チーム白鵬 最強横綱 支える2人

横綱白鵬が大相撲名古屋場所13日目で通算1048勝目をあげ、元大関魁皇の持っていた歴代最多1047勝を上回る新記録を達成した。初土俵から98場所での最多勝到達は、魁皇より42場所早い。優勝38度。実績は名横綱たちと比べても群を抜いている。

白鵬を支える裏方がいる。横綱自らが「ともに本場所の15日間を戦う同志」と位置づけて「チーム白鵬」と名付けた2人だ。ここ1年の横綱は、昨年秋場所で昇進後初の全休を経験するなど、年齢的な衰えもあり、苦境に陥った。そこから復活した先場所の全勝優勝、そして今場所の偉業達成。陰には信頼感で結ばれたスクラムがあった。

杉本和隆・人工関節センター病院長

1人目は、2年前から白鵬の主治医を務める杉本和隆・苑田会人工関節センター病院長(48)だ。整形外科医として人工関節の第一人者。約15年前から角界関係者の治療をしていた縁で、横綱と知り合った。今は診察以外でもしょっちゅう連絡を取り合っている。

【動画】横綱・白鵬 主治医から見た強さの源

腱は切れていた

当初、診察した際に重心を支える右足親指の内側のけんとじん帯が切れているのに気付いた。だが、その時は白鵬本人は「少し動きが悪い程度」の感触だったため、症状を伝えなかった。切り出したのは昨年秋場所前。白鵬が勝てなくなり、弱気の発言をした時だ。「今のあなたは手術をするしかない」

勢(左)にはたき込みで敗れた白鵬=2016年名古屋場所・9日目

迷って決断に時間がかかる患者が多いが、白鵬は1分で「やりましょう」と話したという。「横綱は優勝しないと価値を見いださない異次元な存在。復活するために何が必要か、誰よりも分かっていた」成績が伸び悩んだ時期は足が砂をかめずに、立ち合いでも「ちょん立ち」が多かった。それが全休を経て4場所で右足に根を張るような感覚が戻ってきた。結果、上体は軟らかく、下半身はどっしりした取り口が復活した。

【動画】白鵬 横綱昇進後の休場 右足親指のけがの実態

稀勢の里の存在

トレーニング法もアドバイスした。「24、25歳の体には戻らない。千の負荷をかけるなら百×10日ではなく、十×100日にしましょう」と言った。元々、白鵬は90分のトレーニングならウォーミングアップに60分かけるタイプ。本場所の取組前でもゆっくりとしたしこ、すり足でじっくりと汗をかいている。「本人ははっきり口にはしないが、稀勢の里が横綱に昇進したことが彼にとっても良かった。自分はもうトップではない、と一度認めたことで、勝つことへの意欲がまた増したと思う」

大庭智成・九州医療スポーツ専門学校競技スポーツトレーナー

2人目は、専属トレーナーとして本場所、その前1週間、巡業など、1年で140日以上寝食をともにする大庭智成・九州医療スポーツ専門学校競技スポーツトレーナー(39)。5年間、横綱を支えている。

「カド番のような気持ちで」

1日3度、徹底的に体をマッサージする大庭トレーナーにも、先場所の全勝優勝は特別な思いを抱かせた。途中休場した春場所後、白鵬はモンゴルに戻って軍隊式トレーニングで全身を鍛え直してきた。「横綱自身が『10年ぶりくらいにきつかった。大関のカド番のような気持ちで行く』と話した」という夏場所で、結果を出した。「体も心も挑戦者に戻ったのだと思う」

大腿二頭筋

横綱の強さを象徴する筋肉は、体を動かす「エンジン」でもある太もも裏の大腿(だいたい)二頭筋など三つの筋肉だ。人並み外れて大きい上に軟らかく、押したら跳ね返ってくる弾力があるという。だから、攻めるときは力強く、はたかれても前に落ちない。「今は『また、勝てる』という気持ちの余裕が筋肉にも伝わっている。5歳くらいは若返った感触」と話す。

「私は情報の伝達者」

最強横綱を作り上げるトレーニングがあるかと聞いたが、笑顔で「ない」と断言された。スクワットからしこ、てっぽう、すり足など相撲の基本を軸に地道な基礎的な繰り返しを徹底する。しかし、実はこれが一番難しい。

稽古する白鵬

「横綱のすごいのは自己管理能力。私は情報の伝達者です。横綱はお酒も本場所中は一切飲まない。ちょっとした辛抱、努力、我慢が、勝つ喜び、家族の幸せ、支援者らが増えることなど、自分に返ってくることを知っている」(大相撲担当・竹園隆浩)

