豊臣秀吉の朝鮮侵略、朝鮮では壬辰倭乱、丁酉倭乱と呼んでいますが、明国征服の妄想に狂った秀吉が仕掛けた、無名の師であり、日本側が全面的に悪い戦争であったというのが常識になっています。
韓国に関する歴史はなんでも歪めたいネトウヨは、この酷い理由のない侵略戦争に対しても、壬辰倭乱、丁酉倭乱は元寇の仕返しだから良いのだ、元寇によって対馬や壱岐の住民がどんなに酷い目に遭ったか知っているのか、手の平に穴を開けられて縄を通されて船から吊るされたのだぞ、その仕返しをやって何故悪い、やって当然ではないかなどと言っています。
弘安の役が1281年で、壬辰倭乱が1592年ですから、311年も間があるから仕返しは成立しないと指摘をすると、韓国は1000年も恨み続けると言っているのだから、311年くらいは短いものだから元寇の仕返しでよいとします。
元寇は、モンゴル人のフビライの強い意志で行われたものであり、動員された高麗は被害者であるから、仕返しというのであればモンゴルに行ってやってこなければ筋が通らないと指摘すると、モンゴルには日本征服の意志は無かったのだ、高麗は反日国家だから日本の征服を狙っていて、日本への侵攻を元に対して指示したのである、反日は韓国の人間の生まれ持った性質だからこれは絶対に間違いないとネトウヨは主張します。
長い冊封体制のなかでは元の時代は例外的に、軍事的に高麗が服属したものであり、元の強い支配を受けていました、高麗の要求に従って元が出兵するなどといったことはあり得ません、どこまでもフビライの意志で兵を出しています。
豊臣秀吉の朝鮮侵略を正当化するために、元寇の歴史さえ書き換えてしまう、ネトウヨのによる歴史改竄は容易ならぬレベルに至っているといえます。