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第十五章『死に至る罪』

【6】

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 大地を震わせる轟音。それは王城の門や訓練場などにも響き渡った。そして、それに呼応するように、城の各地で異変が起こり始める。
 どこからともなく、モンスターが姿を現したのだ。レベルこそ低かったものの、まさかの事態に兵士たちの間に混乱が広がっていく。兵士たちの耳朶を打った轟音は、まるで何かの合図だったようだ。

「一体何が起こっている……?」

 モンスターが出現したのは、ルクスリア討伐命令が出たと聞いたシーリーンが詰め所で詳しい話を聞いている最中のこと。シーリーンが詰め所を飛び出せば、モンスターから逃げる兵士と立ち向かう兵士とで訓練場は混沌の坩堝と化していた。

「なんだこれは!?」

 仮にも訓練を積んだ兵士である。突然モンスターが出たといっても、あまりにひどい対応だった。

「臆するな! 盾持ちは前に出て攻撃を防げ! 槍を持つものは距離をとって牽制! モンスターの数は少ない。1体のモンスターに複数で当たれ!」

 味方を鼓舞する補助スキル【烈喝】を使いながら、シーリーンは大声で指示を出す。部隊長すら混乱している状況だ。指示系統など気にしていられない。
 シーリーンの一喝を受けた兵士たちは、今までの混乱が嘘のように的確にモンスターへ対処している。それを見たシーリーンは、兵士たちに何かが作用していると気付いた。

「兵たちの間で情報が錯綜していたのもそのせいか?」
「まさにその通りという状況ですな」

 シーリーンの独り言に応える声があった。

「カッシュ殿か」
「は、ナクリともども、シーリーン殿に話を聞いて来いとファガル殿に命令を受け参上しました」

 カッシュは城内の様子がおかしいことや、ファガルが王の元へ向かったことなど集まっている情報をシーリーンに伝える。

「シーリーン殿は正気のようで助かりました」
「いや、気付かなかった以上何も影響を受けていないとはいえないのだろう。ルクスリア殿を討伐するという命令はさきほど聞いたが、兵たちが騒いでいるのに気付かないのもおかしい。そもそも悪魔討伐などそう簡単に出来るものではないというのに」

 シーリーンはアワリティアとの戦いを思い出して眉根を寄せた。当時のことを思い出し、一本の槍を具現化する。シンから借りたままの聖槍『ギルディーン』だ。

「見たことのない槍ですな。随分と凝った装飾をされている」
「…………」
「シーリーン殿?」

 『ギルディーン』を具現化した途端、シーリーンは目を見開いて動きを止めた。それを不審に思ったカッシュが声をかけると、はっと我を取り戻したようにシーリーンが声を上げた。

「いかん!! 私は、なんと言う失態を!?」

 『ギルディーン』は対悪魔用の聖槍。それゆえに、悪魔から持ち手への悪意あるもの全てを防御、無効化する効果がある。悪魔の強さによっては効果を弱める程度で終わることもあるが、シーリーンの持つ『ギルディーン』はシンの手によって強化されている。その能力はデフォルト状態の『ギルディーン』の数段上をいく。その強化された能力によって、本体ほどの力を持たない分身のかけたシーリーンへの記憶改竄が解除されたのだ。
 シーリーンの脳内で、ヒラミーと交わした会話が蘇る。まだ討伐されていないアワリティア。残っている分身。そして、ナムサールを操る存在。

「カッシュ殿、ナクリ殿。貴殿らは私の部下とともにモンスターの対処を頼む。おそらく、混乱はまだ続く。それと、ナムサール殿の命令には従うな」

 ナムサールは近衛隊長だ。城の中ならば出入りが制限される場所はほとんどない。モンスターが現れたこともナムサールの、否、ナムサールを操る者の仕業だろうとシーリーンは考えた。
 しかし、それを今全て話している時間はない。今の今まで表に出ずに潜んでいた存在が、ここに来て動いたのだ。先ほどの轟音も気になったが、それよりも優先すべきものがある。
 それは、王の安全だ。近衛隊長が操られ、王が死んだとなれば国中が混乱する。もはや収拾はつかないだろう。ただでさえモンスターが城の中に現れて混乱しているのだ。悪魔にとっては絶好の機会。混乱に乗じてアワリティアはルクスリアを討つつもりだろうとシーリーンは予想する。

「あれが街の中に現れたら、いくらシン殿でも……」

 実際に分身と戦ったことのあるシーリーンだからこそ、現状がとてつもなく悪いことが理解できてしまう。

「シーリーン様。何が起こっているか、わかるのですか?」
「ああ、だがすまぬ。今は説明している時間がない。一刻も早くこの状況を収拾し、住民を非難させる必要がある。これは予想だが、もう街の中に悪魔が入り込んでいると私は思っている。私とシン殿が倒したのは、分身なのだ。この城の中にも1体いるだろう」
「そりゃ、ほんとですかい!?」
「なんてこと……」

 シーリーンの言葉に、2人は驚きを隠せない。

「あの悪魔は周囲に人がいればいるほど厄介になる。城と学院の周辺から少しでも早く人、いや、生きているもの全てを退去させなければ」

 そう口にするシーリーンだが、内心は不可能だろうと思っていた。そんな時間も人員も、今のエルクントにはない。

「私は王の下へ行く。おそらく、ファガル殿が戦っているはずだ。すまないが、ここは任せる。可能ならば、住民の避難をさせてくれ」

 矢継ぎ早に指示を出し、シーリーンは城内を駆ける。向かう先は、王がいるであろう執務室だ。


 ◆


 王城で勇者たちが動き出したのと時を同じくして、学院にも異変に気付いた者がいた。
 アワリティアと同じ罪源の悪魔、ルクスリアだ。

「ッ!? 嘘でしょ……」

 まだ余裕があったはずのアワリティア本体との距離。それが、唐突に0になっていた。エルクント外壁のすぐ傍に、気配が一瞬で移動したのだ。

「ルクスリアさん? どうかしたんですか?」

 突然立ち上がってどこかを見つめるルクスリアに、ヒラミーが声をかける。しかし、それに答えている余裕はルクスリアにはなかった。
 一刻も早くシンたちに知らせなければと、メッセージカードを取り出して文字を書き込んでいく。

「送信! ヒラミー、たぶん、もうすぐここにアワリティアが向かってくるわ。生徒を非難させて!」

 メッセージを送ると、ルクスリアは困惑気味のヒラミーに現状でわかっていることを告げた。話の途中で響いた轟音が、ルクスリアの言葉を裏付ける。

「いくらなんでも、早すぎませんか? 数日分の距離を一瞬でなんて、転移でもしないと……って、まさか」

 アワリティアの異常ともいえる移動方法。それを可能とする手段を考えたヒラミーは、さしたる時間も要せず、シンやシュニーと同じ結論に至った。そこは転移を日常的に使っていたプレイヤーだからこそだろう。

「悪魔がプレイヤーの技術を使う、か。まあ、私も似たようなことをしているけれど」

 ヒラミーの話を聞いて、ルクスリアはなんとも言えない表情を浮かべる。
 学院には、シンお手製の対悪魔トラップが満載だ。自身に効果を及ぼさないように使える対悪魔用アイテムも譲り受けているので、ルクスリアも同じようなものといえなくもない。

「さぁ、いつまで驚いてないで生徒のところへお行きなさいな。たぶんアワリティアはここに来るから。私は残って囮になるわ」

 突然移動したことには驚いたルクスリアだったが、アワリティアの気配自体は今も感じている。まっすぐに向かってきてはいない。しかし、遠回りしつつも着実に近づいてくる気配は間違いなくアワリティアのものだ。

「囮なんて言い方しないでください」
「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない」

 重苦しい雰囲気を出さないように茶目っ気を出して話すルクスリアに、ヒラミーは真剣な顔で言った。

「以前は警戒していましたけど、今はもうあなたも立派な学院の仲間です。これからも一緒に学院を盛りたてていくんですから、強欲なんかに吸収されたら承知しませんからね!!」
「安心なさい。そんな気は元からないわ」

