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初級・青年三級試験2017 5/6

 投稿者:ClearSky  投稿日:2017年 7月28日(金)23時54分51秒
  (5)久遠元初

公平を期すために記します。今回の大白蓮華の教材にも、一応「久遠元初」の説明はあります。

==== 引用開始(大白蓮華・2017・6月号87頁) ====
日蓮大聖人は、外面の姿やはたらき(外用)においては、釈尊から付嘱を受けた、地涌の菩薩の上首(指導者、中心者)である上行菩薩です。これに対して、大聖人の内心の悟りの境涯(内証)においては、久遠元初の自受用報身如来です。
==== 引用終わり ====

これは、ほぼ従来の教学通りの記述です。この次の記述を見てみます。

==== 引用開始(大白蓮華・2017・6月号87頁) ====
「久遠元初」とは、私たちの実践に即していえば、凡夫が妙法を自身の生命に開き顕す根源的な成仏の時を意味します。
私たちが南無妙法蓮華経の御本尊を信じて自身の内なる妙法を開き顕すことは、自身に久遠元初の仏の生命境涯を現すことです。
==== 引用終わり ====

「久遠元初とは…凡夫が成仏する時」(主旨)との用法です。
確かにこの用法は間違いではありませんが、部分観であり、全体を説明できていません。
何より、「文底」を排除する場合、即ち「久遠実成=永遠の仏」の場合、久遠実成の先はない訳ですから、時間をさかのぼったところの「久遠元初」は存在しません。
しかも、過去の学会教学では「久遠元初の自受用報身如来」を用いてましたので、急に否定はできません。
苦労して考えたのが、この大白蓮華の説明なのだと思いますが、「無始無終の本仏=久遠の仏」を説明しないので、よくわからない説明になっています。

法華経の智慧では、どのように記されているか確認します。

==== 引用開始(法華経の智慧・如来神力品②:『上行菩薩は「菩薩仏」』『「毎日」が「久遠元初」』) ====
名誉会長:この「因位(仏因の位)の仏」―それが上行菩薩です。「因果倶時の仏」です。上行菩薩が出現しなかったならば、無始無終の本仏は示せないのです。上行菩薩の出現は、五百塵点劫という想像もつかない過去をも突破した「無始無終の久遠の本仏」を指し示しているのです。
須田:これまで、わかったつもりで、あいまいだったことが、かなりはっきりしてきました。この「無始無終の本仏」とは、私たちが「久遠元初の自受用報身如来」と呼んでいる「南無妙法蓮華経如来」のことですね。
名誉会長:もちろん、その通りです。
須田:そうしますと、この「久遠元初」というのは、もはや「はるかな昔」という意味ではありませんね。時間の枠を突破しているというか、もう「時間の概念」ではないということになります。
名誉会長:そうです。「久遠元初」とは「無始無終の生命」の異名です。時間論ではなく、生命論です。生命の奥底の真実-無始無終に活動し続けている宇宙生命そのものを指して「久遠元初」と呼んでいるのです。それは「無作三身如来」と言っても同じです。大聖人は「久遠とははたらかさず・つくろわず・もとの儘と云う義なり」(御書p75)と仰せだ。「はたらかさず」とは、途中からできたのではない、本有ということです。「つくろわず」とは、三十二相八十種好を具足していない、凡夫のありのままということです。本有常住であり、「もとの儘」です。これを「久遠」という。「久遠」とは「南無妙法蓮華経」のことです。御本尊のことです。だから、御本尊を拝する、その瞬間瞬間が「久遠元初」です。私どもは、毎日が久遠元初なのです。毎日、久遠元初の清らかな大生命を全身に漲らせていけるのです。毎日が久遠元初という「生命の原点」から新たな出発をしているのです。
斉藤:それこそ「本因妙」ですね。
名誉会長:だから「今」が一番大事なのです。(略)だから「久遠の妙法」の広宣流布へ本気で立ち上がれば、そのとき、生命に「久遠元初の夜明け」が訪れる。
==== 引用終わり ====

明確に、「久遠元初」は「五百塵点劫という過去を突破した」だけでなく、「時間の枠を突破した」、「無始無終の生命の異名」であり、もはや、「時間論ではなく、生命論」として扱われるべきであると述べられています。
更に、御本尊の捉え方にも関連する重要な概念として記されています。
これを理解すると、御本尊への勤行・唱題の実践が壮大な儀式であることがわかります。

先生の著作という理由だけでなく、論理的にも「法華経の智慧」の内容を否定するのは誤りだと考えます。
久遠実成で何を修行して釈尊は仏になったのでしょうか?法華経には説かれていません。故に、法華経は未完成と呼ばれています。文底によって完成すると記されています。
この考えが正しいと私は考えます。

更に、もし、「久遠元初を否定」して、「久遠実成で完結」させたい場合、無始無終の宇宙生命への帰命によって得られる境涯を実現(実感)できるでしょうか?
「過去との整合性など、どうでもいい」とか「教義なんて、後付けすればいいんだ」とか、「教義はそれなりに重要」とか言うような乱暴な教学は間違っていると考えます。
宗教の教義は、実践者の幸不幸や功徳を左右します。
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年 7月28日(金)23時54分28秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
原田会長、副会長の方々が若き日の信心を思い出す様に
学会職員の方々が、池田先生に正確な報告ができます様に
おやすみなさい
 

初級・青年三級試験2017 4/6

 投稿者:ClearSky  投稿日:2017年 7月28日(金)23時52分53秒
  日蓮大聖人を「上行菩薩の再誕」と呼ぶことがあります。
これを完全に間違いとは断定できません。
上行菩薩の深い意味を用いて「上行菩薩」と呼ぶのであれば、それは意味があることだと思います。
ここでは、法華経の上行菩薩の意味を、文底の次元では「仏」、現実の世界に行動する「菩薩仏」と捉えることを確認します。

先ず、如来が上行菩薩に付嘱した内容は、「如来のすべて」「如来の生命そのもの」であることが説明されています。

==== 引用開始(法華経の智慧・如来神力品②:「師弟の勝利!」「信心の勝利!」) ====
斉藤:要するに、「如来のすべて」が法華経には説き示されている。それを上行菩薩に付嘱すると。天台は、ここには法華経の全体をまとめる「枢柄」(中心となる肝心要)があるとしています。そして、この経文に則って、法華経の意義を説明しようとしました。いわゆる名・体・宗・用・教の五重玄です。(略)
法華経に無限の功徳が備わっている「ゆえん」というか、無限の功徳が発生する「根本」を指し示していると思います。
須田:つまり「如来の生命そのもの」でしょうか。
遠藤:それを上行菩薩に付嘱した、と。
==== 引用終わり ====

更に、「法華経の智慧」では上行菩薩を単なる菩薩ではなく、特別な意味がある存在「菩薩仏」として再定義しています。

==== 引用開始(法華経の智慧・如来神力品②:『上行菩薩は「菩薩仏」』) ====
名誉会長:さあ、そこで、「如来のすべてを受けとり、身に体している菩薩」とは、一体、いかなる存在なのかということです。通常、「菩薩」と言えば、成仏を目指して修行している存在です。しかし、明らかに「上行菩薩」は、そうではない。「如来のすべて」を全身に体していて、なおかつ「菩薩」と呼ばれている。上行菩薩は「菩薩仏」なのです。
遠藤:たしかに国王から国を譲られたら国王です。
名誉会長:上行菩薩はじめ地涌の菩薩は、出現の時から、すでに「身皆金色にして、三十二相、無量の光明あり」(法華経p474)と説かれていた。
須田:「三十二相」というのは「仏」の特徴です。地涌の菩薩が仏であることを示していると思います。
斉藤:しかも、釈尊よりも立派に見えた。釈尊が、まだ青さの残る二十五歳の青年とすれば、荘厳な百歳の翁に見えたと説かれています。
名誉会長:だから神力品の結要付嘱の儀式は、本来は「仏」から「仏」への儀式なのです。唯仏与仏(ただ仏と仏と)の境涯です。ではなぜ、上行は菩薩として現れているのか。それは、ひとつには、「一世界には一仏」という原則を破らないためとされる。二仏が並び立つと、皆に混乱を起こさせるからです。
斉藤:上行菩薩は“釈尊の説法を助ける”ために弟子の立場をとっているということですね。
==== 引用終わり ====

上行菩薩を「仏」と捉えているのが、池田先生と元・教学部首脳の「法華経の智慧」です。
もしも、上記の意味で「大聖人は上行菩薩」と呼ぶのであれば、大聖人こそが重大な使命を持った仏なのですから、その解釈は正しいでしょう。
もしも単なる「メッセンジャー」の意味で用いるなら正統な教学とは違うと言えます。

「法華経の智慧」の「如来神力品」には、「人法一箇」「事顕本と理顕本」「久遠元初」など文底の法門が説かれています。
この教学試験を機に、是非もう一度学んでみたいと思います。
 

初級・青年三級試験2017 3/6

 投稿者:ClearSky  投稿日:2017年 7月28日(金)23時50分12秒
  (3)釈尊と大聖人の位置付け(大白蓮華から)

教材は明らかに以下の定義で教義を教えようとしています。
・釈尊  - 久遠の仏
・大聖人 - 上行菩薩(単なる付嘱を受けた地涌の菩薩の上首)

上記に関連する箇所を記します。

==== 引用開始(大白蓮華・2017・6月号82頁) ====
法華経の付嘱の通り、末法の初めに出現して、南無妙法蓮華経を万人に説き、不惜身命で弘通された方こそ、日蓮大聖人御自身です。この意義から、大聖人御自身こそ地涌の菩薩、なかんずく上行菩薩に当たります。
==== 引用終わり ====

==== 引用開始(大白蓮華・2017・6月号86頁) ====
日蓮大聖人が、ただ一人立ち上がり、他に先駆けて、末法の法華経の行者として、命を懸けて妙法の弘通に励まれたことは、大聖人が釈尊から末法弘通の付嘱を受けた上行菩薩に当たることを証明しています。
==== 引用終わり ====

==== 引用開始(大白蓮華・2017・6月号97頁) ====
その核心は久遠の仏であるという本地を明かした釈尊が、久遠の弟子である地涌の菩薩を呼び出し、自身の滅後の悪世に法華経を広めて人々を救い導くこと(付嘱)です。
==== 引用終わり ====

今回の初級・青年3級試験では、大聖人を「上行菩薩」として積極的に定義しています。
「釈尊から付嘱を受けた上行菩薩」の位置付けです。これ以上の説明はありません。
この箇所はゴシック体(太字)で記されており、受験者に重要な定義だとして覚えなさいとの意図があると感じます。
また、前年2016年の青年2級でも、大聖人を「御本仏」とは記していませんでした。
もはや、今後、大聖人を「御本仏」とは言わないつもりのようです。
現在の教学では、大聖人を「単に付嘱を受けた者」に過ぎず、ある意味「メッセンジャー」の位置付けにしたいのであろう、との印象を受けます。
 

初級・青年三級試験2017 2/6

 投稿者:ClearSky  投稿日:2017年 7月28日(金)23時49分23秒
  (2)永遠の仏と永遠性の仏

先に記したように、大白蓮華80頁には、「釈尊は…永遠の仏」と定義されています。
更に言えば、昔の教学は「五百塵点劫」は永遠の意味で用いられてはいません。過去の一時点でした。
昔は「長遠」という表現だったのを記憶している方も多いと思います。
無始無終の永遠ではなく、有限の「長遠」の過去として「五百塵点劫」を用いていました。
いつの間にか、”こそっ”と変えてしまおうとしているような気がします。
バレないと思っていたのでしょうか? そんなことはないでしょうね。 昨年の青年二級に続いて、今回は敢えてここまで踏み込んだような気がします。

権威主義・形式主義・官僚主義に浸った人は、「教学部が作成した大白蓮華が間違うわけはない」と言うかもしれません。
実は、昔の表現が間違っていて、現在の「五百塵点劫」=「永遠」が正しいのでしょうか?
一度、立ち止まって、冷静に、どちらが正しいか考えてみたいと思います。

