軍艦島に、1939年9歳で移住したク・ヨンチョルさん(87)の父親は徴用ではなく出稼ぎ
「そこは幽霊島、監獄島だった」
中央日報 2017年07月26日
http://japanese.joins.com/article/705/231705.html
25日、ソウル城東区(ソンドング)に位置した
映画館CGVで
「日帝強制徴用労働者像建設推進委員会」
の主催で映画『軍艦島』特別試写会が開かれた。
この日の試写会に日帝強制徴用被害者家族が
参加して歴史を忘れないでほしいと呼びかけた。
徴用された父と共に
9~15歳まで軍艦島で過ごしたという
ク・ヨンチョルさん(87)は
「その島は『端島』という名があったが、
私たちは『幽霊島、監獄島』と呼んでいた」
と証言した。
また「『軍艦島』という名前自体は依然として
拒否感をもよおす表現」と明らかにした。
もう一人の徴用被害者遺族である
太平洋戦争被害者補償推進協議会の
イ・ヒジャ代表も
「言葉では表せない歴史の痛みが
映画として作られたのは
この時代の大きな財産」と感想を伝えた。
イ代表は
「多くの若者が映画を通じて
日本が何を間違い、何を反省しなければ
ならないのかを学び、
もう一度歴史の痛い日を振り返る
教訓を得てほしい」と話した。
一方、映画『軍艦島』は強制徴用されて
地獄のような生活を強いられた朝鮮人が
脱出する姿を描いた映画だ。
(引用ここまで)
>徴用された父と共に
9~15歳まで
軍艦島で過ごしたという
ク・ヨンチョルさん(87)
ク・ヨンチョルさんの年齢から計算すると
軍艦島で過ごしたのは1939年から45年。
徴用は1944年から。
つまり、
1939年に子連れで出稼ぎにきた炭鉱夫一家。
【在日一世の記憶】という本の中にも、
父親が先に日本に出稼ぎに来て、
後に家族を呼び寄せる例や
父親と一緒に炭鉱を転々とする一家の話が
出てきます。
国家総動員法前の強制徴用された人が、
9歳の子供を連れて端島炭鉱に入ったのでしょうか?
★アンティーク絵葉書に観る
まちの記憶
端島炭鉱[軍艦島]
http://www.asocie.jp/archives/nagasaki/hashima/#Anchor-23240
軍艦島こと長崎市端島が出炭量で
最盛期を迎えた昭和16年の絵葉書集。
往時の町並みや人々の様子が記されている。
長崎市の南西約16キロの海上にある端島は
旧三菱端島炭鉱として1870年に開坑し
100年余り続いた。
昭和49年1月15日に閉山し島は無人となったが、
操業時よりその姿が日本海軍の戦艦「土佐」に
似ていることから、軍艦島の通称で呼ばれてきた。
良質な強粘炭が取れ高島炭鉱とともに、
日本の近代化を支えてきた炭鉱の一つであった。
面積約6.3ha、海岸線全長約1,200m、
東西の長さ約160m、南北の長さ約480m。
島内には炭鉱施設のほか、住宅・学校・店舗・病院・
寺院・映画館・理髪店などが整い、
人工最盛期の1960年には約5300人が暮らし、
人口密度は当時日本一であったという。
1916年(大正5年)に建設された日本最初期の
鉄筋コンクリート造の7階建て高層アパートを皮切りに、
島内には幾重に重なる高層アパート群が建ち並び、
屋上庭園では菜園などもあり、今日の温暖化防止に
つながる技術も備えていた。
(引用ここまで)
昭和16年は1941年ですから
ク・ヨンチョルさんが軍艦島に移住して3年目。
11歳の時の絵葉書集です。
■端島プール(水泳を楽しむ子供たち)や
■端島小学校と稼働者住宅
という絵葉書もあります。
ク・ヨンチョルさんもボケていなければ、
当時に見た懐かしい光景のはずですね。
★女優イ・ジョンヒョン、
映画「軍艦島」で慰安婦役…
慎重に役作り
WoW!Korea 2016年2月25日
http://www.wowkorea.jp/news/enter/2016/0225/10161448.html
端島炭鉱では
ク・ヨンチョルさんのような家族連れ炭鉱夫より
独身の炭鉱夫が多かったからでしょうか
軍艦島には遊郭も営業していました。
http://blog.goo.ne.jp/rarirari-pinot/e/e6d928c25ce4531f5396110e62fabe77
特に昔の資料から調べた点がこちら。
ちょっとマニアックですがお付き合いください。
31号棟の建つ前(オレンジの建物の部分に
うっすら重なって書いてあるのが現在の31号棟です)、
この場所にあった商店群。
中でも5、6、7、8に注目!
