増田≫おはようございます。
増田明美です。
「土曜スタジオパーク」きょうのゲストは「ひよっこ」の語りを担当する増田明美さんです。
ここは茨城県の北部山あいの小さな村。
由香ちゃん、久々の登場。
その語り口実は鉄則と真逆なんです。
増田さんはスポーツジャーナリストとして大活躍。
その徹底した取材が解説に生かされています。
なぜかというとネバーギブアップ。
観客≫増田!増田!かつて女子マラソンのトップランナーとして脚光を浴びた増田さん。
しかし、そのマラソン人生は波乱万丈でした。
その当時はね、増田明美さんもそうだと思うんだけど…きょうは「ひよっこ」の舞台裏そして増田さんのマラソン人生にぐぐぐっと迫ります。
木脇≫よーし、分かった。
走りながら話そう。
増田≫大変失礼しました。
生字幕放送でお伝えします足立≫きょうのゲストは増田明美さんです。
増田≫よろしくお願いします。
渡辺直美≫生の走りが見られました。
きょうは楽しみにまいりました。
増田さんといえば朝ドラ「ひよっこ」の語りをやられていますが周りの反響はいかがですか?増田≫周りの反響はスポーツファンじゃない人も声をかけてくれるんですよ。
それがうれしくてね。
やっぱりドラマがいいわよね。
自分を重ね合わせながら見ている方が多いでしょう。
すごくうれしいです。
きょうも「ひよっこ」色です。
すてきです。
きょうの放送でみね子とお父さんが再会するじゃないですか。
すごい衝撃的な再会だったわけですよ。
今後どうなっていくのかというのが私たちは気になってしょうがないです。
知っていますよね?新しい家族の物語が始まるのね。
本当のことを言うと大体この語りの台本というのは2、3週間先をやるから、私もよく分かっていないの。
わくわくしているんですね。
私も楽しみなんですよ。
でもうれしいですよね。
お父さんに久しぶりに会ったのでね。
いつ来るのかなと思っていました。
やっと会えました。
渡邊≫増田さんは今でも毎日のように走っているんですか?毎日なんです。
佐和子さん、私はね3日走らないと体がかゆくなっちゃうの。
それは体が走りたいんですね。
走りたいアレルギーみたいで。
大体、夫と一緒にねほぼ毎日走っていますね。
60分と決めて、時間で。
そうするとその日の体調に合わせてきょうは7kmいったとか6kmいったとかあまりストレスにならないので。
直美さんは?直美≫私も同じぐらい走っています。
足立≫絶対走っていないです。
笑い声
きょうは増田さんに「ひよっこ」やマラソンについてたっぷりと伺っていきます。
よろしくお願いします。
増田≫夏休みだからお子さんもいますね。
陸上やってるのよね、僕、脚の筋肉のつき方で分かった。
直美≫どう?うれしい?いきなりきちゃったからびっくりしちゃったよね。
隣のお嬢ちゃんも陸上じゃない?観客≫はい。
きょうだいでいらっしゃったんですね。
なんだかあの2人がゲストみたいになっちゃって。
足首がきゅっと締まっているんですよ。
いい足だよ。
あとあとマラソンの話もきっちり聞いていきたいんですがまずは「ひよっこ」についてです。
「ひよっこ」の語りのオファーをいただいたときは最初どう思われましたか?最初は私で務まるのかしらと思いましたよ。
でも、菓子さんというプロデューサーと黒崎さんというディレクターさんがいらっしゃって語りと思わないでと。
マラソンのよく私は小ネタが好きだからうっとうしいって思われるかもしれないですけどもマラソンの小ネタを言うみたいに昭和の文化を伝えてくれればいいからと言われて。
だったらできるかもしれないと思いました。
ドラマの制作者の方に語りに増田さんを起用した理由を聞いてきました。
黒崎≫脚本の岡田さんが、語りを増田さんにお願いしてはどうかというふうにおっしゃったのが最初のきっかけだったんですよね。
僕の中には、その当時は全く考えてなかったお名前だったので、最初はとても意外だったんですね。
でも、ふっと考えて、それは…おはようございます。
増田明美です。
きょうから半年間声のおつきあいよろしくお願いします。
押しつける声じゃなくて…増田≫うれしい。
もったいない、おことばですね。
足立≫確かに最初に始まっておはようございますって自己紹介…増田明美です、と入るのはなかなかナレーションとしてないじゃないですか。
台本を見られたときどう思いましたか?ずうずうしいなと思った。
笑い声
私、本当にしゃべっちゃっていいの?と思いましたね。
岡田さんの遊び心というんでしょうかそういうのが見えましたし。
本来のっていうのじゃないじゃない?私、本当に今までナレーションといったらNHKスペシャルを好きで見ているんですよ。
こういうナレーションがいいなと思ったのが渡邊佐和子さんですから。
渡邊≫恐縮です。
