なんとなくいろいろまとめ
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げんふうけい?



寝ようとする→兄の焼死体がこっちを見ている→起きる

   
ひーちゃんは中学生の頃に三人殺した
父、母、兄の三人だ
自殺しようと思って、自宅に火をつけた
はた迷惑な野郎だ
  
そしたらひーちゃんだけが助かってしまった
やっちまった、とひーちゃんは思った
いい人達だったのに燃やしちまった
  
  
家が無くなり、家族が全員死んで、
親戚の家で暮らすことになったひーちゃんは、
「いざとなったらもう一回自殺すればいいや」と思い、
そしたらけっこう生きるのが楽になった
  
火をつけたのがひーちゃんだとは誰も思わなかった
  
  
高校は遠い、勉強は難しい、親戚は優しい、
多忙な生活の中で、ひーちゃんはふつうの人間になっていった
  
「なんで自殺なんかしたんだろう?」と思うようになった
中学の頃の俺は、頭がおかしかったんだ
  
  
ひとごろしのひーちゃんは、
奨学金を使って大学へ進学し、一人暮らしを始めた
  
全ては順調に行っているように見えたが、
春の終わりごろから、寝不足に悩まされるようになった
  
兄が寝させまいとしてくるのだ
  
確かに悪いのはひーちゃんの方なので、
そういうことをされても仕方ないとひーちゃんは思った
  
  
眠りにつくその瞬間、ふっと目が覚めて、
窓なんかに目をやると、兄がこっちを覗いている
死んだときの姿そのままで
  
あまり気持ちの良いものではない
率直に言ってびっくりする
正直さいしょは悲鳴をあげた
  
直接的な何かをしてくるわけではないが、
ひーちゃんは着実に弱っていった
  
  
授業中に居眠りをするようになって、
ひーちゃんはある法則を発見した
  
人前で寝る分には、兄は現れない
  
教室や食堂など、人の集うところだと、
ひーちゃんは安心して寝られるようになった
一人でもひーちゃんの存在を意識している人がいれば、
ひーちゃんはよく寝ることができた
  
  
じゃあ友達に手伝ってもらえば寝られるじゃん!
しかしひーちゃんには友達がいなかった
  
罪の意識からくる自分への戒めなのか、
単純に人付き合いが苦手なのか分からないが、
とにかくひーちゃんには友達がいなかった
  
眠くなると、近所のマックやドトールに行って迷惑がられた
それでも睡眠時間はろくにとれなかった
  
  
  
たぶんひーちゃんは寿命が残り少なかった
ひーちゃんもそれを自覚していた
  
兄は本気でひーちゃんを連れていくつもりだった
ひーちゃんも仕方のないことだとは思った
  
むしろ、父と母が同じように現れないのが不思議だった
親と言うのは心が広いんだなあ
  
  
一生懸命生きてきて、自分の人生に愛着も湧いていたが
一方で、そんなに生き残りたいとも思わなかった
  
ただし、積極的に死のうという気もなかった
そのうち目が悪くなり、耳も遠くなってきた
起きてるんだか寝てるんだかも曖昧になってきた
  
  
  
その日もひーちゃんはイオンのフードコートで寝ていた
携帯がガタガタいう音で目が覚めた
そういえば携帯って振動するんだっけ
  
ひーちゃんが携帯をぱかっと開けると、
なんと着信が五件もきていた
これはひーちゃん的には一年分に相当する
  
  
選択科目の授業でペアを組んでいる相手だった
授業のことで何かあったのだろうか
あわててひーちゃんはリダイヤルした
咳払いをして声を整えた
  
死期が近づいていると分かっていても
相変わらずどうでもいいことが気になる
単位なんてとっても仕方ないのだが
  
  
  