 心配ない。そう思いを込めて、ルクスリアはヒラミーを見送った。

「ほんと、嬉しいこと言ってくれるんだから……」

 離れていく気配を感じながら、ルクスリアは閉じられた扉に向かってそうつぶやいた。
 悪魔にとって、人は己の欲する欲望を吐き出し続ける家畜に過ぎない。飼うか殺すかは悪魔次第。それが、本来のあり方だ。
 だというのに、ルクスリアの胸中に生まれたのは自らの業とはかけ離れた思いだった。

「おかしいわね。私は、悪魔のはずなのに」

 そう言いながら、ルクスリアはメッセージカードと同じように胸元からするりとカードを取り出す。描かれた絵は、人の形をしたヘドロのような何かが、光玉から放たれる光によって掻き消されていく場面。
 シンからは、使うならアワリティアを盾にしろといわれた対悪魔用アイテムの中でも飛び切りの代物だ。

「一歩間違うと自爆だから、出来れば使いたくなかったのだけれど。いざって時は仕方ない。そう思っちゃうのはなぜかしら」

 一歩間違えば自身は吹き飛ばしかねないアイテムを見つめながら、ルクスリアは自問する。悪魔にあるまじき考えと行動の数々。それが一体何なのか。ルクスリアにはわからなかった。
 しかし、今その答えを探している時間はない。間違えようもない気配が、学院の敷地内に入ってきたのを感じ取っているからだ。
 学院の敷地を囲む壁を破壊したのだろう。アワリティアの気配に続いて、モンスターの気配も雪崩込んでくるのがルクスリアにはわかった。

「ヒラミーたちは、大丈夫みたいね」

 もともと逃げることを想定していただけに、ヒラミーの行動は早かった。すでに転移を発動させたようで、学院の中にはもうルクスリアしかいない。
 アワリティアもルクスリアの気配を察知しているようで、まっすぐに、それこそ建物もお構いなしに進んできていた。
 ルクスリアは動かない。アワリティア側からすれば逃げずに立ち向かおうとしているか、観念してとどまっているように思えるだろう。しかし、当然そんなことはない。ルクスリアはヒラミーに自分を囮にするといったが、それはヒラミーたちを逃がす為に時間稼ぎであると同時に、アワリティアをトラップに誘い込むためのものでもあるのだ。

「悪魔同士は同レベルなら相性の良し悪しはあっても、決定的な優劣はない。今は向こうが上だけど、馬鹿正直に真正面から戦う理由なんてないわよね」

 ルクスリアの耳に、建物が崩れるのとは違う音が聞こえ始める。アワリティアが、シンの仕掛けたトラップゾーンに突っ込んだのだ。ルクスリアと同じように、アワリティアとて対悪魔用のトラップの存在くらいは知っているだろう。記憶どおりならば、ダメージは負うが悪魔からすればそれほどの脅威ではない。
 しかし、シンの仕掛けていたトラップは、ルクスリアの記憶にあるものよりも大幅に進化を遂げていた。ルクスリアの知る過去のトラップを作った者が未熟だった可能性もあったが、それと比較しても威力が桁違いなのだ。
 今も聞こえてくる爆発音。対悪魔用のトラップだからか空気を震わせる振動すら、音を聞いているだけのルクスリアの肌をゾクリとさせる。シンのトラップは得物がかかると他のトラップも連鎖反応するように仕掛けられているものもあるので、舐めてかかっていたらアワリティアは今頃手酷いしっぺ返しにあっているだろうとルクスリアは思った。
 もしかすると、自分のところには来ずに引き上げるの可能性すらあるのではないか。そう考えてしまうほどに、シンが仕掛けたトラップはルクスリアの知るものとは次元が違ったのだ。

「あらあら、随分と男前になったじゃない?」

 保健室の備品である椅子に腰掛けながら、ルクスリアはアワリティアに話しかける。
 トラップを受けてさえアワリティアは止まらず、ついにルクスリアの前に現れた。破壊の余波で保健室は半分が瓦礫である。

「まったクだ。オかげで、餌代わリに連れてキた連中ヲ全部クウはめにナった」

 アワリティアの体には、今まさに治りかけている傷がいくつもあった。HPも1割ほど減っている。
 ルクスリアからすれば、1割ですんだことを素直に賞賛してもいい。無論、自身の力のみで耐え切ったなら、の話だが。
 学院の敷地内に進入していたモンスターの気配が完全に消えている。シンのトラップの余波で倒されたモンスターもいるだろうが、理由の大部分はアワリティアが食ってしまったからだ。低レベルモンスターでは、アワリティアのドレインに耐え切れない。反応がないのは、死体ごとアワリティアの『汚泥』に取り込まれてしまったからだろう。

「もっとボロボロのほうが男前よ? ……そういえば、今は男であっていたかしら」
「性別ナンザ悪魔にはさシテ関係ねぇさ。そレニこのツラでおトコ前もなにもあるカよ」

 悪魔形態のアワリティアはルクスリアを見下ろして言う。こうして話をしている間にも、『汚泥』が建物ごとルクスリアを囲みつつあった。

「せっかちね。もう少し会話を楽しもうって気はないのかしら?」
「これだケ罠ヲ仕掛けてたンだ。ほカニも仕込みガナイとは思えねぇかラな」

 トラップで散々なめにあったのだろう。レベルは上だが、アワリティアは油断していなかった。アワリティアの半身である『汚泥』がルクスリアの立つ半壊した保健室へと殺到する。

「まだ残っテやガったか」

 アワリティアが忌々しいとばかりに悪態をつく。ルクスリアを襲った『汚泥』は輝く光の壁に阻まれ、一定以上の距離を詰められないでいた。
 シンの仕掛けていた、の結界である。本来は壁の中に悪魔を閉じ込めて逃げられないようにするトラップだが、ここでは逆に最初から中にいることで他の悪魔の攻撃から身を守る盾として機能させていた。

「それハお前の攻ゲキも通さないハず……なるホど、時間カせぎか」
「そういうこと」

 アワリティアが近づいてくる気配に振り替えると、ルクスリアは得意げに笑った。この状況で、あのハイヒューマンが動かないわけがない。そう思えたからこそ、下手に動かず時間稼ぎに徹していたのだ。

「チっ――ぐオオ!?」

 アワリティアが『汚泥』を引いて自身の周囲に集めるのと、光り輝く槍が降ってきたのはほとんど同時だった。わずかに『汚泥』が早く、一塊となって防壁のように槍を受ける。
 間一髪、防御に成功した。アワリティアがそう思えたのは数秒にも満たない時間だった。
 槍の方もただ投擲され、一度防がれればどこかへ弾かれてしまうような代物ではない。まっすぐにアワリティアに向かう軌道のまま、『汚泥』の壁を突破しようと突き進んでいた。まるで石突にブースターでもつけているかのような突撃に、段々と汚泥が吹き散らされていく。

「ヌうン!!」

 しかし、それを黙って見ているアワリティアではない。分身を上回る豪腕でもって、『汚泥』で受け止めている槍を真横から殴り飛ばした。これにはさしもの槍も耐え切れなかったようで、宙に光の筋を残して瓦礫の中に突っ込んでいった。

「きヤガったか」

 槍を殴り飛ばした拳から煙が上がっているのも気にせず、アワリティアは槍の飛んできた方向を注視する。視界に映るのは、白銀の鎧に身を包んだ騎士と見紛う姿。

「ルクスリアのところに直接くるんだ。本体だよな?」

 『討魔の聖鎧』を纏い、『ジ・アーク』を肩に乗せ、シンがアワリティアに問いかけた。

 ◆

「分身ガ世話にナッタな」
「気にするな。こっちも用があったんだ」

 アワリティアを見上げながら、シンは状況を確認する。
 学院の校舎はアワリティアの攻撃で4分の1ほどが瓦礫の山になっている。トラップは発動したようでアワリティアに弱体化のデバフがかかっているのもわかった。ルクスリア以外の反応がないところを見ると、ヒラミーたちが無事生徒を逃がしたようだ。

「ルクスリアはそこから出るなよ!」
「わかってるわよ。そもそも、無理に出ようとしたら無傷じゃすまないでしょ、これ」

 ルクスリアが光の壁に触ろうとすると、パチッという音とともに伸ばした手が弾かれる。もともとが拘束用だけに、その効果は折り紙つきだ。内から外にも、外から内にも、悪魔の力を遮断する。安全地帯を作るのにはもってこいだ。

「暢気ニお話カア?」

 その言葉と同時に、シンの立つ地面からアワリティアの『汚泥』が噴き出す。地面の中を移動させることで、奇襲を狙ったのだ。
 しかし、シンはそれを『ジ・アーク』を円を描くように振ることで吹き散らす。

「わかっチャいたが、ヤッ介なブキだな」

 分身の記憶も持っているのだろう。本体は初見のはずの『ジ・アーク』とその威力を見ても、動揺する気配はない。

(以前のやつよりも強力になっている?)

