放送日の8月6日は広島市の原爆記念日。今から72年前の午前8時15分、B29爆撃機エノラ・ゲイ号から投下された原爆は、一瞬にして約14万人の命を奪った。そして、投下直後に降った「黒い雨」により多くの人たちが内部被ばくし、今もがんなどで苦しんでいる。広島・長崎に続く第三のヒバクシャは南太平洋の楽園の住民たちと、近海で操業中だったのマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員たち23人だった。
水爆実験「ブラボー」 |
ビキニ環礁に残されたの「水爆クレーター」 |
1954年3月1日、マーシャル諸島のビキニ環礁周辺を地獄絵と変えた水爆実験「ブラボー」。火の玉の直径は40km、爆発の威力は広島型原爆の約1000倍に上った。そして、「死の灰」がなぜか避難させず取り残されていたロンゲラップ島民86人を襲った。被ばくの苦しみは21世紀の今も子孫の世代に渡って続いている。
今回、特別の許可を得て元島民らとともにロンゲラップ島を独自取材。米国は除染が終了したとして安全宣言を出したが、中心部以外の放射線量はいまだに高く、ここで生活して魚介類や動植物を食べても安全なのか誰にも分からない。
ロッゲラップ島を取材する山口豊キャスター |
被ばくした元島民 |
番組では、ビキニ環礁からキリ島に強制移住させられた「核の難民」を襲ったさらなる悲劇も独自に取材。今度は地球温暖化による海面上昇で「環境難民」となり、再び島を追われることになったのだ。
さらに、アメリカのネバダ核実験公文書館で衝撃的な機密文書を多数発掘。
ロンゲラップ島民たちを避難させなかったのは人体実験のためであり、その後も内部被ばくの影響を継続的に調査するため、わざと汚染された島に帰島させていたというのだ。また、第五福竜丸乗組員の肝臓や骨髄など組織の一部も密かに米軍病理学研究所に運ばれ、調査サンプルとなっていたことも判明した。
63年経った今も帰れないマーシャル諸島の故郷の島。
それは、フクシマの未来予想図なのか?
再びマーシャル諸島の被ばくの海を訪れた元第五福竜丸乗組員の大石又七さん(83)はこう語った。
「あの時、ビキニ事件をうやむやにしたことが、フクシマの悲劇を生みだした。半世紀以上前の人類への警告を伝え続けるのが私の使命だ」
保存されている「第五福竜丸」 |
元乗組員の大石又七さん |
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