農場の前に着くと、宮崎県・都城家畜保健衛生所の獣医師、谷口岳(43)は新しい防護服に着替え、長靴を消毒した。入り口には白い石灰がまかれ、「家畜伝染病予防のため立ち入り禁止」の札が立っている。
2010年4月、宮崎県で家畜伝染病の口蹄疫(こうていえき)が発生。約2カ月の間に、県内の牛や豚計約30万頭を殺処分した。谷口は農家をまわり、衛生対策の手だてを説明して歩いている。
「口蹄疫の牛のよだれはどれぐらい出るの」。被害に苦しんだ宮崎でも、実際に病気の牛を見ていない農家からはこんな質問をうける。「泡ぶくのよだれで地面がびっしょりになる。舌がただれて、引っぱったら皮がズルッとむけた牛もいました」
谷口は口蹄疫が終息した10年7月まで、県内の発生農場に泊まり込んだ。発症していない周辺の家畜にもワクチンを打ち、殺処分しなければならなかった。「あの犠牲があったからこそ、被害を県外に広げずに済んだ」と思う。
ただ、発生原因はいまも特定できていない。県の検証では、広範囲な消毒ポイント設置や道路封鎖の要望に県が応えなかった、近隣国の口蹄疫発生に危機意識がなかった、といった課題も挙げられた。
県畜産・口蹄疫復興対策局の宮本篤は「人手が足りなかった」という。全国有数の畜産県ながら、農家の防疫対策を担う家畜保健衛生所の獣医師は48人で、1人あたりの家畜数は全国最多。だが県は当初、県職員だけで殺処分などに対応しようとし、地元の民間獣医師を十分活用できなかった。
県内外の獣医師に応援を呼びかけたのは発生から4日後。公務員を中心に県外から1148人の獣医師が宮崎に集められた。だが、初期に駆けつけた中には、牛や豚の診療に不慣れな獣医師が多くいたという。
5月20日から約40日間、宮崎県川南町で口蹄疫の牛の殺処分にかかわった地元の獣医師、小嶋聖(41)は、家畜に接した経験がほとんどない獣医師を現場で何度も見た。「牛の静脈を見つけられなかったり、うまく注射ができず、やり直さなければならなかったりした。最初から家畜の扱いを熟知した獣医師が集められていたら、被害拡大は防げたのではないか」
特に、豚は皮下脂肪が厚く、血管を見つけにくいため、経験を積んだ獣医師でないと扱いは難しい。普段から家畜を診ている小嶋も、豚への静脈注射はしたことがなかった。口蹄疫が終息した後、家畜保健衛生所の獣医師に教わり、何度も練習して扱いを覚えた。
「各自治体の公務員獣医師も、いざという時に備えて家畜診療の訓練をしておくべきだ」と小嶋は思う。
もう一つ、小嶋が必要だと感じたのが、協力する獣医師への補償制度だ。現在は日当しか支払われない。だが、作業後も1週間は、感染を防ぐため動物に触れられず、民間獣医師は個人病院をしばらく休診せざるをえない。休診期間まで補償すれば人が集まるはずだ、と思う。
宮崎県は、県獣医師会や農業共済の協力を得て、獣医師の登録に着手したところだ。必要な時に県の家畜防疫員に任命し、日当を支払って業務をしてもらう。
こうした対応は各都道府県に一任されているが、口蹄疫などの問題は、どこでも起こりうる。小嶋は「国をあげて制度整備が必要ではないか」と話す。
(鈴木暁子)
(文中敬称略)