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ジョーカー様

 投稿者:あきらか  投稿日:2017年 7月29日(土)17時26分3秒
  『悪と対峙する弱さは、組織を蝕む。大人の対応は、結局は、何もしないという結果を生む。それが、会員のやる気を削いでいく。学会であろうと、公明党であろうと、おかしいものはおかしいと毅然とした姿勢を保ち続けなければ、第六天の魔王と戦うことは出来ない。悪に対して、大人の対応など、「くそくらい」なのだ!』
悪と対峙する弱さ  投稿者:ジョーカー  投稿日:2017年 7月29日(土)13時38分38秒

先生の「輝きの人間世紀へ」の289ページには、こういうのがありますね。
肝に銘じたいもの。

「もし菩薩がいて悪人をかばい、その悪を罰することができず、そのために、かえって悪を増長させ、善人を悩ませ、混乱させ、正法を壊してしまうならば、その人はじつは菩薩ではない。この者は、外に向かっては、人を詐りあなどって、つねにこう言うであろう。
「私は耐え忍んでいるのです」と。こういう人間は、死んだならば、(自分が責めなかった)悪人たちと一緒に地獄に堕ちるであろう。」1374ページ

「悪人が悪いのはわかっております。しかし、今はいろいろ事情があるので」などと言って、戦わない。
「耐え忍んでいるのです」などと言う。そういう偽善者を厳しく破折しておられる。
仏法は厳しい。いくら理屈を言っても、例え幹部であっても、悪と戦わなければ地獄に堕ちる。
大聖人がそう仰せである。いかに表面を飾ろうとも、妙法だけは、だますことはできない。
だれ人たりとも、妙法によって必ず裁かれる。


 

「21世紀への選択」・・平和への「持続の挑戦」と「責任への挑戦」 p37投稿します。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 7月29日(土)16時55分55秒
  前向きな姿勢を評価したい ・・・日蓮仏法2.0 さまお声がけありがとうございます。

「21世紀への選択」・・平和への「持続の挑戦」と「責任への挑戦」 p37投稿します。

なにせ、しなければいけない事が多すぎて、おろおろしている始末です。
凡夫即身成仏論はP36まで読みましたが、御義口伝講義巻下の平仮名化に時間を取られています。

Tommyさんの講義録デジタル化がなければ、とても手が付けられなかったことだと思います。
同期かな・・・と思っています。

「ちよ」さん、のブログにも行ってあげてください。真実を語るhttp://tomotiyoo.exblog.jp/
Tommyさん、衷心より感謝申し上げます。

日寛教学を中心に学んできた身です、教学試験のたびに講義や試験責任者みたいなことを仰せつかっていましたので、・・・困るのですよ、否定されては・・・。

しかし否定しなければ、世界に通用しないであろうことも、理解できます。

まず私がしなければいけない事は、御義口伝講義下の平仮名化と音声化です。

それが、先生の思いを世界に届ける因になればと思っています。
人生の目的は、池田思想を世界に流布することです。

このことは、日蓮仏法2.0さまより、すこし年を取っていますので、孫との共同作業と思っています。

虹の戦士さま、のブログへの書き込みも必ず実現したいのですが、何から始めようか思案投げ首と言う体たらくです。

最初から文章を作ることは時間がかかりますので、少なくして、先生の指導とか、世界に通用しそうな文章を紹介できれば、と思っています。

虹の戦士さまへ・・・実名は記せません。処分されているし相当チェックされていることは、・・・。

ポイント

* 池田・・・
 自らの悩みや苦しみを乗り越えて、社会に人類に貢献=こうけん できる自分へと変革していく・・・まさにそこに、私どもSGIのめざす「人間革命」運動の眼目=がんもく もあります。


* テヘラニアン
 その意味でも、私は「創価(価値創造)」という学会の名称に深い意義を感じます。

・・・一般に、「自己規律の心」が強い人ほど、権威に挑み、古い権威との戦いのなかで新た

な創造の道を切り開いています。
 

「21世紀への選択」 平和への「持続の挑戦」と「責任への挑戦」 p37

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 7月29日(土)16時54分32秒
  「21世紀への選択」
平和への「持続の挑戦」と「責任への挑戦」 p37

池田
私のことはともかく、一流の人は一流の次元=じげん で、見るべき点を見ることを実感しま
す。

自らの悩みや苦しみを乗り越えて、社会に人類に貢献=こうけん できる自分へと変革していく・・
・まさにそこに、私どもSGIのめざす「人間革命」運動の眼目=がんもく もあります。

テヘラニアン
 その意味でも、私は「創価(価値創造)」という学会の名称に深い意義を感じます。

マハトマ・ガンジー、マーチン・ルーサー・キングなど、歴史に新たな「創造の道」を

開いた人々は皆、価値観の危機の時代に生まれ、生きてきました。

そうした危機の時代に・新たな「創造への知恵」を輝かせるためには、何よりも、

境遇負けない「自己規律の心」を強く育むことが肝要です。

一般に、「自己規律の心」が強い人ほど、権威に挑み、古い権威との戦いのなかで新た

な創造の道を切り開いています。

池田
 危機の時代にあって価値創造の道を歩むためには、「自己規律の心」が欠かせない

・・・この博士の鋭い指摘は、胸に響きます。

この点、私の友人であるハーバード大学のヌール・ヤーマン教授も、「『持続の挑戦』
こそが、偉大なる価値創造のための源泉である」と述べておられた。

私が考える「持続の挑戦」とは、民衆が一人一人が賢明になり、強靱な連帯をつくりあ
げていくことだと思います。

「平和」という問題を考えても、民衆が権力の暴走を制御する力をもたなければ・戦争の
惨劇は決して止むことはないのです。

テヘラニアン 時代の趨勢として、グローバリゼーション(地毬一体化)にともなう世界
の相互依存性が強まっていますが、残念ながらそれに見合う"地球的視野"は、いまだ開
発途上にあるといえましょう。

私は、池田会長がそのパイオニアとして、世界的な規模で思索と行動を重ねてこられた
ことを、よく存じあげております。

池田
 過分な評価をいただき恐縮です。

私はい「第三の千年」の基調となる、新たな世界ビジョンを模索し、打ち立てるための
一つの結集軸になればと願い、一九九六年二月、戸田平和研究所を創設し・博士に所長
に就いていただいたのです。

テヘラニアン
 所長就任は、私にとって大変に光栄なことでした。

会長からの真情あふれる要請をお受けしたとき、この仕事は私自身が深く信じる大義
に沿うものであり、また平和を愛し求める人々とともに働く、千載一遇のチャンスである

、ということを即座に感じました。

創価学会の存在には以前から関心をもっており、私なりに研究を進めるなかで、"世界
平和を探求する不屈の団体"であるとの結論に達していたのです。

九二年七月に会長と初めて東京でお会いし、その考えは、はっきりとした確信へと変わり
ました。

池田
 かつて博士は、私ども創価学会の歴史に触れて、「牧口初代会長が、宗教改革の名
において権威の宗教と戦い、平和の名において軍部の権力と戦い、自分自身の思想に殉じ
られた姿。

そこに『価値創造者』の至高の姿があると思う」と論じてくださったことがありました。

こうした深い理解を寄せてくださる博士に、所長を引き受けていただいたことは、私に
とって研究所の誕生とともに、二重の喜びとなりました。

テヘラニアン
 ありがとうございます。

所長就任は、平和探求に生きてきた私にとっての、いうなれば「責任への挑戦」でもありました。

発足にあたって、スタッフとともに研究所の使命を討議していくうちに浮かび上がって
きたことがあります。

それは「新しい世界のための、まったく新しいタイプの研究所にならねばならない」という点です。

私がここでいう「新しい世界」とは、「コミニケーションの回路はどんどん拡大して
いるにもかかわらず、対話そのものは切実に不足している世界」のことです。

そこで戸田平和研究所では、モットーとして「地球市民のための文明間の対話」を掲げ、
戸田第二代会長の生誕100年である二000年を一つの目標に、研究を進めてきました。

池田
創立者として私も研究所に対し、できうるかぎりの応援をしていく決心です。
 

人生の座標から~

 投稿者:うーこメール  投稿日:2017年 7月29日(土)16時38分47秒
  ・青春とは、悩みと希望との戦場である。どちらが勝つか。絶対に、希望を勝たせなければならない。今、どんなに苦しくても、人は勝つために生まれてきたからだ。
・成績が優秀でいやな人間になるよりは、成績は中くらいでもいいから魅力ある人間になってもらいたい。魅力ある人間というのは、自分は自分だと堂々と胸を張っている人間です。そして、自分と違う人の長所を、素直に尊敬し、愛せる人間です。
 

あれこれ・・

 投稿者:史人  投稿日:2017年 7月29日(土)16時38分27秒
  新聞の記事を見て書くこともそんなにないことですが、岩手県に寄付したのと同額を要求してくる人間革命に書かれている人というのは!?
その人の己心の生み出した夢が派生したものに支払う義務などないでしょうね・・・。


生命の真理で検索をかけてみると「バイオスター」とかが出てきます。
まぁ生きているものへの感謝といっていいと思います。
生命の真理については、実は説く人が居られないのが実情でしょうけど、こうして、科学的に証明しようという動きは見守っていきたいものです・・・。

無量義経徳行品に書いてある「明徹」に関して、
日月の光明に照らされて、生命の真実があると解きます。
その心は、
徹とは人が生まれて通ることを意味し、轍が車が通った跡を意味するものであるのが一例で、
徹の真ん中の育つは、上が子の逆字。子供が生まれることを意味します。
仏といっても生命の真理から外れたものではないということです。
日蓮大聖人の時には既に太陽を衆明と呼び、太陽のような天体がいくつもあることを示唆しています。

故に、勤行の時には諸天への感謝を、東天を向いて行っています。
今でもみんなしているんだと思います。
 

久遠元初とは生命の原点

 投稿者:日蓮仏法2.0メール  投稿日:2017年 7月29日(土)16時26分19秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/72532
池田先生は日寛教学を支持されているのか? 1/2 ?投稿者:ClearSky ?投稿日:2017年 7月28日(金)00時34分
>先生は、「法華経の智慧」でも文底仏法と日寛上人の著作をベースに話を展開されています。<
これは一人のSGIさんとの議論の中で書いていますが、先生はずっと正宗教義を踏襲しながらも、世界の在家仏教団体としての新たなSGI教学を目指していたと言えます。幾つかの異なった思想的要素が混淆しているというのが、私の分析です。ClearSkyさんが整理してくれた『法華経の智慧』にすでに重層的な思想要素が織り込まれており、凡夫本仏論を志向していたと思います。
  伝統的正宗教義 ?? 宇宙生命論 ?? 本覚思想 ?? 凡夫本仏論 (『凡夫即身成仏論』78頁)
ちなみに、一例を挙げます。これはClearSkyさん自身が再度 >初級・青年三級試験2017 5/6< で引用している箇所です。
名誉会長:そうです。「久遠元初」とは「無始無終の生命」の異名です。時間論ではなく、生命論です。生命の奥底の真実-無始無終に活動し続けている宇宙生命そのものを指して「久遠元初」と呼んでいるのです。それは「無作三身如来」と言っても同じです。・・・凡夫のありのままということです。本有常住であり、「もとの儘」です。これを「久遠」という。「久遠」とは「南無妙法蓮華経」のことです。御本尊のことです。だから、御本尊を拝する、その瞬間瞬間が「久遠元初」です。私どもは、毎日が久遠元初なのです。毎日、久遠元初の清らかな大生命を全身に漲らせていけるのです。毎日が久遠元初という「生命の原点」から新たな出発をしているのです。
斉藤:それこそ「本因妙」ですね。
ここに、正宗教義の用語を踏襲しながらも、全く新しい素晴らしい現代的思想が語られています。「久遠元初」を大聖人に限定しないで、大聖人自身が常に「日蓮が弟子旦那」と仰るとおり、私たち自身また私たちの修行に約して普遍化の方向で理論展開しています。戸田先生の生命論を継承する側面です。
これが人間主義の日蓮仏法への志向性で、私はそれを継承・発展している自覚でおります。

https://www.amazon.co.jp/%E5%87%A1%E5%A4%AB%E5%8D%B3%E8%BA%AB%E6%88%90%E4%BB%8F%E8%AB%96-%E6%9D%BE%E6%88%B8%E8%A1%8C%E9%9B%84/dp/4802093160/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1501311990&sr=1-1&keywords=%E6%9D%BE%E6%88%B8%E8%A1%8C%E9%9B%84

