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第十五章『死に至る罪』
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「悪魔を倒したシン殿が、アイテムの所有権を主張するのは当然であろうな」
さてどうするかと頭を悩ませていたシンがエルクントへと帰還すると、真っ先にシーリーンに王へと報告する必要があると王城へ向かうことを要請された。ことがことだけに、直説王へと報告することになったのだ。玉座の間で仰々しく報告するのかと思ったシンだったが、通されたのはまたしても王と面会した例の部屋だった。
そして、アワリティア討伐の報を聞いたクルンジード王は、わずかな思案もすることなく、シンのドロップアイテム所有を認めた。事前に考えていたのではないかという即答ぶりに、シンは拍子抜けしてしまったほどだ。
「よろしいので? 非常に貴重なものですが」
「だからこそだ。もし悪魔から得たアイテムが有用だと知れれば、次の標的としてルクスリア殿を狙おうとする者が現れかねん。しかし、いくら対悪魔武器があろうと、罪源の悪魔を簡単に狩れるなどと考えてもらっては困る。お主たちも、ルクスリア殿が相手となればよほどのことがなければ協力などしてはくれまい。シーリーンよ。お主たちだけで悪魔を狩れるか?」
「正直に申しまして、シン殿やユキ殿のような力を持っていなければ、今回のような戦果は上げられないと言わざるをえません。ダンジョンへと赴いたのが私とファガルであったならば、よくて逃走、悪くて返り討ちでしょう。実際にこの目で見て、自分の考えがいかに甘いものであったか思い知りました」
シンとは別に報告がいっていたのだろう。シーリーンの話を聞いたクルンジード王に動揺はない。
「うむ、実際に戦闘を行ったシーリーンが言うのだ。疑う理由はあるまい。シン殿には我らの国と民を救ってもらった恩もある。アイテムはシン殿たちが次の悪魔狩りのために持っていったと言えば、文句を言う者もおるまい」
大々的に表彰したいところだが、それはシンの意向もあって行われない。その代わりとして、アイテムの融通や報奨金で報いるという方向になったようだ。話しぶりからして、王やその側近たちで話をまとめたのだろうとシンは思った。
「土地と爵位を、という話もあったのだがな。そなたたちは受け取ってはくれまい?」
「もらったところで、という話になってしまいますから。それに、爵位をもらうということはエルクントに所属するという意味にもなりますし」
それはできないと、明確な言葉にはせずにシンは答えた。
アイテムや金ならば、受け取ろうとそれはその場だけの話で終わる。しかし、爵位や土地といったものはそれだけでは終わらない。いろいろとしがらみの元になるのだ。
ここで受けるならば、とうに別の場所で受けている。
「惜しいが、仕方あるまい。貴族の中には自陣に引き込もうとする者もいるだろう。我が名において禁じておくが、それでも何かしてきた際は連絡を入れて欲しい。対処しよう」
「ありがとうございます」
クルンジード王の提案は、シンにとって至れり尽くせりだ。王が間に立つ以上、よほどの馬鹿でない限り面倒な勧誘はない。おまけにドロップアイテムもゲットである。
できすぎのような気もしたが、実力者とのつながりと災害の消滅、モンスターの素材の大量流入などプラス面は十分か、と思い直す。
「うむ、それでシン殿は今後どう動くのだ? すぐにたつのかね?」
「いえ、仲間と合流する予定ですので、それまでは滞在するつもりです」
「であるか。ならば時間の許すときでいい。兵の訓練を見てもらえんか? ユキ殿の訓練を受けた兵が他の兵よりも明らかに強くなっていると訓練担当者から報告が上がっておるのだ。此度のようなことが再び起こらぬとも限らんからな」
「エルクントをたつまで、我々の時間が空いているとき。この条件を呑んでいただけるなら、可能です」
シュニーにアイコンタクトをとってから、シンは答えた。すでにやっていることなので、このくらいならという思いもある。
その後は報酬の受け取りと国を出るときは連絡をしてほしいと言う話をして、シンとシュニーは王城を辞した。
「このあとはどうしますか?」
「学院によっていこう。アワリティアのことで確認しておきたいことがある」
ルクスリアの言っていた気配のことをそのままにするのは、よくない気がした。小説や漫画でよくある「あの時確認していれば……」というような展開になっては困るのだ。
日が暮れるにはもう少し時間がある。突然の訪問ではあるが、ことがことなので許してもらおうとシンとシュニーは学院に進路をとった。
門番とはレクスたちの訓練をしているときにすっかり顔馴染みになっていたので、すぐにヒラミーに連絡をしてくれる。すぐに入校許可がでて、2人はまっすぐ保健室へと向かった。普通は学長室や応接室だろうが、指定されたのは保健室だった。
「はあい。こんな時間に訪ねてくるなんて、どうしたの?」
ドアをノックして保健室に入ると、ルクスリアが丸椅子を回転させて2人に向き直る。相変わらず、セーターとタイトスカートに白衣を羽織るスタイルだ。
足を組んでいるせいか、スカートがやけに短く見える。こういった仕草が、男子にはきついだろうなとシンは意味もない感想を抱いた。
「アワリティアのことで、確認しておきたいことがあるんだ。後回しにするのは良くないと思ってな」
アワリティアの名を聞いたルクスリアは、すっと目を細めて組んでいた足を解き姿勢を正す。
「何かあったんだろうとは思ってたけど、あいつが何か仕掛けてきたの? まだ少し距離があるはずだけれど」
そう言うルクスリアに、とぼけている様子はない。ルクスリアの感覚では、本当に距離があるのだろう。
「まだ距離があるはず、か。そうなると、俺たちが戦ったやつが本物じゃない可能性が出てくるな」
「どういうこと?」
「アワリティアと戦ったんだよ。それも、今日だ」
「なんですって! 一体どういうことなの!?」
予想していたものとは違ったようで、ルクスリアは立ち上がってシンに迫ってくる。それを押し留めて、シンはルクスリアを椅子へ座らせた。
ちょうどよいタイミングでドアがノックされ、ヒラミーの声がする。
「お邪魔しますよ。外まで声が聞こえていましたけど、何かあったんですか?」
「ちょうどいい。ヒラミーにも意見が聞きたかったんだ」
「はぁ……?」
事情のわからないヒラミーは首をかしげるばかりだったが、シンが詳しい話をすると表情を厳しくした。
「ドロップアイテムもあったんですよね? なら、まったくの偽物とも思えませんけど」
「そうね。おかしいわ。さっきも言ったけど、アワリティアはまだこっちについていないはずなのよ。ダンジョンの中は私の感覚が届かないからわからなくても仕方ないだろうけど、それなら私の感じてる感覚は何なのってことになるし」
実際に気配を辿って他の悪魔と会ったこともあるので、感覚に間違いはないはずとルクスリアは言う。
「別のやつと間違えてるってことは?」
「悪魔の気配は独特なの。少なくとも、今まで気配が変わったってことはないわ」
「強欲の悪魔が、2体いるとは考えられませんか? アワリティアのレベルは750でした。別の悪魔を取り込んでいるのは間違いありません」
ゲームの知識を総動員して今回の事態について考えていたシンに、シュニーがある可能性を提示した。悪魔が同化吸収した別の悪魔の能力を使用してくることは、たしかにある。
「考えられるのは、怠惰の分裂か」
「はい。いくつか気になるところもありますが、アワリティアの気配が2つあるというのを説明するにはこれが最も説得力があると思いました」
シュニーが怠惰の名を上げたのは、怠惰の悪魔が持つ能力を知っているからだ。
怠惰の悪魔は単独では全悪魔の中で最も弱い。だが、厄介さでは上位に来る。それは、自分と同じ能力を持つ分身を作りだすからだ。いくら悪魔の中で最弱だろうが、成長状態によってはボスクラスの強さを持つ存在が常に複数体で存在することになる。戦う側からすれば、その能力は脅威だ。その上、怠惰を倒すには一定時間以内に分身を全て倒しきらないといけない。分身全体のHPを調整しつつタイミングを図り、一気に殲滅するのが怠惰討伐のセオリーだとシンは聞いたことがあった。
「怠惰本人じゃない以上、同時撃破の条件はないはずだ。でも、今回のやつはたぶん本体じゃないだろうな」
同じ能力を持つ分身を作り出す能力を持っているにもかかわらず、分身には本体とそれ以外が存在する。本体に状態異常をかけると、分身まで状態異常に懸かるのだ。プレイヤーの間では同時撃破が前提なのに何の意味があるのかと議論が飛び交ったが、倒しやすくなるならいいじゃんと深く追求されずに終わっている。
今回は確かめようのないことだ。だが、シンの中にある言葉に出来ない感覚が、あれは本体ではないとささやいていた。
「確証はあるの?」
「いや、ぶっちゃけ根拠になるようなものは何もない。でも、あんなところで隠れてこそこそ何かやってたのが本体っていうのは、なんか違う気がしないか?」
「それはまあ、そうだけど」
「ま、俺の勘が当たってようが当たっていまいが、どちらにしろまだアワリティアの脅威は消えてないってことだな」
「たぶん、当たってるわよ。あなたみたいなプレイヤーの勘って、こっちじゃ結構当たるもの」
スキルの恩恵だろうとルクスリアは言う。直感やそれに類するスキルを持っているプレイヤーの中には、異様に勘の鋭い者もいたらしい。
「王宮からアワリティア討伐の話を聞いたときはシンさんたちだろうと思いましたが、まさかその日のうちにシンさんからまだ終わってないと聞かされるとは……」
「俺だってあれで終わってくれてた方がよかったよ。でも、ちょっとあっさり終わりすぎてたような気もしてたし」
ため息を吐くヒラミーに、シンは戦っていたときのことを思い出しながら話す。最終形態のアワリティアと戦うのは初めてだったが、かなり一方的にことが運んでいた。レベルと装備を考えればこんなものかとも思えたが、悪魔にしては弱すぎたような気もしていたのだ。
「シュニーはどう思った?」
「個人的な意見を言うならば、手応えがないという印象です。ただ、シンの作る装備が強力すぎますし、私自身もいくらかパワーアップしているのでそのせいと言えなくもない、といったところでしょうか」
「対悪魔装備も、前より強化してるもんな。手応えも変わるか」
やろうと思えば自分だけでもやれた。そう感じるほど、手応えが軽かったとシュニーは語る。装備が強力すぎるのも考え物だった。
「アワリティアがどういう手を打ってくるかはわかりませんが、以前よりは戦いやすくなったこと自体はいいことでしょう」
「そうだな。あとは向こうの分身の数とそれ以外の戦力か」
シュニーの前向きな発言にうなずいて、シンも残る問題を口にする。ゲーム時代なら分身は最大で2体。怠惰が使うものより能力は低下しているため、分身の能力は1割減といったところ。今回シンたちが1体倒したので、残りは本体と分身が1体のはずだった。
「たしか、モンスターを集めていたんですよね? 高レベルモンスターを率いてくるとなると、今ある戦力でどうなるか」
ヒラミーを含め、エルクントには戦闘向けの選定者はそれなりにいるとシンは聞いている。ただ、高レベル、とくに500を超えるレベルのモンスターを相手に出来る者は極少数だ。アワリティアは最悪シンとシュニーで押さえればいいが、残りの戦力次第では勇者と近衛隊長だけではすべてをカバーしきれない可能性があった。
「もうすぐマサカドが戻ってきますし、多少は戦力も増えると思いますけど」
「アワリティアがいないなら、私も手伝えるわ。悪魔の姿になるとパニックになるだろうから、全力でとはいかないけど」
「それでも随分違いますよ」
ヒラミーたちはモンスターが武装してくる可能性が高いことまでは知らないようだった。国のほうも流す情報を制限しているのだろう。念のため、シンはそれも伝えておく。
「あとは、そうだな。ツァオバトに頼んでフィルマたちを回収してきてもらうか」
「それが一番確実かもしれませんね」
メッセージカードを使えばツァオバトにも連絡が取れる。1度くらいなら、頼みを聞いてくれるんじゃないかとシンは思ったことを口にした。
向こうの状況次第なので確実とは言えないが、考える価値はあるだろう。
「シンの仲間が来なくても、銀月の死神が協力してくれるだけで一方的な殲滅になるわよね」
「ですね。空から即死級のブレスが降ってくるんですから。受けるほうからすれば悪夢ですよ」
ツァオバトの強さを知っているルクスリアとヒラミーは、そうなったらモンスターの方が憐れと遠い目をしている。協力体制をとってから、随分と仲良くなったらしい。息がぴったりだった。
「とりあえず、アワリティアが近くまで着たらすぐに連絡をくれ。こっちで対処する。あと、アワリティアが倒しきれていない可能性が高いってことをヒラミーから王城のほうへ伝えて欲しい。俺たちはあんまり城に行かないからな」
シュニーの訓練やちょっとした援軍として参加することはあるが、どれも不定期だ。さすがに悪魔に関することならば門前払いされることはないだろうが、シンの名前と姿はまだ軍の一部にしか伝わっていない。これといって王や勇者などとつながりを示すようなものは持っていないので、場所が場所だけに運が悪いと門前払いを受ける可能性もあった。
定期的に話し合いにいっているヒラミーに伝えてもらったほうが確実だとシンは判断する。
「シンさんならするっと入れそうですけど、一応滅多に入れる場所じゃないですからね。わかりました。伝えておきます」
「俺たちの用件はこれで終わりだ。あ、一応これ渡しとく。対悪魔武器な」
ちょうどいいからと、シンはヒラミー用に調整した武器をカードの状態で取り出して渡した。
「対悪魔能力がなくても、私の装備より基本性能が高い……」
「特別製だからな。そのせいかわからないが、同じ等級の装備より上になった」
