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同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年 7月21日(金)00時03分41秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
会長、副会長の方々が、査問指示をして
真面目で誠実な会員さんをイジメません様に
今日は、叔母の家に昨日
宝くじが当たったから換金の手続きの為お会いしたいとゆう
謎の電話(多分オレオレ詐欺の一種)があり不安だから来てくれ
と相談があったので行ってきました
自分の前に婦人部長に相談した処
そうゆう問題は家庭内で処理して下さいとのこと
皆様、詐欺の電話にはきおつけてください
おやすみなさい
 

フェイク 第1583号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 7月20日(木)23時44分25秒
  (発行=17.07.20)

大聖人の御精神と無縁の大石寺
日蓮正宗が少年少女の合宿の参加を煽る
「八十万構築」に子ども達まで巻き込む

日蓮正宗は今月二十九・三十日に「中等部・高等部合宿」、八月五・六日に
「少年部合宿」を大石寺で行うが、各末寺では参加者の確保に苦労している。
そこで法華講機関誌「大白法」では「広布に羽ばたく人材になろう 中等部・
高等部合宿へ 総本山に集おう」(五月十六日付)をはじめ合宿に関する体験
談募集などの記事を載せ、更に「少年部合宿に参加しよう 元気いっぱい総本
山へ」(六月一日付)「少年部合宿の参加に当たって」(六月十六日付)や「
少年部合宿近づく」(七月一・十六日付)などの記事を掲載して子ども達の登
山を煽っている。

法華講には若者が少なく、青年部講習会にも年配者の参加が目立っていたの
で青年部を対象にした講習会は廃止になったが、中等・高等部員、少年部員も
少ない。

現時点でも未だ目標に達していないためギリギリまで登山申し込みの受付を
続け、七月十六日付「大白法」にも「法華講連合会では、一人でも多くの少年
部員が参加できるよう、追加申し込みを受け付けています」と書いている始末
だ。

中等部・高等部、少年部合宿の狙いは、大人だけでは平成三十三年の「法華
講員八十万人体勢構築」という無謀な誓願の達成が不可能なことが確実なので
子ども達まで駆り出して折伏させようとしているのである。

事実、これまでの少年部、中等・高等部の合宿では、代表の子どもに折伏の
体験発表をさせ、法華講幹部だけではなく、日如自らが中・高等部員に対して
折伏、勧誘を押し付けていた。
中学・高校生は本来、勉学に励み、スポーツで心身を鍛錬する年代である。

それを大石寺に集めて布教の一翼を担わせ、しかも小学生までも召集すると
は、浅井昭衛に洗脳されて勧誘に狂奔する邪教・顕正会と同様の悪質な教団だ。

子ども達を大石寺に集めるのに「四條金吾殿御返事」などを引いて罪障消滅
を謳っている。日蓮大聖人が身延への参詣を促された御文を大石寺に登山する
よう狡猾にスリ替えているのだ。

大石寺への登山は弊害

大聖人の滅後に創建された大石寺への登山は当然、御書には一切、述べられ
ていない。こう指摘すると、宗門関係者は身延離山の話を持ち出す。身延は大
聖人が晩年の約八年間を過ごされたが、民部日向や地頭の波木井日円の謗法に
よって汚濁した。大聖人は「地頭の不法ならん時は我も住むまじき」と日興上
人に御遺言されていた。

つまり、大聖人は〝謗法の山には、我が魂は住まない〟と宣言されていた。
この大聖人の御指南に従って、日興上人は身延を離山され、南条家の外護によ
って大石寺を創建された。

ところが、今の大石寺は身延よりも謗法にまみれている。「地頭」どころか、
相承なき悩乱したニセ法主が〝法主本仏論〟〝大聖人は迹、今の法主が本〟等
と唱えるなど大聖人の御精神は微塵もない。

今なら、大聖人は「法主の不法ならん時は我も住むまじき」と宣言されたに
違いない。こんな謗法の大石寺に、小・中学生、高校生を登山させるのは、子
ども達の将来のためにも弊害があると断言する。


 

同盟題目は23時に開始です。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 7月20日(木)22時54分53秒
  池田先生のご健康と被災地の方々が希望を持っていけるように祈ります。また、理不尽な処分をされた方々にお題目を送ります。  

7/17 横浜レポート 浜村暁奈さんの話 7

 投稿者:JACK  投稿日:2017年 7月20日(木)22時15分10秒
  〔正義を叫ぶ〕
正しいことを叫び続けて除名されるならいい。
夫の幼なじみと、家族ぐるみで会ってなぜいけないのか?
私が入会した時の、あたたかい創価学会と今は真逆だ。

〔A支部長を守る本部〕
今、A支部長との出来事を裁判で争っているが、A支部長個人の裁判にも関わらず、A支部長には創価学会副会長まで入った4人の弁護士が付いてきた。
本部は、主人や私や友人たちを勝手に1つのグループだと認定していた。
A支部長は、元は聖教新聞の本社にいた職員で、9年間で数千万円ものお金を使った、金銭横領の主犯格と言われている人物だ。
金銭を横領し、会員を侮辱するA支部長を、学会本部は守っている。
一審では敗訴になり、裁判所は、
「A支部長の経歴を見る限り、まともな学会員。」
と言い、私達が出した証拠の記録も、
「不当な暴言とは認められない。」
と言った。
間違っていることは、間違っていると叫び抜く。
これからは高裁で戦う。
隠蔽体質の学会本部を変えたい。
自分らしく生きる信仰を教えてくれた学会に変える。
本部職員も本部も、先生と会員のための本部に変える。
(以上、浜村暁奈さんの話終わり。)
 

7/17 横浜レポート 浜村暁奈さんの話 6

 投稿者:JACK  投稿日:2017年 7月20日(木)22時13分58秒
  〔審査員は把握せず〕
審査員からは、
「学会活動をしてはいけないなんて、言われていないでしょ!?」
「会合は行けなくても、折伏はできるでしょ!?」
「座談会の連絡は来てるでしょ!?」
と言われたが、会合参加禁止の処分が出ていて、幹部との連絡を一切禁止されている私のところに、なぜ座談会の連絡が来ると思うのだろうか。
審査員は、本部から言われて審査しているだけで、私に下された処分内容について、本当は分かっていないように思った。

〔除名決定〕
審査員の方達の仏性を信じようと、審査会の最後に、
「池田先生の弟子としてのご判断をよろしくお願いします。」
と言った。
しかし、審査会からは除名通知が届いた。
除名理由は、
「足軽会所属か、それに準ずる人物と付き合いがあること。」
「学会の秩序を乱すこと。」
だった。
学会本部が勝手に黒幕にした夏村さんと、付き合いがあった時点で、除名の道筋が決まっていたと思う。
不服申し立てをしたが、本部は答えず、平成27年(2015年)に不服申し立てが棄却され、私の除名は確定した。

〔先生の弟子でありたい〕
学会員でいたい。
けれどもそれ以上に、池田先生の弟子でいたい。
池田先生の弟子なら、間違っているものは間違っていると言わなくてはいけない。
 

7/17 横浜レポート 浜村暁奈さんの話 5

 投稿者:JACK  投稿日:2017年 7月20日(木)22時12分53秒
  〔対話の旗を下ろした幹部〕
池田先生は、「対話の旗だけは断じておろしてはならない」とおっしゃった。
しかし、幹部は真逆だった。
子供が物心つく頃には、創価学会の信仰はなくなるのではと思った。

〔神奈川県審査会〕
除名審査には、3人の審査員がいた。
審査員の1人から、「A支部長に対する迷惑行為についてお伺いしたい。」と尋ねられた。
そのうち他の審査員からは、
「あなたにとって、夏村さん(※当方が付けた仮名)はどんな存在か?」
と尋ねられた。
夏村さんは、夫の友人の1人で、これまで家族ぐるみで付き合ってきた。
審査員にもそう話したら、審査員からは更に、
「夏村さんと家が近いのはなぜか?」
など、夏村さんとの関係をしきりに尋ねられた。

〔夏村さんの除名〕
私の面談の1年前に、夏村さんは学会から除名されていたことを知った。
本部が問題視した足軽会のが原因だったが、そもそも夏村さんは地元の座談会に参加していただけだった。

〔足軽会のための質問〕
3人の審査員は、A支部長のことを20分聞いてきて、残りは全部、足軽会の話だった。
 

ツイート人様の投稿にハッとしました

 投稿者:JACK  投稿日:2017年 7月20日(木)22時11分8秒
  『三代の会長が受けてきた難は他人事
同じく同志の受ける理不尽も他人事
どこへ向かうも他人事
創価の精神性は世間以下』

頭にも、心臓にも釘が打たれたような気がしました。
様々な人と対話を重ねてきて、よく感じる違和感の正体がやっと分かりました。

本来なら、『同苦の心』を発揮すべき時に、同苦どころか、知らん顔。
どうかすると、自分の苦しみが一番大変だとマウンティングが始まり、あっという間にサルの争いにまで堕落する。

『一人の同志に起こっていることは
その一人だけの問題ではない
先生の身に起こっていた苦難が
今みんなの身に起こっていく
大事な事実を顕していく』

このツイートをされた方に感謝致します。
 

南無妙法蓮華経は精進行

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 7月20日(木)21時57分18秒
  「善悪」について、「菩薩」の行動を通して語った対談があります。
とても感動した箇所でしたので、転載します。

単行本「生命を語る」2巻 p102~4 昭和49年11月20 初版

池田:日蓮大聖人の「十法界明因果抄」には「菩薩界とは六道の凡夫の中において自身を軽んじ
   他人を重んじ、悪を以て己に向け善を以て他に与えん念う者あり」と記されています。
   「六道の凡夫」つまり庶民の中で戦う。
   しかも「自身を軽んじ他人を重んじ」るのです。
   自身を重んじ他人を軽んじるのではありません。
   世の中にはそういう利己の人が多いものだが - 。

川田:例え、民衆の中に入っていっても、利己的な自我のままにふるまうのは、かえって害を
   流すだけです。
   生命の魔性の暗躍を許すだけです。
   そんなことなら、山林に一人ぽつんとたたずんでいてくれるほうが、他人に迷惑を
   かけないだけましというものです。

