現在、台湾の李登輝前総統が訪日中ですが、新聞やテレビはあまり大きく扱っていませんね。それに不満を持つ人もいるようですが、私は一私人として日本を訪れている人について、マスコミがスクラムを組んで報道合戦を繰り広げるのはどうかと思うので、現在のような取り上げ方でいいのだと考えています。大騒ぎする方がおかしいですし、「22歳まで私は日本人だった」と話す李氏には、日本を楽しんでいただきたいですね。中国政府も一応、文句は言ってはいるものの、騒ぎ立てる気はないようです。

 ただ、6年前の4月に李氏が訪日したときは違いました。中国は大々的に日本を非難し、予定されていた政府高官の来日を次々と取りやめました。公明党は李氏訪日に反対していましたし、何より外務省の河野洋平外相とチャイナスクールの人たちが猛反対して首相官邸と対立していました。最終的には森首相が押し切ったのですが、当時も官邸勤務だった私はドラマの一端を垣間見ることができました。

 そこで本日は、当時の産経記事から李氏訪日までの流れと、そのときどきの動きが分かるものをピックアップして、短評を添えたいと思います。日本の対中外交の変化に関しては、小泉前首相の6回にわたる靖国神社参拝が果たした役割が大きいですが、小泉氏が首相になる直前に、森元首相が断行した李氏訪日もまた、対中外交の一つの転機だったと思うからです。
 

 李登輝氏が訪日ビザ申請 政府「受理せず説得を」 現地事務所に指示 
[ 2001年04月11日  東京朝刊  1面 ] 

  【台北10日=矢島誠司】台湾の前総統、李登輝氏(七八)は十日正午(日本時間午後一時)前、代理人を通じて訪日のための入国査証(ビザ)申請書を交流協会台北事務所に提出した。日本での心臓の再検査が必要との専門医の意見などに基づき、当初の訪米後の帰途の訪日という計画を変更して訪米前の今月下旬に訪日したいと申し入れた。これに対し、日本の外務省から交流協会台北事務所に「受理せず、李登輝氏を説得せよ」と指示が出されたという。

 …当時は外務省では中国語研修組であるチャイナスクールが幅をきかせていましたし、その政治力の後ろ盾として親中派が多かった自民党橋本派(現津島派)がありました。このころはまだ、田中角栄元首相の流れをくむ平成研の勢力は党内で圧倒的でしたね。現在は所属議員の数でも町村派に抜かれているわけですから、栄枯盛衰を感じないではいられません。

 派閥の話はともかく、ここで問題なのは、外務省が首相官邸を通さずに勝手に李氏のビザ申請不受理の方針を示していることです。実は森元首相はこの前年に、中曽根、宮沢両氏ら首相経験者に「来年、李氏から訪日申請があったら、短期的に中国との関係が悪化するかもしれないが、受理したいと思う」と相談し、「それがいい」と賛同も得ていました。

 それなのに、外務省の一役人が独自の判断で出先機関にこんな指示を出すのです。世間の政治家と官僚の関係のイメージはどうだか分かりませんが、役人はよほど政治家が監視していないと勝手なことを仕出かすという認識が、当時、私の頭にインプットされました。

 李登輝氏訪日問題 政府内の不一致露呈 外務副大臣「ビザ発給を」 
[ 2001年04月13日  東京朝刊  1面 ] 

 外務省の衛藤征士郎副大臣は十二日の記者会見で、台湾前総統の李登輝氏の訪日問題について、李氏側から訪日のための査証(ビザ)申請が行われたとの認識を示すとともに、政府としてはビザを発給すべきだとの考えを表明した。衛藤氏は最終的には森喜朗首相と河野洋平外相が協議して対応を決定すべきだとしたが、政府高官が公式にビザ発給に積極的な発言をしたのは初めて。しかし、福田康夫官房長官は同日の会見で「申請および受理がなされたことはない」と従来の見解を改めて強調、政府部内の見解の不一致が表面化した。

