投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

  1. ひらがなプロジェクト(235)
  2. アルベア論(975)
  3. 正義のあかし(46)
  4. 掲示板の注意事項(1)
  5. 虚構の大石寺疑惑(1)
  6. 2015年安保法制(977)
  7. アラシ行為記録(21)
スレッド一覧(全7)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


お詫び・訂正その三十七

 投稿者:The logic in the place  投稿日:2017年 7月31日(月)19時57分20秒
  正誤表 その001 ?
投稿者:The logic in the place
投稿日:2015年 4月20日(月)10時16分50秒

大道を歩む:正誤表
(誤り)
大道を歩む 私の人生記録 Ⅱ
2000年3月16日発行
池田大作 著
発行所 毎日新聞社
発行人 山本 進
編集人 山本 敦
P.228~
『大革命と呼ばれるフランス革命の意義は、今日では、さまざまな角度から論議されている。が、こんな話がある。旧知のキッシンジャー博士(元アメリカ国務長官)が、かつて中国の周恩来総理にフランス革命の評価を求めた。すると周総理は、こう答えたという。「評価するには、まだ早すぎます」~』

(正しい)
フランス革命に関わる視点「毛沢東発言」
出典:「平和」と「人生」と「哲学」を語る 昭和62年9月5日発行
H・A・キッシンジャー 池田大作 著
発行所 ㈱潮出版
発行者 富岡勇吉
P.99~
『キッシンジャー
ある人が毛沢東に「フランス革命についてどう思いますか」と質問したときに、彼は「結論を出すには、まだ時期尚早である」と答えた、という話があります。』

(解説)
* キッシンジャー氏の話が、キッシンジャーと周恩来との対話に置き換わり、発言内容は同一となっている。
* 「結論を出すには、まだ時期尚早である」→「評価するには、まだ早すぎます」

大百蓮華と第三文明社が連載していたものを毎日新聞社が出版しているので、この正誤訂正の責任は、学会側にあります。

**************

精密機械の師匠を愚弄して、いい加減な編集作業をしてきた職員の皆様のために、レ・ミゼラブルとは、別に事有る度に、当方で貯めている正誤表を公開します。かなり有ります(笑)。
供養で飯食っていて、何してたんでしょうかね。だから、「Be damned!」と言われてしまうんですね。

それから、「ミミズ千匹の穴」とか「羊千匹云々」と言う表現方法があまりに下品であるとの指摘を受けましたので(笑)、今後は省略化して書き込みます。

ミミズ千匹の穴 →
The hole of thousand angleworms??→ 「HTA」

ミミズ千匹の穴ハンター →
The hole hunter of thousand angleworms
→ 「HHTA」

→谷○事務総長 →
ネトリス対策室メンバー

羊千匹 →
Thousand sheep
 →「TS」

羊千匹会員 →
The thousand sheep member
 → 「TSM」

羊千匹志向 →
The thousand-sheep intention
 → 「TSI」 → 大誓堂に棲む人々

地獄に堕ちろ →
Be damned
 →「BD」→ TSIに組みするバカ幹部


以上で今後は省略化して表現に努めます。下品な表現は慎みますのでよろしくお願いいたします。

ーーーーーーーーーーーーーー
この正誤表は、以下の会則

????????
第14章 賞罰
(懲 戒)
第78条 この会は、会員としてふさわしくない言動をした会員に対し、その情状に応じ、戒告、活動停止または除名の処分を行なうことができる。
????????

に大変該当します。反逆者!裏切者!極悪!大極悪人です。
最高幹部を愚弄して挙げつらう極悪会員であり大変ふさわしくない言動です。私が極悪人です。

誠に誠に申し訳有りませんでした。
二度と、欠点を挙げつらうことは致しません。極善弟子になるために、二度とこのような投稿は致しません。だから許して下さいね。何度もお詫び・訂正・謝罪、改心を裏でやらずに公に表明します。


会則における会長が『黒は白だ、偉いんです!』と認定発言されれば、我々末端の会員は、それに付き従い『その通り、黒は白です!』と口裏合わせするのが当たり前です。それが大極善弟子になり、改心した証となり、処分も解雇もクリアーできる営為です。これが極善会員の見本です。

間違いなど無い!間違いを糾す者が間違ってる!と言うことを私は繰り返して、頭悪いんで、また繰り返すかもしれません。この繰り返しが極善会員の改心活動です。

その都度、何度も訂正して、『間違いが間違っているから、間違いなんだ?いや、会長が認定している!池田先生も認定しているはずだ!だから、これで良いのだ!』と三段論法的に謝罪・訂正・お詫びをばしていきたいと存じます。今更、改心しても手遅れですが、頭悪いんでこれからもどしどし誠実にして真面目な極善会員になれるよう、改心した極善会員の証を投稿したいと存じます。処分の撤回は全く有りませんが今後も続けていきます。

全ては、会則にある通り、会長の全権統理に従い『間違いなし!』と右に倣らう所存です。だから、レスはしませんよ。

ーーーーーーーーーーーーーー

簡略化表現は、PPAP同様に分かりやすくする企図が有りましたが、誠実にして真面目な処分前に改心して認定された最高幹部会員を愚弄する表現となりました。衷心よりお詫び申し上げます。

ましてや、このような方は、今の創価学会大幹部にはいらっしゃらず、いや、断じてそんな者が、創価学会最高幹部になるなどと、池田先生がお認めになるはずもなく・皆さん誠実にして真面目な大極善弟子の方々ばかりです。こんな感じでお詫び・訂正・謝罪をしていきますので、宜しくお願い申し上げ奉ります。

よって、いきなり家庭訪問とか丁寧口調の脅迫郵便物とか、無言電話、恫喝捨てゼリフの電話はしないでください。かなりの心的外傷を受けています。氏名不詳の告訴から実名刑事告訴に至る事になります。この板での誹謗・中傷もお断りします。






 

本日の政教珍聞、夕刊で~す、(笑)原田怪鳥様、御尊顔が拝謁できないのデスがぁ~(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 7月31日(月)17時01分50秒
  原田怪鳥様、ここのトコロ、原田怪鳥様の御尊顔が拝謁できていないのデスが、お元気デスかぁ~(笑)

金曜日に青年部が最高協議会を行い、博正サンも御出席されたみたいデスが、原田怪鳥様は御出席されなかったんデスかぁ~(笑)

4号・5号で忙しかったんデスかぁ~? それとも後期高齢者の怪鳥様には、御出席の資格が無かったんデスかぁ~(笑)

なんとも都合のイイ「じ・き・で・し」があったものデスねぇ~、池田先生がお元気であれば、絶対、出席されていたハズでぇ~す(笑)


それと「珍・人間革命」雄飛の章も、いよいよ佳境デスねぇ~(笑)

でもねぇ~、執筆チームの皆さ~ん、「正史」であるならば、表面上の事実をなぞるのは、いい加減にしましょうねぇ~、(笑)

「ヤマトモ」や「ハラジマ」がナニをしたか? なんて誰もが知っているコトでしょ~う(笑)

山本伸一の訪中の際の心中を描くぐらいならば、例えば、ヤマトモの恐喝を北條会長から報告をうけた山本伸一が、どう思ったか?

内々に、どんな手を打ったか? とか、山本伸一にしか知り得ないコトを描くのが、「正史」と言えるんじゃないデスかぁ~(笑)

それとも、執筆チームの皆さんは、池田先生に、内容を報告せず、状況も聞かず、現在残っている資料を基に、勝手に描いてるんデスかぁ~(笑)

表面上の事実の羅列は、小説としての価値を落とすだけデスよぉ~(爆)

恐喝事件、宗門問題をふくめ、山本伸一の心情がどう描かれるか? 明日からも期待しないで待ってまぁ~す(爆)


 

twitterより。王道の人たれ、善の智者たれ。偽善者を見抜く明鏡。池田先生、若き日の日記から。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 7月31日(月)16時43分8秒
  王道の人たれ、覇道の人になる勿れ。
民衆の王たれ、権力の将になること勿れ。
大衆の友たれ、財力の奴隷になる勿れ。
善の智者たれ、悪の智慧者になること勿れ。
(若き日の日記 昭和30年 1月30日)

明鏡。なんと明快な。
今は偽指導者を見抜く民衆のための明鏡か。
 

よくわからん様、同一人物を装うグループが主体となってます。

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2017年 7月31日(月)13時08分18秒
  7月19日、ハンドルネームの「乃」の字が急に「の」になっていて、不思議?さんという方が突っ込みを入れています。
同一ハンネを名乗って別の人物が違う端末から書き込んだということですね。
去年の時点でおおよその察しがついていました。何度かやり取りしても、どうも“中の人”が違ってくる様子だったので、まともに相手しても意味ないです。

だいたい「残業禁止の超優良上場企業の経営者」(去年、私や他の方々に語った“自己設定”)が大切な従業員さんをほっぽらかして、昼となく夜となく一人でこんなネット掲示板に粘着して妄言駄文を書き連ねる、、、なんて社会常識から見て有り得ないことですよね。
数人が持ち回りでスレ汚しの妨害投稿をやっている。だから誰とも話が噛み合わない。
単体じゃないから「卒業します」「もう来ません」と書く端から別の誰かが補充されて同じことをやり続ける。

そういったカラクリを知っていて、あえて利用しようとの思惑も秘めて確信犯的に彼(ら)を擁護するのもいれば、、、
事情がのみこめないまま部分的に同調してしまっている人もいる。。様々です。

詳しいいきさつは知りませんが、京都の某所に、手下の者を使って学会関連の様々な情報をかき集め、だけどもそれを執行部を恫喝しつつ取引材料にする、ゆすり・たかりのネタにしかしないような、性根の腐った老人とその郎党がたむろしている模様です。
諸悪の元凶はそいつらですね。。

去年、ある方が信平事件の週刊誌報道をここに貼付けていくのにその一群が狼狽して執拗に攻撃を加える様子を見て合点がいきました。
事情通気取りで情報を独占し、閲覧者が自主的判断で精査するのを妨げる。信平関連も彼らにとっては、ゆすり・たかりの大事なネタですからあのような形で拡散されてしまったら“価値”が下がるのです。

いずれにせよ一人を装って「会おう会おう」などと美人局(つつもたせ)みたいなことをやってる集団とは一切関わらないのが無難です。つるんでいる者たちの胡散臭さも賢明な閲覧者はみな見抜いておりますので。。


 

日本以外の国が知らない事

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年 7月31日(月)12時53分40秒
  北朝鮮のミサイル発射を受けて、日米首脳電話会談。

北朝鮮に対し、より圧力を強めると言っているが、軍事的圧力を強めるという意味ならやめておけ。
余計な事をせずに、退陣してくれた方が余程ありがたい。

今回の発射成功で、アメリカの西海岸地域が、射程内に収まったようだ。
アメリカにとって、大きな脅威であることは間違い無いが、一方日本にとっては、これまでの情況と、それほど変わった訳ではないだろう。日本全域が北朝鮮ミサイルの射程内に収まったのは、もうずっと前からの事だ。

パキスタンのムシャラフ大統領が、2002年、インドに対し、本気で核兵器の使用を検討していた事を明かした。
結局インドの報復を恐れ断念したが、追い込まれると暴発しそうになるのは、どの国も同じこと。

しかし、常にそういうブレーキが、正常に働くとは限らない。
崩壊寸前の安倍政権、トランプ政権などは、最も危険。
自らの延命の為に、国民を道連れにした、冒険主義に打って出る気かも知れない。