 『ジ・アーク』から伝わる手応えに、シンは違和感を覚える
 そもそも前回の分身戦で、シンにとって『汚泥』は障害らしい障害になっていなかった。『討魔の聖鎧』で武装したシンにとって、『汚泥』はアワリティアのHPを回復させる厄介な能力くらいの認識で十分だったのだ。
 分析アナライズで見えているレベルは以前の個体と同じ750。しかし、『汚泥』のわずかな手応えの違いから、能力はこちらが上だとシンは認識を改めた。

「あまり時間をかけてられないんだ。速攻で決めさせてもらう」

 周囲にはアワリティアの回復源になるようなものはない。学院の敷地内ならば、物的被害以外は押さえられるはずだった。

「それが、ソウもイかねぇンだな。コレガ」

 だが、シンが動くより先に、アワリティアが意味深な言葉を発した。

「お前ノコトを知ってる俺が、なンノ対策もしてネェトでも?」
「……どういうことだ」

 悪魔の言葉に安易に耳を傾けるのは危険だ。しかし、分身の記憶も持っているらしいアワリティアが意味もなくそんなことを言うとは、シンには思えなかった。

「人のヨクは際限がなイ。そシて、ガキほど押さえがキカナイ。仕込ムノは簡単ダッタぜ?」
「お前……!」

 ヒラミーたちが逃がした生徒の中に、アワリティアによって操られている者がいるということなのだろう。もしシンたちが言うことを聞かなければ、その人物がどうなるかは考えるまでもない。

「自ガイさせてもいい。周囲を攻撃サセてもイイ。人ジチはドノクライいると思う?」
「てめぇ……」

 『ジ・アーク』を握る手に力がこもり、ギリッと音が鳴った。今すぐ消し飛ばしてやりたい衝動に駆られるが、文字通り一撃で何もさせずに消滅させなければ今言ったことを躊躇なくやるだろう。
 頭を冷やせ。まだやられたわけじゃない。
 そう心の中で念じて、手から力を抜く。そこまでして、街にいるシュニーに心話を繋げ、ヒラミーに連絡を取るように伝えることを思いついた。心話は魔力を使うこともなければ、特定の仕草をしなければならないこともでもない。相手に一切悟らせず、外部と連絡が取れるのだ。

「それで、あなたは何を要求するのかしら?」

 シンの表情が変わったのを察したのだろう。アワリティアの注意を引くように、ルクスリアが言った。雄山羊の骸骨の奥の相貌が、ルクスリアの方を向く。

「わかってンだろう? おレは、お前をトリコみにきたんだぜ? 人質ハ邪魔がハイらないようにするタメだ」
「あら、てっきり私に無抵抗でいろって言うと思ったのだけれど?」

 ルクスリアは学院の職員だ。そういう意味では、生徒を人質に取るのは有効な手段だろう。

「悪魔のオマエに、ヒト質なんて意味ナいだろウ?」

 何を言っているんだ。そう言いたげなアワリティアの言葉に、シンの脳裏にルクスリアが人質など無視して戦いを始めるんじゃないかという考えが浮かぶ。

「ふふ、よくわかってるじゃない」

 これまですごしていて、一度も見せたことない冷たい微笑。シンがルクスリアの正体を知っているからこそ、浮かべた微笑に悪魔的という言葉をつけずにはいられなかった。
 だが、ルクスリアを知るシンにとって、アワリティアに向かって浮かべる微笑には違和感が強い。今までシンがルクスリアを悪魔だと思ったのは、色欲ゆえの仕草の色っぽさや挑発的な行動ゆえだ。悪魔本来の残酷さや冷酷さというものとは無縁で、ある意味、シンの持つ悪魔のイメージとは合わない。
 なんとなく、シンにはルクスリアが演技をしているように思えた。それくらい、ルクスリアの態度や雰囲気は悪魔らしくないのだ。

「じゃあ、これを解いてもらいましょうか。これがあったんじゃ、私だけじゃなくて、あなたも手が出せないでしょ?」
「ソウだな。解いてもラオウか」
「……わかった」

 罠を仕掛けたのはシンだ。当然、解くことだってできる。シンが拘束用結界を解くと、ルクスリアはその場から瞬時に飛び退いた。ルクスリアがいた場所からは、『汚泥』が槍のように突き出していた。

「せっかちは嫌われるってわからないのかしら?」
「時間をかケル気はねぇンだ。サッサと同化シヨウゼ。オッと、オマえはテヲ出すなよ?」

 アワリティアはシンに念を押す。生徒が人質に取られている以上、シンは手が出せない。今はチャンスをうかがうしかなかった。

「ああ、この姿はほんとに好きになれないわ」

 アワリティアがシンに話しかけたわずかな隙に、ルクスリアは本来の悪魔としての姿に戻っていた。
 全長はおよそ5メル。かなり大雑把に表現するならば、触手の塊から女性の上半身が生えたような外見だ。ただし、触手の塊からは前に突き出すように巨大な人の腕が生えている。
 上半身も女性の部分だけならば豊満な体を自ら抱きしめているように見えた。しかし、腕は完全に胴体と癒着し、肩と二の腕の部分から鳥の羽根のようなものが直接生え、頭部は口から上が茨のようなもので覆われている。聞こえてくる声が人型だったころと変わらないのは、この状況ではむしろ悪い冗談でしかない。

「イイかっコウじゃねぇか」
「あなたに褒められても、まったく嬉しくないわね」

 アワリティアが拳を振り上げる。それに呼応するかのように、ルクスリアの下半身に生えた巨腕が拳を握った。
 交わされる言葉の軽さとは裏腹に、学院の中を殺意と狂気が満たしていく。回避しなければならなかったはずの、悪魔同士の戦いが始まろうとしていた。


 ◆


 アワリティアとルクスリア。2体の悪魔がまさに激突しようとしていた頃、ヒラミーはシュニーを経由して届いた情報に驚きを隠せないでいた。
 生徒の中に悪魔に魅入られた者がいる。それも、今まさに人質として利用されていると聞かされれば無理もないことだ。

「どうにかしないと……」

 気持ちが焦る。だが、打てる手段に見当がつかなかった。
 精神操作を受けているならば状態異常として分析アナライズで見分けられる。しかし、薬や言葉を使ったスキルを使わない洗脳が行われていた場合、見分けることができないのだ。
 そんな時、ヒラミーに近づいてくる生徒がいた。

「学長先生。ちょっとお話したいことがあるのですが」
「大事な話なんだ!」

 話しかけてきたのは学院の中でもトップクラスの実力を持つ生徒。エルフの青年、レクスと、ドラグニルの少女、ミュウだった。後ろにはロードのギアンもいる。訓練中だったのか、戦闘用の装備に身を包んでいた。

「今は緊急事態です。担当の先生のところで待機していてください。話なら、後で聞きますから」

 レクスたちが状況の説明を求めている。そう考えて、生徒と悪魔のことで頭がいっぱいのヒラミーは深く考えることなく、3人にクラス担当のところへ行くように言った。

「それは僕もわかっているつもりです。しかし、今でないと」
「そうだぞ! 今じゃなきゃだめなんだ!」
「時間がないんです。こうしている間にも――」

 ルクスリアが。ヒラミーはそう言いかけて、かろうじて口を閉ざす。シンによる訓練で精神的にも鍛えられた3人はまだ大丈夫だろうが、他の生徒に悪魔のことを聞かれれば無用な混乱を引き起こしかねない。

「先生。俺たちもただ無駄話をしようというんじゃない。もしかすると、ここにいる生徒が危険かもしれないんだ。俺たちの話を、聞いてくれ」

 押し黙ったヒラミーに、レクスたちの間をとおって前に出てきたギアンが静かな口調で言った。その目は真剣そのもの。それを見て、生徒に危険がというところで焦っていたヒラミーにわずかばかりの理性が戻ってくる。

