あいちトリエンナーレ2016の岡崎会場の一つ江戸後期築の商家・旧石原家住宅
3年に一度で3回目となった国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2016」が10月23日までロングランで開催されている。今回は、「虹のキャラヴァンサライ 創造する人間の旅」をテーマに掲げ、38の国と地域から119組のアーティストらが参加し、美術や映像、音楽、パフォーマンス、オペラなど多彩な活動を繰り広げている。会場は名古屋市の愛知芸術文化センターや名古屋市美術館を中心に、岡崎市と、新たに豊橋市も加わり3市の計11ヵ所におよぶ。他にもアート作品は街なかにも点在し、街歩きによって世界各地の様々な作品が楽しめる。主催者が託す開催趣旨や特徴や、印象深い作品をいくつか紹介し、このところ各地で展開されるトリエンナーレや、2年に一度のビエンナーレなどについても記しておく。
3回目、名古屋・岡崎に加え豊橋も参入
あいちトリエンナーレは、世界の先端的な現代芸術を紹介し、街の活性化を図ろうと2010年8月に名古屋市でスタートした。第一回が建畠晢芸術監督のもと「都市の祝祭」をテーマに国内外131組が集い、美術館や劇場だけではなく、街なかでも祝祭感溢れる芸術展示などを展開し、入場者が57万人を超えた。
2013年の第二回は、五十嵐太郎芸術監督のもと「揺れる大地-われわれはどこに立っているのか:場所、記憶、そして復活」をテーマにしていた。2011年3月に起こった東日本大震災を受け、既存の枠組みが大きく変動する時代を意識した趣旨のもと、122組のアーティストが参加し62万人を超える来場者があった。
第三回目となった今年は、港千尋芸術監督のもと、美術館や劇場をキャラヴァンサライ(旅びとの隊商宿)に見立て、そこに最先端の芸術を求めて人々が集う。そんなイメージを祭典に託した。港監督は「旅する人間というテーマにちなみ、移動、横断、越境といったダイナミックな創造のあり方をクローズアップ。芸術祭は多くの人がかかわる、ひとつの旅だ。土地、歴史、生活に学びつつ、誰もが参加してよかったと思えるような、創造的な旅をみなさんとつくっていきたい」とのメッセージだ。
広い世界を旅するテーマを実現しようと、キュレーターをブラジルとトルコから招いた。中南米や中近東、アジアなど之までより広い地域から美術家が集結している。また観客参加型のアート制作が増えているのも特徴だ。さらに岡崎では江戸後期築の商家・旧石原家住宅を使っての現代アートの展示で、建物や庭などの古い風景と相まって絶妙の調和だ。
私はあいちトリエンナーレに過去二度とも出向いているが、今回は会場が増え、広域になったため、内覧会のあった開幕前日から2日間の日程で名古屋から足を伸ばし、岡崎、豊橋も駆け足で回った。真夏日の続く中、移動中は暑さとの闘いで、アート鑑賞も体力戦だった。なぜ例年暑い8月の開催なのか疑問に感じた。
まず驚いたのが開幕前夜のレセプションだった。名古屋の婚礼の派手さは聞いていたが、一流ホテルでの大パーティー。なにしろ愛知県や名古屋市挙げてのイベントとあって、招待客の多さと豊富な料理のおもてなし。もちろん協賛会社からの支援もあったようだ。近年、自粛ムードが広がり、関西などでは地味なレセプションが定番の中、愛知の元気さが印象付けられた。過去2回の実績もあり、その意気込みが期待されるところだ。
ただ観るだけでなく参加型の展示も
肝心な展示内容を一部だが紹介しよう。名古屋地区は5会場ある。メイン会場の愛知芸術センターの愛知県美術館では、アメリカ出身のアーティスト、ジェリー・グレッツィンガーが50年以上前に描き始めた巨大な地図《Jerry’s Map》が来場者を迎えてくれる。縦約5.5メートル、横約11メートルの壁一面と床の一部に、アクリル、マーカー、色鉛筆、インク、コラージュ、厚紙にインクジェットプリントを使って色彩豊かに描かれている。
ジェリー・グレッツィンガーの展示
グレッツィンガーは1942年ミシガン州生まれ。1963年から落書き風に想像上の都市のマップを描き始め、一時マップは家の屋根裏部屋に保管されていたが、その後に再開され、現在は3200以上の六つ切りサイズのパネルから一連の作品が成り立つ。今後も描き続けるという作者は、架空の都市が広がる画面に「旅である人生を反映させている」という。
グレッツィンガーの作品《Jerry’s Map》
同じく愛知県美の展示に西尾美也+403architecture [dajiba]の《パブローブ》がある。誰もが利用できる公共のワードローブ(衣装箪笥もしくは衣装ケース)をつくるプロジェクトだ。展示室の天井から各種古着がびっしり吊るされている。陳列された服は自由に試着も可能で写真撮影もOKだ。
西尾美也+403architecture [dajiba]の展示