ありがとうございます。
お顔を見る前から経済関係のをやられていて。
経済の特集がNHKスペシャルでありました。
それを見ていただいていたんですね。
それで私は名前を覚えていて。
ありがとうございます。
本来のナレーションとは違うと最初に言われたから皆さん、何でもやっちゃおうかみたいな作る側にも遊び心があるみたいね。
直美≫岡田さんも遊んでいるなという感じがしたんですか?これもご縁なんですけど岡田さんと、民放の番組審議委員をやっていましていつもお隣なんですよ。
岡田さんは「おひさま」とか「ちゅらさん」とかの脚本の方と聞いていたんですけど番組を審議するのに常に優しいし、ポジティブ悪いことを言わずにいいことばかり言っていて優しい方だなと思っていてその岡田さんが隣で私の声を聞いていたのかしら?これもなんか岡田さんがいらっしゃらなかったらこういう機会に恵まれなかったので。
いろんな方との縁がありますね。
渡邊≫今回それで来ていただいたんですけれども。
人生、縁ですね。
語りをやっていて岡田さんとお話をされているんですか?しています。
岡田さんのこともいっぱい知ってますよ。
秘密というか。
いろんな取材もされていますし岡田さんについてはどうですか?岡田さんってこんなにお忙しいでしょう?でもいつも元気じゃない?睡眠時間が少なくても。
奥様がお料理の有名な方で岡田めぐみさんという方なんですけど調理師免許を持たれていて本を出されているんです。
お子さんが2人いらっしゃって家族が温かいの。
おいしいお料理を召し上がっているから。
温かい家族のストーリー「ひよっこ」もそうでしょう?そういう方なんですよ。
何でも知っていますね。
足立≫「ひよっこ」の語りユニークだと思うんですがそのねらいについてドラマの制作者の方に聞いてきました。
黒崎≫一緒にお客さんの隣で一緒にこう並んで座ってここおもしろいねとかここ分かんないねとかみね子頑張れとかっていうふうに一緒に応援してくれてる人…。
宗男≫いやー、元気だったか。
何だかおかしな人ですね。
朝ドラには変なおじさんがよく出てきますよね。
何ででしょうね。
愛子≫もう!知らない。
誰に怒っているんでしょうね。
コントみたいですね、愛子さんかわいい。
さあ、新しい生活のスタートです。
頑張っぺ!みね子。
黒崎≫テレビ番組の中のナレーションって……っていうことを注意しながらお互いやってます。
実際に出来上がった画面のみね子のお芝居を見てもらって……みたいなやり取りをずっと増田さんとご相談しながらやってますね。
例えば、お父ちゃんのねいなくなってしまったお父ちゃんの姿をもう一度みね子がニアミスするようなところですかね。
そこで、えーっていうような増田さんの声がありますけど。
私が代わってご説明しましょう。
そもそも徳川家康が江戸に幕府をう〜?えっ?だから本当にその物語の中の世界とそれを普通に見ながら感想を素で言っていただいている感じというのがぎりぎりで混ざってるふうに伝わっているといいかなと思うんですけど。
あとは木脇先生が走るシーンで「大変失礼いたしました」っていうことばがあるやっぱりいろんな言い方を試されたうえで自分が走った姿をモニターでご覧になっていただいてしゃべっていただいた増田さんのお声は…木脇≫なるほどね、そこに興味持ったんだ。
よーし、分かった。
走りながら話そう。
ほぼナレーションというより素のおことばだったのかなという。
だから、そういうのがとれていくと、「ひよっこ」っぽい増田さんのナレーションになっていくんじゃないかなと思うんですけどね。
拍手
増田≫でもね、本当にこういうふうに黒崎さんたちに私は育ててもらっているのね。
本当にちょっとでもトーンが低かったりすると黒崎さんがね増田さん、もっと寄り添ってって。
もっとドラマに寄り添ってってお声がけをいただいたりもっとパワーがあっていいよとかなんかアドバイスをいただくから私も視聴者目線でいながらもそういうふうに、ここでナレーションをやらせていただきながら育てていただいているというのがうれしいですね。
足立≫でも語りだけでなく出演もされているわけじゃないですか。
出演もしちゃったんですよ。
出演のお話をいただいたときはいかがでしたか?走るのは得意ですからね。
直美≫走りながらの演技ですから。
でも、これも皆さんのおちゃめ心ですね。
でもね、このとき大変だったの。
当時の昭和39年代のシューズというのは底が薄いでしょう?地下足袋みたいなんですよ。
それで200mくらいリハーサルも含めてダッシュしたんですよ三男と一緒に。
全力でダッシュをしたらね帰りに駅まで歩いているときに足が痛いの。
筋肉痛かなと思ったらその痛さじゃなくて肉離れを起こしていたのあの撮影で。
私、頑張っちゃったのね。
渡邊≫気付いたらそうなっていたんですね。