日本以外の国は、核兵器の本当の恐ろしさを知らない。多分考えが甘い。

現在絶版になっている「戦争を知らない世代へ」という膨大な戦争体験の記録。
広島、長崎の被爆体験も、克明に記されていた。

日本国内、諸外国に啓蒙すべきこれらの体験談を、事もあろうに絶版にするとは、底無しの阿保だ。
経営がおかしくなるのも、当たり前だ。
第三文明社の事だ。
 

私の回りには執行部により処分された人がいる(# ゜Д゜)

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2017年 7月31日(月)10時48分41秒
  栃木の久保田です。m(._.)mヽ(^○^)ノ

宿板の皆さまm(._.)mおはようございます。m(._.)m

私の回りには極悪執行部の指示により、地方の幹部と執行部が共謀して不当にも処分を受けた人達が何人もおります。

この創価学会執行部から不当に処分を受けた人達こそ日蓮大聖人様の立正安国の思想を現代に実現しようとそして池田先生が大切にされてきた創価学会を守るためにその理想に燃えて宗教次元の極悪どもと勇敢に戦い続けて来た人達であります。


この人達は一般の会員さん。もっと言えば学会組織の中でも中々ひかりの当たらない未活動の人達や病気がちだったり体が思うように動かなくなって来てしまったお年寄りや未活動の親をもつ未来部の子供達などが、学会を敵害視している極悪宗教者の誘惑や勧誘から守り、その組織の長よりも速く被害者を励まし勇気付けて来た人達です。

その人たちは正義感が強く人格は重厚で尊敬できる人

であり、常に朗らかで弱い立場の人に最もやさしく相手に合わせて細やかに気を配れる言わば池田先生の分身としての自覚の有る人達だと感じてきました。

この人達は一般の学会員、特に活動家の会員さんからは余り知られていなくとも、学会を敵害視している極悪宗教者達からは恐れられ会いたくない学会の幹部と思われており、嫌われています。何故なら善人の集まりである創価学会を守ろうとそして池田先生をおとしめようとデマを垂れ流す輩を妥協なく攻めて来たからです。

初代牧口先生は『悪人の敵と成りうる勇者でなければ善人の友とはなり得ない』と言われ、この言葉と思想を通し池田先生が『悪を見て見ぬふりをしてはいけない』

『見て見ぬふりをすれば結果は同じであるからだ』

と教えてくださいました。

また私事で恐縮ですが、私が極悪宗教者共と戦っていたときに栃木県の幹部達から嫌がらせやらいじめを受けていたときに地元の会合に池田先生からのメッセージが届けられその中に

『極悪と戦う者は極善である。極善の人をいじめる者は極悪人である』と送って下さり、師匠の真心に涙した経験が有ります。

少なく見積もっても学会を極悪から守ってきた人達を処分している現執行部は極悪人であると私は断じます。

極悪執行部(# ゜Д゜)これ以上善人達を処分することを直ちに止め処分してきた人達をもとに戻し、土下座して誠心誠意詫びよ(*`Д´)ノ!!!

お前達がそんなに気になるのであれば見に来いよ
ヽ(^○^)ノ

歓迎するよヽ(^○^)ノ

その代わりボコボコに破折されるかもしれないけど

見に来なよヽ(^○^)ノ勇気を(  ^∀^)出してo(^o^)o

直接会って話をすればわかりあえる筈だからo(^o^)o

一度はボコボコに破折されるだろうけどヽ(^○^)ノ

さぁ~勇気を出してo(^o^)o




 

元京都西京区乃虎ー笑ー謎の弟子Xー元愛読者のやり取りを読んでの感想

 投稿者:よくわからん  投稿日:2017年 7月31日(月)10時22分9秒
  オフ会?とか言う話が出てきて、数日間どうでもよい投稿が続き、括りは元愛読者。この四名様はみんな同一人物では?または多重ハンドルネームですか?  

祈りを重ねましょう

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2017年 7月31日(月)09時22分37秒
編集済
 

心をつなぎ合わせること
それは対話ですね
一切衆生の幸せ
世界の平和
宗教の名前はちがっていても
みんなの祈りは同じ
ポピ族の人たちの祈りに
祈りを重ねましょう


http://imagine-happy-life.tokyo/

 

二十一世紀への対話 119

 投稿者:まなこ  投稿日:2017年 7月31日(月)08時39分24秒
  7 民族再建と共産主義

【池田】 過去に偉大な文明を築き、人類の歴史に光彩を放ちながら、近世に入ってヨーロッパ諸国の植民地と化した国が、アジアにはいくつもあります。たとえば、中国やインドや西アジアの国々がそのような体験を経ているわけですが、これらの国の民族は、独立と主権を回復した今日でも、再建にあたっては苦悩の多い道を歩んでいます。
こうした過去の文明国のうち、現在、欧米先進国のレベルに急速に近づいているのは、中国だけのようです。インドや西アジアの国々の場合は、先進諸国自体がかなりの速度で進んでいるため、むしろ相対的にはギャップが拡大しているとさえいえるでしょう。この停滞の原因としては、政治的な不安定や、社会資本の蓄積が貧弱なことなど、種々の要素が考えられます。ところが中国は、共産党による支配体制を樹立して、政治的安定を得ました。それに、社会主義体制によって計画経済を実行し、社会資本の蓄積を強力に進めています。中国は、ここに自らの再建の軌道を完全に敷いたように思われます。
そこで、インドや西アジアも、中国にならって共産化する以外に、再建の道はないのか――という問題を考えたいと思います。
中国の場合は、もちろん、たんに共産化しただけでなく、そこには毛沢東という偉大な指導者がいました。この指導者の有無ということも、重要な条件として考えなければなりません。毛沢東は、マルクス・レーニン主義を中国の歴史的、精神的風土のなかで消化し、新しい民族国家を形成する原理を打ち出した優れた指導者であり、私は彼あるがゆえに中国革命は成功していると思っています。

【トインビー】 私は、共産主義は一つの宗教であり、とりわけユダヤ系諸宗教の新たな旗頭であるという分析をしています。共産主義には、その無神論的な語彙による変装の下に、ちゃんとユダヤ的神話が保たれています。ユダヤ系の全宗教を共通に特徴づけるものは、一つには、強固な組織と厳格な規律です。この面に、これら諸宗教の排他性、不寛容性が濃厚にあらわれています。
危機にさいしては、人々は規律を必要とし、それを甘受するものです。しかもあらゆる非西欧文明社会は、西欧文明がそれらに衝撃を与え始めてよりこのかた、ずっと危機にさらされてきたのです。この挑戦により、これら諸文明社会は、近代西欧が他の世界より一時的に優勢であった分野で――なかんずく技術の分野において――西欧に追いつくべく、強行軍を試みざるをえなくなりました。強行軍は、軍隊式の規律を要請します。そして共産主義は、まさにこの種の規律を与えてくれるものなのです。したがって、他文明の吸収同化という離れわざを試み、成し遂げなければならない社会にとっては、共産主義は有用な宗教となるわけです。まして、社会の自己変革が十分速やかに、かつ徹底的になされないと、その社会は全面的崩壊の危機に瀕してしまうという場合、とくにそのことがいえます。

【池田】 共産主義は、主として現世における社会的問題と取り組み、人間の生き方を規制する宗教であり、この点、これまでの宗教と異なっています。これまでの宗教が立脚していたのは、この現実を超えた観念についての信仰であり、この人生を超えた永遠なるものをめざしていました。共産主義は、死の彼方の問題については、ほとんどなにもいっていません。
そこで思うことは、再び中国の場合です。中国が比較的容易に共産主義を受け入れることができたのは、中国人には伝統的に合理主義的な思想があったからではないでしょうか。道教は神秘主義の色彩を相当にもっていますが、儒教はまったく合理主義的な政治哲学であり、人生哲学ともいうべきものです。そういう意味での非宗教的な精神性、合理主義的な思考の伝統が、マルクス・レーニン主義を受け入れるのを助けたのではないでしょうか。
この中国の場合と対照的なのが、西アジアのイスラム教世界だと思います。そこでは、アラーの神は、超絶的存在であると同時に、その立場から現実の社会と人生を強く規制しています。もちろん、イスラム教徒が絶対に共産主義を受け入れないとは断定できませんが、その精神的土壌から判断しますと、中国人に比べて受け入れがたいのではないかと思います。

【トインビー】 共産主義は、ある面では、科学的合理主義という近代西欧宗教のいかがわしい一変形であり、中国のように、その国在来の支配的伝統が――儒教のように――合理主義的、権威主義的であるような国では、比較的受け入れられやすいのです。
これまでのところ、イスラム教徒が共産主義に対して拒絶的であることは、はっきりしています。これはたしかに驚くべきことです。なぜなら、イスラム教は、ユダヤ系の宗教としては、キリスト教よりも合理的な宗教であり、また少なくともキリスト教と同じくらい権威主義的であるからです。ちなみに“イスラム”という言葉は“自己放棄”(帰依すること)を意味しています。
トルコ人は、中国人と同じように、かつて帝国を築いた誇り高い民族です。また彼らは、西欧文明を同化するにあたっての緩慢さを、かつて中国人に加えられたと同じような屈辱を嘗めることによって、贖ってきました。しかし、トルコ人は中国人と違って、最終的には、共産主義に頼ることなく自らの強行軍を行なったのです。アラブ民族は、トルコ人よりもはるかにひどい屈辱を味わってきました。しかし、彼らもまた共産主義に対しては、拒絶反応を示しています。彼らは、イスラエルとアメリカに対抗すべくソビエトから援助を受けている関係上、外面的には共産主義と妥協してきましたが、しかし内実は反発してきたのです。このようにイスラム圏が共産主義を受け入れようとしないことは、私には不可解でなりません。

【池田】 その点については、私は、こういうふうに考えることができると思うのです。つまり、イスラム教徒にとっては、服従すべき対象、すなわち権威が、アラーの神として、厳然と定まっています。しかも、この神は、たんに死の彼方の世界だけでなく、現実のこの社会と人生においても、強い規制力をもって君臨しております。したがって、別の服従の対象がそこに入り込む余地がないわけで、これがイスラム教徒の共産主義化を困難にしている理由ではないかと、私は推測するのですが、いかがでしょうか。
 

獅子

 投稿者:ジョーカー  投稿日:2017年 7月31日(月)08時33分14秒
  あきらか様

悪と戦わない理由(言い訳)ならいくらでもつくれます。しかし、自分自身を欺くことは出来ない。自身の奥底の一念が獅子なのか、それともネズミなのか。御書に、「師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし」(P957)とあるように、悪と勇敢に戦う一念こそが仏なのです。

悪と戦う獅子の一念へと変革することが、題目を唱える肝心要の意義です。題目を唱えれば、師子王である日蓮大聖人の一念に感応し、仏が湧現する。獅子となると決めて祈ったときに、御本尊と境智冥合する。54年の総括と云っても、自身の人間革命が出発点であり、因果?時であるが故に、そこが終着点でもあります。

獅子として生きるか、ネズミとして生きるか。環境がどうあれ、決定権は自分にあります。結局信心とは、自分と御本尊の一点であり、誰人もその間に介入することはできない。そして、創価三代の一念も獅子であることは言うまでもありません。まさに師弟不二とは、自分自身が、勇敢に悪と戦う獅子の一念へと人間革命を遂げること。そこにこそ創価三代に連なる道があります。
 

「まことの道心者とは」 名代講師

 投稿者:陰ながら  投稿日:2017年 7月31日(月)07時25分8秒
編集済
   「大白」2016年11月号掲載「池田SGI会長講義」にこうあります:

<法華経の法門をきくにつけて・なをなを信心をはげむを・まことの道心者とは申すなり、――― 法華経はあいのごとし修行のふかきは・いよいよあをきがごとし> (「上野殿後家尼御返事」 1505)

