Twitterで「外国人が大和民族をなめているとしたらお前どうする?」と言われたので、「僕は民族より個が大事だ」と答えた。
『戦争論』を読み始めた20年前では考え方が全然違ったであろう。しかし今はそう思う。
それがよしりん先生の意見と食い違っても、全然構わない。
それがよしりん先生の意見と食い違っても、全然構わない。
だって、新宿のコンビニ店員に日本人はほぼひとりもいなくなったじゃないか!
もう東京はとっくの昔に「人種のるつぼ」だよ!
もう東京はとっくの昔に「人種のるつぼ」だよ!
かと思えば取材中のいわきでもアジア人の謎の集会が・・・。
うーんこうなってきたかぁ。
うーんこうなってきたかぁ。
長年にわたる世界中のグローバリゼーションによって、民族単位で世界を語ることは日に日に困難になってきているのではないだろうか?
フランスやオランダのアスリートにも黒人が増えたし、これを応援するのがナショナリズム?と思ってしまう。
日本だってダルビッシュ有とかケンブリッジ飛鳥とかトリンドル玲奈とか、もう民族的にはカウントしようのない人々が、日本のために活躍している。
我らがあっしゅっしゅ、齋藤飛鳥の母親もミャンマー人だ。
国家を形成するのは「民族」ではなく「文化」だと思っている。
そして郷土愛、パトリオッティズムだ。
でなければアメリカはどうなってるんだ?アメリカに民族色を求めるの?
極めてナンセンスだ。
僕にも中国人や韓国人の友人、あるいは二世の友人が少なからずいるが、彼らが民族色を振りかざして意見してきたことは一度もない。
「郷に入れば郷に従え」あるいは「和を以て貴しとなす」の精神である。
僕はそれさえあれば、民族の枠にこだわらなくても国家は維持できると考える。
そして、それよりも大事なのは「個」である。
これは「個人主義」の「個」ではない。いわゆる「近代的個」である。
普遍的な常識と良識を持ち、そこから「真実」を探求する精神、それが僕の言う「個」である。
民族や国家の鎖に縛られていては、決してその発想に至ることはできない。
それを今回の中国からのリアクションでも痛感した。
「公」に至ることができるのは「民族」でも「国家」でもない、「個」である。
グローバリゼーションに翻弄された今こそ、世界は「個」を鍛えなければならない。
フランスやオランダのアスリートにも黒人が増えたし、これを応援するのがナショナリズム?と思ってしまう。
日本だってダルビッシュ有とかケンブリッジ飛鳥とかトリンドル玲奈とか、もう民族的にはカウントしようのない人々が、日本のために活躍している。
我らがあっしゅっしゅ、齋藤飛鳥の母親もミャンマー人だ。
国家を形成するのは「民族」ではなく「文化」だと思っている。
そして郷土愛、パトリオッティズムだ。
でなければアメリカはどうなってるんだ?アメリカに民族色を求めるの?
極めてナンセンスだ。
僕にも中国人や韓国人の友人、あるいは二世の友人が少なからずいるが、彼らが民族色を振りかざして意見してきたことは一度もない。
「郷に入れば郷に従え」あるいは「和を以て貴しとなす」の精神である。
僕はそれさえあれば、民族の枠にこだわらなくても国家は維持できると考える。
そして、それよりも大事なのは「個」である。
これは「個人主義」の「個」ではない。いわゆる「近代的個」である。
普遍的な常識と良識を持ち、そこから「真実」を探求する精神、それが僕の言う「個」である。
民族や国家の鎖に縛られていては、決してその発想に至ることはできない。
それを今回の中国からのリアクションでも痛感した。
「公」に至ることができるのは「民族」でも「国家」でもない、「個」である。
グローバリゼーションに翻弄された今こそ、世界は「個」を鍛えなければならない。