展示場を縫うようにして見て回るのだが、その一着一着にメッセージが付けられている。例えば「ダイエットして痩せた時に買ったズボン。その後、リバウンドのため穿けなくなった。もう一度痩せようと取っておいたが、あきらめた」という具合だ。観客参加型の展示で楽しめる。
吊るされた服に付けられたメッセージ
西尾は1982年奈良県生まれ。これまで衣服を主要な素材として、言葉の通じない土地で見知らぬ通行人とその場で着ているものを交換してお互いのポートレイトを撮影する《Self Select》や、ある地域でたくさんの古着を収集しそれをもちいて地域住民とともにパッチワークによる壮大なインスタレーションも発表している。403architecture [dajiba]は3名の建築家によるユニットで、浜松を拠点として半径数キロ以内のネットワークでの密なコミュニケーション計画を手がけてきた。衣服に建築と素材や手法は違えど創造とコミュニケーションの関係性を探求するという共通点をもつ。
もう一つのメイン会場である名古屋市美術館では、台湾の賴志盛(ライ・ヅーシャン)の展示空間はユニークだ。壁に沿って取り付けられた高さ80センチ、幅わずか30センチほどの廊下を通りながら、展示室に廊下を特設するために使用した作業場と化した床のインスタレーションを鑑賞する。いわば建築現場を危うい足どりで展示室を一周するだけのことだが、新鮮な体験をした感じになる。
賴志盛の展示
賴は1971年台北生まれ。必要最小限の物だけで暮らすミニマリスト的な作品で知られている。人々の日常的な見方を覆し、現実を捉え直すための思いもよらない方法を私たちに教えようとする取組みである。完成された作品を眺める美術鑑賞を根本から見直す試みといえよう。
モンゴルの女性画家で1982年生まれのノミン・ボルドは、伝統的な絵画技法で、仏教画を描く。暖色と寒色的な二つの作品を出品。会場に来ていたノミンはその対比作品の間での記念撮影に愛想よく応じていただいた。出身地のウランバートルを拠点に活動するノミンは、象徴的な色と形を使って日常の価値観を問う作品を制作しているという。
ノミン・ボルドと展示作品
岡崎地区は3会場に分かれており、東岡崎会場では、1986年埼玉県生まれの彫刻家・二藤建人が意欲的な新作に挑んでいる。その一つ《誰かの重さを踏みしめる》は、ある人が普段踏みしめているその人自身の重さを、別の他者が踏みしめることを目的として制作したという。
二藤建人の作品《誰かの重さを踏みしめる》
他にも《山頂の谷底に触れる》は、空は大地のかたちを、大地は空のかたちをしている。山の頂上に触れた手は、空の谷底の一員として、厚みの無い、「山頂」という接点を大地と共有するという制作意図だ。《空に触れる》の素材として使用された土は愛知県内で採取された。《手を合わせる》は、用意された湯と水を使って左右の手の温度に差を生じさせたうえで手を合わせることで、両手の感覚が一体化するのを感じてほしいという。
二藤の《山頂の谷底に触れる》
二藤は触れ合うことの直接性をテーマにする。これまでも自ら一枚の雑巾と化して、街に身体をこすりつける、全身を地面に埋めて(地球に接続)、掌のみを地表にさらす(宇宙に接続)するなど、身体と世界の激しい触れ合い=直接的な交感を重視する作品づくりを進めている。
リオオリンピックは閉幕したが、ブラジル人アーティストのジョアン・モデは、ひもを結び合わせるというシンプルな行為そのものが作品となる《NET Project》を三地区で展開している。最初のネットは県内の美大生たちの協力のもと樹木やポールに設置し、そこに様々な素材と色のひもを結んで作品化するため、誰もが参加でき、次第に生き物のように形を変えていく。
ジョアン・モデの《NET Project》名古屋地区(左)、岡崎地区(右)の展示
《NET Project》豊橋地区の展示
1961年生まれのモデはリオデジャネイロを拠点に活動している。これまでサンパウロやメルコスールのビエンナーレなどに出展しているが、日本での国際展では初めての参加。各地区で制作されたネットは閉幕直前に愛知芸術文化センターに集められ、さらにつながることで、大きなネットとなって展示される。
さらに内外の国際芸術祭でも活躍する現代美術家の岡部昌生は1942年北海道生まれ。記憶や歴史の痕跡をテーマにした、フロッタージュ作品(物の上に紙を置き、鉛筆や木炭で写し取る技法)や土によるドローイングなど、大がかりなプロジェクトで国際的に知られる。1980年代後半より広島の原爆の痕跡を作品化するプロジェクトを開始。現在も継続的に広島や福島といった都市に関わり続けている。今回は《被爆樹/被曝樹》などの作品を3地区でそれぞれ展示している。
岡部昌生の展示《被爆樹/被曝樹》など
岡部の展示作品
(クリックで拡大表示)
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ヴァルサン・クールマ・コッレリ
(インド)の 作品は竹や土など
自然素材で制作