ここは遊郭でした。
5、6の場所にあった「吉田遊郭」というのは
朝鮮人専用の遊郭だったのです。
7、8は日本人用の遊郭でした。
つまり、端島(軍艦島)のような限られた敷地、
特殊な環境の中で、秩序、規律を保つため、
性のはけ口としての施設は(法律で禁止される
以前は)「必要悪」的な意味合いも込めて、
あるべくしてあった施設とも考えられます。
(引用ここまで)
吉田遊郭(朝鮮人専用)の建物は2棟
遊郭森本 遊郭本田(日本人専用)は、
各店1棟づつ計2棟がありました。
これは、
作家井沢満さんの祖母の話にも登場する。
遊郭ですから、
遊ぶのには当然お金が必要ですね。
以前、戦前の麻生炭鉱の
労働争議の資料を読んだのですが
(炭鉱事故で入院した朝鮮人労働者が
入院中に労災の保険適用を途中で打ち切られ
完治途中で退院を余儀なくされたりして
日本人社会主義活動家に煽られて
待遇改善を求めてストライキを決行。
会社側との交渉中に大暴動に発展し
警察が制止に入った事件。)
当時の炭鉱には、
朝鮮からの出稼ぎ炭鉱夫の人達のために
日本語も話せる朝鮮人労務管理者がいました。
麻生炭鉱にもいて、労働争議の際の通訳を
経営者側のスタッフとして行っています。
バイリンガルなので給料も良かったのか
麻生炭鉱の外で、副業で飲み屋を経営していて
朝鮮からの出稼ぎ女性達を酌婦に雇っていました。
需要が有ったのですねぇ。
炭鉱の仕事ですから、
朝鮮人炭鉱夫にとっても日本人炭鉱夫にとっても
過酷な仕事だったと思いますよ。
近代化した端島炭鉱では解りませんが
明治時代からの炭鉱には女性も働いていました。
石炭の選別をする仕事です。
少しづつ、女性の社会進出が進む中で
学歴の無い女性達にとっては
都会に出てカフェの女給で働くよりも
仕事はきつくて爪の中まで真っ黒になりますが
実は、炭鉱は給料の良い仕事だったそうです。
朝鮮人炭鉱夫の給料は、日本人炭鉱夫よりも
若干少ないです。安い賃金でも人が集まるから
経営者側も重宝したのだと思います。
李明博元大統領の父親・李忠雨さんは、
出稼ぎで大阪・島田牧場で働いていた頃、
彼を頼って同郷の若者達が続々とやって来た。
李忠雨さんは、彼らを束ねる親分的存在だった。
戦争が始まると、島田牧場は軍に接収されたため
李一家は、愛知県の岡崎、ついで三重県伊賀上野へと、
海軍の飛行場建設を請け負う仕事をする父親
について転々と引越しをしている。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20080421
”父親は仕事ができた人のようで、
すぐにたくさんの人夫を雇って
建設の請負をやっていたという。”
「徴用」や「連行」という漢字語の意味が、
韓国の、低学歴の人達には理解が不十分のようで
国家総動員法による「徴用」と、
民間企業による募集との違いが解らず
混同している?