(名代講義)

 「――― 自身の生命に、大聖人の勇気と正義のお振る舞い、弟子を思う大慈悲、何より妙法流布への大情熱を焼き付けるのです。「法華経にそめられ奉れば必ず仏になる」(1474)と仰せの通りです。――― 学べば学ぶほど、「学」が深まり、「信」も「行」も深まるのです。永遠に前進し、向上してゆく健気な信心の人こそ、本当の求道者として、自由自在の境涯に生ききってゆける。」

 この「板」の論師の方々、「信」、「行」を深める機会を与えてくださり、感謝します。
 

やはり対話ですよね。

 投稿者:菩薩  投稿日:2017年 7月31日(月)07時24分56秒
  おはようございます。
やはり対話ですよね。
人間は対話から始まります。
そして顔を付き合わせて対話する。
拒否した時点で終わります。
対話のない強行採決と変わりませんね。
 

ひらがなプロジェクトへ立正観抄ひらがなを投稿しました。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 7月31日(月)02時48分58秒
   ひらがなプロジェクトへ立正観抄ひらがなを投稿しました。

21世紀への選択   求められる「対話」の精神 p40投稿します。

私が今、池田先生の講義録と対話集を、取り上げるかと言えば、世界広布は3代会長の、平和思想を
流布すべきだと思うからです。

天台大師、伝教大師は、法華経を開いて一念三千・摩訶止観を中国と日本に広めました。

日蓮大聖人は一念三千・摩訶止観を開いて、御義口伝に、いま日蓮大聖人およびその門下の意で如来
を論ずるならば、総じては、一切衆生はことごとく如来である。
すべての衆生に仏界は存在する・・・と教えられました。

日蓮大聖人の、『すべての衆生に仏界は存在する』を開かれて、池田先生は「事実の上に人々を成仏
せしめていく力強い教えでなければ、何のための仏法であろうか」と解釈されています。

せかいに流布すべき思想哲学は、世界中の民衆と「対話」して、納得し理解して行動に移してもらえ
ること。

その思想は、教えがあり、理論的に納得がいき、現在の人生が幸せになり、人間革命出来て、生活が
豊かになる等々・・・、先生はそうでなければ「何のための仏法であろうか」と説かれています。

池田先生の各国識者との対談、大学での講演、その内容は、創価三代の平和思想の啓蒙であったと
理解すべきかと思います。


21世紀への選択 ポイント
* テヘラニアン・・・
いまや私たちの時代は、この「生命」や「平和」と同程度に、「対話」が必要と

される歴史の段階に入ったのです。

実のところ「対話」こそが、「生命」と「平和」を保障しうる唯一の手段かもしれないのです。

* 池田・・・・
思うに、人間の人間たる証は、つまるところ対話の精神に表れるのではないでしょうか。

博士の故国イランの大詩人・サアディーは、こう訴えています。

「人間は語ることによって、獣にまさる。よいことを語らなければ、獣が汝にまさる!」
と。

* 池田・・・
 そんな乱れた社会にあって、釈尊は、人々の幸福のために、生涯、国々を遍歴し、平和への

行動を貫きました。

 その武器が"非暴力の対話"でした。釈尊は対話によって、「生命の尊厳」を説き、暴力の排除

へと社会をリードしていったのです。

以上 鈴之助

・・・・・・・・・・・・・・


御義口伝講義巻下 寿量品廿七箇の大事

 だが、いまなお法華経迹門の段階では、不完全であった。
それは、わが生命の理論的、哲学的考察の域を出なかったからである。
いかにわが身が妙法の当体であり、わが生命に仏界が内包されていることを、理論的に納得してみ
ても、現実に、わが身の上に、仏界が顕現され、妙法に輝く生命の当体として、人生を生ききるの
でなければ、意味をなさない。
不幸にあえぐ民衆を、その本質は妙法の当体なりといかに力説しても、事実、宿命転換させ、幸福
への大道を歩まされるのではなくて、何の意味があろうか。
 およそ、仏法は、一切衆生を現実に幸福にせしめていくために説かれたものである。
たんなる理論の展開でもなければ、学問のためでもない。
したがって、事実の上に人々を成仏せしめていく力強い教えでなければ、何のための仏法であろう
か。
ここに迹門を理上の教相とも、理の一念三千というのである。


御義口伝講義巻下 寿量品廿七箇の大事
いま日蓮大聖人およびその門下の意で如来を論ずるならば、総じては、一切衆生はことごとく如来
である。
だがこれはあくまで理の上で論じたものであり、別して、事の上で論ずるならば、日蓮大聖人およ
びその、弟子檀那のことである。
 されば、無作の三身とは、末法の法華経の行者、すなわち末法に全民衆救済のために出現された
御本仏日蓮大聖人の御事である。
 この無作の三身、即日蓮大聖人の宝号を、南無妙法蓮華経というのである。
これ人法一箇の本尊であり、寿量品の事の三大事、すなわち内証の寿量品に顕わされた事の一念三千
の当体たる本門の本尊・本門の題目・本門の戒壇の三大秘法とはこのことなのである。
 南無妙法蓮華経如来寿量品第十六の立ち場から如来を六即に配立するならば、この品の如来は、
決して色相荘厳の仏をいうのではなく、理即の凡夫をいうのである。
われわれ凡夫の身を離れて如来はないのである。


この御義口伝講義巻下 寿量品廿七箇の大事の講義は、昭和40年代前半の教学で使用されていた
ものです。

この講義を助教授昇格試験で勉強しました。
残念ですが、ポイントが分からず落ちました、聖教新聞で勉強しても、御書は身につかないと
部隊長の指導でした。
 鈴之助・・・( ;∀;)
 

21世紀への選択   求められる「対話」の精神 p40

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 7月31日(月)02時32分7秒
  21世紀への選択   求められる「対話」の精神 p40

池田
さて、テヘラニアン博士は、私たちの対談を始めるにあたって、これを「対話への選択」と意義付けたいと提案されましたね

テヘラニアン
 はい、会長と二人の卓越した学者、アーノルド・トインビー博士との対談集『生への選択』

(英語版タイトル、日本語版は『二十一世紀への対話』)、ヨハン・ガルトゥング博士との

対談集『平和への選択』は、興味深く読ませていただきました。

二つの対談集ではそれぞれ、平和的な手段によって平和を探求し、生命の尊厳をいかに

保つかというテーマに、主として焦点が向けられていました。

いずれも、人類そのものとともに始まった古くからの問題であり、同時に今日において

もきわめて重要な問題であることに変わりありません。

しかし、いまや私たちの時代は、この「生命」や「平和」と同程度に、「対話」が必要と

される歴史の段階に入ったのです。

実のところ「対話」こそが、「生命」と「平和」を保障しうる唯一の手段かもしれないのです。

池田
 そうした思いを共有して、私は、この対談の日本語版のタイトルを「二十一世紀

への選択」と発案させていただきました。

思うに、人間の人間たる証は、つまるところ対話の精神に表れるのではないでしょうか。

博士の故国イランの大詩人・サアディーは、こう訴えています。

「人間は語ることによって、獣にまさる。よいことを語らなければ、獣が汝にまさる!」
と。

テヘラニアン
 同じく「ペルシャの三大詩人」の一人であるルーミーも、同様のことを繰り返し訴えていました。

そのルーミーは、異なる地域で誕生した文化的遺産・・・仏教とイスラムの教えを結びつ

けながら、二つの文明の橋渡しをしたのではないか、と私は考えています。

池田
 サアディーにしても、ルーミーしても、言葉を生命とする詩人であるからこそ、「対話」の重要

性を肌身で感じ取っていたのでしょうか。

ともあれ、異なる文化、文明間の橋渡しという作業が、二十一世紀における大きな課題

となってくることは間違いありませんん。

テヘラニアン
 ええ、今日では市場と社会のグローバリゼーション文化間文明間の接触が親密になり、

大規模になってきました。

しかしその半面で、経済と政治の組織や体制は協力的であるとともに競争的になり、交流や

協議の機会はあるものの、認識や利害が対立する状況を招いています。

こうした「接触」に、当然ともなうべき対話が欠けているかぎり、残念ながら、事態

は暴力と圧制の下にあるのと同じく、「憎しみの種子」がこれからも蒔かれ続けていくでしょう。

それこそ何年も、何十年も……。


池田
 そのような時代状況を踏まえて、「文明の衝突」論(ハーバード大学のサミュエル・

ハンティントン教授)などが一部で唱えられていますね。

しかし、衝突が不可避であると考えることは、正しくありません。

そればかりか、対立の構図を安易に固定化させてしまう危険がある、と私は考えます。

仮に衝突が起こったとしても、真の原因は文明そのものにあるのではなく、そこに巣く

う野蛮性にあるのではないでしょうか。

文明同士ではなく、異なる集団を認めようとしない野蛮性が衝突するのです。

こうした事態を防ぐためにも、あくまで人間にそなわる善性を信じ、そこに呼びかけ働きかけて

いく「対話」の精神が何よりも求められるのです。

テヘラニアン
 おっしゃるとおりです。

友か敵かの関係に対応する手段として、「対話」が選択されるならぼ、互いに相手をよりよく

理解できる可能性、そして、それによる認識と利害の相互的な受容という可能性が、希望として

開かれてくるはずです。

池田
「対話」こそ平和への武器です。これは、仏教の根本精神でもあります。

釈尊が生きた当時のインド社会は、ある意味で現代とよく似た、社会の変革期で価値

観が混乱していた時代であり、いろいろな勢力が相対する暴力的な時代でした。

家の中ですら、武器を手放せなかったともいわれています。

そんな乱れた社会にあって、釈尊は、人々の幸福のために、生涯、国々を遍歴し、平和への

行動を貫きました。

その武器が"非暴力の対話"でした。釈尊は対話によって、「生命の尊厳」を説き、暴力の排除へ

と社会をリードしていったのです。
 

広告

 投稿者:名無し  投稿日:2017年 7月31日(月)02時05分26秒
  創価学会の宣伝広告って必要なんですかね?
いつの頃から始まったんでしょう?

戸田先生は宗教の宣伝広告を否定されてましたよね?

ちなみに3回目か4回目の投稿です。
そろそろ名前を決めようと思います。
 

大勝利さん

 投稿者:元愛読者  投稿日:2017年 7月31日(月)00時43分50秒
  大変にありがとうございます。
ただ、私が削除されて根に持っている投稿は、そんな内容ではなかったんです。
不思議ちゃんです。
 

現愛読者は…

 投稿者:元愛読者  投稿日:2017年 7月31日(月)00時39分18秒
  かぶってますな。
その後、「流し読み」に改名されていますが。

管理人さん、ついでが可能でしたら、この人も多重じゃないかお調べ頂けないでしょうか?
どうでもいいですが。
 

元愛読者?お前、バカか?

