最初に、私の立ち位置を明確にしておこう。
私はいわゆる「昔からのゲーム好き」だし、今から始まるのは結論ありきの議論でもある。「基本無料のソーシャルゲームって、私にはあんまり面白く感じられないなー」というのが結論であり、「じゃあ、何で面白く感じられないんだろう?」というのを考えてみたくなった、というのが今から書くお話である。
整理から始める。
ゲームに限らず、あらゆる娯楽は、プロセス、コスト、リターンという三つから構成されていると思う。プロセスが、その娯楽を楽しむにあたって、実際に行う活動。コストが、それをする為に支払うもの。リターンが、それによって得られるもの。
例えば、読書という娯楽は、「本を買うお金」という金銭コストと、「本を読む時間」という時間コストを必要とする。そして、「実際に本を読む」というプロセスを経て、知識や、知的好奇心の充足や、臨場感など諸々の知的興奮といったリターンを得ることが出来る。テレビや、漫画も多分それに近い。
運動という娯楽において、我々は「運動する時間」や「体力」場合によっては「練習に要する努力」といったコストを払って、「運動」という実際のプロセスを行い、体を動かした、あるいは勝利した・敗北したという達成感、または肉体の成長といったリターンを得ている。
旅行という娯楽において、我々は「旅行にいく時間」や「お金」というコストを払って、「実際にそこにいく」「移動する」というプロセスを行い、見聞欲求や思郷心の充足という様々なリターンを得ている。
コスト・プロセス・リターン。これは、多分あらゆる活動の要約だ。ジャンプにおける友情・努力・勝利みたいなものだ。
で、私が好きなゲームは、例えばシューティングゲームである。これは、どんなコスト・プロセス・リターンから成っているのだろう?
コストは、例えばゲーム代、ゲーム機代といったお金コストと、それを遊ぶ時間コスト。そして、上達するに至るまでの様々な精神的コスト。体力だの、忍耐力だのが必要とされる場合もままある。
プロセスは、ゲームを遊ぶという行為そのもの。自機を動かし、弾を避け、敵に弾を撃ち込み、敵を破壊しまくるゲーム本体。
リターンは、例えば「たくさん得点を稼いだ」「どうにかこうにか敵ボスを倒し、クリアした」という達成感。別にクリアしたタイミングに限らず、弾避けで得られる充足、打ち込みで得られる快感など、ゲームの途中でもちょこちょこリターンを得ることは出来ると思う。
シューティングゲームに限らず、他にも色々なゲームが似たような構成になっている筈だ。どれも、「プロセス」の部分がゲームの大きな部分を占める、という点についてはそれ程変わらない、と思う。
で。最近、いくつかのブラウザゲームとかソーシャルゲームとか、いわゆる「基本無料、追加課金制」というゲームを試しに遊んでみた。最近様々な方面で話題のジャンルだ。
すぐに感じたことがある。それは、今までのゲームとは、コスト:プロセス:リターンの配分が全く違う、ということ。一言で言ってしまうと、コストとリターンの配分が非常に大きく、プロセスの配分が極端に少ないように思える、ということである。
私が遊んだのは3,4作だけなので、例外も色々あるのかも知れないが。
少なくとも、私が遊んだ幾つかのソーシャルゲームは、例外なく以下のようなコスト:プロセス:リターン構成になっていた。
コスト:かなりの、あるいは莫大な時間。場合によってはかなりの金額のお金。
プロセス:数回のクリック。ブラウザを見て、いくらかの情報を読み取る作業。
リターン:多分色んな達成感と、時には射幸心の満足、時には多分、被承認欲求の充足。
繰り返しになるが、全てのソーシャルゲームがこういう構造になっている訳ではない、のだと思う。多分。
ただ、少なくとも私が遊んだいくつかのゲームにおいて、私は殆ど「プロセスないじゃん」という感想を持ったのだ。私にとっては、「ゲーム本体」というに近かったプロセスという部分が、ほぼ完全に消えうせていたのだ。