でも当時のシューズで。
今はクッションがありますけれどもあのシューズでマラソン選手の皆さん円谷さんとか本当に大変だったんだなと思って。
直美≫今は大丈夫ですよね?年齢はいっていますけれども回復が早いですから。
役名が木脇先生だったんですけれども増田さんの本名だと聞いたんですけれども本当ですか?これも岡田さんなんかが。
こういうのもおちゃめですよね。
そのまま木脇でね。
これが「いじゅういん」とかいう名前だったら奥茨城には合わないでしょう?木脇といったら木の脇で奥茨城っぽい田舎っぽいじゃないですか。
木がいろいろありそうな。
そういうのもあるのかなと思いましたけれどもね。
改めて「ひよっこ」の語りで大事にされていることをおさらいします。
まず最初が、一緒に見ている立場。
その辺りはかなり意識してやっていらっしゃるんですか?そう、もう自分がドラマの中に入って共感できると自然にあー!とか、えー!とか黒崎さんからよく言われる増田さん、もっと大げさでいいですよと言われるんですけれども一緒に見ている立場でいるとそれが自然にできるのでまずは共感というか同化するような感じそれを大事にしています。
なかなかやろうと思ってもできなかったりするじゃないですか。
難しくなっちゃうよね。
でも、できちゃうんですよね。
こういう感じでいいんでしょうかね、姿勢としては一緒にという。
渡邊≫ナレーションをするときにふかんしすぎたりすると対象と心が離れたりするんですけれども増田さんは本当に一緒に並んで走っているような感じですよね。
私はそれを大事にしているんです。
まさにマラソンの解説をするときに主役は選手でしょう?すばらしい走りをしているときっていつの間にか沿道で子どもたちが夢中で走っているじゃないですか興奮して。
ああいう感覚でやりたいと思っているのでそんな感じは、うれしいです。
そうなんですよ。
一緒に走っている感じがしますね。
そういうふうになっていればいいなと思って。
直美≫なっていますなっています。
見る時間あるんですか?はい、見ています。
いつも癒やされています。
直美さんも足立さんも本当にお忙しいので。
足立≫続きが気になってしょうがないです。
また、増田さんのいい語りで終わるから続きが気になるんですよ。
増田≫これがうまくね…。
一話一話おもしろいですよ。
あしたどうなるんだろう?という感じだから。
それが一緒なんですよね。
増田さんのナレーションと気持ちが。
よかったです。
私は最初、依頼を受けたときに台本を見て邪魔にさえならなければいいと思ったの。
内容がよくて皆さんの魂が一話一話に入っていてこれで私が変な語りをしたら陳腐になっちゃうでしょう?それさえならなければいいと思ってそういうふうに感じてくださっているならうれしいです。
気になっているんですけれども素のことばの部分でアドリブを入れたりすることもあるんですか。
もう、そういう余裕がない。
ほとんど台本のまましゃべっていて宗男さんのときにもね変なおじさんが出てきますよねなんて台本にあってでも私が素を出せるといったらえー!とか、あー!とかおー!とか感情の部分くらいですね。
先ほどのえー!という部分も本当に同じ素の感じがすごい出ていらっしゃって新しくてすてきだなと思いました。
本当ですか。
もうなんか木に登るね。
登ってください。
きょうは実際にどういうふうに語りを収録されているのか現場にお邪魔しました。
直美≫実際にやられているところですよね。
増田≫そうです。
映像を見ながらね。
緊張もあったと思いますが今は楽しく?スタジオのムードが明るいから。
すぎちゃんという女性が機械をいじったりするんだけれども。
足立≫すごい動かれますね。
結構、体をいろいろ動かしてやられているんですね。
いつの間にかなっているのね。
ディレクターさんからの指示とかは?全然ですよ。
基本的に、ことばが動かないと出てこない人間だからスポーツをやっていた人間だから。
直美さんみたいにダンスはしないですけれども。
ダンスをしたら音が入ります。
立たれてやることもあるんですか。
これは予告。
予告のときは立つんですか?予告のときは立っちゃうね。
足立≫なんでですか?やっぱり声が出る。
予告は来週の「ひよっこ」は…。
ちょうど一緒の声が聞こえてきた。
直美≫すごい動いている。
こっちのほうが力が入って次、何だ?っていう楽しみな感じになる声ですね。
増田≫そうなんですよ。
直美≫貴重なところをありがとうございます。
やっぱり楽しいの。
みんなが乗せてくれるし歌っちゃおうかという感じで言うでしょう?今のは、川上さんという方だけれども和気あいあいとやっているから駅伝チームみたいな感じね。
みんなで作っている感じだから乗っちゃってね。
乗りすぎていないか最近心配で。
