chiakiのブログ

千秋病院初期臨床研修医のブログです。
初期臨床研修(今後後期研修も予定)病院の研修医の本音トーク、QOL、QOMLを知りたい人は一読を!マジメに書いてますよ(笑)


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新臨床研修制度開始13年を迎えるにあたり

 

 

 

臨床研修義務化への道のり、背景、開始後の時代を

 

 

 

私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。

 

 

 

 

 

戦後、日本の臨床研修は臨床実地研修制度で始まりました。

 

 

 

これは大学卒業後、1年間の「臨床実地研修」をした後に医師国家試験の受験資格を得られるというものでありました。

 

 

 

研修の期間中は学生でも医師でもなく、不安定な身分での診療を強いられ、また給与の保障もほとんどありませんでした。

 

 

 

その危機感が、臨床研修制度にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。

 

 

 

1960年代のインターン闘争を経て、医師法が改正され、医師として臨床研修を行うことが可能になりました。

 

 

 

1967年に、3150人の医師国家試験受験者のうち405人しか受験しないという凄惨な経緯によって

 

 

 

努力義務としてですが医師免許取得後2年間の臨床研修を行うように努めるものと定められました

 

 

 

しかしながら、大学病院における専門分野に偏った研修の弊害も指摘されるようになり

 

 

 

また、相変わらず所得面も保障されていないことによる経済的な行き詰まりから

 

 

 

多くの研修医は未熟なまま当直などの副収入にて所得を維持しようと試みて行きました。

 

 

 

そのなかで、研修医は、【患者さんの利益を最大化】しようとした

 

 

 

「新しい医療への考え方」への「挑戦者」となっていった。

 

 

 

進むべき針路を誤り、危険な医療行為への道を進んで行きました。

 

 

 

 


新臨床研修制度開始13年にあたり、過労死で斃れたすべての研修医、その家族、影響を受けてしまった患者の皆様の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。

 

 

 

何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、かつての臨床研修制度が与えた事実。

 

 

 

歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。

 

 

 

一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。

 

 

 

この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

 

 

 

これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、新臨床研修制度の原点であります。

 

 

 

 

 

二度と過労の惨禍を繰り返してはならない。

 

 

 

 

 

労災認定に至る超過勤務から永遠に訣別し、すべての研修医の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

 

 

 

自由な臨床研修制度を創り上げ、プライマリケアを重んじ、ひたすら勤務中は研修に専念する誓いを堅持してまいりました。

 

 

 

寛容の心によって、新臨床研修制度は迎えられました。

 

 

 

新臨床研修制度開始13年のこの機にあたり、我々研修医は、制度改正にかかわってくださったすべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

 

 

 

日本では、新臨床研修制度の世代が、今や、10万人に近づこうとしています。

 

 

 

新臨床研修制度下で、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、かつての、あの過酷な臨床研修を続ける宿命を背負わせてはなりません。

 

 

 

しかし、それでもなお、私たち研修医は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。

 

 

 

謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

 

 

 

 


私たちは、患者さんの利益への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。

 

 

 

だからこそ、研修医は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する人々と手を携えて、「QOML」の旗を高く掲げ、臨床研修の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

 

 

 

新臨床研修制度開始20年、50年、さらには100年に向けて、そのような臨床研修を、地域の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。

 

 

 

 

 

平成29年3月31日

研修医 R

 


参照:【戦後70年談話】

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みなさん、おはこんばんちは!

 

 

研修医のRです!

 

 

 

いよいよ研修終盤である

 

 

 

先日、底辺先生と、共通の知り合いの医師と鼎談してきた

 

 

 

QOMLの大御所と言っても過言ではない人物達と話をしてきて

 

 

 

全員がある平凡な帰結に至ったので

 

 

 

読者の皆様にシェアしたい

 

 

 

 

 

 

それは、『新規に何かを始める必要はない』

 

 

 

 

 

ということである

 

 

 

向上心を否定しているわけでもなく

 

 

 

ただ座して何もしないことを肯定しているわけでもない

 

 

 

あるいは、以前書いた記事を再掲するわけでもない

 