私と同じように、かつてのゲームにおいて「プロセスこそがゲームの中核」だった人の中には、ソーシャルゲームのどこが面白いのかさっぱり分からない、という人がいるのではないか、と思う。少なくとも私はそうだった。プロセスこそが楽しいのに、プロセスこそがゲームなのに、それを剥ぎ取って一体何が楽しいの、と思ってしまったのも確かだ。
一方で、コストに対するリターンの大きさというものは理解出来て、それに麻薬的な楽しさを感じる人もたくさんいるのだろう、ということも頭では分かる。理解出来る。プロセスなんてむしろ邪魔、という人もたくさんいるのだろう、ということも理解出来る。そういう人にとっては、プロセスが薄いゲームの方がずっと直接的に楽しめる筈だ。単に、それは私には楽しくない、というだけであって、それを否定するつもりはない。
そして、今までその「プロセス」を好んできた人たちが使うことが出来たお金よりも、「コスト」「リターン」のみを重視したゲームを楽しんでいる人たちの方が、直接的に、たくさんのお金を落としているのかも知れない、ということも理解出来る。結局のところ、お金を稼がないとゲーム屋さんは生きていけないのだから。結果的には、「プロセス」はどんどん簡略化されていく方向に進んでいくのかも知れない。
ただ、私は「プロセス」が殆どないゲームを、面白いとは感じない。
懐古主義者の愚にもつかない感慨、ととる人もいるだろう。実際にそうなのかも知れない。
最近のゲームに順応出来ない化石の愚痴、ととる人もいるだろう。実際にそうなのかも知れない。
ただ、少なくとも私は「プロセス」が好きだ。そして、これからも「プロセス」を楽しめるゲームが出てくれることを願ってやまない。そういうゲームに、少しでもたくさんの時間を、お金を使いたいと思う。
それだけなのである。
(追記 9/22 14:30 関連記事)
料金徴収形態がゲームを作る、というお話。
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無理やりでも攻略ちっくなことができそうなやつはそれなりに楽しめてます。
お金ないと確かに開発なり経営なりやってけないのは分かるけどあからさまな重課金者様優遇の方針はやっぱりドン引きますです。
でもこれが主流になっちゃいそうですね。
それはちょっと寂しい懐古厨の一人かも。
ぼくのスタンスとしては、「自分がやるとずぶずぶになりそうで怖いから触らない」と言ってきているんで、
あんまし肯定否定は言わないほうがよいと思いますが。
この手のゲームに入れ込んでる知人を知っていますが、
話を聞いていると、パチスロやってる人みたいで、
なんだか危うい感じがします。
ソーシャルゲームはいわゆる「ゲーム」ではなく、コミュニケーションツール的なものなのではないかな、と個人的には考えています。
名称を全く別のソーシャル○○○にすればみな幸せに住み分けられそうです。
”知育系”ソフトにしろゲームとしてのプロセスは失ってはいませんでした。
しかし、いまあるソーシャルゲームとされるものの大半は記事のようにプロセスが存在せず、
お金を費やすものとお金の代わりに”待ち時間”を費やすものが殆どです。
今は無き韓国のパチンコの様に最低限のプロセスすら省かれた娯楽が”長期に渡って”支持されるのか?
色々な所で「ソーシャルゲームの脅威」的な記事を書く記者の方は、もう少しそこを見極めてから記事を書いて欲しいところですね。
それが出てるのがソーシャルゲームな気がしますね
ゲームを楽しみたいのか、それとも息抜きにゲームするのか
息抜きでゲームするならば難しいプロセスは邪魔になるわけです
簡単に言ってしまえば「難しいプロセス」を求めているのは一部のゲーマーだけで
一般大衆にとっては、そんなものは邪魔でしかない
という事かもしれませんね
少なくともゲーマーが「ソーシャルゲームなんてクソだ」と言い続けるには十分な理由ではあるかと。
ゲームに投資してそのリーターンの大小を楽しむ。ゲームとしてのプロセスは出来るがぎりシンプルに。
マイノリティの嘆き?