 李登輝氏の訪日ビザ申請 外相「聞いていない」 衛藤氏発言を公式に否定
 
[ 2001年04月13日  大阪夕刊  総合・内政面 ] 

  河野洋平外相は十三日午前の記者会見で、衛藤征士郎外務副大臣が十二日に台湾前総統の李登輝氏が訪日のための査証(ビザ)申請をしたことを認める発言を行ったことについて「(李氏から)正式に査証申請があったとは聞いていない」と述べ、衛藤氏発言を公式に否定した

また、森喜朗首相は十三日午前、河野外相、福田康夫官房長官と国会内で李氏の訪日問題を協議し、河野外相らに対して「もう少し、よく情報を集めてほしい」と指示。これに対し、河野外相は衛藤氏発言について「省内の意見が一致しないといけないので、注意する」と陳謝。さらに「外務省としての考えをまとめる」と述べ、近く同省の統一見解をまとめる考えを伝えた。

 …当時、首相官邸と外務省との間だけでなく、外務省内でも意見の食い違いがありました。ご承知のように、河野外相は「親中派の中の親中派」であり、李氏の訪日阻止に向けて動いたチャイナスクールをむしろ応援していました。これに対し、衛藤外務副大臣は台湾派であり、チャイナスクールの独断・独走を苦々しく感じていたようです。

 それで衛藤氏は4月11日に、駐台日本大使館に当たる台湾の交流協会台北事務所に直接電話を入れて李氏側からビザ申請があったことを確かめていて、記者会見で事実として述べたのです。それを河野氏は打ち消したわけですから、親中も病硬膏に入るというか。ただ、そんな無理を通して道理を引っ込ませるようなやり方が、当時の親中派やチャイナスクールの行動様式だったと記憶しています。

 また、このときは福田官房長官も親中派で、外務省のチャイナスクールべったりでした。谷野作太郎元中国大使が小学校の同級生だったということもあったのでしょう。当時、在京各紙の社説が珍しく一致し、みんな李氏の訪日は認めるべきだという論調でした。これに対し福田氏が記者会見で「李氏を来日させて何かあったら新聞の責任だからな」と捨て台詞を吐いたのを覚えています。「何言ってんだか」と思いました。そして昨年の自民党総裁選では、衛藤氏が福田氏を担ごうとしたのだから政界事情は複雑です。政治家の行動様式は一つの理由では決まらないことがほとんどだといえますね。

 李登輝氏 治療に訪日強く要望 ビザ「間違いなく申請した」 
[ 2001年04月16日  東京朝刊  1面 ] 

 【台北15日=矢島誠司】台湾の前総統、李登輝氏は十五日、台北市郊外にある李登輝事務所で記者会見し、同氏が訪日ビザを申請している問題について「ビザ申請は間違いなく今月十日に行った」と強調、「訪日目的は心臓の病気治療であり、人道的見地に立って決断してほしい」などと述べ、日本政府にビザ発給を強く求めた。日本政府が、公式には李氏からビザ申請は出ていないとしていることについては、「ウソだ」とも語った。

 

 李登輝氏ビザ問題 外相、一時辞意示す ビザ発給、首相に抵抗 
[ 2001年04月19日  東京朝刊  総合・内政面 ] 


 李登輝
・前台湾総統の訪日問題をめぐって、ビザ発給に慎重な考えの河野洋平外相が、森喜朗首相に対して一時辞意を示していたことが十八日分かった。
外務省筋が明らかにしたもので、ビザを発給する意向の森首相も外相辞任という事態に発展することを避けるため、協議を続行する形にせざるを得ない状態のようだ。

同筋によると、中国との関係を重視する外相は以前から「自分の在任中は李登輝氏の訪日は認めない」との考えを示してきたが、辞意表明については「ビザ発給への抵抗姿勢を中国や外務省内に示すのが狙い」(政府筋)との見方もある。