 

前向きな姿勢を評価したい

 投稿者:日蓮仏法2.0メール  投稿日:2017年 7月29日(土)15時50分36秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/72525
>松戸さんの「凡夫即身成仏論」が来ました。まずは、これを読んで、池田思想をグローバルな思想として広めていけるのかを、松戸氏の考えを探りたいと思っています。<
赤胴鈴之助さんの前向きな姿勢がうれしいです。最大限に評価したいと思います。ご感想なりご意見をぜひお聞かせください。

https://www.amazon.co.jp/%E5%87%A1%E5%A4%AB%E5%8D%B3%E8%BA%AB%E6%88%90%E4%BB%8F%E8%AB%96-%E6%9D%BE%E6%88%B8%E8%A1%8C%E9%9B%84/dp/4802093160/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1501224626&sr=1-1&keywords=%E6%9D%BE%E6%88%B8%E8%A1%8C%E9%9B%84

 

悪と対峙する弱さ

 投稿者:ジョーカー  投稿日:2017年 7月29日(土)13時38分38秒
  新・人間革命 雄飛三十八より
「 十条は苦悩の末に、今後、一切、謀略や攻撃を行わないことを約束させ、断腸の思いで支払い(3億円)に応じた。山本伸一の中国訪問中の出来事だった。しかし、山脇は、なんと、さらに五億円を要求してきたのだ。」

::::::

悪に対して、所謂、「大人の対応」をすると、益々増長する。悪には、妥協なく、毅然とした態度でなければならない。そうでなければ、「弱さ」を見抜かれ、付けこまれる。創価学会の団結は仲良しクラブではない。内外問わず、悪は悪であるとはっきり言っていかなくては、会員も組織も守れない。

悪と対峙するということは、穏便に済むことはないということである。常に問われるのは、その「覚悟」があるかないかである。54年も山友の恐喝事件も、根底にあるのは、弟子の、悪と対峙する弱さであり、大人の対応でなんとかしようとする姑息さである。これは、結果的に悪を増長させ、広宣流布を破壊する働きとなる。

悪と対峙する弱さは、組織を蝕む。大人の対応は、結局は、何もしないという結果を生む。それが、会員のやる気を削いでいく。学会であろうと、公明党であろうと、おかしいものはおかしいと毅然とした姿勢を保ち続けなければ、第六天の魔王と戦うことは出来ない。悪に対して、大人の対応など、「くそくらい」なのだ!

組織人間は、大人の対応で、すべてを切り抜けようとする。こういう、ズルい大人になってはならない。いかにも物分かりがよく、あなたの味方ですと装っても、悪と対峙する弱さが根底にあれば、それは味方ではない。親の思いをなした魔である。

創価学会は獅子の団体である。あらゆる謀略や理不尽な攻撃を受けようとも、お金を支払ってそれをやめさせるような恥知らずなことはしないし、する必要もない。それで学会を守ることになると思っていたとしたら、筋違いにも程がある。54年も、先生の首を差出し、手打ちにしようと画策した。皆が皆、大人の対応に従い、ズルい大人(弟子)へと成り下がっていった。こんなのはダメに決まっている。

大人の対応に慣れ過ぎると、何が正しくて正しくないかがわからなくなる。思考は止まり、自分の意見をもてなくなり、いつしか、組織の考えが自分の考えとなる。悪と対峙できない自分自身の弱さこそが、不幸の原因となる。不幸とは、善を見殺しにし、悪と戦う心がないことをいう。

悪と対峙するのかしないのか。二つに一つである。悪を喜ばせるのは、悪に対する物分かりのよさ(大人の対応)である。おかしいものはおかしいという感覚を麻痺させることなく、組織にいながら組織に染まることなく、自身を磨き続ける。誰かを頼る心があれば、獅子の団結とはならない。いまこそ、悪と対峙する強さを持つ時である。今一度言いましょう。悪に対しての大人の対応など、「くそくらい」である!

 

諸天善神の加護

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2017年 7月29日(土)13時26分9秒
  公明党首班内閣、昔だったら素晴らしいと思いますが
もはや諸天善神にみはなされた公明党、創価学会では
亡国の道を歩むのでは?

ただ看板をかえても、中身は同じでは何も変わらない
ような気がします。

北朝鮮のミサイル、各地の自然災害、そして南海トラフ
ヒアリの日本上陸、もとの公明党、創価学会に
もどり、再び諸天善神の加護が増大すること
を祈るだけです。


http://imagine-happy-life.tokyo/

 

政治生命をかけた冒険?

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年 7月29日(土)12時10分58秒
  田原総一朗氏が、首相官邸で「政治生命をかけた冒険」とやらを、首相に提案したらしい。

首相も関心を示したそうだが、内容は「中身はそのうち分かる」ということで、明らかにされなかったそうだ。

根拠は無いが、ひょっとして、公明党首班内閣?

もしもそうなると、実はかなり面倒なことになるかも。

原田創価学会が総力を挙げて、学会員を煽り、山口内閣だか太田内閣だかを支援させれば、1年ぐらいは持つかも。
その間に、平和主義に戻った様に見せかけ、国民投票に持ち込み、第3項で9条を骨抜きに…。というシナリオも、まったく無くはないだろう。
マインドコントロールに嵌っている学会員には、その真の狙いを見抜けまい。

無党派層の反発を考えれば可能性は低いが、一応、心の準備をしつつ、対応策も考えておこうと思う。

合わせて、自社さ村山政権の時、阪神淡路大震災とオウム真理教事件が起きた事を、忘れまい。

 

二十一世紀への対話 118

 投稿者:まなこ  投稿日:2017年 7月29日(土)10時16分8秒
  【トインビー】 ニュルンベルグ軍事裁判と東京裁判は、戦争に対する人類の姿勢に、一つの歴史的転換がなされたことを象徴し、かつ宣布するものでした。両裁判の意義は、明らかに犯罪である戦争が、ここに初めて犯罪として認識されるようになったところにあります。戦争は、この両裁判によって、かつて神聖なるがゆえに人為的な法の拘束は受けないとされていた主権国政府の、合法的特典としての立場を失ったわけです。
しかし、これら二つの裁判も、ある意味では公正さを欠くものでした。いずれも戦勝国が敗戦国に対してとり行なった裁判であること、そして戦勝国が、戦勝国側の政治家、軍当局者を誰一人として裁かなかったことです。彼らのうち何人かは、同じ罪科によって公平に起訴されるべきだったのです。

【池田】 そこで、この戦争犯罪人ということを、今後どう考えるべきかが問題になると思います。第二次大戦後のように、今後も裁判が行なわれるべきか否か――。行なわれるべきだとすれば、それはどのような人々を対象とし、どういう形で、何を基準として行なうか、といった点が問題になるでしょう。

【トインビー】 ある制度に参加する者はすべて、その制度の統率者が参加者の名においてとるあらゆる措置に対して、自らもある程度の個人的責任があるものです。仮に、アメリカの選挙民がベトナム戦争での自国戦犯を裁く軍事法廷を設けるものとすれば、その場合、告発の対象は大統領、司令長官、軍民の属官だけに限るべきでないと思います。アメリカの選挙民は、こぞって自らを告発しなければなりません。民主的立憲国家においては、最終責任は選挙民自身にあるからです。

【池田】 この戦争という問題一つを考えてみても、現在のような国家のあり方は、根本的に変革しなければならないことが明らかですね。
もちろん、これまでも論じ合ってきましたように、将来における理想的形態は、世界連邦が実現され、従来のような意味での国家が解消されなければなりません。しかし、将来、その方向に導いていくためには一時的・便宜的であるにせよ、現在のわれわれの国家というものに対する考え方の変革が、なされなければならないと思うのです。
私は、国家とは、社会的、文化的特質を示す地域単位であり、あるいは行政上の単位であるといった考え方で十分ではないかと考えています。国家の横暴を抑制するには、全世界の人々がそういう考え方に徹すべきであると思います。

【トインビー】 地方国家はその主権を剥奪されるべきであり、すべて全地球的な世界政府の主権のもとに従属させるべきである、というのが私の持論です。そうなってもなお、現在の地方国家は、地方行政上の単位として、有益な、また実際になくてはならない地方自治の役割を、担い続けることでしょう。――ちょうど連邦国家において、その構成各国が演じているような役割です。
私は、人間の諸活動の規模が拡大し続けるにつれ、地方国家が個別的にもつ現在の行政的権限は、しだいに世界政府の手に移ることになると予想しています。ただし、職務によっては、世界的規模の統一はどうしても無理で、行政的にも、地方に分散させておいたほうが便利だというものも、おそらく残存することでしょう。
このような考察をめぐらせばめぐらすほど、ますます私は、あなたのお考え通り、現代世界の地方国家百四十か国は、いつまでも、戦争遂行権や非軍事的な人事万般への最終発言権をもつ政治単位としてとどまっていてはならないし、またとどまることもできない――という考えに帰着せざるをえないのです。

【池田】 国家と個人の関係において、博士御自身は現在の国家をどのように意識し、評価しておられますか。また、個人的な期待として、将来、国家はどうあるべきだとお考えでしょうか。

【トインビー】 私個人としては、自分が一市民として帰属している国家を、水道やガスや電気を供給してくれる公共事業体のようなもの、とみなしております。税金を払うのは、他の支払いと同じく、私の市民としての義務だと感じています。また、自分の所得について税務当局に偽りなく申告するのは、私の道義的義務だとも感じています。
しかし、国家のために、自分の生命を戦争で犠牲にしなければならない良心的義務は、私にも他の市民にもないと考えております。ましてや、他国家の市民を殺害したり、不具にしたり、彼らの国土を荒廃させたりする義務や権利は、われわれにはまったくないと思っています。私が最大の忠誠心を払うのは人類に対してであって、私の属する地方国家に対してでもなければ、この国家を支配している体制に対してでもありません。
しかし、私のこうした態度も、まだたんに一個人のそれにすぎません。地方国家の権限を私が適正かつ正当と考える機能だけに限るためには、すべての人類の考え方が、従来のような地方国家への宗教的献身を捨てる方向に変わる必要があるでしょう。私は、国家の神聖さが否定され、人間以外の自然こそが、神聖さを取り戻してほしいものだと思っています。
 

北朝鮮弾道ミサイル標的について

 投稿者:軍事マニア  投稿日:2017年 7月29日(土)08時34分25秒
  過年度、防衛戦略の専門家との談話の際に
北朝鮮が日本に核弾頭を落とす場合、どこ
がふさわしいのか?との話の中で、アメリ
カが日本に原子爆弾を評定投下した効果と
同様に、北朝鮮もまた効果を研究している。

効果有る評定、それは『札幌』であると。
ツイッターで、創価学会の会館の話しが、
有りましたが第39回本部幹部会の会場
となった『札幌文化会館』(今は取り壊
されて札幌北文化会館)並びに『北海道
文化会館』(今は取り壊されて札幌西文
化会館駐車場)は、地下に大広間、厨房
、浴室、トイレを完備していました。
この二つの会館取り壊しには、地下の掘
り起こしから会館解体まで一ケ年以上を
要する期間を要しました。あの嵐桜も廃
棄したことは有名ですが、池田先生が何
故、地下を要する会館を札幌の地に建て
たのか、今になって思えば不思議なこと
です。今のリニューアルして新築した会
館は、寝泊りするスペースも当然のこと
ながら、厨房も浴室も有りません。
宿坊ではない!!と言うことです。
 

戸田先生の絶対

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2017年 7月29日(土)07時56分19秒
編集済
 

宗教とは絶対的なもの。
戸田先生の動画をみると絶対という言葉
がたびたび言われています。
先生が絶対と言うならば、それを信じるのが
弟子のあるべき姿ではないでしょうか。

教義を研究するのもその先生が絶対と言われる
ことへの確信がますます強くなるならよいこと
です。でも、研究するあまりに、疑いが生ずる
と幸せにはなれないのでは?
先生が絶対と言われることを
そのまま信じるほうが楽ですよ
毎日が生き生きと楽しくなります

私はキリスト教、イスラム教、仏教のいろんな
宗派、共産主義についてもっと勉強しようと
思いました。そこには共通するものが
あることに気づきました。
そして、それはちがうと思うことも。

その勉強によって、きっと日蓮大聖人様
の仏法のすばらしさがわかっていくと
思っています。

敵を知り、己を知れば百戦危うからずです。

先生への絶対の信頼があるがゆえに、
現在の創価学会の姿はおかしい、
まちがっている、そう訴えることは
先生への恩返しだと思います。
そして、創価学会を離れても
先生への絶対の信頼があるならば
先生への恩返しはできると思いはじめました。