論理的に考えると、議論に必要な以下の二点が導かれます。
①五百塵点劫以前の過去の存在
②『「久遠実成の釈尊」が本仏』の採否
これに関して、「法華経の智慧」の記述を確認します。

==== 引用開始(法華経の智慧・如来神力品②:『上行菩薩は「菩薩仏」』) ====
斉藤:「我本行菩薩道(我れ本、菩薩の道を行じて)」とありますから、五百塵点劫以前は、菩薩の修行をしていたことになります。
名誉会長:すると、修行をしていたのだから「法」はあった。法はあったが「仏」はいなかった時代があったということになる。これでは「無始無終の宇宙と一体の仏」はいないことになってしまう。
須田:たしかに、途中から出現したのでは「三世常住の仏」とは言えません。
遠藤:始成正覚の釈尊は「本無今有〔本無くして今有り)」と破折されました。“根無し草”のようなものだと。しかし、「途中から仏になった」という点では、寿量品の「久遠実成の釈尊」も、ただ時間をはるかにさかのぼったというだけで、同じです。厳しく言えば「本無今有」であって「本有」ではありません。
斉藤:「本有」でなければ、三世常住の「本仏」とは言えません。
==== 引用終わり ====

「久遠実成の釈尊」は「途中から仏になった」訳ですから、「永遠の仏」とは言えません。
無始無終の「永遠の仏」ではないと記されています。従って、「法華経の智慧」では「久遠実成の釈尊」を「永遠性の仏」と呼んでいます。
即ち、永遠を指向しながらも、完全なる永遠ではないことを教えています。
このため、「永遠の仏」と「永遠性の仏」を立て分けています。この両者の立て分けは重要だと考えます。

また、「永遠の仏」は「文上」では説かれていません。文上から「義」を開いて「意」に迫ろうとする「文底」に於いて確認できる仏です。
更に、「永遠の仏」は「永遠性の仏」とは比較にならない意味を持っています。このことを確認します。

==== 引用開始(法華経の智慧・如来神力品④:『「事顕本」と「理顕本」』) ====
名誉会長:それは何か。寿量品での説法は、釈尊個人についての「顕本」です。「人間・釈尊」が自分の「生命の本質」を示したといってもよい。これは、あくまで「個人としての」顕本です。しかし「文底」の顕本は、これとまったく違う。けたはずれに違う。それは全宇宙的な顕本です。凡夫から仏まで、十界の一切衆生の全体の顕本なのです。「文上」では、五百塵点劫の昔から説法教化し続けている「永遠性の仏」が示された。
須田:「久遠実成の釈尊」です。
名誉会長:しかし永遠性といっても、完全に永遠ではない。どこまでも「有始(始めがある)」の仏です。だから無始無終の宇宙即妙法と一体とは言えない。“すき間”がある。ゆえに、文上の仏は「法勝人劣(法が勝れ、人が劣る)」です。寿量品の真意は、この「永遠性の仏」を通して、完全なる「永遠の仏(久遠元初の自受用身)」を示唆するところにあったのです。この「永遠の仏」は無始無終の妙法と一体です。宇宙の大生命そのものであり、「人法一箇」です。
遠藤:ということは、宇宙の一切衆生が、そのまま「永遠の仏」だということになります。
名誉会長:生きとし生けるものが本来、仏なのです。これが寿量品の叫びです。これに目覚めよと法華経は訴えているのです。
斉藤:整理しますと、文上の顕本は「釈尊個人の顕本」、文底の顕本は「全法界(十界)の顕本」-こうなります。
須田:スケールも深さも、全然、違いますね!
名誉会長:まるっきり次元が違う。本門と迹門の違いが「水火天地の違目」(御書p996)と言われている真意は、文底の顕本を知って初めてわかるのです。
遠藤:「如来とは一切衆生なり寿量品の如し」(御書p770)と大聖人が言われた本義も、文底の次元から言われているわけですね。
==== 引用終わり ====

大白蓮華の教材では、「永遠の仏」を「久遠実成の釈尊」に結び付けたいようですが、かなり乱暴であるとの印象を持ちます。
有限の過去を無始無終(永遠)のように扱ったり、「久遠実成」だけで、「久遠元初」を説かないため、「無始の仏界」「無始の九界」とならず、真の十界互具、真の因果倶時を説明できません。
(法華経の智慧・如来寿量品①:「無始の仏界」「無始の九界」を参照のこと)

また何よりも、「永遠の仏」=「久遠実成の釈尊」の論法は、「仏法を法華経の文上で完結」させたいという意図なのかもしれませんが、大聖人の仏法を貶める結果になります。
 

初級・青年三級試験2017 1/6

 投稿者:ClearSky  投稿日:2017年 7月28日(金)23時48分7秒
  今年の初級・青年三級試験の教材(大白蓮華2017・6月号)。
私は、この教材が「久遠実成までで完結」「永遠の仏は釈尊」「大聖人は上行菩薩」「南無妙法蓮華経は上行たる大聖人が末法に弘めた」との論調だと認識しています。

講義担当者や受験生の親達からも、もう少し詳しく説明して欲しいとの依頼を受けましたので、整理してみました。
こちらの掲示板にも投稿します。
基本的には「法華経の智慧」をベースに説明したいと思います。

海外で活動されている方で大白蓮華を読んでおられない方もいると思いますので、大白蓮華の一部も引用して、説明します。

----------------------------------
(1)上行菩薩について
「大聖人御自身こそ地涌の菩薩、なかんずく上行菩薩に当たります(大白蓮華82頁)」との記述があります。
ある意味正しいのですが、不十分であり、悪意をもってこの表現を用いると不適切です。

では、上行菩薩をどのように捉えるのか、整理します。
まず、上行菩薩に関して、二通りの定義を記します。

(A)地涌の菩薩の4人の導師の上首
(B)菩薩仏であり、永遠の仏

大白蓮華の教材は(A)の意味で用いられています。
その根拠は以下の記述です。
==== 引用開始(大白蓮華・2017・6月号80頁) ====
「釈尊が今世で初めて成仏した(始成正覚)というこれまでの考え方を打ち破り、釈尊は実は五百塵点劫という、はるか久遠の昔に成仏して以来、この娑婆世界に常住する仏、つまり永遠の仏であることが明かされます」
==== 引用終わり ====

ここで、「釈尊は…永遠の仏」と定義されています。
今回の教材では全編を通して、「永遠の仏」は「釈尊」とされているようです。
また、80頁の説明のタイトルは「永遠の仏―久遠実成」とあります。これは、久遠実成で久遠を完結させて、それより深い「久遠元初」は(文底にあたるので)用いたくないとの意図があるとも受け取れます。

法華経の智慧は(B)の定義をかなりのページ数を割いて詳細に説明しています。
ここではその概略を順に説明したいと思います。
先ず、(A)の解釈を踏まえて、更に(B)を説明しはじめた箇所を確認します。

==== 引用開始(法華経の智慧・如来神力品②:『「師弟の勝利!」「信心の勝利!」』 ) ====
遠藤:はい。地涌の菩薩は、釈尊が「久遠以来、教化してきた」弟子となっています。この「弟子」に「師匠」が、法華経の末法広宣流布を託すという儀式をとっています。
斉藤:問題は、ここですね。この文上にとらわれると、日蓮大聖人が、「上行菩薩の再誕」として、釈尊の「法華経二十八品」を弘めたーという解釈に陥ってしまいます。
須田:ほとんどの解釈が、そうです。
斉藤:しかし、日蓮大聖人はこう仰せです。「此の妙法蓮華経は釈尊の妙法には非ざるなり既に此の品の時上行菩薩に付属し給う故なり」(御書p770)「”釈尊の妙法”を弘めるのではない」と明確に言われています。
==== 引用終わり ====
文上に囚われると大聖人の本地を見誤ります。大聖人は「上行菩薩の再誕」として釈尊の妙法を弘めた訳ではないと説き出だされています。

因みに敢えて、先の(A)と(B)の両者を区別すると
(A)は「文上の上行菩薩」
(B)は「文底の上行菩薩」
と言えるでしょう。
(B)の「文底の上行菩薩」と拝する場合には、内証は仏であり、それも久遠の法を身に体した仏となります。

これ等を順に考えてみたいと思います。
 

池田先生の日寛教学支持/不支持に関して

 投稿者:ClearSky  投稿日:2017年 7月28日(金)23時46分28秒
  螺髪様、SaySaySay様

コメントを頂き、有難うございます。
また、教えて頂いた資料も読んでみたいと思います。

>ClearSkyさんが意見を直接投稿されるのは珍しい(笑い)。<

そうですね。普段、私はROM専ですから(笑)。

----------------------------------

先の「文底仏法と日寛教学」を公開したので、教学試験の初級・青年三級の教材に関して、少し整理していました。
そんな最中、『先生は「日寛教学が通用しない」と考えている(だろう)』との記事がありました。

先生が日寛教学を否定しているような文献やスピーチを、私は目にしたことがないので、どうして、そのような話が出るのだろうと思った次第です。
投稿に出ていた元・広宣部の方も、ある意味、同意されておられた印象を受けましたので、何か論拠があるのであれば教えてもらって、考えてみようと思いました。

日寛教学の採否に関しては、

・日寛教学(文底仏法)が正しいか否かの議論
・先生のお考え(日寛教学支持か否か)の議論

に分けて考えるべきだと思っています。
ここで、前者は時間を要する議論となりそうですし、学会の中でも意見の一致には至らないかもしれません。
一方、後者は『先生が「日寛教学が通用しない」との考えを持っておられた』と推察できる資料のようなものがあれば、その内容を確認してみるべきだと思います。
勿論、先生のお考えを全て理解できないとしても、それを求めていくのが大事だと考えています。

先の投稿は、後者の議論のためのものでした。
もし、先生が「日寛教学の見直し」に関して言及されておられたという話があれば教えてもらいたいと考えています。

----------------------------------

もう少ししたらROMに戻ります。
その前に、書いておいた大百蓮華2017年6月号の教学試験教材に関して投稿しようと思います。
少し長いので、複数回に分けて投稿します。

今回の教学試験教材から、「何が見えてくるのか」「どんな方向に向かおうとしているのか」考える契機になればと思います。
 

二年と四カ月

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 7月28日(金)23時42分42秒
  みなさまこんばんは。27日の男、寝たきりオジサンです。
もう28日ですね。

同盟題目に参加させていただいて二年と四カ月になりました。
仕事が立て込んで昨日は書き込めませんでしたがちゃっかり

同盟題目だけは参加させていただいています。
持続の戦いというのは自力がつくのでやって損はありません。

最近お小遣いがたまって、ほしかった本を17冊買えたので今
読書にはまっています。読書の夏です。

 

お詫び・訂正その三十四

 投稿者:The logic in the place  投稿日:2017年 7月28日(金)23時23分31秒
  レ・ミゼラブル015 ?
投稿者:The logic in the place
投稿日:2015年 3月23日(月)19時41分40秒

『大道を歩む 私の人生記録Ⅱ 池田大作』 還暦を迎えて 1987~1989
P.228~242  フランス革命の意義(抜粋)
(前文略)
「 フランス革命の意義、とりわけ人権宣言に謳われた「自由・平等・友愛」の理念が、人権意識の高揚と擁護、民主主義の発展といった点で、多大な役割を果たしてきたことは間違いない。だが、光あるところ影がある。自国の歴史を誇りに思われるからこそであろう。この年に私がフランスでお会いした方の多くは、その影の部分を真摯に見つめておられた。
 革命は成功した。だが旧き権力の打倒は、新たな権力をめぐる凄惨な闘争に変わっていった。やがて恐怖政治の嵐が起こる。
 無秩序が支配する世界。疑心暗鬼に陥り、裏切りが横行する。否定された古い宗教に替わる新しい道徳もない。すさみきった人心。いつ果てるともしれない陰惨な対立抗争。誰も信じられない世相。憎悪と密告。テロと粛清・・・・。
 革命の美名のもとに、おびただしい血が流された。犠牲者は数十万人にのぼった。パリと並んでフランス革命のもう一つの中心都市ナントを流れるロワール川には、毎日、百人から二百人の人が沈められた。そのためのロワール川は、国民的水浴場と呼ばれたという。
 本来、民衆のため、人間のためであったはずの革命。それが、いつしか人権を抑圧し、民衆を震え上がらせ、人間性を窒息させるものへ変わってしまった。「善を欲して悪をなす」悲劇の典型であった。
 二百年前の当時ばかりではない。今世紀に入っての第三世界の国々の独立運動でも、また社会的弱者の人権を守る運動でも、つねに「自由・平等・友愛」の理想は掲げられ、叫ばれてきた。しかし、現実は、どうだったか。正義や人権を謳うスローガンの下で、幾多の革命が血塗られた歴史を刻んできた。「愛国心は悪党の最後の隠れ家である」との箴言のように、民衆の純粋な情熱を己の権力欲も利用する輩もあとを絶たない。(以下略)」

