色即是空 空即是色 について
子供の頃に「X線の眼を持つ男」というSF映画をテレビの再放送で観ました。レイ・ミランドという俳優が主演する映画でした。
X線の眼を持っているのですから、人間の体が透けて見えるのです。どんな美人さんでも、内臓まで見えてしまったらいやですね。
この映画のように、世の中、みんなX線の眼を持つようになったら、美人の概念、いや、美意識そのものまで変わってしまうかもしれません。
化粧品会社のCMなども、「素肌美人」なんていうキャッチフレーズの代わりに、「内臓美人」なんていうキャッチフレーズを使うようになるかもしれません。それで、化粧品会社は、こぞって健康食品を作るようになるでしょう。だって、便秘の女性なんて、マズイですからね。
女性は、どんなにお金をかけてエステに通っても、整形美容に行こうとも、内臓が美しくなければ美人とは言えない、だなんて。外面よりも健康的な内面の美。これを磨くのは、なかなか大変です。化粧してもダメな世界ですから。男性も同様。社会的地位のある人も同様です。
もうひとつ。
ゼイリブ(They Live)というジョン・カーペンター監督のSF映画。
この映画はそれほど古くないので、ご存知の方がいるかも知れません。ある特殊なサングラスをかけると、「ホンネ」が見えてしまう。
政見放送で政治家が「みんなでより良い社会を創ろう!」なんて映像がテレビのニュースで流れてくると、「OBEY(しのごの言わないで、黙って俺に従え!)」というように視覚化されてホンネが映るのです。
街中を歩いている人を見ると、みんな骸骨に見える。実は、これは地球をすで征服してしまったエイリアンで、エイリアンの出す洗脳波動によって、地球人は嘘の世界を見せられている、というお話。彼らは地球人を奴隷にしており、奴隷になっている地球人は何の疑問も持たずに、それなりに楽しく暮らしている、という映画です。
ストーリーは単純なのですが、まさにNESARAやレプティリアンの世界。ひょっとしたら、あえてストーリーを単純にして、このことだけを際立たせたいと考える監督の意図があったのかも知れません。
つまり、私たちが「これが現実だ」と思っている世界は、実は現実ではなく、ほんの狭い領域で起こっていることに過ぎないのではないか。その領域のちょっと外で起こっていることは、人間には知る由もないのだ、ということです。
これを、音の世界で考えると、もっと身近にとらえることができるかもしれません。
犬笛という犬の訓練用に使う笛があります。昔、ドラマのタイトルにもなりました。
この犬笛は16000Hzから22000Hzの音を出すことができます。最近は、調節機能が付いていて、もっと高い周波数の音も出すことができるようです。
シロナガスクジラの鳴き音は、逆にかなり低い17Hzという周波数です。
人の可聴領域は、個人差はあるものの50Hzから20000Hzの間です。犬笛の上の領域と、シロナガスクジラの出す低音は人には聴くことができないことになります。
ネズミは人よりもっと高い音を聴くことができるので、「超音波ネズミ退治機」というのが一時期売られていました。
イルカの可聴領域は、なんと50Hzから150000Hz。イルカは、どんな世界を聴いているのでしょう。
人にとって、聴こえないものは存在しない。しかし、実際に「そこ」にあるのです。
視覚の場合は、どうでしょう。
人の可視領域は、個人差はあるものの、基本的に400nm(750THz)~750nm(4
今の科学でわかっている電磁波を周波数の低いものから高いものへ並べると、
電波
→マイクロ波
→テラヘルツ波
→赤外線
→可視光線
→紫外線
→X線
→ガンマ線
となります。
文明から隔絶された未開の地に住んでいて、医学の知識がまったくない人にとっては、X線が存在すること自体理解できませんから、人とは外形、輪郭、shapeだと思っているのです。実は人間が活動できるのは、そのshapeの中の内臓が有機的に機能しているからだ、ということなど知らないのです。だから、いろいろな呪術師が生まれるのです。
SF映画の「X線の眼を持つ男」も、それより波長の短いガンマ線は見えないのです。ガンマ線は、核爆発のときに出る放射能です。このガンマ線まで見える世界はどんなでしょう。
でも、「ガンマ線の眼を持つ男」では、物語になりませんね。ガンマ線ばかり被爆していたら、主人公は死んでしまうかも知れませんから。でも、世界は存在しているのです。
実際にあるのに見えない。人はほとんど見えない世界で生きているのです。人間は、かくも不自由な生活送っているのです。
さらにガンマ線の波長域の外側には、もっと波長の短い電磁波があるのですから、もう人は、ほとんど「何も見ていない」といってもいいのではないでしょうか。
ただし、これはあくまで三次元でのお話です。おそらく、ガンマ線以上に波長が短く、高周波の電磁波は三次元には存在できないのではないか。
電子レンジで、物質に外側から高いエネルギーを与えると分子同士が元気に振動し合い、互いにぶつかって、その摩擦熱で自分を温める、という現象が起こります。
「なぜ熱が出るのか」。それは物質の持つ「三次元にとどまりたい」という性質によるものではないかと言われています。
もし、放熱せずに、どんどん物質の振動数が上がっていったら、おそらく最後には物質そのものが消えてしまうのでしょう。三次元から「消滅」してしまう。そのときの分子の振動の速さは光速と同じくらいになっているのかもしれません。一定の振動数を超えると、突如、三次元から消えて、もっと上の次元に移動してしまう。
しかし、物質の本質は存在しているのです。次元が移動しただけ。でも、そのときの物質はソリッドなものではなく、高速度(光の速度かも知れません)で振動する波になっているでしょう。物質としての形はなくなっている。