「寝てた」とひーちゃんは言った
  
「だろうと思った」と相手の子は言った
  
しょっちゅう隣の席で寝ているから
ひーちゃんがよく寝る人だということは知っていたようだ
  
ひーちゃんは聞いた、「で、何の用事?」
  
「ほら、あれ、水曜一限の課題」
  
「なんかあったっけ?」
  
「今日の六時までのやつ」
  
「それ、大事なやつ?」
  
「はあ?」お怒りの様子だ
  
  
「それって、成績に響く?」ひーちゃんは聞いた
  
「これやんないと単位もらえない、超大事」
  
「分かった。大学行けばいい?」
  
「いや、君んちの傍にいる」
  
「え? 知ってんの?」
  
「前授業で言ってたじゃん」
  
「あー。でも俺、今イオンにいる」
  
「はあ?」
  
授業の時も、しょっちゅう「はあ?」と言うので、
ひーちゃんはこの子のことを、頭の中で「はーちゃん」と呼んでいた
  
  
「早くこっちきてよ」
  
「三十分くらいかかる」
  
「はあ? さっさと来てよ」
  
ひーちゃんは原付を飛ばして帰った
人と話すのは久しぶりだった
自分ってこういう話し方だっけ? と思った
  
アパートにつく
ドアの前に、はーちゃんが座っていた
  
明るい髪色で、目がパンダのはーちゃん
ひーちゃんが一番苦手なタイプだった
  
  
「ここ、パソコンある?」とはーちゃんが聞いた
  
「ある。ネットには繋がってないけど」
  
「じゃあ、ここで作業するよ。もう時間ないし。いいでしょ?」
  
「いいですよ」
  
はーちゃんはひーちゃんの部屋に入って
ひととおり物の無さと生活の質素さに驚いて
四回「はあ?」って言ったあと、課題をはじめた
  
ひとごろしひーちゃんにとって、ここは生活空間ではないのだ
  
  
まずいことに、その課題の趣旨は
「相手がこれまでどのように育ってきたか」を
インタビューしてレポートにまとめるというものだった
  
まずひーちゃんがはーちゃんにインタビューした
三歳からピアノを始めた、小学校から塾に通った
中学は体操部に入った、高校は女子校
はーちゃん、意外とお嬢様だった
  
  
ひーちゃんは聞いた
「どうしてお嬢様が、そんなんになっちゃったんだ?」
はーちゃんは少し間をおいて答えた
「良い本や良い音楽と巡り合ったから」
  
はーちゃんの口からそんな言葉を聞くとは思わず
ひーちゃんはなんか久々につぼに入って笑った
実に久しぶりだった
  
ひーちゃん的には爆笑だったのだが
はーちゃんには薄ら笑いを浮かべてるようにしか見えなかった
はーちゃんはちょっと不機嫌になった
  
  
ところがその本や音楽について聞いてみると、
ひーちゃんの趣味と結構似ていた
  
ひーちゃんがそれらのCDや本を持っていると言うと、
はーちゃんは「知ってるよ。そこにあるやつでしょ」と言った
「はあ?」って言ってもらえなくてひーちゃんがっかりした
  
  
はーちゃんの好きなグールドのCDを流しつつ、
ひーちゃんの人生についての説明が始まった
  
壮絶過ぎてはーちゃんコメントに困った
もちろん自殺については隠したが
  
はーちゃんは話題を逸らすことにした
  
「さっき、電話で『寝てた』って言ったよね?」
  
「うん。寝てた」
  
「イオンで寝てたわけ?」
  
「そういうこと」
  
はーちゃんますます混乱した
  
  
はーちゃんは聞いた、
「君、一日何時間寝てるの?」
  
「量だけなら、六時間くらい」
  
「昼夜逆転型なの?」
  
「特殊な不眠症なんだ」
  
はーちゃんはひーちゃんの顔を見た
明らかに睡眠不足の顔だった
  
でこぴんすると二秒遅れて「痛い」と言った
反応速度とかも相当にぶっている
これは重傷だ、とはーちゃんは判断した
  
  
互いのインタビューが終わり、二人はレポートを書きはじめた
ひーちゃんが一足先に書き終えた
  
ひーちゃんは眠気で頭がどうかしているので、
はーちゃんに馴れ馴れしく話しかけた
「早く書けよ、はーちゃん」
  
「うるさいなー、急いでるよ」
  
「そっちが終わらないと俺も終わらないんだから」
  
「てか、はーちゃんって誰だよ」
  
ひーちゃんはあだ名について説明した
以後、はーちゃんはあんまり「はあ?」って言わなくなった
  
  
「あとどれくらいかかる?」とひーちゃんは聞いた
  
「二十分くらい……」
  
「寝よ。終わったら容赦なく起こして」
  
はーちゃんはキーボードを叩く手を止めた
「なんでいっつもそんなに眠いの?」
  
「人がいるとこでしか寝れないんだよ」
  
「はあ?」
  
「信じなくてもいい」、ひーちゃんは笑った
  
  
  