敵の弱点は対話力の欠如です。
次から次へと除名していく姿。
なぜ話し合い、理解し合おうとしないのでしょう。
みんなを除名していって最後に残るのは
世界広宣流布と言ってる無明の一人です。



http://imagine-happy-life.tokyo/

 

「21世紀への選択」 人間の真価は「権力との闘い」に表れる P34

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 7月29日(土)02時24分5秒
  人間の真価は「権力との闘い」に表れる P34

テヘラニアン
 私自身、不当な理由で、一時身柄を拘束されたことがありますから、投獄

されてもなお信念を曲げなかった牧口・戸田両会長の偉大さは、よくわかります。

私はイランを出てアメリカに渡り、ハーバード大学で学ぶかたわら、イラン学生協会の

会長として、祖国の民主化運動に身を投じていました。

それで、イランの秘密警察から狙われていたのです。

一九七一年、三十四歳のときです。私は望郷の思いにかられて帰国を考えました。

両親からは帰国は危険だと忠告されましたが、ハーバード時代の学友でイラン政府の

要職に就いていた友人から、一緒に仕事をしてほしい」と頼まれたこともあり、勇気を

奮って帰ることを決断したのです。

池田
敢えて、そうされたわけですね。

テヘラニアン
ええ。イランに到着した日、私のパスポートを見た秘密警察の役人がブラ

ックリストのファイルを調べて、急に顔をほころばせました。

"反体制派のリーダーを捕まえた"と、喜んだのでしょう。

私は即刻、空港の警備室まで連れていかれたのです。

そのとき、通路の窓から、家族が手を振っているのが見えました。

私がすぐ手続きを終えて出てくるだろうと思っていた彼らの顔は、担当官に連行されてい

く私の姿を見て、みるみるうちに恐怖にひきつっていきました。

なぜなら皆、イランの残酷な独裁の歴史を知っているからです。

池田
「まさか」と心配されたのですね。

テヘラニアン
そこで私は、家族にメッセージを伝えることにしました。

「政府の友人の保証もあるので、心配はいらない。

いま、捕まっているのは誤解なのだから、皆は家に帰りなさい」・・・と。

しかし、「呼び出しに応じて、いつでも当局に出頭すること」「当局の許可なしに出国

しないこと」を約束させられ、以後七年間、常に監視されていました。

その後、仕事を始めたのですが、最初のうちは給料さえもらえなかったのです。

池田
胸に突き刺さる、真実の証言です。

牧口会長や戸田会長と同じく、私も無実の罪で投獄されました。忘れもしない、一九五

七年の七月、二十九歳のときです。

民衆運動の台頭恐れた権力が、まだ広範な運動になる前に、芽をつんでおこうと、私

を不当に拘置したものでした。

しかし、権力の弾圧には絶対に屈しなかった。

テヘラニアン
私は、創価学会の三代の会長の生き方に深い感動を覚えます。

なぜなら、三人とも個人的な苦悩を乗り越えながら、なおかつ、そこに安住すること

なく、人類のために徹して行動されているからです。そしてまた、崇高な美しい価値を創

造されているからです。

世界には多くの苦悩する人々がいますが、三代の会長のように「人類のためにた闘う崇高

な人生」へと、自分の生き方を転換できる人はごく限られています。
 

「21世紀への選択」 人間の真価は「権力との闘い」に表れる P34を投稿します。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 7月29日(土)02時21分27秒
  「21世紀への選択」 人間の真価は「権力との闘い」に表れる P34を投稿します。

「権力との闘い」は「死」を覚悟しなければなりません。

死と直接対面して、逡巡する信仰者がほとんどであることは、牧口、戸田両先生が

投獄されたとき、二十数名の学会幹部は退転しました。

私はその人たちを非難する事は出来ません・・・。

自分にその難が襲い来った時、退転せずに命を掛けることが出来るのか・・・・。

仕事の事、家族の事、従業員の事、組織の部員の事・・・脳裏によぎるでしょう。

そこで翻ること無く信仰を保ち続ける人は、仏です。

退転する人は、地獄です。



「若き友に贈る」池田先生著作より

いかなる人間も
厳しく死に直面せざるを得ない
故に私は
生死の永遠の勝利のために
最高の宗教を選ぶ
*
暗い日があっても
悩める日があっても
私は現実の生活を逃避しないで
信仰という深く強い負けじ魂で
後半生を生きぬくのだ
*
人生の迷子にならぬために駈ける
私は明瞭なる指標にと
確固たる信仰を持ったのだ


21世紀への選択
人間の真価は「権力との闘い」に表れる P34

ポイント
* 牧口会長や戸田会長と同じく、私も無実の罪で投獄されました。

忘れもしない、一九五七年の七月、二十九歳のときです。

民衆運動の台頭恐れた権力が、まだ広範な運動になる前に、芽をつんでおこうと、私

を不当に拘置したものでした。

しかし、権力の弾圧には絶対に屈しなかった。

* テヘラニアン
・・・

世界には多くの苦悩する人々がいますが、三代の会長のように「人類のためにた闘う崇高

な人生」へと、自分の生き方を転換できる人はごく限られています。
 

初級・青年三級試験2017 6/6

 投稿者:ClearSky  投稿日:2017年 7月28日(金)23時58分42秒
  (6)研鑽に際して

「法華経の智慧」とは明らかに違う教義を教える教学試験の材料。
教材の執筆陣は
(A)法華経の智慧を読んでない
(B)読んだが、理解できていない
(C)意図的に教義を変えようと考えている
のいずれでしょうか?
もしかすると、「初級・青年3級試験だから、ここまでしか教えない」との逃げ道も残してあるかもしれません。

しかし、教える側は大変です。
勉強を担当する講義担当者は、不適切な教義は教えたくないので、悩んでいる方が現実にいます。
「どうみても違うよな」「こんな教え方でいいのかな」と。
怒っている受験者の親から、「子供に受けさせたくはない」「受けない方がよいと思う」との訴えもありました。

このような方にも、私は受験を勧めています。
不適切な教学を打ち破るためには、正しき教学を学ぶ必要があるからです。
担当者にも、「講義もやってあげましょうよ」と声を掛けています。
今回、できるだけ多くの講義担当者・合格責任者が、正しく教えていくことを願っています。

では、どのように教えていけば良いでしょうか?
私は次のように語っています。
・「久遠実成」の先に「久遠元初」がある
・文底仏法が、釈尊と大聖人の仏法の本意
・池田先生の「法華経の智慧」は文底仏法に基づいて記されている
・今回の教学を基礎知識として学習して、いつか「法華経の智慧」を学んで、より深い教義を学んでもらいたい

今回の教材が不完全だとしても、また不適切だとしても、教学の研鑽を通して、真の教学を教えてあげたいと思います。
受験者に対しては、大白蓮華の教義に関する欺瞞を暴く必要もありません。正邪の闘いに巻き込む必要もないと思います。
受験者に罪は全くないのですから。
この教材に疑問を感じる人が、この試験を通して、全てを価値に転じていく闘いをすれば良いのだと思います。

以上、個人的な意見・事例で申し訳ありません。
参考になれば幸いです。

受験者のため、学会のために、共々に頑張りましょう!

----------------------------------
以上で終わりです。

春様
いつも有難うございます。
おやすみなさい。
 

初級・青年三級試験2017 5/6

 投稿者:ClearSky  投稿日:2017年 7月28日(金)23時54分51秒
編集済
  (5)久遠元初

公平を期すために記します。今回の大白蓮華の教材にも、一応「久遠元初」の説明はあります。

==== 引用開始(大白蓮華・2017・6月号87頁) ====
日蓮大聖人は、外面の姿やはたらき(外用)においては、釈尊から付嘱を受けた、地涌の菩薩の上首(指導者、中心者)である上行菩薩です。これに対して、大聖人の内心の悟りの境涯(内証)においては、久遠元初の自受用報身如来です。
==== 引用終わり ====

これは、ほぼ従来の教学通りの記述です。この次の記述を見てみます。

==== 引用開始(大白蓮華・2017・6月号87頁) ====
「久遠元初」とは、私たちの実践に即していえば、凡夫が妙法を自身の生命に開き顕す根源的な成仏の時を意味します。
私たちが南無妙法蓮華経の御本尊を信じて自身の内なる妙法を開き顕すことは、自身に久遠元初の仏の生命境涯を現すことです。
==== 引用終わり ====

「久遠元初とは…凡夫が成仏する時」(主旨)との用法です。
確かにこの用法は間違いではありませんが、部分観であり、全体を説明できていません。
何より、「文底」を排除する場合、即ち「久遠実成=永遠の仏」の場合、久遠実成の先はない訳ですから、時間をさかのぼったところの「久遠元初」は存在しません。
しかも、過去の学会教学では「久遠元初の自受用報身如来」を用いてましたので、急に否定はできません。
苦労して考えたのが、この大白蓮華の説明なのだと思いますが、「無始無終の本仏=久遠の仏」を説明しないので、よくわからない説明になっています。

法華経の智慧では、どのように記されているか確認します。

==== 引用開始(法華経の智慧・如来神力品②:『上行菩薩は「菩薩仏」』『「毎日」が「久遠元初」』) ====
名誉会長:この「因位(仏因の位)の仏」―それが上行菩薩です。「因果倶時の仏」です。上行菩薩が出現しなかったならば、無始無終の本仏は示せないのです。上行菩薩の出現は、五百塵点劫という想像もつかない過去をも突破した「無始無終の久遠の本仏」を指し示しているのです。
須田:これまで、わかったつもりで、あいまいだったことが、かなりはっきりしてきました。この「無始無終の本仏」とは、私たちが「久遠元初の自受用報身如来」と呼んでいる「南無妙法蓮華経如来」のことですね。
名誉会長:もちろん、その通りです。
須田:そうしますと、この「久遠元初」というのは、もはや「はるかな昔」という意味ではありませんね。時間の枠を突破しているというか、もう「時間の概念」ではないということになります。
名誉会長:そうです。「久遠元初」とは「無始無終の生命」の異名です。時間論ではなく、生命論です。生命の奥底の真実-無始無終に活動し続けている宇宙生命そのものを指して「久遠元初」と呼んでいるのです。それは「無作三身如来」と言っても同じです。大聖人は「久遠とははたらかさず・つくろわず・もとの儘と云う義なり」(御書p75)と仰せだ。「はたらかさず」とは、途中からできたのではない、本有ということです。「つくろわず」とは、三十二相八十種好を具足していない、凡夫のありのままということです。本有常住であり、「もとの儘」です。これを「久遠」という。「久遠」とは「南無妙法蓮華経」のことです。御本尊のことです。だから、御本尊を拝する、その瞬間瞬間が「久遠元初」です。私どもは、毎日が久遠元初なのです。毎日、久遠元初の清らかな大生命を全身に漲らせていけるのです。毎日が久遠元初という「生命の原点」から新たな出発をしているのです。
斉藤:それこそ「本因妙」ですね。
名誉会長:だから「今」が一番大事なのです。(略)だから「久遠の妙法」の広宣流布へ本気で立ち上がれば、そのとき、生命に「久遠元初の夜明け」が訪れる。
==== 引用終わり ====

明確に、「久遠元初」は「五百塵点劫という過去を突破した」だけでなく、「時間の枠を突破した」、「無始無終の生命の異名」であり、もはや、「時間論ではなく、生命論」として扱われるべきであると述べられています。
更に、御本尊の捉え方にも関連する重要な概念として記されています。
これを理解すると、御本尊への勤行・唱題の実践が壮大な儀式であることがわかります。

先生の著作という理由だけでなく、論理的にも「法華経の智慧」の内容を否定するのは誤りだと考えます。
久遠実成で何を修行して釈尊は仏になったのでしょうか?法華経には説かれていません。故に、法華経は未完成と呼ばれています。文底によって完成すると記されています。
この考えが正しいと私は考えます。

更に、もし、「久遠元初を否定」して、「久遠実成で完結」させたい場合、無始無終の宇宙生命への帰命によって得られる境涯を実現(実感)できるでしょうか?
「過去との整合性など、どうでもいい」とか「教義なんて、後付けすればいいんだ」とか、「教義はそれなりに重要」とか言うような乱暴な教学は間違っていると考えます。
宗教の教義は、実践者の幸不幸や功徳を左右します。
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年 7月28日(金)23時54分28秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
原田会長、副会長の方々が若き日の信心を思い出す様に
学会職員の方々が、池田先生に正確な報告ができます様に
おやすみなさい
 