川崎在日コリアン生活文化資料館の
「在日一世の証言」には、
★強制連行されてた夫を追って
一九一九年生まれ、女性
http://www.halmoni-haraboji.net/exhibit/archives/disp00/DT009.html
(引用開始)
家族がいる人たちは日本に家族を連れて
きてもよいとされて、手紙が来たの。
それで、主人が迎えに来たの。
その時、村では他に2人が来たの。
もうひとりは、奥さんとお母さんを連れて行ったけど、
私はひとり。
主人が日本から迎えに来た時はうれしかった。
あまり畑仕事が辛かったし、苦労したからね。
何より、嫁の生活は大変だったからね。
日本に来たら主人とふたりで楽じゃないの。
(中略)
お釜と、お茶碗と布団で、生活が始まったの。
そのときは21歳で、初めて仕事をしたのよ。
石山に行って、近所のお嫁さんと一緒に、
「あんたお家にいてもしようがないから
お仕事に行こう」と言って。
私も子供がいないし、彼女もいなかったからね。
石炭の工場で働いたの。
石炭を山のようにいっぱい積んでくるんだよ。
その時はみんな手でそれをおろすんだよ。
山のように積んである石炭の上に上がらなければ
ならないの。恐くって、恐くって。
それでも監督はちゃんとやれって言うんだよ。
それをやると1日2円50銭しかくれなかったよ。
少ないけど、家のおやじとふたりで一所懸命に
貯めたのが90円貯めたの。
開放される前の九州の時に、
仕事も決められていて、嫌でもしなければならない。
自分勝手に来た人はいいけど、
私たちは徴用されて来ているから、
自由にこの仕事あの仕事と言えなく、
いくら辛くってもそれをやらなくてはならないし。
本当に悔しい思いをしたよ。
(引用ここまで)
あのぉ…それ強制連行じゃなく
家族を呼び寄せる為に仕事をお休みして、
炭鉱から博多港までの交通費、
博多港から釜山港までの連絡船の船賃、
釜山から故郷までの交通費を使い
家族を引き連れて、交通費を使って再渡日。
お釜と、お茶碗と布団が用意されている
家族専用住宅に入居できるという雇用契約では?
以前、
北海道で強制徴用された遺族の証言を
読んだ事がありますが、
父親は当初北海道の炭鉱に”徴用”されたが
労働争議を煽ったという理由でクビになり
朝鮮に戻ります。
その後、釜山で別の会社の募集を知り渡日。
今度は鉱山に”強制徴用”され”強制労働”したと。
その証言を、教師を中心とした市民グループが
「日本はなんて酷い事をしたんだ!」と、
慰霊碑を建立する運動を始めるという話…
★「慰安婦」の次は、
「朝鮮人坑夫」か? - 鄭 大均
http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-4660.html
★映画『軍艦島』の内容は事実に
基づいていると韓国人監督が
産経新聞に反論 。
絵本や小説を参照して事実とな・・・
http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-4700.html
★慰安婦 :
キム・グンジャ ハルモニの証言
在日朝鮮人から見た韓国の新聞
http://blog.livedoor.jp/kanedashoji70/archives/71450870.html
平成17年11月「東京の高校生 平和のつどい」
でのハルモニの証言を紹介しましょう。
”私は10歳で父、14歳で母を亡くし、孤児でした。
あの頃はみんなそうでしたが、大変な暮らしで、
他人の家に働きに出て日銭を稼いでいましたが、
16歳の時、チョロンの巡査の養女になりました。
その頃、私にはボーイフレンドがいましたが、
結婚できませんでした。
1942年3月、養父に
「お金を稼げるところがあるから」と言われて、
朝鮮人の軍人に連れて行かれました。”
(続きはリンク先で)
★韓国の“強制徴用”被害団体が
組織的に偽被害者でっち上げて訴訟
2016 07 07
http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-4290.html
https://ameblo.jp/imoseyama/entry-12076465777.html
★「強制連行」という魔術語
首都大学東京特任教授・鄭大均
http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-3119.html
★韓国人「軍艦島のハングル落書き
の真実=映画の演出」
カイカイ通信 2017年07月27日
http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/51772870.html
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