・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
会則改変という無責任で意図的な拙速革命(どす黒い大誓堂に棲む改革派)は、某ツイッターメンバーを信濃町の底流を流れる信濃川に溺死させ、南元町(人々)病院には水死体の山が運びこまれて、そのまま償却(除名)処分。また、先生の意図を知ってか、模擬店で「喫茶ロワール」なんて名称をよく使っていた幹部はどのような感覚だったのか、青年部時代に私は?と思っていました(笑)。
 ミリエル司教曰く「無学の人々には能う限り多くのことを教えねばいけない。無料の教育を与えないのは社会の罪である。社会は自ら作り出した闇の責を負うべきである。心のうちに影多ければ罪はそこに行われる。罪人は罪を犯した者ではなく、影を作った者である」(岩波p.44)夜学の法学部に通っていた私は、折伏相手の友人とよくこの文言を議論しました。羊千匹を志向する「大誓堂創価改革派」はまさに今、この文言を深く読み込んでくださいね。南元町の面々も、高等戦術を使い始めましたね!頭の中に入り込めるメンバーが沢山居ることをお忘れなく、ご注意してください。


ーーーーーーーーーーーーーー
書籍の抜粋引用は、以下の会則

????????
第14章 賞罰
(懲 戒)
第78条 この会は、会員としてふさわしくない言動をした会員に対し、その情状に応じ、戒告、活動停止または除名の処分を行なうことができる。
????????

は、該当していません。

ーーーーーーーーーーーーーー
以下、解説で書かれている部分は、お詫び・訂正・削除します。忘れて下さい。

いろいろと確認しましたが、大変ですね。
ご苦労様です。
 

同盟題目!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 7月28日(金)22時57分5秒
  23時より開始します。よろしくお願いします。
池田先生と奥様のご健康、ご長寿。
皆さまのご活躍、健康、無事を祈ります。

また、査問や恫喝のない学会になるよう
職員の方々にお題目を送ります。

同盟題目は毎日23時から30分間行っています。
自由参加、任意参加です。

少しの時間だけの参加も歓迎します。

また、途中からでも大丈夫です。
時間が合わないので23時前後の時間で行いたい。
それでも歓迎です。よろしくお願いします。
 

緊急告知への沢山のメールありがとうございます。

 投稿者:元京都西京区乃虎  投稿日:2017年 7月28日(金)22時23分56秒
編集済
  お店の規模の関係で、メールをくださった方全員が参加することは出来ません。
今回は独断と偏見で選ばさせて頂きました。
選ばれなかった方はこの場を借りて御礼申し上げます。
また次回集まる時には、事前に人数調整しまして決めて行きますので
宜しくお願い致します。
今回はあくまでも気心知れた、酒に飲まれない、禁煙者、薬物未経験者が
中心となっております。
どこぞの、酒呑んだくれて愚痴のオフ会では決っしてございません。
なので殴られる絡まれる事はございませんので、ご安心ください。
 

フェイク 第1585号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 7月28日(金)22時08分37秒
  (発行=17.07.27)

宗門の財務部長・長倉日延が死亡
故人が不快感を抱いていた早瀬日如が導師
生前「早瀬と河辺にやられた」と嘆く

日蓮正宗の宗務院財務部長で北海道札幌市内の日正寺住職・長倉日延(権僧正)
が二十五日午後八時頃、死亡した。享年七十六歳。通夜は二十六日午後七時
から、告別式は二十七日午前十時から、いずれも早瀬日如の導師で行われた。

 通夜の際、日延の息子の長倉信祐が父親の略歴及び闘病生活に触れて「父は
ガンとの戦いで延命した」旨、語っていた。だが、実際は数年前に日延は胃が
んの手術をして、それ以降、術後の経過が悪く、命を縮めたと伝えられている。

 日延は昭和十六年六月三日生まれ、同二十九年に得度。能化になる前の平坊
主の時の名前は教明で、教師になって以降は実行寺、三之坊、本住坊、仏土寺
を経て平成四年十一月に大願寺に移り、同十一年九月には河辺慈篤との交代で
日正寺の住職になっていた。

 長倉教明(日延)が大願寺に移ると、約百世帯が富士宮市の妙蓮寺に所属替え、
その後も多くの講員が豊島区の常在寺など各末寺へ移籍。大願寺の御講等の行
事に参加する法華講員は減少の一途をたどり、激しい落ち込みを見せていた。

その理由は、法華講関係者によると、住職の長倉をはじめ寺族の冷酷な人間
性、特に、信徒を怒鳴りつける横柄な女房の多江子に対する不平・不満だと言
われていた。

寺族同心会大会で、日顕が〝住職の女房は態度が悪い。信徒をいたわり、優
しい言葉遣いの対応を心掛けるように〟と注意を促したことがあった。

あの〝かまし発言〟で知られる日顕でさえ注意せざるを得ないほど生意気な
言動の寺族がいて、その最たる者が長倉の女房だということだった。

 息子の信祐も大正大学で仏教学の博士号を取得しているものの、品行下劣な
言動で評判が悪かった。

 長倉は昭和五十五年、僧都に昇進して財務部長になり、以来、約三十七年間
にわたって務めてきた。

こんなに長い間、財務部長の地位にあったのは、都心の大願寺から札幌に左
遷されたうえ、部長の座まで奪われてなるものかと、その地位にしがみ付くこ
とだけに汲々としていたからと評されている。

 日正寺の地元では〝度外れた金狂い〟と非難され、供養の少ない講員には鼻
も引っかけない、信徒一人一人に「値札」を付けている、と言われていた。

 ところで、長倉が河辺慈篤と入れ替わりで日正寺へ移ったのは「大御本尊偽
物発言」の「河辺メモ」流出のあとである。

 当時、河辺の左遷人事と説明されていたが、実際は、河辺は〝栄転〟を喜び、
反対に長倉は「行きたくねえんだ。北海道へ」と凄く荒れていたという。この
件で長倉は「早瀬と河辺にやられた」と悔しがり、二人に対して不快感をあら
わにしていたという。この早瀬とは日如のことである。

河辺は既に他界したが、不快感を抱いていた日如が葬儀の導師では日延の悔
しさは倍加するだけで、救われないのではなかろうか。


 

フェイク 第1584号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 7月28日(金)22時02分50秒
  (発行=17.07.25)

伸びない折伏成果に焦る日如
勤行・唱題しない法主ら坊主と法華講員
法要でバタバタ倒れた講頭らの醜態

早瀬日如は平成三十三年の「法華講員八十万人体勢構築」が絶望的になった
今、焦った口調で坊主や法華講員に向かって盛んに「唱題して折伏せよ」と叫
んでいる。以前は「折伏しろ」の一辺倒だったが、最近では「絶対的な確信を
もって唱題に励み、その功徳と歓喜をもって折伏に当たることが肝要でありま
す」(七月度広布唱題会)等と同じような言葉を繰り返している。

先月は折伏成果が低迷している末寺の坊主を大石寺に集めて折伏推進指導会
を行なって檄を飛ばした。

その後も僧俗指導会を開いて折伏の進捗状況について厳しく追及しても各末
寺の成果は一向に伸びない。

布教部長の阿部信彰は春季総登山の際、今年の誓願目標を八月迄に、遅くと
も十月までには達成せよ、と強調したが、これも空念仏に終わることが確実だ。

〝法華講は七百年の歴史がある〟と自慢するが、その間、折伏など実践した
経験がないので、突然、八十万人構築とか言っても無理な話である。

そこで日如は己が大願寺時代から勤行・唱題をサボっていたのを棚に上げて
坊主や講員に「唱題して折伏せよ」と言い出したのだ。

だが、昔から法華講員の中で勤行・唱題する者は皆無に等しく、日蓮正宗の
坊主の間にも〝題目を上げるのは学会員だ〟という考えが定着していた。

 法華講の幹部が勤行・唱題などしていなかった実例を一つ紹介する。

昭和四十七年二月、大石寺の近くにある妙蓮寺に創価学会の池田会長(当時)
が願主となって四宿坊(蓮一坊、蓮二坊、蓮三坊、蓮四坊)が新築された。

落慶法要では日達法主の導師で読経・唱題した後、法主と会長が席を移動し
た。

続いて参列者が立ち上がろうとした時、最前列にいた法華講の講頭、総代な
ど幹部クラスの壮年が一斉にバタバタと倒れこんだ。

慣れてない勤行・唱題で足が痺れる

皆、足が痺れて立ち上がれなかったのである。互いに照れ笑いをしながら「
参ったなあ、足が痺れて立てない」「いつも勤行・唱題なんかしてないからな
あ」と言って足をさすっていた。

参加していた学会員は、当然ながらスッと立ち上がり、法華講幹部の醜態を
唖然とした表情で見ていた。

日々の勤行・唱題は信仰者として当たり前と思っている学会員と違って法華
講は幹部クラスも実践していないことが分かる出来事だった。

第一次宗門事件の頃、大石寺の六壺で所化が唱題していると、先輩から〝学
会員みたいなことをするな〟と怒鳴られ、いつも唱題する所化を指して「あい
つは怪しい〝学会寄り〟ではないか」とか「唱題している奴に気をつけろ」な
どと言われたという。

六壺で唱題している所化がいると聞いた日顕は、所化の指導会で唱題につい
て、こう指導した。「三十分ぐらい真剣に行うことは、よいと思うのでありま
す。しかし、それ以上は多すぎる事になってもかえって弊害があります」(昭
和五十九年八月行学講習会)

この日顕がニセ法主の座にいた間、夜の勤行をしたのは一度だけだった。


 

池田先生のスピーチに学ぶ【壮大な夢を実現、不屈の努力の根本は強き一念に】

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 7月28日(金)21時36分27秒
  池田大作全集76巻
海外派遣メンバー協議会 (1991年2月14日)④

■少年時代の壮大な夢を実現したシュリーマン

さて、話は変わる。地中海の東、青きエーゲ海。四千年の昔、ここに華麗なる古代文明が栄えた。ギリシャ文明、トロイ文明(小アジア)、クレタ文明(クレタ島)、ミケーネ文明……現代ヨーロッパの源流たる″黄金の世界″である。

また″詩人の中の詩人″とうたわれる古代ギリシャのホメロス(紀元前八、九世紀頃の人)の二大叙事詩『イリアス』と『オデュッセイア』の舞台でもある。いつの日にか、これらについても新たな視点で語りたいが、トロイ戦争等を舞台に、古代ギリシャの英雄たちが生き生きと描かれている。

今、これらの文明やトロイ戦争の実在を疑う人はいない。万人の常識になっている。しかし、ほんの百年ほど前までは、そうではなかった。ホメロスの詩は全ヨーロッパで読まれ、いわゆるインテリから庶民まで、よく知られていた。しかし、人々はそれらをたんなる″お話″だと思っていた。

ホメロス自身も伝説上の人物と思われ、彼の物語が本当にあったことだとは、だれも考えなかった。あえていえば、法華経や御書をいくら知っているようでも、現実とかかわりのない、ただの物語として読んでいるようなものである。