   ところで、いまの言葉のあとに、「悪を以て己に向け善を以て他に与えんと念う」と
   ありますが、このなかで「善を他に与え」るというのは、すぐわかるのですが、
  「悪を以て己に向け」とはいったい何を示そうとしているのでしょうか。

池田:すべての悪の根源を一手にひきうけるだけの勇気が必要だということです。

   たとえば、菩薩について、「仏地経論」には「是れ勇猛の義なり」とある。
   自己と他者の生命に巣くう魔性に挑戦し、それを打ち破りつつ、人々に楽を与える勇猛心
   こそが、菩薩の心には脈うっていなければならない。

   私達が、魔性に挑戦するべく勇気をふるいおこして、庶民を慈しみ、利他の実践に自己の
   全生命をかけるとき、その行為が、私たち自身の生命に巣くったエゴイズムをぬぐい去り
   抜き取るのであり、その結果、生命の「我」が次第にみがかれていく。
   すると、その「我」のはなつ英知の光明にてらされて、他の人々の心にうごめく魔性の
   暗躍をもはっきりとみてとることができるのです。

北川:利他の戦いを通して勝ち取った智慧こそが、菩薩の持つ英知なのですね。

池田:菩薩という言葉は、菩提薩埵(ぼだいさった)の略とされている。菩薩とは仏の智慧で
   あり、薩埵とは有情と訳す。
   有情についてはまた何らかの機会にくわしく考察したいと思うので、ここではひとまず
   生物、とくに人間の生命としておこう。

   利他行を通じてみがきぬかれた菩薩の智慧こそは、仏の智慧のあらわれといえそうです。
   慈悲の力と英知の光、勇気あふれる決意をはらんだ意思、そして何よりも、利他の色彩を
   おびた自我を、菩薩の境涯にある生命は保持している。

転載終わり

生命の実相は而二不二であり「善悪」についても、その体は一つで不二であるが、現実の世界に顕れる時は「善」や「悪」などのあらゆる違いの現象として而二として顕れます。
この而二とは、必ずしも二つの側面だけという意味ではなく、あらゆる差別相として現れるという意味でもあります。

法華宗の心は一念三千(いちねん さんぜん)・性悪性善(しょうあく しょうぜん)・妙覚(みょうかく)の位に猶(なお)備われり
元品の(がんぽん の)法性(ほっしょう)は梵天・帝釈(ぼんてん・たいしゃく)等と顕われ(あらわれ) 元品の無明(むみょう)は第六天の魔王と顕われたり

   治病大小権実違目(997頁) 弘安元年6月

つまり、今悪事をしている人も「善心」と無縁ではないし、「善」の行いをしている人も「悪」の可能性を全く切り離したわけではないという事です。
仏であろうが、凡夫であろうが、その「体」の形は同じだというのです。

ですから大切なのは、題目によって元品の法性を顕現することで悪の源である元品の無明の働きを抑え、生命の「我」が磨かれる事によって、自身の内にある善悪、又、他の人々の心にうごめく魔性の暗躍をもはっきりとみてとる英知が活性化する、、という事だと思います。

そして、正しい判断力で、内外の魔性に挑戦するべく勇気をふるいおこして、慈悲のある正しい行動を起こすのが「菩薩」の行動です。

言うは易き。。ですが。。

南無妙法蓮華経は精進行です。。。

史人様、お元気でしょうか。
 

大仏のグリグリのとこ様

 投稿者:通行します  投稿日:2017年 7月20日(木)21時39分58秒
編集済
  【三証・正邪の基準について】6/11
http://6027.teacup.com/situation/bbs/72329

>教義や幹部の指導、また会員の意見等を評価する場合も
まったく同じで、この三つの立場から合理的に判断していけば、

>正邪・優劣はおのずから明確になります。

>では、この三つを私たちに置き換えて、具体的に見ていきましょう。

>【文証】

>文証とは、幹部の指導する内容や会員が主張する意見が、
いかなる文献上の根拠に基づいているかということです。

>繰り返しになりますが、大聖人は涅槃経の

>「もし仏の所説に順わざる者あらば当に知るべし、この人は是れ魔の眷属なり」(一五二頁)

>の文を引いて、
仏法における正邪の判定には文証の有無がもっとも重要であると教えられています。


大変にわかりやすく、纏めて頂きありがとうございました。

1つ質問です。三代の会長の指導は文証になりますか?
大仏のグリグリのとこ様は御書を文証の基本として論じていると思うんですが?

何故、こんなことを聞くかと言いますと
とある地域の青年部幹部がとある査問の場で君達の行い(会員弾圧)は、池田先生の指導の何処にあるのか?
と聞いた処、ダンマリとなりそれを話す義務は無いと言い放ったのです。ちなみに職員ですよ。
彼等は池田先生の指導に違背していることを承知の上なんだなと思った次第なんです。食法餓鬼を見たぁ思いです。
 

twitterより。(54年問題で)先生の身に起こっていた苦難が今はみんなの身に起こっていく。処分された方は特にね。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 7月20日(木)19時53分16秒
  一人の同志に起こっていることは
その一人だけの問題ではない
先生の身に起こっていた苦難が
今みんなの身に起こっていく
大事な事実を顕していく


三代の会長が受けてきた難は他人事
同じく同志の受ける理不尽も他人事
どこへ向かうも他人事
創価の精神性は世間以下
 

こんばんは

 投稿者:人力車  投稿日:2017年 7月20日(木)19時09分35秒
  SaySaySay様の投稿は、新たな気づきもあり、楽しく読ませて頂いております。

コメントありがとうございます。言語を越えた、不可思議な世界ですが、真実の仏法が、ここにあります。

セブン懐かしいですね~

 

虹さんへ

 投稿者:のび太  投稿日:2017年 7月20日(木)18時06分38秒
  今日の【一点突破:11】心苦しい本部幹部会 投稿ありがとうございます。

とても重要な問題提起をされています。ご指摘がなければ本幹再映に参加した私は執行部の思う

ツボでした。(笑)

本当に師匠の映像も文章(ご指導)もコンテンツとしてしか考えていないのでしょうか?

それにしても、反板の某氏など誠実さのかけらもないひとが何を言おうが反吐しかでません。

これからもあなたの視点のある部分は支持します。

 

法華玄義・譚玄本序 11(完)

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年 7月20日(木)17時07分20秒
編集済
  自行權實者敘宗也。

自行の権実は宗を叙ぶるなり。


「自行の権実」は、自らの悟りそのものである自証に権実があることをいう。

釈尊が修行実践した自行の方便が、自利と利他とを、自覚と覚他とをあわせもち、
自利利他円満、自覚覚他覚行窮満の満行の自行であり、
自行の方便がそのまま自行の真実である。

つまり現前の陰入界の有り様が、
事理、理教、教行、脱縛、因果、体用、漸頓、開合、通別、悉檀から成る十双権実であり、
権と実の一切の事象が、迹門の十妙と本門の十妙として説かれ、究極では、不二中道にある。

すなわち、権が実、実が権であり、
方便がそっくりそのまま真実であり、真実がそっくりそのまま方便であるという
自行の権実の因果を明かすことが、不可思議・不可説の「妙」である。
この方便即真実、真実即方便という自行の権実の因果を明かすことが、
『妙法蓮華経』の「宗」である主要な目的を明かすことになる。


本迹六喩者敘用也。

本迹の六喩は用を叙ぶるなり。


『妙法蓮華経』の経題のなかの蓮華、すなわち、ハスの実とハスの花とを譬喩とした、
為蓮故華・華開蓮現・華落蓮成の蓮華三喩によって、
迹門では、為実施権・開権顕実・廃権立実の三を喩え、
本門では、従本垂迹・開迹顕本・廃迹立本の三を喩える。

すなわち迹門では、
三乗に権方便に対する疑念を起こさせ、
三乗の権方便に対する疑念を払拭させて、
一仏乗に入る信を生じさせ、一仏乗を真実と信じさせる。

本門では、
如来近成の権方便に対する疑念を起こさせ、
如来近成の権方便に対する疑念を払拭させて、
真実の久遠実成に信を生じさせる。

この断疑生信が『法華経』のはたらきであるとし、
権実二智の断証について『法華経』と『法華経』以前の諸経との同異を述べ、
迹本二門の十意を開いて、『法華経』のはたらきを明かしている。
まさに断疑生信が、『妙法蓮華経』の、「用」というはたらきを明かすことになる。


甘露門者敘教也。

甘露門は教を叙ぶるなり。


諸法実相を説く『法華経』は、
権方便はそっくりそのまま真実であり、真実はそっくりそのまま権方便であり、
蔵や通や別の三教を混入することのない純粋の円教である。

『法華経』だけが説き明かす、本・迹の二門を内包する一仏乗という教えが、
まさに一切衆生の身心を養い、救い摂り、涅槃に至らせる不死の楽の甘露そのものといえる。

智顗以前の教説は、「妙」を、真の「妙」それ自体として説いていない。
例えば三乗を捨てて一仏乗に入るとする法雲の教説では、三乗の居場所がない。
智顗は、『法華経』は三乗をそのままそっくり一仏乗に含め摂り、
一仏乗は三乗をそっくりそのまま抱き込んでいると解釈することによって、
『法華経』の「教」という教えと、教えの位置づけを明かした。



 

【三証・正邪の基準について】11/11

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2017年 7月20日(木)17時02分57秒
  幹部の指導や自分の意見が尊重されるのは、
精密な理論もさることながら、その理論を裏付ける

