もしもピアノが弾けたなら。
2016.09.30.14:22
よく私のブログに訪れて頂いている方に別府葉子さんがある、関西方面にお住みでプロのシャンソン歌手、ブログ記事によればフランスにも留学されてそうでギターであちこちで演奏活動をされている、彼女は私とは思想信条が異なるが、私は彼女の歌が大好きである、特に言えば彼女が作詞作曲した6月の雨、この曲が大好き、この曲、なくなられた母上の思い出を題材にされたそうだが何故かこの曲を聴くと涙が出てくる。
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彼女のブログ、別府葉子公式ブログ 葉子通信、で検索すれば出てくる。
人には色んな才能がある、残念ながら神様は私には何の才能も授けてはくれなかった。
私の母方の祖父はXX秋月と言って尺八の名人で沢山の弟子を抱えていたらしい、所持していた尺八も名人に相応しいものだったらしいが、戦後のドサクサで四散したらしい、
音楽的才能は遺伝するのか、それについてはよく分からないが、私の妹は琴の師範でピアノも弾く、その娘である私の二人の姪も共に音楽大学を出て専攻はバイオリン、チェロ、そして私の弟は独学で6年間も中国の楽器、二胡を学び、あちこち老人ホームを慰問演奏していると聞いた。
カナダにやって来た時も、その二胡をもってきて日系の老人ホームで演奏をしてお年寄りたちに喜んでもらっていた。
私は自分には無い才能、例えば文才とか、あまり頓着はしないが、ただ音楽に関してだけはこのような才能をもっていられる方には羨望を覚える、
そこでタイトルの話に戻るが、もしも私がピアノを弾けたなら、もしかして私の人生も変わっていたかもしれない、
まあ、そんな事はない、そう思うが、これは私の姪たちの大学卒業しての生き方というか、それを見ていて思った事だが、ある意味音楽の世界で飯を食えるのは難しいらしい、多くの音楽大学卒業生がその道では喰っていけないらしい。
でも音楽の世界で仮に成功しなくとも、譜面が読める、ピアノが弾ける、ギターが弾ける、素敵な歌が歌える、そのような才能を持つ方に私は憧れる。、
その昔、青山に外人がよく集まるのピアノバーがあった、専属の弾き語り歌手がいたが、その歌手が休憩中は、客が好きで歌っていい時間があった、そんな時間にある初老の日本人客が、ちょっと失礼といってピアノの弾き語りでバラードを歌い始めた、最初は誰も聞いてはいなかったが、その内、シーンとなりその客の歌に聞き入っていた。
又、ある時、フィリピンのマニラホテルのホテルバー、このバー、ちょっとしたステージがあってホテル専属歌手が歌ったり、3人編成のトリオでジャズや往年のポップスなんかをやったりしていたが、これもある晩、ホテルの泊まり客がちょっと参加させてと言ってピアノでジャズを弾き始めた、初老の白人男性、演奏終了後、バンドの面々やそこに集まっていたホテル滞在客からやんやの喝采を浴びていた。
今でも憶えているが、素敵で恰好良かった、私はその時、何か自分にもこのように楽器が弾ける才能があれば良かったな、そう思ったが、、、
私は音楽的才能はないが、音楽を聴くのは好きである、日本の演歌も好きだし、黒人音楽やポップス、ジャズ、アカペラ、バラード、何でも聞くが、唯一嫌いなものがある、それはラップ、ヒップホップというジャンル、このジャンル、まだ黒人がやっている分にはいいが、日本のチンピラあんちゃんが馬鹿ズラをこいてイエ―なんてやっているのを見るとこいつは阿呆か、本当にそう思う。
下らない話だが、私は三味線が弾ける、ただし口三味線という、この話分かる人には分かるが、その昔、よく麻雀をやっていて使っていた。意味は全く音楽とは関係ない(笑い)
今更遅いが、もしもピアノが弾けたなら、どうなっていたか、、、、、どうにもなってはいない、、、、、、そうかもしれぬ(笑い)
彼女のブログ、別府葉子公式ブログ 葉子通信、で検索すれば出てくる。
人には色んな才能がある、残念ながら神様は私には何の才能も授けてはくれなかった。
私の母方の祖父はXX秋月と言って尺八の名人で沢山の弟子を抱えていたらしい、所持していた尺八も名人に相応しいものだったらしいが、戦後のドサクサで四散したらしい、
音楽的才能は遺伝するのか、それについてはよく分からないが、私の妹は琴の師範でピアノも弾く、その娘である私の二人の姪も共に音楽大学を出て専攻はバイオリン、チェロ、そして私の弟は独学で6年間も中国の楽器、二胡を学び、あちこち老人ホームを慰問演奏していると聞いた。
カナダにやって来た時も、その二胡をもってきて日系の老人ホームで演奏をしてお年寄りたちに喜んでもらっていた。
私は自分には無い才能、例えば文才とか、あまり頓着はしないが、ただ音楽に関してだけはこのような才能をもっていられる方には羨望を覚える、
そこでタイトルの話に戻るが、もしも私がピアノを弾けたなら、もしかして私の人生も変わっていたかもしれない、
まあ、そんな事はない、そう思うが、これは私の姪たちの大学卒業しての生き方というか、それを見ていて思った事だが、ある意味音楽の世界で飯を食えるのは難しいらしい、多くの音楽大学卒業生がその道では喰っていけないらしい。
でも音楽の世界で仮に成功しなくとも、譜面が読める、ピアノが弾ける、ギターが弾ける、素敵な歌が歌える、そのような才能を持つ方に私は憧れる。、
その昔、青山に外人がよく集まるのピアノバーがあった、専属の弾き語り歌手がいたが、その歌手が休憩中は、客が好きで歌っていい時間があった、そんな時間にある初老の日本人客が、ちょっと失礼といってピアノの弾き語りでバラードを歌い始めた、最初は誰も聞いてはいなかったが、その内、シーンとなりその客の歌に聞き入っていた。
又、ある時、フィリピンのマニラホテルのホテルバー、このバー、ちょっとしたステージがあってホテル専属歌手が歌ったり、3人編成のトリオでジャズや往年のポップスなんかをやったりしていたが、これもある晩、ホテルの泊まり客がちょっと参加させてと言ってピアノでジャズを弾き始めた、初老の白人男性、演奏終了後、バンドの面々やそこに集まっていたホテル滞在客からやんやの喝采を浴びていた。
今でも憶えているが、素敵で恰好良かった、私はその時、何か自分にもこのように楽器が弾ける才能があれば良かったな、そう思ったが、、、
私は音楽的才能はないが、音楽を聴くのは好きである、日本の演歌も好きだし、黒人音楽やポップス、ジャズ、アカペラ、バラード、何でも聞くが、唯一嫌いなものがある、それはラップ、ヒップホップというジャンル、このジャンル、まだ黒人がやっている分にはいいが、日本のチンピラあんちゃんが馬鹿ズラをこいてイエ―なんてやっているのを見るとこいつは阿呆か、本当にそう思う。
下らない話だが、私は三味線が弾ける、ただし口三味線という、この話分かる人には分かるが、その昔、よく麻雀をやっていて使っていた。意味は全く音楽とは関係ない(笑い)
今更遅いが、もしもピアノが弾けたなら、どうなっていたか、、、、、どうにもなってはいない、、、、、、そうかもしれぬ(笑い)
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