小菅ヒルズは地上12階建ての拘置所である。女子は生活のすべてが☆で営まれている。
今週ある人が1階の窓口で2回差し入れをした。私はその翌日☆階の居室で受領指印を押した。毎週差入願箋の筆跡を見ては涙ぐみ、面会申込は不許可として追い払った所長を呪い殺してやろうと思う。泣きながら窓の方へ観葉植物を見に行く。座布団から鉢まで5歩だ。
ふと空を見上げると建物の最上階も目に入る。☆階と12階の窓からでは見える景色も違うだろう。私の親族はタワマンの12階に住んでいる者が多い。今日届いた差入願箋を見て気付いたのだが、住所の末尾がほとんど同じ。こんな偶然あるだろうか。
外部交通権のない人に親族がシナプスになれるのは秋かな。「官僚たちの夏」の結末は冬。それまでには何とかする。豊島区と中央区は全滅だから、品川か渋谷のどちらかになると思う。
長い目で見てください、、、、、と小松政夫みたいなことも言いたくなる。なにしろチョギな所長が眠たいことやってんだから。
こんな男は包茎のEDの性病野郎に違いないんだ。所長裁量で嫌がらせするしか楽しみがないんだろ。ヒアリに刺されてしまえ。所長のチンポは腐ってる~。ル・ル・ル~。下半身も脳味噌も腐ってる~。ル・ル・ル~。
下半身で思い出したことがある。日本一有名な砲弾を発射している編集長のことだ。ライバル誌の中吊り広告不法入手問題記事で、私は6月に初めて文春編集長の下半身の写真を見た。パンツの裾をロールアップして足首が出ているではないか。もしかしてシューズインソックスとかいう靴下をはいているのだろうか。素足だろうか。私は裸足のメンズファッションはおシャレと認めない。いずれにせよ、足元がチャラい。この軽さと明るさが文春だ。
あの広告盗み見問題で嘘をつき逃げていることがとても残念だが、やはり文春は面白い。実は、週刊文春の送本をしてくれた人宛てへの御礼状発信を許可する、と告知されたばかりでたる。これは異例のこと。確定者処遇に入ってから差し入れられた文春に対する御礼の手紙を出しても良いという決定だ。週間新潮はダメだってよ!
私は電報で、これまでどうも有難うと伝えておいたのに、確定後も文春を送り続けてくれていたことを知り間道した。5月30日に扉が閉じても書類の動きがピタリと同時に止まるわけではないため、その後も差し入れ品が交付され続けたのだ。その中に文春があった。南欧風の陶器の水差しにいけられた花々の表紙。和田誠さんのイラストだ。
私は5月30~31日の丸2日間、この文春1冊しかない部屋で過ごすことを強いられた。30日の朝、確定者処遇の告知を受けている間に、私の部屋からすべての物が持ち去られていた。警察のガサも真っ青な手際だ。そして、お引っ越し。無断で、本人が見ていない所で私物の検査をされる怖さと気味悪さといったら鳥肌が立つ。
想像してみてほしい。帰宅してドアを開けたらがらんどうの家。外からしかドアが開かない、外に出られない監禁状態の2日間。人権なんてありません。牢屋だからね。物がなけれは監獄というより檻ですよ。部屋にあった自分の所有物が戻ってくるかも判然とせず、外部と一切の連絡を絶たれた2日間。
そこにあるのは1冊の文春だけ。朝から晩まで文春を読みますよね。おのずとそうなります。
私は文春と新潮だけは何重にも保険をかけて、同じ号が何冊も届くことを承知で方々に手配していたのです。その情況で届けられた1冊の文春を涙なしに読めますか。無理です。滂沱です。
しかし文春誌面ではカンニング事件に一切触れていないことにモヤモヤする。編集長のコメントを読みたくて、獄中者がわざわざ文春オンラインのプリントを取り寄せるほどの関心事なのに、読者の疑問に応えてくれないままだ。スクープスクープって言うけれど、特集なくても連載だけで文春は新潮を凌駕しているんだからさ。ごめんなさいって言えばスッキリするのにね。残念だな。きっと、ごめんなさいって言っちゃいけない大人の事情があるんだろうな。ルールやモラルよりそれを守らなくちゃいけないとなれば、ジャーナリズムは成立するのだろうか。今後も目が離せないな。
自分自身に嘘をつくっていうのが一番辛いと感じるのが真っ当な人間だと思う。そこへ行くと、東拘所長は腐れのカスなので平気で嘘をつき辛いとも感じない。トップから看守まですべてがそういう体質であると本日判明した。
5日に発信申請した手紙に係る領収書が届かないので再三確認していたところ、「もう出てる」と連日言われ、訝しんでいたのだが、14日現在その手紙はまだ東拘にあることが分かった。
「もう出てる」は嘘だった。検査の都合上だの正規の手続きだのと言い訳をされた。出てると嘘をついたことは謝らない。ぶ厚いというか、太いというか、凄い心臓だ。
私も見習おう!