「ドワーフの皆さんが見たら解析させろって群がってきそうですね」
未知の武器や防具の解析は、ドワーフが一番適した能力を持っている。だからなのか、NPCのドワーフは自分の知らない技術を知りたがるのだ。
ヴァルガンとヴァールはかなり大人しい方である。
「私の前で出さないで~」
具現化した装備の能力を確かめていたヒラミーに、ルクスリアがまぶしいものを見るように顔を手で隠しながら距離をとった。
「そんなにきついか?」
「ダメージがあるわけじゃないけれど、肌がじりじり焼かれてるみたいな感覚があるわ。触ったら火傷くらいはしそうね」
まるで武器そのものが敵意を向けてくるような感覚があるとルクスリアは言う。さりげなくシンの背後に回って盾にしているあたり、本気で嫌がっているのは間違いないようだ。
「拘束用の縄とか作ったら、人型でも捕まえられるような気がしてきた」
「あなたなら本当に出来そうだから怖いわ。私を縛りたいなら普通の縄でお願いね。そっちの子で試しちゃだめよ?」
ルクスリアはシュニーを見ながらそう言った。
「試さね――いや、現状じゃ効果を確かめるにはお前を縛るのが一番手っ取り早いんだが……それはそれとして俺をなんだと思ってんだ!」
「特殊なプレイがしたいんじゃないの?」
「なんでだよ!? そっち方面に話を持っていくな! アワリティアが真の姿になる前に捕まえられれば、被害が少なくなるんじゃないかと思っただけだって」
瘴魔と違い、悪魔は人型でも倒せばそれで戦闘が終わるとシンは攻略サイトで見た。一度だけ人型時に倒すことが出来たらしいのだ。詳細までは知らない上、出来たのはその一度きりらしいので実際に効果があるかは不明だとも書かれていた。
人型で城壁の中に入ってからもとの姿に戻られると周囲への影響が大きいので、もし可能なら人型の状態で動きを止めてしとめられればとシンは考えた。
「それが出来れば最高だけど、さすがにあなたたちでも無理だと思うわ。もし攻めてくるなら、初めから悪魔の姿で来るだろうし」
「俺だってそんなにうまくいくとはと思ってない。もし出来たらもうけもの、くらいの気持ちだ。とりあえず、デカかろうが動きを止めること自体は俺たちに有利に働くから、一応縄と鎖の両方で作れるか試してみるかな」
「そして、完成した縄で私を縛って効果を確かめるのね! 動けない私に何をするのかしら?」
100%わざとだとわかる仕草で、ルクスリアが恥ずかしそうに身をよじる。セリフの最後が少しわくわくしているように見えて、シンは少しげんなりした。
「さっきから話を変な方向に持っていきやがって。俺をなんだと思ってるんだ」
「でも、人って縛ったり縛られたりするのが好きな人もいるじゃない? 私はされたことないけど、気持ちいいんじゃないの?」
「そこに興味を持つのかよ……」
「私の業は色欲だもの。そういうことに興味を持つのは当然でしょ?」
そう口にしたルクスリアは表情は、今までのふざけたものとは一変して実に妖艶なものだった。精神系スキルを使うことなく人の欲を刺激するその表情は、まさに悪魔的と言える。
精神への影響に対して強い耐性を持っているはずのシンですら鳥肌が立ったのだ。シュニーは警戒して距離を取り、ヒラミーは顔を真っ赤にしていた。
「その顔は他で見せるなよ? どう考えても騒動のもとだ。悪魔に何かされたなんて噂がたったら、立場がなくなるぞ」
「わかってるわよ。見せる相手は考えているわ」
そう言いながら、ルクスリアはそっとシンの手をとった。極自然な、敵意も害意もまったくない動作。シュニーとヒラミーの位置ではシンが壁になっていて、何をしているのか見えていない。
触られているシンはさすがに反応できたが、力が込められているわけでもないのでルクスリアの意図がわからずされるがままだ。それでも警戒はしており、もしわずかでも敵意を感じれば、その場でルクスリアの片腕は吹き飛ぶだろう。
「警戒しなくても大丈夫よ」
そう言ってルクスリアはさらに一歩シンに近づく。あともう一歩近づけば、体が密着する距離だ。
「相手は考えてるって言ったでしょ?」
異性を誘う笑みを浮かべたまま、ルクスリアはシンの手を引く。向かう先はセーターを膨らませている胸だ。
まさかというシンの考えを裏切り、ルクスリアの手と胸にシンの手が挟まれる。その感触と状況の意味不明さに、ではなく。背後から放たれた冷たい気配に反応して、シンは即座に手を引き抜いてルクスリアから距離をとった。
「何してるんだお前」
「あなたにスキルは効かないから、雰囲気だけでどこまでやれるかと思って。どう? セーター越しでもなかなかの感触じゃない?」
「おまえなぁ……」
シンは怒ればいいのか呆れればいいのか判断がつかず、ため息を吐いた。背後を確認しないのは、気配の主が誰かわかっているからだ。現在、シンの危機感知能力が過去最大の警報を鳴らしている。
「シン。なにを、しているのですか?」
「!?」
そんなシンの肩に、そっと手がおかれる。続いて聞こえたのは、ルクスリアにも劣らぬ色気と冷たさを感じさせる声。
耳元で囁かれたそれに、シンの背がビシィッ! と伸びた。
「そういうことは、だめ、ですよ?」
「わ、わる……いえ、気をつけます!」
恐る恐る声の方へと顔を向けると、シュニーが極寒の笑みを浮かべながらシンを見ていた。
とにもかくにも、シンが感じるのは悪寒だけ。言葉使いも自然と敬語になった。
「ルクスリアさんも、おふざけが過ぎますよ?」
「そ、そうね……気をつけます」
同じものを感じているのだろう。ルクスリアはシンと同じような返事をした。
「わかってもらえればいいんです。さて、伝えるべきことは伝えましたし、そろそろお暇しましょう。ヒラミーさん、例の件、よろしくお願いしますね」
「は、はい。こちらとしても、早く知らせてもらって助かりました。ちょうど明日、城に行きますから、その時に情報は伝えておきます」
場の雰囲気につられ、ヒラミーまで背筋が伸びていた。
「じゃ、じゃあ。俺たちはこれで」
「ええ……こっちでも何かわかったら、連絡するわ」
ヒラミーとルクスリアに別れを告げ、シンとシュニーは学園を出る。夕暮れはとうに過ぎて、あちこちでランプ代わりの魔術の光が瞬いていた。
「あー……ええと……シュニー、さん?」
「…………」
気まずい雰囲気を変えようとシンが声をかけるが、シュニーは無言で歩くだけだ。
やばい、これはやばいとシンは冷や汗が止まらない。しかし、焦っても事態は好転せず、結局宿に着くまでシュニーは一言もしゃべらなかった。
「ソファーに座ってください」
「了解です!」
部屋に入ると、シュニーはドアの鍵を閉めながらそう言った。無言の圧力に耐えていたシンは、シュニーの意図を考えることなく言われるがままにソファーに座る。
数秒遅れてやってきたシュニーは緊張で固まるシンの前に立ち、おもむろに膝の上に座った。互いの体が、向かい合うようにである。
「ええと、シュニー、さん?」
抱きついていると言ってもいい密着具合に、シンは困惑した。膝の上に座っているので、シュニーの胸が丁度シンの目の前にあるのだ。その密着具合ゆえに、シンが少し上半身を前に倒せばシュニーの胸元に顔をうずめることになるだろう。無論、今のシンにそんな選択肢はない。
「…………」
無言でシンを見つめるシュニー。視線はシュニーの方が高いので、上から不機嫌そうな表情で見つめられると、シンは凄まじく居心地が悪かった。
そんなシンの内心を知ってか知らずか。シュニーはおもむろにシンの顔を両手で掴むと、そのまま自分の胸元に抱きこんだ。一瞬、また天国と地獄を同時に味わうのかと思ったシンだったが、予想に反してシュニーの腕にはさほど力は入っていない。
シンが顔に当たって形を変える柔らかな感触を感じつつ、問題なく呼吸が出来る程度の力加減。抱き締められている方としては非常に嬉しい状態だ。ただ、やはりその意図はわからず、シンは顔を抱かれたまま行き場をなくした両手を空中にさまよわせる。
「どう、ですか?」
シュニーがシンの頭を抱きしめてから、およそ5秒。聞き耳スキルがなければ聞き取れるかどうかぎりぎりの音量で、シュニーがシンに訪ねた。
ただし、質問は非常に答えに困るもの。
シンにはシュニーの意図がまったくわからないのだ。単純に柔らかいとか気持いいとか言ってもダメな気がして、答えに詰まる。
「答えてください」
シュニーの腕にわずかに力がこもる。シンの顔がより深くシュニーの胸に沈み、漫画ならばムニュッとでも音がしそうだ。
「あー、ええと……非常に、幸せです」
できればもうしばらくこうしていて下さいという言葉は呑みこんで、シンは答えを絞り出す。数秒前に考えて却下したものとあまり変わっていない。とはいえ、シュニーの機嫌という唯一にして最大の問題を除けば、シンにとって今の状態は本当に幸せな状態といえるのもまた事実。抱き締めるのも良いが、抱きしめられるのもまた良いのだ。
「ルクスリアさんの……よりもですか?」
「当然だろ」
次の問いには即答できた。そして、シンはなんとなくシュニーが取った行動がどういうことなの理解した。
「最高の女がすぐそばにいるんだ。わざわざ悪魔に手は出さないよ。あれは俺だって驚いたんだぞ?」
シュニーの背に手をまわし、抱きしめ返しながらシンは言う。シンの答えを聞いて、シュニーは数秒の間を開けて抱擁を解いた。
「本当ですね?」
「本当だ」
呆れたようにシンは言う。もしかするとルクスリアなりに場の空気を和ませようとしていたのかもしれないが、今回はシュニーの感情を煽る結果になってしまったということなのだろう。
「でも、シュニーがこんなに大胆なことをしてくるとは思わなかったな。俺としては、シュニーの新しい一面が見れて役得だったけどさ」
シンはさりげなくシュニーの腰に手をまわして言う。
「シュニーって、実はけっこう嫉妬深い?」
「……!?」
シンの発言から数秒。言葉の意味を理解したシュニーの顔にさっと朱が指す。
そう、今までの一連の行動は、ひとえにシュニーがルクスリアの行動に動揺したシンを見て、嫉妬していたが故のものだった。
シュニーの視線があちこちに泳ぎ、さらに数秒かけて自分がどんな状態かを理解するとすぐにその場から飛びのこうとする。
しかし、その動作をシンの手が阻む。腰を押さえて、シュニーの下半身の動きを封じたのだ。当然、動けないシュニーは動かすまいとするシンと至近距離で見つめ合うことになる。
「は、放して下さい!」
シンに言われて、今までの自分が冷静さをなくしていたと気付いたようだ。
「却下。せっかくやきもちを焼くシュニーが見られたんだ。さっきまでの緊張感のお返しに、恥ずかしがるシュニーを堪能させてもらう!」
「何を言っているんですか!?」
シュニーはシンの腕を掴み、力づくで引きはがそうとする。しかし、腕力その他諸々の能力はシンが圧倒的に上だ。こうなってしまえば、周囲に被害を出すようなことでもしない限りシンの拘束からは逃れられない。
つけ加えるならば、今のシュニーは本来の力の半分も出せていなかった。
「ぅぅ……そんなにじっと、みないで、ください」
じっと見つめてくるシンの視線から少しでも逃れようと、シュニーは両手でシンの顔を覆う。しかしその程度、シンの透視の前では無意味だ。ジョブと種族特性ゆえに人の視線に敏感なシュニーは、シンの視線がまったく防げていないことに気づいている。そのせいもあって、ただでさえ赤かった顔はもう茹蛸のようになっていた。
「また一つ、シュニーの知られざる一面が明かされた、と」
「声に出して言わないでください! いいじゃないですか! 私だって、嫉妬することくらいあります!」
「でも、ここまで露骨に態度に出たのは初めてじゃないか?」
「そ、それは……」
シンの指摘に、シュニーの声が段々としりすぼみになっていく。シンの顔を覆っていた手を引き、もじもじと胸の前で動かす。
最後はもはや口ぱくも同然だったが、それでもシンの耳はシュニーが「気持ちが、抑えられなかったんです」と言ったのを聞き逃さなかった。
(……今まで我慢してた分の、反動かね)
ハーメルンの介入で記憶を失うことがなければ、シンはまだこの世界に残る決心ができていなかったかもしれない。どちらとも言えないシンの心境を慮って、シュニーは無意識のうちに感情を、とくに負の感情やそれに近い気持ちをセーブしていたのだろうとシンは思った。
シンの気持ちがはっきりとシュニーに向いたことでその縛りがなくなり、本来の性格や感情の動きが表に出てきたのだろう。
そう思うと、シンはつい笑ってしまった。
「笑わなくてもいいじゃないですか」
「悪い悪い。別に馬鹿にしてるとか、そういうことじゃなくてさ。こうやってどんどんシュニーが感情豊かになっていくのを見られると思ったら、嬉しくなってな」
今のシュニーは、シンの従者ではなく人生のパートナー。だからこそ、今回のようなより人間味のあるシュニーを見るのはシンにとって幸福を感じられることだった。
「こんな状態を見て嬉しいと思われても困ります! なんだかいつもの自分じゃないみたいで、すごく恥ずかしいんですよ、もう……」
そういって視線をそらす様も可愛い。そうシンは思ったが、これ以上からかうと本気で怒られそうなのでやめておく。
さっきまでの緊張感はどこへやら。終わってみれば、結局はただイチャついていただけの2人であった。
◆
「あの、そろそろ下りたいので手を離してください」
「もう一度抱きしめてくれたら考えよう」
「シ、ン?」
「いや、冗談だって」
シュニーから発せられた怒気に、さすがに冗談が過ぎたかとシンは腰にやっていた手を放す。
まだ顔の赤いシュニーは、食事を用意するといってキッチンに向かった。食事が出来るころには、もういつものシュニーである。
食事を終えると、シンは武具の点検をすることにした。大丈夫だろうという予想はあるが、相手は悪魔だ。万全を期することにデメリットはない。
シンはカード化していた『ジ・アーク』と『討魔の聖鎧』を取り出しながら、シュニーに対悪魔用の小太刀『暁闇』と『討魔の忍装束』を出すように言った。