 投稿者:現愛読者  投稿日:2017年 7月31日(月)00時34分27秒
  だから、出てくるんじゃないよ!道楽モンが!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓
 

まとめ、ありがとうございます。

 投稿者:元愛読者  投稿日:2017年 7月31日(月)00時30分53秒
  いちいち反応してしまう、今日の心境です。

なぜまともな意見を書かないのか、なぜ短冊投稿にしているのか。
それは、真面目に書いても削除されたからです。
スマホなので、さすがにもう一回は打たないですね。
私の端末は、コピベがうまくいかないのです。
どうか、ご容赦ください。

こう見えても、当初はもうちょっと意見していたんですよ。
 

そうでしたか

 投稿者:元愛読者  投稿日:2017年 7月31日(月)00時22分48秒
  詠み人さん、それは失礼いたしました。
しかし初めてであの書きっぷりって、なかなかですね。

管理人さま、もしお手数でなければ、多重じゃないかお調べ頂けないでしょうか?
もし多重じゃなかったら、私の投稿は削除してください。
お手間なら結構ですので、よろしくお願い申し上げます。
 

元愛読者さんの「ステキな計らい」が自爆して面白すぎるまとめ w w w

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2017年 7月31日(月)00時21分58秒
  ジャーンw  登場しました  w w w
あの人の心根がよ~くわかるまとめだよ~ん w w


『ステキな計らい』とか言っておきながら自分がやられると怒るという○カ

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

管理人さま ?投稿者:元愛読者

?投稿日:2017年 7月 4日(火)23時28分13秒   通報

還暦氏の再掲、ありがとうございます。

この再掲にどう反応するか、皆様の信心が試されますね。とてもステキな計らいです。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

どこが真面目で誠実か? ?投稿者:元愛読者
?投稿日:2017年 7月 8日(土)02時03分57秒   通報

人が春氏へ宛てた投稿を勝手に削除しておいて、見せ物のように再掲し、挙げ句の果てにふざけたチャチャをいれる。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

元愛読者へ ?投稿者:管理人
?投稿日:2017年 7月 8日(土)00時56分35秒   通報

貴殿の投稿を再掲します。

掲示板71854 2017/07/07 23:57:11 元愛読者
春さん江

真面目で誠実な会員の方々は、
残念ながら、役職解任、除名にはなりません。
なぜならば、その前に反省し、改心するからです。
おやすみなさい。

以下、管理人より。
これは、裏を返せば、役職解任、除名者は真面目で誠実でないと言うことでしょうか?
ならば、信念を貫き、宗門に妥協しなかった牧口先生、戸田先生の法難は改心すれば良かったのでしょうか?
池田先生は宗門と執行部の時流に逆らったから会長をやめさせられたのが史実である。時流に逆らわずにながいものに巻かれた方が良かったのでしょうか?

この投稿をどのように判断されるかは皆様にお任せします。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

掲示板って自分の意見を皆に公開してるわけで… ?投稿者:名無し
?投稿日:2017年 7月 8日(土)02時12分45秒   通報 編集済

投稿は2度目になります。あまりに酷い言い草に呆れます。

まともな事を書けないくせに人のせいにするのはちょっと違う。書けないならば書かなければよいだけでしょう?
書いたら反論される事位お分かりのはずでは?反論されて答えに窮してか、見苦しい限りです。人間性が垣間見えます。
色々勉強になりますねー。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

処分された方に失礼です。管理人様を支持します。 ?投稿者:オッキー
?投稿日:2017年 7月 8日(土)02時29分2秒   通報

いつも掲示板を読ませてもらっています。
元愛読者様は処分された方に対して余りにも失礼な言い草です。

元愛読者様はご自分の書いた内容がおわかりにならないみたいですね。池田先生の指導を守っているのはどちらの側なのか?
この程度のことも分からないから組織がおかしくなるんですね。よく納得出来ました。ありがとうございました。

管理人様には失礼ですが以下に再掲するからよくお読みください。(省略)

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

管理人様 ありがとうございます ?投稿者:mission
?投稿日:2017年 7月 8日(土)03時01分59秒 編集済
私が宿坊を開いた時は既に削除されており、後に続く《くぼたてつ様》の投稿で「直ぐに反応する者」に気付いたのですが《管理人様》の再掲で理解できました。

短い文章の中に人柄が伝わる《春様》の投稿は、一日の終わりに『心』が洗われる思いを感じている一人です。
宿坊の皆様も同じだと思いますが、そんな《春様》の言葉の何処に引っ掛かるというのか?

「なぜならば、その前に反省し改心するから」
同じ短い文章であっても↑これは反対に腹駄失効部の醜態を晒す言葉そのもの。
本性は『三代の会長』を見下しているのに、会員達には二枚舌で使い分ける愚か者の言葉。

「反省し改心する」いったい誰に向かって言う台詞なのか!
同じ信仰をしている集まりの中で、反省や改心を強いる教団。
それに平伏さなければ処分を下す…まるで「法師の皮を着たる畜生」の姿です。

【受けがたき人身を得て適(たまた)ま出家せる者も・仏法を学し謗法の者を責めずして徒らに遊戯(ゆげ)雑談(ぞうだん)のみして明し暮さん者は法師の皮を著(き)たる畜生なり、法師の名を借りて世を渡り身を養うといへども法師となる義は一(ひとつ)もなし・法師と云う名字をぬすめる盗人なり】(松野殿御返事1386P)

池田先生は以前のスピーチのなかで(1991.10.1)イギリスの哲学者ベーコンの言葉を紹介して下さっています。↓
【『空威張りする人間は、愚か者に感嘆され、賢者に軽蔑され、寄生的人間に奉られ、彼ら自身の高慢心の奴隷となる』と見抜いた。
威張る人 怒鳴る人を奉るのは、その人に寄生する人間だけである─と。
いずれにせよ、そういう人々は、一流の世界では決して相手にされない。ゆえに『法』を弘められるはずもない】

広宣流布もせず*会員も守らず*威張り従わせている…そんな「高慢心の奴隷」達が仕切っているのが、腹駄率いる失効部であり今の創価公明なのです。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

合っていますか? ?投稿者:末端信者
?投稿日:2017年 7月 8日(土)08時06分26秒
元愛読者の投稿ですが、
こういう人は、今の学会には多いと思います。

これから、こういう人達を、
時間を掛けて、焦らず、ゆっくりと、
また、時と場所を選んで折伏することになるのでしょう。

考え方によれば、良い予備練習になるのでしょうか?

皆様の破折も、良い勉強になります。
信心には、無駄がないと言う事でしょうか?


↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

(無題) ?投稿者:生涯&広布一筋兄弟


?投稿日:2017年 7月 8日(土)08時58分42秒
心から組織や権威に隷属・従属されてしまう方は・・

真面目で誠実のように思えるかもしれないけれど・・実は結局、権威に屈してしまっているだけの話。

学会幹部の不祥事・公明党議員の行動、また、最も大事な教学問題において口を閉じてしまう

それは、つまり勇気がないんですよ。簡単至極だと思います。

勇気ある人はきちんと正論をいい、

または、戦略的に実は屈したように見せかけ、ますますステルスで戦う。

地獄より現世の権威が怖い、権威に屈してしまう人は永遠の生命を信じられない人

大聖人の仏法を心から信じていない人と言えるのではないでしょうか

また、権威を持って威丈高に来る人は、実は一人では何もできないんです。

一人では何もできないから権威を利用、偉そうにいつも周りを連れて歩く

心で思っていても、自分の口で言えないので連れに言わせる

日本の古来からの悪しき風習です。

昔から心ある、勇気と慈悲がある幹部ならば一対一の対話をします。

少なくない録音された査問の様子を聞くと、

必ず数と権威をもって、査問をしている様子がはっきりとわかります

大事なのは勇気と慈悲ですね・・弟子であるならば。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

皆様にお任せってとっても素敵な判断ですね w w w ?投稿者:八尋みのる
?投稿日:2017年 7月 8日(土)01時03分39秒 編集済
管理人さま
元愛読者さんの再掲、ありがとうございまーす w w

この再掲にどう反応するか w
元愛読者さんの信心と師弟が試されますね~ w w w w
とてもステキな計らいです w w w w w

>以下、管理人より。
これは、裏を返せば、役職解任、除名者は真面目で誠実でないと言うことでしょうか?
ならば、信念を貫き、宗門に妥協しなかった牧口先生、戸田先生の法難は改心すれば良かったのでしょうか?
池田先生は宗門と執行部の時流に逆らったから会長をやめさせられたのが史実である。時流に逆らわずにながいものに巻かれた方が良かったのでしょうか?

この投稿をどのように判断されるかは皆様にお任せします。<
 

?出た元愛読者

 投稿者:詠み人  投稿日:2017年 7月31日(月)00時07分39秒
編集済
  いつもみてるだけの人です。
今回初めて書いたけど?人違いっしょ。
なんなら管理人さんに聞いてみてよ。

こんな時にいつもいつも
都合よくよく出て来るあなた、
普段は他のハンドルかな?
失礼しました w

これ以上は荒れるから失礼しますね。
 

素朴な疑問

 投稿者:元愛読者  投稿日:2017年 7月30日(日)23時55分21秒
  宿坊批判を批判する人って、なんで新しいハンドルネームで書き込むのでしょうか?
もともとのハンドルネームだと、何か都合が悪いのでしょうかね、詠み人さん。
 

原発毒まんじゅうの参考資料

 投稿者:通ります(コテハンの)  投稿日:2017年 7月30日(日)23時40分16秒
  創価学会・公明党系『潮』、原発広告“毒まんじゅう”喰らい続けて21年の真っ黒な歴史 電事連・東電から計605ページ

http://www.mynewsjapan.com/reports/1884
 

twitterより。お知らせです。深い意味はありませんがtwitterには沢山います。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 7月30日(日)23時26分19秒
  めんどくさいなあ、ネトウヨ学会員は。  

twitterより。核兵器禁止条約の聖教記事について。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 7月30日(日)23時19分7秒
  聖教新聞 2017/07/07

「核兵器禁止条約交渉会議に、自分たちも参加したよ!」って内容。(紙面では結構小さかったような…)

なんか、アリバイ作りとも受け取れる…。

気づいたこと。
学会員って、褒められたり、持ち上げられることが、大好きですね。


権威主義だから、いつも自分たちを大きく見せることに必死ですね。今回の条約は実効性が乏しいから参加しないというのが日本政府の立場。本気で核廃絶を目指しているなら、実効性のあるロードマップを公明党につくらせろ。
 

ここぞとばかりにばか出現!

 投稿者:詠み人  投稿日:2017年 7月30日(日)23時08分1秒
編集済
  個人的なつぶやきでした。
しかし、ひどいね。管理人さんからの警告無視だもん。
一方的ではないっしょ。プロパカンダかよ。
 

個人的につぶやきますが何回警告されてんの?

