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IBM主催の研究コンソーシアムが生み出す未来のテクノロジー

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取材・文:森山和道、写真:小川孝行

IBMが2016年から主催する基礎研究コンソーシアム「IBM Research Frontiers Institute(以下、RFI)」は、ビジネス創出までを視野に入れた基礎研究コンソーシアムだ。同コンソーシアムにはJSR、本田技術研究所、日立金属、キヤノン、長瀬産業、Samsung Electronics社の6社がFounding Memberとして参加。異なる企業・業種間で、オープンにニューロモーフィック・デバイス、量子コンピューターなど4つの領域、合計13の研究テーマで共同研究が進んでいる。

共同研究プロジェクトの期間は3年間。2016年のスタートから1年半が経過し、現在折り返し点にある。世界4カ所で行われているRFIの取り組みについて、東京チームを率いる東京基礎研究所のサイエンス&テクノロジー部長で新川崎事業所長の山道新太郎氏に話を伺った。

 

従来のコンピューティングの限界を超える

「RFIは民間企業が始めたコンソーシアムなので、10年後15年後に新しいビジネスを始めるときのパートナーを今からつくる、そういった思いで始めました」。山道氏はこう語る。

コンピューターは加速度的に性能を上げてきた。部品は、パンチカード、リレー、真空管、トランジスタ、そしてICへと変化した。楽観主義的には、やがて次のハードウェアが出現し、コンピューターの性能もさらに進化していくと予測される。

「過去の歴史が示す通り、ICが取って代わられる時は必ず訪れます。トランジスタからICへの変化には約10年かかりました。今こそ新しい研究を始めなければ10年先、15年先の転換は絶対にできません」(山道氏)

山道新太郎氏

RFIではニューロモーフィック・デバイスや量子コンピューター、機械学習などの基礎研究から、新材料の探索や未来のオフィスの模索などアプリケーションまで踏み込んで、さまざまな未来の技術を探求している。

「次の時代をリードするものを、パートナーと一緒につくりたい。そして、パートナーと一緒にエコシステム・ビジネスをつくりたい。多くのお客様に認めてもらわないと、世の中を変える大きなビジネスになりません」(山道氏)

 

RFIの4つの研究領域とは

RFIは2016年にその研究をスタートさせたが、議論は2015年から始まっていた。さまざまな研究テーマに関する話し合いの結果、4つの領域が絞り込まれた。

一つ目は「Computing Reimagined」。コンピューターをゼロから再設計しようという考え方だ。二つ目は「Data Experienced」。データを人間が理解できるものにして、新素材発見などを行おうという領域。そして、三つ目が「The Invisible Made Visible」。「見えないものを見える化する」領域だ。この3つに「Quantum Leaps」、すなわち、世界でもっとも優れた量子コンピューター、最小のコンピューター、最速のスーパーコンピューターなどの研究を行う領域を加えたのが、RFIの研究対象領域となっている。各領域に、それぞれ3つから4つの研究テーマが含まれている。各研究テーマを見てみよう。

 

コンピューターをゼロから再設計し、新たな機械知性を目指す「Computing Reimagined」

「Computing Reimagined」の領域には、3つの研究プロジェクトが含まれている。

まずは、「量子アプリケーション」だ。量子コンピューターは、同時に0と1の状態を重ね合わせて持つ量子ビットを使って並列計算する。IBMが量子コンピューターの基礎研究を始めたのは35年以上前。以来、応用の可能性を探究し続けてきた。2016年5月には世界で初めて5量子ビットの量子コンピューターをクラウド上で公開した。ユーザーはアメリカのWatson研究所にある量子コンピューターにアクセスして利用できる。

2017年3月には、汎用量子コンピューター「IBM Q」のロードマップを発表し、従来型コンピューターとのインターフェースを開発するためのAPI、SDKも公開している。マルチ量子ビットを用いた量子コンピューターの今後のアプリケーションは、RFIの研究開発テーマの一つに数えられる。

汎用漁師コンピューター「IBM Q」

汎用量子コンピューター「IBM Q」

2番目が「ニューロモーフィック・デバイス」。神経系を模倣したデバイスで、話題のニューラルネットワークは前段から次の段へとウエイトをかけて足し合わせる積和演算を行っている。この積和演算を、入力に応じて変化する不揮発性メモリのそれぞれの抵抗値を重みとして足し合わせるだけで積和演算を行う。こうすることで、電力問題が一気に解決できる。