「ほとんどダメージらしいダメージを食らってないけど、やっぱり足と腕が少し消耗してるな」
『吸生の汚泥』の上を駆け回ったグリーブや、拳を打ち合わせたガントレットはわずかではあるが耐久値が減少していた。しかし、その消耗も対悪魔に特化しているからこそ少量ですんでいる。対策をしていなければ、相応の消耗を強いるのが悪魔だ。
『討魔の聖鎧』の消耗はたいした数値ではなかったので、留め金や飾りなど壊れやすそうなところを見てから鍛冶スキルによって素材を塗りこむようにして補修するだけで終わった。
『ジ・アーク』の耐久値は『討魔の聖鎧』より多く減っていたが、それでもはそのまま使い続けても問題ない程度。念のため分解して不備がないかチェックし、問題なしと判断する。
「では、お願いします」
「おう」
シュニーから装備を受け取り、実体化させる。まずは『暁闇』だ。攻撃回数自体が少ないので、耐久値は減っていなかった。分解してみても、とくに問題はない。
『暁闇』を元に戻し、カード化してから『討魔の忍装束』に取り掛かる。
「ん? どうした?」
今までの武具と同じく全体をくまなくチェックしていたシンは、ふとシュニーが恥ずかしそうにしていることに気付いた。
「いえ、あの、何でもありません」
そう言うシュニーだが、視線をそらしているので何かあるのは疑うまでもない。
「気になることがあるなら言ってくれ。調整する」
「ええと……性能に不満があるわけではないんです。肌に引っかかるような感じもないですし、むしろ動きやすいと言ってもいいでしょう。ただ、その……こうしてシンがチェックしているのを見ていたら、なんだか自分の全身をくまなく見られているようで。恥ずかしいと言いますか、落ち着かないと言いますか」
「あ、あー……なるほど」
少し頬の赤いシュニーに、シンは納得したとうなずく。
『討魔の忍装束』はその性能と戦闘の経緯が合わさって、耐久値はまったく減っていない。シュニーの言うとおり、性能面はまったく問題がないといっていいだろう。
ただ、今シンの手元にある『討魔の忍装束』は、シュニーのボディラインをそのまま型取りしたといっても過言ではない形をしている。普通の衣服のように伸び縮みしているのではなく、サイズ調整機能によって体にフィットする形になっているのが原因である。そのため、胸や臀部、二の腕や太ももなど女性が気にするだろう部分のサイズもシュニーの体格そのまま。『討魔の忍装束』の各部位のサイズを測ればシュニーのスリーサイズ他、同様の部位の詳細な数値がはっきりとわかってしまうのである。
いくら実際に見ているわけではないとはいえ、シュニーにとっては羞恥心を感じるには十分なのだろうとシンは考えた。
「でも、ちょっと今更な気もするような」
国に定められた届を出さないと夫婦とは認められないこともあるが、誰が何と言おうと2人はもう夫婦。そんな2人が一つ屋根の下で暮らしているとなれば、ルクスリアが指摘したような色事も当然ある。
ボディラインがどうこう言うレベルはすでに過ぎ去っていると言ってもいいのだから、恥ずかしがることはないのでは? とも思ってしまう。
「それとこれとは、話が別です! 何を言っているんですか!」
「そ、そうか」
シュニーの剣幕に、シンはたじたじだ。これ以上はこの話題には触れまいと話を変えることにした。
「とりあえず、『討魔の忍装束』も問題なしだ。あの戦いなら当然といえば当然だけどな」
シュニーにカード化した装備を渡し、シンはアワリティアとの戦いを思い返した。
「次もあのくらい楽だといいんだけどな」
「街の中に入れない方法があればいいのですが」
人型のまま忍び込まれては、さしものシンも手の出しようがない。
「ヒラミーに聞いてからだけど、ルクスリアの周りにはいろいろ仕掛けさせてもらうか」
狙われているのはルクスリアだ。シンもまさか悪魔を守るために行動することになるとは思っていなかったが、この世界ならばそんなこともあるだろうと考え直した。
「ふふ、ルクスリアさんは嫌がりそうですね」
「悪魔用だからな。ルクスリアにも効果があるし」
真剣な話だったが、少し面白そうだとも思ってしまうシンだった。
◆
翌日、さっそくヒラミーに聞いてみようとシンとシュニーは学院に向かっていた。
「なんだか、いつもより騒がしいような」
商店が並ぶ通りを歩いていたとき、シンはなんとなく思ったことを口にした。ヴァルガンたちの工房に向かうときも使うルートなので、けっこうな頻度で通るのだ。
「値切り交渉がほとんどですね。よくある光景ではありますが、皆さんいつもより雰囲気が険悪な気がします」
食材の値段交渉はシュニーが行っている。シンは荷物持ちということで一緒にいるので、他の客が交渉しているもよく見かけていた。ただ、いつもはもっと気軽で雰囲気も悪いものではない。一種のコミュニケーションでもあるのだ。
しかし、今日のそれにそんな気易さはなかった。
「少し見てきます」
シュニーがなじみとなりつつある店に近づき、商品を一通り見てから店主と話し始める。シンも邪魔にならない程度まで近づいて会釈した。
困ったように話す店主に、シュニーは終始穏やかな態度だ。その甲斐もあって、店主からいろいろと話を聞くことができたようだ。
「物資の流通が滞っている、か」
いつもより割高だった果実を片手に、シンはつぶやく。どこの店も同じような状態のようで、住民の財布を圧迫し始めているらしい。
物資を運んでくる商隊のほとんどが、期限を過ぎても到着していないのが原因のようだ。複数の都市と取引をしているので、1つの都市で何かあってもいきなり困窮するようなことにはならない。つまり、交易関係にあるすべての都市か、都市間をつなぐルートに何かあったということ考えられる。
「すでに国も原因解明に動いているようです。いくつかのルートに騎士を派遣したとか」
「交易ルート潰し。アワリティアか、それに協力してる連中の工作だろうな」
シンが考えつくのは、以前潰した洞窟にあった武器とモンスターを利用した商隊の襲撃だ。高レベルモンスターを武装させれば、プレイヤーでいうところの1パーティで商隊程度軽く潰せるだろう。シンたちが潰した洞窟はたった1つ。同じような洞窟が他にいくつあるのかシンにはわからないが、1つ残っていただけでも被害を出すには十分だ。
いくら国同士の交易ルートとはいえ、すべての商隊に強力な選定者をつけることはできない。仮にいたとしても、ファガルやシーリーンクラスの選定者でなければ生き残ることも難しいだろうと思われた。
「あいつらのところはもっと安いだろうが! なんでこっちはこんなに高いんだ!」
「あんたもしつこいぞ! こっちはこれで精一杯なんだ!」
流通に手を出してくるかとシンが思っていると、少し先の店で客と店員らしき人の口論が聞こえてきた。2人ともかなりの剣幕で周囲の人も店を避けるように歩いている。
今にも手が出そうな雰囲気だ。シンは衛兵ではないので口論だけですめばよし。拳が出るようなら止めに入ろうと考えていた。
「ん? あれは」
しかし、そんな2人の間にまったまったと割って入る人影があった。
言い争っていた2人よりも頭一つ高い長身の男で、細身ではあるが背中に背負った巨大な大剣がただの青年ではないと無言で主張している。
青年は人懐っこい笑みを浮かべて2人に事情を聞いていた。
「値段が高くなってるのはどこも同じだ。商隊が狙われてるのはあんたも知ってるだろ? あんたの言ってる店だって、今後も同じ値段を維持するのは難しいはずだぜ?」
シュニーが店主に聞いていたように、商隊が来ていないのはすでに住民の知るところとなっている。今の状況が続けば、どこも値段が上がるのは時間の問題だろう。
「国だって何もしてないわけじゃないんだ。それに、これ以上騒いだら衛兵がすっとんでくる。あんただってそこまでおおごとにする気はないだろ?」
衛兵という言葉に、客の男はぎくりと身体をこわばらせる。男も完全に冷静さを失っていたわけではないようで、すまないと店員に謝って去っていった。
「なんだか、あいつらしいな」
久しぶりに見る姿に懐かしさを感じながら、シンは青年に近づく。
青年の方もシンに気づき、一瞬驚いてからすぐに笑顔を浮かべた。
「シンさん! 本当に来てた! あ、シュニーさんも!」
「よ、久しぶり」
ダッシュで近づいてくる青年の名はマサカド。ヒラミーとともに命を落とした、元プレイヤーである。
シンは気安い挨拶を、シュニーは軽く目礼をした。
「おー、近くで見てもシンさんだ」
「おいおい、そりゃ当り前だろ」
感心した様子のマサカドに、シンは呆れ交じりにかえす。ゲーム時と同じ茶色の髪と赤い目。種族はドラグニルだが、マサカドは外見をほとんどヒューマンと同じにしてあるので腕や足に鱗が少しあるくらいだ。角もないので、服を着ているとヒューマンと見分けがつかない。
シンの記憶ではレベル211の聖騎士だったが、今ではレベルが231まで成長していた。
「今帰ってきたのか?」
「おう。任務はしっかり果たしてきたぜ」
商隊を襲っていたシャドゥ・ハウンドの群れを討伐に行っていたとマサカドは語る。シャドゥ・ハウンドは影に潜る能力を持った狼型のモンスターで、レベル帯は250~300。通常より大きな群れがいたらしく、討伐に時間がかかったようだ。
「でも、戻ってきたら他の場所でも商隊が襲われてるって言うだろ? どうなってんだって他のやつらとも話してたんだ」
せっかく交易ルートの安全を確保したと思ったら他のルートが潰れていて流通が滞っていると聞き、これは何か起こっているのではないかとヒラミーのところに向かっている途中でシンたちと再会したとマサカドは言う。
「事情だけなら、心話でもいいんじゃないか?」
「いやまあ、そこは直接、さ」
「ほほう?」
マサカドの態度に甘酸っぱい雰囲気を感じ、ニヤリとシンの口の端が上がる。どうやら、マサカドとヒラミーは互いに憎からず思っているようだ。
シンの知るマサカドはまだ15歳の少年だった。今では相応に歳を重ねているはずだが、シンにはかつてとそれほど変わっていないように感じられる。
「俺たちもヒラミーのところに行く予定だったんだが、お邪魔かな?」
「いやいや、そんなことないって。シンさんたちがわざわざ行くってことは悪魔絡みだろ? 帰らせたなんて言ったら、ヒラミーになんて言われるか」
「相変わらず、ヒラミーには頭が上がらないか」
「そ、そりゃあ、向こうのほうが立場が上だし……」
それらしい理由を口にするが、そうでなくとも同じなのだろう。
2人が知り合った経緯をシンは知らない。ただ、2人と知り合ったときにはもう、深く考えずに突撃しようとするマサカドの首根っこをヒラミーが杖で引っ掛けてストップをかけていたのを覚えている。
実際、現実でもヒラミーのほうが年上と言う話を聞いたことがあるので、それも理由ではあるのだろう。仮にそうでなくとも2人のことを知っている人物ならば、同じ結果になったと思うのは間違いないとシンは思った。
「ふむふむ、詳しい話はあとで聞くとしよう。まずはヒラミーのところに向かうぞ」
「うへぇ、勘弁してくれよ……」
ニヤニヤするシンにマサカドは辟易とした態度だ。もしかすると、仲間にもからかわれたのかもしれない。
終始無言だったシュニーだが、微笑を浮かべているので内心はシンと同じようなものだろう。
学園に着くと、マサカドが一緒だったこともあり門はほとんど素通りだった。選定者相手の訓練教員でもあるので、門番とはある意味仕事仲間なのだ。
3人はまっすぐに学長室に向かう。扉をノックしてマサカドが入室許可を求めると、中から「どうぞ」と声が返ってきた。
「シャドゥ・ハウンド討伐、完了しました。こちらが討伐証明になります」
「はい、確認しました。書類はこちらで処理しておきます」
学院の仕事の一旦なので、報告は真面目に行うようだ。マサカドが差し出した素材のカードを確認して、ヒラミーは1枚の書類を出してサインをする。
「マサカド」
「ん?」
「お帰りなさい。無事でよかった」
シンや他の教員たちに向けるのとは違う、無防備ともいえる笑顔を浮かべてヒラミーはマサカドに言った。
「お、おう。ただいま。あー……なんか、他に人がいるとこのやり取り恥ずかしいな」
「え? 何言ってるの?」
「いや、だってさ。シンさんたちもいるわけだし」
「え、ええ!? いるの!?」
「何驚いてんだよ。俺の後ろに……」
驚くヒラミーに呆れながらマサカドが後ろを振り向く。しかし、そこにシンとシュニーの姿はない。
「……シンさん、謀ったな!?」
「いやあ、つい、な?」
「初々しいですね」
そう言ってシンとシュニーは隠蔽をといて姿を現した。
「な、ななな……」
ヒラミーは事情が飲み込めず、うまく言葉が出ないようだ。ただ、マサカドと2人きりだと思って対応していたのを見られたことは理解しているようで、あっという間に顔が真っ赤になった。
「俺の心配は杞憂だったようだ。ちょっとルクスリアを呼んでくるから続きをどうぞ」
「お供します」
満足だとうなずいて、シンは滑るようにドアの元へ。シュニーもしれっと隣にいる。
「シーンーさーんー!!」
「ヒラミー落ち着け! ちょっとシンさん。これ放置!?」
閉めたドア越しに聞こえる声に、これはやりすぎたかもしれんとシンは少し後悔した。
◆
「ふふ、顔が真っ赤ね。学長さん?」
「言わないでください」
学長室にルクスリアを連れたシンたちが戻っても、ヒラミーの顔はまだ赤いままだった。これは見逃せないと、ルクスリアがからかう。ヒラミーは即答だ。
ちなみに、この後シンはヒラミーからちくちくと小言を言われた。
「それで、今日は何の用事があるんですか? 昨日の件とは別なんですよね?」
「ああ、ルクスリアの周りに悪魔用の罠を仕掛けておけないかと思ってな」
相手が罠の事を知らなければ、もし直接戦闘になっても戦況を有利に進められるとシンは語った。
「ねぇ、確認なんだけれど。それって、私も引っかからない?」