これを、歴史的事実にもとづくものだと証明したのが、ドイツのハインリヒ・シュリーマン(一八二二年~九〇年)である。昨年十二月が、彼の没後百年にあたる。

シュリーマンは八歳の時、父から一冊の本をもらった。それは、さし絵入りの『子供のための世界史』。そこに「トロイ戦争」のことが、印象的なさし絵とともに出ていた。

一人の美女(ヘレネ)をめぐって争うトロイ軍とギリシャ軍。十年に及ぶ戦乱。アキレスやアガメムノンら英雄たちの苦悩と栄光。そして「トロイの木馬」によるギリシャ軍の勝利――。(=大きな木馬の中にギリシャ軍の兵士が隠れ、トロイ軍が木馬を城内に入れてから飛び出して、トロイ軍を打ち破った)

八歳の少年は、これらの物語を完全に信じた。そして「将来、必ずこのトロイを発掘しよう」と心に誓った。途方もない夢であった。しかし、じつに四十年後、彼はその″夢″を見事に実現したのである。

次元は異なるが、私どもは今、十年後の創立七十周年、さらには四十年後の創立百周年をめざして、「広宣流布」という″壮大な夢″の実現に邁進している。

百周年となると、現在の青年部、未来部にお願いする以外にない。さらに、広布は世代から世代へ、万代にわたって、″永遠に拡大″″永遠に深化″″永遠に蘇生″の大運動である。

ゆえに青年を大切にしたい。少年、少女の心を大切にしたい。八歳の少年の決意が、世界の歴史を書き換えたのである。子どもだからと、軽く考えることは絶対に誤りである。

このとき、初めは否定的だった父親が、シュリーマンの熱心さに打たれ、「お父さんも、お前の夢を信じるよ」と励ますにいたったという。父親のこの一言が、その後の彼の支えとなった。子どもへの信頼と共感が、どれほど大切であるかという例証であろう。

シュリーマンは、すぐに学者への道を歩んだのだろうか。そうしたかったが、不可能だった。母を九歳で亡くした。父は七人の子どもをかかえ、生活はすさんだ。父が公金を使いこんだという疑いをかけられ、一家は没落していった。そのためシュリーマンは、手痛い失恋もした。

彼は、高等学校にも行けず、十四歳で雑貨屋の店員にならねばならなかった。そして十九歳まで、毎朝五時に起き、夜十一時まで働かされた。「勉強がしたい」と、泣けてしかたなかった。しかし彼は、八歳の時の″夢″を片時も忘れなかった。
そのうち病気になってしまった。胸を悪くし、喀血したのである。

楽しかるべき青春の十九歳――しかし彼は、一文なしの、青白い、胸を病み、職も失った、みじめな姿の青年でしかなかった。

食べるためには、住む所や仕事を選んではいられなかった。南米に向かって出発したとき、船が難破して、九死に一生を得たこともある。やっと落ち着いたのは、オラングのアムステルダムであった。

ある事務所に勤めながら、乏しい給料を削り取って、勉強の費用に充てた。語学に熱中した。自分で編みだした独特の勉強法により、二年でなんと英語、フランス語、オランダ語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語をマスターした。その猛勉強のエネルギーは、やはりあの″夢″であった。

彼は語学によって学問の基礎をつくるとともに、これを商売に生かして成功を収めていく。語学力のおかげで、外国の人々と直接に取引できた。これが商売の強みとなった。

「まず、お金をつくらなければ発掘などできない」――人々は彼をただの商人と見ていたが、彼の富は″目的をもった金″であった。最終的に、彼は古代ギリシャ語を含む十五カ国語を自由に話し、聞き、読み書きできるようになったという。

ロシアでも商売に成功、やがて巨万の富を築く。
運も良かったが、彼の徹底した努力と人柄の良さが信用となった。不屈の努力の根本は、「ホメロスの世界」への、強くまた強き″一念″であった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
池田大作全集76巻
海外派遣メンバー協議会 (1991年2月14日)①
http://6027.teacup.com/situation/bbs/72076

海外派遣メンバー協議会 (1991年2月14日)②
http://6027.teacup.com/situation/bbs/72139

池田大作全集76巻
海外派遣メンバー協議会 (1991年2月14日)③
http://6027.teacup.com/situation/bbs/72366
 

(無題)

 投稿者:人力車  投稿日:2017年 7月28日(金)21時12分12秒
  ひまわりさん「古城の週刊紙の記事があったから、先生2回も新宿きたのかなー?」

きゅうりさん「んー、なんかさー最近会合行くより、部員さんと世間話してるほうが楽しい。」
 

twitterより。組織に巣食う魔を見破るのは難しい。開目抄を拝せ、天魔はどこに住むのか書いてある。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 7月28日(金)20時04分57秒
  本当に真面目に戦っている本部職員や外郭社員、幹部が多いこともまた事実。皮肉にもそれ故に組織に巣食う魔を見破る事が難しい。開目抄を拝せと言いたい。天魔はどこに住むのか書いてあるのにねー  

(無題)

 投稿者:原原時々  投稿日:2017年 7月28日(金)19時49分5秒
  専業主婦が決してわるいとはいいませんが、昼間に仕事をしていない婦人部幹部がいろんな事を決めて、仕事中とか関係なくメール、電話の嵐。
「昨日の報告が違うわよ」「先週より数字が減ったのはどうしてなの」「今夜の地区協で緊急連絡を流して」等々、本当にどうしてなのって感じです。
 

(無題)

 投稿者:サンダーバード  投稿日:2017年 7月28日(金)17時55分44秒
  だから先生が決める事ではないんですよ、

先生が決めちゃったら、ややこしくなりますよ、

日蓮正宗が決める事だと思います、

学会員だけの問題ではないですからね、

私は日蓮の弟子だって言ってる人、

日蓮正宗の教義を学んで実践している人、全員の問題


先生は最後までそのようにしていたとも言えるし、

法華経の智慧では先行しているし、

どうなんですかね、


でも、もし日蓮正宗が日寛教学の見直し、大御本尊の歴史的な意義の公表、などを行ったら、誰も否定しないでしょ、

まあ、一部の人が大石寺襲撃するかもだけど、話せば納得してくれるでしょう
 

正義と日蓮仏法 (4コマ風)

 投稿者:のび太  投稿日:2017年 7月28日(金)16時48分33秒
  日蓮大聖人御遷化の夜、高弟6人による最高会議が池上邸でおこなわれた。

議長は古参の日昭で自身も投票権を持っていた。

日昭が1号議案を読み上げた。

● 日興くんより、今後、始祖日蓮上人を末法の御本仏と拝する。

決を取ります。反対多数で日興くんの提案は否決されました?

チャンチャン!!



 

まずは一点だけ

 投稿者:日蓮仏法2.0メール  投稿日:2017年 7月28日(金)16時32分39秒
  シー・ユー・アゲイン ?投稿者:SaySaySay ?投稿日:2017年 7月28日(金)10時11分
この中で、>聖教新聞2015年9月16日の随筆『民衆凱歌の大行進27 御書根本の勝利道』で、池田先生は日寛教学の「六大秘法」を使われています。「法本尊を開顕された」とあります。
http://vukivuki.cocolog-nifty.com/myonoshoran/2015/09/post-661f.html   <
確かに、戸田先生の時代に「観心本尊抄」を真剣に学んだことを描き、
「日蓮大聖人が佐渡流罪の真っ直中で、万人成仏の原理を「受持即観心」として明かし、法本尊を開顕された重書中の重書である。」
と記されています。
しかし、「法本尊」という用語を使用したからといって六大秘法を承認していることにはなりません。
人と法ならびにその一如について語ることには意味があります。
問題は、人法一箇の「大御本尊」を根本にして三大秘法が解釈され、その本尊を人と法に立て分けて、人を日蓮=久遠本仏=本仏としてしまうことなのです。
端的に「御義口伝の妙法蓮華経」についてでは、人と法への帰命が語られています。
「御義口伝に云く、南無とは梵語なり。此には帰命と云う。人法之れ有り。人とは釈尊に帰命し奉るなり。法とは法華経に帰命し奉るなり。」
この場合、SaySaySayさんの解釈法では、大聖人は「釈尊」を人本尊にしていたことになりませんか?
私は大聖人も先生についても、教義解釈には多層構造・多重相対を採用する立場です。

https://www.amazon.co.jp/%E5%87%A1%E5%A4%AB%E5%8D%B3%E8%BA%AB%E6%88%90%E4%BB%8F%E8%AB%96-%E6%9D%BE%E6%88%B8%E8%A1%8C%E9%9B%84/dp/4802093160/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1501224626&sr=1-1&keywords=%E6%9D%BE%E6%88%B8%E8%A1%8C%E9%9B%84

 

twitterより。利己主義、名聞名利の人間を偉くしてはならない。学会を任せてはならない。騙されてはいけない。池田先生指導。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 7月28日(金)16時30分15秒
  創価学会も、
利己主義、臆病、要領、名聞名利
そういう人間を偉くしてはならない。
だまされてはならない。絶対に学会を任せてはならない。

この方程式を根幹としていくことだ。将来のために、明快に言い残しておきたい

仮に幹部にそういう人間が出たならば、一切、言うことを聞く必要などないし、断固として追い出し、清浄な組織を守っていくべきである。

きょうは、これを決議し合いたいが、いかがであろうか。そこにしか、学会の将来を開いていく道はないからである。

第57回本部幹部会
2006年2月8日
 

re:管理人様

 投稿者:謎の弟子X  投稿日:2017年 7月28日(金)12時51分40秒
  失礼いたしました。

管理人様とは無関係かつ
「非公式に」板におられる方が集まる会。

と発言を訂正させていただきます。
 

稲田防衛相 辞任

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年 7月28日(金)12時46分34秒
  北朝鮮のミサイルが飛んで来るかも知れない、危機迫る今日、稲田防衛相辞任。

逆に言えば、大臣が居てもいなくても、大勢に影響無い、という証明のようなものだ。

官僚の書いた長い文章を、ず~~っと棒読み。長過ぎて腹が立つ。
日報があったという報告は、受けていない、と最後まで言い通して辞任。反省の色はまったく見えず、むしろ挑戦的な表情。
この辞任を受けて、1日に予定されていた閉会中審査も、開かれない可能性が出て来ている。
袋叩きにされるのを見越した、敵前逃亡策にしか見えない。

このままだと、支持率は確実に落ちるだろう。私は歓迎だが。

稲田氏はもともと、防衛に関してはド素人。そんな人間を防衛相に任命した、総理の任命責任、延命責任(笑)は厳しく追求されるべきだ。これは内閣全体の、体質の問題だ。


安保法案に反対すると、創価学会では査問され、除名されるらしいが、そんな愚か者の論理を受け入れる気は、私にはさらさら無い。そのうち、公明党を支援しない会員も、査問対象になるのだろうか。

もしそうであるのなら、創価学会はその事を、広く社会に向かって周知させるべきだ。その事を入会条件に加えなければ、宗教詐欺と言われても仕方ない。
創価学会に入会すると、憲法は無視され、人権の一部が制限されます、と宣言すべきだ!