初級・青年三級試験2017 4/6

 投稿者:ClearSky  投稿日:2017年 7月28日(金)23時52分53秒
  日蓮大聖人を「上行菩薩の再誕」と呼ぶことがあります。
これを完全に間違いとは断定できません。
上行菩薩の深い意味を用いて「上行菩薩」と呼ぶのであれば、それは意味があることだと思います。
ここでは、法華経の上行菩薩の意味を、文底の次元では「仏」、現実の世界に行動する「菩薩仏」と捉えることを確認します。

先ず、如来が上行菩薩に付嘱した内容は、「如来のすべて」「如来の生命そのもの」であることが説明されています。

==== 引用開始(法華経の智慧・如来神力品②:「師弟の勝利!」「信心の勝利!」) ====
斉藤:要するに、「如来のすべて」が法華経には説き示されている。それを上行菩薩に付嘱すると。天台は、ここには法華経の全体をまとめる「枢柄」(中心となる肝心要)があるとしています。そして、この経文に則って、法華経の意義を説明しようとしました。いわゆる名・体・宗・用・教の五重玄です。(略)
法華経に無限の功徳が備わっている「ゆえん」というか、無限の功徳が発生する「根本」を指し示していると思います。
須田:つまり「如来の生命そのもの」でしょうか。
遠藤:それを上行菩薩に付嘱した、と。
==== 引用終わり ====

更に、「法華経の智慧」では上行菩薩を単なる菩薩ではなく、特別な意味がある存在「菩薩仏」として再定義しています。

==== 引用開始(法華経の智慧・如来神力品②:『上行菩薩は「菩薩仏」』) ====
名誉会長:さあ、そこで、「如来のすべてを受けとり、身に体している菩薩」とは、一体、いかなる存在なのかということです。通常、「菩薩」と言えば、成仏を目指して修行している存在です。しかし、明らかに「上行菩薩」は、そうではない。「如来のすべて」を全身に体していて、なおかつ「菩薩」と呼ばれている。上行菩薩は「菩薩仏」なのです。
遠藤:たしかに国王から国を譲られたら国王です。
名誉会長:上行菩薩はじめ地涌の菩薩は、出現の時から、すでに「身皆金色にして、三十二相、無量の光明あり」(法華経p474)と説かれていた。
須田:「三十二相」というのは「仏」の特徴です。地涌の菩薩が仏であることを示していると思います。
斉藤:しかも、釈尊よりも立派に見えた。釈尊が、まだ青さの残る二十五歳の青年とすれば、荘厳な百歳の翁に見えたと説かれています。
名誉会長:だから神力品の結要付嘱の儀式は、本来は「仏」から「仏」への儀式なのです。唯仏与仏(ただ仏と仏と)の境涯です。ではなぜ、上行は菩薩として現れているのか。それは、ひとつには、「一世界には一仏」という原則を破らないためとされる。二仏が並び立つと、皆に混乱を起こさせるからです。
斉藤:上行菩薩は“釈尊の説法を助ける”ために弟子の立場をとっているということですね。
==== 引用終わり ====

上行菩薩を「仏」と捉えているのが、池田先生と元・教学部首脳の「法華経の智慧」です。
もしも、上記の意味で「大聖人は上行菩薩」と呼ぶのであれば、大聖人こそが重大な使命を持った仏なのですから、その解釈は正しいでしょう。
もしも単なる「メッセンジャー」の意味で用いるなら正統な教学とは違うと言えます。

「法華経の智慧」の「如来神力品」には、「人法一箇」「事顕本と理顕本」「久遠元初」など文底の法門が説かれています。
この教学試験を機に、是非もう一度学んでみたいと思います。
 

初級・青年三級試験2017 3/6

 投稿者:ClearSky  投稿日:2017年 7月28日(金)23時50分12秒
  (3)釈尊と大聖人の位置付け(大白蓮華から)

教材は明らかに以下の定義で教義を教えようとしています。
・釈尊  - 久遠の仏
・大聖人 - 上行菩薩(単なる付嘱を受けた地涌の菩薩の上首)

上記に関連する箇所を記します。

==== 引用開始(大白蓮華・2017・6月号82頁) ====
法華経の付嘱の通り、末法の初めに出現して、南無妙法蓮華経を万人に説き、不惜身命で弘通された方こそ、日蓮大聖人御自身です。この意義から、大聖人御自身こそ地涌の菩薩、なかんずく上行菩薩に当たります。
==== 引用終わり ====

==== 引用開始(大白蓮華・2017・6月号86頁) ====
日蓮大聖人が、ただ一人立ち上がり、他に先駆けて、末法の法華経の行者として、命を懸けて妙法の弘通に励まれたことは、大聖人が釈尊から末法弘通の付嘱を受けた上行菩薩に当たることを証明しています。
==== 引用終わり ====

==== 引用開始(大白蓮華・2017・6月号97頁) ====
その核心は久遠の仏であるという本地を明かした釈尊が、久遠の弟子である地涌の菩薩を呼び出し、自身の滅後の悪世に法華経を広めて人々を救い導くこと(付嘱)です。
==== 引用終わり ====

今回の初級・青年3級試験では、大聖人を「上行菩薩」として積極的に定義しています。
「釈尊から付嘱を受けた上行菩薩」の位置付けです。これ以上の説明はありません。
この箇所はゴシック体(太字)で記されており、受験者に重要な定義だとして覚えなさいとの意図があると感じます。
また、前年2016年の青年2級でも、大聖人を「御本仏」とは記していませんでした。
もはや、今後、大聖人を「御本仏」とは言わないつもりのようです。
現在の教学では、大聖人を「単に付嘱を受けた者」に過ぎず、ある意味「メッセンジャー」の位置付けにしたいのであろう、との印象を受けます。
 

初級・青年三級試験2017 2/6

 投稿者:ClearSky  投稿日:2017年 7月28日(金)23時49分23秒
  (2)永遠の仏と永遠性の仏

先に記したように、大白蓮華80頁には、「釈尊は…永遠の仏」と定義されています。
更に言えば、昔の教学は「五百塵点劫」は永遠の意味で用いられてはいません。過去の一時点でした。
昔は「長遠」という表現だったのを記憶している方も多いと思います。
無始無終の永遠ではなく、有限の「長遠」の過去として「五百塵点劫」を用いていました。
いつの間にか、”こそっ”と変えてしまおうとしているような気がします。
バレないと思っていたのでしょうか? そんなことはないでしょうね。 昨年の青年二級に続いて、今回は敢えてここまで踏み込んだような気がします。

権威主義・形式主義・官僚主義に浸った人は、「教学部が作成した大白蓮華が間違うわけはない」と言うかもしれません。
実は、昔の表現が間違っていて、現在の「五百塵点劫」=「永遠」が正しいのでしょうか?
一度、立ち止まって、冷静に、どちらが正しいか考えてみたいと思います。

論理的に考えると、議論に必要な以下の二点が導かれます。
①五百塵点劫以前の過去の存在
②『「久遠実成の釈尊」が本仏』の採否
これに関して、「法華経の智慧」の記述を確認します。

==== 引用開始(法華経の智慧・如来神力品②:『上行菩薩は「菩薩仏」』) ====
斉藤:「我本行菩薩道(我れ本、菩薩の道を行じて)」とありますから、五百塵点劫以前は、菩薩の修行をしていたことになります。
名誉会長:すると、修行をしていたのだから「法」はあった。法はあったが「仏」はいなかった時代があったということになる。これでは「無始無終の宇宙と一体の仏」はいないことになってしまう。
須田:たしかに、途中から出現したのでは「三世常住の仏」とは言えません。
遠藤:始成正覚の釈尊は「本無今有〔本無くして今有り)」と破折されました。“根無し草”のようなものだと。しかし、「途中から仏になった」という点では、寿量品の「久遠実成の釈尊」も、ただ時間をはるかにさかのぼったというだけで、同じです。厳しく言えば「本無今有」であって「本有」ではありません。
斉藤:「本有」でなければ、三世常住の「本仏」とは言えません。
==== 引用終わり ====

「久遠実成の釈尊」は「途中から仏になった」訳ですから、「永遠の仏」とは言えません。
無始無終の「永遠の仏」ではないと記されています。従って、「法華経の智慧」では「久遠実成の釈尊」を「永遠性の仏」と呼んでいます。
即ち、永遠を指向しながらも、完全なる永遠ではないことを教えています。
このため、「永遠の仏」と「永遠性の仏」を立て分けています。この両者の立て分けは重要だと考えます。

また、「永遠の仏」は「文上」では説かれていません。文上から「義」を開いて「意」に迫ろうとする「文底」に於いて確認できる仏です。
更に、「永遠の仏」は「永遠性の仏」とは比較にならない意味を持っています。このことを確認します。

==== 引用開始(法華経の智慧・如来神力品④:『「事顕本」と「理顕本」』) ====
名誉会長:それは何か。寿量品での説法は、釈尊個人についての「顕本」です。「人間・釈尊」が自分の「生命の本質」を示したといってもよい。これは、あくまで「個人としての」顕本です。しかし「文底」の顕本は、これとまったく違う。けたはずれに違う。それは全宇宙的な顕本です。凡夫から仏まで、十界の一切衆生の全体の顕本なのです。「文上」では、五百塵点劫の昔から説法教化し続けている「永遠性の仏」が示された。
須田:「久遠実成の釈尊」です。
名誉会長:しかし永遠性といっても、完全に永遠ではない。どこまでも「有始(始めがある)」の仏です。だから無始無終の宇宙即妙法と一体とは言えない。“すき間”がある。ゆえに、文上の仏は「法勝人劣(法が勝れ、人が劣る)」です。寿量品の真意は、この「永遠性の仏」を通して、完全なる「永遠の仏(久遠元初の自受用身)」を示唆するところにあったのです。この「永遠の仏」は無始無終の妙法と一体です。宇宙の大生命そのものであり、「人法一箇」です。
遠藤:ということは、宇宙の一切衆生が、そのまま「永遠の仏」だということになります。
名誉会長:生きとし生けるものが本来、仏なのです。これが寿量品の叫びです。これに目覚めよと法華経は訴えているのです。
斉藤:整理しますと、文上の顕本は「釈尊個人の顕本」、文底の顕本は「全法界(十界)の顕本」-こうなります。
須田:スケールも深さも、全然、違いますね!
名誉会長:まるっきり次元が違う。本門と迹門の違いが「水火天地の違目」(御書p996)と言われている真意は、文底の顕本を知って初めてわかるのです。
遠藤:「如来とは一切衆生なり寿量品の如し」(御書p770)と大聖人が言われた本義も、文底の次元から言われているわけですね。
==== 引用終わり ====

大白蓮華の教材では、「永遠の仏」を「久遠実成の釈尊」に結び付けたいようですが、かなり乱暴であるとの印象を持ちます。
有限の過去を無始無終(永遠)のように扱ったり、「久遠実成」だけで、「久遠元初」を説かないため、「無始の仏界」「無始の九界」とならず、真の十界互具、真の因果倶時を説明できません。
(法華経の智慧・如来寿量品①:「無始の仏界」「無始の九界」を参照のこと)

また何よりも、「永遠の仏」=「久遠実成の釈尊」の論法は、「仏法を法華経の文上で完結」させたいという意図なのかもしれませんが、大聖人の仏法を貶める結果になります。
 

初級・青年三級試験2017 1/6

 投稿者:ClearSky  投稿日:2017年 7月28日(金)23時48分7秒
  今年の初級・青年三級試験の教材(大白蓮華2017・6月号)。
私は、この教材が「久遠実成までで完結」「永遠の仏は釈尊」「大聖人は上行菩薩」「南無妙法蓮華経は上行たる大聖人が末法に弘めた」との論調だと認識しています。

講義担当者や受験生の親達からも、もう少し詳しく説明して欲しいとの依頼を受けましたので、整理してみました。
こちらの掲示板にも投稿します。
基本的には「法華経の智慧」をベースに説明したいと思います。

海外で活動されている方で大白蓮華を読んでおられない方もいると思いますので、大白蓮華の一部も引用して、説明します。

----------------------------------
(1)上行菩薩について
「大聖人御自身こそ地涌の菩薩、なかんずく上行菩薩に当たります(大白蓮華82頁)」との記述があります。
ある意味正しいのですが、不十分であり、悪意をもってこの表現を用いると不適切です。