波であり、形ある物質である。物質の二面性は理解できます。
ちょうど氷に高い振動(熱、エネルギー、電磁波)を加えると、溶けて水になり、さらに水蒸気になって見えなくなってしまうように。どんどん圧力をかけていくと、とうとう見えなくなってしまう。
ひとつの喩えですが、これが次元をまたいで起こるのではないか。
飛行機のプロペラ。これがどんどん加速し続けて光速に近くなると、プロペラは三次元から消えてなくなります。そのとき、飛行機の本体はそのままなのでしょうか。いっしょに消えてしまうのでしょうか。
ただ、プロペラの速度を落していけば、再びプロペラは三次元に戻され、人の眼に見えるようになる、という理屈になります。
こんなことから、今の科学で分かっているガンマ線よりもっと高い周波数をもつ電磁波は、実在はするけれども、おらそく三次元に存在できないのでしょう。
ガンマ線より波長の短い電磁波といっても、たとえば四次元などの高い次元に移動した場合は、「波長」という概念も変わってしまうでしょうけれど。
ひょっとすると、もっと高次元、五次元、七次元という世界では、光速より速いスピードで振動しているのかもしれません。光速を超えた世界。それが「神界」と言われているところなのでしょうか。
確か、「トンデモの人」と揶揄されていますが、コンノ・ケンイチさんという方が、相対性理論は嘘である、と主張しておられますね。
エネルギー=質量×光速の2乗という式です。光速というのは定数ですから、エネルギーは質量で決まる、ということになります。しかし、光速よりもっと速い波動の世界が存在すれば……。
般若心経に出てくる色即是空 空即是色
「色」とは物質などの「形あるもの」を指すのですが、これ即ち「空」である。その逆も真である、と言っているわけです。ここにヒントがありそうです。
以下、私の勝手な解釈ですので、研究者の方から「いい加減なことを書くな」とお叱りを受けるかもしれません。まあ、それを承知で書いてみます。
私たちが見ている「物体」とは、いわゆる光が反射したものを見て、その形を認識しているわけです。物体の性質によって反射するスペクトルが異なるので、色が付いているように見える。
その光のうち、人の可視領域のすぐ外側にある電磁波を紫外線といっています。(紫は「黄泉の世界」を象徴する色だとも言われていますね)
それより、もっと波長の短い高エネルギーの電磁波(ガンマ線より、ずっと高いエネルギーを持つ電磁波)であれば、原子の最小単位といわれている素粒子をも突き抜けてしまうのではないか。すると、「X線の眼を持つ男」ではないですが、そうした高い周波数を持った電磁波しか見ることのできない観察者がいるとしたら、その人の眼には物質が透明に見えるはずです。「そこ」には何もない。
しかし、私たち人間の眼には、そこに物体があるように見える。実際に手で触ることもできる。
逆に、ある人の体を構成する要素が、ものすごい速さで振動していたとすると、私たちには半透明、もしくは透明に見えるはずです。しかし、手で触ると掴むことができる。SF映画の透明人間ですね。
今度は、私の体を構成する要素が、それこそ分子、原子レベルで凄い速さで振動しているとすると、テーブルの上に手を置こうとした私は、スルッとテーブルを突き抜けてしまうはずです。私の存在は人間の眼には見えないし、手で触ることもできない。私はここにいるのに。完全に幽霊ですね。
映画「ゴースト/ニューヨークの幻」状態です。
これが 色即是空 空即是色 のことではないのでしょうか。
実体はあるのに「見えない=空」。見えるのに「実相」ではない。
つまり、ものごとの実相とは、これすべてエネルギーに過ぎない。
形(色)とは、実相ではない、ということ。
「X線の目を持つ男」のように、その実相が発するエネルギーを受け取り、そのエネルギーを映像化するのは人それぞれである、ということ。同じものを見ていても、実は、あなたが描くものと、私が描いたものは実は違うもの。言葉によって、同じだと錯覚しているだけ。
本当の姿は、すべてエネルギーである。「色」とは、束の間、実相が物質化したものにすぎないのだから、もともと空である。すべてが「空=エネルギー」である、と。
つまりは量子力学の波動力学では、物質とは同時に、エネルギーの波でもある、と結論付けているわけですね。
物質はエネルギーの波動であり、その逆も真である、と。次元によって、形が変わるだけ。
三次元に住んでいる私たちは「色=形あるもの」を見て、判断し評価して暮らしている。しかし、それは本質ではないと。
究極は、「人は、実相から受けた波動を認識しているだけ」ではないのか。
それを映像化しているのは、眼であり、脳であるに過ぎない。そもそも、これが間違いの元ではないのか。幻影であると。
心(脳ではなく)で感じること、これこそが真の実相ではないのか。
そして、心の実体とは脳や心臓ではなく「魂」そのものである。
般若心経は、こういうことを伝えているのではないでしょうか。
簡単に言えば、この三次元とは「形のあるもの」しか認識できない世界ですから、水が温度(エネルギーの渦巻く世界)の高い、低いによって融解し昇華するように、摂氏100度C以下の世界で暮らしている、ということなのでしょう。
もし、摂氏100度C以上の世界に生身の私たちが足を踏み入れたら、すぐに死んでしまいます。
でも、見えないけれども水は摂氏100度C以上でも存在しているのです。
喩えて言えば、アセンションで残れる人というのは摂氏100度Cでも平気でいられる人、ということになりますね。
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