 …じゃあ、辞めればいいのにと思った人は多かったと思います。でもそんな決断はしない人なのでしょう。このとき河野氏は森首相に対し、「30年間親中一筋でやってきた私の立場はどうなる!?」と詰め寄ったと聞いていますが、この人は本当に…。そんなの知ったことかと言いたくなりますね。

 

 李登輝氏ビザ発給 「首相が最終決断」 河野外相 
[ 2001年04月21日  東京朝刊  総合・内政面 ] 


 河野洋平外相は二十日夜、首相官邸で森喜朗首相と台湾の李登輝前総統への査証(ビザ)発給をめぐり会談した後、記者団に対し、「最終的には首相の決断だ。李氏がしっかりと受け止められるよう期待する」と述べ、人道的観点からの首相の決断であることを強調した。

河野外相はまた、「私は(李氏は)非常に政治的影響力のある人だと思っている。それは(この問題をめぐる)陳水扁総統の発言や、台湾外交部の発言をみれば十分根拠がある。対中外交はなかなか難しい時期を迎えるだろう」と述べ、李氏は必ずしも私人であるとはいえないとの見方を示した。

一時進退問題を考慮したとされることに関しては発言の中ではまったく触れなかった。

 …ものの見事に中国側の言い分をそのまま口にしています。いっそ見事という気すらしますね。でも、当時も外交が分かっている人たちは「中国側のポーズに踊らされる必要はない」と冷静に見ていました。中国は、日本が脅しに過敏に反応するからそれを利用しているだけで、脅しに効果がなければそんなことしないということは、ちょっと考えればすぐ分かることでしょうに。まあ、これが河野氏のアイデンティティーだから仕方がないのかもしれません。

 で、結局、李氏は4月22日に来日するわけですが、その際の中国・新華社電は「ビザ発給は日本軍拡の口実」と書きました。意味が分かりません。こんな適当な言い分を真に受けるほうがどうかしていますね。でも、当時の日本にはとにかく、中国様を刺激してはいけないという政治家や官僚が多かったのも事実です。

 李登輝氏ビザ発給 外務省が妨害工作 安倍官房副長官が証言 
[ 2001年05月09日  東京朝刊  総合・内政面 ] 

 安倍晋三官房副長官は八日、先に来日した台湾前総統、李登輝氏への入国査証(ビザ)発給をめぐって外務省による「妨害工作」があったことを証言するとともに、昨年十一月にブルネイで開かれたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の帰途、森喜朗首相(当時)から「李登輝さんの訪日を受け入れようと思っている」と伝えられていたことを明らかにした。

超党派の国会議員でつくる「李登輝氏に日本での治療を実現させる超党派の国会議員有志の会」のヒアリングで明らかにしたもので、安倍氏はビザ発給までに時間がかかったことについて「外務省から妨害工作があった」と説明。「外務省のチャイナスクール(中国専門家)は中国政府に気に入ってもらえないと情報が取れないという宿命があり、そこが問題だ」と述べた。

 …さて、当時、李氏の訪日実現に熱心に働いていたのが官房副長官だった安倍首相でした。安倍氏は李氏へのビザ発給が決まった4月17日には、訪日反対運動を展開した外務省の槙田邦彦アジア局長について、オンのコメントで「一局長の行動でここまで日本が傷ついたことはない。罪は万死に値する」とまで述べています。安倍氏以前の官房副長官は、どちらかというと地味で目立たない存在でしたが、安倍氏は対外発信が得意で、例外的に注目を集めた副長官でしたね。

 

 「李登輝氏の訪日今後は認めない」 田中外相、中国外相に言明 今月7日電話会談 
[ 2001年05月19日  東京朝刊  1面 ] 

 田中真紀子外相が今月七日の中国の唐家せん外相との電話会談で、台湾前総統の李登輝氏から今後、訪日申請があっても認めない考えを伝えていたことが十八日、分かった。複数の関係筋が明らかにした。李氏の訪日をめぐり、政府は四月二十日に人道的観点から査証(ビザ)を発給、訪日は二十二日から五日間の日程で実現した。しかし、外相はこうした政府決定に反する発言を政府内での協議を経ず独断で行っていたことになり、外相としての資質が改めて問われることになりそうだ。

