第1回 2015年7月31日(金)
映画「ヒロシマ・ピョンヤン」(伊藤孝司監督作品) 上映会&講演会
日時 : | 2015 年7 月31 日(金) |
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14:00~ 映画上映(90分) | |
15:45~ 伊藤孝司監督 講演 | |
18:30~ 映画上映(90分) |
会場 : | 名古屋市女性会館(イーブルなごや) 視聴覚室 |
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◎ 地下鉄 名城線「東別院」下車1番出口から東へ徒歩3分 (地図) | |
Tel:052-331-5288 |
料金 : | 700円 (「はにかみの国」のチケットお求めの場合600円 ) |
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広島・長崎で被爆した7万人余の朝鮮半島出身者の中には、現在、朝鮮民主主義共和国に暮らす人々もいます。多くは1959年12月から始まった北朝鮮への帰還事業による帰国者です。 韓国をはじめ国外在住の被爆者たちの長い運動によって彼らにも「被爆者健康手帳」が交付されるようになりましたが、在朝被爆者は取り残され"棄てられた"状態になっています。日本と北朝鮮に離れて暮らし、行き来もままならない状況下で、老いた母と被爆の影響に苦しむ娘をめぐって、フィルムは回ります。
つぎのサイトもご参照ください。
ヒロシマ・ピョンヤン HIROSHIMA PYONGYANG
昨年7月31日、在朝被爆者を取材した映画作品を紹介しました。ピョンヤンに暮らす李桂先(リゲソン)さんは、経済制裁によって日本への渡航が不可能となり被爆者認定を受けることができないまま、取材中に日本に暮らす母も亡くなります。「日本政府にはもう何も期待しない」と伊藤監督に告げた李さんに、胸がつまりました。
被爆者援護法が適応されない唯一の在外被爆者=在朝被爆者の実情についての伊藤監督の講演のあと、会場からは、北朝鮮から引き揚げる途上で死に別れた母の墓参の願いが昨年ようやく叶ったという安井さんからのご報告もありました。
伊藤監督は今年も精力的に北朝鮮での取材を続けておられます。恒例のサマーセミナーでは、日韓米等の経済制裁が強化されているにもかかわらず北朝鮮の農業生産は飛躍的に伸びている、その理由を探って講演されました。すなわち、電力(つまり輸入に頼る石油)を使わない灌漑、輸入肥料を必要としない循環型農業で大規模共同農場の生産性が向上し、加えて収穫の一部の個人所有を認める政策が功を奏しているとのこと。伊藤さんは、「今後も制裁が北朝鮮を変えることはないだろう」と見ています。
第2回 2015年8月29日(土)
読書会「菊とナガサキ(正・続)」「はにかみの国」
コーディネーター:作家 磯貝治良さん
〒466-0841 名古屋市昭和区広路本町4-15-1
NPO法人 日韓舞台芸術友の会 絆 イニョン
日時 : | 2015年8月29日(土) |
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14:00~ |
会場 : | 名古屋市女性会館(イーブルなごや) |
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◎ 地下鉄 名城線「東別院」下車1番出口から東へ徒歩3分 (地図) | |
Tel:052-331-5288 |
料金 : | 無料 |
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とりあげる作品
① | 「菊とナガサキ」「続・菊とナガサキ」 |
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「石牟礼道子全集 不知火 第1巻」P336~、351~ 藤原書店 | |
② | 「はにかみの国 -死にゆく朝の詩」 |
「はにかみの国」石牟礼道子詩集 に収録 石風社 | |
③ | 「詩魂」 高銀・石牟礼道子対談集 藤原書店 |
高銀(コ・ウン)さんは韓国を代表する詩人。韓国の人なら皆知っているという歌「セノヤ」は高銀氏の作詞です。10月の日韓音楽劇「はにかみの国」のなかでも李政美さんが歌います。 |
ミニレクチャー&話題提供:
他
昨年8月29日には、朗読音楽劇「はにかみの国」の基の作品群の読書会を行いました。コーディネーターを作家の磯貝治良さんにお願いしました。
最初にチューターの飯田さんから、「在日朝鮮人はなぜ海峡を渡ったのでしょうか」と題してその歴史的背景を、そして同じく松崎さんからは長編詩「はにかみの国」の作品についての解説をしていただきました。
日本の侵略併合にはじまり太平洋戦争に伴う強制連行に至る中、長崎で約2万人広島で約5万人の朝鮮半島出身者が被爆します。飯田さんからは小説『三たびの海峡』や名古屋三菱朝鮮女子勤労挺身隊についての紹介もありました。松崎さんは難解な石牟礼さんの詩をわかりやすく丁寧に解きほぐしていただき、それは皆さんの賑やかな議論に展開しました。とりわけ「はにかみの国」とはどこのどんな国を指すのか。日本なのか韓国か、はたまた石牟礼さんご自身の内なる世界なのか。意見は容易に一致を見ないまま、あっという間に時間切れとなってしまいました。
最後に松崎さんは『石牟礼道子のコスモロジー 不知火』の中の一節「人の悲しみを自分の悲しみとして悶える人間、ことにそのような老女のことをわたしの地方では〈悶え神〉という」を引き、石牟礼さんこそがまさに〈悶え神〉なのではなかろうか、と言われました。深く心に残る指摘でした。