全然全然。
直美さんの乗りとは違うから。
私は調子に乗っちゃっているからあれですけれどもあんなに動いているからこそ感情が乗ってでも声がすごく柔らかくされていますよね。
本当?予告のときには柔らかさに芯みたいなものも持たせたいんですよ。
もっとはってね。
ふだんはのどの辺りでしゃべっている。
プロじゃないから立つとおなかから出る感じだからどうしても立っちゃうのね。
それは意識して予告のときは立つと?そうなりますね。
足立≫自宅で練習はされているんですか?自宅ではスタジオ明美を作っています。
そういう施設を?そんなスタジオが家にあるわけはないんだけれども。
テーブルにICレコーダー。
渡邊≫ICレコーダー?アイスだと冷えちゃうからね。
とんちんかんでごめんなさいヘッドホンをして一応自分がしゃべる声と録音したものを聞くとちょっと違いがあるんですよ。
だから必ずやって聞いてからスタジオに入るという感じで。
それを毎回やられてから入るんですか?旦那さんに聞いてもらうというのも聞いたんですけれども。
うちの夫がうるさいんですよ。
全然緩急がないよとか間が全く一緒とか。
直美≫厳しい。
まずは先生だね、夫が。
スタジオに入るとやっぱりそれでよかったんだというときと黒崎さんが言っているのとは逆のことを言っていてうちの夫はやっぱりど素人なんだなと。
語りをやっていて楽しそうですけれどもね。
楽しいですね。
本当に何て言うのかしらやっぱり台本を読んでできるだけ気持ちを込めるってなってくる中で気持ちを込めながら緩急とか間とかを自分で学んでいきますよね。
53歳なんですけれども53歳にして新しいチャレンジができるチャレンジすることの楽しさを今、味わえている感じがしますね。
直美≫これからが楽しみですね。
足立≫語りも注目して聞きたいですし見ていきたいですね。
ますますおもしろくなりますから楽しみにしてください。
続いては増田さんのスポーツジャーナリストとしての活動に迫っていきます。
増田さんといえば陸上の解説がなんともユニークですよね。
そうかしら?実況≫田中智美も中学校から陸上を始めた選手です。
実況≫こちらが三つ子のランナー。
オリンピック至上初めての三つ子のランナーとして登場したエストニア。
持ちタイムは2時間37分から2時間40分ということで。
まだこれ予選という段階ではあるんですが、その中でこれだけ前に出ましたね。
…という選手らしいですね。
小出義雄さんみたいにいいねとか、よかったねとかのせられないから何かもうちょっと自分をのせてほしいなんてやり取りがあったらしいですね。
なぜかというとネバーギブアップ。
ここはネバーギブアップで。
実況≫ちょっと待ってください。
これ上原、前に出ましたよ。
3800mというところでこの集団の中でまた前に出てきました。
拍手
直美≫本当におもしろいですよね。
選手のことも知ることができるし楽しいですよね。
増田≫そうやって言ってくださるから民放ではよく解説のお声掛けしていただくんですけれどもNHKは解説に関しては専門家ならではのコメントが欲しいでしょう?NHKは1個もないからね。
笑い声
でも、それがいいのいいの。
やっぱりもっと分析したほうがいいという人はいっぱいいますから勝負のあや。
あやが欲しいとここで勝負にいってほしいというときに私は、誰々さんがおばあちゃん子なんですって言ったりしているから。
足立≫さっきもねぎまの話をしているときにアナウンサーの方がちょっと待ってくださいって止めていましたけれども。
あれは渡辺さんといってNHKのアナウンサー。
渡邊≫渡辺憲司アナウンサーです。
上手なアナウンサー。
ネバーギブアップと言ったときになるほどと言って話を変えていましたものね。
でも、あれがよかったんだよ。
私を受けずに渡辺アナウンサーが実況に徹してやっているじゃない?迎合をしていないじゃない?視聴者がお互いに迎合しないと言っておもしろキャラだったの。
渡辺憲司アナウンサーからメッセージをいただいています。
上原選手のときに世界の一流選手の中でいちばん前を走る、これはビッグニュースだと思って力を込めて実況したらキーホルダーの話おおっと、ここでそうくるかと。
自分の仕事はレースを実況することと思って増田さんの情報をうまく拾えなかったのですがあとから思えば視聴者の皆さんは増田さんの情報で上原選手に親近感を抱きさらに走りのすばらしさに関心を抱いてくださっていたかもしれませんよね。
レースと増田さんの情報両方をもっとうまくミックスできたらよかったかなと反省しましたということです。
謙虚ですね、渡辺さんいいんですよ、あれはあれで。
関係者に聞いたら変に仲がいいという感じでなくてお互いに譲らない。
渡辺さんが私のコメントをスルーしたら私も負けじとまだそのあとも言っているのね。