では、上行菩薩をどのように捉えるのか、整理します。
まず、上行菩薩に関して、二通りの定義を記します。

(A)地涌の菩薩の4人の導師の上首
(B)菩薩仏であり、永遠の仏

大白蓮華の教材は(A)の意味で用いられています。
その根拠は以下の記述です。
==== 引用開始(大白蓮華・2017・6月号80頁) ====
「釈尊が今世で初めて成仏した(始成正覚)というこれまでの考え方を打ち破り、釈尊は実は五百塵点劫という、はるか久遠の昔に成仏して以来、この娑婆世界に常住する仏、つまり永遠の仏であることが明かされます」
==== 引用終わり ====

ここで、「釈尊は…永遠の仏」と定義されています。
今回の教材では全編を通して、「永遠の仏」は「釈尊」とされているようです。
また、80頁の説明のタイトルは「永遠の仏―久遠実成」とあります。これは、久遠実成で久遠を完結させて、それより深い「久遠元初」は(文底にあたるので)用いたくないとの意図があるとも受け取れます。

法華経の智慧は(B)の定義をかなりのページ数を割いて詳細に説明しています。
ここではその概略を順に説明したいと思います。
先ず、(A)の解釈を踏まえて、更に(B)を説明しはじめた箇所を確認します。

==== 引用開始(法華経の智慧・如来神力品②:『「師弟の勝利!」「信心の勝利!」』 ) ====
遠藤:はい。地涌の菩薩は、釈尊が「久遠以来、教化してきた」弟子となっています。この「弟子」に「師匠」が、法華経の末法広宣流布を託すという儀式をとっています。
斉藤:問題は、ここですね。この文上にとらわれると、日蓮大聖人が、「上行菩薩の再誕」として、釈尊の「法華経二十八品」を弘めたーという解釈に陥ってしまいます。
須田:ほとんどの解釈が、そうです。
斉藤:しかし、日蓮大聖人はこう仰せです。「此の妙法蓮華経は釈尊の妙法には非ざるなり既に此の品の時上行菩薩に付属し給う故なり」(御書p770)「”釈尊の妙法”を弘めるのではない」と明確に言われています。
==== 引用終わり ====
文上に囚われると大聖人の本地を見誤ります。大聖人は「上行菩薩の再誕」として釈尊の妙法を弘めた訳ではないと説き出だされています。

因みに敢えて、先の(A)と(B)の両者を区別すると
(A)は「文上の上行菩薩」
(B)は「文底の上行菩薩」
と言えるでしょう。
(B)の「文底の上行菩薩」と拝する場合には、内証は仏であり、それも久遠の法を身に体した仏となります。

これ等を順に考えてみたいと思います。
 

池田先生の日寛教学支持/不支持に関して

 投稿者:ClearSky  投稿日:2017年 7月28日(金)23時46分28秒
  螺髪様、SaySaySay様

コメントを頂き、有難うございます。
また、教えて頂いた資料も読んでみたいと思います。

>ClearSkyさんが意見を直接投稿されるのは珍しい(笑い)。<

そうですね。普段、私はROM専ですから(笑)。

----------------------------------

先の「文底仏法と日寛教学」を公開したので、教学試験の初級・青年三級の教材に関して、少し整理していました。
そんな最中、『先生は「日寛教学が通用しない」と考えている(だろう)』との記事がありました。

先生が日寛教学を否定しているような文献やスピーチを、私は目にしたことがないので、どうして、そのような話が出るのだろうと思った次第です。
投稿に出ていた元・広宣部の方も、ある意味、同意されておられた印象を受けましたので、何か論拠があるのであれば教えてもらって、考えてみようと思いました。

日寛教学の採否に関しては、

・日寛教学(文底仏法)が正しいか否かの議論
・先生のお考え(日寛教学支持か否か)の議論

に分けて考えるべきだと思っています。
ここで、前者は時間を要する議論となりそうですし、学会の中でも意見の一致には至らないかもしれません。
一方、後者は『先生が「日寛教学が通用しない」との考えを持っておられた』と推察できる資料のようなものがあれば、その内容を確認してみるべきだと思います。
勿論、先生のお考えを全て理解できないとしても、それを求めていくのが大事だと考えています。

先の投稿は、後者の議論のためのものでした。
もし、先生が「日寛教学の見直し」に関して言及されておられたという話があれば教えてもらいたいと考えています。

----------------------------------

もう少ししたらROMに戻ります。
その前に、書いておいた大百蓮華2017年6月号の教学試験教材に関して投稿しようと思います。
少し長いので、複数回に分けて投稿します。

今回の教学試験教材から、「何が見えてくるのか」「どんな方向に向かおうとしているのか」考える契機になればと思います。
 

二年と四カ月

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 7月28日(金)23時42分42秒
  みなさまこんばんは。27日の男、寝たきりオジサンです。
もう28日ですね。

同盟題目に参加させていただいて二年と四カ月になりました。
仕事が立て込んで昨日は書き込めませんでしたがちゃっかり

同盟題目だけは参加させていただいています。
持続の戦いというのは自力がつくのでやって損はありません。

最近お小遣いがたまって、ほしかった本を17冊買えたので今
読書にはまっています。読書の夏です。

 

お詫び・訂正その三十四

 投稿者:The logic in the place  投稿日:2017年 7月28日(金)23時23分31秒
  レ・ミゼラブル015 ?
投稿者:The logic in the place
投稿日:2015年 3月23日(月)19時41分40秒

『大道を歩む 私の人生記録Ⅱ 池田大作』 還暦を迎えて 1987~1989
P.228~242  フランス革命の意義(抜粋)
(前文略)
「 フランス革命の意義、とりわけ人権宣言に謳われた「自由・平等・友愛」の理念が、人権意識の高揚と擁護、民主主義の発展といった点で、多大な役割を果たしてきたことは間違いない。だが、光あるところ影がある。自国の歴史を誇りに思われるからこそであろう。この年に私がフランスでお会いした方の多くは、その影の部分を真摯に見つめておられた。
 革命は成功した。だが旧き権力の打倒は、新たな権力をめぐる凄惨な闘争に変わっていった。やがて恐怖政治の嵐が起こる。
 無秩序が支配する世界。疑心暗鬼に陥り、裏切りが横行する。否定された古い宗教に替わる新しい道徳もない。すさみきった人心。いつ果てるともしれない陰惨な対立抗争。誰も信じられない世相。憎悪と密告。テロと粛清・・・・。
 革命の美名のもとに、おびただしい血が流された。犠牲者は数十万人にのぼった。パリと並んでフランス革命のもう一つの中心都市ナントを流れるロワール川には、毎日、百人から二百人の人が沈められた。そのためのロワール川は、国民的水浴場と呼ばれたという。
 本来、民衆のため、人間のためであったはずの革命。それが、いつしか人権を抑圧し、民衆を震え上がらせ、人間性を窒息させるものへ変わってしまった。「善を欲して悪をなす」悲劇の典型であった。
 二百年前の当時ばかりではない。今世紀に入っての第三世界の国々の独立運動でも、また社会的弱者の人権を守る運動でも、つねに「自由・平等・友愛」の理想は掲げられ、叫ばれてきた。しかし、現実は、どうだったか。正義や人権を謳うスローガンの下で、幾多の革命が血塗られた歴史を刻んできた。「愛国心は悪党の最後の隠れ家である」との箴言のように、民衆の純粋な情熱を己の権力欲も利用する輩もあとを絶たない。(以下略)」

・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
会則改変という無責任で意図的な拙速革命(どす黒い大誓堂に棲む改革派)は、某ツイッターメンバーを信濃町の底流を流れる信濃川に溺死させ、南元町(人々)病院には水死体の山が運びこまれて、そのまま償却(除名)処分。また、先生の意図を知ってか、模擬店で「喫茶ロワール」なんて名称をよく使っていた幹部はどのような感覚だったのか、青年部時代に私は?と思っていました(笑)。
 ミリエル司教曰く「無学の人々には能う限り多くのことを教えねばいけない。無料の教育を与えないのは社会の罪である。社会は自ら作り出した闇の責を負うべきである。心のうちに影多ければ罪はそこに行われる。罪人は罪を犯した者ではなく、影を作った者である」(岩波p.44)夜学の法学部に通っていた私は、折伏相手の友人とよくこの文言を議論しました。羊千匹を志向する「大誓堂創価改革派」はまさに今、この文言を深く読み込んでくださいね。南元町の面々も、高等戦術を使い始めましたね!頭の中に入り込めるメンバーが沢山居ることをお忘れなく、ご注意してください。


ーーーーーーーーーーーーーー
書籍の抜粋引用は、以下の会則

????????
第14章 賞罰
(懲 戒)
第78条 この会は、会員としてふさわしくない言動をした会員に対し、その情状に応じ、戒告、活動停止または除名の処分を行なうことができる。
????????

は、該当していません。

ーーーーーーーーーーーーーー
以下、解説で書かれている部分は、お詫び・訂正・削除します。忘れて下さい。

いろいろと確認しましたが、大変ですね。
ご苦労様です。
 

同盟題目!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 7月28日(金)22時57分5秒
  23時より開始します。よろしくお願いします。
池田先生と奥様のご健康、ご長寿。
皆さまのご活躍、健康、無事を祈ります。

また、査問や恫喝のない学会になるよう
職員の方々にお題目を送ります。

同盟題目は毎日23時から30分間行っています。
自由参加、任意参加です。

少しの時間だけの参加も歓迎します。

また、途中からでも大丈夫です。
時間が合わないので23時前後の時間で行いたい。
それでも歓迎です。よろしくお願いします。
 

緊急告知への沢山のメールありがとうございます。

 投稿者:元京都西京区乃虎  投稿日:2017年 7月28日(金)22時23分56秒
編集済
  お店の規模の関係で、メールをくださった方全員が参加することは出来ません。
今回は独断と偏見で選ばさせて頂きました。
選ばれなかった方はこの場を借りて御礼申し上げます。
また次回集まる時には、事前に人数調整しまして決めて行きますので
宜しくお願い致します。
今回はあくまでも気心知れた、酒に飲まれない、禁煙者、薬物未経験者が
中心となっております。
どこぞの、酒呑んだくれて愚痴のオフ会では決っしてございません。
なので殴られる絡まれる事はございませんので、ご安心ください。
 

フェイク 第1585号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 7月28日(金)22時08分37秒
  (発行=17.07.27)

宗門の財務部長・長倉日延が死亡
故人が不快感を抱いていた早瀬日如が導師
生前「早瀬と河辺にやられた」と嘆く

日蓮正宗の宗務院財務部長で北海道札幌市内の日正寺住職・長倉日延(権僧正)
が二十五日午後八時頃、死亡した。享年七十六歳。通夜は二十六日午後七時
から、告別式は二十七日午前十時から、いずれも早瀬日如の導師で行われた。

 通夜の際、日延の息子の長倉信祐が父親の略歴及び闘病生活に触れて「父は
ガンとの戦いで延命した」旨、語っていた。だが、実際は数年前に日延は胃が
んの手術をして、それ以降、術後の経過が悪く、命を縮めたと伝えられている。

 日延は昭和十六年六月三日生まれ、同二十九年に得度。能化になる前の平坊
主の時の名前は教明で、教師になって以降は実行寺、三之坊、本住坊、仏土寺
を経て平成四年十一月に大願寺に移り、同十一年九月には河辺慈篤との交代で
日正寺の住職になっていた。

 長倉教明(日延)が大願寺に移ると、約百世帯が富士宮市の妙蓮寺に所属替え、
その後も多くの講員が豊島区の常在寺など各末寺へ移籍。大願寺の御講等の行
事に参加する法華講員は減少の一途をたどり、激しい落ち込みを見せていた。

その理由は、法華講関係者によると、住職の長倉をはじめ寺族の冷酷な人間
性、特に、信徒を怒鳴りつける横柄な女房の多江子に対する不平・不満だと言
われていた。

寺族同心会大会で、日顕が〝住職の女房は態度が悪い。信徒をいたわり、優
しい言葉遣いの対応を心掛けるように〟と注意を促したことがあった。

あの〝かまし発言〟で知られる日顕でさえ注意せざるを得ないほど生意気な
言動の寺族がいて、その最たる者が長倉の女房だということだった。

 息子の信祐も大正大学で仏教学の博士号を取得しているものの、品行下劣な
言動で評判が悪かった。

 長倉は昭和五十五年、僧都に昇進して財務部長になり、以来、約三十七年間
にわたって務めてきた。

こんなに長い間、財務部長の地位にあったのは、都心の大願寺から札幌に左
遷されたうえ、部長の座まで奪われてなるものかと、その地位にしがみ付くこ
とだけに汲々としていたからと評されている。