実験結果(または体験)をともなっていることにあります。

実験や観測の裏付けをもたない主張や学説は、単なる仮説にすぎません。

自然科学などでさえ、それだけの現実の結果を重視しているのです。

ましてや生命の理を説き、正しい人生のあり方を説く「宗教・思想・指導・意見」が、

もし現実生活の上に理論通りの〝証拠〟をもたなければ、

何の役にも立たないばかりか、かえって〝害悪〟になってしまいます。

なぜかというと、

教義や思想は「人の行動原理」となるものであり、
その人の人生に影響を及ぼすものだからです。

だから現証をともなわない文証や理証は、完全なものとは言えないのです。

これが〝現証〟が最も大切な理由です。

つまり、文証も理証も〝現証〟があって、はじめて完結するのです。

以上が宗教・思想の正邪を判断する基準(三証の原理)です。

もう皆さんもお気づきかと思いますが、
この三証はすでに任用試験で習っているはずです。

しかし〝学んでそれで終わり〟〝理解してそれで終わり〟ではなく、

理解した法理(三証)を、他人ではなく、
まず「わが身に合わせて考える」という鍛錬があって、

はじめて身読(悟る)といえるのです。

「信・行・学」は、決して別々のものではなく一体のものです。

この三つを同時進行で挑戦していく中にこそ、信心の輝きがあるのだと思います。

日蓮仏法はすべてにおいて絶対的な幸福を指向しています。
だから結局は、理論通りの結果をともなうかどうかということに帰着し、

日蓮仏法を信じた人の現実の生活に、良くも悪くも厳然と表れてくるのです。



― おわり ―
 

【三証・正邪の基準について】10/11

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2017年 7月20日(木)17時02分10秒
  【現証】

現証とは、幹部の指導や自分自身の意見を信じ、
現実にどういう結果が出たかを見ることです。

つまり、幹部の指導通り、自分の意見通りの結果が出たならば、

その思想には現証があり、もし違う結果が出たならば、
その思想は正しくないということです。

仏法においては、この現証をもっとも重視しているのです。

大聖人は

「日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、
また道理・証文よりも現証にはすぎず」(一四六八頁)

と述べています。

日蓮大聖人の主張した仏法思想は、この厳しい現証による判定に
耐え得る「理論体系」をもつ教義です。

その結論的思想は、大聖人の言説に背けば、たとえ学会員であっても
仏罰があり、大聖人の言説通りに実践すれば、誰でも仏に成れるということです。

この完璧なまでの日蓮教学を研鑽してよく理解し、
その理解した教学を我が身に合わせて、

その理論の裏付けを自ら厳しく求めていく姿勢こそ、
もっとも科学的で、なおかつ自分のものとしていけるのです。

幹部の指導や自分の意見における理論の正しさは、
理論のみの正しさにとどまるものではなく、

そこに実践性を含むものであり、実践の結果の正しさをふまえてこそ、

自分の意見や幹部の指導の正しさを主張し得るものなのです。
 

【三証・正邪の基準について】9/11

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2017年 7月20日(木)17時01分27秒
  さらに「仏法と申すは道理なり。道理と申すは主に勝つ物なり」(一一六九頁)

と大聖人は述べています。

日蓮仏法の真実の実践者は、大聖人や三代会長がそうであったように、
決して権力者の支援や弾圧に左右されるものではないのです。

また、形式や立場によるのでもない。

自分自身が御書根本に、三代会長の指導通りに、
実践しているのかどうか――それがもっとも重要であり、

そこにこそ絶対に崩されることのない最高の幸福境涯が築かれていくのです。

大聖人は自らが打ち立てた第三の法門に対する確信を次のように述べられています。

「・・・・父母の頸を刎(は)ねん。念仏申さずば、なんどの種々の
大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり」と。

この言葉通りに大聖人は、経文を根本として道理を重んじ、広宣流布の闘争に挑んでいったのです。

その弟子というならば〝正しいことを実践(文証・理証)〟して、
悪口罵詈(現証)されるのは当然で、

むしろ最高の名誉ではないでしょうか。
 

【三証・正邪の基準について】8/11

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2017年 7月20日(木)17時00分32秒
編集済
  【理証】

理証とは、幹部の指導する内容や会員が主張する意見が

道理にかなっているかどうか、
理論的に矛盾がないかどうか、

ちゃんと筋道が通っているかどうか、話に整合性があるかどうかを検討することです。

一般世間においてもそれは同じで、科学にしても、政治にしても、友人関係にしても、

矛盾することのない一貫した論理性がなければ信頼や信用はされません。

科学や政治であれば、なおさら普遍妥当性が要求されるのは当然です。

ましてや仏法における教義や指導において、整然とした論理は不可欠であり、
理証があるかないかは文証以上に極めて重要です。

私たちの対象としているものは生命論の世界であり、
単なる物理や化学的手法だけでは解明できない究極の実体を対象としています。

しかし、だからといって宗教を必要以上に神秘的なものとして、
教義に対する「合理的な判断を拒否」するのは、

かえってその宗教自体の無力さを示すものです。

大聖人は

「文なく義なきは信受すべからず」(二一九頁)

と天台の言葉を引用して、文証・理証の大切さを教えています。

つまり、文証もなく道理や筋道の通らない指導や意見は、
信じてはならないというのが、仏法の正邪を判断する鉄則なのです。

これが仏法の科学的な姿勢を示したものです。
 

【三証・正邪の基準について】7/11

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2017年 7月20日(木)16時59分52秒
編集済
  一つの思想を伝持し、弘めていく過程において、伝持者が根本義もわからずに
勝手な理論を展開していったとしたら、もとの思想を失うことになり、

思想の体系を混乱させることになります。

だからこそ、そこで立てる指導や意見の理論が
原典に合致しているかどうかを検討するのは、極めて大事なことなのです。

このことは世間一般でも言えることです。
たとえば、ニュートン力学を大きく変えたアインシュタインの相対性理論は、

決してこれまでの物理学的成果を無視して立てた独善的なものではなく、

ニュートン力学を基礎にし、新しい実験結果を考慮に入れて組み立てた〝一歩深い〟理論です。

それまでに公(おおやけ)にされてきた考え方を継承するにせよ、否定するにせよ、

斬新で新しい思想や時代に即した展開というものは、
それを土台として新たに築き上げ、展開されていくものです。

その土台ともいえる基礎教学も学ばず、鍛錬もしないで、
信心だの、論理展開だの、と言っても、

所詮は我見であり、単なる感情論です。

人の志や精神を見ずして、いったい何が分かるのでしょうか。
精神が分からずして大聖人の行動から何が読み取れるのでしょうか。

そのようないびつな視点が、教学研鑽であるはずがないのです。

大聖人は

「この経の〝信心〟というのは、少しも我見なく経文どおりに、人の言葉を用いず、
法華経の一部に背くことがなければ仏に成るのである(通解)」(一四四三頁)

と述べています。

つまり〝信心強盛な人〟とは、少しも我見なく、人の言葉よりも、経文をさきとし、
経文通りに「信・行・学」の三つを忠実に実践している人ということです。

さらに日蓮大聖人の仏法においては、経文を縦横に駆使し、

そのうえに立って更に一歩深い生命論が展開されているのです。
 

【三証・正邪の基準について】6/11

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2017年 7月20日(木)16時59分8秒
  教義や幹部の指導、また会員の意見等を評価する場合も
まったく同じで、この三つの立場から合理的に判断していけば、

正邪・優劣はおのずから明確になります。

では、この三つを私たちに置き換えて、具体的に見ていきましょう。

【文証】

文証とは、幹部の指導する内容や会員が主張する意見が、
いかなる文献上の根拠に基づいているかということです。

繰り返しになりますが、大聖人は涅槃経の

「もし仏の所説に順わざる者あらば当に知るべし、この人は是れ魔の眷属なり」(一五二頁)

の文を引いて、
仏法における正邪の判定には文証の有無がもっとも重要であると教えられています。

その他にも

「我らが如き名字の凡夫は、仏説に依りてこそ成仏を期すべく候」(一二七八頁)、
「仏法の邪正をただす事、皆経文をさきとせり」(一二〇七頁)、
「人師にあやまりあらば経に依れと仏は説かれて候」(一一五五頁)等々、

諸御書で文証の重要性を説いています。

この文証(経・律・論)があるかないかが判定の一つの基準になるのです。

たとえば、自分は先生から直接訓練を受け、結果も出し、
御書も真剣に研鑽して戦って来たと、幹部や会員が主張したとします。

その時、その幹部や会員が、先生の指導と御書の教えに、忠実にかつ
正確に依っているのかどうか――このことを御書・先生指導の文証によって、

どう「裏付けられるか」で判定するわけです。
 

虹の戦士さんへ

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2017年 7月20日(木)16時42分20秒
  ご理解に感謝します。ありがとうございます。


>投稿者:虹の戦士  投稿日:2017年 7月20日(木)14時41分0秒
>その見本が牧口先生、戸田先生、池田先生ということですね。
>私はその先生を見本にして、これからも信行学をはげもうと
>思います。

御書や三代の師匠の指導は、幸福になるための原理であり、道しるべだと思います。

そしてその原理を応用展開して、人々のために尽くしていく人生が

最高の人生ではないでしょうか。

そうなるために、教学研鑽に取り組み、共々にがんばっていきましょう。


では夕方ぐらいに、つづきを投稿していきます。
 

大仏のグリグリのとこ様

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2017年 7月20日(木)14時41分0秒
編集済
  ありがとうございます。

”なぜ題目も、教学も、行動も、同時に「実践しよう」としないのでしょうか。
真実の法華経の行者は「信・行・学」の三つを常に実践しているものです。
一つも欠けてはいません。それが「如説修行の人」です。”

その見本が牧口先生、戸田先生、池田先生ということですね。
私はその先生を見本にして、これからも信行学をはげもうと
思います。

創価学会と他の宗教団体との根本的なちがいはこの見本と
なる3人の師匠が創価学会にはいらっしゃる。それが、
他の宗教とちがうところであり、すぐれているところだと思います。
 

【三証・正邪の基準について】5/11

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2017年 7月20日(木)12時53分26秒
  さて、話は変わりますが、学会員同士や幹部と会員の間で、

思想(宗教)の正邪を厳しく判定していこうとすると、必ず

「それぞれ考え方は自由なのだから、会員同士でどちらが
正しいかという議論や、攻撃をするのはよくない」

という人がいます。

これは一見もっともらしい発言ですが、
その陰には極めて独善的なドグマがあるように思う。

なぜかといえば、それは
「考え方(信ずる教え)」と「宗教の正邪」とが混同しているからです。

大聖人は教機時国抄の中で

「教とは仏説から出た一切の〝経・律・論〟をいうのである。
これからはずれたものは外道である(趣意)」(四三八頁)