 

 

 

 

新規事業を始めようという言葉は

 

 

 

非常に甘美な誘惑である

 

 

 

だが、そうしようと思っている時点で

 

 

 

大きな間違いを犯している可能性が高い

 

 

 

なぜならば

 

 

 

【うまくいく】新規の事柄は

 

 

 

 

 

『新規の事柄には全く見えない』

 

 

 

 

 

のである

 

 

 

例えば、愛知県にはトヨタという誰もが知っている企業がある

 

 

 

基本の事業は

 

 

 

自動車の製造と販売である

 

 

 

しかしながら、例えばこの会社、金融業も行っている

 

 

 

自動車が欲しいが即金で買えないという人に対して

 

 

 

ローンを組むということを行っている

 

 

 

ローン事業にトヨタが手を出した時

 

 

 

世間は、あたかも昔からトヨタがその事業をやっていたのではないか?

 

 

 

という「自然さ」を感じたのではないだろうか

 

 

 

その結果、「自然と」融資事業が受け入れられていった

 

 

 

 

 

これは会社にとどまらず、個人の生き方にも適用できるといえる

 

 

 

新しく始めることが

 

 

 

これまでのことから演繹的、あるいは類似的に派生したものであれば

 

 

 

【うまくいく】新規事業となるであろうが

 

 

 

そうではないのであれば何か根本からおかしいか

 

 

 

本業が行き詰まったから苦し紛れに出しているかのどちらかであろう

 

 

 

 

 

底辺先生は

 

 

 

 

 

【医師免許あるところに道は開かれる】

 

 

 

 

 

と名言を残していたが

 

 

 

Rはその意味を理解するのに4年の歳月を要した

 

 

 

医師は、リスク管理という観点から医師以外の業務を行うことは危険である

 

 

 

もちろん、Rはこれまで医師を重点的にやらないつもりであったので、かなり医師免許を軽視していたが、最近は認識を改める必要性を感じている

 

 

 

医師という業務から演繹的に派生した、必要な業務のみを行えばいい

 

 

 

あるいは、医師免許単独でもいい

 

 

 

 

 

【医師免許をもって、ビジネスマインドを失わなければ

 

 

 

真のQOMLへの道が開ける】

 

 

 

 

 

とRは考える

 

 

 

 

 

さて、【Dr.Rの白熱研修教室】はVol.99で最後にする予定だ。

 

 

 

周りからは100まで行けと言われているのだが

 

 

 

百物語という迷信をRは気にしてしまっている

 

 

 

万に一つでもQOMLが脅かされる怪異が出現しないように

 

 

 

Rなりに配慮したつもりだ

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~

千秋病院は、研修医といえども医師として尊重してもらえるまれな病院である

 

 

 

研修医としての2年間

 

 

 

Rは少なくとも千秋病院にいる間は

 

 

 

医師業務と、そこから派生した業務以外は行わなかった

 

 

 

当然、雑用はしていない

 

 

 

こういう点からも、千秋病院は真のQOMLへの道を手助けしてくれているといえよう

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みなさん、おはこんばんちは!

 

 

研修医のRです!

 

 

 

学生対応ラッシュである

 

 

 

千秋病院的にうれしい展開であり

 

 

 

Rも活動が認められていると感じることができて非常に喜ばしい

 

 

 

 

 

今回のタイトルは【はくらくのいっこ】と読む

 

 

 

このようなことわざがある

 

 

 

 

 

【世に伯楽有りて、然る後に千里の馬有り】

 

 

 

 

 

伯楽とは、馬の良し悪しをよく見分ける人を指す

 

 

 

このことわざは、

 

 

 

『世間に人材があっても、発見できるだけの人物がいなければ、有能な人も埋もれてしまって知られないという。 現代の社会でも、才能を見出されることなく朽ちてしまう人がいるだろう。企業の中でも適材適所に使っているとはかぎらない。上に立つ人は、伯楽のように人を見る目を養わねばならない。』

 

 

 

という意味でつかわれる

 

 

 

 

 