「どういうことですか?」
「この中に、何か、よくないものに影響を受けている人がいます。学長先生なら、何かわかるのではないかと思って」

 ギアンが目くばせすると、レクスがうなずいて話し出す。
 その内容は体にまとった魔力がひどく濁っていたり、雰囲気のおかしい生徒が何名かいるということだった。
 たまたま近くに1人いたのでヒラミーが分析アナライズで見てみるが、状態異常にかかっているとは表示されない。しかし、3人は皆感じ方こそ違ったが、おかしいと口をそろえて言った。
 それは、この世界の住民と元プレイヤーとの違い。プレイヤーはスキルを覚えてもそこで終わりと考えることが多い。ゲームの知識があるだけに、スキルとはこういうものという固定概念がある。だが、レクスたちのような固定概念を持たない者たちは、スキルのとらえ方が曖昧だ。それゆえに効果を完全に発揮できないこともあるが、逆にプレイヤーにはない感覚や効果を得ることもあった。

「もしかして、シンさんから何かスキルをもらいましたか?」
「いえ、何も。ですが、訓練の途中で新しいスキルを発現しました。僕は魔力視。ギアンが気配察知で、ミュウは直感です」

 自分の持つスキルは軽々しく口にするものではない。だが、状況が状況だけにレクスは隠すことはしなかった。
 シンの予想とは違い。そのどれもが感知系に分類されるスキルだ。予想と違ったのは、この世界においてスキルを得る条件がシンの知るゲームの法則以外にも存在しているからである。
 スキルを得る前には今回感じているような感覚はなかったという事なので、それらを得たことが原因だろうというレクスにヒラミーもうなずく。

「それとなく1人隔離して、事情を聞いてみましょう」
「それなら、あの人がいいと思います」

 今は少しでも手がかりがほしい。ヒラミーは他の教員にも協力してもらおうと考えたが、それを制してレクスが1人の教員を指し示す。

「あの人も、同じような感じです」
「彼は確か……」

 学院内で内偵を進めていた、外部に情報を流しているかもしれない人物のリストにあった教員だ。調査状況的には可能性がある、程度の人物だったが。
 教員ならば少し話をしたいと言えば呼び出せる。ヒラミーは早速、シェルターの中にある物資保管用の倉庫の1つに教員を呼び出した。

「それで、お話というのは? この状況を説明していただけるのですか?」

 突然の転移にまだ少し動揺しているようで、男性教員は落ち着きがなかった。直接話してみると、視線はせわしなく動き、挙動にも落ち着きがない。
 ヒラミーは無言でアイテムボックスから1枚のカードを取り出し、具現化する。現れたのは、緑と白の螺旋の先に黄色い結晶体がついた1.5メル程の杖『晴嵐の杖』だ。
 突然杖を取り出したことに困惑する男性教員に、ヒラミーは杖の先を軽く押し当てる。すると、教員は体をびくりとふるわせて気を失った。

「これで、悪魔の影響下にあったということが証明されましたね」

 『晴嵐の杖』はシンがヒラミーに渡していた対悪魔用の武器だ。魔術スキルに悪魔特攻を付与する能力と、杖に触れた者に対してかけられている悪魔の影響を打ち消す能力がシンによって付け加えられている。
 『晴嵐の杖』にシンによって付与された能力以外で接触によって相手に効果を及ぼす能力はないので、男性教員が悪魔の影響下にあったのは間違いない。

「おお! 変な感じがなくなってる!」
「すごいですね。さすが学長先生」
「あまり褒められると、少し複雑な気分ですね」

 武器を用意したのはシンだ。ヒラミーだけならば、こうもあっさり片付きはしない。ヒラミーは元プレイヤーだが、ゲーム時代の基準でいえば下の上か中の下程度の実力しかないのだから。

「ですが、今はそんなことを気にしている状況ではありませんね。私が対処しますので、気配がおかしいと言う人たちをここに連れてきてください。出来る限り、事を荒立てないように」
「わかりました」

 レクスが返事をし、ミュウは大きく、ギアンは小さくうなずいて部屋の外へ出て行った。ほどなくして、3人が1人の女生徒を連れて部屋に入ってくる。
 困惑した様子の女生徒にヒラミーが杖を触れさせると、眩暈を起こしたように床に座り込んでしまった。先ほどの男性教員と違い、意識は失っていない。

「あれ……ここは……?」

 周囲を見回した女生徒は自分のいる場所がどこなのかもわかっていない様子だ。ヒラミーが悪魔のことを伏せてここに来るまでのことを覚えていないか訪ねると、まるで夢でも見ていたようなぼんやりとした記憶しかないと言う。自分が何をしていたカもよく覚えていないようだ。
 自分の状態を理解して段々と混乱する様子を見せた女生徒を、ヒラミーは眠りの魔術で眠らせる。酷ではあるが、今女生徒を宥め落ち着かせている時間はない。
 シェルターの空き部屋に男性教員と女生徒を運び、ヒラミーは3人に引き続き人を連れてきてもらうよう頼む。
 3人の話では嫌な雰囲気をまとっている生徒は1人、2人では済まないというがそれでも生徒全体からみれば、数は少ない。
 ヒラミーは生徒が連れてこられるまでの間、少しでもシンたちが時間を稼いでくれること、そして、無事でいてくれることを願った。


 ◆


 学院に轟音が響く。重量のあるものがぶつかり合っているとわかる重く響く音だ。
 だが、それを聞いて拳と拳、肉と肉がぶつかりあっているとは思わないだろう。しかし、それも拳の主が悪魔ならば異常も異常ではなくなる。人など簡単に握りつぶせるほどの大きさの拳。高レベルモンスターとしての肉体強度をもってすれば、その頑強さは鉄どころか加工されていない状態の特殊金属に匹敵する。物理法則を無視した巨体は、中身もぎっしりだ。その重量は、歩くだけで地面に深い跡を残すほど。そんなものが真正面からぶつかり合うのである。ただ殴りあっているだけで地面が揺れ、空気がびりびりと振動した。

「ズイ分とため込んだみてェダなぁ!!」
「気色悪いこと言わないでくれなかし、ら!!」

 連打の合間に、軽口をたたき合う2体の悪魔。その間には50というレベル差が存在する。
 レベル255を上限とし、個々人でステータスが大きく異なるプレイヤーとは違い、モンスターのレベルとステータスは密接な関係にある。文字通り、レベルの高さがステータスの高さとなる。特定のステータスに特化しているタイプを除けば、相性はあれども基本的にレベルの高いほうが強い。とくに、悪魔のようにすべてのステータスが総じて高いタイプはその傾向が強かった。
 だが、今正面から殴り合っている2体の間に明確な差があるようには見られない。その理由は、ルクスリアがエルクントで過ごす間に力を蓄えていたからだ。
 悪魔の力の源は人の欲。それが渦巻くのが人の住まう都市だ。蓄えられる力には限度があるが、50程度ならばどうにか埋められるくらいにはルクスリアも備えていた。

「イツマデ持つかなぁ!」
「くっ!」

 しかし、当然だが戦いが続く限り蓄えていた力は消費されていく。そして、蓄えが減ればそれだけアワリティアとルクスリアの間にある差が浮き彫りになっていくことになる。
 悪魔の力は強大だ。だからこそ、力の消費も激しい。互角に打ち合っていた拳も、段々とルクスリアの方が押され気味になっていく。
 さらに、ルクスリアの下半身である触手の塊に、アワリティアの半身からにじみ出た『汚泥』が迫った。

「気持ち悪いもの、近づけないでくれないかしら!」

 ルクスリアの叫びに応じて、触手がざわりと波打つ。そして、塊から解け、ゆらゆらと蠢く触手の先端から紫色の煙が勢いよく発射された。狙いは地面を這う『汚泥』だ。
 地面を舐めるように広がった煙に触れた『汚泥』は、ジュッという音をたてて消滅していく。悪魔形態のルクスリアが使うスキルの一つ『溶け堕ちる紫煙』だ。武具に対して高いダメージを与え、プレイヤーには麻痺パラライズ赤血毒ブラッド・ポイズンの状態異常を付与する無差別攻撃である。
 煙は強い酸性で、中にいるだけで継続ダメージを受ける。『汚泥』が消えているのはそのせいだ。