ひーちゃんは熟睡した
はーちゃんはレポートを仕上げたあと、
喉が渇いたので、外の自販機まで行った
赤い夕焼けで、皆が空を見上げていた
  
冷たいコーヒーを二つ買って戻ると、
さっきまでいた部屋から、ガラスが割れる音がした
  
  
「なに、今の?」戻ってきたはーちゃんは聞いた
  
「ゴキブリがいたから殺そうとしたんだよ」
  
ひーちゃんは笑って言った
携帯を投げて窓を割ったらしい
  
「顔、真っ青だよ?」
  
「ゴキブリ、苦手なんだ」ひーちゃんは答えた
  
  
ガラスを集めながら、はーちゃんは理解した
  
この人、本当に、人がいるとこでしか寝れないんだ
ていうか、寝れない以上の何かがあるんだろうな
マジあたまおかしーんじゃねーの
  
「……寝れないなら、友達とか、呼べばいいじゃん」
  
「見りゃ分かるだろ、友達いないんだよ」
  
そんで家族は一人もいない、か
はーちゃんはひーちゃんの頭を撫でてあげたかった
でも不気味がられるだろうからやめておいた
  
  
変なとこ見られちゃったなあ
ひーちゃんはちょっと気まずかった
二人はようやく完成したレポートをメールで送り、
はーちゃんはここにいる理由がなくなった
  
はーちゃんは立ち上がった
CDをポリーニに換えて戻ってきた
  
「まだなんかあった?」とひーちゃんが聞くと、
  
「さっきの話、全部本当だよね?」とはーちゃんは言った
  
「ゴキブリってのは嘘だ」とひーちゃんは答えた
  
  
「ゴキブリってのは嘘だ。俺、ちょっと頭おかしくてさ。
 一人で寝ようとすると、眠りについた瞬間にふっと目が覚めて、
 全身焼けただれた兄がこっちを見てるっていう幻覚を見るんだ」
  
「……はあ?」
  
「マジだよ、はーちゃん。おかしいよな」
  
ひーちゃんが笑った
ひーちゃんが笑うタイミングが、
なんとなくはーちゃんには分かった気がした
    
  
はーちゃんはしばらく黙っていた
音楽のおかげで、沈黙は苦痛ではなかった
窓から差し込む西日が部屋を赤く染めた
  
はーちゃんはひーちゃんを横からどついた
弱っていたひーちゃんはあっさりソファの上に倒れた
  
「寝なさい」とはーちゃんは言った
  
ひーちゃんは頷いて眠った
  
  
  
  
ひーちゃんはびっくりするほどよく眠った。
  
  
  
  
ひーちゃんが目を覚ました
うつらうつらしているはーちゃんが横にいた
  
「おはよう」とひーちゃんは言った
  
「ん? ……ああ、おはよう」
  
時計を見て、ひーちゃんは驚いた
「七時間、ずっとここにいたんだ?」
  
「ん、まあ。本もあったし」
はーちゃんは慌てて本を掲げてそれを証明した
本が逆さまであることに関して
ひーちゃんは特に何も言わなかった
  
  
ひーちゃんはお礼を言った
「ありがとう。あと、コーヒーありがとう」
  
「君、人にちゃんとお礼言えるんだね」
はーちゃんは目を逸らして言った
  
「言えるよ。君こそ、人に優しくできるんだね」
  
「別に。あー眠い」
  
はーちゃんはすぐに眠りだした
ひーちゃんは外に出て、久しぶりに心地よく伸びをした
  
よく寝たー。
  
  
  
二時間後、はーちゃんが目を覚ました
ひーちゃんのソファを使っていたことに気づき、
気まずそうな顔で丁寧になおした
  
「寝ちゃった」とはーちゃんは言った
  
「おはよう」
  
「おはよう……帰るね」
  
「ん、じゃあ」
  
はーちゃんは目をこすりながら出ていった
  
ひーちゃんはその光景を一生忘れないと思う
もうすぐ死ぬから当たり前と言えば当たり前か
  
あんまり死にたくないなあ、とひーちゃんは思った
でもそういうわけにもいかないのだ
  
  
  