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カワヤン・デ・ギア(フィリピン)は、
35ミリフイルムで等身大の馬を制作
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味岡伸太郎の展示・愛知県境で
採取した土を作品化
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竹川宣彰《新・猿蟹合戦 戦争と戦争の
間に浮かぶ
宇宙船より》の展示
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高橋士郎
《レーモン・ルーセルの実験室》の展示
- 柴田眞理子のユニークな陶器作品
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大巻伸嗣の大型作品新作
《重力と恩寵》の展示
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佐々木愛の独自技法で
描かれた大作
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二コラス・ガラニン(アメリカ)の展示。
出自の先住民が生み出した技法による作品
町おこしと連動した日本型芸術祭
田んぼの中に草間彌生の極彩色の作品があれば、廃校の校庭にクリスチャン・ボルタンスキーの膨大な量の古着を使った巨大インスタレーションも。長野県の県境に位置する新潟県越後妻有の里山に、時ならぬ現代美術作品が出現。「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2012」は、十日町市を中心に六つの地区で、44の国から320組のアーティストが参加し約360点が出品された。
この地区は日本有数の豪雪地帯で200ほどの集落が点在し、棚田の稲作で生計を立てており、限界集落とさえ言われた。過疎化と高齢化が進む里山が見出した突破口はアートだった。5回目の芸術祭には国内外から多くの人が詰めかけていた。
直島など瀬戸内海の七つの島と高松を舞台にした「瀬戸内国際芸術祭」も「あいち」同様今年3回目だ。ここは春、夏、秋の3期に分け開催。「海の復権」をテーマに島の住人と世界中からの来訪者の交流により島々の活力を取り戻し、島の伝統文化や美しい自然を生かした現代美術を通して、瀬戸内海の魅力を世界に向けて発信を続けている。
2001年からスタートした横浜トリエンナーレは、日本最大の国際美術展との触れ込みで、赤レンガ倉庫などを舞台に大々的な展開を繰り広げる。また金沢では2010年から「工芸的ネットワーキング」を掲げ、ユニークな「金沢・世界工芸トリエンナーレ」をスタートさせた。
一方、ビエンナーレの方も、港で出合う芸術祭をうたい文句に「神戸ビエンナーレ」が2007年から参入した。2004年に唱えた「神戸文化創生都市宣言」の具体策として打ち出され、兵庫県立美術館を核に、2015年には第5回を数えた。神戸ハーバーランド、ポーアイしおさい公園、元町高架下など市内各所を会場に、現代美術の展示だけでなく音楽や舞台、写真、ギャラリーといった分野の展示やイベントに及んでいる。
ビエンナーレの草分けは、イタリアのヴェネツィアで、何しろ1895年の創始。次いで1951年のブラジルのサンパウロでもスタート。アジアでは1995年に韓国の光州で始まり、私も97年9月、同僚や美術館の学芸員有志らと出向いた。世界の芸術家たちの野心作があふれ、新しい美術の可能性を示唆するものだった。会場でもっとも驚いたのは、難解なこの展示スペースのどこへ行っても、多くの小中学生がいたことだ。学校教育の一環として、期間中に何度も足を運び、体験学習させているといっていた。
さて日本では、神戸のほか京都美術ビエンナーレや北九州国際ビエンナーレ、姫路城・現代美術ビエンナーレなど10数ヵ所で催されている。ただ日本はビエンナーレ、トリエンナーレとも純粋な現代美術の最先端を展示するだけの目的ではなく、町おこしの一環として位置づけられているのが特徴だ。とはいえ芸術祭としての趣向を盛り込んでおり、現代アートに身近に触れる機会でもあり歓迎すべき動向であろう。
今回のあいちトリエンナーレの感想としては、ビッグネームのアーティストが少なくパワフルさには欠けた。前回が「揺れる大地」ということで時代を反映した震災をテーマにしていたが、今回は「虹のキャラヴァンサライ」で旅がテーマ。どんな作品もあてはめやすいということが挙げられるのも一因。しかし初参加や若手のアーティストの参加が増え、意欲的な構成に仕立てられていることは評価できる。各地の芸術祭の動向に注目し、大いに期待したいものだ。
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