旅順虐殺事件 近代日本の縮図
亀井茲明「敵屍を旅順口北方郊野に埋葬するの状況」
「旅順」といえば日露戦争より、日清戦争。
1894年11月に日本軍は、そこで大勢の捕虜や民間人を虐殺した。
第2軍司令部もみとめた事実だ。
大谷正『日清戦争』(中公新書)を手がかりに、ことの次第をさぐろう。
虐殺の原因のひとつは「報復」とかんがえられる。
清軍による残虐行為に、下級指揮官・下士官・兵は怒っていた。
ありがちな話だ。
問題は上級指揮官がそれを抑えず、むしろ煽ったこと。
ニュースは欧米世界へまたたく間にひろまる。
文明国として認識されたいなら、日本は責任をとれと袋叩きに。
伊藤博文首相や陸奥宗光外相は、慌てるばかりで無為無策。
軍部を調査し処分する能力はない。
それどころか虐殺の事実自体、欧米メディアを通じ知った。
そもそも無謀な作戦だった。
第2軍の兵力は、守備側のおよそ2倍程度。
北方を牽制しつつ、堅固な要塞を攻撃するには小所帯すぎる。
パンチ誌の風刺画
「日露にくらべ日清は楽勝」みたいなイメージは捨てるべき。
参加人数は日露戦争の3割強、規模は意外とおおきい。
清軍は鋳造鋼鉄製の野砲と山砲や、ドイツ製の新型の連発銃など装備し、
日本より装備がすぐれていたのも知っておきたい。
なにせ清は大国、人材も豊富だ。
李鴻章の部下である馬建中は、フランス留学し国際法にくわしく、
朝鮮に介入する際、外交面の洗練ぶりで日本に差をつけた。
浅井忠「戦争後の旅順市街」(1895年)
福澤諭吉は日清戦争を讃美した。
「文明国」が「野蛮国」と戦うのは当然と、献金などで積極的に協力する。
開戦時の陸相だった大山巌は、国際法遵守に意慾的。
法律顧問を従軍させ、その知識を活用したが無意味だった。
兵士が敵を憎むのはあたりまえ。
だがもし味方が敵を無差別に殺したら、自分たちで裁かなくてはならない。
不愉快な仕事だが、そのため指揮官は存在する。
軍隊に必要なのは学者でなく、覚悟だ。
陸奥宗光
陸奥宗光が開戦をのぞんだのは、
条約改正交渉での不手際への批判を躱すためだったらしい。
ひどい話だ。
イギリスとロシアの制止を無視したので、強国からの支援がなく孤立。
戦勝後は、軍部や輿論の度をこした領土獲得慾求に翻弄される。
事前に予想された三国干渉への対応も拙劣。
朝鮮をおさえるための戦争だったのに、閔妃殺害事件やらなにやらで、
反日親露派政権が誕生するとゆう最悪の結果をまねいた。
慎重な明治天皇は「朕の戦争に非ず、大臣の戦争なり」と不快感をしめす。
途中で気がかわり、広島の大本営で健気に応援団長をつとめたけど。
なんとも幼稚な「文明国」だ。
『2001年宇宙の旅』(イギリス・アメリカ映画/1968年)
僕は日本に、世界で尊敬される国になってほしい。
でも「武器をもって昂奮し、暴れまわる猿」とゆう、
鏡にうつった姿から目をそむけてるうちはダメだろうな。
日清戦争 (中公新書) (2014/06/24) 大谷正 |
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