以来、はーちゃんはときどき手伝ってくれるようになった
  
「ひーちゃん、ひーちゃん」
  
「んー?」
  
「最近寝てる?」
  
「寝てない」
  
「寝る?」
  
「寝さして」
  
二人でいるときは、いつもどっちかが寝てるから
あんまり言葉を交わすこともなかったが、
ひーちゃんもはーちゃんもその時間がとっても好きになった
  
  
はーちゃんが好きな煙草はキャスターだった
  
「部屋ん中で煙草吸わないで」
  
「いいじゃん、どうせもうすぐいなくなるんでしょ、きみ」
  
「おいしいか、それ?」
  
「まさか。おいしいわけないじゃん」
  
「吸うなよ」
  
「だって私に煙草が似合うんだもん、しょうがないじゃん」
  
「似合わないよ。あと、髪染めるのも似合わない」
  
「似合うし」
  
「化粧濃い」
  
「うっせー」
  
はーちゃんの化粧は徐々に薄くなり始めた
  
  
大学には保育科のためのピアノ練習室があった
講義の合間に、ひーちゃんが眠くなったとき、
はーちゃんはそこにひーちゃんを連れ込んだ
  
はーちゃんは定番のゴルドベルク変奏曲を弾いて、
ひーちゃんはピアノカバーにくるまって寝た
  
音楽室は外の音が全く聞こえなかった
はーちゃんはひーちゃんが起きるのを待つ間、
試験範囲をバカにも分かりやすくまとめることにした
自分がそこまでしてあげる理由が分からなかった
  
  
  
  
はーちゃんがいても兄が現れるようになったことは言わないでおこう。
  
  
  
  
「なんで自殺しようと思ったの?」
  
その頃にははーちゃんも、ひーちゃんの自殺未遂で
家族が全員死んじゃったってことを知らされていた
  
「生きてて楽しくなかったんだ。本当に深い理由はない。
 当時の俺は知的生命体じゃなかったんだよ」
  
「それで死ぬなんて、馬鹿じゃないの?」
  
「そう、馬鹿だったんだ。けっこう生きるの楽しいのにな」
  
そう言った後で、ひーちゃんはちょっと嫌な気持ちになった
ひとごろしのひーちゃんは三人も殺したのだ
楽しい楽しい人生を三つも焼却してしまった
殺されても文句は……あるよな、それでも
  
  
「罪ってのは永遠に許されないもんだと思う?」
  
ある日ひーちゃんは唐突にそう言った
  
「そうだなあ」とはーちゃんは考えた
  
どうにもうまい慰めの言葉を思いつけなかった
だって、確かにひーちゃんは悪いやつなのだ
  
今のひーちゃんは絶対に悪さはしない、
いわゆる「更生した」ひーちゃんだけど、
三人殺してしまったことが許されることはない
  
  
困り果てたあげく、はーちゃんは、
「私は君のこと好きだよ」と言った
  
「はぐらかさないで」とひーちゃんは言った
  
「そっちこそはぐらかさないで」とはーちゃんも言った
  
ひーちゃんは眠気で理解力が落ちていて、
はーちゃんが何を言いたいのか分からなかった
  
  
はーちゃんはひーちゃんをソファに押し倒した
  
「気にすんなよ。寝なさい」
  
でもひーちゃんは目を開けたままだった
  
はーちゃんはソファに座り、ひーちゃんの頭を膝に乗せた
ひーちゃんますます眠れなくなった
  
  
はーちゃんはちょっと考えた
これ、二人で住んだ方が効率いいよなあ
そうしたらいちいちお互いの家まで来なくて済むし、
家賃も安くなるし、私ひーちゃん好きだし
  
ようやく寝息を立て始めたひーちゃんの
頭をそっと撫でながら、はーちゃんは決めた
ひーちゃんが起きたら、一緒に暮らそうって言おう
  
  
  
「おはよう」ひーちゃんが起きた
  
「おはよう。よく寝れた?」
  
「正直、緊張してあんまり寝れなかった」
  
「あはは。だっせー」
  
「嬉しいけど、こういうのは困る」
  
「そっか。次もやろうっと」
  
「暗いから気を付けて帰りなよ」
  
「うん。じゃあね」
  
はーちゃんは手を振って家を出た
ひーちゃんはドアが閉まってもしばらく手を振っていた
  
  
  
はーちゃんが帰ると、ひーちゃんはもう一度眠った。
  
  
  
翌日はーちゃんが部屋を訪れると、
ひーちゃんはもういなかった
鍵は開いていたので、はーちゃんは待つことにした
  
  
はーちゃんはちょっと寂しかった
十六時間くらいそこで寝たり起きたりした
  
裸足のまま外に出てみた
虫の声がひりひりきこえた
夏の匂いは濃すぎるくらいだった
  
「ねえ、映画観に行こうよ。ひーちゃんは寝ててもいいからさ」
  
はーちゃんはひとりごとを言った
  
「殺人犯が酷い目にあうやつ。一緒に見に行こうよ」
  
ひーちゃんがしかめづらをするのを想像して、はーちゃんは笑った
  
「あと、ついでにさ……こうやって行き来するもの面倒だし、一緒に住みませんか?」
  
なんで敬語なんだよ、と言われるのを想像して、はーちゃんは笑った
  
  
そんで泣いた
  
  
  
