「侵略国」とは「敗戦国」
──三月十四日付の朝日には「(21世紀構想懇談会)座長代理の北岡伸一・国際大学長は先の大戦について『侵略戦争であった』との認識を示した」という記事が載りましたが、翌日、訂正記事が出た。その一部を引用すると、
「北岡伸一・国際大学長は先の大戦について示した認識が『侵略戦争であった』とある部分は『歴史学的には侵略だ』の誤りでした。(略)北岡氏は先の大戦について『私はもちろん侵略だと思っている。歴史学的には』と答えていましたが、『侵略戦争』という表現は用いていませんでした。確認が不十分でした。訂正しておわびします」
まるで禅問答のようになりますが、「侵略戦争」と「侵略」のどこが「訂正しておわび」しなければならないほど違うのでしょうか。
日中戦争を例にとると、日中共同研究報告書には、さっき言ったように、「戦場となった中国に深い傷跡を遺した」と書かれていましたが、自国を戦場にされて、中国人が侵されたという気持ちになったというのはわかる。しかし、戦争なんだから、どこの国土で戦うことになるかはそのときどきの力関係の問題であって、それが直接「侵略」に結び付くわけではない。日本が劣勢になったら中国が日本に攻め込んでくることだってあり得る。
第一次世界大戦では、ヴェルサイユ条約のいわゆる「戦争責任」条項に「ドイツおよびその同盟国の侵略により強いられた戦争の結果……」とあって、ドイツは「侵略」の代償として連合国の戦費すべてを全額負担するという前代未聞の賠償金を要求された。しかし、では「侵略」と断じた根拠は何かと言えば、それにはまったくと言っていいほど触れられていません。
次の第二次世界大戦では、日本が東京裁判によって「侵略国」として断罪された。日本の近代史研究者の大半は、多少の濃淡はあっても、根が東京裁判史観です。東京裁判では明らかに日本という「侵略国家」のリーダーたちを裁いていて、判決もそれに立脚している。それは事実だ。しかし、これは戦勝国が敗戦国に対して行った裁判だから、学問とは何の関係もない。
そうやって考えてみると、歴史上「侵略国」という烙印を押されたのは「敗戦国」ドイツと日本だけです。多くの人が言うように、侵略の定義というものはない。だから、唯一成り立ちうる定義があるとしたら、「侵略国とは戦争に負けた国である」。それしかない。侵略国イコール敗戦国。また、「侵略」を定義するなら、「侵略とは敗戦国が行った武力行使である」。それ以外に言い様がないというのが、ぼくの結論です。
そもそも中国が盛んに主張しているのは「田中上奏文」の問題です。あれには日本が中国を征服して世界を支配すると書いてある。そんなばかなことがあるわけがない。ところが、中国は、それこそ日本が「侵略国家」であることの証だと言う。日本ではもう偽書だという見方が定着しているけれど、中国はあれが偽文書だなんて絶対に認めない。
日中共同研究のときも、たしか中国は田中上奏文を楯にとって日本に「侵略」の意図があったと主張していた記憶がある。中国は「侵略」という言葉がどうしても欲しかった。そのために日中共同研究をやろうとしたんですよ。日本人は歴史というのは学者のやることだと思っているけれど、中国ではそうじゃない。歴史は政治なんですよ。だから、そのことを十分留意してくれと北岡君に言ったんだけど裏切られた。中国人はみごと「侵略」を勝ち取ったわけです。