繰り返して言うが、あんな強行採決でゴリ押しした法案など、私はまったく認めていない。
池田先生の弟子として、即刻廃案にすべきだという信念は、変わらない。
 

シー・ユー・アゲイン

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 7月28日(金)10時11分10秒
  ClearSky様
『池田先生は日寛教学を支持されているのか?』……YES!!!
http://6027.teacup.com/situation/bbs/72532
http://6027.teacup.com/situation/bbs/72533
ある賢人から教わって、ようやく私も意味が分かったのですが、一つの大きな事件が「都合の良い“建前”」としてあります。
金原明彦さんの『日蓮と本尊伝承―大石寺戒壇板本尊の真実』(以下、「金原リポート」2007年)の衝撃です。一読されることをお勧めします。
このマニアックな重書は一部の研究者から強烈に支持されて大量購入され、不覚にも価格が吊り上がっていますが、中央図書館等には蔵書されています。
須田晴夫さんも書かれていた通り、池田先生没後も生きて行く者にとって、この金原リポートから目を逸らすべきではないでしょう。

しかし、私も、池田先生は日寛教学を支持されている、と思います。(ただ堅持ではなく、ソフトランディングで過去との整合性を重視、「今までが間違っていたとならないように」拙速なことには反対されているはず。『教学部レポート』『遠藤文書』のままでしょう。)
聖教新聞2015年9月16日の随筆『民衆凱歌の大行進27 御書根本の勝利道』で、池田先生は日寛教学の「六大秘法」を使われています。「法本尊を開顕された」とあります。
http://vukivuki.cocolog-nifty.com/myonoshoran/2015/09/post-661f.html
2014年11月の教義変更で、学会組織は「六大秘法」は用いないと、切り捨てました。もし、この教義変更を池田先生が承認されているのなら、なぜ、池田先生はその後の2015年9月16日の時点で、この「六大秘法」を用いられているのでしょう? この随筆は『教学部レポート』『遠藤文書』を裏付けるものでもあります。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/63132
http://6027.teacup.com/situation/bbs/64580
http://6027.teacup.com/situation/bbs/68133
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-86.html

>日寛教学と言われる内容は、「久遠元初」「人法一箇(人法体一)」「三大秘法(一大秘法・六大秘法)」等々が記されています。従来の学会教学では当たり前の教義でした。言い換えると、2014年の教義改定以前の学会教学では骨格を成していた教義だと思います。<

→全くその通りと思います。「骨格」部分です。これが揺らいでいるのです。にもかかわらず、この2014年の発表に対して、周囲の反応は何もないのに驚いたのと同時に「やっぱりか」と思いました。

もはやソウカガッカイはただの「家の宗教」過ぎないのです。だから何でもいいのです。教義なんかどうでも。別に自分で選んだ訳じゃなく好きでやっている訳でもない。五月蠅く言っても面倒だし周りから白い目で見られるよりも黙っていればいい。しょせん宗教なんてそんなもんだから……。
よく分かります。私も「邪宗」と言われた「家の宗教」を持っていましたから。今の人は、創価学会は「家の宗教」を捨てさせて来たということを分かっていない、知らない。
ソウカも「家の宗教」を守って「邪宗」に仲間入り、ということでしょう。
ソウカももはや新興宗教じゃない。長い長い歴史が既にある。成人病・生活習慣病が知らず知らずのうちに全身を蝕んでいることに多くのガッカイインは知らないし気づかないし、興味もない。そのことを長期間愚民政策を敷いてきた失効部は知っていた!!!
9割は大丈夫。社畜のようなものだ。1割『うる星やつら』は斬ればいい。学会教学の「骨格」なんて9割は思わない。知らない。気づかない。失効部の大勝利だぁ~!!!

先の随筆と虹さんが繰り返し訴えられている『雌伏68』での「恩師23回忌」は失効部の裏切りを証明する「物証」になると思います。

虹さん、このことはちょくちょく再掲して下さいね。極めて重要な「物証」です。

“でもなんとなく、永遠には続かないだろうとは思ってた”
“さて、気持ちを切り替えなくちゃね”
“視点を変えて、広く世界を見ていかなくちゃね”
“昔は良かったなあ でも辛いことを長いあいだ耐えてきた甲斐があったんだろ”
“なあ、そっちの暮らしは楽しいだろう?”
『シー・ユー・アゲイン』チャーリー・プース/ウィズ・カリファ
https://www.youtube.com/watch?v=cuJbcn4Qs2U

カウントダウン! 「8・27関西座談会」まであと1カ月!
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-117.html
この夏は身内に健康上の課題があり流動的。東京と神奈川の素敵なお姉さま姉妹はお元気でしょうか。無理されませんように。大阪の夏は湿気が多い分、悪質の暑さです。沖縄の人やアフリカ人アスリートが倒れるくらい。何でもそうですが、数字の表現力は万能ではありません。仏法者は「実質」を見抜く叡智を!
 

二十一世紀への対話 117

 投稿者:まなこ  投稿日:2017年 7月28日(金)09時34分13秒
  【池田】 さらに、第四の原因としてあげなければならないのは、“体制”と“人間”とはまったく対立するものだ、という見方が強くなっていることでしょう。この対立観においては、国家は“体制”を代表するものの筆頭であるとみられています。それほどに、国家権力の横暴や権威主義に対して、人々が強い反感を抱くようになってきているわけです。

【トインビー】 しかし、その点は今日に始まったことではありません。私は、いかなる形態の国家も常に“体制”の支配下にあった、または体制者によって“体制”の権益に奉仕するよう操作されてきた、と信じています。
したがって、いつの場合にも、大衆は“体制”から疎外されると、そのかぎりにおいて、自分たちを治める国家そのものに対しても敵意を抱いたのです。

【池田】 おっしゃる通り、疎外された大衆が国家に敵意を抱くのは、いつの時代にもみられた現象です。しかしその疎外が、意識のうえでも事実のうえでも、今日ほど広範囲の大衆に及んでいることは、かつてなかったといえるのではないでしょうか。事実のうえで顕著な例として、私は戦争の場合をあげることができると思います。現代では、国家はすべての国民を戦争に巻き込み、その生命と財産を危険にさらします。かつては、戦争においてそうした危険を冒すのは特定の階級の人々で、志望者に限られていたわけですが、近代国家においては徴兵制により、すべての国民のうえに死の危険がのしかかるようになりました。
一九一四年に勃発した第一次大戦以来、戦争はきわめて凶悪化し、残酷さを増しています。このことも、国家を絶対的な存在と信ずる大衆の信頼が崩されることになった、一つの理由だと思います。

【トインビー】 たしかに一九一四年以来、戦争の性格が大きく変化し、凶悪化したため、国家が信じられなくなったのは事実です。二十世紀の戦争は、世界中いたるところで、かつて十七世紀西欧の戦争で犯されたと同じ類いの、残虐行為を犯しています。十七世紀の戦争は、十八世紀や十九世紀の戦争より狂暴で、流血も激しかったのでした。
一九一四年以降、再び戦争につきものとなった残虐行為を別としても、いわゆる合法的な戦争行為ですら、もはや手が施せないほど破壊的な結果をもたらしています。軍人の死傷者は膨大な数にのぼり、民間人の死傷者数も同じく増えています。これは武器の改良――航空機やミサイルに搭載される核爆弾の発明――が、かつての戦闘員と非戦闘員の区別をなくしてしまったからです。ベトナムでは、枯葉作戦が農村地帯を急激に荒廃させました。今日、農業への除虫剤投入の度が過ぎて世界各地の田園地帯がしだいに荒廃しつつあるわけですが、ベトナムでは同じことが、より急激なやり方で行なわれたのでした。

【池田】 国家の権威失墜をもたらした要因は、そのようにいくつもあるわけですが、これらは実際には複雑に絡み合っています。このことに関連して、一つの象徴的な意味をもつものとして、私は、第二次大戦後の軍事裁判をあげたいと思います。
あの裁判は、戦勝国が敗戦国の戦争責任者を裁き、「平和と人道に反する罪」によって処刑したものです。非人道的行為は戦勝国側の将兵にも当然あったにもかかわらず、敗戦国の責任者が戦勝者によって一方的に裁かれ、また十分な裏づけもないままに処断された例も少なからずあって、裁判の内容に厳正さを欠く面がありました。
それはともかく、この軍事裁判には――おそらく当初意図されずに得られた結果として――高く評価すべき点もあったと思います。その一つは、“平和”とか“人道”ということが、侵すべからざる厳粛な価値をもつものであると、事実上確認されたことです。つまり、軍の命令や国家の指示であっても、“平和”と“人道”を侵した者は処罰されるという事実を、歴史に残したといえるでしょう。
これとは対照的に、第一次大戦においては、敗戦国ドイツの皇帝も、将軍たちも、罪に問われることはありませんでした。国家のなすことがどんな悲惨な結果をもたらしても、それに対して罪名をあてがうことはなかったわけです。ところが、第二次大戦後には、“国家の意志”を絶対視し“国家”そのものを尊厳なものとする既成概念が、その一角から事実上打ち破られています。このように、軍事裁判が意味したものは、国家権威の絶対性の否定であり、そこに現代の歴史を彩る重要な特質が、象徴的に示されていると思います。
 

阿部いや安倍さん。これって何。

 投稿者:愚人  投稿日:2017年 7月28日(金)09時14分40秒
  とんでもないものを発見。
まさか邪教中の邪教、かって集団結婚、霊感商法で世間を騒がせた統一協会=国際勝共連合の機関紙にこの人物が2度も表紙を飾るとは。吃驚ぽんである。
模造写真でもなんでも有りませんよ。
夫婦揃ってお騒がせとは。いやはや。
山口代表。
貴方もまさか表紙カバーを飾るんじゃないでしょうね。
口に題目唱えても、頭の中は原理講論ってなこと、有り得ませんよね。
ソ連崩壊、ベルリンの壁崩壊、中国自由経済導入後、未だに、こんな共産主義撲滅の運動があるとはぞんじあげませんでした。

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi/

 

法に依って人に依らざれ

 投稿者:メンチカツ  投稿日:2017年 7月28日(金)09時04分21秒
  加藤節成蹊大学名誉教授

安倍首相は自分の考えに同意する人物を登用し、反対する人はクビにしてしまう。つまり、安倍政権のやり方というのは、『法による支配』ではなく、『人』による支配なんです。

引用終わり--------------------------------------------------------------------------

世法・王法にまさる仏法の世界であるならばなおさら「法中心・法根本」を守り抜くべきだろう。無残なり創価の組織。

「法に依つて人に依らざれ 義に依つて語に依らざれ知に依つて識に依らざれ了義経に依つて不了義経に依らざれ 」.
 

板のオフ会ではありません

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月28日(金)07時47分50秒
  管理人は関知しておりません。
誤解を生むような発言はご注意ください。
 

わが友に贈る 2017年7月28日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年 7月28日(金)07時46分7秒
  御聖訓「一日に一二三度
えみて向へとなり」
父母に笑顔で接しよう。
感謝の言葉を届けよう。
親孝行を報恩の心で!
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、全国最高協議会の開催、誠におめでとうございま~す(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 7月28日(金)07時44分55秒
  おはようございます。原田怪鳥様を中心に、全国最高協議会が開催されたとのコト、誠におめでとうございま~す(笑)

池田先生がメッセージを贈られたとのコト、あわせて、誠におめでとうございま~す(笑)

でもねぇ~、原田怪鳥様、メッセージを全国の方面長さんや各部の代表さんだけで、独り占めしてはイケませんねぇ~(笑)

ナゼか? せっかく贈られた師匠からのメッセージが最近、全文掲載されたためしがありませぇ~ん(笑)

「永遠の指針」なのデスからぁ~、一部の幹部だけのモノではありませんよぉ~、全会員が読みたいと思っているんじゃないデスかねぇ~(笑)


しかしながら、本当に師匠のメッセージでしょうかぁ~(笑)

なぜならば、「本年上半期の大勝利を開いた全同志の健闘を賞賛」されたそうデスが、福岡豪雨災害、秋田豪雨災害をはじめ、

日本は、この上半期も災害だらけじゃないデスかねぇ~、被災された方々へのお見舞いの言葉もなく、いきなり賞賛デスかぁ~(笑)

「上半期の大勝利」っていったいナニを指して「大勝利」デスかぁ~(笑)

もしかして、都議選のことデスかぁ~? 原田怪鳥様、ちゃっかり自分の手柄を入れてませんかぁ~(笑)

「リーダーが創価の三代と同じ心で宝の同志のために祈り」とありマスが、師匠はまだ御存命デスよねぇ~(笑)

自らがまだ生きているのに、「創価の三代と同じ心で」なんて言いマスかぁ~?