 日正寺の地元では〝度外れた金狂い〟と非難され、供養の少ない講員には鼻
も引っかけない、信徒一人一人に「値札」を付けている、と言われていた。

 ところで、長倉が河辺慈篤と入れ替わりで日正寺へ移ったのは「大御本尊偽
物発言」の「河辺メモ」流出のあとである。

 当時、河辺の左遷人事と説明されていたが、実際は、河辺は〝栄転〟を喜び、
反対に長倉は「行きたくねえんだ。北海道へ」と凄く荒れていたという。この
件で長倉は「早瀬と河辺にやられた」と悔しがり、二人に対して不快感をあら
わにしていたという。この早瀬とは日如のことである。

河辺は既に他界したが、不快感を抱いていた日如が葬儀の導師では日延の悔
しさは倍加するだけで、救われないのではなかろうか。


 

フェイク 第1584号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 7月28日(金)22時02分50秒
  (発行=17.07.25)

伸びない折伏成果に焦る日如
勤行・唱題しない法主ら坊主と法華講員
法要でバタバタ倒れた講頭らの醜態

早瀬日如は平成三十三年の「法華講員八十万人体勢構築」が絶望的になった
今、焦った口調で坊主や法華講員に向かって盛んに「唱題して折伏せよ」と叫
んでいる。以前は「折伏しろ」の一辺倒だったが、最近では「絶対的な確信を
もって唱題に励み、その功徳と歓喜をもって折伏に当たることが肝要でありま
す」(七月度広布唱題会)等と同じような言葉を繰り返している。

先月は折伏成果が低迷している末寺の坊主を大石寺に集めて折伏推進指導会
を行なって檄を飛ばした。

その後も僧俗指導会を開いて折伏の進捗状況について厳しく追及しても各末
寺の成果は一向に伸びない。

布教部長の阿部信彰は春季総登山の際、今年の誓願目標を八月迄に、遅くと
も十月までには達成せよ、と強調したが、これも空念仏に終わることが確実だ。

〝法華講は七百年の歴史がある〟と自慢するが、その間、折伏など実践した
経験がないので、突然、八十万人構築とか言っても無理な話である。

そこで日如は己が大願寺時代から勤行・唱題をサボっていたのを棚に上げて
坊主や講員に「唱題して折伏せよ」と言い出したのだ。

だが、昔から法華講員の中で勤行・唱題する者は皆無に等しく、日蓮正宗の
坊主の間にも〝題目を上げるのは学会員だ〟という考えが定着していた。

 法華講の幹部が勤行・唱題などしていなかった実例を一つ紹介する。

昭和四十七年二月、大石寺の近くにある妙蓮寺に創価学会の池田会長(当時)
が願主となって四宿坊(蓮一坊、蓮二坊、蓮三坊、蓮四坊)が新築された。

落慶法要では日達法主の導師で読経・唱題した後、法主と会長が席を移動し
た。

続いて参列者が立ち上がろうとした時、最前列にいた法華講の講頭、総代な
ど幹部クラスの壮年が一斉にバタバタと倒れこんだ。

慣れてない勤行・唱題で足が痺れる

皆、足が痺れて立ち上がれなかったのである。互いに照れ笑いをしながら「
参ったなあ、足が痺れて立てない」「いつも勤行・唱題なんかしてないからな
あ」と言って足をさすっていた。

参加していた学会員は、当然ながらスッと立ち上がり、法華講幹部の醜態を
唖然とした表情で見ていた。

日々の勤行・唱題は信仰者として当たり前と思っている学会員と違って法華
講は幹部クラスも実践していないことが分かる出来事だった。

第一次宗門事件の頃、大石寺の六壺で所化が唱題していると、先輩から〝学
会員みたいなことをするな〟と怒鳴られ、いつも唱題する所化を指して「あい
つは怪しい〝学会寄り〟ではないか」とか「唱題している奴に気をつけろ」な
どと言われたという。

六壺で唱題している所化がいると聞いた日顕は、所化の指導会で唱題につい
て、こう指導した。「三十分ぐらい真剣に行うことは、よいと思うのでありま
す。しかし、それ以上は多すぎる事になってもかえって弊害があります」(昭
和五十九年八月行学講習会)

この日顕がニセ法主の座にいた間、夜の勤行をしたのは一度だけだった。


 

池田先生のスピーチに学ぶ【壮大な夢を実現、不屈の努力の根本は強き一念に】

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 7月28日(金)21時36分27秒
  池田大作全集76巻
海外派遣メンバー協議会 (1991年2月14日)④

■少年時代の壮大な夢を実現したシュリーマン

さて、話は変わる。地中海の東、青きエーゲ海。四千年の昔、ここに華麗なる古代文明が栄えた。ギリシャ文明、トロイ文明(小アジア)、クレタ文明(クレタ島)、ミケーネ文明……現代ヨーロッパの源流たる″黄金の世界″である。

また″詩人の中の詩人″とうたわれる古代ギリシャのホメロス(紀元前八、九世紀頃の人)の二大叙事詩『イリアス』と『オデュッセイア』の舞台でもある。いつの日にか、これらについても新たな視点で語りたいが、トロイ戦争等を舞台に、古代ギリシャの英雄たちが生き生きと描かれている。

今、これらの文明やトロイ戦争の実在を疑う人はいない。万人の常識になっている。しかし、ほんの百年ほど前までは、そうではなかった。ホメロスの詩は全ヨーロッパで読まれ、いわゆるインテリから庶民まで、よく知られていた。しかし、人々はそれらをたんなる″お話″だと思っていた。

ホメロス自身も伝説上の人物と思われ、彼の物語が本当にあったことだとは、だれも考えなかった。あえていえば、法華経や御書をいくら知っているようでも、現実とかかわりのない、ただの物語として読んでいるようなものである。

これを、歴史的事実にもとづくものだと証明したのが、ドイツのハインリヒ・シュリーマン(一八二二年~九〇年)である。昨年十二月が、彼の没後百年にあたる。

シュリーマンは八歳の時、父から一冊の本をもらった。それは、さし絵入りの『子供のための世界史』。そこに「トロイ戦争」のことが、印象的なさし絵とともに出ていた。

一人の美女(ヘレネ)をめぐって争うトロイ軍とギリシャ軍。十年に及ぶ戦乱。アキレスやアガメムノンら英雄たちの苦悩と栄光。そして「トロイの木馬」によるギリシャ軍の勝利――。(=大きな木馬の中にギリシャ軍の兵士が隠れ、トロイ軍が木馬を城内に入れてから飛び出して、トロイ軍を打ち破った)

八歳の少年は、これらの物語を完全に信じた。そして「将来、必ずこのトロイを発掘しよう」と心に誓った。途方もない夢であった。しかし、じつに四十年後、彼はその″夢″を見事に実現したのである。

次元は異なるが、私どもは今、十年後の創立七十周年、さらには四十年後の創立百周年をめざして、「広宣流布」という″壮大な夢″の実現に邁進している。

百周年となると、現在の青年部、未来部にお願いする以外にない。さらに、広布は世代から世代へ、万代にわたって、″永遠に拡大″″永遠に深化″″永遠に蘇生″の大運動である。

ゆえに青年を大切にしたい。少年、少女の心を大切にしたい。八歳の少年の決意が、世界の歴史を書き換えたのである。子どもだからと、軽く考えることは絶対に誤りである。

このとき、初めは否定的だった父親が、シュリーマンの熱心さに打たれ、「お父さんも、お前の夢を信じるよ」と励ますにいたったという。父親のこの一言が、その後の彼の支えとなった。子どもへの信頼と共感が、どれほど大切であるかという例証であろう。

シュリーマンは、すぐに学者への道を歩んだのだろうか。そうしたかったが、不可能だった。母を九歳で亡くした。父は七人の子どもをかかえ、生活はすさんだ。父が公金を使いこんだという疑いをかけられ、一家は没落していった。そのためシュリーマンは、手痛い失恋もした。

彼は、高等学校にも行けず、十四歳で雑貨屋の店員にならねばならなかった。そして十九歳まで、毎朝五時に起き、夜十一時まで働かされた。「勉強がしたい」と、泣けてしかたなかった。しかし彼は、八歳の時の″夢″を片時も忘れなかった。
そのうち病気になってしまった。胸を悪くし、喀血したのである。

楽しかるべき青春の十九歳――しかし彼は、一文なしの、青白い、胸を病み、職も失った、みじめな姿の青年でしかなかった。

食べるためには、住む所や仕事を選んではいられなかった。南米に向かって出発したとき、船が難破して、九死に一生を得たこともある。やっと落ち着いたのは、オラングのアムステルダムであった。

ある事務所に勤めながら、乏しい給料を削り取って、勉強の費用に充てた。語学に熱中した。自分で編みだした独特の勉強法により、二年でなんと英語、フランス語、オランダ語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語をマスターした。その猛勉強のエネルギーは、やはりあの″夢″であった。

彼は語学によって学問の基礎をつくるとともに、これを商売に生かして成功を収めていく。語学力のおかげで、外国の人々と直接に取引できた。これが商売の強みとなった。

「まず、お金をつくらなければ発掘などできない」――人々は彼をただの商人と見ていたが、彼の富は″目的をもった金″であった。最終的に、彼は古代ギリシャ語を含む十五カ国語を自由に話し、聞き、読み書きできるようになったという。

ロシアでも商売に成功、やがて巨万の富を築く。
運も良かったが、彼の徹底した努力と人柄の良さが信用となった。不屈の努力の根本は、「ホメロスの世界」への、強くまた強き″一念″であった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
池田大作全集76巻
海外派遣メンバー協議会 (1991年2月14日)①
http://6027.teacup.com/situation/bbs/72076

海外派遣メンバー協議会 (1991年2月14日)②
http://6027.teacup.com/situation/bbs/72139

池田大作全集76巻
海外派遣メンバー協議会 (1991年2月14日)③
http://6027.teacup.com/situation/bbs/72366
 

(無題)

 投稿者:人力車  投稿日:2017年 7月28日(金)21時12分12秒
  ひまわりさん「古城の週刊紙の記事があったから、先生2回も新宿きたのかなー?」

きゅうりさん「んー、なんかさー最近会合行くより、部員さんと世間話してるほうが楽しい。」
 

twitterより。組織に巣食う魔を見破るのは難しい。開目抄を拝せ、天魔はどこに住むのか書いてある。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 7月28日(金)20時04分57秒
  本当に真面目に戦っている本部職員や外郭社員、幹部が多いこともまた事実。皮肉にもそれ故に組織に巣食う魔を見破る事が難しい。開目抄を拝せと言いたい。天魔はどこに住むのか書いてあるのにねー  

(無題)

 投稿者:原原時々  投稿日:2017年 7月28日(金)19時49分5秒
  専業主婦が決してわるいとはいいませんが、昼間に仕事をしていない婦人部幹部がいろんな事を決めて、仕事中とか関係なくメール、電話の嵐。
「昨日の報告が違うわよ」「先週より数字が減ったのはどうしてなの」「今夜の地区協で緊急連絡を流して」等々、本当にどうしてなのって感じです。
 

(無題)

 投稿者:サンダーバード  投稿日:2017年 7月28日(金)17時55分44秒
  だから先生が決める事ではないんですよ、

先生が決めちゃったら、ややこしくなりますよ、

日蓮正宗が決める事だと思います、

学会員だけの問題ではないですからね、

私は日蓮の弟子だって言ってる人、

日蓮正宗の教義を学んで実践している人、全員の問題


先生は最後までそのようにしていたとも言えるし、

法華経の智慧では先行しているし、

どうなんですかね、


でも、もし日蓮正宗が日寛教学の見直し、大御本尊の歴史的な意義の公表、などを行ったら、誰も否定しないでしょ、

まあ、一部の人が大石寺襲撃するかもだけど、話せば納得してくれるでしょう
 

正義と日蓮仏法 (4コマ風)

 投稿者:のび太  投稿日:2017年 7月28日(金)16時48分33秒
  日蓮大聖人御遷化の夜、高弟6人による最高会議が池上邸でおこなわれた。

議長は古参の日昭で自身も投票権を持っていた。

日昭が1号議案を読み上げた。

● 日興くんより、今後、始祖日蓮上人を末法の御本仏と拝する。

決を取ります。反対多数で日興くんの提案は否決されました?

チャンチャン!!