たとえばシューティングであれば、プレイヤーは時間というコストを投入して「弾をうまく避けられる(=楽しい)」「敵を破壊する(=楽しい)」といったリターンを最大化するのが目的なわけで、自機を操作すること自体にはなんの価値もない。逆に操作を行う時間や、「うまく操作できないというストレス」はコストなわけで、コストを最小化してリターンを最大化するならあのようなゲームデザインになるのは当然でしょう。
そういう楽しみ方ができるゲームがあってもいいと思います。
片手間に誰でも気軽に遊べるって言う意味では
旧たまごっちブームの頃に近いかもしれません。
ただ課金要素が酷過ぎるのが…
競争要素つけようと思ったら
結局時間か腕か金になっちゃうんで
難しいとこなんでしょうけども。
昔でいえば信長の野望なんかも、ボタンをカチカチすれば成長するという点では同じようなものだと思います。
結局、ゲームはコンシューマーでもソーシャルでも自己満足だから。
自分はコンシューマーのほうが面白いし安上がりなのでソーシャルはしません。
でも商売という点ではソーシャルのほうが美味しいかもしれないですね。
ソーシャルゲームはビジネスライクだ。投入したコストに見合うリターンを得られれば課金者は満足する。リターンそのものが商品であり、パラメータ的である。
プロセスの欠如とはつまり、芸術性の欠如ではないだろうか。一言で言うなら、ソーシャルゲーは味気無い。パラメータのやり取りだけではゲームが枯れてしまう。
今のPS3やXbox360にありがちな「プロセスにどっぷり浸かることを強要する」みたいな
ゲームはなんか好きじゃなかったりします。
中古販売業者とゲームメーカーの果て無き攻防の末に、
ゲームメーカーが出した「一本のゲームでたっぷり遊べる」路線が、
皮肉にもユーザーにディーププレイを求めることとなり、
ユーザーは反動で「お手軽なものへ」と流れているのが今日のソーシャル人気かな、と思ったり。
懐古主義者のひとりとして、完全同意です!
それでは、失礼しました。
どんなに好きなキャラが出てるソーシャルゲーだったとしても全く好きになれない理由が。
私は、皆無といっても過言ではない程の操作性にソーシャルゲームのつまらなさを見出していましたが、この記事のように大きく分けた発想も面白いですね。
たしかに『プロセス』が取っ払われていてつまらないんだ。
進めないことも無いけど変わりに莫大な『作業』時間が掛かる。
それがどう考えてもゲームに使う単位の時間では済まされないので、結局課金。
という構造がいやらしくて嫌いだ。
我々の世代のゲームは一本買ったらクリアまで一本分の値段で遊びつくせるのが当たり前だったから、どうにもいまの商法は鼻に付くものがある。
どうにも今のゲームは軽薄というか薄っぺらいというか、簡単に付き合って簡単に別れてを繰り返すペラペラした若者っぽい感じがして受け入れがたいものがある。
んでそういう人が多数を占めているから
そういう人を狙って作った結果今日の
ペラっペラでステータス至上主義な
ゲームとも呼べない何かが量産されているんではないのだろうかと、オールドタイプなオタとしてはそう思います。
ソーシャルゲームとやらは
むしろ渋谷でちゃらちゃらしてるような輩の方がやっているイメージがあるかな…。
自分がプレイしたカード対戦系ソシャゲの大部分は、ソロプレイ(クリック作業による収集育成)・対人戦・イベント(ソロ要素の強いものから対人・チームプレイ型など様々)という三本柱で成り立っています。
このうち対人戦は、1戦ごとの駆け引きやリアルタイム操作といった戦術性こそ無いものの、自分の戦力と他者の限られた情報・あるいは対戦経験から「勝てそうな相手」を探して星を稼ぐという戦略性を含んでいます。
