引っ越し。

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彼女が自死して、突然息子と孫と暮らすことになった。

あの日あちらのご両親は
「りっくんの事はお願いします。」
と、仰ったらしい。
ご高齢…と言う程お年は召されていないが60歳後半。
やはり4歳の男児を育てるには体力がないのか。

ご両親は教員をされていたので経済的には困らない生活をしている。
何より娘の忘れ形見。
渡さないと思っていた。
息子もりっくんを引き取る覚悟があるのだろうか?
一生父子家庭として、りっくんを守る覚悟があるのだろうか?
いろいろな思いが心の中を走り回った。

が、彼女が亡くなってしまってから私の心の中には『りっくんを守り育てていく』と言う覚悟ができていた。
だからりっくんの養育で両家で揉めるだろうと思っていたが、幸い嫌な揉め事は起こらなかった。

うちは築30年の古い団地に住んでいた。
娘が2歳、息子が2ヶ月の頃越して来た家だった。
6畳が2部屋、3畳の納戸がひとつ、3畳の洋室がひとつ、ダイニングキッチンが6畳。

ここで子供を育てて来たが、子供達が大きくなると人間がぎゅうぎゅう感が凄かった。

大人2人と犬1匹から大人3人、走り回る4歳児とそして老犬。
そしてりっくんの通う発達支援の施設の通所、彼女が探して決めた春からの幼稚園。
あの古い団地では暮らせなかった。
りっくんの養育も幼稚園もこちらの方で…と言う話も出たが、息子が『下町で育てたくない』と頑として聞き入れなかった。
「事情が事情やから、下町でいろんな事情を受け止めてくれる友達の中で育つのも1つやと思うねんけどなぁ」と娘が言った。
これは娘はいまだに時折言う。

あの日から
物件探し。
結局息子の意向を汲む形で。

常にネットとにらめっこ。
不動産屋さんに初めて足を運んだのは秋頃。

二世帯の荷物をどうするか?
息子に言った。
「しーちゃんが生きてたら引っ越しする時捨てるやろうな、と思うものは処分して。」
「お母さんが使うキッチンに置く食器棚とテーブルは悪いけど処分してほしい。」
これ2つだけだった。
が、息子は生返事。
捨てる様子もなかった。
休みの日に家に戻って整理をしなさいと言ってもしなかった。

私は長年使っていたタンスからボードから全て捨てる予定にした。
息子はおそらく丸々そのまま引っ越す気だと思ったから。
うちのぶんまでま持っていけば、20畳のリビングに8畳くらいのウォークインクローゼット…みたいにとてつもなく大きな部屋を借りなければいけなくなる。

ほぼほぼ捨てた。
服も捨てた。
おそらく彼女の遺品でクローゼットはいっぱいになるはずだから。

ペット可。
りっくんが走り回ってもいいように一階、もしくは戸建て。
収納多い。
安い。

そんな物件あるはずもなく、ネットはどのサイトも同じ物件が掲載されていて、不動産屋さんに行っても結局ネットで見た物件しか紹介されず。

エリアをかなり広げて探してもこれと言う物件がなかった。

もうこの家でええやん…
何度も思った。
私は自分の実家より長く暮らした家だ。
古くても狭くても、私にとって思い出がたくさん詰まった愛着のある家だった。
「あそこの焼肉屋さん食べ放題始めてんな。」
「あの店潰れてたの知ってた?」
「隣の人がこれ持ってきてくれた」
「一階のワンちゃん亡くなってんて。」
そんな会話が日常にあって、廊下で同じ階の人と話し込んだり。
消防車がけたたましく前の道路を走って行くとみんな覗いてたり。
気さくで、気楽で…。
私はそんな空気が大好きだった。

でもあかん。
私の居心地の良さを優先したらあかん。
私らが彼女を助けられへんかってんから、自分らだけ気楽に暮らしたらあかん。

古い団地で暮らしていきたい、と思うたびにそう思った。
自己犠牲とかそんなものではなく、私はこれから
『彼女が思い描いていたようにりっくんを育てていかないといけない。それが私にできる彼女への贖罪。』

罪を償っていかないといけない。
環境の変化には人の何十倍も弱い私が、引っ越しへと向かえたのは、その気持ちがあったからだった。

そして物件探しと内覧の日々が続く…。


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