 

まずは一点だけ

 投稿者:日蓮仏法2.0メール  投稿日:2017年 7月28日(金)16時32分39秒
  シー・ユー・アゲイン ?投稿者:SaySaySay ?投稿日:2017年 7月28日(金)10時11分
この中で、>聖教新聞2015年9月16日の随筆『民衆凱歌の大行進27 御書根本の勝利道』で、池田先生は日寛教学の「六大秘法」を使われています。「法本尊を開顕された」とあります。
http://vukivuki.cocolog-nifty.com/myonoshoran/2015/09/post-661f.html   <
確かに、戸田先生の時代に「観心本尊抄」を真剣に学んだことを描き、
「日蓮大聖人が佐渡流罪の真っ直中で、万人成仏の原理を「受持即観心」として明かし、法本尊を開顕された重書中の重書である。」
と記されています。
しかし、「法本尊」という用語を使用したからといって六大秘法を承認していることにはなりません。
人と法ならびにその一如について語ることには意味があります。
問題は、人法一箇の「大御本尊」を根本にして三大秘法が解釈され、その本尊を人と法に立て分けて、人を日蓮=久遠本仏=本仏としてしまうことなのです。
端的に「御義口伝の妙法蓮華経」についてでは、人と法への帰命が語られています。
「御義口伝に云く、南無とは梵語なり。此には帰命と云う。人法之れ有り。人とは釈尊に帰命し奉るなり。法とは法華経に帰命し奉るなり。」
この場合、SaySaySayさんの解釈法では、大聖人は「釈尊」を人本尊にしていたことになりませんか?
私は大聖人も先生についても、教義解釈には多層構造・多重相対を採用する立場です。

https://www.amazon.co.jp/%E5%87%A1%E5%A4%AB%E5%8D%B3%E8%BA%AB%E6%88%90%E4%BB%8F%E8%AB%96-%E6%9D%BE%E6%88%B8%E8%A1%8C%E9%9B%84/dp/4802093160/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1501224626&sr=1-1&keywords=%E6%9D%BE%E6%88%B8%E8%A1%8C%E9%9B%84

 

twitterより。利己主義、名聞名利の人間を偉くしてはならない。学会を任せてはならない。騙されてはいけない。池田先生指導。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 7月28日(金)16時30分15秒
  創価学会も、
利己主義、臆病、要領、名聞名利
そういう人間を偉くしてはならない。
だまされてはならない。絶対に学会を任せてはならない。

この方程式を根幹としていくことだ。将来のために、明快に言い残しておきたい

仮に幹部にそういう人間が出たならば、一切、言うことを聞く必要などないし、断固として追い出し、清浄な組織を守っていくべきである。

きょうは、これを決議し合いたいが、いかがであろうか。そこにしか、学会の将来を開いていく道はないからである。

第57回本部幹部会
2006年2月8日
 

re:管理人様

 投稿者:謎の弟子X  投稿日:2017年 7月28日(金)12時51分40秒
  失礼いたしました。

管理人様とは無関係かつ
「非公式に」板におられる方が集まる会。

と発言を訂正させていただきます。
 

稲田防衛相 辞任

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年 7月28日(金)12時46分34秒
  北朝鮮のミサイルが飛んで来るかも知れない、危機迫る今日、稲田防衛相辞任。

逆に言えば、大臣が居てもいなくても、大勢に影響無い、という証明のようなものだ。

官僚の書いた長い文章を、ず~~っと棒読み。長過ぎて腹が立つ。
日報があったという報告は、受けていない、と最後まで言い通して辞任。反省の色はまったく見えず、むしろ挑戦的な表情。
この辞任を受けて、1日に予定されていた閉会中審査も、開かれない可能性が出て来ている。
袋叩きにされるのを見越した、敵前逃亡策にしか見えない。

このままだと、支持率は確実に落ちるだろう。私は歓迎だが。

稲田氏はもともと、防衛に関してはド素人。そんな人間を防衛相に任命した、総理の任命責任、延命責任(笑)は厳しく追求されるべきだ。これは内閣全体の、体質の問題だ。


安保法案に反対すると、創価学会では査問され、除名されるらしいが、そんな愚か者の論理を受け入れる気は、私にはさらさら無い。そのうち、公明党を支援しない会員も、査問対象になるのだろうか。

もしそうであるのなら、創価学会はその事を、広く社会に向かって周知させるべきだ。その事を入会条件に加えなければ、宗教詐欺と言われても仕方ない。
創価学会に入会すると、憲法は無視され、人権の一部が制限されます、と宣言すべきだ!

繰り返して言うが、あんな強行採決でゴリ押しした法案など、私はまったく認めていない。
池田先生の弟子として、即刻廃案にすべきだという信念は、変わらない。
 

シー・ユー・アゲイン

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 7月28日(金)10時11分10秒
  ClearSky様
『池田先生は日寛教学を支持されているのか?』……YES!!!
http://6027.teacup.com/situation/bbs/72532
http://6027.teacup.com/situation/bbs/72533
ある賢人から教わって、ようやく私も意味が分かったのですが、一つの大きな事件が「都合の良い“建前”」としてあります。
金原明彦さんの『日蓮と本尊伝承―大石寺戒壇板本尊の真実』(以下、「金原リポート」2007年)の衝撃です。一読されることをお勧めします。
このマニアックな重書は一部の研究者から強烈に支持されて大量購入され、不覚にも価格が吊り上がっていますが、中央図書館等には蔵書されています。
須田晴夫さんも書かれていた通り、池田先生没後も生きて行く者にとって、この金原リポートから目を逸らすべきではないでしょう。

しかし、私も、池田先生は日寛教学を支持されている、と思います。(ただ堅持ではなく、ソフトランディングで過去との整合性を重視、「今までが間違っていたとならないように」拙速なことには反対されているはず。『教学部レポート』『遠藤文書』のままでしょう。)
聖教新聞2015年9月16日の随筆『民衆凱歌の大行進27 御書根本の勝利道』で、池田先生は日寛教学の「六大秘法」を使われています。「法本尊を開顕された」とあります。
http://vukivuki.cocolog-nifty.com/myonoshoran/2015/09/post-661f.html
2014年11月の教義変更で、学会組織は「六大秘法」は用いないと、切り捨てました。もし、この教義変更を池田先生が承認されているのなら、なぜ、池田先生はその後の2015年9月16日の時点で、この「六大秘法」を用いられているのでしょう? この随筆は『教学部レポート』『遠藤文書』を裏付けるものでもあります。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/63132
http://6027.teacup.com/situation/bbs/64580
http://6027.teacup.com/situation/bbs/68133
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-86.html

>日寛教学と言われる内容は、「久遠元初」「人法一箇(人法体一)」「三大秘法(一大秘法・六大秘法)」等々が記されています。従来の学会教学では当たり前の教義でした。言い換えると、2014年の教義改定以前の学会教学では骨格を成していた教義だと思います。<

→全くその通りと思います。「骨格」部分です。これが揺らいでいるのです。にもかかわらず、この2014年の発表に対して、周囲の反応は何もないのに驚いたのと同時に「やっぱりか」と思いました。

もはやソウカガッカイはただの「家の宗教」過ぎないのです。だから何でもいいのです。教義なんかどうでも。別に自分で選んだ訳じゃなく好きでやっている訳でもない。五月蠅く言っても面倒だし周りから白い目で見られるよりも黙っていればいい。しょせん宗教なんてそんなもんだから……。
よく分かります。私も「邪宗」と言われた「家の宗教」を持っていましたから。今の人は、創価学会は「家の宗教」を捨てさせて来たということを分かっていない、知らない。
ソウカも「家の宗教」を守って「邪宗」に仲間入り、ということでしょう。
ソウカももはや新興宗教じゃない。長い長い歴史が既にある。成人病・生活習慣病が知らず知らずのうちに全身を蝕んでいることに多くのガッカイインは知らないし気づかないし、興味もない。そのことを長期間愚民政策を敷いてきた失効部は知っていた!!!
9割は大丈夫。社畜のようなものだ。1割『うる星やつら』は斬ればいい。学会教学の「骨格」なんて9割は思わない。知らない。気づかない。失効部の大勝利だぁ~!!!

先の随筆と虹さんが繰り返し訴えられている『雌伏68』での「恩師23回忌」は失効部の裏切りを証明する「物証」になると思います。

虹さん、このことはちょくちょく再掲して下さいね。極めて重要な「物証」です。

“でもなんとなく、永遠には続かないだろうとは思ってた”
“さて、気持ちを切り替えなくちゃね”
“視点を変えて、広く世界を見ていかなくちゃね”
“昔は良かったなあ でも辛いことを長いあいだ耐えてきた甲斐があったんだろ”
“なあ、そっちの暮らしは楽しいだろう?”
『シー・ユー・アゲイン』チャーリー・プース/ウィズ・カリファ
https://www.youtube.com/watch?v=cuJbcn4Qs2U

カウントダウン! 「8・27関西座談会」まであと1カ月!
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-117.html
この夏は身内に健康上の課題があり流動的。東京と神奈川の素敵なお姉さま姉妹はお元気でしょうか。無理されませんように。大阪の夏は湿気が多い分、悪質の暑さです。沖縄の人やアフリカ人アスリートが倒れるくらい。何でもそうですが、数字の表現力は万能ではありません。仏法者は「実質」を見抜く叡智を!
 

二十一世紀への対話 117

 投稿者:まなこ  投稿日:2017年 7月28日(金)09時34分13秒
  【池田】 さらに、第四の原因としてあげなければならないのは、“体制”と“人間”とはまったく対立するものだ、という見方が強くなっていることでしょう。この対立観においては、国家は“体制”を代表するものの筆頭であるとみられています。それほどに、国家権力の横暴や権威主義に対して、人々が強い反感を抱くようになってきているわけです。

【トインビー】 しかし、その点は今日に始まったことではありません。私は、いかなる形態の国家も常に“体制”の支配下にあった、または体制者によって“体制”の権益に奉仕するよう操作されてきた、と信じています。
したがって、いつの場合にも、大衆は“体制”から疎外されると、そのかぎりにおいて、自分たちを治める国家そのものに対しても敵意を抱いたのです。

【池田】 おっしゃる通り、疎外された大衆が国家に敵意を抱くのは、いつの時代にもみられた現象です。しかしその疎外が、意識のうえでも事実のうえでも、今日ほど広範囲の大衆に及んでいることは、かつてなかったといえるのではないでしょうか。事実のうえで顕著な例として、私は戦争の場合をあげることができると思います。現代では、国家はすべての国民を戦争に巻き込み、その生命と財産を危険にさらします。かつては、戦争においてそうした危険を冒すのは特定の階級の人々で、志望者に限られていたわけですが、近代国家においては徴兵制により、すべての国民のうえに死の危険がのしかかるようになりました。
一九一四年に勃発した第一次大戦以来、戦争はきわめて凶悪化し、残酷さを増しています。このことも、国家を絶対的な存在と信ずる大衆の信頼が崩されることになった、一つの理由だと思います。

【トインビー】 たしかに一九一四年以来、戦争の性格が大きく変化し、凶悪化したため、国家が信じられなくなったのは事実です。二十世紀の戦争は、世界中いたるところで、かつて十七世紀西欧の戦争で犯されたと同じ類いの、残虐行為を犯しています。十七世紀の戦争は、十八世紀や十九世紀の戦争より狂暴で、流血も激しかったのでした。
一九一四年以降、再び戦争につきものとなった残虐行為を別としても、いわゆる合法的な戦争行為ですら、もはや手が施せないほど破壊的な結果をもたらしています。軍人の死傷者は膨大な数にのぼり、民間人の死傷者数も同じく増えています。これは武器の改良――航空機やミサイルに搭載される核爆弾の発明――が、かつての戦闘員と非戦闘員の区別をなくしてしまったからです。ベトナムでは、枯葉作戦が農村地帯を急激に荒廃させました。今日、農業への除虫剤投入の度が過ぎて世界各地の田園地帯がしだいに荒廃しつつあるわけですが、ベトナムでは同じことが、より急激なやり方で行なわれたのでした。