だからそれ以来、はーちゃんはしおらしくなった
煙草をやめて、髪も黒くして、化粧も薄くなった
ひーちゃんが見ても、私だと気づかないだろうな
  
ひーちゃんの部屋から持ち帰ったCDをかけて、
はーちゃんは自室で今日もうつらうつらする
  
膝に乗せたひーちゃんの頭の重みを思い出しながら、
手に触れる硬い髪の感触を思い出しながら。
  
  
    
ひーちゃんとはーちゃんの話、お終い。
  
  
  

  
  
  

はーい静かに。じゃ、俺が岩と縄を見て思ったことを話します。

    
その家にあるのは、そりゃもうでっかい岩なんだけど、
たぶん元々は、岩が最初にあって、
それを囲うように家ができたんだと思う。
  
岩は縄でぐるぐる巻きにされてて、
その縄が岩のどこから生えてるのか分かんないけど、
とにかく縄は女の子と繋がってる。
  
斧でも鋸でも、縄を切ることは誰にもできなくて、
だから女の子は、岩から数メートルの範囲でしか動けない。
そういうわけで、そこに家を建てざるを得なかったんだと思う。
  
  
女の子は背中から縄が生えていて、
そのまま服を着ると擦れてかゆいから、
女の子の服はどれも、首元から背中にかけて切りぬいてある。
  
寝るときはうつ伏せ。
ロープは常にたるませて左手で持って、
なんとなく右手で弄ってる。
  
宝物は父親が買ってきてくれた望遠鏡で、
本を読むのに飽きて暇になると、それを使って外を見る。
見えるのは雪か木かくらいのものなんだけど、一生懸命見る。
  
  
外に出る機会がないから、
女の子は結構世間知らずなんだけど、
本人はそれを気にして、本をたくさん読む。
  
女の子は家事も手伝うし、気がきくし、
変な縄が背中から生えてても文句言わないし、
なんだかんだ家族はその暮らしを気に入ってる。
  
猛吹雪の日、
女の子がいつも通り望遠鏡をのぞいていると、
なにか動くものを発見する。
雪道で数歩ごとに転ぶそれは、たぶん人間。
  
とっても辛そうだったから、
女の子はどうにかしてあげようと思うが、
縄のせいで家から出ることはできず、
両親を待つことしかできない。
  
  
縄はぎりぎりで家から出られないような長さで、
言いかえるとそれは、家を建てた人が、
ぎりぎりで出られない大きさの家にしたってこと。
  
どうせちょっとしか外に出られないくらいなら、
出られない方がマシだって、
両親は考えたんじゃないかな。
  
女の子は開けた窓から、
待っててね、そこの人、と叫ぶ。
声が届いているかは分からないが、
両親が帰ってくるまで、何度も叫ぶ。
人に話しかけるのはたのしい。
  
女の子の父親の肩を借りて、
そいつは家に連れ込まれる。
凍えてはいるが、大丈夫らしい。
  
防寒具を脱がしてみると、
彼が女の子と同じくらいの歳であることが分かる。
  
  
  
助かりました、と男の子は言う。
女の子の母親があったかいスープを持ってくる。
震える手で皿を受け取り、お礼を言う。
  
男の子はなにかの病気らしく、
母親は女の子に離れるよう促すが、
女の子は母親の意図に気付かないふりをする。
  
同じくらいの歳の子を見るのは、
初めてと言っていいくらいだったから。
  
別に伝染りゃあしません、と男の子は言う。
その病名は女の子の父親も知っていた。
  
たしかに男の子の言うことは本当だ。
死ぬほど弱ってなければ、まずうつらない病気だ。
うつったら、もう治んないんだけど。
  
男の子があらためて父親にお礼を言うと、
いや、あの子が気付いたから俺は助けにいけたんだ、
礼ならあの子に言いな、と父親は女の子を指差す。
  
女の子は縄をいつも以上に弄り回しながら、
お父さんがいかなきゃ、私にはどうしようもなかったよ、と言って笑う。
礼ならお父さんに言って。
  
  
いい家族だなあ。
  
男の子は岩を見る。
どうしてこんなものが家の中にあるんだろう?
  
岩から伸びる縄を見る。
どうしてこんなものが巻いてあるんだろう?
  