「ああ、だから罠の位置はしっかり覚えてくれ」
悪魔用の罠は、悪魔ならどれにでも反応する。ルクスリアだけ反応しないようにするなどという都合のいい設定にはできない。少なくとも今のシンには。
「はぁ、窮屈なことになりそうね」
頬に手を当てて、ルクスリアがため息をつく。
「それもこれも全部アワリティアのせいだわ。こうなったら一発で大ダメージを負うようなすごいやつを仕掛けてもらいましょうか」
「いいのか? お前が食らっても大ダメージだけど」
「当たらなければいいのよ」
目にもの見せてやると意気込むルクスリアに、シンは大丈夫かと思わずにはいられない。だが、強力な回復能力を持つアワリティアに、中途半端な威力の罠などさしたる効果はないのも事実。それならばと、シンは昨夜のうちに用意していた今出来る最高品質の罠を取り出した。
「それは?」
「前に話した拘束用の罠と悪魔に対してのみダメージを与える罠だ。右のカードが拘束用、左がダメージな」
人型に対応したものはまだ出来ていないので、すべて悪魔形態を想定したものだ。
「アワリティアは下半身が不定形だから、拘束用は水術を使って凍らせるタイプだ。これなら学院内で発動しても校舎が吹っ飛ぶことはない。ただ、範囲内にいると悪魔以外も一緒に凍るから注意してくれ。ダメージを与えるやつはオーソドックスな光術が噴き出すタイプと効果範囲内ならどこにいてもダメージを受けるタイプだ。こっちは悪魔以外には効果がないから、拘束用と違って範囲内に人がいても大丈夫だぞ」
「巻き込まれた人、死なない?」
「拘束がメインだから大丈夫だ。ダメージはほぼない。ダメージタイプは思いっきり悪魔特化だから、間違ってもくらわないようにな」
シンは経験から、防御なしで直撃すればHPの1割くらいは削れると予想していた。少なくとも、汚泥は綺麗さっぱり吹き飛ぶだろう。
「私で、試す?」
以前、悪魔用のアイテムを自分で試せば効果のほどがわかると言ったのは本気だったようで、ルクスリアはシンに問うてきた。
明らかに顔色が悪い。
「洒落じゃすまなそうだから止めとこう。込められる限界まで魔力を込めたからな」
「そうね。私もあんまり激しすぎるのはちょっと」
ルクスリアは少しほっとした様子だ。真面目な会話なのだが、ルクスリアの最後のセリフだけ聞くと別の意味に聞こえそうになるあたり、やはり色欲の悪魔といったところだろう。
「さっそく設置しようと思うんだけど、許可もらえるか?」
「一応確認なんですが、生徒に危険はないですよね?」
「ああ、大丈夫だ。この罠は悪魔にしか反応しないからな。仮に生徒が触っても起動はしない」
悪魔なら誰であろうと問答無用だが、それ以外の種族には無反応なのが今回の罠の特徴の一つだ。
「なら、安心です。間違って誤爆、なんて怖すぎますから」
生徒の安全も守らなければならないヒラミーは、シンの言葉を聞いてほっとしていた。
その後はルクスリアを伴って罠を設置していく。敵側に罠を探知できる人物がいる可能性もあるので、それとわからないように偽装工作もしておいた。
「私には何もないようにしか見えないわ。本当に気をつけなくちゃ」
シンが罠を仕掛ける様子を真剣な目で見ていたルクスリアが、表情を引き締めて言う。敵に気取られるわけにはいかないので罠を仕掛けた配置図などは作っていないのだ。全ての罠の位置を正確に把握しているのは仕掛けた張本人のシンか、ともに行動していたシュニー、ヒラミー、ルクスリアの3人である。
「もう! これも全部、アワリティアのせいだわ」
ルクスリアが恨めしげに言う。心のそこからそう思っているのが、シンたちにも伝わってきた。
◆
シンたちが対悪魔用の罠を仕掛けに行った後、ヒラミーは学園を出て王城に向かっていた。シンからもたらされた情報を国の上層部に伝えるためだ。
本当は朝一番に向かう予定だったが、アワリティア討伐の報が城内を駆け巡っているようで取り次いでもらうのに時間がかかっていた、
「まだアワリティア本体が来るまでは時間があるって話ですけど」
できるだけ早く伝えたい。シンたちならばすぐに王に謁見できるのではないかとも考えたが、シンたちのことをよく思っていない貴族たちもいる。
悪魔の恐ろしさを本当の意味で理解しようとしない者たちだ。シンやシュニーが謁見を申し込んでも、邪魔をする可能性が十分あった。ヒラミーはシンがその可能性も考えて自分に伝言を託したのではとも思う。
「シンさんやシュニーさんなら、悪意のこもった視線くらいすぐに気付きますよね」
自分がわかるくらいだ。シンが気付かないはずがないと、ヒラミーは思った。ゲーム時代はそう言った視線がわずらわしいと話していたのを、ヒラミーは聞いたことがある。
そんなことを考えていたヒラミーの耳に、ドアをノックする音が届く。
「お待たせしました。王はまだしばらく動けないので、私が代わりに話を聞いてくるよう仰せつかってまいりました」
ノックのあとにドアを開いたのは、王都の守護者にして勇者の一角、シーリーンだった。学院設立の為に王城へやってくることが多かったヒラミーは、幾度か顔をあわせているうちにシーリーンとはすっかり馴染みの関係になっている。
「お忙しいところ、時間をとっていただきありがとうございます」
立場が違うので最初は形式通りの無難な挨拶。だが、すぐに表情を緩めて互いに笑顔を浮かべた。周りには誰もいないので、多少気安い口調になっても咎められることはない。
「なんでも、早急に伝えなければならないことがあるとか。もしや、悪魔のことでなにか?」
「はい。シンさんたちが気付いたんだけど、アワリティアはまだ討伐されてないみたいなの。ルクスリアさんによるとあと数日でここに到着する距離まできてるみたい」
「馬鹿な!? あれはシン殿が倒したはずでは……私も確かに見届けたぞ?」
ヒラミーの発言に、いつもは冷静なシーリーンも言葉を荒げた。
「他の悪魔を吸収している場合、劣化版ですが吸収した悪魔の能力を使うことが出来るの。おそらく、怠惰を吸収したんだとシンさんたちも言ってたわ。あの悪魔は分身を作り出す能力を持ってるから、それを倒したんじゃないかって。次に来るアワリティア本体は、シーリーンが戦ったものよりもっと強いはずよ」
「なんという事だ……あれで本来の力ではなかったというのか」
シンは終始圧倒していたが、それができるのはシンだからだ。対悪魔武器がなかったらならば、シーリーンに勝ち目はない。
「今、城内はアワリティア討伐の報に沸いている。そこにこれか」
シーリーンは頭を抱えた。悪魔についてある程度知識のある王や側近たちだけならば、動揺はしてもさすがは悪魔かくらいですむだろう。しかし、兵士たちの士気は間違いなく下がる。場合によってはシンに落ち度があったのではないかという話にもなりかねない。
「シン殿ではなく、国の調査で判明したということにしたほうがいいか。く、武器の配備もまだ完全ではないというのに」
「そうね。そのほうが動揺も少ないと思う。前回の戦いでは兵士には何の被害も出ていないから、今度は自分たちで国を守るんだ、みたいな感じでシーリーンが激励すれば士気もそこまで下がらない……と、いいなぁ」
「それは私やファガルが考えることだ。アワリティアがこちらに向かっているなら、一番危険なのは学院だろう。大丈夫なのか?」
ルクスリアがいるのは学院の保健室だ。アワリティアがルクスリアを狙っている以上、真っ先に狙われる可能背がある。
「そこは私もいろいろと考えてるわ。いざって時は、緊急脱出機能を使うし」
「緊急脱出? 初めて聞くな」
「転移で学院内にいる人全員を地下シェルターに避難させられるのよ。1回しか使えないから、本当に差し迫った時用なんだけど、今回はまさにそのときなのよね」
学院内にアワリティアが入り込むか、それに近い状態になったらヒラミーは躊躇なく使うつもりだ。悪魔同士が本来の姿で戦ったら、周辺は瓦礫の山になる。そんな怪獣大決戦の横で、まともな避難などできるはずもないのだから。
「また、転移か」
「また?」
「シン殿にも、緊急時の脱出手段としてカード化された転移の結晶石を渡された。アワリティアとの戦いが終わったあとに回収されたが、失われたはずの魔術がこう何度も話題になると実は珍しくないのではないかと思ってしまう」
現在では再現不能の技術で、元プレイヤーか選定者、あとは極小数の継承者くらいしか使うことができない。加えて、選定者でも転移が使える者は滅多におらず、元プレイヤーも全員が使えるわけではないので研究も進まないのだ。
「私もギルドハウスの機能を持ってきただけだから、転移自体は使えないの。それに、あれは使い方次第じゃ危険な武器になるから広まりすぎるのも困るし」
使い方次第では暗殺や侵略に効果的な技術でもある。便利ではあるが、広めるべきではないとヒラミーは言った。
シーリーンもヒラミーの言いたいことは理解できるのでとくに反論はない。
「あ、話がそれちゃったけど、伝えることは悪魔のことだけだから」
「構わんさ。悪魔については、王に間違いなく伝えておく」
「よろしくね」
もし何かあればまた連絡すると言って、ヒラミーは話を終えた。シーリーンに見送られ、馬車で学院に向かう。学院の長として、やることはたくさんあるのだ。
「あれ以上の悪魔が来るのか、次は覚悟を決めねばならないかもしれないな」
ヒラミーを見送って、シーリーンは王の執務室へと向かった。
シンとともに戦ったアワリティアのプレッシャーを思い出し、握った拳に力が入る。シンやシュニーのことはアワリティアも警戒しているだろう。直接戦うのは避けるかもしれない。だが、自分はどうかとシーリーンは自問する。
シンから渡された武器があるので一方的にやられることはないだろうが、場所によっては勝ち目がない。アワリティアの能力をシンから聞いているシーリーンは、街中に現れたら時間を稼いでシンたちが来るのを待つしかないかと少し気落ちしながら結論を出した。
自分たちの国を守るのに他者を当てにする。それがシーリーンには悔しい。
「シーリーン殿。話はもう終わったので?」
「ナムサール殿? 今は兵の訓練を見ているはずでは」
王の執務室へと続く道の途中で、シーリーンはナムサールに呼び止められた。相変わらずの陰気な表情と雰囲気だが、シーリーンは慣れたものだ。
「シン殿とつながりのあるヒラミー殿からの急ぎの連絡です。何か重要な情報なのではと思い、抜けてきました。あとのことは副長に頼んであるので問題ありません」
「そうでしたか。確かに、急ぎ王に伝えねばならない情報です。どうやら今回討伐されたアワリティアは分身であり、本体はまだ健在だということです」
シーリーンは周囲に人の気配がないことを確認してから、小声で言う。話を聞いたナムサールはピクリと眉を動かしただけだった。
「なるほど、やはり倒されてはいませんでしたか」
「あまり驚かれていないようですが、もしや予想していたのですか?」
まるでわかっていたとでも言いたげなナムサールに、シーリーンは驚きとともに問いかける。
「…………」
「ナムサール殿? どうかし――ぐっ!?」
問いかけに無言で返したナムサールを不審に思ったシーリーンの首に、何かが巻きつく。まるで気配を感じさせなかったそれは、ぎりぎりとシーリーンの首を締め付けてきた。ステータスの高さから、ただ首を絞められた程度ではびくともしないはずのシーリーンの呼吸が不意に止まる。
「っ!!」
異様な事態だったが、シーリーンは大人しく意識を落とされることはなかった。訓練の賜物で、攻撃を受けているとわかった瞬間に『ギルディーン』を具現化させる。
しかし、首に巻きついた何かを攻撃するより先に、ナムサールの背から伸びた黒い影のようなものがギルディーンを弾き飛ばした。
思いもよらぬ事態にシーリーンの焦りが募る。ちょうど息を吐き出したタイミングだったので、意識が朦朧とし始めているのだ。追加で武器を取り出しても弾かれるだけと首に巻きついたものを素手で引き剥がそうとするが、がっちりと食い込んでいるため不可能。引きちぎろうとしても、シーリーンの膂力でさえびくともしない強度があった。
「最後まで諦めないとは、さすがは勇者ってとこかねぇ」
どこからともなく、男の声が響いた。若い男のものと思われるそれは、シーリーンに強い不快感を覚えさせる。
シーリーンには、今の状況がさっぱりわからない。しかし、朦朧とした意識の中でも、ナムサールをこのままにしておくのは危険とわかる。
「何もできねぇよ。大人しくしときな」
自爆に近い形で魔術を行使しようとしたシーリーンの体に衝撃が走る。すでに意識が落ちかけていたシーリーンは、それに抗うことは出来なかった。
◆
「ん、ここは……?」
シーリーンはそうつぶやいて歩みを止めた。周囲に目を向けると、見慣れた王城の通路が視界に映る。
「シーリーン殿? どうかしましたか?」
「え、ああ、いや。なんでもありません」
少し先で振り返っているナムサールに、問題ないと返事をする。歩きながら眠ってしまったのだろうかと首を捻りながら、シーリーンは歩みを再開した。
「どこもアワリティア討伐の知らせに浮かれすぎているように思いませんか?」
「同感です。国周辺のモンスター分布もまだはっきりしていませんし、高レベルモンスターの目撃証言もある。おまけに商人がモンスターに教われて流通が滞っています。浮かれている場合ではないでしょう」
すれ違った貴族たちがしていた話を耳にして、シーリーンはため息をつく。まだ問題は山積みだ。
「ですが、アワリティア討伐は数少ない良い知らせですからね。ある程度までは目を瞑ります」
「仕方がないといったところですか。では、私はこれで。シーリーン殿も体調には気を付けてください」
とてもそうは思っていなさそうな表情で言い、ナムサールは去っていった。
それを見送って、シーリーンは騎士団の詰め所へと足を向ける。これからまたモンスターの調査と討伐が待っているのだ。
「さて、仕事だ」
シーリーンは気付かない。首にうっすらと残る何かに締め付けられたような跡に。気が付く前の記憶がないことに。