【伯楽一顧】とは

売れない馬でも、伯楽が道で一瞬振り返って見ただけで、価格が10倍になったと言う古事に由来しているそうだ

 

 

 

更に

 

 

 

 

 

【千里の馬は常にあれども、伯楽は常にはあらず】

 

 

 

 

 

という言葉もあって

 

 

 

名馬はたくさんいるが、伯楽はめったにいない

 

 

 

つまり『能力を隠し持っている人(=名馬)は無数にいるが、能力を引き出すことができる人(伯楽)は一握りしかいない』

という意味でつかわれる

 

 

 

 

 

馬の話であるが、これはたとえ話であり、実は人の可能性の引き出し方に関して語られている。

 

 

 

 

 

さて、QOML病院の話に移ろう。

 

 

 

病院のスペックや事務や医師の反応にとらわれると、真の実情が見えない。

 

 

 

病院を見抜くコツは、まさに天機を読むことともいえよう

 

 

 

今能力が表出している馬(=良馬、人気の病院)

 

 

 

ではなく

 

 

 

潜在能力が優れている馬(=名馬、まだ人気のない病院)

 

 

 

を見つけるには

 

 

 

究極的にはその人の天機を読む力にかかっている

 

 

 

 

 

自画自賛であるが、千秋病院という名馬にとってRは間違いなく伯楽であると思う

 

 

 

実はDr.AはRより数年先に千秋病院の潜在能力を見出していた

 

 

 

読者諸君の中から、真の伯楽が誕生することを祈りたい

 

 

 

ちなみに、Rの得意分野も伯楽一顧と自負している

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、病院の宣伝であることから、再度の内容になり蛇足ではあるが下記を付け加えよう

 

 

 

馬と違って、病院は、名馬と違って

 

 

 

人気になると折角のいい特徴が消えてしまうという

 

 

 

残念な性質を持ち合わせている

 

 

 

だが、千秋病院は

 

 

 

厚労省から定期的な査察が入り、研修内容が変化していないというお墨付きをもらって

 

 

 

地域の皆様からの温かい応援があるので

 

 

 

【名馬】としての特徴は今後も変化しないという性質がある

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みなさん、おはこんばんちは!

 

 

研修医のRです!

 

 

 

Dr.Aの記事にもあったが

 

 

 

今週は毎日学生さんが来るという千秋病院にしては珍しい週だ

 

 

 

少なからずDr,A、R目当てで来られる方がいることを予想して

 

 

 

Rは外病院で研修中だが

 

 

 

少なくとも夜の部は参加するようにしている

 

 

 

さて、人生を難しく考えすぎる人間が多い気がしたから

 

 

 

Dr.R流の解決策ではなく、一般解としての方法を記載しようと思う

 

 

 

 

 

今朝、いつもと違う駅から通勤した

 

 

 

非常に混雑していて、乗ろうとしたら、降車してくる人の波に巻き込まれそうになってしまった

 

 

 

別にドアの真正面に立っていたわけではないにもかかわらずだ

 

 

 

何やら違和感がある

 

 

 

最近行った学生対応も

 

 

 

正確に当事者に対してアドバイスできていると感じたが

 

 

 

自分に対して何か違和感を拭えなかった

 

 

 

その際は、確か「もっと簡単に考えなさい」というようなことを

 

 

 

言った気がする

 

 

 

繰り返すが、違和感を自身に感じながらである

 

 

 

 

 

Rにパラダイムシフトが起こったわけではないし

 

 

 

勘が鈍ったわけでもない

 

 

 

体調が悪かったわけではない

 

 

 

だが、幸いなことにこの記事を書いている時点では違和感の正体に気が付いている

 

 

 

自分が話をする際や記事を書いている時は当然

 

 

 

相手に対して発しているわけであるが

 

 

 

同時に自身に対しても言い聞かせているという側面が往々にしてある

 

 

 

【もっと簡単に生きなさい】という自分へのメッセージと解釈している

 

 

 

 

 

さて、簡単に生きるとはどういう事か?