「オイおい、再カイを祝して抱きしめテヤろうって思ってるのにヨウ」
「相手があんたなんて、お断りよ」

 触手は絶え間なく『紫煙』を吐き出し、汚泥を焼いていく。しかし、アワリティアから余裕が消えることはない。ルクスリアの『紫煙』はプレイヤーには有効だが、悪魔相手では肌の表面を多少溶かす程度の効果しかないのだ。
 同族の悪魔相手に悪魔固有の能力はあまり効果がない。それはルクスリアにもいえることだ。しかし、同族と言えども相性は存在する。アワリティアの『汚泥』の効果はドレイン。ルクスリアの『紫煙』と違い、たいした効果もないと無視するわけにはいかない。わずかでも触れられれば、悪魔同士の相性も合わさって本来の能力以上に力や体力を持っていかれかねないのだ。

「諦めルならハヤい方がイイゼ? 俺もラクダからよウ」

 優位に立っているが故の降伏勧告。だが、舐めた口調とは裏腹に、繰り出される拳に込められた力は緩むことがない。

「生憎と諦めが悪いの。悪魔に潔さなんて求めないで欲しいわね」

 ルクスリアは戦い方を防御主体に切り替え、時間稼ぎに徹する構えだ。シンは人質のせいで動けないが、シュニーがここにはいない。間違いなくシンの連絡を受けて動いているだろうとルクスリアは考えていた。
 加えて、アワリティアも尊大な口ぶりや態度こそ大きいが、さほど余裕はないとルクスリアには感じられていた。
 それもそのはずで、たとえ自分を同化しようと倒すことの出来ない存在が背後にいるのだ。もし人質が救出されるか、少数の犠牲は仕方がないとシンが割り切ってしまえば、一気に形勢が逆転する。余裕を装いつつも、決着を急ぎたがっているのは間違いないと攻撃を受けながらルクスリアは思った。

「私の後は、彼も取り込む気かしら?」
「まサカ。お前を取リコんだら、すぐにトンずらさせテもらうゼ。人質がイテモ、アノ化け物はヤレソウニねぇしな」

 ルクスリアの問いに、アワリティアはこの時だけ冷めた声で応えた。人質をとり、悪魔を2柱取り込んでもシンには勝てないとアワリティアは考えているのだ。
 アワリティアの拳を受けた巨腕が軋む。戦闘をはじめて半刻も経っていないが、アワリティアの連打と『汚泥』の処理で蓄えていた力の半分はすでに消費してしまっている。そのせいで、ルクスリアとアワリティアのレベル差が浮き彫りになりつつあった。
 余裕がないのはルクスリアも同じだ。ルクスリアのスキルは相手に状態異常を付与するものが多い。しかし、同じ悪魔相手にはほとんど効果がない。プレイヤーの連携を状態異常をばらまいてズタズタにするのが、ルクスリアの最大の強みなのだ。状態異常の効かない単騎が相手では、その強みがいかせない。

「でも、試さない手はないわよね」

 どれだけ効果があるかはわからないが、このままではジリ貧だ。ルクスリアは全てを試すつもりで、力を解放した。頭部を覆っていた蔦がうねる。数秒の後、蔦の表面に大小無数の切れ目が走った。

「チぃ!」

 アワリティアが舌打ちとともに腕に込める力を一層強くする。しかし、まだぎりぎりで耐えられる威力だった。
 蔦の表面に走った切れ目が広がる。その奥にあったのは、人の口だ。蔦の上に出現した無数の口が、大きく息を吸った。

「げ!?」

 アワリティアの後ろでシンが耳を塞ぐのを確かめてから、ルクスリアはスキルを発動した。全ての口から奇声が発せられる。高い声、低い声、透き通った声に歪んだ声。様々な声が、聞く者の精神を揺さぶる。
 『惑乱のララバイ』と呼ばれる、衝撃波を伴った状態異常攻撃だ。悪魔相手に状態異常はほとんど効果がないが、物理的な衝撃波ならば話は別である。これもまた全体無差別攻撃だ。アワリティア本体も『汚泥』も一まとめに吹き飛ばさんと、一般人ならば廃人になりかねない死の子守唄が響きわたった。

「バカでけぇこえで騒ぎやガル!」

 アワリティアが、両手で地面を押さえながら悪態をついた。『惑乱のララバイ』はルクスリアの持つスキルの中でも1,2を争う威力がある。状態異常が効かないから無視できるというわけでもないのだ。
 レベル差のあるアワリティアの体がじりじりと後ろに下がっていた。全方位攻撃なので学院の校舎も壊滅状態だったが、悪魔同士の戦いが間近で起こっていれば仕方のないことだ。
 ちなみにシンはさりげなくアワリティアを盾にしていた。

「お返シダ」

 ルクスリアの『惑乱のララバイ』が途切れたタイミングで、アワリティアの頭部、雄山羊の角の先端に黒い光が灯った。
 数秒のための後、黒い光がルクスリアに向かって放たれる。アワリティアの巨体と比べるとピンポン玉ほどの大きさに見えるが、実際は1メル近い球体状の光だ。
 ルクスリアは、アワリティアの攻撃を回避できなかった。一直線に進んだ黒い光はルクスリアの近くまで移動したところで爆発的に広がり、その巨体を飲み込む。風景画に墨をぶちまけるように、空間そのものを黒く塗りつぶすような攻撃は3秒ほどで終息した。
 アワリティアの持つ最大威力のスキル『侵蝕魔弾』だ。

「くぅ……」

 回避する間もなく、防御に徹したルクスリアの口から呻き声が漏れる。
 威力が高いことは当然として、プレイヤーが受けると最大HPが半減する効果も持つスキルだ。プレイヤーからは前衛殺しとも呼ばれたスキルである。
 悪魔同士なのでHP半減の効果はないが、それでも放たれた全弾を受けては少々のダメージでは済まない。触手と羽の一部が溶け、巨腕は片方が欠け、もう片方も半分近くが黒く染まって動きを止めていた。

「さすがに、きついわね……」

 状態異常をメインにしているルクスリアのスキルと違い、アワリティアのスキルはドレインに重きを置いている。ルクスリアのダメージが多いのは、ダメージ量に応じたドレイン量が低く設定されているからだ。それはプレイヤーもモンスターも同じで、この世界でもそれは変わらない。ドレイン量を上げたければ、手数を増やすか威力を上げる必要がある。アワリティアのスキルは威力を、ダメージ量を上げることでドレイン量を増やすタイプだった。

「さすガニ耐エるか」
「一発でやられるなんて、思ってなかったくせに」

 ルクスリアはステータスが防御よりだ。だからこそ、最大のスキルを受けてもまだ十分行動できた。追撃で迫った『汚泥』は、触手から放たれた『紫煙』で焼かれている。ただ、触手が減っているので間合いは詰められていた。
 腕も欠損しているので、アワリティアの拳を受けきれない。

「女性には、優しくする、べきでしょ!」
「ハっ、エンリョナんてする仲ジャねぇだろウよ!」

 ここまでくると、もはや一方的な展開だった。
 残った腕で防げるのは片方の拳のみ。もう一方の拳は触手を盾にして防ぐしかない。しかし、そうなれば『汚泥』を止める手がなくなる。防戦一方のルクスリアの体に、『汚泥』がまとわりつき始めていた。

「鬱陶しいわね!!」

 『汚泥』の浸食がルクスリアの動きを鈍らせていく。そしてついに、アワリティアの拳がルクスリアの防御をかいくぐってその体に届いた。
 空気を震わせるほどの振動を響かせ、ルクスリアの巨体がわずかに浮く。

「手ゴタエ、あっタぜ」

 アワリティアは追撃の手を緩めない。『汚泥』の浸食と同時にラッシュをかけた。
 ルクスリアの防御の上から、アワリティアの拳が突き刺さる。防御しているといっても、直撃していないというだけでほとんど防御のていをなしていなかった。もはやサンドバック状態だ。

「はハ、ははははハはハハははハハハはハ!!」

 アワリティアの哄笑が響く。ルクスリアの体はすでにぼろぼろで、体は半分以上黒く染まっていた。
 アワリティアの背後でシンが動くのを我慢しているのが、なぜか今のルクスリアにはわかる。シンには変身する際にこっそりとメッセージを送っているので、人質が解放されるまで手は出してこないはずだった。