縄の先の女の子を見る。
視線は女の子の背中にうつる。
  
大きく開いた首元から見える、白くてきれいな背中。
男の子は慌てて目をそらす。顔が熱くなる。
  
こんなにかわいい子なら縄も必要かもな、と男の子は思う。
いやいや、そんなことはない。
  
でも大体わかった。
この縄はべつに悪いものじゃない。
  
  
女の子の母親が縄について説明してくれる。
母親は、この縄について話すのが好きらしい。
先生が、この岩を神様だと言っていたからなんだろう。
  
岩はこの辺りの守り神のようなもので、
少女は神に選ばれたんだとかなんとか。
うさんくせえなあ。
  
  
男の子が母親と話していると、
いつのまにか縄が鼻の先にある。
縄が揺れて鼻先をくすぐる。
  
縄の先を見ると、女の子がいたずらっぽく笑っている。
なんだか楽しくてしかたがなさそうだ。
ほんとにありがとな、と男の子が言うと、
しつこい! と女の子は照れた様子で言う。
  
   
スープを飲み終えると、
男の子は女の子に言う。
  
外に出たい?
  
女の子は何度もうなずく。
  
出たいなあ。
  
お互い、本当はこんなこと、
言っちゃいけなかったんだろうけどな。
  
  
男の子は椅子からふらふらと立ち上がると、
女の子のところまで歩いていく。
転ぶ。女の子がかけよる。
  
起き上がった男の子が、
女の子の背中に手を伸ばし、
女の子は体を固めて、なに? とたずねる。
  
  
男の子が縄をつかむと、
縄は力を失ったように柔らかくなる。
女の子が縄をひっぱってみると、するする伸びる。
  
これが限界なんです、と男の子は両親に言う。
切ることはできませんが、伸ばすことはできます。
そして女の子の方を向いて、たずねる。
  
外に出たい?
  
女の子は何度も何度もうなずく。
母親が止めようとするのを、父親が止める。
  
男の子は縄をつかんだまま、ドアを開けて外に出る。
女の子の足が外に踏み出す。
  
  
  
背中が大きく開いた服を着ている女の子は、
本当なら二秒もそこにいられないはずなのに、
腰の高さまで雪の積もった山の中を、ぐいぐい進んでいく。
  
こんな機会、二度とないかもしれない、と思ったんだろうな
  
女の子は木のひとつを見上げると、幹に手を当てる。
ごつごつしてる、と女の子は言う。
そのとき、枝が雪の重みに耐えきれなくなり、
大量の雪を女の子の頭上に落とす。
  
つめたい! と女の子は慌てて木の下から出てきて、
雪を払ってあげようと駆けだした男の子と衝突する。
  
  
男の子の手から縄が離れる、
とたんに、縄が元に戻り出す。
男の子は慌てて女の子を追う。
  
縄に引っ張られた女の子は木にぶつかり、
縄は枝にひっかかって停まる。
  
女の子は額からわずかに血を流しながら、
自分のぶつかった木を見上げている。
  
男の子は気が気じゃない。
悪かった、大丈夫? と男の子がきくと、
女の子はすごく嬉しそうな顔で、怪我した! と答える。
  
「まるで本の中の話だよ」
  
「なにが?」
  
「木とぶつかって怪我すること」
  
「いや、本が現実みたいなんだよ。
 現実に木にぶつかった人がいたから、
 本に書かれるようになったんだ。現実が先」
  
「まあね。でも私にとっては本の中だ」
  
  
手当のために、二人は家に戻る。
両親は女の子の額の傷を見て慌てふためくが、
女の子は手当の最中も、笑顔を絶やさない。
男の子と目が合うと、こくこく頭をさげる。
  
息を切らしながら、やべーな、と男の子は思う。
一時間やそこらで骨抜きにされちゃったわけだから。
  
手当が済んだ女の子は、
ひっぱって、ひっぱって、と言う。
  
  
  
それから二人は定期的に、
一緒に散歩に出かけるようになる。
  
両親としては、難病持ち、かつ、
魔法使いの男の子と出歩かせるなんて、
心配で心配で仕方なかったけど、
それまで不自由な思いをさせてきた分、
楽しそうな娘を見ると、なんとも言えなかった。
  