 投稿者:詠み人  投稿日:2017年 7月30日(日)22時54分16秒
編集済
  ○○区の虎って人
散々管理人さんから警告受けてる。
何回目だっけ?
もう、いい加減にしろってだけっしょ。
みてる側は呆れてるよ。”苦”

 

同盟題目23時に開始します。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 7月30日(日)22時48分17秒
  任意参加です。よろしくお願いします。
池田先生と奥様のご健康を祈ります。
また、災害に遭われた方々、地域にお題目を送ります。

追伸
寝たきりオジサン 様、早速のご紹介ありがとうございます。
他にもあれば、また、よろしくお願いします。

>>
早速ですが未来部に紹介したい本がありまっす。
「女子中学生の小さな大発見」著者「清邦彦」
という本です。<<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/72600

 

管理人さんへ

 投稿者:末端信者  投稿日:2017年 7月30日(日)22時03分54秒
  アラシ、攪乱工作は、ぜひ排除してください。  

北朝鮮撲滅の南無妙法蓮華経如来

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 7月30日(日)22時00分22秒
  池田大作先生の宸襟を煩わせる、国際社会の日顕宗こと北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国。弾道ミサイルに水爆弾頭を装填して発射すれば東京のみならず首都圏は焼け野原に。南無公明党佛。南無公明党佛。南無公明党佛。佛・菩薩・諸天の御計らいで北朝鮮撲滅戦争の先制攻撃を即時開戦せよ!南無公明党佛。南無公明党佛。南無公明党佛。  

お詫び・訂正その三十六

 投稿者:The logic in the place  投稿日:2017年 7月30日(日)21時44分32秒
  レ・ゼラブル017 ?
投稿者:The logic in the place
?投稿日:2015年 4月16日(木)16時17分15秒

六 司教の家の守護者

 司教が住んでいた家は、前に言ったとおり、一階と二階とから成っていた。一階に三室、二階に三室、その上に一つの屋根裏の部屋があり、家のうしろに約二反足らずの庭があった。二人の女は二階を占領し、司教は階下に住んでいた。道路に面した第一の室は食堂となり、第二の室は寝室となり、第三の室は祈祷所となっていた。この祈祷所から出かけるには食堂を通らなければならないし、寝室から出掛けるには食堂を通らなければならなかった。祈禱所の奥の方に、人を泊める場合の寝床が置いてあるしめきった寝所が一つあった。司教はこの寝床を、教区の事件や用事でディーニュに来る田舎の司祭たちの用に供した。家に付属して庭のうちに建てられている小さな建物は、もと病院の薬局であったが、料理場兼物置にされている。
そのほかなお庭には、もと施療院の料理場となっていた家畜小屋があったが、司教はそこに二頭の牝牛を飼っていた。それから取れる牛乳の量はどんなに少ない時でも、毎朝必ずその半分を施療院の病人たちに送った。「私は自分の十分の一税を払うのである。」と彼は言っていた。彼の部屋はかなり広くて、天気の悪い時など暖めるのにかなり困難であった。ディーニュでは薪がきわめて高かったので、彼は牛小屋のうちに一つの部屋を板で仕切らせることを思いついた。大寒の宵などを彼がすごしたのはそこであった。彼はそれを冬の座敷と呼んでいた。(中略)
施療院になる前、この建物は市民の集会所であった。それでそういう装飾がなされたものであろう。各室は皆赤い煉瓦で敷かれていて、それは毎週洗われ、また寝台の前には藁で編んだ蓆が置かれていた。その上この住居は、二人の婦人で保たれているので、いたるところ心地よいほどきれいであった。
それが司教の許した唯一の贅沢だった。彼は言った。「それは貧しい人々から何物をも奪いはしない。」
 しかしながら、司教には昔の所持品のうちから、銀製の食器類が六組みと大きなスプーン匙が一つ残っていたことを言わなければならない。それが粗末な白い卓布の上に光り輝いているのを、毎日マグロアールはながめて喜んでいた。そしてここにはディーニュの司教のありのままを描いているのだから、次の一言もつけ加えておかなくてはならない。すなわち彼は一度ならずこう言った。「銀の器で食事することはなかなかやめ難いものである。」
 この銀の食器に加うるに、彼がある大叔母の遺産から所有している、二つの大きな銀の燭台があった。それには二本のロウソクが立てられてたいてい司教の暖炉の上に置かれていた。夕食に客がある場合には、マグロアールは両方のロウソクに火をともして、その二つの燭台を食卓の上に置いた。
 司教の室のうちには、寝台の枕頭に小さな戸棚が一つあった。マグロアールはその中に毎晩六組みの銀の食器と一本の大きな匙とをしまった。戸棚の鍵はいつもつけっぱなしであったことは言っておかなければならない。(中略)
 家には錠をおろされる戸は一枚もなかった。前にも言ったように、石段もなくすぐに会堂の広場に出られる食堂の戸口は、昔の牢屋の戸口のように錠前と門とがつけられていた。が司教はそれらいっさいの金具を取り除いたので、戸口は昼も夜も鍵がねでしめられるばかりであった。通りがかりの人でも何時たるを問わず、ただそれを押せば開くのだった。初め二人の女はこの締りのない戸口をたいへん心配したが、司教は彼女たちに言った。「もしよければ自分の室に門をつけさせるがいい。」でついに彼女たちも彼と同様に安心し、また少なくとも安心したふうをするようになった。ただマグロアールだけは恐ろしがった。司教の方は、彼が聖書の余白に自ら書きつけた次の三行の句に、その考えが説明され、もしくは少なくとも示されている。「ここにその微妙なる意味あり。医師の戸は決して閉ざさるべからず、牧師の戸は常に開かれてあらざるべからず。」
 医学の哲理と題する他の一冊の書物に、彼はも一つ文句を書いていた。「余もまた彼らのごとく医師に非ざるか。余もまた余が患者を有す。第一に、彼らが病人と称する彼らの患者を余は有し、次に、余が不幸なる者と呼ぶ余の患者を有するなり。」
 他に彼はまた記した。「汝に宿求むる者にその名を尋ねべからず。自ら名乗るに心苦しき者こそ特に避難所を要する人なればなり。」
 ある日のことたまたま、クールーブルーの司祭であったかまたはポンピエリーの司祭であったかちょっとわからないが、あるりっぱな主任司祭が、たぶんマグロアールに説かれてであろう、司教に次のことを尋ねてみた。だれでもはいろうとする人の意のままに昼夜戸を開いておくことは、ある意味において軽率なふるまいとはならないと信ずるのであるか、そしてまた、かくも締りのない家のうちに何か不幸な事が起こりはしないかを恐れないのであるか。すると司教は、おごそかに、しかもやさしく司祭の肩に手を置いて言った。「神が家を守って下さらなければ、人がいかにそれを守っても無益です。」それから彼は顧みて他のことを言った。
 彼はよく好んでこんなことを言った。「竜騎兵の隊長の勇気というものがあるように、牧師の勇気というものがある。」またつけ加えて言った。「ただわれわれ牧師の勇気は静かなものでなければならない。」

・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

統一地方選挙の闘い、皆様ご苦労様でした。全国駆け回って檄を飛ばしまくるのではなく、行動しながら題目を黙々と唱えて、内部回りした勝利だと思います。油断している選挙区は惨敗です。みなさんの同盟題目のみが勝利の源泉、策や数字の集積ではないですよね、大誓堂に棲む人々様!後半戦も油断無く頑張りましょう。

さて、先に進まなくなるので、「六 司教の家の守護者」から再開しますね。
寒冷地(主に北海道)での畜舎兼用住宅って知ってますか?標津町出身の東京選挙区参議院議員の竹谷とし子女史は、過去の言々句々で話していると思います。農耕馬、乳牛とひとつ屋根の下で生活する。二階部分は、干草を上げて、一階居間と畜舎を壁一枚隔てて生活していました。もう現存する建物も数少なくなりましたが、家畜の体温で家全体が温まる方式です。学生時代アルバイトで実際に泊まった体験があります。家畜の息遣いも分かり、確かに暖かい。しかし、匂いも強烈、人馬一体の生活です。冬場に馬の腹を背にして寝たこともあると家主が焼酎呑みながら語ってくれました。慣れると違和感はありません。悪徳に染まった大誓堂の人々のようですね。
 その小説の部分で、ミリエル司教の館が無施錠であり、後にジャン・バルジャンに与える銀の食器と燭台が有る事を示しています。

 私はこの無施錠の館を読んでいて、今の大誓堂やら本部別館やら地方の文化会館、研修道場を思い浮かべました。みなさんは、どう考えますか?最近、アルベア様が投稿されていないので、お聞きしたいのですが、「大誓堂」と「正本堂」の違いはどうでしょうか?
「民衆立の正本堂」は権威・権力の総本山には異質な建物で、坊主にしてみれば腹立たしい代物。法庭には巨大な噴水と、雨の日にも、晴れの日にも、誰でも自由に立ち入れる休憩場所があり、トイレも完備。記念撮影も自由でした。だから権威・権力指向の者は、叩き潰す。『勝手にオレらの縄張りに入るんじゃない!』と言った指向回路です。
「大誓堂」はどうか?まさに冷たい、どちらが表(正面)でどちらが裏(新人間革命の挿絵では裏側を描いてる?)なのか、参拝以外は会員をシャットアウトする冷酷な建物です。この指向は、金城会館(呼び出し査問・断頭台機関)やら本部別館(職員以外お断り)やら○○会館(職員だけの娯楽の間)やら地方の文化会館(セコムで管理)、研修道場(フリー研修以外は閉館)も同様ですね。内弁慶のお方が考えそうなことで、『セコムに任せているから何かあればセコムの責任』とか『牙城会やら会館長制度やら壮年部によるボランティアで充分』などと『人』を当てにして、管理のみを思い描いているから、『信心』の全く無い建物になってしまったのです。休館日は真っ暗で広い駐車場をもっていながら不気味な無人の建物。地域の町内会との交流も全く無く、常に上(方面にあって)にお伺いしなければ何もできない不自由な上意下達運営管理。行事として『唱題会』を設けなければ、全く題目の声の聞こえない根本道場です。
アルベア様も観えていたと思いますが、あの正本堂を現実的に破壊したのは悪徳坊主ですが、精神的に破壊したのは、まさに極悪弟子(五人組?)だったのではないか、だから今の大誓堂を含む会館運営に至っていると。無施錠のミリエル司教の館ではまったく無い。ましてや、―――

「神が家を守って下さらなければ、人がいかにそれを守っても無益です。」それから彼は顧みて他のことを言った。彼はよく好んでこんなことを言った。「竜騎兵の隊長の勇気というものがあるように、牧師の勇気というものがある。」またつけ加えて言った。「ただわれわれ牧師の勇気は静かなものでなければならない。」

―――と言った信仰と勇気の象徴になる会館ではありません。

ーーーーーーーーーーーーーー
書籍の抜粋引用は、以下の会則

????????
第14章 賞罰
(懲 戒)
第78条 この会は、会員としてふさわしくない言動をした会員に対し、その情状に応じ、戒告、活動停止または除名の処分を行なうことができる。
????????

は、該当していません。

ーーーーーーーーーーーーーー
以下、解説で書かれている部分は、お詫び・訂正・削除します。忘れて下さい。私も国権の最高指導者の通り、忘れます。

さて、本日の公明新聞5面の大好きな「出久根達郎の東西東西  文学大博覧会」(131)小泉八雲編はお読みいただけましたか?
「夫人への遺言が『噫無情』と同じ」!
ラフカディオ・ハーンは、レ・ミゼラブルの愛読者だったのです。
 

何でなん?

 投稿者:謎の弟子X  投稿日:2017年 7月30日(日)21時23分53秒
  横から失礼しますね。

元京都西京区乃虎さんの投稿は、「笑」さん宛てであって、何故、管理人さんがでてくるのですか?
投稿者:笑  投稿日:2017年 7月30日(日)09時03分35秒
投稿者:笑  投稿日:2017年 7月29日(土)22時10分28秒
からかい始めたのは「笑」さんですよね。「笑」さんに怒るべきなのではありませんか?

