大規模なイベントを成功させるにはイノベーションが欠かせない。企業にとって、それは自らを鍛える場にもなる。2020年の東京五輪・パラリンピック開催まであと3年。企業はどのような知恵を出し、技術を磨いているのか。メイン会場となる新国立競技場の工事現場では、大成建設が効率化につながる工夫を凝らしている。
■基礎工事8カ月→6カ月
そこはまるで墓園のようだった。
6月下旬、記者は新国立競技場の工事現場を訪れた。目に入ったのが長方形のコンクリート部材が林立する姿だ。墓標のような部材が競技場の中心部に向かって同心円状に整然と並ぶ。その様子が墓園のように見えた。
完成後は競技場の地下空間を構成する柱や梁(はり)となるこれらの部材。全部で数千個におよぶ。1個あたり20トン前後の重さがあり、大型クレーンで決められた場所に置いて床に接合する。
通常の工事では、合板などで型枠をつくり、そこにコンクリートを流し込んで部材にする。「打設」と言われる作業だ。だが、ここでは打設をしていない。コンクリート製品の工場であらかじめ部材をつくり、それを現場に持ち込んでいる。
「こうすることで地下空間の工期を大きく短縮できる」。八須智紀さんは語る。八須さんは、新国立競技場の建設を請け負っている大成建設・梓設計(東京・品川)・隈研吾建築都市設計事務所の共同企業体(JV)の作業所長の1人だ。
なぜ工期短縮になるのか。1つは「規模の経済」の効果だ。使用する部材の種類が限られているため、工場でまとめて生産することで、現場でひとつひとつ打設するよりも早く用意できる。
工程管理も容易だ。吹きさらしの工事現場では、雨の日は作業がしにくい。特にコンクリートを流し込む打設は、晴れた日でないとほぼ無理だ。
在来工法であれば同規模の基礎工事は8カ月前後かかるとされるが、6カ月で済む。工場製の部材は輸送コストなどで一般のコンクリートより割高だが、工期が短縮できれば作業員が少なく済み人件費も安くなる。
新国立競技場の工事が始まったのは16年12月。当初の計画では、15年10月に着工しているはずだったが、デザインや建設費をめぐる混乱が響き、遅れた。19年11月までに完成させるには、工事の効率化が求められる。
「大きな問題は細分化して、ひとつひとつ解決するようにしなさい」。19世紀の米国の鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの言葉だ。この考え方が新国立競技場の工事現場で見て取れる。
競技場を真上からみると楕円形になっている。JVはこの楕円形を時計回りにA・D・B・Cの4つの工区にわけた。それらを内と外の2つに区切る。最後に内と外をそれぞれ6つに分割する。巨大な競技場を48のブロックに切り分けたのだ。
■柱は建てない 48区で反復作業
1ブロックの広さは約850平方メートル。小規模のアパート1棟と同じくらいだ。基礎部分の工事全部で約250人いる作業員は8つの班にわかれ、同時並行で1ブロックずつ作業していく。コンクリート部材をとび工が設置した後、鉄筋工が部材を固定させるための配筋作業を進めていく。
1つのブロックにかける日数は35日。1つの班が受け持つブロックは6つなので、このサイクルを6回繰り返す。作業員は同じ形状や同じ数量の資材を使う。機材も繰り返し活用できる。「サイクル工程」と呼ばれるこの手法は、時間がたつにつれて作業員の習熟度合いが上がり、工事の品質向上につながる。
4月上旬にAとCの工区で始まった基礎の工事は、6月上旬にはBとDの工区でもスタートした。担当する工事会社は違うものの、AとCで培ったノウハウなどをうまく活用できるよう情報共有を進めているという。
「6月末時点でコンクリート部材の配置が終わったところは全体の7割」(八須作業所長)。9月には基礎部分の工事は終わる見込みだ。
近くAとCの工区で始まるスタンド部分の鉄骨組み立て工事でも同様の手法が採り入れられる。今度は4つの工区内を3つに分割する。外周部に巡らせる柱や観客席に設置する柱の工事についても、地下空間のときと同様に、外からコンクリート部材を持ち込むことになっている。
来年2月ごろには屋根の工事が始まる。新国立競技場の屋根は観客席を覆うようにするため、長さは60メートルに達する。ここでもサイクル工程を採り入れて作業を細分化する。習熟度向上による工程の短縮を図る。
JVでは、屋根の鉄骨工事に備えて、実寸大の部材を使った施工検証を始めている。品質や安全を確保しながら短工期で竣工させるため、施工計画や作業工程・手順などを事前に確認するのが目的だ。この検証もこの夏に終える。JVの小林祥二・作業所長は「事前検証を実際の工事にいかしたい」と語る。
■収益性の低さバネに
新国立競技場の総工費は迷走した。12年にデザインを国際公募したときは1300億円の想定だったが、採択されたデザイン通りにつくると3000億円に膨らむことがわかった。その後の見直しで2651億円まで縮小したが、政府は15年7月に白紙撤回した。
結局、約1490億円で決着したが、規模や工事の難易度を考えると、収益性の高い案件ではない。だからこそ、効率化への知恵も生まれる。
工事現場は明治神宮外苑にあり、周辺ではイベントが多く開かれる。近隣にはオフィスビルも多い。事務所や現場の詰め所には回転表示灯が置かれており、振動や騒音が設定した水準を上回ると点灯する。
「どの区域で騒音や振動が発生したのかがすぐにわかるので、早期に原因を特定しやすい」(JVの伊藤清仁統括所長)。効率化だけでなく、周辺への配慮にもぬかりはない。スタジアムの建設で効率化の技術力を高め、世界中から集まる観客にアピールできれば、その宣伝効果は金メダル級だ。
(企業報道部 岩野孝祐)
[日経産業新聞7月12日付]