「――ハハは、ハァ」

 そんな時、アワリティアの拳が止まった。

「なんの、つもり?」

 もう『汚泥』に覆われていないのは首から上だけだ。抗いようのない状態でわざわざ手を止める理由が、ルクスリアには思いつかない。

「オ前こそ、なんノつもりだ? 攻撃ハカルい、回避モシナイ。チからをタクワえていたくせに、使いどこロがマルデナっちゃイない」

 アワリティアの方がレベルは上だ。しかし、スキルを受けた後の状態が片やほぼ無傷、片や戦闘に支障が出る状態。これは、あまりにも差がありすぎた。そして極めつけは、『侵蝕魔弾』を回避し切れなかったこと。いくらルクスリアが巨体とはいえ、レベル相応のスピードはある。真正面から打たれて全弾命中など、いくらなんでもありえない。

「マサカ、周りの被ガイを気にシタのか? 悪魔のオマエが?」

 本気でスキルを放っていれば、『惑乱のララバイ』は学院の外まで響いただろう。
 『侵蝕魔弾』をかわしていれば、これもまた学院の外へと被害を与えていたのは間違いない。
 アワリティアが攻撃をやめるほど奇怪に感じたルクスリアの行動の理由は、国と人への被害を抑えるためだった。

「さぁ? ……なんの、ことかしら」

 アワリティアの問いに、ルクスリアは真面目に答える気などなかった。そもそも、自分でもなぜそうしたのかわからないのだ。自らの命よりも大切なものなどなかったはずなのに、気が付けば『侵蝕魔弾』の前に体をさらしていた。
 もはや抵抗する力はない。あとはアワリティアに吸収され、自分という存在は消える。いずれ肉体は復活するだろう。記憶も受け継ぐのだろう。だが、次のルクスリアは今とは違う別の個体だ。記憶はあっても、思いまでは受け継がない。それは、ある意味で『死』と同じだった。

「お前は、本当二色欲ノ悪魔か?」
「…………」

 もはやルクスリアに答えるだけの力もなかった。無反応のルクスリアにわずかに目を細め、アワリティアは止めていた『汚泥』の侵食を再開する。抵抗はない。ルクスリアは『汚泥』に飲み込まれ、黒い繭のようになった。

「コいツハ……」

 繭を見たアワリティアが、怪訝そうな声を出す。勝敗は決まり、ルクスリアは抵抗していない。ならば、すぐに同化が始まる。だというのに、繭の中からはまだルクスリアの存在が消えていなかった。
 アワリティアの記憶にはない現象。それが、わずかな隙を生んだ。
 背後でした爆発音にアワリティアが反応した時には、銀色の閃光がすぐ横を通過しようとしていた。

「テメェ!?」

 アワリティアが咄嗟に振るった腕を空を蹴ってかわし、閃光はルクスリアに肉薄する。

「まに、あえぇぇえええええええ!!」

 シンの振るった『ジ・アーク』が、黒い繭を切り裂いた。


 ◆


 火花が散る。
 刃と刃がぶつかり合い。互いの刀身がわずかに削れた。

「やるねぇ!」
「そりゃどうも!」

 ルクスリアとアワリティアの本体が戦うよリも前に始まった戦闘は、アワリティアの分身に操られたナムサールが有利のまま続いていた。執務室の内装は激戦の余波で見る影もないほどぼろぼろだ。
 ナムサールとの戦いは、ファガルが考えていたよリもはるかに長引いていた。

「なぜ全力で来ないのかな? もしかして、遊んでいるのかい?」

 自分をここに留めておくのが目的か、それとも何か制約でもあるのか。ナムサールのわずかに見える表情から何か読み取れないか、ファガルは意識を集中する。

「俺に勝てたら教えてやるよ」

 突き出された長剣を、双剣の刃で滑らせ軌道をそらす。ナムサールの腕力はファガルより上だ。まともに受けるのは得策ではない。
 どうしたものかと、戦いながらファガルは考える。ルクスリアとアワリティアの本体が戦闘をするのは阻止したいところだが、ナムサールを放っておくわけにはいかない。下手に逃げて、目標を自分以外、とくに王に向けられては困る。また、城の中にはまだ使用人や兵士たちがいる。不利だろうと逃げるわけにはいかなかった。

「他人が操っているとは思えないな」

 繰り出される剣技は、まるでナムサール本人が振るっているかのよう。全力で来ないのかと聞いたファガルだが、相手が最初から全力ならばそんな余裕はなかっただろう。
 双剣でそらされた長剣が、途中で動きを止めた。そこから強引に横薙ぎへと変わる。ファガルは自分から長剣の振るわれるほうへ跳び、距離をとった。

「嫌な武器を持ってやがる」
「悪魔が来るのはわかっていたんだ。このくらいの備えはするさ」

 ナムサールの持つ長剣から、黒い煙のようなものが出ていた。煙のようなものが出ているのは、ファガルの双剣に触れた部分。
 ファガルの手に握られた武器は、二本一対の双剣『レグルス』。もちろん、対悪魔用武器である。これはシュニーが兵の訓練で城に来た際に渡されたものだ。この武器がなければ、状況はもっと悪かっただろう。

「お前といい、あの女といい。厄介な武器持ちやがって」

 ナムサールはファガルと連続では斬りあわない。長剣が変貌しているのは悪魔の能力らしく、『レグルス』に触れると不調をきたすようなのだ。能力ではナムサールを操るアワリティアが上だが、武器はファガルが上だった。
 心の内でシンに礼を言い、今度はファガルが仕掛ける。右手の『レグルス』には雷撃が走り、左手の『レグルス』からは炎が噴き出す。
 左右の武器で違う属性のスキルを使う。それが双剣を初めとした二刀流の最大の利点だ。
 ファガルはまず、雷を纏う『レグルス』を振るった。悪魔の力を身に纏っているからかすぐに回復されてしまうが、それでも雷撃を受ければわずかではあるが動きが鈍るのはわかっている。ナムサールの行動は長剣で弾くか、回避するかだ。
 だが、今回は違った。アワリティアはあろうことか、左手で『レグルス』を掴んだのだ。

「くー、効くねぇ!」

 雷撃がアワリティアの全身に伝わり、動きが鈍る。『レグルス』を握る小手からは、熱した鉄を水に入れたときのようなジュッという音が鳴り続けている。しかし、『レグルス』はがっちりと握られたまま、放されることはない。

「きさま゛っ!?」
「そこで止まっちゃいけねぇな」

 わずかに動揺したファガルに、ナムサールの長剣が打ち据えられる。ファガルは咄嗟に左手の剣を体と長剣の間に差し入れたので、真っ二つにされることはなかった。しかし、片手では長剣の勢いを押し留められず、左手に持っていた剣ごと弾き飛ばされる。壁に叩きつけられたファガルは、その衝撃にうめいた。

「もうすぐケリがつきそうなんでな。お前の足止めももう終わりだ」
「私を、そんなに重要視、してくれるなんて……ありがたいことだね」

 ファガルは「なぜ自分を?」という疑問を覚えたが、それならばシーリーンが動けると思い直す。だが、ナムサールが続けた言葉でそれが思い違いだと気付かされた。

「あいつはもう処置済みだ。お前らは多数を助ける為に少数を切り捨てる選択ができちまうからな。あいつみたいに足止めが難しい。それに、まだ利用価値もある」

 ナムサールが剣を構え直す。

「……なるほど、シーリーン殿を気にしないのはそのせいか」

 小さな、ささやくようなつぶやき。
 ファガルの声の質が、変わった。
 瞬きの間に。それ以外に言葉が見つからない速度で、ファガルが動いた。双剣の軌跡が宙に二本の斬線を描く。一本がナムサールの長剣を弾き、もう一本がナムサールの首を掻き斬る。

「はっ、あぶねぇあぶねぇ」

 流れる血に手をあて、ナムサールが言う。『レグルス』は確かにナムサールの首に届いていた。しかし、ナムサールもまったくの無反応ではない。防御はできずとも体をそらし、斬られる範囲を最小限にとどめていた。明らかに頚動脈あたりまで斬れているはずだが、悪魔の力か出血はすぐに止まってしまう。