笑さん = 管理人さんなのでしょうか? 違うのですよね? でしたら管理人さんがケンカを買わなくても良いのでは..。

少し落ち着いていただけませんでしょうか。

私は、板に集うみなさんが仲良く、発言し合ってほしいと思います。
 

元京都西京区乃虎へ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月30日(日)21時00分43秒
  > もう板の裏話はせえへんから笑いちゃん許しってーな。
> って、妄想してもうたがな。

今まで、ある程度は見逃してきましたが、
いい加減にしていただきたい。

さも、管理人が掲示板を恣意的に運営しているかのような発言は看過できません。

以前も誰かに返答していますが、たしかにハンドルネームから投稿者が
誰かを推定できる方はいますが、多くの投稿者は管理人も知らない方々です。
そして管理人が知っているからといって、管理人から投稿者に対してなんらかの
投稿依頼をしたこともないし、人によって対応を変えたことはありません。

さも掲示板がなんらかの意図をもって運営されているかのような、
またそれを知っているかのような投稿をこれ以上認めることはできません。

当掲示板が気に入らないのであれば、そして役立たずだと蔑むのであれば、
今後投稿をするのはご遠慮いただきたい。どうぞ自分で掲示板を立ち上げるなり、
アンポンタンな反板にいくなりしてください。

いままでの一連の発言に対して謝罪がないかぎり、貴殿の投稿は一切削除します。

以上
 

7/17 横浜レポート 都内の話2

 投稿者:JACK  投稿日:2017年 7月30日(日)20時56分22秒
  〔不思議な契約〕
私の住む自治体では、小学校と中学校の義務教育課程において、民間の塾を利用した補習授業を実施している。
この政策決定に関するプロセスや、契約書類を調べたら、不思議なことが分かった。
小学校の補習授業については、塾から内訳が書かれた見積書を取り、自治体はその見積書から値切った金額で契約していた。
ところが、中学校の補習授業については、塾から内訳の記載がない、合計額だけが書かれた見積書が出されていて、自治体は言い値のまま契約していた。
自治体は、中学校の補習授業について、塾の言い値で契約した理由を、
「契約した塾は塾講師検定で、集団指導2級以上を取得しているからだ。」
と言った。
しかし、塾講師検定の集団指導2級は、塾講師を2~3年経験した者が対象で、合格率も70~80%と高い確率のため、塾の言い値で契約する理由としては、決め手に欠ける。

〔塾経営者は公明党支持者〕
自治体が言い値で契約した塾の登記簿を調べ、塾経営者の自宅に行ったら、公明党都議会議員のポスター、公明党都議会議員の立て看板、公明党のポスターと、公明党の掲示物だけが掲示されていた。
公明党の熱心な支援者だと分かった。

〔塾経営者と教育長の関係〕
この塾の経営者は、
「私は中学校の補習授業を請け負って、地域に貢献している。教育長とも親しくしている。」
と言った。
教育長は、
「この塾の経営者とは会ったことがあるくらいだ。」と、親しい仲を否定した。

〔塾の言い値で契約した理由〕
この塾と言い値で契約したことについて、自治体の担当部署は、
「この塾と、塾の言い値で契約する必要はないと何度も言ったが、教育委員会は耳を貸さなかった。」
と言った。
教育長は、
「現場が聞いてくれなかった。」
と言った。
契約した当時、東京都から来た契約担当者がいて、その担当者が独断でこの塾に決めたと言いたいらしい。
東京都から来た契約担当者は創価大学の卒業生だった。
そして公明党都議会と同世代だった。

〔最後に〕
私には、創価学会の友人がいる。
真面目な学会員の方が多いことは承知している。
よその地域の公明党議員に話したら、ひどい話だと憤慨していた。
でも、このようなこともあるということだけは、皆さんに分かって頂きたい。
 

7/17 横浜レポート 都内の話1

 投稿者:JACK  投稿日:2017年 7月30日(日)20時52分21秒
  〔都内参加者より〕
私は学会員ではない。
ブログの一読者だ。
今日は皆さんに、私の住む自治体で起きていることを知ってほしくて来た。

〔不正や汚職は公明党〕
私の住む自治体では、議員の不正や汚職は大概が公明党議員だ。
それを許せないと情報をくれたのは学会員だ。

〔不正その1:建設会社から賄賂を貰う公明党議員たち〕
私の住む自治体で、公共工事があった時、建設会社と公明党議員たちが癒着し、談合し、公明党議員たちは建設会社から賄賂を貰った。
それは建設会社も含め、詳細な証言を得た。

〔不正その2:老人会費着服疑惑〕
私の住む自治体の近くでは、公明党議員による、多額の老人会費着服疑惑が発覚したと聞いた。
これは地域住民たちが立ち上がり、刑事告訴の準備を進めていると聞いている。

〔不思議な反対〕
私の住む自治体では、健康寿命や平均寿命が低い。
これは高齢になると、家に引きこもり、健康を損なう生活になりやすいからだ。
住民からは、
「高齢者の団体には、公共施設利用料を安くして欲しい。」
と、切実な陳情が議会に届いたが、自民党と公明党は理由も言わずにこの陳情に反対し、公共施設は施設利用料を取ることになった。
 

北朝鮮の弾道ミサイル佛

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 7月30日(日)19時48分3秒
  諸佛の智慧は甚深無量。北朝鮮の弾道ミサイル佛は弛緩する日本の現状を刺激する善知識として東京に飛来する!水爆弾頭ならば、東京の死者は500万人!南無公明党佛、南無公明党佛、南無公明党佛。信心の一念を覚醒させて、北朝鮮の弾道ミサイル佛の招来を受け止めませう!  

twitterより。森友問題、日報隠蔽のキーパーソンは飛ばされたか。どこかの団体も教学部が…

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 7月30日(日)19時00分31秒
  森友学園問題のキーパーソンである昭恵夫人付職員の谷査恵子氏が、口封じの為にイタリアへ飛ばされたかと思えば、今度は日報隠蔽問題を知り尽くしている小川修子氏が稲田防衛相の辞任に伴い中国大使館へ転属とは、安部政権の隠蔽体質は度を越していますね。コレ、主要メディアが報道すべきですよ。  

お子ちゃま笑

 投稿者:元京都西京区乃虎  投稿日:2017年 7月30日(日)18時09分22秒
  くやしークヤシー、サソテーナ。
無視せんといて。
もう板の裏話はせえへんから笑いちゃん許しってーな。
って、妄想してもうたがな。

まだオムツと、おしゃぶりが取れてないようやなー
そんな誘われんぐらいで、なんで悔しいねん。
お前の頭で考えるから悔しく映るんかな。
一昨年まで毎年誘われてたけど、参加は一度もないけど
オフ会には財務はたくさんしてまっせ。
そんな低次元のオフ会に参加できひんほうが、福運は消えへんで。
イライラしてるんやろな。
落ち着きいや。
おやびんの命令か。
そうか裏で打ち合わせか。
それとも、虎対策担当か。
去年のオフ会前に反旗を翻してんやからな
俺の目には、お前らも原田と一緒やでしてることは。
いつまでもしょうもない37なんとかしか知らんのか。
いつまでたっても六道輪廻ですな~。
10なん年オフ会しててなんの成長あったんどす。
教えておくれやす。
毎度、いろいろな価値観っていろいろな考えっていうとう言葉は
お決まりやな、アホの一つ覚えでどすな。
男は行動と結果どす。
ここでなんぼ吠えてても、犬の遠吠えどすやん。
あくまでもネットはお遊びどすえ。
男やったら、堂々とおもて出て来ておくれやす。

 

一人のSGIさん!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 7月30日(日)16時11分58秒
   一人のSGIさん、フォローありがとうございます。
 義浄房御書の一節ですね。私も好きな御文です。

 調子にのって、一生成仏抄講義の研鑽をもうひとついっちゃいます(笑い)。

 【自分の内にあって自分を超える妙法】
******

 妙法は「宇宙根源の法」です。その意味では、私たちを超えた普遍性をもっている。しかし、「衆生本有の妙理」とあるように、妙法は、私たちの生命に内在する。いわば「自分の内にあって、自分を超えているもの」が妙法です。また、「全てのものを包む普遍的な法であるがゆえに、自分の中にも内在している」ともいえるでしょう。
 「法華初心成仏抄」では、「妙法蓮華経」の本質について、次のように仰せです。

 「凡そ妙法蓮華経とは我等衆生の仏性と梵王・帝釈等の仏性と舎利弗・目連等の仏性と文殊・弥勒等の仏性と三世の諸仏の解の妙法と一体不二なる理を妙法蓮華経と名けたるなり」(御書五五七㌻)

 妙法蓮華経は、私たち自身の仏性であるとともに、梵天・帝釈、舎利弗・目連、文殊・弥勒などの仏性であり、それはそのまま三世の諸仏の悟りの妙法と同じである仰せです。
 続いて大聖人は、この御文の次下で、題目を「唱える」こととは、十界の一切衆生の心中の仏性を「呼び顕す」実践であると仰せられています。

 「故に一度妙法蓮華経と唱うれば一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔法王・日月・衆星・天神・地神・乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕し奉る功徳・無量無辺なり」(同)

 さらに大聖人は、南無妙法蓮華経の唱題の意義について
 「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり」(御書五五七㌻)と仰せです。

 この「よびよばれて」との表現に、妙法の深義(じんぎ)が示されています。
 この原理をわかりやすく示すために、大聖人は有名な比喩を説かれました。
 ――籠の中の鳥が鳴けば、空を飛ぶ鳥たちが呼ばれて集まってくる。また、空を飛ぶ鳥が集まって鳴けば、籠の中の鳥も出ようとするようなものである。
 ここで「籠の中の鳥が鳴く」とは、無明・煩悩に束縛された衆生が信心を起こして唱える題目です。「この苦難を妙法の力で必ず解決して見せる」「必ず幸せになって見せる」という信心で唱える題目です。

 このとき、題目の力で、あらゆる衆生の仏性を呼んでいるのです。すると梵天・帝釈、仏・菩薩などの仏性が現れるとともに、唱えた衆生も無明の束縛を打ち破って、自らの仏性を現すことができるのです。言い換えれば、森羅三千に遍満している「妙法」と「我ら衆生」を結び付けるのが、題目の音声の力なのです。

 (一生成仏抄講義51~53㌻、2006年1~7月大白蓮華掲載、2007年1・26発行)

******

 いまや世情に煩雑に流れる創価学会の歴史や池田先生の指導の、どれを撰(よ)りすぐるかは、どの「御本尊」を「本尊」とするのかとほとんど同じことなのかも知れません。「信じるに足りる」の一点に尽きます。文面や文体からもある程度は判別できるが、やはり明確な出所の“根拠”があった方がいいです。

 御本尊の相藐はこうだとか、「言葉」として「仏」とはこういうものだとかいうのは、いくらでも語れるし、どのようにも書くことができます。だが、その「実相」を伝えるというのは、「心」とか「魂」の共振でしかない。

 それは、池田先生がそうであられたように、疲れ切った体を奮い立たせ、あるいは、時に、病を押し切って、その説く処と同じ姿を見せることです。もう一軒回ろう、もう一曲学会歌の指揮をとろう、という目の前の「魂の振舞い」が、その振る舞いの中にある「心」や「魂」そのものが観る人の魂を揺さぶったのではないでしょうか。「法」が師匠から弟子に伝わるのに、「師匠の存在が決定的に大事」というのもここにあると言えます。

 【追伸】御主人にも、“ふり絞る”投稿をお願いできませんか、とお伝えください(笑い)。


 

螺髪さん

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 7月30日(日)14時49分39秒
編集済
   >南無妙法蓮華経といっても、日蓮大聖人の御本仏としての御生命を離れて存在するものではありません。

宇宙と生命を貫く根源の妙法蓮華経の真理は、日蓮大聖人が実践され、日蓮大聖人の御振る舞いの中に現れることによって、初めて確立されたと言えます。それまで人々が感じることができなかった「法」が、現実に示されていったからです。

日蓮大聖人の御本仏の生命とは、悪と戦い、無明を破る生命にほかなりません。この地上の一切の不幸と悲惨、宿命と四苦から人間を解放する闘争は、その悪をもたらす根源の無明と戦うことにつきます。<

http://6027.teacup.com/situation/bbs/72603


螺髪さん

すばらしい投稿ありがとうございました。
すごく勉強になりました。
>宇宙と生命を貫く根源の妙法蓮華経の真理は、日蓮大聖人が実践され、日蓮大聖人の御振る舞いの中に現れることによって、初めて確立された<
この箇所を敢えて大聖人の立場から言えば、もしその状況において、大聖人が御振る舞いの中で「妙法」を実践されてなければ、まだ「仏」の境涯を顕現しておらず、私たちに御本尊を残すこともなかった事になります。
実に大聖人は菩薩仏としての最高の使命(願い、といった方が適切かもしれません)を全うした方です。