初土俵からの歩みと語録

2001年
春場所

初土俵。柏戸と大鵬の両横綱に因み、しこ名は「白鵬」。

2003年11月26日

「20歳までに関取になることが目標だった。九州場所後に横綱(朝青龍)から『これから大変だから頑張れ』と言われた。早く横綱、大関とやりたい」

モンゴル出身として5人目の関取に。

昇進が決まり会見する新十両の白鵬

2004年4月26日

「横綱(朝青龍)の速さと千代大海関のつっぱりを身につけたい」

19歳1カ月で新入幕を果たす。

2004年12月23日

「まさかここまでくるとは思わなかった」

19歳で新三役(小結)に。

2006年3月29日

「(モンゴル相撲の英雄の)父と並んでチャンピオンになりたいという気持ちが段々強くなっている」

大関昇進で記者会見。

2006年5月21日
夏場所千秋楽

「全身全霊をかけた。親方、お父さん、お母さん、部屋のみんなに感謝したい」

21歳2カ月で初優勝。

父から祝福のキスを受ける白鵬=東京・国技館で

2007年5月30日

「横綱の地位を汚さぬように精神一到を貫き、相撲道に精進致します」

69代横綱に昇進。

取り組み終了直後に朝青龍に頭を突かれた白鵬はにらみ返した=福留庸友撮影

2008年1月27日
初場所千秋楽

「休んでいた横綱に負けられない。その強い気持ちだけでした」

出場停止処分明けの朝青龍との千秋楽相星対決を制して。

2008年5月26日

「やっぱりいけないこと。横綱は全力士の手本にならなければいけない。これからは無いようにしたい」

春場所・千秋楽の取組後に土俵で朝青龍とにらみ合いに。

2010年2月4日

「同じモンゴル出身で、目標とする力士だった。自分を引っ張ってくれる横綱だった。相撲界を忘れないで、と言いたい。横綱の分までがんばっていきたい」

朝青龍の引退で一人横綱に。

2010年7月23日
名古屋場所13日目

「大鵬親方に並ぶことがやっとできた。あとは気楽に行こうと思います」

大鵬に並ぶ45連勝を達成して。

2010年7月26日
名古屋場所一夜明け会見

「ファンあって我々がいる。1千人近い力士を引っ張っていく責任を改めて感じた。国歌が流れた時に土俵を見つめたら、いつもはある賜杯がなくて寂しかった」

野球賭博問題で賜杯授与がない場所で優勝して。

2010年9月14日
秋場所3日目

「1年365日、その生活が本当にかみ合った。運もあると思うが、運は努力した人間にしか来ないから」

連勝を昭和以降3人目となる「50」の大台に乗せて。

2010年9月18日
秋場所7日目

「早いような長いような、不思議な感覚。これからも(不祥事に絡む重圧の中で戦った)名古屋場所での経験を生かしながら、一生懸命やります」

千代の富士を超える54連勝を達成して。

2010年11月15日
九州場所2日目

「これが、負けか」

稀勢の里に敗れ連勝が63でストップ(歴代2位)。

2011年4月26日

「この国を背負って立つ子どもたちのために、活躍できればと思う」

力士会で被災した子ども向けに毎月1人1万円ずつ寄付することを提案して。

2011年5月23日
夏場所一夜明け会見

「日本が大変な時期に、1人で喜んじゃいけないと思った。自分が結果を残せて、少しは(相撲界に)信頼を取り戻すことができたかな」

八百長問題発覚後の技量審査場所で優勝して。

2011年6月4日

「国技である大相撲が、この国の人と深い絆で結ばれていると、あらためて感じました。来られて本当に良かった」

東日本大震災の被災地である岩手県山田町と大槌町を訪ね、被災者ら計約2800人にちゃんこ鍋を振る舞うなどした。

2012年9月23日
秋場所千秋楽

「いいライバルになる。自分も頑張ります」

日馬富士が2場所連続の全勝優勝を果たし、横綱昇進を確実に。白鵬の1人横綱は15場所で終わった。

2013年1月19日

「角界の父。私には父が3人いますが、その1人が亡くなりました。遺志は我々が受け継いで、しっかりやる」

大鵬死去。打ち出し後、亡きがらに涙を流した。

弔問の後、報道陣から質問を受ける横綱白鵬=東京都江東区

2013年7月22日
名古屋場所一夜明け会見

「満足感がある。あの男を超えてよかった。これでもう文句は言われない」

モンゴル出身の朝青龍を優勝回数で抜いて。

2013年9月8日

「東京五輪まで頑張る。開会式で横綱土俵入りができれば、(レスリングで東京五輪に出場した父と)親子で五輪の舞台に上がることになる。夢は追い続けたい」

2020年東京五輪開催が決定して。

2014年9月28日
秋場所千秋楽

「まさかですよね。入門した頃から映像を見ていた大横綱に、こうして肩を並べられて」

千代の富士に並ぶ史上2位の31度目の優勝を達成。

2014年11月23日
九州場所千秋楽

「この国の魂と、相撲の神様が認めてくれたから、この結果があると思います」

「鵬」の一字をもらった大横綱・大鵬の持つ32度の最多優勝という記録に、肩を並べる。

2016年3月14日
春場所2日目

「長かったような、早かったような」

北の湖を抜いて歴代トップの横綱通算671勝を達成。

2016年5月8日
夏場所初日

「(新入幕から)12年はあっという間だったねえ」

隠岐の海を破って、魁皇と並ぶ歴代1位の幕内勝ち星879勝を記録。

2016年5月20日
夏場所13日目

「強い力士が大関になる。横綱は宿命だ」

当時大関の稀勢の里との全勝対決を制す。敗れた稀勢の里は自力優勝が消え、横綱昇進が厳しくなる。

白鵬(右)は下手投げで稀勢の里を下す=北村玲奈撮影

2016年7月18日
名古屋場所8日目

「もうこうなったら幕内1千勝でしょう。欲も出して、目標は大きくね」

幕内通算900勝を達成。

2016年8月2日

「早かったです」

7月31日に亡くなった元横綱千代の富士の九重親方と無言の対面。

2016年9月8日

「20代とは違うと感じてきた。周りに迷惑をかけたくないと思った」

横綱昇進後、初の全休。前場所に痛めた右足親指などが完治しなかった。

2016年11月15日
九州場所3日目

「まさか自分が3人目になるとは……。次の目標は、まず1001勝です」

元大関魁皇、元横綱千代の富士に次ぐ史上3人目の通算1千勝を達成。

2017年5月29日
夏場所千秋楽

「帰ってきました!」

1年ぶり38度目の優勝。日馬富士との横綱対決を制し、13度目の全勝で優勝に花を添えた。

写真で振り返る1048勝