アワリティアはまだ死せず、王国の危機はすぐそこまで迫っていた。
しおりを挟む さてどうするかと頭を悩ませていたシンがエルクントへと帰還すると、真っ先にシーリーンに王へと報告する必要があると王城へ向かうことを要請された。ことがことだけに、直説王へと報告することになったのだ。玉座の間で仰々しく報告するのかと思ったシンだったが、通されたのはまたしても王と面会した例の部屋だった。
そして、アワリティア討伐の報を聞いたクルンジード王は、わずかな思案もすることなく、シンのドロップアイテム所有を認めた。事前に考えていたのではないかという即答ぶりに、シンは拍子抜けしてしまったほどだ。
「よろしいので? 非常に貴重なものですが」
「だからこそだ。もし悪魔から得たアイテムが有用だと知れれば、次の標的としてルクスリア殿を狙おうとする者が現れかねん。しかし、いくら対悪魔武器があろうと、罪源の悪魔を簡単に狩れるなどと考えてもらっては困る。お主たちも、ルクスリア殿が相手となればよほどのことがなければ協力などしてはくれまい。シーリーンよ。お主たちだけで悪魔を狩れるか?」
「正直に申しまして、シン殿やユキ殿のような力を持っていなければ、今回のような戦果は上げられないと言わざるをえません。ダンジョンへと赴いたのが私とファガルであったならば、よくて逃走、悪くて返り討ちでしょう。実際にこの目で見て、自分の考えがいかに甘いものであったか思い知りました」
シンとは別に報告がいっていたのだろう。シーリーンの話を聞いたクルンジード王に動揺はない。
「うむ、実際に戦闘を行ったシーリーンが言うのだ。疑う理由はあるまい。シン殿には我らの国と民を救ってもらった恩もある。アイテムはシン殿たちが次の悪魔狩りのために持っていったと言えば、文句を言う者もおるまい」
大々的に表彰したいところだが、それはシンの意向もあって行われない。その代わりとして、アイテムの融通や報奨金で報いるという方向になったようだ。話しぶりからして、王やその側近たちで話をまとめたのだろうとシンは思った。
「土地と爵位を、という話もあったのだがな。そなたたちは受け取ってはくれまい?」
「もらったところで、という話になってしまいますから。それに、爵位をもらうということはエルクントに所属するという意味にもなりますし」
それはできないと、明確な言葉にはせずにシンは答えた。
アイテムや金ならば、受け取ろうとそれはその場だけの話で終わる。しかし、爵位や土地といったものはそれだけでは終わらない。いろいろとしがらみの元になるのだ。
ここで受けるならば、とうに別の場所で受けている。
「惜しいが、仕方あるまい。貴族の中には自陣に引き込もうとする者もいるだろう。我が名において禁じておくが、それでも何かしてきた際は連絡を入れて欲しい。対処しよう」
「ありがとうございます」
クルンジード王の提案は、シンにとって至れり尽くせりだ。王が間に立つ以上、よほどの馬鹿でない限り面倒な勧誘はない。おまけにドロップアイテムもゲットである。
できすぎのような気もしたが、実力者とのつながりと災害の消滅、モンスターの素材の大量流入などプラス面は十分か、と思い直す。
「うむ、それでシン殿は今後どう動くのだ? すぐにたつのかね?」
「いえ、仲間と合流する予定ですので、それまでは滞在するつもりです」
「であるか。ならば時間の許すときでいい。兵の訓練を見てもらえんか? ユキ殿の訓練を受けた兵が他の兵よりも明らかに強くなっていると訓練担当者から報告が上がっておるのだ。此度のようなことが再び起こらぬとも限らんからな」
「エルクントをたつまで、我々の時間が空いているとき。この条件を呑んでいただけるなら、可能です」
シュニーにアイコンタクトをとってから、シンは答えた。すでにやっていることなので、このくらいならという思いもある。
その後は報酬の受け取りと国を出るときは連絡をしてほしいと言う話をして、シンとシュニーは王城を辞した。
「このあとはどうしますか?」
「学院によっていこう。アワリティアのことで確認しておきたいことがある」
ルクスリアの言っていた気配のことをそのままにするのは、よくない気がした。小説や漫画でよくある「あの時確認していれば……」というような展開になっては困るのだ。
日が暮れるにはもう少し時間がある。突然の訪問ではあるが、ことがことなので許してもらおうとシンとシュニーは学院に進路をとった。
門番とはレクスたちの訓練をしているときにすっかり顔馴染みになっていたので、すぐにヒラミーに連絡をしてくれる。すぐに入校許可がでて、2人はまっすぐ保健室へと向かった。普通は学長室や応接室だろうが、指定されたのは保健室だった。
「はあい。こんな時間に訪ねてくるなんて、どうしたの?」
ドアをノックして保健室に入ると、ルクスリアが丸椅子を回転させて2人に向き直る。相変わらず、セーターとタイトスカートに白衣を羽織るスタイルだ。
足を組んでいるせいか、スカートがやけに短く見える。こういった仕草が、男子にはきついだろうなとシンは意味もない感想を抱いた。
「アワリティアのことで、確認しておきたいことがあるんだ。後回しにするのは良くないと思ってな」
アワリティアの名を聞いたルクスリアは、すっと目を細めて組んでいた足を解き姿勢を正す。
「何かあったんだろうとは思ってたけど、あいつが何か仕掛けてきたの? まだ少し距離があるはずだけれど」
そう言うルクスリアに、とぼけている様子はない。ルクスリアの感覚では、本当に距離があるのだろう。
「まだ距離があるはず、か。そうなると、俺たちが戦ったやつが本物じゃない可能性が出てくるな」
「どういうこと?」
「アワリティアと戦ったんだよ。それも、今日だ」
「なんですって! 一体どういうことなの!?」
予想していたものとは違ったようで、ルクスリアは立ち上がってシンに迫ってくる。それを押し留めて、シンはルクスリアを椅子へ座らせた。
ちょうどよいタイミングでドアがノックされ、ヒラミーの声がする。
「お邪魔しますよ。外まで声が聞こえていましたけど、何かあったんですか?」
「ちょうどいい。ヒラミーにも意見が聞きたかったんだ」
「はぁ……?」
事情のわからないヒラミーは首をかしげるばかりだったが、シンが詳しい話をすると表情を厳しくした。
「ドロップアイテムもあったんですよね? なら、まったくの偽物とも思えませんけど」
「そうね。おかしいわ。さっきも言ったけど、アワリティアはまだこっちについていないはずなのよ。ダンジョンの中は私の感覚が届かないからわからなくても仕方ないだろうけど、それなら私の感じてる感覚は何なのってことになるし」
実際に気配を辿って他の悪魔と会ったこともあるので、感覚に間違いはないはずとルクスリアは言う。
「別のやつと間違えてるってことは?」
「悪魔の気配は独特なの。少なくとも、今まで気配が変わったってことはないわ」
「強欲の悪魔が、2体いるとは考えられませんか? アワリティアのレベルは750でした。別の悪魔を取り込んでいるのは間違いありません」
ゲームの知識を総動員して今回の事態について考えていたシンに、シュニーがある可能性を提示した。悪魔が同化吸収した別の悪魔の能力を使用してくることは、たしかにある。
「考えられるのは、怠惰の分裂か」
「はい。いくつか気になるところもありますが、アワリティアの気配が2つあるというのを説明するにはこれが最も説得力があると思いました」
シュニーが怠惰の名を上げたのは、怠惰の悪魔が持つ能力を知っているからだ。
怠惰の悪魔は単独では全悪魔の中で最も弱い。だが、厄介さでは上位に来る。それは、自分と同じ能力を持つ分身を作りだすからだ。いくら悪魔の中で最弱だろうが、成長状態によってはボスクラスの強さを持つ存在が常に複数体で存在することになる。戦う側からすれば、その能力は脅威だ。その上、怠惰を倒すには一定時間以内に分身を全て倒しきらないといけない。分身全体のHPを調整しつつタイミングを図り、一気に殲滅するのが怠惰討伐のセオリーだとシンは聞いたことがあった。
「怠惰本人じゃない以上、同時撃破の条件はないはずだ。でも、今回のやつはたぶん本体じゃないだろうな」
同じ能力を持つ分身を作り出す能力を持っているにもかかわらず、分身には本体とそれ以外が存在する。本体に状態異常をかけると、分身まで状態異常に懸かるのだ。プレイヤーの間では同時撃破が前提なのに何の意味があるのかと議論が飛び交ったが、倒しやすくなるならいいじゃんと深く追求されずに終わっている。
今回は確かめようのないことだ。だが、シンの中にある言葉に出来ない感覚が、あれは本体ではないとささやいていた。
「確証はあるの?」
「いや、ぶっちゃけ根拠になるようなものは何もない。でも、あんなところで隠れてこそこそ何かやってたのが本体っていうのは、なんか違う気がしないか?」
「それはまあ、そうだけど」
「ま、俺の勘が当たってようが当たっていまいが、どちらにしろまだアワリティアの脅威は消えてないってことだな」
「たぶん、当たってるわよ。あなたみたいなプレイヤーの勘って、こっちじゃ結構当たるもの」
スキルの恩恵だろうとルクスリアは言う。直感やそれに類するスキルを持っているプレイヤーの中には、異様に勘の鋭い者もいたらしい。
「王宮からアワリティア討伐の話を聞いたときはシンさんたちだろうと思いましたが、まさかその日のうちにシンさんからまだ終わってないと聞かされるとは……」
「俺だってあれで終わってくれてた方がよかったよ。でも、ちょっとあっさり終わりすぎてたような気もしてたし」
ため息を吐くヒラミーに、シンは戦っていたときのことを思い出しながら話す。最終形態のアワリティアと戦うのは初めてだったが、かなり一方的にことが運んでいた。レベルと装備を考えればこんなものかとも思えたが、悪魔にしては弱すぎたような気もしていたのだ。
「シュニーはどう思った?」
「個人的な意見を言うならば、手応えがないという印象です。ただ、シンの作る装備が強力すぎますし、私自身もいくらかパワーアップしているのでそのせいと言えなくもない、といったところでしょうか」
「対悪魔装備も、前より強化してるもんな。手応えも変わるか」
やろうと思えば自分だけでもやれた。そう感じるほど、手応えが軽かったとシュニーは語る。装備が強力すぎるのも考え物だった。
「アワリティアがどういう手を打ってくるかはわかりませんが、以前よりは戦いやすくなったこと自体はいいことでしょう」
「そうだな。あとは向こうの分身の数とそれ以外の戦力か」
シュニーの前向きな発言にうなずいて、シンも残る問題を口にする。ゲーム時代なら分身は最大で2体。怠惰が使うものより能力は低下しているため、分身の能力は1割減といったところ。今回シンたちが1体倒したので、残りは本体と分身が1体のはずだった。
「たしか、モンスターを集めていたんですよね? 高レベルモンスターを率いてくるとなると、今ある戦力でどうなるか」
ヒラミーを含め、エルクントには戦闘向けの選定者はそれなりにいるとシンは聞いている。ただ、高レベル、とくに500を超えるレベルのモンスターを相手に出来る者は極少数だ。アワリティアは最悪シンとシュニーで押さえればいいが、残りの戦力次第では勇者と近衛隊長だけではすべてをカバーしきれない可能性があった。
「もうすぐマサカドが戻ってきますし、多少は戦力も増えると思いますけど」
「アワリティアがいないなら、私も手伝えるわ。悪魔の姿になるとパニックになるだろうから、全力でとはいかないけど」
「それでも随分違いますよ」
ヒラミーたちはモンスターが武装してくる可能性が高いことまでは知らないようだった。国のほうも流す情報を制限しているのだろう。念のため、シンはそれも伝えておく。
「あとは、そうだな。ツァオバトに頼んでフィルマたちを回収してきてもらうか」
「それが一番確実かもしれませんね」
メッセージカードを使えばツァオバトにも連絡が取れる。1度くらいなら、頼みを聞いてくれるんじゃないかとシンは思ったことを口にした。
向こうの状況次第なので確実とは言えないが、考える価値はあるだろう。
「シンの仲間が来なくても、銀月の死神が協力してくれるだけで一方的な殲滅になるわよね」
「ですね。空から即死級のブレスが降ってくるんですから。受けるほうからすれば悪夢ですよ」
ツァオバトの強さを知っているルクスリアとヒラミーは、そうなったらモンスターの方が憐れと遠い目をしている。協力体制をとってから、随分と仲良くなったらしい。息がぴったりだった。
「とりあえず、アワリティアが近くまで着たらすぐに連絡をくれ。こっちで対処する。あと、アワリティアが倒しきれていない可能性が高いってことをヒラミーから王城のほうへ伝えて欲しい。俺たちはあんまり城に行かないからな」
シュニーの訓練やちょっとした援軍として参加することはあるが、どれも不定期だ。さすがに悪魔に関することならば門前払いされることはないだろうが、シンの名前と姿はまだ軍の一部にしか伝わっていない。これといって王や勇者などとつながりを示すようなものは持っていないので、場所が場所だけに運が悪いと門前払いを受ける可能性もあった。
定期的に話し合いにいっているヒラミーに伝えてもらったほうが確実だとシンは判断する。
「シンさんならするっと入れそうですけど、一応滅多に入れる場所じゃないですからね。わかりました。伝えておきます」
「俺たちの用件はこれで終わりだ。あ、一応これ渡しとく。対悪魔武器な」
ちょうどいいからと、シンはヒラミー用に調整した武器をカードの状態で取り出して渡した。
「対悪魔能力がなくても、私の装備より基本性能が高い……」
「特別製だからな。そのせいかわからないが、同じ等級の装備より上になった」
「ドワーフの皆さんが見たら解析させろって群がってきそうですね」
未知の武器や防具の解析は、ドワーフが一番適した能力を持っている。だからなのか、NPCのドワーフは自分の知らない技術を知りたがるのだ。