と述べています。

つまり、考え方の違いや信教の自由は
「世法的・政治的」の個人の権利を保障しているものであり、

宗教の正邪は、宗教の次元の問題です。

信仰における考え方の正邪を議論する場合、信仰が権力によって
拘束されるべきでないのは当然であり、

宗教の場では、自由に正邪・高低が論争されるべきなのです。

これこそ会員一人一人が自らに与えられた「信教の自由」を
最も責任をもって行使した姿勢であり「教を知る」ということではないかと考えます。

なぜ、そう考えるのかというと、会員自らが教学を研鑽することもせず、
宗教批判の原理も知らず、無智なままでは

「人間のための宗教」ではなく「宗教のための人間」になる恐れがあるからです。

絶対にそうしないために、人を頼るのではなく、組織を頼るのでもなく、
まずは自ら教学の研鑽に挑み、各人(幹部・会員)が主張する

「生命観、世界観、幸福論、倫理性、思想性」を
比較評価すべき妥当な基準がどうしても必要なのです。

宗教批判の原理とは、そうした思想に対する認識の基準であり、
会員の自主的な選択究明を可能にする基準です。

これらは何も「仏法の正邪」に限ったことではありません。

一つの〝思想や考え方〟を検討する場合、三つの基本的な立ち位置があります。

その第一はその〝思想や指導や意見〟がいかなる文献に基づいているかということであり、

第二はその内容が、非科学的、非論理的なものでないかということです。
つまり、話の内容に整合性や筋道が通っているかという意味です。

そして第三は理論を現実に当てはめてみた場合、現実と矛盾しないかどうかということです。

この判断基準を仏法では「三証(文・理・現)」といいます。


・・・つづく
 

【三証・正邪の基準について】4/11

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2017年 7月20日(木)12時52分43秒
  また、学会の幹部だけでなく、私たち一般会員に置き換えてみても、
明らかに迷信としかいいようのない我見の信心論があるし、

会員になんら存在価値をもたない〝死んでいる思想〟もあります。

仏法は魔法ではなく道理です。

題目を上げない人が「題目が大事だ」と言って誰が信じるでしょう。

教学を学ばない人が「教学が大事だ」と言って誰が信じるでしょう。

実践しない人が「実践が大事だ」と言って誰が信じるでしょう。

師匠の言説通りにしない人が「俺は師匠の弟子だ」と言って誰が信じるでしょう。

そんな主張は所詮、自分の弱さを隠すために利用しているに過ぎません。
人の心の奥深くにも入っていきません。

慢心の定義は「教に依らない」ということです。

これらすべてを〝一切の先入観を捨てて客観的に評価していく方法〟――これが「宗教批判の原理」です。

そして、この宗教批判の原理は実に緻密でそのもっとも基本となる

原理が「三証」「五重の相対」「宗教の五義(五綱)」なのです。

冒頭に挙げた「宗教学と宗教批判の原理」の分析法は、本質的に違います。

宗教学は宗教を客観的に研究しようとしますが、
それは単に教義や宗教現象を観察し、Aの宗教はこうで、
Bの宗教はこうだと認識するだけにとどまっているように思います。

言い換えれば、宗教に関するあらゆる実証的な知識と資料とを集め、
それを整理し、組織立てるのが宗教学です。

要するに、宗教学では宗教に関する知識を集めて
現象面を表層的にとらえているのみで、とても宗教の本質を追究しているとは思えません。

宗教が自分の生活のすべてに影響を与える以上、

私たちが一番〝知りたい〟のは、宗教の正邪です。

つまり、どの宗教が私たちの生活にプラスの結果をもたらし、
マイナスの結果をもたらすのか――です。

客観的な分析や研究をさらに進めて、本質を把握し、
宗教の正邪・高低・浅深に論及しなければ、

宗教学でいう知識は〝死んだ知識〟となり、
私たちの生活に〝生きたもの〟とはならないと考えます。

つまり、人々に幸せを与える真実の宗教とは何か――これを見極めていく

「宗教批判の原理」による分析評価のみが、真実の宗教学といえるのではないでしょうか。
 

【三証・正邪の基準について】3/11

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2017年 7月20日(木)12時52分0秒
編集済
  すべての物事には、それを比較評価する方法があるように、
宗教にも合理的に、また科学的に間違いなく「浅深・高低・正邪」を

見極めていける一定のルールや方法があります。

たとえば、長さを知るには物差しを用い、重さを知るには重量計を用います。
また、速さはスピード計で測定するし、

暑い寒いと感じるならば、寒暖計を用いれば簡単に判明します。

宗教や思想もそれらと同じで、

その教義や思想に哲学的裏付けはあるのか等々、
あらゆる視点から宗教を比較できる原理があるのです。

人生の生き方を教え、その人の全人格を左右する宗教を選び取るならば、
当然、その宗教が何を主張し、どのように生きていくことが正しいのかを

〝勉強〟しないで解るはずがありません。

だからこそ創価学会は、任用試験でもっとも重要な
「宗教批判の原理(五重相対・五義・三証)」を最初に教えるのです。

もし学会幹部や会員が、この原理を「学ばない・学ばせない」なら、

その人は〝魔の眷属〟と言えるでしょう。

涅槃経には「もし、仏の所説に従わない者がいたら、当に知れ! この人は魔の眷属なり」(一五二頁)

と述べられています。

宗教に対する〝無智〟は、そのままその人の不幸に結びつきます。

また、大聖人は

「よくよく世間のありさまを見てみると、人は皆、口にはこの経を信じ、
手には経巻を握っているといっても、経の心に背いているので悪道を免れがたい(通解)」(一四三九頁)

と述べています。

「私は御本尊と大聖人と先生一筋だ」
「私は池田先生の弟子だ」
「私は誉れある学会員だ」

と自信満々と主張する人の中で、一体どれだけ
宗教の本質を思索し、御書や先生の指導を研鑽し、

幹部指導を御書に照らして比較検討した人がいるのでしょうか。

そうゆう実践行動をしない人の言葉は、信ずるにたりない
軽いものになりがちだし、人の心には刺さらないものです。

ましてや先生に代わって広宣流布を目指そうと決意している人が、
そのような実践なくして、どうして人を指導することができるでしょうか。

そういう人の言は無責任極まりないとしかいいようがない。
 

【三証・正邪の基準について】2/11

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2017年 7月20日(木)12時51分14秒
  人が行動を起こす場合、必ず何かを〝信じて〟行動します。

食事であれ、仕事であれ、宗教であれ、行動の出発点は〝信ずる〟ということです。

たとえば、食事をする場合、その料理には
毒が入っていないと信じているからこそ〝食べる〟という行為ができるし、

仕事をすれば、必ず給料がもらえると信じているからこそ〝仕事をする〟のと同じです。

人間が地道に努力するのも、その努力の結果が得られる〝何ものか〟を信じているからです。

たとえ〝信ずる〟ということをあまり意識していなくても、
常に〝信〟が行動の出発点であることに変わりはないはずです。

ここで問題になってくるのは「何を信じているのか」ということです。

もし私たちが間違ったものを信じて行動すれば、
結果はどうなるか――答えは簡単です。

それは不幸であり、行き詰まりの人生です。

信号は「青信号」で進み「赤信号」で止まるというのが、交通ルール(規則)です。

この交通規則をしっかり学んでいる人の言う通りに実践すれば、事故は起きません。
しかし、規則を無視して赤信号を進めば、事故を起こすのは当たり前です。

ましてや生命の法則を解き明かした仏法や思想の世界に至っては、なおさら幸・不幸が顕著です。
しかも宗教は単に個人の信仰にとどまらず、数多くの民衆文化の底流をつくっていくものです。

誤った思想や宗教が、国家や民衆を破壊へと駆り立てることは歴史が証明しています。

事実、ユダヤ人虐殺や国の興亡、変遷の底流は
まさに「思想・宗教」といっても過言ではないのです。

だからこそ日蓮大聖人は、間違った思想を破折し、
国家権力が正しい方向にいくように国家諌暁されたのです。
 

【三証・正邪の基準について】1/11

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2017年 7月20日(木)12時50分30秒
  先日、ある友人から

「宗教学と宗教批判の原理の〝分析法〟の違い」を

教えてほしいとの要望がありました。

また〝面倒くさい事をいうヤツだなぁ〟と思うと同時に、
そういう観点で物事を見ていることに感心もしました。

まず「分析法の違い」を述べる前に、
前提として知っておかなければいけないことがいくつかあります。

ネットを閲覧していると、

近年は「学会員の教学力の劣化」が話題になっていますが、

その原因はこの〝考える〟〝思索する〟という鍛錬が
極端に減ったことがその原因の一つだと考えられます。

なにより一番怖いことは、何かを教えてもらっても、

それで「わかったつもり」になることです。

それらは、その原理なり、文言なりをただ「理解しただけ」で、
それで終わりではないのです。

むしろそこから自分のものとしていくための鍛錬が始まるわけです。

大聖人は

「人を怨んではいけない。眼があるならば経文に我が身をあわせよ(通解)」(二二八頁)

と述べています。つまり、

何か事が起こった時は、人のせいにするのではなく、まず経文に書かれていることを
よく理解して、その経文に我が身をあわせて「よく考えろ!」ということです。

いくら教学を教えてもらっても、その理解した時から、さらに思索し、
自分に引き当てて物事を考えていく鍛錬をしなければ、

いつまでたっても深まっていかないし、自分のものとはなりません。

しかしこの鍛錬を皆、避けるのです。なぜかと言えば、

自分自身と向き合うのが、実は一番辛いからです。

たとえば

「題目をあげろ」と言うと、題目だけを上げても行動しなければ、問題は解決しないという。

「教学を勉強しろ」と言うと、教学だけを勉強しても行動しなければ、問題は前に進まないという。

「行動しろ」と言うと、行動も大事だけれどまず祈らなければ、問題は解決しないという。

これではまるで堂々巡りの会話です。

なぜ題目も、教学も、行動も、同時に「実践しよう」としないのでしょうか。

真実の法華経の行者は「信・行・学」の三つを常に実践しているものです。

一つも欠けてはいません。
それが「如説修行の人」です。

結局、出来ない憶病な自分自身を見つめるのが嫌なだけです。
 

令法久住の為、呼び起こされた戦い。勝つのが当然。

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年 7月20日(木)12時14分32秒
  青森県六ケ所村の、使用済み核燃料再処理工場。
更に7500億、余計に建設費がかかるそうだ。当初見込みの4倍。 しかも都議選への悪影響を恐れ、経産省の指示で、その事を正式に公表しなかった。

