

テヘラニアン
 ええ、今日では市場と社会のグローバリゼーション文化間文明間の接触が親密になり、

大規模になってきました。

しかしその半面で、経済と政治の組織や体制は協力的であるとともに競争的になり、交流や

協議の機会はあるものの、認識や利害が対立する状況を招いています。

こうした「接触」に、当然ともなうべき対話が欠けているかぎり、残念ながら、事態

は暴力と圧制の下にあるのと同じく、「憎しみの種子」がこれからも蒔かれ続けていくでしょう。

それこそ何年も、何十年も……。


池田
 そのような時代状況を踏まえて、「文明の衝突」論(ハーバード大学のサミュエル・

ハンティントン教授)などが一部で唱えられていますね。

しかし、衝突が不可避であると考えることは、正しくありません。

そればかりか、対立の構図を安易に固定化させてしまう危険がある、と私は考えます。

仮に衝突が起こったとしても、真の原因は文明そのものにあるのではなく、そこに巣く

う野蛮性にあるのではないでしょうか。

文明同士ではなく、異なる集団を認めようとしない野蛮性が衝突するのです。

こうした事態を防ぐためにも、あくまで人間にそなわる善性を信じ、そこに呼びかけ働きかけて

いく「対話」の精神が何よりも求められるのです。

テヘラニアン
 おっしゃるとおりです。

友か敵かの関係に対応する手段として、「対話」が選択されるならぼ、互いに相手をよりよく

理解できる可能性、そして、それによる認識と利害の相互的な受容という可能性が、希望として

開かれてくるはずです。

池田
「対話」こそ平和への武器です。これは、仏教の根本精神でもあります。

釈尊が生きた当時のインド社会は、ある意味で現代とよく似た、社会の変革期で価値

観が混乱していた時代であり、いろいろな勢力が相対する暴力的な時代でした。

家の中ですら、武器を手放せなかったともいわれています。

そんな乱れた社会にあって、釈尊は、人々の幸福のために、生涯、国々を遍歴し、平和への

行動を貫きました。

その武器が"非暴力の対話"でした。釈尊は対話によって、「生命の尊厳」を説き、暴力の排除へ

と社会をリードしていったのです。
 

広告

 投稿者:名無し  投稿日:2017年 7月31日(月)02時05分26秒
  創価学会の宣伝広告って必要なんですかね?
いつの頃から始まったんでしょう?

戸田先生は宗教の宣伝広告を否定されてましたよね?

ちなみに3回目か4回目の投稿です。
そろそろ名前を決めようと思います。
 

大勝利さん

 投稿者:元愛読者  投稿日:2017年 7月31日(月)00時43分50秒
  大変にありがとうございます。
ただ、私が削除されて根に持っている投稿は、そんな内容ではなかったんです。
不思議ちゃんです。
 

現愛読者は…

 投稿者:元愛読者  投稿日:2017年 7月31日(月)00時39分18秒
  かぶってますな。
その後、「流し読み」に改名されていますが。

管理人さん、ついでが可能でしたら、この人も多重じゃないかお調べ頂けないでしょうか?
どうでもいいですが。
 

元愛読者?お前、バカか?

 投稿者:現愛読者  投稿日:2017年 7月31日(月)00時34分27秒
  だから、出てくるんじゃないよ!道楽モンが!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓
 

まとめ、ありがとうございます。

 投稿者:元愛読者  投稿日:2017年 7月31日(月)00時30分53秒
  いちいち反応してしまう、今日の心境です。

なぜまともな意見を書かないのか、なぜ短冊投稿にしているのか。
それは、真面目に書いても削除されたからです。
スマホなので、さすがにもう一回は打たないですね。
私の端末は、コピベがうまくいかないのです。
どうか、ご容赦ください。

こう見えても、当初はもうちょっと意見していたんですよ。
 

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