それがおもしろかった。
私も勉強したんだもん。
迎合をしすぎちゃだめね実況と解説者が。
反省しなくても大丈夫なんですね。
これでよかったの。
直美≫増田さん的にはスルーしてもらったほうがありがたかったと。
帰ってから見たらおもしろかったもの。
おもしろいです。
それぞれがやっている感じが。
大丈夫ですよ、ということで。
安心したかもしれませんね。
名アナウンサーですからね。
足立≫増田さんの解説は小ネタ披露風と言われていたりしますが選手の細かい情報を大切にされているのは何でかなと思ったんですけれども。
増田≫そうね競技だから競技を伝えるのは当然なんですけれどもやっぱり選手である前に人じゃないですか。
なぜここで先頭集団で走れるかなぜいちばん苦しいところで追いつけるのかといったときにこういう人だからだって。
人は、どういう質問をしたらその人が出るかなって考えたらどんな子ども時代を過ごしていたの?とかね。
あとは好きなことばは?とかお父さん、お母さんはどんなふうに育ててくれたの?みたいな。
だから私はそこをいちばん聞きたいからそうすると、やっぱりたくさんの小ネタを拾っちゃいますね。
ほんとに増田さんの取材は取材力というんですか?すごいと思うんですけれども取材を受ける側の人がどう思っているのか聞きました。
すごいですね。
この取材力が。
そうじゃないんだよ。
こっちがね、ことばよくないけどね…また来てくれたんですかってね、するとなんか…仲間になっちゃう。
そういうようなことをねやっぱり彼女はしてる。
自腹ですよ。
新聞記者には言わないことを明美ちゃんには言えるってね。
増田≫瀬古さん、小出さんありがとうございます。
瀬古さんは、今マラソンのプロジェクトリーダーです、選考基準も変えて。
この前、小出さん、いいことを言ってくれましたが先月、お会いしたんですよ。
有森さんとか高橋尚子さんとか先月、お会いしたら朝ドラいいね、見ているね「ひよっこ」ですよと言ったら勝手に「ひょっとこ」と言っているんです。
おもしろい方ですよね。
直美≫海外の取材は自腹で行っているんですか?中継があるのはテレビ局ですけれども個人的な取材というのは当然、自分の取材ですから瀬古さんが言ってくれたみたいに行くからよく来てくれたねと言って話してくれちゃう監督は多いですね。
足立≫人間関係を作るのがうまいと言っていましたね。
そういうのって取材に大事なんですね。
あとは、幸いなのは自分が選手で走っているときの仲間たちが今、現場の指導者になっているんですよ。
だから一緒に汗をかいてきた人たちだから取材をしやすいという。
新聞記者の皆さんにはごめんねというくらい入り込めちゃうんです。
直美≫もともとのチームがあるからね。
渡邊≫さっき小出監督が真っ黒になっているというノートをお借りしました。
そんなに真っ黒でもないですよね。
2016年7月12日に書いたものです。
ともちゃんとありますが。
去年のリオオリンピックのときの女子マラソンの田中智美さんです。
菅平で合宿をしてるときにお邪魔したんです。
ともちゃんがしゃべってくれたことを書くので、自分でも読めなくなっちゃうくらいの字でしょう?走り書きで。
お父様がエンジニアで。
お母様が主婦でお兄様の年齢ともちゃんよりも3歳年上ということが書いてあるんですね。
おいっ子は、かける君です。
字を聞いたら書いてくれたんです。
細かく書いてありますね。
私、取材をしている時間が楽しいんですよ。
これで終わってほしいんだけど解説するときに、またきれいにまとめる作業が面倒くさいのね。
毎回、取材でマストで聞く質問はあるんですか?子ども時代のことかな?それとあとはいちばん苦しかったときはいつ?と。
けがのときなのかどういうスランプの状態があったのか。
私こういうふうに現場に行って材をたくさん集めてくるということを始めた最初のきっかけは永六輔さんだったの。
現役を引退して25年前、すぐにラジオのお仕事をいただいたとき永六輔さんとお会いしてどうしたら永さんのようにラジオなのに、においが伝わるお話ができるんですかとしつこく一緒に歩かせてもらって永さんのようになりたいと思って聞いたんです。
そうしたら、興味がある人とか事柄には現場に行って五感で感じたものを持って帰ってきてうまくしゃべろうと思わずに体で紡いだものをしゃべればいいと。
そうするとにおいが伝わると。
引退してすぐに永六輔さんにお会いできたというのも私にとっては本当にありがたい神様みたいな方なんですけれども。
それでいろんなところにご自身の足で取材をするというのを学べたんですね。
大きかったですね。
今まで解説についてお話をいただいたんですけれどもたぶん皆さん気になっていらっしゃる方がいると思います。