またイベントでは、手持ち戦力や回復リソース量を基準にして「どのくらいの戦果を狙うか」という目標設定のバランスが問われ、さらにペース配分やリソース投入タイミング・仲間プレイヤーとの連携などを工夫することにより「プロセス次第でコスト→リターンの効率を上げる」といったゲーム性も確実に存在します。
それらの前提として、収集育成部分にも選択肢は多く、同じだけのコスト(費用・時間)を費やしてもプレイヤーの要領次第で意外と差がつきやすいです。
更に、課金で戦力や回復リソースを調達して優位に立つというのもソシャゲに限った発想ではなく、TCGやポーカー・ブラックジャック等のギャンブルゲームにも通じる部分があり、一概に卑下されるべきものでもないと自分は思います(もちろん、割高かつ不透明な部分が多すぎるので忌避されるのも分かりますが…)。
ただし、ソシャゲは集客のために「誰でも手軽に遊べる」という長所を強調しているため、入り口部分の単純クリック作業で嫌気が差してしまう人も多いでしょうね。
ハマればプロセスの面白さが見えてくる作品も少なくないですが、従来的なプロセスを重視する人ほど、そこへ辿り着く前に見限ってしまいやすいのかもしれません。
上のコメントでは「収集育成」と一纏めにしてしまいましたが、もう少し細かく分ければ
・収集a:ソロプレイのクエスト(任務・お仕事など、作品により呼び方は様々)
・収集b:有料or無料のガチャ
・収集c:他ユーザーとのトレード(RMT抜きにしても、トレードが不自由なゲームには不評が出やすいです)
・育成a:収集aによる能力値成長(ステータス振り分けにより多少は個人差が出る)
・育成b:TCGのデッキ構築やシミュレーションRPGの部隊編成と似た部分
…という具合に、ゲーム性の高い部分・低い部分が混ざり合っていますね。
「ソシャゲではプロセスが疎かにされている」という論調は、収集abや育成aの印象が強いために出やすいのではないかと思います。
あと、ゲームとして楽しめるかどうかは仲間次第という部分も強いですね。良くも悪くも「ソーシャル」要素が重視されていることは確かです。
しかし、「コスト」が完全に「金」になっている点に私は不快感を感じますね。「他のユーザーに勝つ爽快感、承認欲求、虚栄心を満たしたければ金払え。」っていうのがソーシャルゲームに対する私の印象です。
思想が浅ましいんだよソシャゲ馬課金は
それだと「囲碁は盤上に石をペチペチ置くだけ。だからプロセスが少なくつまらないゲーム」ってことにならないか?
というか単にしんざきさんの主観においてソシャゲに楽しみを見出だせなかった、ってだけで
客観的にソシャゲにプロセスがない、なんてことはないんだよなぁ。
人がゲーム(に限らず殆どの娯楽もそうだと思うけど)をする理由って、他でもない「リターン」のためだと思うんです。
コストなんてどちらかと言えば払いたくないし、プロセスだってそこだけを取り出せば作業でしかないですから。
じゃあなんでプロセスを削ったゲームが面白く無いかというと、単純に得られるリターンの種類が違うからではないでしょうか。
プロセスを重視するゲーマーは、プロセスを経てプレイヤースキルを上げることに重きをおいてる人が多い気がします。
PSとはコマンドの入力速度だったり、弾幕の華麗な避け方だったり、あるいはパズルを解くコツのようなものだったり、いろいろだとは思います。
ただ共通して、収集や育成といった要素はむしろ後からついてくるおまけみたいなもので、自分のプレイに酔いしれたいという欲求も少なからずあるはず。
一方のソシャゲー含む作業ゲーは、収集や育成がメインになってしまっている。そこが物足りなさの原因だと思うのです。
