沿革
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1999年
2000年
2001年
1月20日 | 長い間入院していた人の退院に向けた外泊体験のため、狭間さんが自分の部屋を提供。 |
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2月19日 | 新町商店街振興組合の接客マニュアル「ハートフルしんまち」完成。商店街との良い関係が生まれる。 |
2月24日 | いろいろまとめてごくろうさん会(安心市場にて)24名参加。 |
3月25日 | ほっと開設に向けて、ユーザースタッフが生まれるようにめざす。この頃まで赤字は200万円を超えた。 |
4月21日 | 第2回総会&講演会「精神保健のセルフ・ヘルプ活動の展望」。狭間さん副代表に。
広田和子さん(サバイバー&コンシューマー)/長瀬修さん(障害・コミュニケーション研究所) 広田和子さんが当事者だけのミーティングを行う、とても好評だった。 |
6月8~10日 | 「浦河べてるの家」総会に狭間・荒関・俊雄で初めて参加。つながりが生まれた。 |
6月20日 | 長い間入院していた人が退院、それをきっかけに一人暮らしの夕食会が始まる。 |
7月 9日 | 青森大学で講演(見学も含めて11人参加)始めての大学での講演でした。 |
8月19日 | しんまちふれあい広場に初めて参加。16人、リフトカーサービスから頼まれた路上アンケートを実施。 商店街を一日歩行者天国にして、商店街といろいろな団体があつまって行うお祭りイベント。 |
10月1日 | 青森市障害者生活支援事業「ほっと」開所、サンネットも参加。 |
11月18~22日まで | 札幌(ヨベル)・浦河(べてる)訪問・交流の旅。青森と弘前から4人で出かける。 |
2002年
2月20日 | 風間浦村の社会教育「身近な人権を考える」で5人の当事者が語る。荒関さんが初めて原稿を使わずに語る。宿では鮑のステーキ! |
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2月25日 | 第十四回活性化青森大賞を授賞。 |
5月11日 | 第3回総会&講演会「町の中で生きよう」札幌市白石区の共同作業所ヨベルのみなさんが青森に。 |
6月15日 | ゆっくり話し合う女たちの会が始まる。 |
7月 9日 | 駄本舎の車イスの人が来訪。初めての車イスの人の訪問、みんなで二階まで持ち上げた。 |
7月26日 | 毎日新聞青森版「こころを閉じ込めないで 『病者』たちが問う社会」6回連載開始(鈴木記者の取材)。 |
7月29日 | なつどまりサマーレク3回目(27人参加)、仲間をつくり上げようという雰囲気ではない問題が出てきた。この頃から続いてきた課題の一つが、「いいとこ取り」「自分を変えたくない」という姿勢。 |
10月14~18日 | 札幌DPIに5人(弘前2人、三戸1人、青森2人)参加。 |
11月17日 | ファイザー製薬助成のプレゼンテーション(東京)に2人参加。先駆的な精神保健活動への助成を受けることができ、晴れがましい。 この助成で、2003年~04年お買い物宅配の第二期を行う。 |
12月10日 | 人権啓発フォーラムにあや子代理出席(事情がありました)。 |
2003年
5月23日 | 第4回総会&講演会「だれもが気持ち良く暮らし、交流しあう町をめざして」 加藤博さん(新町商店街)/熊谷啓子さん(ふぉれすと所長)/山本誠さん(あくせす施設長) |
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5月27日 | 地域生活支援センターになる予定が、突然の厚生労働省の不採択! |
7月 1日 | 昨年の7月から1年で3人目のご利用お断り、当事者活動の高まりの必要性が緊急の課題に。 |
7月28~30日 | なつどまりでミーティング中心の2泊3日サマーレク。 センターになれない目標の喪失と、当事者活動の揺らぎをみんなで考えました。 |
8月22日 | 宮城のべてるの集いのために俊雄出張、あや子と文通していた渡辺さんに退院祝いの書籍を渡しました。 |
9月 3日 | 浪岡中学校一年生の岩木山体験合宿に6人講演、始めての中学生で緊張しました。 |
12月20日 | 清水義晴さんの講演会。「変革は、弱いところ、小さなところ、遠いところから――浦河べてるの家との出会い、そして気づいたこと」。 |
12月28日 | パソコンスクールの転居仕事に四人、財布を落とす人、へとへとになる人。 |
2004年
2005年
2006年
2007年
2008年
1月5日 | NHK教育“きらっといきる”、ふたりで届けたい――統合失調症狭間さん夫妻が放映。 |
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5月3日 | 第9回総会&講演会「格差社会のなかの仕事・活動・仲間――つながりを求めて」 佐々木賢さん、藤原晃さん 。 |
7月29日 | 狭間美加子さん、20時38分に3,698gの女児出産。 |
12月1日 | 二人の職員採用し、7名体制に。 |
12月23日 | 恒例の望年会。レイアウト変更し、新しいステージに向けた準備に。 |
2009年
2月20日 | 弘前大学医学部付属病院で講演。入院中の方とも交流できた講演ははじめてでした。 |
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2007年からの出来事のなかには、いまも継続中の難題もあり、まだ「歴史」に落ちつかない面があります。でも、その半面、問題・難題に向き合いながら、私たちがめざすものがより明らかになってきた側面もあります。
分かち合いの大切さ。たとえ意見が違っても、互いを大切に感じあうこと。そして、そこで生まれる自由・・・。
10年目の現在、10年の結末をつくり、そして人と人が結び合う新しいステージをつくりたいのです。