「牧口先生、師匠・戸田先生、そして私と同じ心で」みたいな表現が正解じゃあないデスかぁ~(笑)

師匠がお亡くなりになられた後ならば、この言い方もありでしょうが、もしかして、原田怪鳥様は、師匠滅後とお考えデスかぁ~(爆)


下半期の具体的活動も、「なんだかなぁ~」デスねぇ~(笑)

啓蒙する価値もない、珍聞の拡大ってもねぇ~(笑)

時代遅れのモバイルSTBも、ナニかの利権絡みデスかぁ~(笑)

「身延教学」に堕した今の教学を学んで、どう育成するのでしょうかぁ~(笑)


原田怪鳥様は「世界宗教へと飛翔する上で重要な時を迎えた今、全リーダーが三代会長と同じ心で、同志のために祈り、大誠実を尽くしていきたいと力説」

されたみたいデスが、「じ・き・で・し」の怪鳥様がまず率先して下さいねぇ~(笑)

そもそも、「同志のために祈り、大誠実を尽くす」のが、査問・処分・除名デスかぁ~(爆)

「同志のために祈り、大誠実を尽くしていきたい(ただし、執行部ないし創価貴族を除く)」って影の声が聞こえマスよぉ~(大爆)


本日の「珍・人間革命」雄飛三十七にも、いい御聖訓が引かれてマスねぇ~(笑)

「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(御書P1190)

原田怪鳥様、この御文の主語は誰を指しているか御存知デスかぁ~(笑)

「法華経の行者を軽賤する王臣万民」(御書P1190)なんデスよぉ~(笑)

原田怪鳥様、会員を軽賤してませんかぁ~? 査問・処分・除名してませんかぁ~? 盗撮・盗聴してませんかぁ~?(笑)

くれぐれも、現世を謳歌されている原田怪鳥様、「ほろびざる」コトのないように、期待しないで待ってまぁ~す(爆)


 

twitterより。不幸の人を救おうという心を失った幹部は出ていってもらいたい。池田先生指導。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 7月28日(金)07時28分40秒
編集済
  心を失った幹部に

「臆病な幹部はいらない。本当に一緒に広宣流布をしよう、不幸の人を救おうという心を失った幹部は、学会から出ていってもらいたい。 こういう人間にはいてもらっては困る。邪魔になる。不潔になる。学会が濁ってしまう」

厳しい指導であるが、すべて真実である。
 

re:緊急告知

 投稿者:謎の弟子X  投稿日:2017年 7月28日(金)07時11分54秒
  虎さま、いつもありがとうございます。板のオフ会ですね。

私も参加させていただきます。

論客のみなさまと話ができるのを楽しみにしております。
 

世界広宣流布って何ですか?

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2017年 7月28日(金)06時58分33秒
編集済
 

マザー・テレサ、その名前は世界中の人が
知っているけれど、マザー・テレサのように
生きる人は少ないでしょう。宗教はちがうけれど
そこには菩薩の姿があります。


世界広宣流布を掲げる
現在の会長さんと仲間の人たちに
質問したいです。もし私がイスラム教徒
だったら、どのように折伏するのでしょう。

もし私がキリスト教徒だったら、どのように
折伏するのでしょう。

イスラム教徒にはイスラム教の人たちの
ようなまじめな毎日の生活を自分がしてい
る証明。

キリスト教徒にはマザーテレサのような
一番貧しい人につかえる菩薩の心。

いくら立派な会館を建て、お金をふりまき
自分は麻雀をやったり酒を飲んで騒いだり
していては、この尊敬すべき人たち
の心に日蓮大聖人様の仏法を
伝えることはむずかしいでしょう。

選挙で人を動かす、それよりも
苦しんでる人のところに人を動かすのでは?
そして真面目な地涌の菩薩を除名する?
それで世界広宣流布?

http://imagine-happy-life.tokyo/

 

「信」と「行」の題目!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 7月28日(金)05時22分38秒
編集済
   おはようございます。

 ClearSkyさん、「池田先生は日寛教学を支持されているのか?」の投稿、ありがとうございました。ClearSkyさんが意見を直接投稿されるのは珍しい(笑い)。
 http://6027.teacup.com/situation/bbs/72532

 池田先生が日寛教学を踏襲されて見えるのは、先般投稿しました「一生成仏抄講義」「32㌻」の「具遍の義」もそうですし、ほかにも見受けられます。「一生成仏抄講義」は、2006年1~7月大白蓮華掲載です。


 【本抄で大聖人は、「衆生本有の妙理」とは「一心法界の旨」のことであると言われています。「一心法界の旨」とは、万法がわが心に納まり、わが心が万法に広がるという、心と宇宙の不可思議な関係を言います。これは、日寛上人が一念三千について言われた「具遍の義」と同義と拝せます。
 大いなる生命は、全てを包み、あらゆるものに遍在する。そして、全てを包むゆえにあらゆるものを内在しているのです。その大いなる生命と心が一致するのが「一心法界の旨」であり、この妙理を悟るのが仏の悟り、つまり「無上菩提」なのです】

 さらに御周知のようにこの前の、

******

 「唱題行」の実践は、大聖人御一代の弘教における骨格をなしています。日蓮大聖人の仏法は、既存の宗派のように神仏を礼拝する宗教ではありません。万人の己心に内在する仏性を触発し、仏界の生命として湧現させる唱題の実践をもって、法華経の理想である万人の成仏を実現する道を確立されたのです。

 唱題には「信の題目」と「行の題目」があります。
 「信の題目」は心の次元の実践です。その本質はわが己心の無明との戦いであり、魔性との闘争です。信の力で仏性を覆う無明を打ち破り、仏界の生命を湧現させるのです。
 「行の題目」は南無妙法蓮華経と唱える唱題であり、また、題目を他の人に弘めていく化他の実践です。心における無明との戦いの証として、口と身の次元で自行化他の実践を起すのです。

 南無妙法蓮華経と唱える唱題は、自他の生命の仏性の名を唱え、仏性を呼び起こします。無明と戦い、信が勝てば、本来具わる仏性の力が題目の声に呼ばれて、自ずからわが生命にわき起ってくるのです。
 このように成仏の方途を確立したことこそ、日蓮仏法が他の諸宗と一線を画す肝要の点があります。ゆえに大聖人は、この成仏の大道を、立宗以来、御入滅に至るまで一貫して強調されていくのです。この人類宗教としての救済の骨格は「一生成仏抄」の冒頭に余すところなく明瞭に記されています。
 「夫れ無始の生死を留めて 此の度決定して 無上菩提を証せんと思はば すべからく衆生本有の妙理を観ずべし、衆生本有の妙理とは・妙法蓮華経是なり 故に妙法蓮華経と唱へたてまつれば衆生本有の妙理を観ずるにてあるなり」(御書三八三㌻)

 (一生成仏抄講義9~10㌻、2006年1~7月大白蓮華掲載、2007年1・26発行)

******

 の箇所では、「六大秘法」の「信の題目」と「行の題目」を、はっきりと言われています。

 池田先生は、日寛教学を否定されたのではなく、まず踏襲し、その“円盤”をさらに拡大されたというか、その“芯”をしっかり固めたというように理解しています。

 それは、「68~69㌻」にある次の箇所でもはっきりしています。

 【さて、重要な点は、日蓮仏法を実践する私たちも、己心の外に法を求める姿勢であれば、外道に堕してしまう危険性があると、大聖人が本抄で戒められていることです。
 日蓮門下の私たちは「我が心の外に有りとは・ゆめゆめ思うべからず」(御書三八三㌻)との仰せを決して忘れてはならないのです。唱題行は、万人に具わる「本有の妙理」を現して、一生成仏を遂げていくための修行です。一切衆生の成仏を実現しゆく修行という意味では、これ以上にない妙行です。しかし、この「我が心の外に有りとは・ゆめゆめ思うべからず」との一点を忘れてしまったならば、どんなに修行しても万人成仏の本質を失い、外道に同化してしまう。それ故に大聖人は厳しく戒めてられているのです】


 

21世紀への選択 「平和への道」を歩み始めるまで P/32

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 7月28日(金)02時32分3秒
  「平和への道」を歩み始めるまで P/32

池田
 戦争ほど、残酷なものはない、戦争ほど、悲惨なもものはない。・・・私は、小説
『人間革命』の書き出しを、この一節から始めました。

それは観念ではなく、ましてや感傷などでは決してない。

すべての人々を悲劇へと巻き込んでいく「戦争」に対する、私の強い憤りの思いをつづっ
たものです。

テヘラニアン
 感銘します。
私の戦争に対する怒りが行動につながったのは、学校に行くようになり、読み書きを覚
えてからのことでした。

私なりの反戦感情は、まず愛国心へと向かいました。小学二年生で手作りの雑誌を出し、
ジャーナリストの卵になったのです。

そこには記事、漫画、それに論説も書きました。いま思えば、まことにささやかなもの
ですが。

池田
 それは、素晴らしい。いったい、どのような内容だったのですか。

テヘラニアン
 論説の重点は、連合国軍のイラン占領におきました。

二人の姉妹が一体の人形をめぐって争い、それを千切って皆を泣かせる・・・学校で教わ
った話を用いて、論じたのです。

漫画にはその話に合わせて、連合国同士が・・・北ではソ連が、南ではイギリスが・・・

イランをめぐって争っている地図を取り入れました。

 その雑誌を一部買ってくれた祖父が、「お前はいいことをしたけれども、そのため検
閲されるぞ」と、言ったものです。

こうして私の運命は決まりました。

私は、歯に衣着せない不戦主義者と反帝国主義者として、一生ペンで闘う人間になった
のです。

池田
 傲慢な権力と闘い抜く人こそ・真の正義の勇者です。

私は十九歳のとき、師である戸田城聖第二代会長とめぐり会いました。

そして、創価学会が平和思想である仏法を根幹にしていること、また第二次大戦中に、

戦争遂行に狂奔する軍部権力と闘い抜いた結果、牧口常三郎初代会長が獄死し、戸田会長

も二年間、投獄されていたことを知りました。

以来、私は、仏法を基調とした「平和への道」を歩み始めることになったのです。
 

 21世紀への選択 を 投稿します

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 7月28日(金)02時28分40秒
  私はこの人間革命の一節に衝撃を受けました。
『戦争ほど、残酷なものはない、戦争ほど、悲惨なもものはない』。

田舎で育ったので、戦争の事は知りませんでした。

敗戦のときは2歳ですから・・・、終戦ではありません、戦に負けたのです。

負けた戦は敗戦と言うのです。

 戦争を始めたのは、天皇を神と頂く、神道です、先祖崇拝の教義すら江戸時代作の代物で宗教と
言うにはお粗末なものです。

神道によってアジアの盟主などとおごり高ぶった輩が戦争をあおり、そして、原爆の洗礼を受けま
した。

 待てど暮らせど、神風は吹かず!!、神道はアメリカの自由民主主義、キリスト教に負けたので
す。

天照大神、八幡大菩薩は神道主導を忌避して、天上界に避難されていましたのでしょう。


***
紅の戦士様、準備がありますのでしばらくお待ちください。
***

以上 鈴之助

 21世紀への選択
「平和への道」を歩み始めるまで P/32

ポイント

*池田
 戦争ほど、残酷なものはない、戦争ほど、悲惨なもものはない。・・・私は、小説
『人間革命』の書き出しを、この一節から始めました。

それは観念ではなく、ましてや感傷などでは決してない。

すべての人々を悲劇へと巻き込んでいく「戦争」に対する、私の強い憤りの思いをつづっ
たものです。

* テヘラニアン
・・・・・・・私は、歯に衣着せない不戦主義者と反帝国主義者として、一生ペンで
闘う人間になったのです。

* 池田
 傲慢な権力と闘い抜く人こそ・真の正義の勇者です。
 

平和神軍中杉隊長第2弾!

 投稿者:愚人  投稿日:2017年 7月28日(金)02時14分0秒
  朋美ちゃん。
防衛大臣辞めるそうだね。
そりゃ当たりまえだろ。
消された日報や会議の内容が漏れるようじゃ国防も何もあったもんじゃないですからね。
それから阿部いや安部さん。
籠池さんだけにしときなよ。
顔に嘘言ってますって出でるよ。
支持率最低。
この親分が云うようにアンタ統一協会の廻しもんかぇ!