【池田】 国家の権威失墜をもたらした要因は、そのようにいくつもあるわけですが、これらは実際には複雑に絡み合っています。このことに関連して、一つの象徴的な意味をもつものとして、私は、第二次大戦後の軍事裁判をあげたいと思います。
あの裁判は、戦勝国が敗戦国の戦争責任者を裁き、「平和と人道に反する罪」によって処刑したものです。非人道的行為は戦勝国側の将兵にも当然あったにもかかわらず、敗戦国の責任者が戦勝者によって一方的に裁かれ、また十分な裏づけもないままに処断された例も少なからずあって、裁判の内容に厳正さを欠く面がありました。
それはともかく、この軍事裁判には――おそらく当初意図されずに得られた結果として――高く評価すべき点もあったと思います。その一つは、“平和”とか“人道”ということが、侵すべからざる厳粛な価値をもつものであると、事実上確認されたことです。つまり、軍の命令や国家の指示であっても、“平和”と“人道”を侵した者は処罰されるという事実を、歴史に残したといえるでしょう。
これとは対照的に、第一次大戦においては、敗戦国ドイツの皇帝も、将軍たちも、罪に問われることはありませんでした。国家のなすことがどんな悲惨な結果をもたらしても、それに対して罪名をあてがうことはなかったわけです。ところが、第二次大戦後には、“国家の意志”を絶対視し“国家”そのものを尊厳なものとする既成概念が、その一角から事実上打ち破られています。このように、軍事裁判が意味したものは、国家権威の絶対性の否定であり、そこに現代の歴史を彩る重要な特質が、象徴的に示されていると思います。
 

阿部いや安倍さん。これって何。

 投稿者:愚人  投稿日:2017年 7月28日(金)09時14分40秒
  とんでもないものを発見。
まさか邪教中の邪教、かって集団結婚、霊感商法で世間を騒がせた統一協会=国際勝共連合の機関紙にこの人物が2度も表紙を飾るとは。吃驚ぽんである。
模造写真でもなんでも有りませんよ。
夫婦揃ってお騒がせとは。いやはや。
山口代表。
貴方もまさか表紙カバーを飾るんじゃないでしょうね。
口に題目唱えても、頭の中は原理講論ってなこと、有り得ませんよね。
ソ連崩壊、ベルリンの壁崩壊、中国自由経済導入後、未だに、こんな共産主義撲滅の運動があるとはぞんじあげませんでした。

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi/

 

法に依って人に依らざれ

 投稿者:メンチカツ  投稿日:2017年 7月28日(金)09時04分21秒
  加藤節成蹊大学名誉教授

安倍首相は自分の考えに同意する人物を登用し、反対する人はクビにしてしまう。つまり、安倍政権のやり方というのは、『法による支配』ではなく、『人』による支配なんです。

引用終わり--------------------------------------------------------------------------

世法・王法にまさる仏法の世界であるならばなおさら「法中心・法根本」を守り抜くべきだろう。無残なり創価の組織。

「法に依つて人に依らざれ 義に依つて語に依らざれ知に依つて識に依らざれ了義経に依つて不了義経に依らざれ 」.
 

板のオフ会ではありません

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月28日(金)07時47分50秒
  管理人は関知しておりません。
誤解を生むような発言はご注意ください。
 

わが友に贈る 2017年7月28日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年 7月28日(金)07時46分7秒
  御聖訓「一日に一二三度
えみて向へとなり」
父母に笑顔で接しよう。
感謝の言葉を届けよう。
親孝行を報恩の心で!
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、全国最高協議会の開催、誠におめでとうございま~す(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 7月28日(金)07時44分55秒
  おはようございます。原田怪鳥様を中心に、全国最高協議会が開催されたとのコト、誠におめでとうございま~す(笑)

池田先生がメッセージを贈られたとのコト、あわせて、誠におめでとうございま~す(笑)

でもねぇ~、原田怪鳥様、メッセージを全国の方面長さんや各部の代表さんだけで、独り占めしてはイケませんねぇ~(笑)

ナゼか? せっかく贈られた師匠からのメッセージが最近、全文掲載されたためしがありませぇ~ん(笑)

「永遠の指針」なのデスからぁ~、一部の幹部だけのモノではありませんよぉ~、全会員が読みたいと思っているんじゃないデスかねぇ~(笑)


しかしながら、本当に師匠のメッセージでしょうかぁ~(笑)

なぜならば、「本年上半期の大勝利を開いた全同志の健闘を賞賛」されたそうデスが、福岡豪雨災害、秋田豪雨災害をはじめ、

日本は、この上半期も災害だらけじゃないデスかねぇ~、被災された方々へのお見舞いの言葉もなく、いきなり賞賛デスかぁ~(笑)

「上半期の大勝利」っていったいナニを指して「大勝利」デスかぁ~(笑)

もしかして、都議選のことデスかぁ~? 原田怪鳥様、ちゃっかり自分の手柄を入れてませんかぁ~(笑)

「リーダーが創価の三代と同じ心で宝の同志のために祈り」とありマスが、師匠はまだ御存命デスよねぇ~(笑)

自らがまだ生きているのに、「創価の三代と同じ心で」なんて言いマスかぁ~?

「牧口先生、師匠・戸田先生、そして私と同じ心で」みたいな表現が正解じゃあないデスかぁ~(笑)

師匠がお亡くなりになられた後ならば、この言い方もありでしょうが、もしかして、原田怪鳥様は、師匠滅後とお考えデスかぁ~(爆)


下半期の具体的活動も、「なんだかなぁ~」デスねぇ~(笑)

啓蒙する価値もない、珍聞の拡大ってもねぇ~(笑)

時代遅れのモバイルSTBも、ナニかの利権絡みデスかぁ~(笑)

「身延教学」に堕した今の教学を学んで、どう育成するのでしょうかぁ~(笑)


原田怪鳥様は「世界宗教へと飛翔する上で重要な時を迎えた今、全リーダーが三代会長と同じ心で、同志のために祈り、大誠実を尽くしていきたいと力説」

されたみたいデスが、「じ・き・で・し」の怪鳥様がまず率先して下さいねぇ~(笑)

そもそも、「同志のために祈り、大誠実を尽くす」のが、査問・処分・除名デスかぁ~(爆)

「同志のために祈り、大誠実を尽くしていきたい(ただし、執行部ないし創価貴族を除く)」って影の声が聞こえマスよぉ~(大爆)


本日の「珍・人間革命」雄飛三十七にも、いい御聖訓が引かれてマスねぇ~(笑)

「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(御書P1190)

原田怪鳥様、この御文の主語は誰を指しているか御存知デスかぁ~(笑)

「法華経の行者を軽賤する王臣万民」(御書P1190)なんデスよぉ~(笑)

原田怪鳥様、会員を軽賤してませんかぁ~? 査問・処分・除名してませんかぁ~? 盗撮・盗聴してませんかぁ~?(笑)

くれぐれも、現世を謳歌されている原田怪鳥様、「ほろびざる」コトのないように、期待しないで待ってまぁ~す(爆)


 

twitterより。不幸の人を救おうという心を失った幹部は出ていってもらいたい。池田先生指導。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 7月28日(金)07時28分40秒
編集済
  心を失った幹部に

「臆病な幹部はいらない。本当に一緒に広宣流布をしよう、不幸の人を救おうという心を失った幹部は、学会から出ていってもらいたい。 こういう人間にはいてもらっては困る。邪魔になる。不潔になる。学会が濁ってしまう」

厳しい指導であるが、すべて真実である。
 

re:緊急告知

 投稿者:謎の弟子X  投稿日:2017年 7月28日(金)07時11分54秒
  虎さま、いつもありがとうございます。板のオフ会ですね。

私も参加させていただきます。

論客のみなさまと話ができるのを楽しみにしております。
 

世界広宣流布って何ですか?

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2017年 7月28日(金)06時58分33秒
編集済
 

マザー・テレサ、その名前は世界中の人が
知っているけれど、マザー・テレサのように
生きる人は少ないでしょう。宗教はちがうけれど
そこには菩薩の姿があります。


世界広宣流布を掲げる
現在の会長さんと仲間の人たちに
質問したいです。もし私がイスラム教徒
だったら、どのように折伏するのでしょう。

もし私がキリスト教徒だったら、どのように
折伏するのでしょう。

イスラム教徒にはイスラム教の人たちの
ようなまじめな毎日の生活を自分がしてい
る証明。

キリスト教徒にはマザーテレサのような
一番貧しい人につかえる菩薩の心。

いくら立派な会館を建て、お金をふりまき
自分は麻雀をやったり酒を飲んで騒いだり
していては、この尊敬すべき人たち
の心に日蓮大聖人様の仏法を
伝えることはむずかしいでしょう。

選挙で人を動かす、それよりも
苦しんでる人のところに人を動かすのでは?
そして真面目な地涌の菩薩を除名する?
それで世界広宣流布?

http://imagine-happy-life.tokyo/

 

「信」と「行」の題目!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 7月28日(金)05時22分38秒
編集済
   おはようございます。

 ClearSkyさん、「池田先生は日寛教学を支持されているのか?」の投稿、ありがとうございました。ClearSkyさんが意見を直接投稿されるのは珍しい(笑い)。
 http://6027.teacup.com/situation/bbs/72532

 池田先生が日寛教学を踏襲されて見えるのは、先般投稿しました「一生成仏抄講義」「32㌻」の「具遍の義」もそうですし、ほかにも見受けられます。「一生成仏抄講義」は、2006年1~7月大白蓮華掲載です。


 【本抄で大聖人は、「衆生本有の妙理」とは「一心法界の旨」のことであると言われています。「一心法界の旨」とは、万法がわが心に納まり、わが心が万法に広がるという、心と宇宙の不可思議な関係を言います。これは、日寛上人が一念三千について言われた「具遍の義」と同義と拝せます。
 大いなる生命は、全てを包み、あらゆるものに遍在する。そして、全てを包むゆえにあらゆるものを内在しているのです。その大いなる生命と心が一致するのが「一心法界の旨」であり、この妙理を悟るのが仏の悟り、つまり「無上菩提」なのです】

 さらに御周知のようにこの前の、

******

 「唱題行」の実践は、大聖人御一代の弘教における骨格をなしています。日蓮大聖人の仏法は、既存の宗派のように神仏を礼拝する宗教ではありません。万人の己心に内在する仏性を触発し、仏界の生命として湧現させる唱題の実践をもって、法華経の理想である万人の成仏を実現する道を確立されたのです。

 唱題には「信の題目」と「行の題目」があります。
 「信の題目」は心の次元の実践です。その本質はわが己心の無明との戦いであり、魔性との闘争です。信の力で仏性を覆う無明を打ち破り、仏界の生命を湧現させるのです。
 「行の題目」は南無妙法蓮華経と唱える唱題であり、また、題目を他の人に弘めていく化他の実践です。心における無明との戦いの証として、口と身の次元で自行化他の実践を起すのです。

 南無妙法蓮華経と唱える唱題は、自他の生命の仏性の名を唱え、仏性を呼び起こします。無明と戦い、信が勝てば、本来具わる仏性の力が題目の声に呼ばれて、自ずからわが生命にわき起ってくるのです。
 このように成仏の方途を確立したことこそ、日蓮仏法が他の諸宗と一線を画す肝要の点があります。ゆえに大聖人は、この成仏の大道を、立宗以来、御入滅に至るまで一貫して強調されていくのです。この人類宗教としての救済の骨格は「一生成仏抄」の冒頭に余すところなく明瞭に記されています。
 「夫れ無始の生死を留めて 此の度決定して 無上菩提を証せんと思はば すべからく衆生本有の妙理を観ずべし、衆生本有の妙理とは・妙法蓮華経是なり 故に妙法蓮華経と唱へたてまつれば衆生本有の妙理を観ずるにてあるなり」(御書三八三㌻)

 (一生成仏抄講義9~10㌻、2006年1~7月大白蓮華掲載、2007年1・26発行)

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 の箇所では、「六大秘法」の「信の題目」と「行の題目」を、はっきりと言われています。

 池田先生は、日寛教学を否定されたのではなく、まず踏襲し、その“円盤”をさらに拡大されたというか、その“芯”をしっかり固めたというように理解しています。

 それは、「68~69㌻」にある次の箇所でもはっきりしています。

 【さて、重要な点は、日蓮仏法を実践する私たちも、己心の外に法を求める姿勢であれば、外道に堕してしまう危険性があると、大聖人が本抄で戒められていることです。
 日蓮門下の私たちは「我が心の外に有りとは・ゆめゆめ思うべからず」(御書三八三㌻)との仰せを決して忘れてはならないのです。唱題行は、万人に具わる「本有の妙理」を現して、一生成仏を遂げていくための修行です。一切衆生の成仏を実現しゆく修行という意味では、これ以上にない妙行です。しかし、この「我が心の外に有りとは・ゆめゆめ思うべからず」との一点を忘れてしまったならば、どんなに修行しても万人成仏の本質を失い、外道に同化してしまう。それ故に大聖人は厳しく戒めてられているのです】


 

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