プロセスがクリックだけでも、何らかのセンスやスキルがプレイヤー側に要求されるゲームであれば、そこまで退屈には感じないはずです。
そういった「プレイヤー自身の成長」が(皆無とは言わないまでも)あまりないことが、ソシャゲーをつまらないと感じさせる一番の原因なんじゃないでしょうか。
情報を収集したり、考えて工夫するプロセスを経なければたどり着けない。
作業ゲーも最初から最効率で作業できるなんてことはない。
効率を高めるためには工夫するというプロセスが必要にある。
ソシャゲ、というかほとんどのネトゲの場合「ゲームオーバー」が存在しないから
自分で目標を立てないといけないという部分がある。
目標を見出だせればそれを達成するためにどうすればいいのか工夫するというプロセスが生まれるけど
そうでなければプロセスは生まれないし面白く無いと感じるのは当然。
ほいでもって仰る内容にも肯けるっす
コメントで他の方も仰ってた事っすけどリターンの種類がソシャゲでないこれまでのゲームとは違うというのもあぁそうだなぁという感じっした
種類が違うというかもうちょっと言えばリターンに占める割合比率が違う感じなんすかねぇ
一人でも完結してた「達成感」が従来のゲームだと大半占めてたのに対し他者がいて初めて生まれる「承認欲求の充足」がソシャゲのリターンの本分になってるみたいな
でもってその為の他者との絡みってのが「ソーシャル」って土壌で花開いてるそんなノリかなぁと
ほいでそのリターンを得る為のコストが従来のゲームであればプロセスを洗練するための主に「時間」的要素にあったのに対してソシャゲだと主に追加課金という「金銭的」要素にある
だもんでみんなリターンを得るために従来のゲームを反復練習する勢いでガチャを回す
ほんとに仕組みとしてはめちゃくちゃよくできた集金スキームだと思うっす
思いついた人あったまいいなぁって感じっす
一方ででもそれってプロセスについて薄くなってなきゃいけない理由の説明にはまだ足りてないかなぁと自問する余地が出てきたりもして
つまりはおもろい、内容の濃いもっといえばしんざきさんでさえうならせる位のおもろいゲーム性をもったソシャゲってなんででないんだろうと
一つにはソシャゲが反映するハードがスマホ、ケータイである以上操作性も簡易で短時間で完結するゲームの方が親和性が高いってのもあると思うっす
後はおとなもこどももおねいちゃんも的なユーザー層考えっとコアに受ける奥深さよりもとっつきやすさと受け入れやすさが優先されてるんだろなぁと
更に言えば仮に例えば格ゲーばりに承認欲求を満たすリターンを得るためには相応のスキルの習熟が求められるようなゲーム性になった場合、そんなスキル入手できる人は限られてくるんで、人が離れソーシャルコミュニティが崩壊し集金スキームも破たんするみたいな流れっすかねぇ
結果としてゲーム性については自明的に天井を設けずにはいられないっつうジレンマ抱えてくびきにつながれてんのがソシャゲなんかなぁと思い至りましたまる
ソーシャルゲームは個人的には飽きやすいかなと思います。
プレイしていて、イベントが終わったらすぐ次のイベント…正直達成感が薄いんですよね。
ある日、レアなカードを誤って削除してしまったんです。でも惜しくなかった。
…ただの運で手に入れたものだったからだと思います。
プロセスが少ないから、達成感が薄かったんでしょう。
まあ、だからこそ短時間向けなのかと。
自分も正直おもしろくありませんでした。
むしろゲームの枠じゃないでしょこれ!って感じです。
ゲームに限らず遊びや物事は目的を達成する長い手段が自己目的性を帯びることに本質があるのに皆全くそれをわかっていない!ソシャゲーを認めることはゲーマーの矜持に反する!