「新たに生まれた限界を超えるために、微細なアナログ制御がもう一度必要になっているのです。ここが非常に面白いところです」(山道氏)

たとえばCMOSイメージセンサーとニューロモーフィック・デバイスをうまく組み合わせれば、世界を認識して意味のある結果をその場で出せるセンサーができる可能性があるという。

また、機械に知性を持たせるための研究も行っている。山道氏は例として子供向け絵本のイラストを示した。イラストは表面的に見ると辻褄が合わなかったり、情報が不完全であったりと、矛盾があるものも多い。人間であれば簡単に矛盾に気づくことができるが、現状、機械には難しい。そこで、機械に人と同様の知性を持たせる研究が進んでいる。

具体的には、脳の機能を模したアルゴリズムを想定している。脳は階層構造になっており、階層を上がるに従い、入力信号から高次概念をつくり出す。一方、概念から末端の方へもトップダウンの信号が流れている。これにより、不完全な手がかりしかない画像でも認識することができる。知覚処理だけでなく、運動制御などにもこの考え方は応用可能で、研究が進めば、どんな場所でも歩けるロボットが実現できるかもしれない。

山道新太郎氏

 

ヘルスケア、未来のディシジョンルーム、新素材発見を目指す「Data Experienced」

「Data Experienced」領域にも、3つの研究テーマがある。まず「Internet of the Body」は、ウェアラブルデバイスを使ったヘルスケアに関する研究だ。データは、クラウドとエッジの中間領域で個人情報などの下処理を行う。そのゲートウェイとなるデバイスを、IBMでは「コグニティブ・ハイパーバイザー」と呼んで開発中だ。

コグニティブ・ハイパーバイザー

コグニティブ・ハイパーバイザー

「データスペース」は、医師による手術前のミーティングや、何らかの管制室など少人数でクローズドな意思決定を行うシーンを想定した「未来のディシジョンルーム」を作るプロジェクトだ。システムが会話を理解し、自動的に検索を実行。ロボットアームに取り付けられた高精細ディスプレイ上にデータを示す。中央テーブルも関連ファイルを自動表示し、ジェスチャーで操作ができる。議論終了後は、簡単な操作でディスプレイが収納できる。

「マテリアル・ディスカバリー」の考え方はシンプルだ。従来の新材料探索は試行錯誤の連続だったが、その失敗データと成功データを数値化して機械学習で材料を探す。IBMのユニークな点は、物質の化学式や基本的な性質から計算する方法と、Watsonを使って基本特許や論文から新材料のヒントを得るアプローチとを組み合わせられることだ。

 

見えないものを見える化する「The Invisible Made Visible」

「The Invisible Made Visible」には、4つの領域が含まれている。「マクロスコープ」は大きすぎて見えにくいものを見える化する。例えば、地球の温暖化や、サーバールームの温度管理などが挙げられる。

「バイオスコープ」では、微量の血液や体液を垂らすだけで成分分析ができる、微小マイクロ流路から形成されるバイオチップを開発する。

「ナノスコープ」は極微の世界を見る。現在、ベンゼン環の化学結合がほぼ見えるようになっている。見えるだけではない。分子間の結合も操作できる。

「ハイパーイメージャー」は光の指向性と電波の透過性を合わせ持つテラヘルツ波、ミリ波を使った観測と、可視光のイメージなど、複数の周波数領域のイメージを組み合わせることで、これまで見えなかったものを見て、意味づけをするプロジェクトだ。例えば、食べ物の添加物を非破壊で見たりすることもできるし、化粧品開発など多様な領域に応用できる。また、雨が降ったあとの風景や道路が凍ったシーンなどを機械が見て、どこが滑りやすいかわかるようになる。

ハイパーイメージャー (Credit: Carl De Torres, StoryTK for IBM Research)

ハイパーイメージャー (Credit: Carl De Torres, StoryTK for IBM Research)

 

コンピューティング領域を変える「Quantum Leaps」

「Quantum Leaps」――量子への跳躍の領域にも、3つのプロジェクトがある。量子コンピューターについては前述の通りで、最速のコンピューターについては言うまでもないだろう。