ヴァルガンとヴァールはかなり大人しい方である。
「私の前で出さないで~」
具現化した装備の能力を確かめていたヒラミーに、ルクスリアがまぶしいものを見るように顔を手で隠しながら距離をとった。
「そんなにきついか?」
「ダメージがあるわけじゃないけれど、肌がじりじり焼かれてるみたいな感覚があるわ。触ったら火傷くらいはしそうね」
まるで武器そのものが敵意を向けてくるような感覚があるとルクスリアは言う。さりげなくシンの背後に回って盾にしているあたり、本気で嫌がっているのは間違いないようだ。
「拘束用の縄とか作ったら、人型でも捕まえられるような気がしてきた」
「あなたなら本当に出来そうだから怖いわ。私を縛りたいなら普通の縄でお願いね。そっちの子で試しちゃだめよ?」
ルクスリアはシュニーを見ながらそう言った。
「試さね――いや、現状じゃ効果を確かめるにはお前を縛るのが一番手っ取り早いんだが……それはそれとして俺をなんだと思ってんだ!」
「特殊なプレイがしたいんじゃないの?」
「なんでだよ!? そっち方面に話を持っていくな! アワリティアが真の姿になる前に捕まえられれば、被害が少なくなるんじゃないかと思っただけだって」
瘴魔と違い、悪魔は人型でも倒せばそれで戦闘が終わるとシンは攻略サイトで見た。一度だけ人型時に倒すことが出来たらしいのだ。詳細までは知らない上、出来たのはその一度きりらしいので実際に効果があるかは不明だとも書かれていた。
人型で城壁の中に入ってからもとの姿に戻られると周囲への影響が大きいので、もし可能なら人型の状態で動きを止めてしとめられればとシンは考えた。
「それが出来れば最高だけど、さすがにあなたたちでも無理だと思うわ。もし攻めてくるなら、初めから悪魔の姿で来るだろうし」
「俺だってそんなにうまくいくとはと思ってない。もし出来たらもうけもの、くらいの気持ちだ。とりあえず、デカかろうが動きを止めること自体は俺たちに有利に働くから、一応縄と鎖の両方で作れるか試してみるかな」
「そして、完成した縄で私を縛って効果を確かめるのね! 動けない私に何をするのかしら?」
100%わざとだとわかる仕草で、ルクスリアが恥ずかしそうに身をよじる。セリフの最後が少しわくわくしているように見えて、シンは少しげんなりした。
「さっきから話を変な方向に持っていきやがって。俺をなんだと思ってるんだ」
「でも、人って縛ったり縛られたりするのが好きな人もいるじゃない? 私はされたことないけど、気持ちいいんじゃないの?」
「そこに興味を持つのかよ……」
「私の業は色欲だもの。そういうことに興味を持つのは当然でしょ?」
そう口にしたルクスリアは表情は、今までのふざけたものとは一変して実に妖艶なものだった。精神系スキルを使うことなく人の欲を刺激するその表情は、まさに悪魔的と言える。
精神への影響に対して強い耐性を持っているはずのシンですら鳥肌が立ったのだ。シュニーは警戒して距離を取り、ヒラミーは顔を真っ赤にしていた。
「その顔は他で見せるなよ? どう考えても騒動のもとだ。悪魔に何かされたなんて噂がたったら、立場がなくなるぞ」
「わかってるわよ。見せる相手は考えているわ」
そう言いながら、ルクスリアはそっとシンの手をとった。極自然な、敵意も害意もまったくない動作。シュニーとヒラミーの位置ではシンが壁になっていて、何をしているのか見えていない。
触られているシンはさすがに反応できたが、力が込められているわけでもないのでルクスリアの意図がわからずされるがままだ。それでも警戒はしており、もしわずかでも敵意を感じれば、その場でルクスリアの片腕は吹き飛ぶだろう。
「警戒しなくても大丈夫よ」
そう言ってルクスリアはさらに一歩シンに近づく。あともう一歩近づけば、体が密着する距離だ。
「相手は考えてるって言ったでしょ?」
異性を誘う笑みを浮かべたまま、ルクスリアはシンの手を引く。向かう先はセーターを膨らませている胸だ。
まさかというシンの考えを裏切り、ルクスリアの手と胸にシンの手が挟まれる。その感触と状況の意味不明さに、ではなく。背後から放たれた冷たい気配に反応して、シンは即座に手を引き抜いてルクスリアから距離をとった。
「何してるんだお前」
「あなたにスキルは効かないから、雰囲気だけでどこまでやれるかと思って。どう? セーター越しでもなかなかの感触じゃない?」
「おまえなぁ……」
シンは怒ればいいのか呆れればいいのか判断がつかず、ため息を吐いた。背後を確認しないのは、気配の主が誰かわかっているからだ。現在、シンの危機感知能力が過去最大の警報を鳴らしている。
「シン。なにを、しているのですか?」
「!?」
そんなシンの肩に、そっと手がおかれる。続いて聞こえたのは、ルクスリアにも劣らぬ色気と冷たさを感じさせる声。
耳元で囁かれたそれに、シンの背がビシィッ! と伸びた。
「そういうことは、だめ、ですよ?」
「わ、わる……いえ、気をつけます!」
恐る恐る声の方へと顔を向けると、シュニーが極寒の笑みを浮かべながらシンを見ていた。
とにもかくにも、シンが感じるのは悪寒だけ。言葉使いも自然と敬語になった。
「ルクスリアさんも、おふざけが過ぎますよ?」
「そ、そうね……気をつけます」
同じものを感じているのだろう。ルクスリアはシンと同じような返事をした。
「わかってもらえればいいんです。さて、伝えるべきことは伝えましたし、そろそろお暇しましょう。ヒラミーさん、例の件、よろしくお願いしますね」
「は、はい。こちらとしても、早く知らせてもらって助かりました。ちょうど明日、城に行きますから、その時に情報は伝えておきます」
場の雰囲気につられ、ヒラミーまで背筋が伸びていた。
「じゃ、じゃあ。俺たちはこれで」
「ええ……こっちでも何かわかったら、連絡するわ」
ヒラミーとルクスリアに別れを告げ、シンとシュニーは学園を出る。夕暮れはとうに過ぎて、あちこちでランプ代わりの魔術の光が瞬いていた。
「あー……ええと……シュニー、さん?」
「…………」
気まずい雰囲気を変えようとシンが声をかけるが、シュニーは無言で歩くだけだ。
やばい、これはやばいとシンは冷や汗が止まらない。しかし、焦っても事態は好転せず、結局宿に着くまでシュニーは一言もしゃべらなかった。
「ソファーに座ってください」
「了解です!」
部屋に入ると、シュニーはドアの鍵を閉めながらそう言った。無言の圧力に耐えていたシンは、シュニーの意図を考えることなく言われるがままにソファーに座る。
数秒遅れてやってきたシュニーは緊張で固まるシンの前に立ち、おもむろに膝の上に座った。互いの体が、向かい合うようにである。
「ええと、シュニー、さん?」
抱きついていると言ってもいい密着具合に、シンは困惑した。膝の上に座っているので、シュニーの胸が丁度シンの目の前にあるのだ。その密着具合ゆえに、シンが少し上半身を前に倒せばシュニーの胸元に顔をうずめることになるだろう。無論、今のシンにそんな選択肢はない。
「…………」
無言でシンを見つめるシュニー。視線はシュニーの方が高いので、上から不機嫌そうな表情で見つめられると、シンは凄まじく居心地が悪かった。
そんなシンの内心を知ってか知らずか。シュニーはおもむろにシンの顔を両手で掴むと、そのまま自分の胸元に抱きこんだ。一瞬、また天国と地獄を同時に味わうのかと思ったシンだったが、予想に反してシュニーの腕にはさほど力は入っていない。
シンが顔に当たって形を変える柔らかな感触を感じつつ、問題なく呼吸が出来る程度の力加減。抱き締められている方としては非常に嬉しい状態だ。ただ、やはりその意図はわからず、シンは顔を抱かれたまま行き場をなくした両手を空中にさまよわせる。
「どう、ですか?」
シュニーがシンの頭を抱きしめてから、およそ5秒。聞き耳スキルがなければ聞き取れるかどうかぎりぎりの音量で、シュニーがシンに訪ねた。
ただし、質問は非常に答えに困るもの。
シンにはシュニーの意図がまったくわからないのだ。単純に柔らかいとか気持いいとか言ってもダメな気がして、答えに詰まる。
「答えてください」
シュニーの腕にわずかに力がこもる。シンの顔がより深くシュニーの胸に沈み、漫画ならばムニュッとでも音がしそうだ。
「あー、ええと……非常に、幸せです」
できればもうしばらくこうしていて下さいという言葉は呑みこんで、シンは答えを絞り出す。数秒前に考えて却下したものとあまり変わっていない。とはいえ、シュニーの機嫌という唯一にして最大の問題を除けば、シンにとって今の状態は本当に幸せな状態といえるのもまた事実。抱き締めるのも良いが、抱きしめられるのもまた良いのだ。
「ルクスリアさんの……よりもですか?」
「当然だろ」
次の問いには即答できた。そして、シンはなんとなくシュニーが取った行動がどういうことなの理解した。
「最高の女がすぐそばにいるんだ。わざわざ悪魔に手は出さないよ。あれは俺だって驚いたんだぞ?」
シュニーの背に手をまわし、抱きしめ返しながらシンは言う。シンの答えを聞いて、シュニーは数秒の間を開けて抱擁を解いた。
「本当ですね?」
「本当だ」
呆れたようにシンは言う。もしかするとルクスリアなりに場の空気を和ませようとしていたのかもしれないが、今回はシュニーの感情を煽る結果になってしまったということなのだろう。
「でも、シュニーがこんなに大胆なことをしてくるとは思わなかったな。俺としては、シュニーの新しい一面が見れて役得だったけどさ」
シンはさりげなくシュニーの腰に手をまわして言う。
「シュニーって、実はけっこう嫉妬深い?」
「……!?」
シンの発言から数秒。言葉の意味を理解したシュニーの顔にさっと朱が指す。
そう、今までの一連の行動は、ひとえにシュニーがルクスリアの行動に動揺したシンを見て、嫉妬していたが故のものだった。
シュニーの視線があちこちに泳ぎ、さらに数秒かけて自分がどんな状態かを理解するとすぐにその場から飛びのこうとする。
しかし、その動作をシンの手が阻む。腰を押さえて、シュニーの下半身の動きを封じたのだ。当然、動けないシュニーは動かすまいとするシンと至近距離で見つめ合うことになる。
「は、放して下さい!」
シンに言われて、今までの自分が冷静さをなくしていたと気付いたようだ。
「却下。せっかくやきもちを焼くシュニーが見られたんだ。さっきまでの緊張感のお返しに、恥ずかしがるシュニーを堪能させてもらう!」
「何を言っているんですか!?」
シュニーはシンの腕を掴み、力づくで引きはがそうとする。しかし、腕力その他諸々の能力はシンが圧倒的に上だ。こうなってしまえば、周囲に被害を出すようなことでもしない限りシンの拘束からは逃れられない。
つけ加えるならば、今のシュニーは本来の力の半分も出せていなかった。
「ぅぅ……そんなにじっと、みないで、ください」
じっと見つめてくるシンの視線から少しでも逃れようと、シュニーは両手でシンの顔を覆う。しかしその程度、シンの透視の前では無意味だ。ジョブと種族特性ゆえに人の視線に敏感なシュニーは、シンの視線がまったく防げていないことに気づいている。そのせいもあって、ただでさえ赤かった顔はもう茹蛸のようになっていた。
「また一つ、シュニーの知られざる一面が明かされた、と」
「声に出して言わないでください! いいじゃないですか! 私だって、嫉妬することくらいあります!」
「でも、ここまで露骨に態度に出たのは初めてじゃないか?」
「そ、それは……」
シンの指摘に、シュニーの声が段々としりすぼみになっていく。シンの顔を覆っていた手を引き、もじもじと胸の前で動かす。
最後はもはや口ぱくも同然だったが、それでもシンの耳はシュニーが「気持ちが、抑えられなかったんです」と言ったのを聞き逃さなかった。
(……今まで我慢してた分の、反動かね)
ハーメルンの介入で記憶を失うことがなければ、シンはまだこの世界に残る決心ができていなかったかもしれない。どちらとも言えないシンの心境を慮って、シュニーは無意識のうちに感情を、とくに負の感情やそれに近い気持ちをセーブしていたのだろうとシンは思った。
シンの気持ちがはっきりとシュニーに向いたことでその縛りがなくなり、本来の性格や感情の動きが表に出てきたのだろう。
そう思うと、シンはつい笑ってしまった。
「笑わなくてもいいじゃないですか」
「悪い悪い。別に馬鹿にしてるとか、そういうことじゃなくてさ。こうやってどんどんシュニーが感情豊かになっていくのを見られると思ったら、嬉しくなってな」
今のシュニーは、シンの従者ではなく人生のパートナー。だからこそ、今回のようなより人間味のあるシュニーを見るのはシンにとって幸福を感じられることだった。
「こんな状態を見て嬉しいと思われても困ります! なんだかいつもの自分じゃないみたいで、すごく恥ずかしいんですよ、もう……」
そういって視線をそらす様も可愛い。そうシンは思ったが、これ以上からかうと本気で怒られそうなのでやめておく。
さっきまでの緊張感はどこへやら。終わってみれば、結局はただイチャついていただけの2人であった。
◆
「あの、そろそろ下りたいので手を離してください」
「もう一度抱きしめてくれたら考えよう」
「シ、ン?」
「いや、冗談だって」
シュニーから発せられた怒気に、さすがに冗談が過ぎたかとシンは腰にやっていた手を放す。
まだ顔の赤いシュニーは、食事を用意するといってキッチンに向かった。食事が出来るころには、もういつものシュニーである。
食事を終えると、シンは武具の点検をすることにした。大丈夫だろうという予想はあるが、相手は悪魔だ。万全を期することにデメリットはない。
シンはカード化していた『ジ・アーク』と『討魔の聖鎧』を取り出しながら、シュニーに対悪魔用の小太刀『暁闇』と『討魔の忍装束』を出すように言った。
「ほとんどダメージらしいダメージを食らってないけど、やっぱり足と腕が少し消耗してるな」