そういう風に笑えるんだなあ、うちの子は。
  
    
「あれはなに?」
  
「あれはキツネだ」
  
「私たち、どこまでいけるのかなあ?」
  
「わからない。君次第だし、僕次第でもある」
  
「ねえ、他にはどんな不思議なことができるの?」
  
「縄を伸ばしてる間は、他になにもできないよ」
  
「じゃあ、縄を伸ばすのは難しいことなの?」
  
「僕以外にはできないんじゃないかな」と男の子は答える。
  
というか、僕以外にはできてほしくないなあ。
  
  
「あ、キツネだよ」
  
「あれは人だよ」
  
「そっか。あれは人か」
  
「やっぱり森から出るのは難しそうだな」
  
「そうだね。街まで歩くのは無理かなあ」
  
「まあ何にせよ、僕は街に行けないんだけど」
  
「なんで?」
  
「街の人に嫌われてるから」
  
「ふーん。縄つけてる人は街に入れるのかな?」
  
「分からない」たぶん無理だ。
  
「やっぱり魔法使いは街に入れないの?」
  
「魔法使いねえ。誰が言ったんだい?」
  
「だって、こんなことできる人、他にいるかな?」
  
「いや、確かに魔法使いなんだろうさ。
 ただね、魔法使いは街に入れないんじゃなくて、
 街に入れない奴が、魔法使いになるんだ、たぶん」
  
「でも私、魔法使えないよ?」
  
「じゃあ街に入れるんだろう」
  
「やった!」
  
  
「また転んだ。だいじょうぶ?」
  
「転ぶだけだよ。大したことない」
  
「どういう病気なの?」
  
「たまに、何も感じなくなるだけ」
その頻度は、どんどん増すんだけど。
  
「ふうん。はい」
  
「はい?」
  
「そんときは、私がひっぱって、支えるから」
  
「ええと……ありがとう」
  
「あ、そうだ、それ。私もありがとうだ」
  
「あーあ、あなたともっと早く知り合えてたらなあ」
  
「もっと早く外に出られたのにな」
  
「それもあるけどさ」
  
「他にあるのか」
  
「こんなに歳が近い人と仲良くなるの、初めてだから」
  
「僕もだよ」というか、人と仲良くなるの、初めてだから。
  
「ていうか、縄がなかったらなあ」
  
でもそしたら知り合えていないかもしれない。
縄があって良かった、と男の子は思った。女の子には悪いけどさ。
  
  
  
なんにも知らない女の子はなんにでも感動する。
ろくに見る物のない冬の森の中で、
木々に、雪に、枝の合間から見える星に、いちいち喜ぶ。
そこにあるのは見たことのないものでもないんだけど。
  
木は、下から見たことがないから、楽しいんだそうだ。
よくわからん。
雪は、たくさんあるから、嬉しいんだそうだ。
それはちょっとわかる。
  
  
「あのね、こうやって歩きながら上を見ると、
 枝が動いて、星がちかちかして、すごいの」
  
「ああ。すごいな」
  
「でも街の明かりでやるともっとすごいなあ。
 あっち、いけないのかなあ」
  
「春になって、雪がとけたら、行けるかもしれない」
  
「早くそうならないかなあ」
  
「そうなるといいな」
  
  
  
「これからあの人がうちを訪ねてきても、追い払ってちょうだい」
  
これも娘を思う気持ちから出てきた言葉だった。
  
  
  
いつものように女の子の家を訪れた男の子は、
「残念だが今日は会わせられない」と父親に言われる。
次もその次も、同じことを言われる。
  
「なにかあったんですか?」
「娘は病気になったんだ」
  
  
帰り道に男の子は考えた。
どうしてあの子に会わせてくれないんだろう?
病気になった、と父親は言っていた。
  
病気か、と男の子は思った。僕の病気。
死にかけていなければ、まずうつることはない。
  
でもあの子はどうなんだろう?
あの子を普通の人と同じように考えたらいけないんじゃないか
  
  
そして両親があの子を僕に会わせたがらないのは、
あの子が既に僕の病気に侵されていて、
それをそうと僕に気づかせないために、
ひょっとしたら女の子自身の希望で、
僕と会わないようにしてるんじゃないか?
  
  
さてさて。信心深い母親のことを思い出そう。
彼女は以前から岩のことを神様扱いしていた。
  
というのもだ、女の子が生まれてしばらくして、
親が目を離したすきに、縄と繋がっちゃったとき。
あまりに不可解なできごとに、街の人たちは、
女の子を不吉な子供として処分しようとしたんだ。
  
そこに現れたのが先生、まあつまり宗教家だ、
そいつが例のうさんくさい話をでっちあげてくれたおかげで、
女の子は見逃された。守り神がどうのこうの。
両親は喜んだ。女の子は助かったのだ。
  