増田さんのマラソン人生についても伺っていきたいと思います。
だって生まれていないですよね?80年代ですからね。
私は1992年です。
1987年でぎりぎりなんですけれども。
本当は私のことは知らなかったでしょう?知っていますよ。
もちろん知っていますけれども若かりしころのマラソンの詳しい話は今からいろいろと知っていきたいなと思います。
増田さんは千葉県のご出身です。
1964年生まれ東京オリンピックが開かれた年なんですね。
「ひよっこ」の時代設定もこのぐらいですよね。
ちょうどです。
だからこれも縁があったのね。
昭和39年で1964年東京オリンピックの年の生まれなんですが、東京オリンピックは赤ちゃんだったから。
映画監督の市川崑監督の映画を見て東京オリンピックのことを知ったんです。
増田さんは中学生のころに陸上を始めたと伺っています。
どういうふうに始められたんですか?これは中学校のとき14歳のときです。
足立さんと同じなのよ。
ソフトテニスをやっていたでしょう?長崎で。
そうです。
私は「エースをねらえ!」の岡ひろみに憧れてテニス部に入ったんです。
テニスでは全然だめでね下手っぴでね。
町内一周駅伝大会というのに出たら男性を抜いて大活躍をして中学2年生から陸上部に入ってそれから調子よく陸上のほうはいきましたね。
自分で入りたいというわけではなく、たまたま出た大会で。
駅伝でね、いったんです。
そこから走ろうって決めたんですか?陸上部の先生がいらっしゃいと言って、テニス部の先生はあなた下手だから向こうにいきなさいとうまい具合に陸上部に入ったんです。
でもテニスをやってるといろいろな筋肉を使うでしょう。
腕だけじゃなく、意外と足腰って大事なんです。
結構、失敗するとコートをずっと走らされたりするくらい足腰が鍛えられます、それがあったのかもしれないですね。
渡邊≫中学卒業後、陸上の名門高校に進学します。
日本記録、当時塗り変えちゃったんですよね。
20kmは世界記録です。
すごい!増田≫これは天才少女と私言われたの。
自分で言うのも何だけど高校時代。
笑い声
やっぱり私成田高校に行ったんですけれど成田高校が陸上も強くて名門の学校で後輩には室伏広治さんがいるんです。
澤野大地さんもいます。
瀧田詔生さんというものすごく情熱的な指導者、監督がいるんですよ。
瀧田詔生さんの弟さんが俳優の瀧田栄さん。
熱い指導を受けたから強くなったんです。
これだけの記録を出すと若い選手はあまり人が走っていなかったんじゃないかということでやっぱりQちゃんとか野口みずきさんがメダルを取って陸上の層が厚くなったから今と比べたら1980年代はそんなに層は厚くなかったと言えるんだけど記録ではいつまでも通用するんです。
5000mでは今では強い選手ですよ。
1982年の記録ですね。
これだけ記録を出していたんだったら楽しかったんじゃないですか。
乗っているときはいい物質が出ているんじゃないかなというくらいに楽しかったです。
このころは本当に新聞も載せてくれてすい星のごとく現れたスーパー女子高校生だったから。
乗っているときってつかれてもつかれないですよね。
私は疲れます。
ビヨンセを踊っていて疲れちゃいますけれども練習はどうですか?男子の選手がライバルですか。
成田高校は千葉県の代表で都大路なんかを走る強い高校だったんですけど男子より速かったんです。
生意気に最後15周なんですけど男子の前でお先失礼しますと言って最後の1周をあげるのよ。
瀧田先生がもう一周と何とかがついているだろうと。
男だろうということですね。
次の練習のときにお先失礼しますと言ったら男子のキャプテンからつばをかけられたぐらい私は速かったんです。
当時増田さんはとにかく練習熱心だったということで関係者にそのときの話を聞きました。
≫高校時代、増田明美さんと同じ陸上部に所属していた米田葉子さんにお話を伺いました。
先生に与えられたメニューとか監督に言われたことプラスアルファで自分でやっぱり。
あとここで最後の詰めでこれをやろうとかって…腹筋でも何でも1000回とか。
それ、もうちょっと正しくやって回数少なくてもそのほうが効き目あるよって思うんですけど、彼女のはもうオリジナリティーだからやってるトータルな時間がすごい長いので、それで全身の持久力を養ったのかなとか。
実際に腹筋に効くという以外の…軍隊のトレーニング風にアレンジしてたのかなっていうようなものをしてましたね。
瀬古≫いちばんすごいと思ったのが…いや、この子ただ者じゃないなと思ってやっぱりそういう前向きな姿が、明美ちゃんを支えてるんだなと思いましたね。
走るだけでは絶対強くならないと思ったんですよ、僕も。
ほかのこともやってたんですよ。
ずーっとやってるんです。
聞いた瞬間にこの子すごいと思いましたね。