 

 

 

 

 

【得意なことをする】

 

 

 

 

 

というとだ

 

 

 

しかし、これだけでは不十分である

 

 

 

ちょっと得意なことなど、たくさんあるからだ

 

 

 

あの資格を取ろうとか、この技術を身に着けようとかやっていると

 

 

 

いわゆる器用貧乏になる

 

 

 

それを避けるために

 

 

 

 

 

【めちゃくちゃ得意なことをする】

 

 

 

 

 

ことが必要だ

 

 

 

ちょっと得意な程度では真似されてしまう

 

 

 

自分が到達できる真似されないものが何かを精査する必要がある

 

 

 

得意なものの中で、最も得意なことを厳選して行こう

 

 

 

そうすると、その中に

 

 

 

 

 

【息をするような簡単なことが見つかってくる】

 

 

 

 

 

はずである

 

 

 

自然と勝手に手が動く、思考が巡る

 

 

 

そういう様なことをしていけば自然と一番になれる

 

 

 

そういったことをしていけば

 

 

 

人生はイージーモードになっていく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

行き詰ったり、得意じゃないことをやったりする状況になったら、無理にする必要はない

 

 

 

不幸なことに、自然の流れに逆らって動くことは可能だ

 

 

 

その違和感に気づきにくいという事でもある

 

 

 

得意なことと、めちゃくちゃ得意なことの間には大きな溝がある

 

 

 

めちゃくちゃ得意なことと、息をするようにできることの間にも同様に大きな溝がある

 

 

 

それまでの自分のやり方を否定する作業が必要になってくるからだ

 

 

 

うまくいかないことはやめなければならないし

 

 

 

ちょっと得意な程度の事もやめなければならない

 

 

 

簡単そうなことだが、実は難しいことだ

 

 

 

なぜかというと、多くの新しいことを、【やめる為に始める】という事になるからだ

 

 

 

 

 

さて、千秋病院では、選択期間という形で

 

 

 

めちゃめちゃ得意なことを選ぶ権利が与えられている

 

 

 

得意なことをやめる機会でもある

 

 

 

簡単そうなことであるが、実は難しいことだ

 

 

 

残りの研修期間を

 

 

 

息をするように簡単にできるように努力したい

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みなさん、おはこんばんちは!

 

 

研修医のRです!

 

 

 

ひとつ前の記事

 

 

 

「普通に勉強すれば一定確率で勝手になるものだ」

 

 

 

などと書いていたが

 

 

 

 

 

よく考えれば今日は記念すべき

 

 

 

第111回医師国家試験の第1日目ではないか!

 

 

 

もう思い出したくもないが、Rの国家試験受験期は酷いものだった

 

 

 

TEC○Mの最後の模試で、偏差値30あったっけ...

 

 

 

だが、結果は受かった

 

 

 

対照的に、偏差値が高かったが落ちてしまったという人も世の中存在する

 

 

 

 

 

テニスの業界に

 

 

 

『練プロ』

 

 

 

という言葉があるそうだ

 

 

 

練習の時は強くて、本番は弱い人のことを指すらしい

 

 

 

試験に限らず

 

 

 

練習と本番の違いは

 

 

 

準備が"完全に"できるか否かにある

 

 

 

練習は完全を期待できるが

 

 

 

本番にそれを求めることは酷だ

 

 

 

TEC○MのM先生が言っていた

 

 

 

『覚えるな、考えろ』

 

 

 

というのは、まさに準備=暗記だけでは対応できないから

 

 

 

今ある材料だけで考える力が大事ということを言っていると考える

 

 

 

 

 

診療然り、国家試験然り、QOMLを求める旅然り

 

 

 

不完全な状態で飛び出す勇気に慣れること

 

 

 

不完全情報で不安なく意思決定する精度を高めること

 

 

 

不完全な準備で、状況を作り、周りを感動させることに慣れること

 

今ないものではなく、今あるもので戦うこと

 

 

 

これらが大事なのである

 

 

 

準備して戦うことは、相手が弱ければ勝てるが、相手が強いと準備では勝てない

 

 

 

常に完全など、机上以外では求めることができない。

 

 

 

 

 

みなさんは練プロになっていませんか?

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