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi/

 

渡り爺さんをヨイショ!の恥

 投稿者:新感性  投稿日:2017年 7月28日(金)00時56分30秒
  一生懸命、渡り爺さんの発言をヨイショする与党議員ですか。

この日本会議の重鎮にしてジャスラック理事長等への天下りへの国民感情を測ることが困難な
ほど毀誉褒貶に陥ってしまいましたか?

>加戸守行(マフラー紳士) リクルート事件で文科省辞職!【極右確定】
http://moratoriamu310.blog.so-net.ne.jp/2017-07-24
 

己心の及ぼす夢

 投稿者:史人  投稿日:2017年 7月28日(金)00時42分10秒
  外界に変化があり、そこから夢が始まる・・
そこにはもちろん現実がある。
しかし、その変化に呼応して自分から働きかけた時、思いもよらない夢の虜となり、発展し続ける。
そんな中で周囲からの働きかけもまた即時あり、気づいてみれば自分は提供されたものを見る目すら失う。
その周囲からの働きかけもあまりにも突然のことながら、大いに自分の夢を覚ませるものとなる。

これはある保険契約にまつわる話しですが、その現実の話しの進展が己心の及ぼす夢となっていたことに気づいた要因は、妙法を想い、あれっ!?今まで自分は何をしていたのだろう。
日蓮大聖人が実に簡潔に御書のいたる所で述べられている南無妙法蓮華経だよという訴えかけ。
日蓮正宗系のわかった人なら、御本尊の何処を見ている? 自分のお仏壇の御本尊のお文字が見やすいかとの問いには、妙法だと答える。
私としては実際には南無妙法蓮華経を見ているわけですが、総ては妙の一字から起きているものだとすれば、御書の中にある「法華経の妙の一字」というお言葉にも頷けるものがある。

昨日妙法を想い、一日を過ごしました。
いつもと何も変わりませんが、ふと、これはどういうことなんだろう!?ということが会社で起き、今日その結実を見ました。
所謂修理です。
その過程で長年の懸案であったものの修正という結実がありました。
業者の人が説明していなかった、最初から設定していなかったというそれだけのことですが、これこそ逆転の現象。

善としての必要なお金や収入あるいは相続などのことは目先のこととはいえ、魔の介在もある。
御書のこの中の一節は常に心の中にあります。深い意味は不明のままです。

「法華経の行者をば第六天の魔王の必ず障うべきにて候、十境の中の魔境此れなり魔の習いは善を障えて悪を造らしむるをば悦ぶ事に候、強いて悪を造らざる者をば力及ばずして善を造らしむ又二乗の行をなす物をば・あながちに怨をなして善をすすむるなり、又菩薩の行をなす物をば遮つて二乗の行をすすむ最後に純円の行を一向になす者をば兼別等に堕すなり止観の八等を御らむあるべし。」

自分にとって有難いと思うことが消滅してしまった時、所謂当てにしていたお金の収入がなくなったなどですが、魔が善を障えているんだという観点です。
それを思ったのは27日の朝。
そして、妙法を想い、道行く中にお題目を唱えて答え探しました・・・。
その私の思った魔の働きから勘案して、魔を見方につけるのはやはり妙法だなと。

当然夜の勤行の時、いつものように時間はハッキリ測らないが、30分になんなんとするお題目を唱えていました。
終えて、雑事を終え、仰向けになって夢うつつの中で思ったのが、最近起きた外界の人への働きかけは己心の夢だったなということでした。
しかし、それは間違いなく現実。

これはあくまで私個人の私見であり、妙法に答えがあったとの直接的な表現は出来ないものの、この夢うつつの我が心の織り成す外界への働きかけ(話しかけから始まったこと)は、普段は私は人には決して自身の思う心を話すことはないのにも関わらず、それを話そうとしたそのことですが、それが及ぼす影響があまりにも大きかったことに気付きました。
やはり、まだ私の思う色んなことは話すのを避けるべきだったと気付きました。

今日保険の担当者に会うことになりますが、示された保険のプランを全く読まずにポンポン契約してしまった馬鹿な自分への裁定が下ることとなります。
まぁ、敢えて結果を報告するには至りませんが、信心している身ではこのような異次元的な物の見方をすることが多々あるものなのかと気づいた次第です。


今、日蓮大聖人が南無妙法蓮華経という答えを教えてくださっていることに改めて、ストレートで真摯なお人柄が偲ばれます。
それは、

私が日々思うこと、久遠の妙法に感謝し奉る。久遠の諸天・・、
今こそ40数年に及び、魔が善(私の思う当然あるべき報償への動き)を妨げてきたことを妙法の光明けてみれば、逆にその魔が見方となる働きも当然あってしかるべきではないかということです。
それが仕事を例にとると、製造元の会社員の方からの指摘と適正な機械の制限能力のアップ。これはもう何年も全く行われていなかったことです。
これにより、大幅な改善が図られることとなりました。

私生活においては今日の外交員さんの説明次第で、私の内容を読まずして契約への答えが示されると覚悟出来ました。
私がつまらない夢を見てしまい、外交員さんに惹かれていったことが原因です。
つまり、自分の中に苦悩の原因があったことに気づいたのは他ならぬ妙法を想ってここ2日1日中過ごすこととなったからです。

様々なことで苦しんで魔により善への妨げが次々と起きている今こそ、しっかり妙法を想っていくべきだなと思っている次第です。妙法の光を信じて・・・。

これは自分の為だけなら、あぁつまらない夢を見ていたなで済むことなのですが、現実の中にも自分の心が追い求めて作り出した夢というものがあり、妙法を忘れさせるものに引きずられてはいけないとの警鐘を鳴らす意味もあり、敢えて書きました。
私自身は、御書の中に示されている枝葉末節のことにすら、答えを探そうと焦る必要は何処にもなかったと感じています。

本当は、この魔の妨げが続いている状況から、魔を喜ばせ馬鹿にさせてしまうという思いから、永く書くことはなかったんです。それは今後も続きます・・・。
 

池田先生は日寛教学を支持されているのか? 2/2

 投稿者:ClearSky  投稿日:2017年 7月28日(金)00時39分5秒
  以下、先の投稿の続きです。

「大御本尊の否定」「日蓮本仏の否定」を前提にすれば、文底仏法や日寛教学は排除しなければならない教義になってしまうと思います。
このため、現・教学部や執行部が「日寛教学を見直す」と宣言したことは理解できます(正しいとは思いませんが・・・)。
しかし、先生はそのようなお考えではないと私は認識しています。

その理由として、先生は、「法華経の智慧」でも文底仏法と日寛上人の著作をベースに話を展開されています。
「法華経の智慧」は90年代の著作ですが、これ以降も、先生は日寛上人の文段等を用いてスピーチされています。
実は資料:「第三章 文底仏法と日寛教学」には載せていませんが、先生は2006年~2009年までの期間でも、観心本尊抄文段、当体義抄文段、報恩抄文段、題目抄文段、安国諭愚記を引用されてスピーチされています。また、六巻抄から、依義判文抄、三重秘伝抄を用いて指導されています。

また、2006.12.24全国最高幹部協議会でも、戸田先生が「信心は、日蓮大聖人の時代に還れ!」「教学は、日寛上人の時代に還れ!」と指導されたことを紹介され、引き続き、報恩抄文段を通して「師弟」についてのご指導をされています。
少なくとも2009年までの公のスピーチで先生は日寛上人の法門や教学への姿勢を用いておられた事が確認できます。

以上のことから、私は以下のように考えています。
第一に、先生がご健在の時代(公にスピーチされていた時代)には、日寛教学は否定されていなかった。
第二に、日寛教学は現在の学会において、また、世界広布に於いて邪魔な教義なのでしょうか?私はそうは思いません。
確かに、「仏法と言えば釈迦でしょう」と発言し、仏像を容認しても良いという風潮には日寛教学は邪魔かもしれません。
また、宗門からの完全な独立を目指したいので大御本尊を否定したいなら、日寛教学は排除されるべき理由となるかもしれません。
しかし、世界広布のための仏像容認や大御本尊否定を、「先生は認めておられない」、と私は考えています。
(先生が大御本尊を否定されていないことは、近々資料に纏めて公開したいと考えています)

私の確認できる範囲では(1)先生は日寛教学を否定されていないだけでなく、寧ろ、文底仏法の論拠として積極的に用いておられると考えています。
また、私は、その日寛上人の教義内容に関しても、大聖人の真意に迫る内容であると考えています。
更に「時代的制約」に関しても調べてみましたが、学会教義に於いて制約に当たる可能性というようなものは見出せませんでした(資料:「第三章 文底仏法と日寛教学」)。

では、なぜ現・教学部は日寛教学の見直しを言い出したのでしょうか?
日寛教学の否定(見直し)は、単に「大御本尊の否定」や「仏像容認」に邪魔だからという理由ではないかと想像しています。
幾つかの観点から日寛上人の時代を調べてみましたが、現・教学部の言う「時代的制約」なるものを、私は見出すことができませんでした。
よって(2)日寛教学が否定されるべき教義には当たらないと判断しています。

要は、(1)先生の指導の背景に日寛教学の否定(「日寛教学は通用しない」とのお考え)はあったのか否か、と(2)日寛教学は否定されるべき教義なのか、の二点を考えるべきだと思います。
そして、今回のサンダーバード様の投稿に関しては(1)に関しての議論だと思います。

(補)時代的制約なるものは見出せませんでしたが、唯一、今となっては敢えて触れなくても良いかなと感じだのは、六巻抄の当家三衣抄です。
宗門と決別した現在において、当家三衣抄は直接的に関係しない箇所(法衣、袈裟など)でもあるのかなとの考えも浮かびますが、逆に無理やり排除する必要もないのかなと感じています。

----------------------------------
重複しますが、決してサンダーバード様を非難しているのではありません。
私自身、まだまだ勉強不足です。
自分なりに資料に目を通して考えていますが、限定的な資料なので、視野が狭くなっているのかもしれません。
一生懸命調べてみましたが、また調べてみたからこそ、先生が日寛教学を否定しているとは思えないのです。
また、人法一箇や久遠元初などの概念も、「仏に成る(仏を開く)」ために重要な教義であり、論拠は日寛教学にあると考えています。
私は「教義はどうでもよい」との考えには賛同できません。信仰者・実践者の幸・不幸を大きく左右するからです。
全員が同じように議論する必要はないのかもしれませんが、「行学たへなば仏法はあるべからず」とあるように、仏法に「学」は大事なことだと思います。

先生の御意志を確認しながら、また普遍的な教義を確立・展開する上でも「日寛教学の採否」を考えることは重要だと考えます。
 

池田先生は日寛教学を支持されているのか? 1/2

 投稿者:ClearSky  投稿日:2017年 7月28日(金)00時34分33秒
  螺髪様、一人のSGI様
資料「第三章 文底仏法と日寛教学」を読んで投稿頂き、有難うございます。
コメントを寄せて頂いておりましたのに、お返事が遅くなって申し訳ありませんでした。

----------------------------------
今回、サンダーバード様の投稿の中にありました日寛教学の件で記したいと思います。。
一人のSGI様が既にサンダーバード様に投稿されていますので、その件の追加となります。
特に池田先生の日寛教学に対するお考えに関してです。

サンダーバード様は横浜座談会にて、元・広宣部の方とのお話の中で、ハワイレポートと日寛教学に関してやりとりされたと述べられています。
この中で、先生の日寛教学に関する姿勢に関して言及しておられます。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/72452

いわゆる「日寛教学は通用しない」と「先生も含めて」皆が認識しているとのやり取りがあったとの内容です。
その後の投稿で、より忠実にその状況を説明して下さいました。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/72499

つまり、『先生は「日寛教学は通用しない」と考えられている』とサンダーバード様が考えられ、そのことを元・広宣部の方が追認されたとの主旨です。
このことに関して私の考えを記します。

----------------------------------
今回、私の言いたい事は「先生は日寛教学を見直したほうが良いと考えておられるのか否か」と言う観点です。
私は「先生は日寛教学を見直したほうが良いと考えておられない」と考えています。

2014年の会則の教義条項改定の後、2015年1月の教学部解説で、「日寛教学の見直し」が発表されています。
その見直し内容は発表されていない(と思われる)ので、私は教学部の発表を待っているところです。
特に「日寛教学は時代的制約がある」ので見直すとの事でした。

私は「時代的制約」とか「見直す」対象に関して等、よく分かりませんでしたので、教学部からの発表に先立ち、少し勉強してみました。

日寛教学と言われる内容は、「久遠元初」「人法一箇(人法体一)」「三大秘法(一大秘法・六大秘法)」等々が記されています。
従来の学会教学では当たり前の教義でした。言い換えると、2014年の教義改定以前の学会教学では骨格を成していた教義だと思います。
そして、現在の学会でも堅持すべき内容だと個人的には考えています。
同時に、「先生は現在でも日寛教学は支持」されていると考えています。

(*) 現・教学部が「日寛教学を見直す」と宣言したように、学会員が「日寛教学は修正すべき点があり、見直すべきだ」と考えるのは自由だと考えます。
否、出来るだけ多くの学会員が、一度きちんと考えるべきだと思います。
それは、「御本尊とは」「日蓮大聖人とは」という信仰の根幹を考える事につながるからです。

(*) しかし、『先生が「日寛教学は通用しない」と考えておられるのか否か』は慎重に判断すべきだと思います。

もし、先生が「日寛教学は通用しない」とのお考えであることが分かるような情報・資料があれば、どなたでも構いませんのでお教え頂けると嬉しく思います。
決してサンダーバード様を非難しているのではなく、元・広宣部の方も含め、先生の日寛教学に対するお考えに関する情報をお持ちでしたら、共有させて頂ければと考えております。
 

緊急告知!!!