 …政権が森氏から小泉氏へと移り、新たなプレーヤーが登場しました。私は小泉首相の誕生を心から歓迎したものですが、田中外相の起用にはまた、心から失望させられました。結局、更迭することになったわけですが、田中氏は次々と失言を繰り返し、奇矯で有害な言動をとり続けましたね。

 上の記事は、産経をはじめ新聞各紙が田中氏の問題発言、スタンドプレーを追及するさきがけとなったものですが、私もかかわっています。しかし、当時はワイドショーをはじめテレビが田中氏礼賛特集ばかりやっていて、彼女はヒロインでしたから、なかなか風当たりはきついものでした。「何で外務省改革を進める田中氏を批判するのか。もう産経はやめる」と弊社にもたくさんの抗議が来て、部数も1万部減ったと聞きました。抗議に恐れをなしたのか、最初は弊紙と近い論調だった毎日新聞が、途中から田中氏批判をあまりしなくなったのを覚えています。

 

「李登輝氏の再入国」 田中外相発言 麻生氏が批判 
[ 2001年05月20日  東京朝刊  総合・内政面 ] 

 自民党の麻生太郎政調会長は十九日夜、名古屋市内で記者団に対し、田中真紀子外相が台湾の李登輝前総統の再入国を認めない考えを中国の唐家せん外相に伝えていたことについて「事実とすれば、個人の見解を述べるのは結構だが、国で決めた話を(田中外相が)一人でひっくり返せるとは思えない」と批判した。

 

李氏再訪日 申請あれば検討 安倍官房副長官示唆 外相発言を“修正” 
[ 2001年05月21日  東京朝刊  総合・内政面 ] 

 安倍晋三官房副長官は二十日のテレビ朝日の報道番組に出演し、田中真紀子外相が中国の唐家せん外相との電話会談で、台湾の李登輝前総統へのビザ(査証)の発給を今後認めない方針を伝えていたことについて「森内閣で国益を考えて(李氏へのビザ発給を)決断したことなので、外交の継続性を外相も承知されていると思う」と述べ、再度病気治療を目的とした入国申請があれば検討する考えを示唆した。

 …このころから、外交路線について安倍氏と麻生氏が一致していたことが分かりますね。現在、この二人に中川昭一氏を加えたANAラインが、安倍政権の中核となっています。

 

 外相、間接的に認める 李氏ビザ拒否報道 「慎重に対応」と発言 
[ 2001年05月21日  大阪夕刊  1面 ] 

 田中真紀子外相は二十一日午前の参院予算委員会で、今月七日に行った中国の唐家せん外相との電話会談で李登輝・前台湾総統へのビザ(査証)発給を今後認めない考えを伝えた-との産経新聞などの報道を否定しなかった。そのうえで、外相は電話会談では「すべてを慎重に対応していきたい」との発言を行っていたことを明らかにし、李氏への今後のビザ発給を事実上認めない考えを唐中国外相に表明していたことを間接的に認めた。

峰崎直樹氏(民主党)の質問に対する答弁。外相は「外交は先方の立場があるので、中身について逐一明らかにすることはできない」などとして電話会談の詳細を明らかにすることを拒否した。

 

 外相追及に照準 民主の国会戦術 
[ 2001年05月23日  東京朝刊  総合・内政面 ] 

 民主党は二十二日の常任幹事会で、今後の国会戦術について、日中外相電話会談で台湾前総統の李登輝氏の訪日を今後は認めないと言明した田中真紀子外相に追及の照準を絞ることを確認した。

 菅直人幹事長は常任幹事会で「(発言の有無を)一切答えないという姿勢は問題で、さらに厳しく追及していかないといけない」と批判。赤松広隆国対委員長は二十二日の記者会見で「まさに外交音痴で、こんな外相しか選任できなかった小泉純一郎首相の任命責任も問われる」と述べ、田中外相とともに任命権者の小泉首相の責任も追及する考えを強調した。