どれを取っても同じ様なルール、同じ様な仕様のものばかりが量産されていて、それらはみんな「見栄の張り合い」、「札束での殴り合い」と称されるような作品しか転がっていないのが残念でなりません。
わたしはRPGが特に好きなジャンルなんですが、アレにはアイテムを探し回ったりとか、ステージを攻略するのに戦略を練ったり、フレーバーテキスト等の細かい設定に目を通して物語の世界観にどっぷりと浸かったりといった、夢中になったり達成感を感じたりする為のプロセスが要所要所に盛り込まれてて楽しかった。
どのジャンルでも言える事だろうけど、駒を進める為に工夫したり、作品の雰囲気から想像力で細かい部分の設定を補ったりして「考える楽しみ」(ここでいうプロセスの事)があるからこそ面白い。
だけどソシャゲーには、その「考える楽しさ」を盛り込まれてはおらず、ただの「ランクの高いカードを集めて殴るだけ」の薄っぺらく単調な作業が大部分のウェイトを占めている。
そのため、「レアな強キャラに頼り切ったゲームバランスで図鑑を埋めて自慢し合う事だけに主眼を置きたいだけならば、紙のカードゲームでも作ってればいいのに」とさえ思います。
従来からのゲーマーは時間をかけて過程を楽しむのに対し、ソーシャルゲーマーは時間をかけずにお金で満足を買っているんだと思います。
物欲や自己顕示欲を満たすため、課金することで手っ取り早く商品を買っていく感覚なんだと思いますね。
潰されてからは独占業界になり、やがてすぐに廃れていく。昔流行ったMMO全盛期のように飽きられる。結果的に面白いゲーム作る会社を潰しただけの存在になる。そういう状態を避けたいですね。なんか最近他のゲームメーカーもソシャゲーに対抗して迷走してるのが凄く分かります。ソシャゲーの要素なんかを取り入れ始めて余計迷走してる。よく社会人は忙しくてコンシューマーなんか出来ないみたいなのを聞くけど空いた時間でコンシューマーだって進められますよ。ソシャゲーだってお金を積めば早く進められるだけであって積まなければ全然進まない。面白くない時代になりそうですね。
今はソシャゲの方がプレイ時間が長いですね。
勿論ブラッドボーン、メタルギアのような気合の入った和ゲーや洋ゲーはプレイします。
僕もソシャゲを馬鹿にしていましたが、最近の物はよく研究されています。
・断片的なプレイで幸福感を与える作りになっている
通勤時間、休憩時間に僅かに進めるだけで素材が集まり、それを用いてイベントキャラや武器が手に入る
これはハクスラやモンハンのアイテム集めと同じ原理ですね。
3分のプレイで前に進む。と言うのは大きいです。
・サービスが終わるまで更新され続ける
いずれ終わるとしても、大手のタイトルなら3年はイベントが更新され続けます。
コンシューマーをヘビーにプレイしたら一週間で終わるのでは。
周回プレイ要素用意してあればいいですが、
当然無い物の方が多いです。
集めたキャラで飽きるまで遊び続けられるのはかなりの強みで
コンシューマーに参考にして貰いたい所です。
・キャラクター力が高い
課金させなければいけないので、キャラデザも声優も上手い人を使います。
捨てキャラはおらず、レアならどのキャラもメインになれるデザインです。
はっきり言ってノーブランドのコンシューマーでは歯が立ちません。
下手すると大手のRPGよりキャラが立っていて魅力的です。
・時間を金で解決できる
格ゲー、FPS、シューティング、MMORPGなどとにかく時間をかけて腕を上げ競うゲームは、プレイ時間が取れない人は狩られる為にやる事になります。はっきり言ってカモです。ソシャゲの無課金プレイヤーの立ち位置ですね。
今でもたまにゲーセンで格ゲーはやりますが、長い積み重ねがあった上で勝率は6割です。
正直新規が入ってこれるとは思いません。
つまり時間は無いがゲームで勝ちたいユーザーは想像よりかなり多いのです。
・コンシューマーはポチポチじゃないと言えるのか
RPGなど長いムービーとモーションの割にコマンド式で、やってる事は実はソシャゲと変わりません
しょぼい斬撃モーションを何百回も見せられるならスキップできるポチポチの方がマシです。
当然作りこんであり、1回1回に攻撃の楽しみがあるゲームは別ですが。
色々やった上で、コンシューマーはむしろソシャゲから学ぶ事が増えてきていると感じますね。