拍手
直美≫すごい鍛えて。
増田≫私が頑張れたのは瀬古さんが80年代の大スターだったんですよ。
世界の瀬古だったの。
私は記録を出し始めたら女瀬古と言われたの。
瀬古さんに対して恥じないような選手でいなきゃって憧れていましたから。
それで身長が低かったので150cmでね。
当時は1mmでも大きなストライド欧米の選手と戦うためには1mmでもストライドを大きくしなければと。
渡邊≫ストライドというのは?走っているときの足の幅。
背が低いからそのためには腹筋が必要だと瀧田先生から言われたんですよ。
だから腹筋を3000回くらいやっていました。
毎日はストイックじゃないとできないですよ。
でもストイックというか習慣になっちゃうと1時間半なんですよ3000回が。
もうそうすると禅の世界。
自分で向き合ってやっているわけだからいちばんいい時間で鍛えているというよりもそういう時間になっていましたね。
足立≫そんな増田さんに試練のときが訪れるんです。
≫1984年に行われたロサンゼルスオリンピック。
この大会で初めて女子マラソンが正式種目になりました。
増田明美さんは日本代表として出場。
メダルが期待されました。
出だしは好調。
観客≫増田!増田!しかし、16km地点で無念の途中棄権となりました。
みんな日の丸振ってくれたり応援してくださったのに完走もできなくて日本に帰るのかなと思うとやっぱりすごく私は何のために日本代表になったのかなと思って。
足立≫どうですか?当時の映像を見て。
増田≫かわいそうだね。
二十歳だったんですけれどもやっぱりマラソンというのは全部自分が出ちゃいますね。
2時間以上でしょう?自分の性格とか、弱さとかみんな出ちゃうのね。
当時の私はやっぱりなんかね、プレッシャーに弱かった。
直美≫プレッシャーを感じていたんですね。
壮行会でも頑張れ頑張れって言われてそういうのにのまれちゃってちょっとパニック症候群というか病気になるじゃない?そんな状態になって。
これも私の性格なんだけれども日本記録を作ったときなんかはずっと先頭を走ってゴールしちゃうんですよ。
オリンピックも私の中ではよいイメージしかないのね。
先頭集団を走っている。
そうじゃない展開になったときにもうだめだってすぐに諦めちゃうそれも自分で。
今だったら諦めないよね。
だからマラソンって人間力というのはよく言ったもんだなと。
全部出ちゃうから。
だからあれは私の二十歳のマラソンだった。
直美≫そこからずっと走り続けていたじゃないですか。
それはやっぱり二十歳のときのことがあってそれがバネにというのがあるんですか?でもね、このあとは3か月間外に出られなくて落ち込んじゃって走るのをやめちゃおうかなって。
1年ぐらいやめましたよ。
そうだったんですね。
だけど閉じこもっている間に優しいお手紙をいっぱいいただいてね。
明るさを求めて暗さみずとかそういうことばをいただいたりとか、そういうはがきなどに元気づけられて途中棄権で終わっているからこのままでいったらコンプレックスになっちゃうなとビリでもいいから最後までマラソンを走ろうとだんだん思えてきてそうしたら、ばねになってきてこの失敗がそうなるまでには時間がかかりました。
たくさんの方が支えてくださって。
本当に人ですね。
苦しいときに元気にさせてくれるのは人ですね。
足立≫増田さんがマラソンを通じて、こういうことを学んだということはありますか?やっぱり人の優しさを感じたでしょう。
あと私好きなことばで失意泰然、得意淡然ということばがあるんですね。
よくない、落ち込んだときにも平然としていて調子がいいときにも得意なときにも舞い上がらずに常によくても悪くても自分らしくということはマラソンから学びましたね。
天才少女と言われていい気になってちょっとてんぐになっていた時期もあったんだけれどもオリンピックの棄権で鼻をへし折られてそういうときには人に助けてもらってそれがマラソンから学べたことかなと思いますね。
支えようと思う方がたくさんいるのは増田さんの人望ですものね。
そう?そうだと思います。
でも直美さんみたいになりたいよ私は。
体型のことですか?違う違う。
ななみ≫♪〜
「天城越え」
♪「あなたと越えたい天城越え」お粗末さまでした。
直美≫どうしたの?ゲストが増田明美さんと聞いて歌いたくなっちゃったの。
増田≫さすがよく知っている。
こんにちは。
「天城越え」が大好きな歌って聞いたんだけれども。
そのとおり、よく知っていたね。
ななみの取材力。
「天城越え」を歌うことある?今も歌うよ。
どんなとき、歌うの?なんか調子に乗っているときに歌うね。
張り切っちゃうもんね、この曲ね。
自分の勝負曲は大事だもんね。
きょうはまず音楽にまつわる番組から紹介するよ。
「まるNフラッシュ」。
