伊藤隆(東京大名誉教授)

「曲学阿世の徒」


 ──戦後七十年にあたり、安倍晋三総理は「安倍談話」を発表すべく検討中ですが、三月十日付の朝日新聞の記事によれば、北岡伸一氏が某シンポジウムで、「安倍さんには『日本は侵略した』と言ってほしい」と発言しました。「安倍談話」の諮問機関である「21世紀構想懇談会」の座長代理という立場にある学者がこういう発言をすることこそ問題です。北岡氏は大学院時代、伊藤先生のゼミに出ていたとうかがいましたが。

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21世紀構想懇談会を終え、記者の質問に答える座長代理の北岡伸一氏 =2015年4月22 日夜、首相官邸
伊藤 彼は法学部だから指導教授は三谷太一郎氏だけれど、文学部大学院のぼくのゼミに出ていた。すごい秀才でしたよ。ぼくの家の新年会にもよく顔を出して、酒を飲みながら、「ぼくの目の黒いうちに必ず憲法九条を改正させてみせる」と大言壮語していたんだ。国連の次席大使になってニューヨークへ行くときには、自分が国連にいる間に日本を必ず安全保障理事会の常任理事国にしてみせると言っていた。実際には何もできなかったわけだけれど(笑)。

 平成十九年に、当時、東大法学部教授だった北岡君から、「日中歴史共同研究の座長を務めることになったから少々ご意見を伺いたい」と連絡があって、北岡君はじめ共同研究のメンバーたちが集まった。そのときぼくは、「二つの国の歴史が交わることはあり得ない。日本には日本の歴史の見方があり、中国には中国の歴史の見方がある。相手の言っていることを聞き、自分たちの主張を相手に話して終わるのがいちばんだ」という話をして、「きみたちは学者だ。しかし、向こうは学者の顔をした政治家だ。彼らには、これだけは日本の学者に絶対に言わせようという狙いがある。それが『侵略』という言葉だ。これだけは絶対に言ってはいけない」と釘を刺しておいた。そのときはみんな納得したような顔をしていたんです。

 ぼくは以前、北京大学で日本近代政治史の講義をしたことがあるんですが、「侵略」という言葉はいっさい使わなかった。何か意見が出るかと思ったけれど、その件については質問も出なかったし、みなさん非常に満足して盛大な打ち上げをしました(笑)。

 ところが、いざ北岡君たちが発表した日中歴史共同研究報告書を見たら、日本側論文のタイトルに「日本軍の侵略と中国の抗戦」、中国側の論文のほうには「日本の中国に対する全面的侵略戦争と中国の全面的抗日戦争」と大々的に謳ってあった。本文に「とくに戦場となった中国に深い傷跡を遺したが、その原因の大半は日本側が作り出したものといわなければならない」なんてことも書いてある。

 その二カ月後に発表された日韓共同研究のほうは、委員の古田博司先生(筑波大学大学院教授)がかなり頑張った。だけど、日中はひどい。ぼくは裏切られたと怒り心頭に発し、売国奴とまで言った覚えがあります。

 日本財団会長の笹川陽平さんはブログで「曲学阿世」と書いて批判していました。何があったか知らないが、あれほど言ったのに、ぼくの助言を無視して学問を曲げ、中国に媚びた。まさに曲学阿世の徒です。その北岡君が、安倍談話に「侵略」という言葉を入れてほしいとまで言い出したのは言語道断というしかない。