「見たことねぇ技だ。仲間にも教えないなんて寂しいことするじゃねぇか」

 今までとはまるで違う速度に、ナムサールも警戒した様子だ。
 ファガルは応えない。ナムサールの警戒を逆手にとって、ファガルは長く深く息を吸った。

「ッ!!」

 もう一度、ファガルが仕掛ける。
 一瞬の早業は、まさに電光石火。体を操っているのがアワリティアでなければ、ナムサールの首はとうに落ちていただろう。

「ちっ、速ぇな」

 ナムサールの防御は、ファガルの速さに追い付いていない。それでも倒れないのは、致命傷だけは避けているのと異常な回復速度のおかげだ。
 致命傷を与えられないファガルと、相手を捕えられないナムサール。互いに決定打を打てないまま、時間だけが過ぎていく。
 そして、先に限界が来たのはファガルだった。
 段々とナムサールに与える傷が浅く、少なくなり、最後には肩で息をしながら動きを止める。

「なるほどなぁ。お前、命を削ってやがったのか」

 ドレイン能力を持つからこそ、ナムサールはすぐに気付いた。一方的に攻撃しているはずのファガルの体力が減っていることに。
 ファガルが使っていたのは補助系スキル『オーバー・ブースト』。かつてシンが使ったスキルの派生版であり、術者のHPを代償に通常の補助スキルよりも高い効果を得ることができる。当然だが、長時間連続使用すれば、相手よりも先に術者が追いつめられるスキルでもある。

「相手が悪かったな。俺じゃなきゃ押しきれただろうよ」
「…………」

 ファガルは応えない。消耗が激しいが、回復している隙がなかった。弱った相手を前に会話をしようとしているナムサールだったが、その様子は何かできるならやってみろと言っているようでもあるのだ。

「仲間の勇者は助けに来ないってのに、なんでそこまで頑張るかね? とっととケツまくっちまえばいいじゃねぇか」
「あい、にくと……そういうわけには、いかないのさ」

 それもそうだなとうなずきそうになって、ファガルは唇を噛んで弱音を閉じ込めた。
 精神系スキルを使われている。階下の兵士たちを見たときの部下のセリフが、ファガルの脳裏をよぎった。

「シーリーン殿が戦えないのならば、私が、やらねばならない」
「ほう、あいつより弱い、お前がか? なぜ?」

 能力値だけ見れば、ファガルよりもシーリーンが上。2大勇者といわれていても、その実上と下があるという話はどこにでもあった。ファガル自身も、それは自覚している。

「簡単な話さ。私が、いや、俺が、誓ったからだ」

 だが、それがどうしたというのか。能力が劣っているから、優れた者にすべて任せてしまえばいいというのか。
 それは違う。それは違うと、ファガルは思う。

「この国を守るために剣をとった。力に劣っていようと、俺は勇者だ。この命が尽きるまで、国に仇為す者の前に立ち塞がる!」

 言い終わる前に、ファガルはスキルを発動してナムサールに斬りかかった。
 HPはすでにレッドゾーン。このまま戦い方を変えなければ、数分と持たずにファガルのHPは0になる計算だ。瀕死で止まるのか、死ぬのか。試すことが出来ないため、そうなったときどうなるのかファガルは知らない。
 だが、どちらだとしても、ファガルは止まるつもりはなかった。もとより相打ちすら覚悟の上だ。
 アワリティアの本体はシンたちが何とかしてくれると祈るしかない。それだけが、心残りだった。

「おおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 ファガルの咆哮が、執務室の空気を振るわせる。斬撃は一層早く、鋭く、ナムサールを襲った。

「仕方ねぇ。こっちも本気でやるか」

 斬撃が届くよりわずかに早く、アワリティアが力を解放する。利用する為に加減していたが、自滅するのならば必要ないと判断したのだ。勇者にも匹敵するステータスを持つナムサールの体に、悪魔の力が上乗せされる。それは、命を燃やすファガルの動きすら上回っていた。
 ファガルの繰り出す斬撃の尽くを、黒い靄を纏った長剣が弾く。それどころか、カウンターを狙った攻撃すらしてきた。一時的に能力を強化したファガルでなければ、かわすどこか防御もできない速度だ。

「諦めちまえよ。楽になるぜ?」
「お断りだ!」

 言葉とともに、残った体力からこれが最後と直感したファガルの渾身の一撃が放たれる。命を振り絞った一撃は、本気を出したアワリティアの速度すら一瞬上回った。

「残念、だったなぁ」

 右の剣はナムサールの左脇腹に食い込み、左の剣は右の肩から胸に向かって食い込んでいる。断ち切れなかったのはナムサールの頑強さと鎧の強度が合わさった結果だ。
 傷口からはじりじりと肉の焼ける音がしている。『レグルス』が、ナムサールの体にダメージを与えているのだ。しかし、それは致命傷には程遠い。肉体はナムサールのものだが、回復力はアワリティアのもの。剣を抜けば数分とかからずに元に戻る傷だった。

「…………」

 ファガルの手が、剣から放れる。死んではいない。だが、もう立っているだけの力も残っていなかった。
 倒れこんだファガルに、ナムサールの手が伸びる。ファガルの命は風前の灯。悪魔の力を持ってすれば、傀儡にするのは容易い状態だった。

「ッ!!」

 その手がファガルに触れる寸前、ナムサールは剣を構えた。直後、執務室の入口から眩い光を放つ槍が跳びこんでくる。

「こいつは!?」

 ナムサールは剣で槍を弾いた。だが、勢いに押されて窓際まで強制的に下がらされる。

「ぎりぎりだったようだな」

 弾かれた槍をキャッチし、シーリーンがファガルをかばうように構えた。

「おいおい、なんで正気に戻ってんだ……って、そりゃあ、教えてもらうまでもねぇか」

 シーリーンの持つ槍を見て、ナムサールは納得したように笑う。聖槍『ギルディーン』から放たれる聖なる気配とでもいうべきものをその場にいた誰もが感じていた。ファガルの持つ『レグルス』もそうだが、ただ強力なだけの武器ではない。

「ま、足手まといがいる状況で何が出来るって話だがな!」

 ナムサールの長剣をシーリーンは『ギルディーン』の柄で受ける。力を解放したままなので、その一撃の重さにシーリーンは膝をついた。ファガルの攻撃で脇と肩には『レグルス』が刺さったままだが、出血もしていない。

「かわしていれば足手まといはいなくなったんだがな。それとも、お前が止めを刺すか? そのくらいなら待っててやるぜ」
「随分とおしゃべりなやつだ」

 状況の悪さはシーリーンもわかっているようで、表情に余裕はない。気付かれないようにファガルは回復薬ポーションを使っていたが、スキルで限界まで体を酷使した反動か体力が戻っても手足は思うように動いてくれなかった。

「本当はお前までやるつもりはなかったんだが、この際仕方ねぇか」

 ナムサールの長剣が『ギルディーン』を押し込んでいく。武器が良くても、使い手のステータスはナムサールの方が上なのだ。漆黒の刃が、段々とシーリーンの顔に近づいていく。

「少しばかり時間を稼いだだけか。あそこで出てくる必要はなかったんじゃねぇか?」
「なんとでも、言え」

 刃と柄がこすれてギリギリと音が鳴る。あとは時間の問題。誰もがそう思った直後に、それは起こった。
 何かが破裂したのを感知したような、そんな感覚がファガルに、シーリーンに、そしてナムサールに伝わる。空気を震わせたわけでもなく、音がしたわけでもないというのに全員が目に見えない『何か』がエクルント中に広がっていくのを感じた。

「なんだ? この゛、ぐぉおおおおおおおおおおおおおお!?」

 その何かがファガルとシーリーンの体をすり抜けナムサールに届いたとき、事態は一変した。シーリーンを押していたナムサールが、突如苦しみ始めたのだ。
 軋む体を無理やり起こしてファガルがナムサールを見ると、『レグルス』の刺さった場所と首から黒い靄のようなものが勢いよく噴出している。靄の勢いはとどまることなく、ナムサールの体の外に出たものは少し離れたところに一塊になっていた。