また、螺髪さんのご意見

>真の人生、人の真の生き方を求め、妙法蓮華経という究極の妙理、それを体現した南無妙法蓮華経という「仏」を追い続けていったら、その追いかける自身が南無妙法蓮華経だったということでしょうか。

唱題行によって、仏の実体といえる歓喜の生命が湧き上がってきます。
その南無妙法蓮華経が湧き上がるわが生命そのものが実は妙法蓮華経なのだと実感できることが、
そもそも無量の歓喜であり、無上の安心なのではないのでしょうか。<

御存じとは思いますが、この信心の姿勢について、法華経の智慧にはこうあります。

師を求める“一心”に

斉藤: 子どもたちが、父の死を聞いて嘆き「咸(ことごと)く皆恋慕を懐(いだ)いて 渇仰(かつごう)の心を生ず(咸皆懐恋慕げんかいえれんぼ 而生渇仰心にしょうかつごうしん)」(法華経 p506)。

そして「一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜しまず(一心欲見仏 不自惜身命)」(法華経 p507)となります。

その「一心」に応えて、「永遠の仏」が姿を現すということです。

名誉会長: それは自分の「永遠の仏界」に目覚めるということです。そのカギは、仏を求める「一心」にある。

日蓮大聖人は、この「一心欲見仏 不自惜身命」の文によって、「日蓮が己心の仏界」を顕し、「三大秘法」を成就したと仰せです(御書 p892、趣意)。

以前にも触れたが、大聖人は「一心」について、「一心に仏を見る心を一にして仏を見る一心を見れば仏なり」(御書 p892)と仰せだ。

「一心欲見仏」の経文が、「一心に仏を見る」から「一心を見れば仏なり」へと読み換えられている。“仏を求める凡夫の一心”が、そのまま“仏の一心”となっているのです。
「心こそ大切」です。慢心ではなく、心の底から求道心を燃やしきっていかなければ、仏法はわからない。

何億年、何百億年に一回しか、めぐり会えない御本尊だと思ったなら、一回一回の勤行がどれほど感激に満ち満ちてくることか。
末法の御本仏・日蓮大聖人の「己心の仏界」が、「一心欲見仏 不自惜身命」の文によって顕されている。

この甚深の意義をかみしめなければならない。

成仏といい、仏界といっても、「不自惜身命」の信心の「心」にしかないのです

http://sgi-shiteifuni.com/?p=8234

更に、この箇所について、方便品、寿量品講義にはこうあります。

「御本尊を供養し、御本尊に対する「恋慕」の情、「渇仰の心」を生じる。これが信心の極意です。
ー略ー
自身の胸中に、即、御本尊の生命が、大聖人の生命が湧現するのです。
これほどの大功徳はありません。
心に仏界という最高の秘宝を持っていない人はいません。
この平等性に「法華経の心」があります。
そして、末法の全人類の誰もが、その宝の箱を開けられるようにしたのが「大聖人の心」です。
その箱の扉を開く鍵が、「一心欲見仏」の ”信” と、「不自惜身命」の ”行” にあたります。
真剣な求道と実践こそ根幹となるのです。

 

政界再編を望む

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年 7月30日(日)12時49分36秒
  稲田氏をはじめ、防衛省、自衛隊のトップが辞任して不在の時、それを狙ったかの様に、北朝鮮ミサイル発射。

だが、意外でも何でもない。事前に、高確率で予想されていた事だ。

そういう時に、辞任させざるを得ない今の政権は、もはや政権としての体を成していない。
まともな国民が束になって、一日も早く退陣させなければならないと思う。

安倍政権を潰しても後釜がいない、とか言う人がいるが、誰かが言うように、チンパンジーがトラックを運転しているのを見つけたら、まずやめさせる事だ。
次の政権が、多少不完全だったとしても、チンパンジーよりはマシだろう。
大事故を起こしてからでは遅い。

チンパンジーが向かう先など、バナナ園に決まっている。  普通に戦争出来る国という事だ。

次の受け皿をどうするかという問題。
現在まだはっきり見えないが、安倍首相を支えまくった勢力など、問題外。

公明党など、知識層の怒りと侮蔑の対象そのものになっている事を、知るべきだ。
普段、政治に関心の薄い人達によって、辛うじて支えられている政党。論理的追求に耐えられない。張子の虎。叛乱を力で抑えているが、それももう限界だろう。

また、国民ファーストがもし成立したとしても、右翼的傾向が強くなるとすれば、安倍政権と似た様なもの。何の実績も無いし、私はとても支持出来ない。

大規模な政界再編と、リベラルな勢力の台頭を望みたい。

内閣不信任案が、ただの紙屑にしかならない様な状況下では、まともに民主主義は遂行されない。



 

胸中の妙法蓮華経!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 7月30日(日)09時22分8秒
   「久遠実成の釈尊と、皆成仏道の法華経と、我等衆生との三つ全く差別無し」――大聖人も、池田先生も、わが己心に「仏」があるとの御断言です。「仏」を自身の内側にも求め、「生命」としてその「仏」の実相を明らめようとしているといえます。天台は、「九識論」で極地の「識」を「根本浄識」に求めました。後代の述作とはいえ、右でも左でもない、白でも黒でもない、その根源の「浄識」の表現ともいえる「久遠元初」を受け入れない理由がいまひとつ分かりません。

 「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり、十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり、之に依つて曼陀羅とは申すなり、曼陀羅と云うは天竺の名なり 此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり、此の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり」(日女御前御返事1224㌻)

 「但し妙法蓮華経と唱え持つと云うとも若し己心の外に法ありと思わば全く妙法にあらず麤法(そほう)なり」(一生成仏抄383㌻)

 「されば仏になるみちは善知識にはすぎず、わが智慧なににかせん、ただあつきつめたきばかりの智慧だにも候ならば善知識たいせちなり」(三三蔵祈雨事1468㌻)

 「然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり法華経を持つとは是なり」(生死一大事血脈抄1337㌻)

 【生死一大事の血脈抄の池田先生の講義】
~~~~~

 本抄では、「生死一大事血脈」についての最蓮房の質問に対して、「妙法蓮華経」こそが万人の生死の苦しみを解決する大法であることが明かされてきました。そして、その妙法蓮華経を受持する信心のあり方を重層的に示されるとともに、上行菩薩である日蓮大聖人を師として求める「師弟不二の信心」が生死を乗り越えるための肝要であることが強調されます。

 その上で、本抄最後の御文においては「妙法蓮華経」の大法を万人に伝える真実の血脈は「信心の血脈」以外にないと結論されていくのです。
 この最終の結論こそ、宗教の魂です。なぜならば、生死は人間の苦しみの根源であり、生死一大事血脈こそ、人間の苦しみの解決のための血脈だからです。その生死の苦を解決するためには、その人にとって何が鍵になるかを教えなければ、どんなに素晴らしい法を説いたとしても、全ては画餅に帰してしまいます。

「信心の血脈」の全体像
 「信心」こそは、偉大なる法を伝える最も確かな道です。聖職者や儀式の権威などという、不確かな幻想によって伝わるものではない。
 真実の偉大なる法を伝えるのに最も大切なのは、まさに「信心」なのです。なぜならば、信心のみが、私たちの生命を覆う無明を打ち破って、本来具わる妙法の無限の力を現すことができるからです。一人一人に妙法の偉大な力が現れたとき、それこそが「法が伝わる」ということなのです。
 ゆえに、大聖人は本抄で、まさに、意を尽くされて「信心の血脈」のあり方を重層的に説ききっておられます。この点については、この講義で既に詳しく拝してきましたので、ここでは要点を確認しておきましょう。

 第一に、久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と、我等衆生との三つは全く差別がないと信解する正しい信心です。これは「何を信ずるのか」という「信心の内実」にかかわる最重要の一点であり、この信をこめて題目を唱えていくことが日蓮門下の「肝要」であると本抄では仰せです。
 この仰せのポイントは、今の自分が妙法蓮華経の当体であり、この一生で即身成仏できると信じていくことにあります。

 第二に、「臨終只今」の覚悟で、悔いなき信心を貫き、「臨終正念」を遂げていくことです。「月々・日々」の悔いなき信心と、その生涯の持続が、一生成仏を決定します。これは「信心の深さと持続」の面から「信心の血脈」を明かされていると拝することもできます。
 さらに、今生に一生成仏を遂げていくことによって、過去世・現在世・未来世の三世の生死の全体が「妙法蓮華経の生死」のリズムのままにつながり、「仏界の生死」となって現れるのです。人間として生まれた今世は、三世の生死のあり方を決める。かけがえのない人生なのです。

 第三に、「異体同心」で広宣流布に前進する信心の大切さを示されています。妙法蓮華経の血脈を受けるのは、自分一人ではありません。万人が妙法蓮華経の当体であり、成仏の血脈を受け継ぐことができる。それを実現していくのが、仏の大願である広宣流布です。そして、その広布大願を実現してく主体が「異体同心の信心」で結びつた和合僧団なのです。
 これは「広宣流布と和合僧」の面から、「信心の血脈」を明かされていると拝されます。

 以上のように、大聖人は本抄で「何を信ずるのか」という観点から、また「信心の深さと持続」と「広宣流布の和合僧」の面から、重層的に「信心の血脈」の意義を示されていきます。これによって、生死一大事血脈が流れ通う、あるべき「信心」の全体像を示されているのです。

「師弟不二の信心」が究極
 さらに、この「信心の血脈」のすべての面を凝縮し、体現した「師」の存在を示されています。それが「上行菩薩」です。

 確かに「信心の血脈」の重層的な意義は言葉で説明されました。しかし、多くの人が、それぞれの人生において「信心の血脈」を確かに受け継いでいくためには、その全体像を体現した「師」の存在が決定的に重要なのです。
 なぜならば、言葉は、一面一面ばらばらに数えるのに対して、妙法蓮華経の当体としての人格と行動を実現した「師」の存在は、信心の血脈を一挙に触発する力を持っているからです。
 ゆえに本抄では「上行菩薩から受け継ぐ南無妙法蓮華経を唱え、修行してきなさい」と言われ、大聖人こそが上行の出現に当たることを示唆されているのです。

 このように「師」の存在を示された上で、本抄は「信心の血脈」の重要性を強調した一節で結ばれております。
 すなわち、「師弟不二の信心」こそ、信心の血脈を受け継ぐ要諦であり、究極なのです。
 本抄は、周到に言葉を尽くされた「信心の血脈」論であると拝することができます。

仏法の生死観は人類の希望の根源
 私は若き日から、仏法による生死観の変革が人類に計り知れない希望を与えると確信してきました。また、それが、人類の平和を実現する不可欠の基盤になるとも考えてきた。そして、そのことを、機会あるごとに、さまざまな形で論究してきました。
 世界の多くの識者との対話の嚆矢(かぶらや)となったトインビー博士の対談においても、この生死のテーマを真正面から取り上げて、語り合いました。
 「生命は死後も存続するのか、それとも現世だけのものか」
 「もし存続するとすれば、それは永遠のものか、有限のものか、またいかなる状態で存続するのか」

 トインビー博士は、私の率直な問題提起を真摯に受け止めてくださった。そして、“これは重大な問題であるが、実証不可能な問題であり、空間や時間の枠組みの中では答えることはできないであろう”と、学者らしい抑制を利かせた言及をされていた。他方、博士は、仏法の「空」の思想、あるいは「永遠」の概念によって初めて答えることができるであろうとも言われておりました。
 これは、言い換えれば、生死の問題は学問よりも宗教の根本課題であるとの指摘であり、いわば仏法の実践者である私に問いを投げ返されたのであります。
 西洋の最高峰の知性がたどり着いた珠玉の洞察です。生死の問題こそ、人類にとって永遠の問いであると同時に、宗教にとっての根本課題であります。ここにこそ宗教が存在する意義があるといっても過言ではない。

