大韓航空機撃墜から34年 平和願い日ロで野焼き 宮崎県の遺族、岡井さん尽力 [宮崎県]

北海道稚内市で野焼きに参加する岡井仁子さん。平和の尊さを考えてほしいと願う=宮崎県国富町
北海道稚内市で野焼きに参加する岡井仁子さん。平和の尊さを考えてほしいと願う=宮崎県国富町
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 ロシア・サハリン西方沖で1983年、大韓航空機が旧ソ連軍機に撃墜され269人が死亡した事件で、墜落現場の海を望むサハリン州ネベリスク市と北海道稚内市が28日、遺族の手で始まった「野焼き」陶芸を同時開催する。野焼きは事件で長男夫婦を失った陶芸家の岡井仁子(ひとこ)さん(81)=宮崎県国富町=が慰霊のため各地で続けており、日本とロシアでの同時点火は初めて。岡井さんは不自由な体を押して稚内を訪れ、鎮魂と平和の尊さを訴える。

 岡井さんは長男の真(まこと)さん=当時(22)、葉子さん=同(25)=夫妻を亡くした。撃墜は冷戦下で起き、当初はソ連が認めず、原因や捜索の情報は出てこなかった。89年からサハリンを毎年訪れて真相解明を求め、91年には訪日したゴルバチョフ大統領に直接訴えた。

 悲しみや怒りを形にしようと打ち込んだのが陶芸だった。そして、野外に積んだまきで陶器を焼く野焼きが、古くは日本からロシアに伝わったと聞いた。野焼きを平和の象徴と考え、稚内市で十数回、ネベリスク市では2010年から毎年実施。今回は両市が友好都市45周年で開き、28日夜の同時刻に火を入れる。

 事件を巡る日ロ間の感情は今も複雑だ。岡井さんはネベリスク市で野焼きをした10年、市から遺族と名乗らず、事件に触れないよう求められた。現地の野焼きは、今も慰霊ではなく夏のイベント。それでも岡井さんは今回、文化交流で平和の尊さを訴えてきた思いがロシアに届いたと感じる。

 事件から34年。遺族は高齢化し、悲劇の風化も懸念される。岡井さんは「慰霊を表に出せなくても、野焼きで参加者が遺族を知り、事件の悲惨さや平和の尊さを考えるようになる。当日は息子たちに『野焼きという文化交流で平和を訴える活動は間違ってなかったね』と声を掛けたい」と語る。

=2017/07/26付 西日本新聞朝刊=

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