07月29日の「今日のダーリン」

・かつて、赤塚不二夫だとか、谷    かが、
 締切りに迫られて、どうし    らないときに、
 ただただ追いつめられた状態から、
 でたら   したアイディアを
 マンガに     たことがあった。
 「えっ、そういうこと、していいのか?」と、
 読み手であったぼくなんかは驚きつつ喝采したものだ。
 そして、いま     う追いつめられた苦肉の策は、
        異彩を放っている。
 
 ああして、こうして、こうやって、と、
 部品を集めて、しっかり組み立てられたものは、
 それはそれで、と     のである。
 元になる絵コンテが緻密に描かれていなければ、
 いまの時代    んどはつくれないだろう。
 先が見通せる仕   確で効率的である。
 予測された未来を実       の、
 どれだけ多いことか。
 しかし、それは技術の集積であり情熱の有効利用であり、
 たし   ジョンの実現    のだけれど、
 ぶわーぁっと暴風にさらわれるような快感は薄い。
 赤塚不二   岡ヤスジ(横尾忠則も加えたい)が、
 予定やら予測やら説明やらをむちゃくちゃにして、
 「これ   のだ」とばかり投げつけた表現は、
 ほんとうは、人間たちの   く惹きつけるものなのだ。
 
 ふと、思った。
 なにかこまっ     定だの調和だのを、
 ぶっ飛ばすよ      恋愛があった時代もある。
 『北の国から』は    を描いたドラマだった。
 しかし、いま    描くことも簡単ではなくなった。
 倫理という防風林が、暴風を避けてしま

 さて、ここまで語ったこと   て前書きである。
 現代の人びとは、芸術や恋愛という暴風の代わりに、
 思うにまかせぬ「荒ぶる自    会に移植した。
 すなわち、それが、猫である。以上。
 赤塚不二夫、谷   ジに敬意を払い、
 濱口秀司さんに手を   なつもりで、
 この原稿のあちこ    らめに虫食い穴を空けた。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
虫食いでない原稿もありますが、だいたいわかりますよね。