増加分は電気料金に反映され、我々末端の使用者が、負担させられることになるらしい。

いったい、この国の政府はどうなっている。
危機を煽り防衛費を増額する一方で、国民の年金は減額、自衛隊の日報は隠すわ、稲田、加計等、身内に対する病的なまでのエコヒイキ…。

加計問題で、日本獣医師会から、また新証拠が出てきた。
政府側は相変わらずの全否定。それしか能がないのか?  国民側からは嘘にしか見えないのが、まだ分からないようだ。

文科省、防衛省等、各省庁内部からのリークが増加中。この流れはもう止まらない。

創価学会本部でも、同じ事が、もうそろそろ起きる頃ではないのか?
何せ、自公と学会本部は運命共同体。鎖で繋がった三艘の船だ。
自民党に起きたと同じ事が、起きないわけがない。

組織最上層部に巣食う、獅子身中の虫との戦い。今までも有ったし、これからも有るだろう。

この戦いに勝たない限り、令法久住は出来ない。妙法の存続を賭けた戦いだ。
 

二十一世紀への対話 110

 投稿者:まなこ  投稿日:2017年 7月20日(木)09時27分56秒
  (2)積極的行動主義

【池田】 今世紀における世界の動向の焦点の一つがアメリカであったことは、まぎれもない事実です。とくに第二次世界大戦においてファシズムの嵐がヨーロッパに吹き荒れたとき、民主主義と自由の擁護のためにアメリカが果たした役割は、高く評価されてしかるべきだと思います。
しかし、その後、米ソ対立のもとに世界を冷戦の渦中に巻き込み、朝鮮動乱、ベトナム戦争などに関与したことは、重大な誤りであったといわざるをえません。これについては、アメリカ国内においても反戦運動が繰り広げられ、“汚ない戦争”といわれたベトナム戦争も、ようやく終息するに至りました。そこで問題は、アメリカは今後、国際政治においてどのような路線を進むかということです。いわゆる建国以来の基本路線であった孤立主義に戻るのか、それとも現代世界の超大国として主導権を維持しようとするのか、博士の予測をお伺いしたいと思います。

【トインビー】 第二次世界大戦勃発当時にアメリカ議会が通過成立させた“中立法”では、アメリカは不戦の決意を表明していました。真珠湾事件が起きなかったとしたら、アメリカはおそらく戦争に介入することはなかったでしょう。ところが驚いたことに、戦後のアメリカは国際的な積極的行動主義の政策を推し進めて、今日に至っています。これは“建国の父祖”たちが、国外紛争への介入を回避する有名な警告を発して以来の、従来のあらゆる政策にまったく反するものです。
アメリカの積極的行動主義の政策の殆どが共産諸国、とりわけソ連に向けられたことは注目に値します。かつてアメリカは二度の世界大戦で、ドイツと二回、日本と一回交戦したわけですが、実際の戦闘を別とすれば、この両国に対する敵対意識には激しいものがほとんどありません。
ところがソ連に対しては、一九一七年以降、きわめて激しい反応を示してきたのです。これは一体、なぜでしょうか。
私には、これはアメリカ人がきわめて国内志向的で、そのため共産主義についても、国際政治の場で対処すべきものと考えないためであろうと思われます。それどころか、彼らは共産主義を富裕なアメリカ市民の懐を脅かす、国内的脅威とみなしています。日本やドイツは、たしかにアメリカの政治的安全を脅かしました。しかし、これらの国々は、共産主義の基本思想が与えるような、アメリカの富の共有化とか接収とかの脅威は与えませんでした。

【池田】 私の見方は、アメリカに一貫して流れているのは、理想郷思想だということです。移民と開拓の当初から、アメリカ人の心には、旧世界をあとにして新しい天地に新しい国、理想的な社会をつくるのだという意気込みがあったと思うのです。モンロー主義は、そうした自国建設に専念するための手段であったと考えます。
ところが、二十世紀に入って、二度の世界大戦はアメリカの孤立主義を許さなくなってしまいました。これらの大戦に介入した当初のアメリカの心情は、不承不承のものであったと推測します。ところが、アメリカの力がすでに世界の運命を左右する強大なものになっていることに自ら目覚めたとき、アメリカの人々は、理想郷建設の理念を世界的規模に広げて考えるようになっていたと思うのです。そして、ここから積極的な世界政策が生まれたと考えます。
しかし、それはあくまで力を中心においたやり方であって、そのためにさまざまの問題が生じています。私は、アメリカがそうした理想主義をもって世界に臨むことに反対はしません。ただし、それは財力や武力によるのではなく、文化によるのでなければならないと考えます。

【トインビー】 ええ、まさにおっしゃる通りです。さいわいなことに中ソ紛争のおかげで、アメリカとしては、共産主義が自国を転覆させるのではないかという恐れを、いくぶんか和らげることができました。これにともなう緊張緩和によって、アメリカがもっと非好戦的、非敵対的な中ソ政策をとるよう、私は期待しています。これら三大国が人類のために力を合わせることこそ、全世界のためにきわめて重要だからです。
 

シスコはロック・シティ

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 7月20日(木)09時19分57秒
  ClearSky様
http://6027.teacup.com/situation/bbs/72262
素晴らしいプレゼントをありがとうございます。図解が分かり易いです。「文義意」「広略要」「種熟脱」関連の所には「!!!」でした。
ビジネスマン必読と言われたピーター・F・ドラッカーの著作に図解部分は1カ所しかないそうです。文字でしか表現できない、伝えられないこともあるでしょうが、上級者以外にはとっつき難い。スティーブン・R・コヴィーの『7つの習慣』(たぶんWIN-WINという言葉を流行らせたのはこの人)は図解が多くて分かり易い。
松本人志は「人間として一番大切なのはサービス精神」と言っていました。池田先生はそのサービス精神の師匠とも言え、ClearSkyさんはこういった形で後継されているのだと思います。いま教学を学ぶに良い教材がありません。昔のは絶版されていて。新しい人に学ばせる教材として活用させていただきます。ありがとうございます。

一人のSGI様
http://6027.teacup.com/situation/bbs/72294
>たしかに草創期の頃の折伏は、少し教学の話(宿業論や10界論などの簡単なレベル)から始まり(学)、題目に挑戦して(行)、初心の功徳を体験し、そこで(信)を育むという「学行信」の順だったかもしれません。<
→私はそんな「折伏」を受けたから「入信」できました。同世代から彼らのスカみたいな「勧誘」を受けていたら……考えただけでゾッとしますね。同世代が入会しても結局、去って行った、ということが残念でなりません。これをプラスマイナスゼロと思ったら間違いです。彼らは敵に回りますから。赤字で広布後退で……今の立正安国崩壊があるのです。

>しかし、最終的にはやはり「信」を深める為の行学ともいえるかもしれません<
→池田先生は「結局、教学こそが、信心を向上させる因なのです」(大白2011年8月号27ページ)と言われていました。「教学力がないと、信心は行き詰まる。また、何か事故があったり、自分自身の問題で行き詰ってしまった時に退転してしまう」と前置きされて。

人力車様
http://6027.teacup.com/situation/bbs/72296
>離れた惑星同士、互いに影響しあってるのでしょうか?<
→その通りですね。一念三千・九識論から見ればそう言えるでしょう。『量子の宇宙でからみあう心たち―超能力研究最前線』(ディーン ラディン  (著), 竹内 薫  (監修), Dean Radin (原著), 石川 幹人 (翻訳))には通じる記述があります。
今でも一応は「心は脳にある」と考えられがちですが、それを否定して、実は全宇宙に広がっているのではないか、そこで交わり合っているのではないかと考えられてもいて、一年三千もそう説明しています。(『日蓮大聖人の法理―真実の仏法を知るために』 (1980年) (創価学会青年思想シリーズ))「心は脳に閉じた存在ではない」と。
いわゆる「神が降りて来た」的なひらめきなどは、あるいは地球外生命体が既に持っていた文明をキャッチ、察知しているのかも知れません。
私も時々元気を出そうとする時にはM78星雲に住むアニキの名を歌って呼びます。
♪セブン! セブン! セブン!
と。コンビニの宣伝ではありません。そんな銀行に口座も持っていませんが。最近は
♪ショブン! ショブン! ショブン!
という歌の方が流行っているそうですね。
♪身延の里がぁ~ふるぅさとだぁ~

ということで、学会教学のピンチです。教学3級。注意して学びましょう。ClearSkyさん、たいへんな労力だったでしょう。そのサービス精神に感謝! 人間として。

“ラジオを聞けよ 覚えてないのか?”
“僕らがこの街を作ったんだ 僕らがロックンロールで作ったんだ 大きくしたんだ”
“僕らがこの街を作ったんだ 仏法で作ったんだ”
“この街を作ったんだ そして仏法で大きくしたんだ”
『シスコはロック・シティ』スター・シップ
https://www.youtube.com/watch?v=K1b8AhIsSYQ
 

JACK様m(._.)m

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2017年 7月20日(木)08時56分7秒
  栃木の久保田です。m(._.)m

ありがとうございます。m(._.)m

私も各地の座談会に行きたいのですが、仕事で休みが合わず中々行くことが出来ません。

元職員お三方や、ご夫人方にもよろしくお伝えください。m(._.)m

日程が合えばまた参加いたします。ヽ(^○^)ノ

 

東新宿様

 投稿者:西新宿  投稿日:2017年 7月20日(木)08時51分24秒
  それ、反板にもちゃんと意見言ってる?
言ってないなら、かくゆう東新宿様がダブスタとかね(笑)
 

久保田様 おはようございます

 投稿者:JACK  投稿日:2017年 7月20日(木)08時37分38秒
  横浜レポートをお読み頂きありがとうございます。

このA支部長ですが、ひょんなことからその後を知りました。
今は支部長から更に上の役職にいるそうです。
処分だらけで人材が枯渇したのか、A支部長にあれこれ握られたネタがよほど困るのか、いずれにしてもロクでもないのは確かです。