♪「天城越え」≫ナチス・ドイツの嵐が吹き荒れるヨーロッパ。
この時代に活躍した日本人の音楽家がいました。
近衛秀麿さん。
世界最高峰・ベルリンフィルで初めて指揮をした日本人です。
彼にはもう1つの顔がありました。
自身のオーケストラを隠れみのにしてユダヤ人の国外脱出を手助けしていたのです。
秀麿の足跡をたどり俳優・玉木宏さんがヨーロッパを縦横無尽に旅します。
♪〜アメリカで注目を集めるこちらの合唱団。
その歌声は今や全米で引っ張りだこ。
ホワイトハウスにも招かれて歌声を披露しました。
その人気を一躍高めたのがこちらの動画。
再生回数はなんと8800万回以上。
合唱団を率いるのは子どもたちにMASAと呼ばれる福田真史さん。
MASAの手にかかると子どもたちが見違えるように成長することから奇跡の合唱団と呼ばれています。
これが本当の、音楽のすばらしさなんだよっていうことを、すごい伝えたいんですよ。
MASAと子どもたちの成長を追ったBS1スペシャルはあす夜7時。
ななみ≫みんなで合唱気持ちよさそうだよね。
「ひよっこ」でもみね子たち乙女寮メンバーが合唱していたよね。
増田さんは合唱する?増田≫合唱はね♪〜「雪の白樺並木」やっていましたね。
「ひよっこ」でね。
歌は楽しいよね。
楽しいですね。
ななみちゃんの、そのかわいらしい声で「天城越え」いいね。
本当?じゃあ今度デュエットしようよ。
どこでやろうかな?土スタでやってくれるかな。
みんなで合唱団組もうね。
直美ちゃんと梨花ちゃんは合唱したことある?足立≫中学のころ合唱コンクールとかあったけど、それ以降はあまりやらないな。
直美≫小学校のときに合唱団に入っていました。
歌うことが当時から好きだったので、ソプラノで高い声が
(高い声で)結構出るんです。
ななみ≫「天城越え」増田さんが大好きだから聴かせたいなと思って。
続いて紹介するのは昔々の物語。
見てのお楽しみに。
≫日本列島誕生の数千万年のドラマに迫るNHKスペシャル「ジオ・ジャパン」。
今回は、日本列島が世界有数の山国へと変貌を遂げる物語です。
こちらは、新潟の八海山。
あるとき、突如として高くなった山です。
その山頂に、日本列島が山国となった秘密が隠されていました。
山国誕生の秘密を求めて日本各地の山岳地帯の奥深くまで分け入りました。
そして、ついに明らかになった山国誕生の秘密とは?ななみ≫絶景がいっぱいだったね。
直美≫すごかったね。
増田さんは山はどう?高地トレーニングとかしていたよね。
増田≫行っていましたね。
御嶽山とか。
今でも山登りはする?最近しないけどね。
私、今登ってみたい山で三重県にある御在所岳。
足立さんの故郷。
足立≫地元です。
すぐそこにありました。
菰野町。
チームの取材で近くに行ったことがあるんですよ。
御在所岳が見えて登りたい山の形をしていた。
普通に見えたから。
普通の山にしか見えなかった。
カモシカとかがいっぱいいるんですけれども自然豊かな。
ななみ≫梨花ちゃんも登らないとね。
私はロープウエーでしか登ったことない。
直美≫なんで登らないの?山嫌いだから。
何でそういうこと言うの。
うそでしょう?みんなで登ろうよ。
渡邊≫増田さんが一緒だったら登れるかもしれない。
増田≫直美さんもね。
直美≫登ったときの爽快感と一緒に登ったときの団結感が深まりますからね。
登ったことはあるんですか?一度もないですけれどもね。
あるみたいな言い方。
挑戦してみたい。
渡邊≫「ひよっこ」の見どころを少し。
増田≫いっぱいありすぎちゃうね。
きょうお父さんと会えてこれからゼロから家族をつくり上げていくすばらしさとあとは恋の行方かな。
気になりますね。
渡邊≫来週のゲストは2017/07/29(土) 13:50〜14:50
NHK総合1・神戸
土曜スタジオパーク▽ゲスト 増田明美[字]
朝ドラ「ひよっこ」での独特の語り口が評判になっている増田明美さん。その舞台裏とは?波乱万丈のマラソン人生、魅力的な“小ネタ披露風”スポーツ解説の秘密にも迫る!
詳細情報
番組内容
ゲストは朝ドラ「ひよっこ」での柔らかな語り口が評判になっている増田明美さん。語りが秀逸だった数々の「ひよっこ」名場面。その舞台裏を語っていただきます。さらに増田さんの波乱万丈のマラソン人生を振り返るとともに、魅力的な“小ネタ披露風”スポーツ解説の秘密に迫ります。
出演者
【出演】増田明美,【司会】渡辺直美,足立梨花,渡邊佐和子
ジャンル :
情報/ワイドショー – 番組紹介・お知らせ
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
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