「世界で一番小さなコンピューター」は 1mm四方より遥かに小さな体積の中にCPU 、バッテリー、通信機能が内蔵したコンピューターをつくろうというもの。指紋の溝にも入ってしまうようなコンピューターが実現すれば、たとえば車のタイヤのゴムの中に練り込んだり、壁に塗ったりすることもできる。そうなると「コンピューティングできる領域が圧倒的に変わってくる」。

 

「You to the power of IBM」

こうした最先端研究について、IBMは3年間の計画と目標を立て、基礎研究テーマ自体を初めて公開してコンソーシアムとしている。

「これまで、基礎研究のテーマは原則非公開でした。今回13個のテーマを公開してテーブルの上に載せました。参加企業はそれぞれの専門知識・専門技術を持つ研究者をIBM基礎研究所に派遣してプロジェクトに参画するというのが、このコンソーシアムの特徴です」(山道氏)

個別テーマに関する二社間の共同研究はこれまでも多かったが、RFIでは異業種の複数メンバーと一緒に研究を行う。そのための仕組みのひとつが、派遣研究員制度だ。IBMの研究所内部で、参加企業が一緒に研究を行っているのだ。

「ハードウェアの研究は、扉を開けて使っている装置を見た瞬間に、どんな内容の研究かが分かってしまいます。ですが、我々はお客様と一緒に進めていくことを選びました。お客様のメリットとしては、将来の有望技術を網羅できていると思っていますし、若手研究員の教育にも使えっていただけるかもしれません。我々も異業種連携を加速できます。実験計画自体は自分たちの単独遂行を前提としていますが、同時に外部の方の意見もいただける。つまり、win-winの関係で、将来のIT研究を加速できる枠組みだと思っています」(山道氏)

 

未来を見通すレンズとしてのRFI

一方、「これだけのITテーマを提供できるのは、IBMぐらいだ」という意見も多いという。RFIの研究テーマは、IBMがパートナー企業の現業に対して提案している次世代技術の、さらに先のソリューションだ。参加各社には、確固たる現業がある。それぞれ現業をどのように拡張しようかという思惑と同時に、「ゲームチェンジャーがやってきたらどうなるか」という思いもあるという。

「ゲームチェンジャーというのは、一言で言えばAIです。AIが本当に来るのか、来るのであればどういうかたちで来るのか。それに対し、どう準備しておけばいいのか。そういったところを、IBMを通して見ようとされているじゃないかなと思います」(山道氏)

RFIには、いわば未来を見通すレンズのような役割が期待されているのだ。

RFIのプロジェクトを担当するIBM基礎研究所のリーダー

RFIのプロジェクトを担当するIBM基礎研究所のリーダー
(左から右に向かって)
世界で一番小さなコンピューターなどを担当する森 裕幸氏
日本でRFIを統括する山道 新太郎氏
主にニューロモーフィック・デバイスを担当する細川 浩二氏
新素材発見領域を担当する中川 茂氏

今後、コンピューティングはどこまで広がっていくのだろうか。山道氏、そしてIBMの指針は決まっている。「人をサポートするコンピューティングをつくっていきたい。将来人間が機械になってしまうとか、機械の中で意識だけが生きるとか、そんな未来は絶対につくりたくありません。コンピューターは、あくまで人間の補助です。幸せな生活の補助になるものをつくる。それがベースラインです」(山道氏)

現在のコンピューティングは論理的な計算の部分で、人間をはるかに上回っている。一方、直感で物事を判断したり、画像を一瞬で理解することは不得手だ。このような機能をまずしっかり実現し、不確かなビッグデータをさばき、意味のあるインサイトを掘り起こす。論理的な機能と直感的な機能をバランス良く使って、人間の役に立つ結果を出す。山道氏は、「それを私は、コグニティブ・コンピューティングだと思っています」と話してくれた。

 

森山和道(もりやま かずみち)

フリーランスのサイエンスライター、科学関連書籍の書評屋。1970年生。愛媛県宇和島市出身。広島大学理学部地質学科卒。NHKディレクターを経て1997年からフリーライターに。科学技術分野全般を対象に取材執筆を行う。特に脳科学、ロボティクス、人工知能関連、インターフェースデザイン分野。研究者インタビューを得意とする。メールマガジン「サイエンス・メール」編集発行人。原案担当書籍に学習マンガ『ロボットパークは大さわぎ!』学研プラスなど。

 

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