宗教家さんが本当にそう考えていたのかは知らない。
でも女の子の母親は、ちょっとマジに受け取ってしまった。
  
それでよーく考えたら、その守り神たる岩と娘を結びつける縄を、
得体のしれない魔法で本来以上に伸ばしたりする行為は、
あれちょっとこれ冒涜なんじゃない? と言えそうだった。
  
おりよく、男の子の噂が父親の耳に入った。
街を追い出された、得体のしれない術を使う男の話。
これ以上あの男と娘を会わせるべきではない。
  
  
男の子は考えた。
この病気で生きていられるのは僕だからだ、
あの子が同じ病気になったら、もう長くはないだろう。
  
そうならないように、
ものすごーく気を付けたつもりだったんだけどな。
ものすごーく。
  
僕のしたことは、彼女の静かな日々を、
しあわせな家庭をぶち壊すことでしかなかったんだ。
  
男の子は女の子の家に通うことをやめた。
病気は進行し始めた。
  
  
いつもどおり望遠鏡で外を見ていれば、
何度も通ってきていた彼を見つけるのは
簡単なことだったんだけど、
「彼はもう迎えに来ない」と聞いたショックで、
女の子は外に対する興味をなくしていた。
  
「もうあの男の子はやってこないよ。
 病気がひどくなって、ここまで来れないらしいわ」
  
確かに男の子の病気は酷くなり、ここまで来れなくなった。この嘘の少し後に。
  
  
女の子は考えた。
お母さんたちは嘘をついてるんじゃないかなあ。
  
男の子は、私に対して興味をうしなったか、
そうじゃなきゃ、私のことが嫌いになったんだ。
なにか悪いことしたかなあ。
なにか間違ったこと言ったかなあ。
  
いや、実は、私の縄をどうにかするために、
あの人はすごい対価を支払っていのかもしれない。
それで病気がひどくなっちゃったとか。
  
どれにしても、嫌な話だね。
  
  
女の子は、直接会って確かめたかった。
でも、いつも以上に両親の気遣いが感じられて、
なんとかして彼女の気を逸らそうとしているのを見ると、
これ以上男の子について何か言ったり考えたりすることは、
両親の好意に背くことであるように思えた。
  
だから女の子は、男の子について追及するのはやめ、
前みたいにふるまうようにした。
  
縄はどうしても短く感じられたが。
  
男の子はたまに目が覚めると、
枕元の縄をさわって、また眠った。
なんでもないただの縄を。
  
母が開けた窓から吹雪が入り込み、
女の子の首筋を雪が冷やしたとき、
彼女は、この縄、切り落とせないかな、と思った。
  
両親が仕事や買い物に出ている隙を見て、
女の子は縄を切る努力をするようになる。
手は肉刺だらけになり、母親はそれを見て激怒する。
”縄は神聖なんだから”!
  
  
私ね、あなたが嫌われてるって聞いて、
ちょっと嬉しかったんだ。
いや、すっごく、だね。
じゃあ、この人は、他に話す人もいなくて、
私のところに来てくれるかもしれない、って思って。
  
街に行けなくても、森を歩けなくてもいいからさあ。
  
  
「どうなってるか、知りたかったの」
女の子はどうやら、縄の生えた部分の肉ごと、
切り落とそうとしたみたいだった。
  
「怪我しちゃった」
それで分かったことだが、縄は心臓と繋がっていた。
分かったからどうにかなることでもないんだが。
  
両親は嘆き悲しんだ。
この子は外の世界を知るべきではなかったんだ。
一時の幸福と引き換えに、一生の不幸を背負ってしまった。
  
  
傷口がもとで、女の子は重い病を患う。
そう、男の子が感染していたあの病気だ。
これで両親の嘘は完全に実現したわけだ。
こうなったら男の子の言う通り、もう長くはない。
  
男の子のもとを訪れた女の子の両親は、
彼の状態があまりに自分の娘と酷似しているのを見て、
驚くと同時に、いろんなことを理解する。
  
父親は思う、
ああ、俺たちはあまりに馬鹿で考え無しだから、
そのままにしておけば良いことを、
自分たちの手でわざわざ駄目にしてしまう。
  
  
女の子の両親は、男の子に全てを打ち明ける。
なあ、今さら、娘に会ってやってくれっていうのは、
虫の良すぎる話なんだろうが、そうしてくれないか?
  
次の瞬間には、男の子は消えていた。
両親が家に戻ると、女の子も姿を消していた。
女の子と繋がる縄は、家の外に続いていた。
辿って行くと、縄は途中で千切れていた。
  
  
ひっぱって、ひっぱって。
  
  


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