『吸生の汚泥』の上を駆け回ったグリーブや、拳を打ち合わせたガントレットはわずかではあるが耐久値が減少していた。しかし、その消耗も対悪魔に特化しているからこそ少量ですんでいる。対策をしていなければ、相応の消耗を強いるのが悪魔だ。
『討魔の聖鎧』の消耗はたいした数値ではなかったので、留め金や飾りなど壊れやすそうなところを見てから鍛冶スキルによって素材を塗りこむようにして補修するだけで終わった。
『ジ・アーク』の耐久値は『討魔の聖鎧』より多く減っていたが、それでもはそのまま使い続けても問題ない程度。念のため分解して不備がないかチェックし、問題なしと判断する。
「では、お願いします」
「おう」
シュニーから装備を受け取り、実体化させる。まずは『暁闇』だ。攻撃回数自体が少ないので、耐久値は減っていなかった。分解してみても、とくに問題はない。
『暁闇』を元に戻し、カード化してから『討魔の忍装束』に取り掛かる。
「ん? どうした?」
今までの武具と同じく全体をくまなくチェックしていたシンは、ふとシュニーが恥ずかしそうにしていることに気付いた。
「いえ、あの、何でもありません」
そう言うシュニーだが、視線をそらしているので何かあるのは疑うまでもない。
「気になることがあるなら言ってくれ。調整する」
「ええと……性能に不満があるわけではないんです。肌に引っかかるような感じもないですし、むしろ動きやすいと言ってもいいでしょう。ただ、その……こうしてシンがチェックしているのを見ていたら、なんだか自分の全身をくまなく見られているようで。恥ずかしいと言いますか、落ち着かないと言いますか」
「あ、あー……なるほど」
少し頬の赤いシュニーに、シンは納得したとうなずく。
『討魔の忍装束』はその性能と戦闘の経緯が合わさって、耐久値はまったく減っていない。シュニーの言うとおり、性能面はまったく問題がないといっていいだろう。
ただ、今シンの手元にある『討魔の忍装束』は、シュニーのボディラインをそのまま型取りしたといっても過言ではない形をしている。普通の衣服のように伸び縮みしているのではなく、サイズ調整機能によって体にフィットする形になっているのが原因である。そのため、胸や臀部、二の腕や太ももなど女性が気にするだろう部分のサイズもシュニーの体格そのまま。『討魔の忍装束』の各部位のサイズを測ればシュニーのスリーサイズ他、同様の部位の詳細な数値がはっきりとわかってしまうのである。
いくら実際に見ているわけではないとはいえ、シュニーにとっては羞恥心を感じるには十分なのだろうとシンは考えた。
「でも、ちょっと今更な気もするような」
国に定められた届を出さないと夫婦とは認められないこともあるが、誰が何と言おうと2人はもう夫婦。そんな2人が一つ屋根の下で暮らしているとなれば、ルクスリアが指摘したような色事も当然ある。
ボディラインがどうこう言うレベルはすでに過ぎ去っていると言ってもいいのだから、恥ずかしがることはないのでは? とも思ってしまう。
「それとこれとは、話が別です! 何を言っているんですか!」
「そ、そうか」
シュニーの剣幕に、シンはたじたじだ。これ以上はこの話題には触れまいと話を変えることにした。
「とりあえず、『討魔の忍装束』も問題なしだ。あの戦いなら当然といえば当然だけどな」
シュニーにカード化した装備を渡し、シンはアワリティアとの戦いを思い返した。
「次もあのくらい楽だといいんだけどな」
「街の中に入れない方法があればいいのですが」
人型のまま忍び込まれては、さしものシンも手の出しようがない。
「ヒラミーに聞いてからだけど、ルクスリアの周りにはいろいろ仕掛けさせてもらうか」
狙われているのはルクスリアだ。シンもまさか悪魔を守るために行動することになるとは思っていなかったが、この世界ならばそんなこともあるだろうと考え直した。
「ふふ、ルクスリアさんは嫌がりそうですね」
「悪魔用だからな。ルクスリアにも効果があるし」
真剣な話だったが、少し面白そうだとも思ってしまうシンだった。
◆
翌日、さっそくヒラミーに聞いてみようとシンとシュニーは学院に向かっていた。
「なんだか、いつもより騒がしいような」
商店が並ぶ通りを歩いていたとき、シンはなんとなく思ったことを口にした。ヴァルガンたちの工房に向かうときも使うルートなので、けっこうな頻度で通るのだ。
「値切り交渉がほとんどですね。よくある光景ではありますが、皆さんいつもより雰囲気が険悪な気がします」
食材の値段交渉はシュニーが行っている。シンは荷物持ちということで一緒にいるので、他の客が交渉しているもよく見かけていた。ただ、いつもはもっと気軽で雰囲気も悪いものではない。一種のコミュニケーションでもあるのだ。
しかし、今日のそれにそんな気易さはなかった。
「少し見てきます」
シュニーがなじみとなりつつある店に近づき、商品を一通り見てから店主と話し始める。シンも邪魔にならない程度まで近づいて会釈した。
困ったように話す店主に、シュニーは終始穏やかな態度だ。その甲斐もあって、店主からいろいろと話を聞くことができたようだ。
「物資の流通が滞っている、か」
いつもより割高だった果実を片手に、シンはつぶやく。どこの店も同じような状態のようで、住民の財布を圧迫し始めているらしい。
物資を運んでくる商隊のほとんどが、期限を過ぎても到着していないのが原因のようだ。複数の都市と取引をしているので、1つの都市で何かあってもいきなり困窮するようなことにはならない。つまり、交易関係にあるすべての都市か、都市間をつなぐルートに何かあったということ考えられる。
「すでに国も原因解明に動いているようです。いくつかのルートに騎士を派遣したとか」
「交易ルート潰し。アワリティアか、それに協力してる連中の工作だろうな」
シンが考えつくのは、以前潰した洞窟にあった武器とモンスターを利用した商隊の襲撃だ。高レベルモンスターを武装させれば、プレイヤーでいうところの1パーティで商隊程度軽く潰せるだろう。シンたちが潰した洞窟はたった1つ。同じような洞窟が他にいくつあるのかシンにはわからないが、1つ残っていただけでも被害を出すには十分だ。
いくら国同士の交易ルートとはいえ、すべての商隊に強力な選定者をつけることはできない。仮にいたとしても、ファガルやシーリーンクラスの選定者でなければ生き残ることも難しいだろうと思われた。
「あいつらのところはもっと安いだろうが! なんでこっちはこんなに高いんだ!」
「あんたもしつこいぞ! こっちはこれで精一杯なんだ!」
流通に手を出してくるかとシンが思っていると、少し先の店で客と店員らしき人の口論が聞こえてきた。2人ともかなりの剣幕で周囲の人も店を避けるように歩いている。
今にも手が出そうな雰囲気だ。シンは衛兵ではないので口論だけですめばよし。拳が出るようなら止めに入ろうと考えていた。
「ん? あれは」
しかし、そんな2人の間にまったまったと割って入る人影があった。
言い争っていた2人よりも頭一つ高い長身の男で、細身ではあるが背中に背負った巨大な大剣がただの青年ではないと無言で主張している。
青年は人懐っこい笑みを浮かべて2人に事情を聞いていた。
「値段が高くなってるのはどこも同じだ。商隊が狙われてるのはあんたも知ってるだろ? あんたの言ってる店だって、今後も同じ値段を維持するのは難しいはずだぜ?」
シュニーが店主に聞いていたように、商隊が来ていないのはすでに住民の知るところとなっている。今の状況が続けば、どこも値段が上がるのは時間の問題だろう。
「国だって何もしてないわけじゃないんだ。それに、これ以上騒いだら衛兵がすっとんでくる。あんただってそこまでおおごとにする気はないだろ?」
衛兵という言葉に、客の男はぎくりと身体をこわばらせる。男も完全に冷静さを失っていたわけではないようで、すまないと店員に謝って去っていった。
「なんだか、あいつらしいな」
久しぶりに見る姿に懐かしさを感じながら、シンは青年に近づく。
青年の方もシンに気づき、一瞬驚いてからすぐに笑顔を浮かべた。
「シンさん! 本当に来てた! あ、シュニーさんも!」
「よ、久しぶり」
ダッシュで近づいてくる青年の名はマサカド。ヒラミーとともに命を落とした、元プレイヤーである。
シンは気安い挨拶を、シュニーは軽く目礼をした。
「おー、近くで見てもシンさんだ」
「おいおい、そりゃ当り前だろ」
感心した様子のマサカドに、シンは呆れ交じりにかえす。ゲーム時と同じ茶色の髪と赤い目。種族はドラグニルだが、マサカドは外見をほとんどヒューマンと同じにしてあるので腕や足に鱗が少しあるくらいだ。角もないので、服を着ているとヒューマンと見分けがつかない。
シンの記憶ではレベル211の聖騎士だったが、今ではレベルが231まで成長していた。
「今帰ってきたのか?」
「おう。任務はしっかり果たしてきたぜ」
商隊を襲っていたシャドゥ・ハウンドの群れを討伐に行っていたとマサカドは語る。シャドゥ・ハウンドは影に潜る能力を持った狼型のモンスターで、レベル帯は250~300。通常より大きな群れがいたらしく、討伐に時間がかかったようだ。
「でも、戻ってきたら他の場所でも商隊が襲われてるって言うだろ? どうなってんだって他のやつらとも話してたんだ」
せっかく交易ルートの安全を確保したと思ったら他のルートが潰れていて流通が滞っていると聞き、これは何か起こっているのではないかとヒラミーのところに向かっている途中でシンたちと再会したとマサカドは言う。
「事情だけなら、心話でもいいんじゃないか?」
「いやまあ、そこは直接、さ」
「ほほう?」
マサカドの態度に甘酸っぱい雰囲気を感じ、ニヤリとシンの口の端が上がる。どうやら、マサカドとヒラミーは互いに憎からず思っているようだ。
シンの知るマサカドはまだ15歳の少年だった。今では相応に歳を重ねているはずだが、シンにはかつてとそれほど変わっていないように感じられる。
「俺たちもヒラミーのところに行く予定だったんだが、お邪魔かな?」
「いやいや、そんなことないって。シンさんたちがわざわざ行くってことは悪魔絡みだろ? 帰らせたなんて言ったら、ヒラミーになんて言われるか」
「相変わらず、ヒラミーには頭が上がらないか」
「そ、そりゃあ、向こうのほうが立場が上だし……」
それらしい理由を口にするが、そうでなくとも同じなのだろう。
2人が知り合った経緯をシンは知らない。ただ、2人と知り合ったときにはもう、深く考えずに突撃しようとするマサカドの首根っこをヒラミーが杖で引っ掛けてストップをかけていたのを覚えている。
実際、現実でもヒラミーのほうが年上と言う話を聞いたことがあるので、それも理由ではあるのだろう。仮にそうでなくとも2人のことを知っている人物ならば、同じ結果になったと思うのは間違いないとシンは思った。
「ふむふむ、詳しい話はあとで聞くとしよう。まずはヒラミーのところに向かうぞ」
「うへぇ、勘弁してくれよ……」
ニヤニヤするシンにマサカドは辟易とした態度だ。もしかすると、仲間にもからかわれたのかもしれない。
終始無言だったシュニーだが、微笑を浮かべているので内心はシンと同じようなものだろう。
学園に着くと、マサカドが一緒だったこともあり門はほとんど素通りだった。選定者相手の訓練教員でもあるので、門番とはある意味仕事仲間なのだ。
3人はまっすぐに学長室に向かう。扉をノックしてマサカドが入室許可を求めると、中から「どうぞ」と声が返ってきた。
「シャドゥ・ハウンド討伐、完了しました。こちらが討伐証明になります」
「はい、確認しました。書類はこちらで処理しておきます」
学院の仕事の一旦なので、報告は真面目に行うようだ。マサカドが差し出した素材のカードを確認して、ヒラミーは1枚の書類を出してサインをする。
「マサカド」
「ん?」
「お帰りなさい。無事でよかった」
シンや他の教員たちに向けるのとは違う、無防備ともいえる笑顔を浮かべてヒラミーはマサカドに言った。
「お、おう。ただいま。あー……なんか、他に人がいるとこのやり取り恥ずかしいな」
「え? 何言ってるの?」
「いや、だってさ。シンさんたちもいるわけだし」
「え、ええ!? いるの!?」
「何驚いてんだよ。俺の後ろに……」
驚くヒラミーに呆れながらマサカドが後ろを振り向く。しかし、そこにシンとシュニーの姿はない。
「……シンさん、謀ったな!?」
「いやあ、つい、な?」
「初々しいですね」
そう言ってシンとシュニーは隠蔽をといて姿を現した。
「な、ななな……」
ヒラミーは事情が飲み込めず、うまく言葉が出ないようだ。ただ、マサカドと2人きりだと思って対応していたのを見られたことは理解しているようで、あっという間に顔が真っ赤になった。
「俺の心配は杞憂だったようだ。ちょっとルクスリアを呼んでくるから続きをどうぞ」
「お供します」
満足だとうなずいて、シンは滑るようにドアの元へ。シュニーもしれっと隣にいる。
「シーンーさーんー!!」
「ヒラミー落ち着け! ちょっとシンさん。これ放置!?」
閉めたドア越しに聞こえる声に、これはやりすぎたかもしれんとシンは少し後悔した。
◆
「ふふ、顔が真っ赤ね。学長さん?」
「言わないでください」
学長室にルクスリアを連れたシンたちが戻っても、ヒラミーの顔はまだ赤いままだった。これは見逃せないと、ルクスリアがからかう。ヒラミーは即答だ。
ちなみに、この後シンはヒラミーからちくちくと小言を言われた。
「それで、今日は何の用事があるんですか? 昨日の件とは別なんですよね?」
「ああ、ルクスリアの周りに悪魔用の罠を仕掛けておけないかと思ってな」
相手が罠の事を知らなければ、もし直接戦闘になっても戦況を有利に進められるとシンは語った。
「ねぇ、確認なんだけれど。それって、私も引っかからない?」
「ああ、だから罠の位置はしっかり覚えてくれ」
悪魔用の罠は、悪魔ならどれにでも反応する。ルクスリアだけ反応しないようにするなどという都合のいい設定にはできない。少なくとも今のシンには。