なお、今回の横浜レポートでは、とある自治体の汚職話をご紹介致します。
引き続きお読み頂ければ幸いです。
 

転載禁止とは

 投稿者:東新宿  投稿日:2017年 7月20日(木)08時37分17秒
  掲示板への投稿は転載禁止というが、書籍や著作権違反の状態でネットに上がっている動画、音声を掲載するのは問題ないとは、雇う第1党の党首なみのダブルスタンダードだ。  

一人のSGI 様へ

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2017年 7月20日(木)08時32分34秒
編集済
  功徳って大切ですよね。医者からみはなされたけど
大御本尊様に必死でお題目を唱えてなおった、
お金がなくて困ってるときに、お題目を必死に
唱えたら宝くじがあたった。座談会の体験談には
功徳の話でいっぱいでした。いまもそうでしょうか?
教義を変更してからは、こんな体験談も
なくなってしまうのではと心配しています。
功徳のなくなった宗教をいったい誰が
人にすすめるのでしょうか。

私の最近の功徳は、今年になって引越しを
して、家賃が半分、部屋は広く、大きな公園
が建物を出るとあって、大きなウオーター
スライダーのあるプールもある場所に引っ越せた
ことです。家具やエアコンなどはみんな買いました
が家賃はわずか4000バーツ、12000円ぐらいです。
そして重要なのは部屋のど真ん中に御本尊様
をご安置できたからです。



これも池田先生時代の勤行要点をつかって、
勤行唱題していたからだと自分では思って
います。

>虹の戦士様は、面白い発想をなさる方ですね。(笑)
私にはあんまり発想はないと思います。
ただなんとなく頭に思いが浮かんでくるのです。
やっぱり霊界からのメッセージでしょうか。
冗談です。

>タイの広宣流布に頑張るとの虹様の決意に感動しました。
まだまだ決意だけなので、行動がともなわないと
だめだと思っています。

>先回話した、宗教の高低浅深を知るための「五重の相対」の勉強は欠かせないと思います。SGIでは、なるべく全ての宗教を受けいれる様な組織にしたいので「五重の相対」を基礎教学から外している様に見受けられます。
その辺で、いずれ本部からの圧力がかかってきても、信念を貫いていって下さい。

はい。ありがとうございます。「五重の相対」を勉強します。

>グリグリ様の論考はすばらしいと思います。
はい。今日、読んで参考にさせていただきます。
 

愛すべきものすべてに

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2017年 7月20日(木)07時55分58秒
編集済
 

---------------------------------
おはようございます。
元創価学会の尾崎豊さん。心に響く名曲が
たくさんありますが、その根底にはきっと
日蓮大聖人様の精神があったのでしょう。
そして宗門問題に悩んだのではないでしょうか。

私が、”もうこんな日本はいやだ”とバンコクに
脱出するまえ、新宿の小さなカラオケでこの歌を
一人で何度も歌っていたのを思い出します。

そして今また再びなぜかこの歌が心に響き始め
ました。”愛すべきすべてのもの”
---------------------------------
教学のスリム化が進むと、結局は1日1回
お題目を唱えれがよいということになるの
ではないでしょうか。でも、戸田先生は
初座の重要性を指導されています。
御本尊様と向き合ったとき、諸天善神は
向こう側にいるが、あいさつをすると
その諸天善神は、自分の後ろ側にみんな
やってきて、いっしょに願いを実現して
くれるというような指導です。
つまり、自分の夢の実現を後ろから
あとおししてくれる大宇宙のパワーが
自分の中に湧いてくる、歓喜の喜び
がわいてそれが困難を乗り越えて
宿命転換につながるということでは
ないでしょうか。それも、1回のお題目に
含まれるといわれてしまうと、元本の無明の闇
はそんなもんではないと思ってしまいます。
---------------------------------
もし、教義なんかどうでもいいと会長さん
や仲間の方が本当に思っていたら、座談会
は昔のような宿命転換の場ではなく、ただの
コミュニティ、みんなで歌って踊って
仲良くやって、それなりに楽しい、
あとは選挙で異体同心になってしまいませんか?
そして、いっしょにいるけど、心は孤独、歓喜も
なにもない。それでいいのでしょうか。
座談会に参加し、”よし、わかった、今日もがんばるぞ”
という歓喜が会員さんの心に湧いているでしょうか?
---------------------------------
日蓮大聖人さまを日蓮上人にしてしまったら、
なんだか幸福の〇〇ににてきてしまいます。
幸福の〇〇との違いはあると思いますが、
もしかしたらいっしょになって、世界広宣流布
をめざすというのでしょうか。創価学会の独自性
と最近言われてますが、だんだん他の宗教
ににてきてませんか?宗門との離別を意識する
あまりに、なんだかおかしなことになってきてる
のでは。永遠の師匠を忘れたのですか?
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バンコクはいまもうじき早朝の6時です。
なんで最近こんなにこの掲示板に書き始めた
のか自分でもよくわかりません。
もしかしたら、戸田先生が霊界から、
”お前がわしのかわりに、宿坊に書いてくれ”
とメッセージを送ってるのかもしれません。
それじゃ、幸福の○○みたいなので
どこからか”お前、馬鹿じゃねえの、死ねば”
って声がきこえてきそうですね。
”すみません、そんなつもりじゃなかったんですー。”
先に謝罪しておきます。
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【一点突破:11】心苦しい本部幹部会

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年 7月20日(木)07時44分51秒
編集済
  第26回本部幹部会。
奄美のご夫婦の体験談に心から感動しました。
54年の仇討ちを胸に、地域の偏見と戦い続け、池田先生の正義を勝ち取った素晴らしい体験談です。

しかし心苦しかったのは「新・人間革命 雌伏」について語られた時でした。
新・人間革命で、奄美を取り上げ頂いた事を「先生に取り上げて頂いた」と信じている事です。

新・人間革命は池田先生が書かれていないのです。ましてや、ご監修もご了承もされていない。
作成チームが作り上げているのです。
ただし、新・人間革命を弟子が書くことに、何も問題は御座いません。
池田先生が戸田先生の歴史を描いたように、弟子が先生の史実を新・人間革命に書き残す事は大切だからです。

虹は、このご夫婦が、事実を何も知らないままでいれば良いのかもしれないと、心に思いました。

しかし『雌伏68問題』を放置すれば、山﨑正友に塩を送る事になります。
地獄に落ちた山友が笑っている事を考えると、黙っている訳にはゆきません。

雌伏68で池田先生のご発言として書かれた「恩師の二十三回忌に思う」の文章は、先生の言葉ではないのです。
なによりも山崎正友の恐喝裁判の証言を「偽証」としては、池田先生の正義に傷をつけてしまいます。

思索を重ねた結論は、何も知らない会員が、信心や組織に不信を起こさないよう真実を知るには、まず『掲載事故』というスタンスから始めるのがベターではないでしょうか。

そしてこの掲載事故をきっかけに、創価学会の指導性の方向転換も考えて頂きたい。
『聖教新聞は池田先生が書かれている』という限り、広宣流布の責任を弟子が持てないからです。

ご高齢の池田先生に、いつまで苦労を掛けるのでしょう。
広宣流布のバトンは弟子に渡されたのです。

池田先生の指導や平和思想を基にした如是我聞の信心。
如是我聞の信心こそ、『新時代』の創価学会のあり方だと思います。


【保存用文証】新・人間革命 雌伏68 事実の改ざんについて(まとめ)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/71236

【一点突破:10】第26回本部幹部会、池田先生の動画の組替について
http://6027.teacup.com/situation/bbs/72272


 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、今夏、広島・長崎で平和行事、誠におめでとうございま~す(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 7月20日(木)07時41分28秒
  おはようございます。原田怪鳥様、広島・長崎で平和行事の開催とのコト、誠におめでとうございま~す(笑)

でもねぇ~、原田怪鳥様、

>創価学会・SGI(創価学会インタナショナル)はこれまで、池田大作先生のリーダーシップのもと、戦争体験集の出版や意識啓発の展示、核兵器廃絶への署名など、多角的な活動を展開してきた。<
(7月20日1面より抜粋)

なんて、堂々と言うのならば、国連での核兵器禁止条約会議に学会本部から、あるいは、広島・長崎の総県長サマは、なぜ参加されないのか?

って、ハナシですよぉ~(笑)

いかにも、「創価学会はやってまぁ~す」的なコトは控えましょうねぇ~(笑) 恥をさらすだけデスよぉ~(笑)


それと、モンゴル新大統領に、池田SGI会長が祝電とのコト、誠におめでとうございま~す(笑)

トランプ大統領に祝電を送っちゃったからか? もう各国の指導者が変わるたびに祝電を送らざるを得ない状況になっちゃいましたねぇ~(笑)

ナニか? 政治・権力と結びつこうとする、どなたかの浅識が見えるのデスが、小生の気の回しすぎでしょうかぁ~(笑)


爆笑創作座談会も、ネタがないのか? 差しさわりのない話題に終始してマスねぇ~(笑)

もちろん、仏法即生活デスから、身近な話題でもイイのデスが、身近な話題の中にも、キラリと光るものがないとイケませんよぉ~(笑)

ナニが言いたいかというと、御書の引用がナニひとつありませんよぉ~、ってコトでぇ~す(笑)

世間的な話題に終始して、根本にハナシを持っていけない(笑)、ココにハナシが浅くなる原因があるんじゃないデスかぁ~(笑)

まあ、うっかり引用して、ボロが出てもイケませんからねぇ~、ある意味、当然の帰結かもしれませんねぇ~(笑)


原田怪鳥様、もう少し監修していただいて、紙面の充実に心を砕いて下さいねぇ~、「先生からのお手紙」なんデスからぁ~(笑)

まあ、努力の跡を見せてもらえるように、明日からの紙面も期待しないで待ってまぁ~す(爆)



 

わが友に贈る 2017年7月20日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年 7月20日(木)07時15分57秒
  悩める友を見逃さず
こまやかな個人指導を。
じっくりと話を聞き
抜苦与楽の励ましを。
一人も残らず幸福に!
 