「これは、一体?」
「わからない。だが、今我々を通り抜けていったものはこちらに味方してくれるようだ」

 シーリーンの隣に立ち、ファガルは言う。いつの間にか、体が楽になっていたのだ。さらに、段々と勢いのなくなっていく靄を見れば、何かが悪魔の力を減じさせているのもわかる。靄が出るに連れて、ナムサールの鎧や剣が元の形に戻っていくからだ。
 程なくして、ナムサールの体から靄が出てこなくなる。『レグルス』はひとりでに抜け、靄の出ていた場所の傷も消えていた。ナムサール自身は、力なくその場に倒れる。

「なニヲ゛、ジた?」

 ナムサールの体から抜け出た靄から濁った声がする。それがなんなのか、2人は考えることなく武器を構えた。
 応えなどしない。無言のまま、『ギルディーン』を突きこみ『レグルス』を振るう。不定形の靄はまるで霧が吹き散らされるように一撃ごとにその面積を減らしていく。刀身とその周囲が丸ごと消えるので、靄が完全に消滅するまでさしたる時間はかからなかった。

「終わった、のか?」
「おそらくな。ナムサール殿も無事のようだ。まったく、今回はいろいろと助けられてばかりだな」

 緊張を解いたファガルに、ため息をつきながらシーリーンが応える。
 危機が完全に去ったわけではない。しかし、2人は事態が収束に向かっていると確信していた。


 ◆


 悪魔の影響下にある人を解放した。そう連絡があったのは、ルクスリアが『汚泥』にのまれた直後だった。

「っ!!」

 頭がヒラミーからの伝言を理解した瞬間、シンは全力で地を蹴る。悪魔が他の悪魔をどう吸収するのかシンは知らない。だが、まだ繭が残っている。諦める気はなかった。
 一歩でアワリティアの隣を抜け、二歩目でルクスリアに向けて飛ぶ。繭のようになってなっていても、ルクスリアの形は覚えている。アワリティアの妨害をかわし、ルクスリアをよけて繭だけ斬るつもりで『ジ・アーク』を振るった。

「まに、あえぇぇえええええええ!!」

 『ジ・アーク』が繭を切り裂く。抵抗はほとんどなかった。
 シンは踏み込んだ勢いのまま、ルクスリアの横を通り過ぎる。その直後、シンの背後で光が爆発した。

「なんだ!?」

 無理をして踏み込んだせいで崩れた体勢を整えていたシンが振り返ると、繭の中からまばゆい光が漏れている。繭の向こうではアワリティアが両腕で身をかばいながら下がっているのが見えた。
 繭の中からあふれる光は、アワリティアの全身を焼いている。

「繭が、割れる?」

 切れ込みから、繭全体にひびが広がっていく。時間にして十数秒。ガラスの割れるような音とともに、繭が砕け散った。
 しかし、そこに戦闘前に見たルクスリアの姿はない。

「あれは……」

 そこにいたのは、人の姿をしたルクスリアだ。ただ、それはシンの覚えている姿とは幾分か違っていた。
 白い光の中に浮いているルクスリアは光に負けない輝きを放つ帯のみを体に巻きつけ、その背には光の輪が輝いている。光の輪からはルクスリアと同じくらいの長さの紋章のようなものが伸びている。
 青白いそれは右に4枚。左に4枚。まるで羽のようにも見えた。

「ルクスリア、なのか?」

 ルクスリアが姿を見せた瞬間、透明な波のような『なにか』が周囲に広がった。シンの体も透過していくが、何も感じない。
 影響があったのはアワリティアのほうだった。

「グおおオオおおおオおおおおおおオオオオっ!?」

 アワリティアの全身が焦点がずれたように歪む。その苦しみ様は、尋常ではない。

「まさか、こんなことがあるなんてね」

 呟くように言ったルクスリアの手から、羽と同じ青白い光が放たれる。連続して放たれた光の槍とでもいうべきそれは、苦しむアワリティアの全身に突き刺さり大穴をあけた。

「お、まえ……そノ、すがタハ」
「聞くまでもないでしょう? 悪魔なら、理解できないはずがないもの。まあ、私も驚いているのだけれど」
「悪魔が、天使にカワル、なんテナ。ふざけタ、ハナシ、だ……」

 そこまで言って、アワリティアの体が煙がはれるように消えてしまった。アワリティアのいた場所には、討伐証明の強欲の結晶ドロップ・オブ・アワリティアが転がっている。
 事態の急変にシンが付いていけないでいると、ルクスリアがシンの方を見てにこりと笑った。

「あら、なんだか私、警戒されてる?」

 シンの前に降り立ったルクスリアは、小さく首をかしげて言った。

「思い当たるものがなくてな。良いものか悪いものか、正直に言って判断しかねてる」

 アワリティアが最後に言った『天使』という言葉。悪魔を倒したことも鑑みれば、味方と考えるのが妥当だ。ただ、『THE NEW GATE』のモンスターに詳しいシンでも『天使』は見たことはない。運営はその存在を示唆していたが、遭遇したプレイヤーはいなかったのだ。
 よく悪魔と対をなす存在として描かれることの多い『天使』。悪魔のカテゴリーと同じく、天使もまたモンスターにカテゴライズされる。
 そして、モンスターであるならば、必ずしも人の味方とは限らないのだ。

「その気持ちも分からなくはないわね。私も何でこんなことになってるのか分かっていないもの。でも、自分が天使になったってことは自覚しているし、悪魔だったころのことも覚えているわ。もちろん、あなたたちのこともね」
「天使か。実在したんだな」
「罪原の悪魔が変化した存在ってところなんでしょうね。この姿になって何となくわかったことだけど、今の私は『愛情』を司ってるみたい」
「罪原の対になってる美徳ってやつか。でも、正式には定まってなくて対とも言えないって聞いたような……まあ、今はそこを深く追求するところでもないか」

 罪原の悪魔について調べたときの知識を思い出すシンだが、正確な部分までは覚えていなかった。

「おっとそうだ。アワリティアを倒したなら、街の方に行かないと。モンスターが召喚されて暴れてるんだ」
「慌てないで、それならもう大丈夫よ」
「……なに?」

 シュニーたちの加勢に行かなければと踵を返そうとしたシンの肩を、ルクスリアがつかんで止めた。ルクスリアの説明によると、最初に放出した波のようなもの――聖者の波動というらしい――によって、悪魔の影響を受けた召喚陣もモンスターも消えているという。シンがマップを確認してみると、確かに街にあふれていたモンスター反応はきれいさっぱり消えていた。

「すごいな。まだまだ休めないと思ってたんだが」
「こんなに効果があるのは悪魔とそれに影響を受けたものに対してだけだけどね。でも、そうできたのはシンのおかげよ。あのときシンが繭を切ってくれなかったら、そのまま同化させられてたと思うわ」
「礼ならヒラミーたちに言ってくれ。あいつらが人質を解放してくれたおかげで、俺は動けたんだ」

 ルクスリアが痛めつけられるのを黙って見ていることしかできなかったシンとしては、むしろ負い目があった。

「いいのよ。あなたがあそこにいてくれたから、私も頑張れたんだし」

 アワリティアと戦う直前、ルクスリアは変身しながらシンに人質が解放されるまで、たとえ自分がやられても手を出さないようにとメッセージを飛ばしていた。アワリティアとの戦いの途中で、自分を同化すれば引くということを確かめたのもそう。自分が犠牲になることすら是として、ルクスリアは戦っていたのだ。

「私が負けても、あなたがいればアワリティアはいつか討たれる。今回の経験があれば人質対策だってできる。だから、私の犠牲は無駄にはならない。そう思えたら、ずいぶん楽だったわ」
「お前な」

 その考え方はだめだろうと言おうとしたシンの口を、ルクスリアは笑みを浮かべたまま指で押さえる。

「私が勝手に恩を感じてるだけなんだから、シンが気にしなくていいのよ。それよりも、何かしてほしいことはあるかしら? もう悪魔じゃないんだから、警戒せずに身を任せてくれていいのよ? あ、ちなみに今私、つけてないし、はいてないの。帯だけじゃ少し寒いから、温めてくれると嬉しいわ」
「おいコラ。お前実はまだ半分くらい悪魔だろ。天使は天使でも色欲の天使だろ……」

 身を任せるのあたりから怪しい方向へ向かい始めたルクスリアに、シンはあきれるしかない。
 さりげなく帯を緩めようとするルクスリアを制して、シンはひとまず、窮地は脱したかと1人安堵するのだった。
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