 投稿者:元京都西京区乃虎メール  投稿日:2017年 7月27日(木)23時52分13秒
  8月10日夜関西のとある所で集まりまっせ。
是非とも参加されたい方はメール下さい。
喫煙者の方と薬物中毒者の方とお酒に酔われる方は周りの迷惑になりますので
参加はお断りします。
いつも私にご意見されてる方は是非とも参加お待ちしてまっせ。
Sayさん地区部長さん、時間があればお待ちしております。
 

同盟題目お

 投稿者:  投稿日:2017年 7月27日(木)23時44分4秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
原田会長、副会長の方々が査問指示で、真面目で誠実な会員さんをイジメません様に
学会職員の方々が無関心でイジメを放置しません様に
おやすみなさい
 

同盟題目は23時に開始です。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 7月27日(木)22時58分30秒
  池田先生、奥様のご健康を祈ります。
よろしくお願い致します。
 

外郭団体総見直しが必要

 投稿者:連絡の局  投稿日:2017年 7月27日(木)22時58分24秒
  会館の設計はオール創造社。新宿のハチヤくん、まだ一線で頑張ってるようですな(^^)実に判りやすいパース図提供乙。だはら、谷ガーの忖度?密命をコスト第一の設計はさすが。ホンカンで弓子さんは師匠からかなり叱咤されてました。生き残りをかけて、余程燃えてるのでしょうね(笑)

大川せーこう元議員の配送屋さんも全く同じ。最近は頻繁に「セーキョウスンブン」(この響きを知ってる方はかなりの事情通!)に広告出してますが、民間からどのくらい仕事貰っているのか甚だ不明。

広告屋のトーコー。これも地方の会員が経営してる企業からのスンブン名刺広告で成り立ってる不思議な代理店です。美味しい仕事は直接、聖教広告支局が一本釣りされてますが、本当に不思議な会社です。一説には地方議員養成部署とも噂されてます。

鳳は昔は繁華街で書店を経営する迄になってましたが今や会館設置の無料給茶機とかで桃色吐息では?たまに方面で出版する特集でなんつうか、会としては茶を濁す存在です。

T亜ブランドで有名な業務用音響機器会社。選挙ではお世話になってますが会館の音響機器やスピーカーは殆どこの会社です。その後のメンテ、保守を請け負うのはアービックとかいう会社でした。職員天下り先で新設された信濃建とかいう会社に吸収合併しましたがね。
 

赤胴鈴之助さま

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2017年 7月27日(木)22時04分28秒
編集済
  ありがとうございます。

私が思ってることは、うまく言葉にまとめられない
ので、この写真を。よろしくお願いします。

なぜ人は宗教をもつようになったのでしょう?
私は宗教の源流をたどってみたいです。


http://imagine-happy-life.tokyo/

 

潮出版社 書店様サイト

 投稿者:ルパン三世  投稿日:2017年 7月27日(木)19時02分51秒
  会員の浄財で赤字経営を続ける潮出版社。

前回、潮出版社ホームページの広告募集サイトについて突っ込ませて頂いたが、今回は潮出版社ホームページトップページ左下にある、書店様専用サイトについて苦言を呈する。

どれほど、潮出版社は書店に対して充実したサポートをしているのか楽しみに開いてみた。

いつ、出版されたか分からないほどの古い出版物のポップ(ダウンロード用)が2枚、注文用チラシ(ダウンロード用)が3枚。

それだけ。
ただ、それだけであった。

私は一度、PCを再起動してもう一度サイトを開いてみたが、結果はポップ2枚、チラシ3枚…。

恐らく、全国に数千店はあるであろう書店の中でこのサイトを2度訪れた者は皆無であろう。

どれくらい更新していないのかは分からないが、やる気がないなら閉鎖すればよいのではないだろうか?
恥をさらしているとしか考えられない。
創業者の顔に泥を塗るような行為と断じる。

前にも言ったがホームページは全世界の人が見れるものだ。
全世界に手抜きを晒してどうするのか?

小事は大事である。
因果具事である。

こんなところからも、潮出版社が赤字経営になっている原因が垣間見れる。

ブログなどのサイトもそうであるが、情報や材料は蓄積してこそ価値が出る。
誰でもわかることだ。

書店様専用サイトにアクセスが少なくても、
ポップやチラシなどを蓄積して工夫していけば利用される可能性は充分ある。

サイトにアップする労力やコストなどたかが知れている。リスクなどほぼない。

当たり前のことを着実にやらないで、組織活動や役職を得るためだけに働いているからこんなこになるのだ。
組織で偉くなりたいだけなら、本部職員に成ればよいのだ。

推察するに、潮出版社も世間の企業にありがちな貧乏くじを引かない立ち回りをする職員が多いのだろう。
正役職者が多すぎて主役バカが多すぎるのだろう。

『こんな仕事は嫌だ』

そんな声が聞こえてきそうだ。

それぞれの部署に出世への王道があり、それ以外の仕事はその道から外れるという、ガバガバの思考が感じられる。

職員一貫となって赤字を脱却する!
先生の創られた会社を護ろう!
使命を果たそう!
という闘魂は感じられない。

潮出版社は早急に第三文明社の傘下になり、
大島光明社長のもと、潮出版社、第三文明社、鳳書院、東西哲学書院が合併して一社になるべきだ。

そもそも、大島光明社長が第三文明社と鳳書院の社長を兼務していることから、学会本部は南社長よりも大島社長の手腕をかっているはずだ。

大島光明社長は総静岡長時代、宗門との攻防戦でも奮闘し、誰もが無理だと思った土地に静岡文化会館を建てた実績がある。それは、静岡駅前の一等地でまずこんな場所に学会の会館を建設しようと思ったら、溢れるほどの抵抗勢力があることは誰でもわかることだ。
それを、大島光明社長は近隣関係者との粘り強い対話で理解を得たのだ。
池田先生からのお褒めの言葉があったことは言うまでもない。

赤字経営にも関わらず、会員の浄財でボーナスをちゃっかり貰い、役員4名誰一人退任せず、責任も棚上げ、そんな無能な素人経営陣より、大島光明社長で複数の会社を統合したほうが遥かに未来は明るい。

学会本部は賢明な判断を。
学会本部は定期的な点検を。


次回予告
男女雇用均等法と潮出版社
 

虹の戦士さま、戦争を知らない子供たちを読ませていただきました。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 7月27日(木)18時17分27秒
  虹の戦士さま、戦争を知らない子供たちを読ませていただきました。

私の思いは一つです、池田思想の世界流布!!

そのために、御本尊をどのように世界へ紹介して行けるのか・・・。

私は日本しか知りません、英語も理解できません。

それを、解決していくために私が何ができるのかを思索しています。

虹の戦士さま、のブログに御書の読み上げとか、先生の講義の

読み上げを投稿してはどうかと思案しています。

御書の読み上げは、日本だけでいいのかなと言う思いもあります。

Google翻訳で、池田先生の指導を英語に変換できるのは素晴らしいことです。

Google活用辞典で勉強を始めたところですが、・・・・



松戸さんの「凡夫即身成仏論」が来ました。

まずは、これを読んで、池田思想をグローバルな思想として

広めていけるのかを、松戸氏の考えを探りたいと思っています。


桜の城(池田先生著作)より 引用・抜粋
*
燦然たる栄位を
私は夢みていない
下積みの人たちの友となって
光り輝く人間勝利の
平等社会を創ることが
私の信仰なのだ
*
僕はあの山を登攀することを
目指したのだ
そのために一日一日の足場を
がっちりと据えながら進む
現実を軽視することは
遭難を意味すると
知るが故に信仰に励むのだ

このような池田思想が世界の民衆に受け入れられるのか・・・

私には、想像できません。
 

職員が皆様を狙っています

 投稿者:信濃町のネット対策チームの対策  投稿日:2017年 7月27日(木)17時15分47秒
  信濃町のネット対策チームの対策です。

安全保障関連法案に反対した会員さんが「査問、役職解任、悪名流布」されています。

また「処分された方」の周辺にも職員から「心配だから」と「味方のフリ」をして聞き込みが入っています。

どなたかも掲示板で指摘されていましたが、敵は「味方のフリ」をして狙ってくると御書に書かれています。

佐渡御書957ページ
本文
親しみより破るべし

通解
親しいフリをして狙ってくる。

また掲示板上では特に気をつけなくてはなりません。
職員はインターネットの書き込みを収集して分析し、個人を特定した事例もあります。
 

安保法案、共謀罪を破棄せよ

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年 7月27日(木)12時01分44秒
編集済
  安倍チルドレンで元スピードの今井議員、不倫疑惑で世間を騒がせている。
議員になって、まだ1年ぐらいか?

よくもこれだけ、次から次へと出てくるものだ。
安倍内閣の支持率は更に落ちて、危険水域どころか、沈没水域に突入するのは確実だ。

陸上自衛隊のトップが辞任。
稲田大臣はどうするのだ? 部下だけ辞任させて自分はそのままか?  典型的な トカゲのシッポ切り だな。

陸上自衛隊が怒るのはよく分かる。今回の日報問題は、2・26事件などとは本質的に違う。もっと怒ってもいい。

自衛隊はそもそも、日本の国土を守る為だけに、命を懸け戦う存在。
本来交戦権さえ持っていないが、現実的な方便として、多くの国民も自衛戦争だけは認めている。

南スーダンへ、PKOとして行くだけならまだしもだが、駆け付け警護までやれという事になると、話は全然違って来る。
相手はテロ集団などではない。実質的には南スーダン政府軍や反政府軍だ。戦車まで出して来るような敵と、どうやって戦えというのだ。犬死にしろと言うのか?

それでも駆け付け警護をやれと言うのなら、その前にPKOを続けるか辞めるかという、根本的議論が必要になる。
安保法案が成立しているという理由だけで、そういう手続きをすっ飛ばしていい訳がない。

しかしまったく、安倍自公政権は、本っ当にロクでもない法案を成立させたものだ。
その自公を支援する創価学会と創価学会員は、自分がいったい何をしているのかを、正しく認識しなければならない。
師匠の平和主義をぶち壊しているのだ。

共謀罪と安保法案の破棄。次の政権には、必ず公約として掲げてもらいたい。
世界唯一の平和憲法、時流に反してでも守れば、いずれは尊敬される。

安倍政権は、トットと消え失せろ。


P.S.  稲田法相、辞任するようだ。当然の事だが、与党としては結局、最悪のタイミングを自ら選
                 ぶことになった。
                 遅すぎだが、自業自得。もう運にも見放されている。

 

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