おはようございます。

 投稿者:幸せな人  投稿日:2017年 7月20日(木)06時30分49秒
  会憲も、教義の改定も全て池田先生が決裁されているから正しいのよ。釈尊が本仏だってなんだっていいの!

スッキリとした信心をしなさい!

ですって。

(@_@)ヒドイ
 

年金100年安心プランが、もう挫折か?

 投稿者:選挙学会  投稿日:2017年 7月20日(木)05時33分16秒
  これが、公明党が推進する年金100年安心プランかぁ~

年金受給開始「75歳とか…」 内閣府の検討会で意見:朝日新聞デジタル 2017.7.19

 公的年金を受け取り始める年齢を70歳より後にもできる仕組み作りを高齢社会対策大綱に盛り込む検討に入った。内閣府の有識者検討会が大綱の改定案をまとめ、政府が年内に決定する。年金の制度作りを担う会議ではないため、ただちには実現しないが、中長期的な課題として打ち出す。
「年金受給開始、70歳後も選択肢に」
自民PT提言へ
 年金の受給開始年齢は原則65歳だが、60~70歳の間で選ぶこともできる。70歳から受け取り始めると、受給額は65歳から受給するより42%増える。
 18日の検討会で、座長の清家篤・前慶応義塾長が「もっと先まで繰り下げ支給の幅を広げる可能性もある」と明かした。働ける元気な高齢者を支援する狙い。検討会では、繰り下げできる年齢について「75歳とか、もっと延ばしてもいい」との意見が出た。
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要するに、ビンボー人は75歳まで働け~と言うことですね。呆れましたよ。
議員や高額所得者は、60歳から遊び呆けて居られる。
ひょっとして、75歳まで働いて、直ぐに亡くなれば年金払わなくてラッキーだとか?
まさに、国家にとって安心プランですね!?

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先の投稿でミスリードを咬ましましたが、お気づきでしたか?日経新聞ではなく、産経新聞ですね。産経新聞は現与党翼賛の機関紙です。
 

横浜レポート、浜村暁奈さんのご報告m(._.)m

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2017年 7月20日(木)04時23分26秒
編集済
  栃木の久保田です。m(._.)m

JACK様m(._.)m、横浜座談会のレポート掲載ありがとうございます。m(._.)m

A支部長、総区長、新総区長、お前らサイテー(*`Д´)ノ!!!

A支部長みたいなの何処にでもいるけどね(# ゜Д゜)

後ろ楯がいると思って威張る・豚の威を借る雀(総区長クラスが虎ほど強くない)みたいなやつヽ(^○^)ノ

総区長とやらは、人の心は有るのか?┐('~`;)┌

新総区長ヽ(^○^)ノ何でオメー見てーのが総区長に成るんだよ┐('~`;)┌不思議だね

まぁ~3人に共通してるのは中味も信念も根性も無い

臆病者だということだ!

ヨコハマって凄く良いとこなのにオメーら見てーなクズがすんでるんじゃヨコハマのイメージが悪くなるね

上にはこめつきバッタの様に何でもペコペコ┐('~`;)┌

上の人間が言うことならば、間違ったことでもペコペコペコペコペコペコペコペコ

そして本来の創価学会の幹部ならば誰よりも大切にし

なくてはいけない会員さんをいじめるとは何と情けない人間だろう(/。\)男のくせに恥ずかしい奴等だね

上にペコペコして下に威張るのは男として恥ずかしいことだという事位、知らないと世間様から馬鹿にされるよ!

男のくせに(# ゜Д゜)プライドは無いのか?

何度でもいうよ!上にはペコペコしたに威張るこっぱずかしい者たちよ恥ずかしいから執行部ともども学会から出ていけ!!

 

21世紀への選択 はじめにを読んで。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 7月20日(木)02時58分2秒
  21世紀への選択 はじめに 読んで。

先日このように書き込みしました”日蓮仏法が世界宗仏教になるために、発迹顕本すべき”

発迹顕本すべきは私たち個人だともいえるのです。

活動停止!!、除名!!・・・処分されて活動が出来ないと悩んでいる人は居ないと思いま

すが、学会から処分されて苦しんでいる人が、もしいらっしゃったらと思い老婆心ながら

私の現在の気持ちを書き込みます。

54年問題は、池田先生に大六天の魔王が競い起こった。

その先生のその後の活動を思い返せば、私たちが何をすればいいのか・・・?

どんな活動をすべきか・・・?

おのずから答えは出てきますよね。

力ずくで、今の権力と一体化している堕胎執行部と戦いを挑んでも、鎧袖一触、戦になりま
せん。

ゆえに先生は教えられていますよ。

””「憎しみ」や「排他」の心でひび割れ、「不寛容」で乾ききった大地も、「対話」

という水を一滴ずつ染み込ませていけば、「信頼」と「友情」の沃野は広がっていく。””

青年よ一人立て!

  二人は必ず立たん、

  三人は また 続くであろう。 ・・・国士訓より

桜の城より

「広布誓願」の獅子よ一人立て

一九九八年四月二十九日
その日は、獅子が敢然と一人立った日である。

一九五一年(昭和二十六年)五月三日、われらの師匠である戸田先生が第二代
会長に就任。平和と幸福への「広布誓願」の大獅子吼が轟いた。

「私は広宣流布のために、この身を捨てます!私が生きている間に、七十五
万世帯の折伏は私の手でいたします」

「われわれの手」ではない。「私の手」で、と宣言されたのだ。

三代会長と同意ならば、所願満足、絶対的幸福間違いなし!!

具体的な活動は、この板は見張られていると言う事ですから書けませんが、分かりますよね。

浜村暁奈さん、負けないでーーー(^^♪

以上 鈴之助



ポイント
* 世紀の変わり目を前に、世界平和の宿願であった地域にも、「対話」を求める潮流が

芽生えてきている。

* 「憎しみ」や「排他」の心でひび割れ、「不寛容」で乾ききった大地も、「対話」

という水を一滴ずつ染み込ませていけば、「信頼」と「友情」の沃野は広がっていく。

迂遠のようではあっても、それが最も着実で、永遠に崩れない道であると、私は信じる。




21世紀への選択 池田・テヘラニアン対談 5/5

はじめに 池田 5

世紀の変わり目を前に、世界平和の宿願であった地域にも、「対話」を求める潮流が

芽生えてきている。

六月には、半世紀以上にわたり分断されてきた、韓国(大韓民国)と北朝鮮(朝鮮民

主主義人民共和国)の最高首脳による直接対話が初めて実現した。

七月には、アメリカの仲介により、イスラエルとパレスチナの問で中東和平をめぐる

対話が粘り強く続けられた。

いずれも、長年の厳しい対立によって、双方の歩み寄りが困難視されてきた地域である。

中東和平交渉は、残念ながら最終合意をみるまでにいたっていないが、平和共存に向け
ての一歩を、ぜひとも踏み出してほしい。

「憎しみ」や「排他」の心でひび割れ、「不寛容」で乾ききった大地も、「対話」という水

を一滴ずつ染み込ませていけば、「信頼」と「友情」の沃野は広がっていく。

迂遠のようではあっても、それが最も着実で、永遠に崩れない道であると、私は信じる。

そのためには、政治的な次元にとどまらず、幅広く民衆レベルで「対話の潮流」を押し

上げていく必要がある。

微力ながらも私も、キリスト教やヒンズー教をはじめ、さまざまな宗教的・文化的背景

をもつ識者や、社会主義諸国の方々と「対話」を重ねてきた。

「人間」という普遍的次元から、平和への道を模索してきたつもりである。

今回、国際社会で大きな比重を占めるイスラム世界に造詣の深いテヘラニアン博士と、

文明をめぐる有意義な「対話」を交わすことができたことは喜びに堪えない。

二十一世紀への門出にあたり発刊される本書が、人間と人間とを結ぶ"精神のシルクロ

ード"を世界に広げ、寛容と共生が基軸となる「新たな地球文明」を築くための視座を、

提供する一助となればと念願するものである。

二〇〇〇年八月十四日
池田大作
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年 7月19日(水)23時54分44秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
会長、副会長が真面目で誠実な会員に査問指示を出さ無い様に
昔、職員の男子部長に先生と直接お会いする機会がありますか
とお聞きしたら
毎日、朝一緒にラジオ体操するよと言われました
うらやましく思いました
その様な経験のある職員の方々は
先生にどの様に恩返しをしするのでしょうか?
おやすみなさい
 

7/17 横浜レポート 浜村暁奈さんの話 4

 投稿者:JACK  投稿日:2017年 7月19日(水)23時51分33秒
  〔処分期間の延期〕
1年半後、総区長から謝罪と反省を問われたが、そもそも何を謝罪すべきか分からずにいたら、処分がそのまま継続された。

〔新総区長の判断〕
平成26年(2014年)3月、新総区長から、
「反省を手紙に書け。その内容で判断する。」
と言われた。
これまでの総区長のように直接話すことなく、手紙にしろと言ってきた。
私は、反省の前に、なぜ私と夫の行動がいけなかったのか手紙で尋ねたが、総区長は3ヶ月間何も返事しなかった。
その後も3度手紙を出したら無視され続けた。
行動ではなく、立場で善悪を判断しているのではと思った。
お題目をあげる度に、池田先生のご指導や、池田先生の姿が浮かんだ。

〔決意〕
1人の人間として正直に生きる、真の幸福者に。
私が私に負けなければいい。
私のこれまでの体験は、師匠が体験されたことからすれば、比べ物にならないくらい、たいしたことはない。
何があっても正義を叫ぶと決めた。

〔除名審査通知〕
平成26年(2014年)11月、神奈川県審査会から除名審査の通知が届いた。
私の4度の手紙には返信せず、8ヶ月無視して、除名審査の通知を出してきた。
 

7/17 横浜レポート 浜村暁奈さんの話 3

 投稿者:JACK  投稿日:2017年 7月19日(水)23時50分25秒
  〔総区長の非通知電話〕
平成24年(2012年)3月に、私の携帯電話に総区長から非通知の着信がきて、会館出入り禁止、会合参加禁止、幹部宅の訪問や連絡禁止を言い渡された。
処分の期限を尋ねたが、総区長は通知内容を読むだけで、期限を言わなかった。
初めてA支部長に連絡してから9日後のことだった。
頭の中が真っ白になった。
一度も私の話を聞かないまま、組織は処分を決めた。