今週ある人が1階の窓口で2回差し入れをした。私はその翌日☆階の居室で受領指印を押した。毎週差入願箋の筆跡を見ては涙ぐみ、面会申込は不許可として追い払った所長を呪い殺してやろうと思う。泣きながら窓の方へ観葉植物を見に行く。座布団から鉢まで5歩だ。
ふと空を見上げると建物の最上階も目に入る。☆階と12階の窓からでは見える景色も違うだろう。私の親族はタワマンの12階に住んでいる者が多い。今日届いた差入願箋を見て気付いたのだが、住所の末尾がほとんど同じ。こんな偶然あるだろうか。
外部交通権のない人に親族がシナプスになれるのは秋かな。「官僚たちの夏」の結末は冬。それまでには何とかする。豊島区と中央区は全滅だから、品川か渋谷のどちらかになると思う。
長い目で見てください、、、、、と小松政夫みたいなことも言いたくなる。なにしろチョギな所長が眠たいことやってんだから。
こんな男は包茎のEDの性病野郎に違いないんだ。所長裁量で嫌がらせするしか楽しみがないんだろ。ヒアリに刺されてしまえ。所長のチンポは腐ってる~。ル・ル・ル~。下半身も脳味噌も腐ってる~。ル・ル・ル~。
下半身で思い出したことがある。日本一有名な砲弾を発射している編集長のことだ。ライバル誌の中吊り広告不法入手問題記事で、私は6月に初めて文春編集長の下半身の写真を見た。パンツの裾をロールアップして足首が出ているではないか。もしかしてシューズインソックスとかいう靴下をはいているのだろうか。素足だろうか。私は裸足のメンズファッションはおシャレと認めない。いずれにせよ、足元がチャラい。この軽さと明るさが文春だ。
あの広告盗み見問題で嘘をつき逃げていることがとても残念だが、やはり文春は面白い。実は、週刊文春の送本をしてくれた人宛てへの御礼状発信を許可する、と告知されたばかりでたる。これは異例のこと。確定者処遇に入ってから差し入れられた文春に対する御礼の手紙を出しても良いという決定だ。週間新潮はダメだってよ!
私は電報で、これまでどうも有難うと伝えておいたのに、確定後も文春を送り続けてくれていたことを知り間道した。5月30日に扉が閉じても書類の動きがピタリと同時に止まるわけではないため、その後も差し入れ品が交付され続けたのだ。その中に文春があった。南欧風の陶器の水差しにいけられた花々の表紙。和田誠さんのイラストだ。
私は5月30~31日の丸2日間、この文春1冊しかない部屋で過ごすことを強いられた。30日の朝、確定者処遇の告知を受けている間に、私の部屋からすべての物が持ち去られていた。警察のガサも真っ青な手際だ。そして、お引っ越し。無断で、本人が見ていない所で私物の検査をされる怖さと気味悪さといったら鳥肌が立つ。
想像してみてほしい。帰宅してドアを開けたらがらんどうの家。外からしかドアが開かない、外に出られない監禁状態の2日間。人権なんてありません。牢屋だからね。物がなけれは監獄というより檻ですよ。部屋にあった自分の所有物が戻ってくるかも判然とせず、外部と一切の連絡を絶たれた2日間。
そこにあるのは1冊の文春だけ。朝から晩まで文春を読みますよね。おのずとそうなります。
私は文春と新潮だけは何重にも保険をかけて、同じ号が何冊も届くことを承知で方々に手配していたのです。その情況で届けられた1冊の文春を涙なしに読めますか。無理です。滂沱です。
しかし文春誌面ではカンニング事件に一切触れていないことにモヤモヤする。編集長のコメントを読みたくて、獄中者がわざわざ文春オンラインのプリントを取り寄せるほどの関心事なのに、読者の疑問に応えてくれないままだ。スクープスクープって言うけれど、特集なくても連載だけで文春は新潮を凌駕しているんだからさ。ごめんなさいって言えばスッキリするのにね。残念だな。きっと、ごめんなさいって言っちゃいけない大人の事情があるんだろうな。ルールやモラルよりそれを守らなくちゃいけないとなれば、ジャーナリズムは成立するのだろうか。今後も目が離せないな。
自分自身に嘘をつくっていうのが一番辛いと感じるのが真っ当な人間だと思う。そこへ行くと、東拘所長は腐れのカスなので平気で嘘をつき辛いとも感じない。トップから看守まですべてがそういう体質であると本日判明した。
5日に発信申請した手紙に係る領収書が届かないので再三確認していたところ、「もう出てる」と連日言われ、訝しんでいたのだが、14日現在その手紙はまだ東拘にあることが分かった。
「もう出てる」は嘘だった。検査の都合上だの正規の手続きだのと言い訳をされた。出てると嘘をついたことは謝らない。ぶ厚いというか、太いというか、凄い心臓だ。
私も見習おう!