~~~~~

 もうひとつ、いま研鑽中の「一生成仏抄講義」です。

【妙法蓮華経は宇宙と生命を貫く真理】
******

 「妙法蓮華経」という普遍的な真理に対して、大聖人は「南無」を付けられ、その真理に対して呼び掛ける修行を樹立されたのです。南無とは「帰命」の意味です。「南無妙法蓮華経」と声を出して唱題することは、自身がその真理の世界に帰していくことを身口意の次元で決意し、誓う宣言にほかなりません。そして、それと同時に日蓮仏法の特徴は、一人ひとりの人生において、妙法蓮華経の普遍の真理に基づく生き方が実現するということです。大聖人の仏法における唱題行の急所は、単に「外なる真理」の名称を唱えることではありません。

 宇宙と生命を貫く「内なる真理」を呼び覚まし、自身がその真理に基づき生きていくことを現実のものとする実践にほかならないのです。いわば、「衆生本有の妙理」をわが生命の内側から発動させ、発揮させる自分自身を確立していく作業そのものなのです。

 仏教の歴史に鑑(かんが)みれば、法華経が「衆生本有の妙理」に目覚めることを教えていても、現実のその後の仏教の展開は、この「妙理」が内にあることを忘れてしまった。その中で、一念三千・一心法界の義について観法を立て、胸中の仏界を呼び覚まそうとした天台大師の観心行(観念観法)は、法華経の正道を復活させた正当な実践と言えます。
 さらに、日蓮大聖人は万人に実現可能なものとして、「衆生本有の妙理」に名を付けられ、、その名を唱える唱題行を打ち立てられた。そして、妙理への帰命と、妙理に基づく生命の確立とを可能にされた。
=中略=

 私たちが唱える南無妙法蓮華経の本義について、さらに忘れてはならないことは、南無妙法蓮華経とは、日蓮大聖人の御本仏の御生命の名前でもあるということです。
 南無妙法蓮華経といっても、日蓮大聖人の御本仏としての御生命を離れて存在するものではありません。宇宙と生命を貫く根源の妙法蓮華経の真理は、日蓮大聖人が実践され、日蓮大聖人の御振る舞いの中に現れることによって、初めて確立されたと言えます。それまで人々が感じることができなかった「法」が、現実に示されていったからです。

 日蓮大聖人の御本仏の生命とは、悪と戦い、無明を破る生命にほかなりません。この地上の一切の不幸と悲惨、宿命と四苦から人間を解放する闘争は、その悪をもたらす根源の無明と戦うことにつきます。

 (一生成仏抄講義36~39㌻、2006年1~7月大白蓮華掲載、2007年1・26発行)

******

 真の人生、人の真の生き方を求め、妙法蓮華経という究極の妙理、それを体現した南無妙法蓮華経という「仏」を追い続けていったら、その追いかける自身が南無妙法蓮華経だったということでしょうか。唱題行によって、仏の実体といえる歓喜の生命が湧き上がってきます。
 その南無妙法蓮華経が湧き上がるわが生命そのものが実は妙法蓮華経なのだと実感できることが、そもそも無量の歓喜であり、無上の安心なのではないのでしょうか。

 間違いなく、己心に妙法蓮華経という「仏」はあるのです。



 

そうかそうか、そうかそうか

 投稿者:  投稿日:2017年 7月30日(日)09時03分35秒
  くやちいんだね、誘われなくて。
くやちいんだね、相手にされなくて。
いろんな価値観を認められない、可哀想なおひと。
 

不思議な出来事

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2017年 7月30日(日)03時41分29秒
編集済
 

おはようございます。
御本尊様とは何なのか、
ふと不思議な体験から感じた
ことです。あまりこの掲示板の
目的とは関係ないかもしれません。

何か関係あるかなと思って書きました。

この池のまわりを毎日10周
ウォーキングしています。
お題目を唱えながらです。

池の真ん中には、噴水があり
噴水が湧き出るときもあれば
止まっているときもあります。

数日前、朝行ってみると噴水は
とまり水面もまったく動きのない
鏡のような状態でした。

私が1周したときです、噴水から
いきおいよく水が吹き出しました。
すると水面に変化が起きました。
私の歩く方向と同じ方向に
ゆっくりと回転し始めたのです。

その水面が宇宙のように思えました。
そして水面に浮かぶ泡が消えたり
あらわれたりしました。

さらに私が歩く同じ方向に
足の悪いおばあさんが
亀のように歩いていたり
元気のよい白人のおじさんが
素早く走って駆け抜けていったり。
乳母車に赤ちゃんを乗せた
ママさんがゆっくりと歩いていたり
みんな水面の動きと同じ
方向に歩いているのです

なんだか私は輪廻転生を
この瞬間に体験してるようでした
そして池の真ん中の噴水を
みていると、なんだか元気に
なっていくようで、1周するごとに
力がましていくような感じがしました

ご本尊とはこの池の中心の噴水
のようなものなのかもしれませんね
---------------------------------
きのうは空海さん(伝教大師)の
ことをちょっとだけ勉強しました。

空海さんと日蓮大聖人様の
はじまりは何か同じような気がしました。
空海さんはなにやらどこかのお坊さん
に教えられた呪文を100日間に
すごい数を唱えて修行したそうです。

日蓮大聖人様もたしか清澄寺で
お堂に閉じこもって行をされていた
とか。

そして大日経と法華経のどちらにも
一念三千の法門があり、大日経は
法華経からそれを盗んだとか。
それゆえ法華経のほうがすぐれてる
とか。

空海さんは生まれも育ちもエリート
だったのに、日蓮大聖人様は漁師の
子供として生まれたのか。

そう考えると、超能力を示した空海さん
よりも、日蓮大聖人様のほうが、すごいな
好きだなと思えてくるのです。
やっぱり私にとっては末法の御本仏ですね。
---------------------------------
信じて、自分らしく生きて、学べばいいんだ
たぶん。きっと。


http://imagine-happy-life.tokyo/

 

信濃町の人びと 様

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 7月30日(日)01時45分43秒
  お声かけありがとうございます。
早速ですが未来部に紹介したい本がありまっす。

「女子中学生の小さな大発見」著者「清邦彦」
という本です。

この本のまえがきを紹介させていただきます。


まえがき 最近、感動していますか?

夏休みの宿題に「自由研究」というのがあります。
それはそれでいいことなのですが、でも正直いって
なかなか大変みたいです。

いくら長い休みとはいえ、疑問を持って、仮説を立て、
計画して、いろいろやってみて、そして結論を出す、
人生そんなに計画どおりにうまくいくものではありません。

どうしよう、どうしようと言ってる間に夏休みは
すぎてゆきます。

なにもフルコースやらなくてもいいんじゃないでしょうか。
長いレポートじゃなくてもいいと思います。
別に結論が出なくてもいいと思います。
わからないものはわからないままで。

ちょっと試してみた、というぐらいの研究でも
いいと思います。すごいっ、と感動しただけでも
いいと思います。

育ててみた、飼ってみた、それだけでもりっぱな研究です。
見た、見つけた、気がついたなら、それはもう発見です。
集めるだけでもいいです。セミを五種類集めるだけでも、
夏休みは終わってしまうかも知れません。

だいたい研究なんてものはそんなに簡単にまとまるもの
ではないと思います。予想どおりにならなかったのは、
失敗ではなく成功です。何も変わらなかったのは、
「変わらない」ことを発見したのです。

本と同じ結果にならなくても、それは気づかないところで
条件が違っていたからであって、自分のやったことも正しい
結果です。たまに本が間違っていることだってあります。

考え方がおかしいと言われても「自分はそう考えた」という
のは正しい事実です。

静岡市の街の中に、お城の堀と堀にはさまれて、私立の
女子だけの学校があります。本書はその静岡雙葉(ふたば)
中学校の一年生の生徒たちの理科の小さな研究レポート集です。


 

ClearSky様

 投稿者:日蓮仏法2.0メール  投稿日:2017年 7月30日(日)00時52分34秒
  了解です。

https://www.amazon.co.jp/%E5%87%A1%E5%A4%AB%E5%8D%B3%E8%BA%AB%E6%88%90%E4%BB%8F%E8%AB%96-%E6%9D%BE%E6%88%B8%E8%A1%8C%E9%9B%84/dp/4802093160/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1501311990&sr=1-1&keywords=%E6%9D%BE%E6%88%B8%E8%A1%8C%E9%9B%84

 

日蓮仏法2.0様

 投稿者:ClearSky  投稿日:2017年 7月29日(土)23時47分16秒
  私の資料「文底仏法と日寛教学」を読まれた上でのコメントを頂き、有難うございます。

日蓮仏法2.0様の日蓮仏法2.0様の書籍は読ませて頂きました。
私と立脚点が違うのは承知しています。
この違いを踏まえて議論するためには、もう少し私の考えを述べてから、やり取りできればと考えておりました(作成に着手した第五章で、その材料を提示してからお互いに議論できればと・・・)。

しかしながら、今回、幾つかのご意見を頂きましたので、その点に関して、後日、手短にお返事を投稿したいと思います。

------

私の投稿が続いてましたので、少し控える意味でも、後日ということで宜しくお願いします。
 

同盟題目23時に開始です。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 7月29日(土)22時59分36秒
  池田先生と奥様のご健康を祈ります。
よろしくお願いします。任意参加です。

寝たきりオジサン様
投稿お待ちしていました。読書の夏。
良い本があったら未来部の為に紹介してください。

>>二年と四カ月  投稿者:寝たきりオジサン
同盟題目に参加させていただいて二年と四カ月になりました。
仕事が立て込んで昨日は書き込めませんでしたがちゃっかり
同盟題目だけは参加させていただいています。
持続の戦いというのは自力がつくのでやって損はありません。

最近お小遣いがたまって、ほしかった本を17冊買えたので今
読書にはまっています。読書の夏です。<<
 

小笑ちゃん

 投稿者:元京都西京区乃虎  投稿日:2017年 7月29日(土)22時57分38秒
  俺に理解者なんかおらんよ。
元々、誰も最初からおらんし、うっとしい先生気取りのコウセンでもない。
ちょっと色々知ってるから言うて、だからアホのコウセン言われるねん。
そうやっていつも突っ込むこと自体が慢心なんや。
わかるか?
わからんやろな。
その言葉自体が、俺すごいやろ言うとんねん。
お前の周りには理解者と先生という口だけのお友達はおるけど。
そんな、すぐ禿げるようなやつはいらんねん。
一人一人守らなあかんけど、先生事情通は付きおうたらあかんねん。
誰が腐ったオフ会にいかなあかんねん。
今更なに、事情通みたいに言うとんねん。
でも、出てきてくれておおきにどす。
図星やったん。
来週の土日なん、知らんけど。
誘われても行かへんがな。
殴られるの怖いし。
口ばっかの人を利用する集まりに何でわざわざ行かなあかんねん。
それよりももうちょとマシな名前考えたらどないですか。
酒の飲み過ぎ、タバコの吸い過ぎ、薬のやり過ぎ、どれもアキマヘンで。
いずれにせよ、毎度毎度お前はカスやのー。
 

/1338