〔A支部長の言動〕
処分の電話があってすぐ、A支部長からワンコールで切れる着信が2回あった。
ある時は、A支部長から、
「謝罪するのかな?謝罪するなら…」
と、途中で切れてしまう電話があった。
A支部長に電話の要件を尋ねたら、
「謝罪の意思があるか知りたい。」
と言われた。
A支部長の持つ力を見せつけられた私が、どんな反応をするのかを確かめるために、私に電話をしてきたのではないか。
A支部長のような創価学会職員は、給料を会員の浄財から得て暮らしている。
組織幹部になったのは、会員に尽くすためのはずだが、A支部長は「自分は地位があるから偉い」という態度だった。
 

7/17 横浜レポート 浜村暁奈さんの話 2

 投稿者:JACK  投稿日:2017年 7月19日(水)23時49分31秒
  〔幹部たちの対応〕
夫の話を誰も聞かずに処分が決まるのはおかしいと思った。
なぜ夫が処分されるのか、理由を聞こうと山崎総県長に電話したら、私の携帯電話は着信拒否されていた。
一晩祈って、A支部長に電話した。
手が震えた。
ところが、A支部長にも着信拒否されていた。
A支部長にショートメールを送ったら、折り返しの電話があったので、夫の処分理由を尋ねたら、「お話することは何もない!こっちは被害者だ!あなたね!人を殺してもいいんですか!?」と、突然人殺し呼ばわりされた。
私とA支部長はお互いの顔を知らない。
突然人殺し扱いされた理由が分からない。

〔区婦人部長に取り次ぎを依頼〕
このままではいけない。
今後、座談会で会ったなら、夫のことで周囲の人達にいらない不安を招いてしまう。
そう思ったので、区婦人部長をしていたA支部長の妻に間に入って貰えないか依頼するため、自宅を訪問したが冷たく断られた。
A支部長の妻は、私が友人を折伏して入会に導いた際、笑顔で祝ってくれた人だったが、もはやその時の婦人部長ではなかった。

〔A支部長の迷走〕
A支部長からはその後も、途中で切れてしまう電話がかかってきたり、同じ内容のメールが立て続けに3通も届いたりして、話し合うことさえできなかった。
ある時は、
「信義に劣る輩と会う気はない!」
とまで言われた。
 

7/17 横浜レポート 浜村暁奈さんの話 1

 投稿者:JACK  投稿日:2017年 7月19日(水)23時48分15秒
  浜村暁奈さんの話
(※横浜の浜と、ノーベル平和賞受賞の劉暁波氏の暁から付けました。)

〔入会まで〕
大学卒業後、希望していた施設職員になったが、現実の過酷な環境に悩んでいた。
その時に一緒に働いていたのが今の夫になる人で、彼を通して創価学会を知った。
私は宗教のことは何も分からなかったが、家族に創価学会の話をしたら大反対された。
しかし、自分の夢だった今の仕事を充実させるには、この信仰が必要だと思い、創価学会に入会した。

〔入会後〕
入会して、池田先生のご指導に触れて、積極性が自分の中から出てきたことを実感した。
創価学会に入会してから絶縁状態だった家族とも、関係を修復し、今の夫と結婚した。
池田先生のご指導どおりに生きるとは何かを考えながら、充実した毎日を過ごした。

〔学会からの排除〕
『実名告発創価学会』にあるとおり、A支部長の暴言がきっかけとなり、私は学会から排除されていくようになった。
私の夫は、A支部長が暴言を吐いたことについて、山崎総県長に相談の手紙を書いた。
ところが手紙を出して数日後に、A支部長から夫の携帯電話に突然、電話が来た。
A支部長は舌打ちしながら、
「総県長のところに行くな!お前は偏執狂だ!」
と、電話の向こうで興奮していた。

〔夫への処分〕
A支部長との電話からしばらくして、夫の携帯電話に幹部から非通知の着信が入り、幹部から活動禁止や会館出入り禁止等の処分が通知された。
夫の信仰活動は奪われた。
私は、私にこの信仰を伝えてくれた夫を守りたいと思った。
 

同盟題目23時より開始します。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 7月19日(水)23時00分25秒
  池田先生、奥様のご健康、ご長寿を祈ります。

学会員さんを処分する池田先生の直弟子は偽物です。
古今東西、処分ばかり行う聖職者は偽物です。
偽物が、学会を乗っ取っている。これが一凶です。
万祈を修せんよりはこの一凶を禁ぜんには。
昔、立正安国論を教わった時に、一凶を禁ずるのは
布施を断つことが一番と教わりました。
 

お詫び・訂正その二十五

 投稿者:The logic in the place  投稿日:2017年 7月19日(水)21時58分44秒
  レ・ミゼラブル010 補足 ?
投稿者:The logic in the place
投稿日:2015年 2月 9日(月)04時26分25秒

老いてからの劣等感(コンプレックス)ほど、本人を傷つけるものはありません。
仕事の関係で、本日は寝ないで時間軸の調整をしているので、私の折伏相手の話を書きますね。
中学時代からの友人で、もう40年以上の付き合いとなっていました。昨年の2月に携帯電話の留守電に「あのな~、俺、今、病院に入院して忘れ物したんだよな、お前にお願いしていた事でな~、いや間違っているかな?あれ、お前だれだったけ?」というメッセージがあり、それも病院の一般電話からの留守電でした。友人の携帯電話はお客様のご都合で通話出来ない状態。私は福島・仙台での長期出張のため、数ヵ月後に地元へ戻り彼が入院していたという病院も既に転院しており不明、そして彼が住んでいた住居も取り壊されて更地となっていました。何があったのか?
21歳の時、彼が間借り貧乏生活をしていた私の部屋を訪れ、「○○、おれね、おやじの酒屋を継ぐことにしたんだ、コンビニをやろうと思う、候補は2つあって云々」、彼は熱心に語ってくれたので、信心の話も含め深夜から朝まで語りました。彼は進学高校に入学したものの、授業に付いていくことが出来ず、高校卒業後、ホテルで皿洗いをしながら遊びまくっていました。大学進学を否定して、俺は自分で稼いで生活すると街でたまたま会った時に語って以来のことでした。
その後、コンビニに変えたことにより、家業の酒屋は隆盛して、たまたま道路区画整理の立ち退きもあり、高額な補償を行政から受けて、建物も新築して順風な生活となりました。当然、信心の話は聞き入れず、同じ区画整理で立ち退きになる喫茶店のママと結婚すると騒ぎ出し、そのわがままを通して結婚。数年後に離婚(このママは初めからヤクザの金づるで喫茶店の雇われママをしていたようで、離婚に際しても高額な要求をしていました)。それから十数年後、大規模店舗法改正で競合するコンビニが林立して、収益が激減。コンビニを廃業して1階店舗部分をラーメン屋と喫茶店、雑貨店に間借りさせることになりました。しかし、父親が高齢で亡くなり、母親も数年後に逝去、ひとりとなって店舗貸し収入で生活をしていましたが、酒に溺れる怠惰な生活となり、精神疾患(うつ病)を50代後半から患い、糖尿病の合併症から排泄も困難になり介護状態となりました。そして平成26年2月に認知症で施設へ入院となりました。
自民党の区青年部長も歴任した彼でしたので、人脈をたどって施設を確認して面会に行き、昨年の11月にやっと会うことが出来ました。しかし、彼は私を覚えていませんでした。しかし手を握りながら、彼の目が怯えていたことを理解できました。何を怯えていたのか?ひとつは「死」であり、もうひとつは、あの21歳の時に私に語った事実です。それはホテルの皿洗いをやっていた時代に年上の女性と関係が出来て妊娠させ、中絶させて精神障害者にさせたという記憶でした。彼が喫茶店のママと結婚すると言ったときも、「お前、責任取らなきゃならない彼女がいるだろうが!」と私は強く言いましたが、そのことには触れず「俺は、喫茶店のママが大切な存在だ」などと逃げるように語り、昔の話を掘り返されることを拒絶していました。
彼の畏れは「自分の死」と「妊娠させ逃げてあるき、迷惑をかけ精神障害者になった元かの」。
老いてからの劣等感(コンプレックス)は、かくも自分を追いやるのかと深く考えさせられました。囚人番号374919号は、こんな繊細な感情もないでしょうから、未だにすぐ股開く対象物を探しまくっているでしょうが、60代、70代、85歳でも痴漢行為やって捕まる元気な老人もいるようですから、死ぬまでミミズ千匹を夢見て、悪辣に生きていくのでしょう。

ーーーーーーーーーーーーーー

この体験談文中、
『囚人番号374919号は、こんな繊細な感情もないでしょうから、未だにすぐ股開く対象物を探しまくっているでしょうが、60代、70代、85歳でも痴漢行為やって捕まる元気な老人もいるようですから、死ぬまでミミズ千匹を夢見て、悪辣に生きていくのでしょう』は、極善弟子の中には居ないと存じ上げますので訂正削除します。

本日7月19日、何故か私の地元へ創価の執行部の皆様方が避暑で?来られているのですか?いきなりの訪問激励はお断りします。宜しくお願い致します。


 

ロマンがありますね

 投稿者:人力車  投稿日:2017年 7月19日(水)21時55分20秒
  アメリカのカルフォルニア大学バークレー校の研究者たちが、太陽系に非常によく似た恒星系を発見したというニュースである(8月16日現地時間)……………
もし地球のような惑星があれば、水があったり、生命が存在している可能性もあるというのである。


仏法の壮大なる宇宙観、生命観から見れば、この大宇宙には、無数の仏国土がある。 大聖人は、千日尼へのお手紙で、「法華経は十方三世の諸仏の恩師なり」「法華経を供養する人は十方の仏菩薩を供養する功徳と同じきなり」と仰せである


「十方」とは大宇宙とも拝せよう。広宣流布の広がりが、世界平和を建設していく。その妙法の波動は、地球のみならず、全宇宙へと広がっていく。 広宣流布は、全宇宙の平和と幸福へと連動している。

2001/8/19長野研修道場
     東京研修会


離れた惑星同士、互いに影響しあってるのでしょうか?

人間も?

 

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