 …面白いのは、当時は民主党が田中氏をこきおろしていたことです。何せ田中氏は現在は民主党の会派に所属しているわけですから。政治の世界が、いかにご都合主義でその場しのぎか分かりますね。まして今のように選挙が近づくと、その傾向はさらに強まります。

 

 李氏へビザ発給 経緯調査を拒否 衆院外務委で外相 
[ 2001年05月24日  東京朝刊  総合・内政面 ] 

 二十三日の衆院外務委員会で、政府が台湾前総統、李登輝氏への査証(ビザ)発給問題を検討していた当時、外務省の槙田邦彦アジア大洋州局長が発給に抵抗していた問題が取り上げられた。自民党の米田建三氏がその経緯を調査するよう求めたのに対し、田中真紀子外相は「(ビザ発給を決めたのは)前の内閣のことだ」と拒否した。

米田氏は質問のなかで、槙田局長が李氏は元気だ▽(李氏が治療先として希望している)岡山県倉敷市の医師が「自分でなくても治療できる」と言った▽台湾の医師会が訪日に反対している-などの誤った情報を官邸などに伝え、これが問題をこじらせる要因となったと指摘した。

これに対し、田中外相は「新しい内閣で、役人も政治家も気持ちを切り替えて、いい政治をしたい」と述べ、この問題を不問に付す姿勢を示した。

 …以前、米田氏本人に聞いた話ですが、槙田氏は当時、人気絶頂だった田中外相に「国会で米田氏の悪口をどんどん言って、次は彼が当選できなくなるようにしてくださいよ」と頼んだそうです。これにはさすがの田中氏も「へんな官僚ね」と応じなかったそうですが。政治家も官僚も日常的に一種の権力闘争をしているのが永田町・霞が関の常態と言えるかもしれません。

 

 李登輝氏訪日 槙田局長が虚偽報告 安倍官房副長官認める 
[ 2001年06月02日  東京朝刊  総合・内政面 ] 

 自民党の米田建三衆院議員は一日の衆院外務委員会で、台湾前総統、李登輝氏の訪日をめぐり、外務省の槙田邦彦アジア大洋州局長が「李氏はピンピンしている」「(岡山県)倉敷市の病院の医師が『自分でなくても治療はできる』と言っている」など虚偽の報告をあげて、査証(ビザ)発給をしないよう働きかけたかどうか、事実関係をただした。これに対し、安倍晋三官房副長官は「李氏を受け入れるかどうかは大変大きな政治決断だったので、それぞれの意見に違いが出るのは当然あった」と述べたうえで、「その中で、そのような情報などの報告があった」と、虚偽報告があったことを認めた。

 …槙田氏は外務省内で、一時は「チャイナスクールから次官が誕生か?」とまで言われた人物ですが、結局、次官にも希望していた中国大使にもなれませんでした。また、後任のアジア局長だった田中均氏も、小泉前首相や福田元官房長官の信任は得たものの、北朝鮮問題などで安倍氏と対立して結局、ほとんど手が届いていた次官になれずに退官し、次官には同期で安倍氏に近かった谷内氏が就きました。ただ、ここで注意しなくてはならないのは、こうしたときは一方的に政治家の方が力・立場が強いとは限らず、安倍氏が槙田氏や田中均氏に敗北して、今ごろ首相どころか無役の政治家にとどまっていた可能性もあることです。

 李登輝氏の過去の訪日について振り返りながら、結局、政治(行政の一部も含めて)の世界は権力闘争だなあ、勝つか負けるか
だと改めて思い至った次第です。国際政治だって、構図は複雑ですが、つまるところそうなのだろうなとも考えています。李氏の私人としての訪日を淡々と受け入れるべきなのは言うまでもありませんが、それにしたって政治的意図が全くないとは到底言えないでしょうし。