「はぁ、窮屈なことになりそうね」
頬に手を当てて、ルクスリアがため息をつく。
「それもこれも全部アワリティアのせいだわ。こうなったら一発で大ダメージを負うようなすごいやつを仕掛けてもらいましょうか」
「いいのか? お前が食らっても大ダメージだけど」
「当たらなければいいのよ」
目にもの見せてやると意気込むルクスリアに、シンは大丈夫かと思わずにはいられない。だが、強力な回復能力を持つアワリティアに、中途半端な威力の罠などさしたる効果はないのも事実。それならばと、シンは昨夜のうちに用意していた今出来る最高品質の罠を取り出した。
「それは?」
「前に話した拘束用の罠と悪魔に対してのみダメージを与える罠だ。右のカードが拘束用、左がダメージな」
人型に対応したものはまだ出来ていないので、すべて悪魔形態を想定したものだ。
「アワリティアは下半身が不定形だから、拘束用は水術を使って凍らせるタイプだ。これなら学院内で発動しても校舎が吹っ飛ぶことはない。ただ、範囲内にいると悪魔以外も一緒に凍るから注意してくれ。ダメージを与えるやつはオーソドックスな光術が噴き出すタイプと効果範囲内ならどこにいてもダメージを受けるタイプだ。こっちは悪魔以外には効果がないから、拘束用と違って範囲内に人がいても大丈夫だぞ」
「巻き込まれた人、死なない?」
「拘束がメインだから大丈夫だ。ダメージはほぼない。ダメージタイプは思いっきり悪魔特化だから、間違ってもくらわないようにな」
シンは経験から、防御なしで直撃すればHPの1割くらいは削れると予想していた。少なくとも、汚泥は綺麗さっぱり吹き飛ぶだろう。
「私で、試す?」
以前、悪魔用のアイテムを自分で試せば効果のほどがわかると言ったのは本気だったようで、ルクスリアはシンに問うてきた。
明らかに顔色が悪い。
「洒落じゃすまなそうだから止めとこう。込められる限界まで魔力を込めたからな」
「そうね。私もあんまり激しすぎるのはちょっと」
ルクスリアは少しほっとした様子だ。真面目な会話なのだが、ルクスリアの最後のセリフだけ聞くと別の意味に聞こえそうになるあたり、やはり色欲の悪魔といったところだろう。
「さっそく設置しようと思うんだけど、許可もらえるか?」
「一応確認なんですが、生徒に危険はないですよね?」
「ああ、大丈夫だ。この罠は悪魔にしか反応しないからな。仮に生徒が触っても起動はしない」
悪魔なら誰であろうと問答無用だが、それ以外の種族には無反応なのが今回の罠の特徴の一つだ。
「なら、安心です。間違って誤爆、なんて怖すぎますから」
生徒の安全も守らなければならないヒラミーは、シンの言葉を聞いてほっとしていた。
その後はルクスリアを伴って罠を設置していく。敵側に罠を探知できる人物がいる可能性もあるので、それとわからないように偽装工作もしておいた。
「私には何もないようにしか見えないわ。本当に気をつけなくちゃ」
シンが罠を仕掛ける様子を真剣な目で見ていたルクスリアが、表情を引き締めて言う。敵に気取られるわけにはいかないので罠を仕掛けた配置図などは作っていないのだ。全ての罠の位置を正確に把握しているのは仕掛けた張本人のシンか、ともに行動していたシュニー、ヒラミー、ルクスリアの3人である。
「もう! これも全部、アワリティアのせいだわ」
ルクスリアが恨めしげに言う。心のそこからそう思っているのが、シンたちにも伝わってきた。
◆
シンたちが対悪魔用の罠を仕掛けに行った後、ヒラミーは学園を出て王城に向かっていた。シンからもたらされた情報を国の上層部に伝えるためだ。
本当は朝一番に向かう予定だったが、アワリティア討伐の報が城内を駆け巡っているようで取り次いでもらうのに時間がかかっていた、
「まだアワリティア本体が来るまでは時間があるって話ですけど」
できるだけ早く伝えたい。シンたちならばすぐに王に謁見できるのではないかとも考えたが、シンたちのことをよく思っていない貴族たちもいる。
悪魔の恐ろしさを本当の意味で理解しようとしない者たちだ。シンやシュニーが謁見を申し込んでも、邪魔をする可能性が十分あった。ヒラミーはシンがその可能性も考えて自分に伝言を託したのではとも思う。
「シンさんやシュニーさんなら、悪意のこもった視線くらいすぐに気付きますよね」
自分がわかるくらいだ。シンが気付かないはずがないと、ヒラミーは思った。ゲーム時代はそう言った視線がわずらわしいと話していたのを、ヒラミーは聞いたことがある。
そんなことを考えていたヒラミーの耳に、ドアをノックする音が届く。
「お待たせしました。王はまだしばらく動けないので、私が代わりに話を聞いてくるよう仰せつかってまいりました」
ノックのあとにドアを開いたのは、王都の守護者にして勇者の一角、シーリーンだった。学院設立の為に王城へやってくることが多かったヒラミーは、幾度か顔をあわせているうちにシーリーンとはすっかり馴染みの関係になっている。
「お忙しいところ、時間をとっていただきありがとうございます」
立場が違うので最初は形式通りの無難な挨拶。だが、すぐに表情を緩めて互いに笑顔を浮かべた。周りには誰もいないので、多少気安い口調になっても咎められることはない。
「なんでも、早急に伝えなければならないことがあるとか。もしや、悪魔のことでなにか?」
「はい。シンさんたちが気付いたんだけど、アワリティアはまだ討伐されてないみたいなの。ルクスリアさんによるとあと数日でここに到着する距離まできてるみたい」
「馬鹿な!? あれはシン殿が倒したはずでは……私も確かに見届けたぞ?」
ヒラミーの発言に、いつもは冷静なシーリーンも言葉を荒げた。
「他の悪魔を吸収している場合、劣化版ですが吸収した悪魔の能力を使うことが出来るの。おそらく、怠惰を吸収したんだとシンさんたちも言ってたわ。あの悪魔は分身を作り出す能力を持ってるから、それを倒したんじゃないかって。次に来るアワリティア本体は、シーリーンが戦ったものよりもっと強いはずよ」
「なんという事だ……あれで本来の力ではなかったというのか」
シンは終始圧倒していたが、それができるのはシンだからだ。対悪魔武器がなかったらならば、シーリーンに勝ち目はない。
「今、城内はアワリティア討伐の報に沸いている。そこにこれか」
シーリーンは頭を抱えた。悪魔についてある程度知識のある王や側近たちだけならば、動揺はしてもさすがは悪魔かくらいですむだろう。しかし、兵士たちの士気は間違いなく下がる。場合によってはシンに落ち度があったのではないかという話にもなりかねない。
「シン殿ではなく、国の調査で判明したということにしたほうがいいか。く、武器の配備もまだ完全ではないというのに」
「そうね。そのほうが動揺も少ないと思う。前回の戦いでは兵士には何の被害も出ていないから、今度は自分たちで国を守るんだ、みたいな感じでシーリーンが激励すれば士気もそこまで下がらない……と、いいなぁ」
「それは私やファガルが考えることだ。アワリティアがこちらに向かっているなら、一番危険なのは学院だろう。大丈夫なのか?」
ルクスリアがいるのは学院の保健室だ。アワリティアがルクスリアを狙っている以上、真っ先に狙われる可能背がある。
「そこは私もいろいろと考えてるわ。いざって時は、緊急脱出機能を使うし」
「緊急脱出? 初めて聞くな」
「転移で学院内にいる人全員を地下シェルターに避難させられるのよ。1回しか使えないから、本当に差し迫った時用なんだけど、今回はまさにそのときなのよね」
学院内にアワリティアが入り込むか、それに近い状態になったらヒラミーは躊躇なく使うつもりだ。悪魔同士が本来の姿で戦ったら、周辺は瓦礫の山になる。そんな怪獣大決戦の横で、まともな避難などできるはずもないのだから。
「また、転移か」
「また?」
「シン殿にも、緊急時の脱出手段としてカード化された転移の結晶石を渡された。アワリティアとの戦いが終わったあとに回収されたが、失われたはずの魔術がこう何度も話題になると実は珍しくないのではないかと思ってしまう」
現在では再現不能の技術で、元プレイヤーか選定者、あとは極小数の継承者くらいしか使うことができない。加えて、選定者でも転移が使える者は滅多におらず、元プレイヤーも全員が使えるわけではないので研究も進まないのだ。
「私もギルドハウスの機能を持ってきただけだから、転移自体は使えないの。それに、あれは使い方次第じゃ危険な武器になるから広まりすぎるのも困るし」
使い方次第では暗殺や侵略に効果的な技術でもある。便利ではあるが、広めるべきではないとヒラミーは言った。
シーリーンもヒラミーの言いたいことは理解できるのでとくに反論はない。
「あ、話がそれちゃったけど、伝えることは悪魔のことだけだから」
「構わんさ。悪魔については、王に間違いなく伝えておく」
「よろしくね」
もし何かあればまた連絡すると言って、ヒラミーは話を終えた。シーリーンに見送られ、馬車で学院に向かう。学院の長として、やることはたくさんあるのだ。
「あれ以上の悪魔が来るのか、次は覚悟を決めねばならないかもしれないな」
ヒラミーを見送って、シーリーンは王の執務室へと向かった。
シンとともに戦ったアワリティアのプレッシャーを思い出し、握った拳に力が入る。シンやシュニーのことはアワリティアも警戒しているだろう。直接戦うのは避けるかもしれない。だが、自分はどうかとシーリーンは自問する。
シンから渡された武器があるので一方的にやられることはないだろうが、場所によっては勝ち目がない。アワリティアの能力をシンから聞いているシーリーンは、街中に現れたら時間を稼いでシンたちが来るのを待つしかないかと少し気落ちしながら結論を出した。
自分たちの国を守るのに他者を当てにする。それがシーリーンには悔しい。
「シーリーン殿。話はもう終わったので?」
「ナムサール殿? 今は兵の訓練を見ているはずでは」
王の執務室へと続く道の途中で、シーリーンはナムサールに呼び止められた。相変わらずの陰気な表情と雰囲気だが、シーリーンは慣れたものだ。
「シン殿とつながりのあるヒラミー殿からの急ぎの連絡です。何か重要な情報なのではと思い、抜けてきました。あとのことは副長に頼んであるので問題ありません」
「そうでしたか。確かに、急ぎ王に伝えねばならない情報です。どうやら今回討伐されたアワリティアは分身であり、本体はまだ健在だということです」
シーリーンは周囲に人の気配がないことを確認してから、小声で言う。話を聞いたナムサールはピクリと眉を動かしただけだった。
「なるほど、やはり倒されてはいませんでしたか」
「あまり驚かれていないようですが、もしや予想していたのですか?」
まるでわかっていたとでも言いたげなナムサールに、シーリーンは驚きとともに問いかける。
「…………」
「ナムサール殿? どうかし――ぐっ!?」
問いかけに無言で返したナムサールを不審に思ったシーリーンの首に、何かが巻きつく。まるで気配を感じさせなかったそれは、ぎりぎりとシーリーンの首を締め付けてきた。ステータスの高さから、ただ首を絞められた程度ではびくともしないはずのシーリーンの呼吸が不意に止まる。
「っ!!」
異様な事態だったが、シーリーンは大人しく意識を落とされることはなかった。訓練の賜物で、攻撃を受けているとわかった瞬間に『ギルディーン』を具現化させる。
しかし、首に巻きついた何かを攻撃するより先に、ナムサールの背から伸びた黒い影のようなものがギルディーンを弾き飛ばした。
思いもよらぬ事態にシーリーンの焦りが募る。ちょうど息を吐き出したタイミングだったので、意識が朦朧とし始めているのだ。追加で武器を取り出しても弾かれるだけと首に巻きついたものを素手で引き剥がそうとするが、がっちりと食い込んでいるため不可能。引きちぎろうとしても、シーリーンの膂力でさえびくともしない強度があった。
「最後まで諦めないとは、さすがは勇者ってとこかねぇ」
どこからともなく、男の声が響いた。若い男のものと思われるそれは、シーリーンに強い不快感を覚えさせる。
シーリーンには、今の状況がさっぱりわからない。しかし、朦朧とした意識の中でも、ナムサールをこのままにしておくのは危険とわかる。
「何もできねぇよ。大人しくしときな」
自爆に近い形で魔術を行使しようとしたシーリーンの体に衝撃が走る。すでに意識が落ちかけていたシーリーンは、それに抗うことは出来なかった。
◆
「ん、ここは……?」
シーリーンはそうつぶやいて歩みを止めた。周囲に目を向けると、見慣れた王城の通路が視界に映る。
「シーリーン殿? どうかしましたか?」
「え、ああ、いや。なんでもありません」
少し先で振り返っているナムサールに、問題ないと返事をする。歩きながら眠ってしまったのだろうかと首を捻りながら、シーリーンは歩みを再開した。
「どこもアワリティア討伐の知らせに浮かれすぎているように思いませんか?」
「同感です。国周辺のモンスター分布もまだはっきりしていませんし、高レベルモンスターの目撃証言もある。おまけに商人がモンスターに教われて流通が滞っています。浮かれている場合ではないでしょう」
すれ違った貴族たちがしていた話を耳にして、シーリーンはため息をつく。まだ問題は山積みだ。
「ですが、アワリティア討伐は数少ない良い知らせですからね。ある程度までは目を瞑ります」
「仕方がないといったところですか。では、私はこれで。シーリーン殿も体調には気を付けてください」
とてもそうは思っていなさそうな表情で言い、ナムサールは去っていった。
それを見送って、シーリーンは騎士団の詰め所へと足を向ける。これからまたモンスターの調査と討伐が待っているのだ。
「さて、仕事だ」
シーリーンは気付かない。首にうっすらと残る何かに締め付けられたような跡に。気が付く前の記憶がないことに。
アワリティアはまだ死せず、王国の危機はすぐそこまで迫っていた。
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