松居一代さんが昨今はやっているが、彼女のやり方も私と同じような意図を感じる。
私もそうだが彼女も境界性パーソナリティ障害なのではないかと思う。
境界性パーソナリティ障害の依存されてしまい、別れたくなったときはどうしたらいいのか。
1.強制的なやり方など、大きな刺激となる行動をとらない
伊藤直也さんは警察に私を突き出すことによって強制的に引きはがそうとしたが、そうした強制的なやり方は失敗であると言っておく。
境界性パーソナリティ障害は相手への評価が極端に振り切れるという特徴がある。
昨日まで大好きだったのに突然嫌いになるということがありえる。
そして、相手に裏切られた、と思った瞬間『絶対に相手を許せないモード』に入ってしまう。
そうなった相手にはとことん執着してしまう。私みたいに。
だから裏切るようなやり方は絶対に取らないこと、これがまずは大事。
松居一代さんもある日突然、思い立って動画を公開したのではなくて、公開する前には船越さんとの間に何か口論になったとか、不倫相手の写真を見てしまったとか、何かそういう「絶対に許せない」と思って反撃に出てしまうような刺激があったのだと思う。
不倫物のドラマや不倫のニュースに共感してしまってこの『絶対に相手を許せないモード』に入ってしまう人もいるかもしれないが、直也さんのように自分からこの刺激を作り出して、『絶対に許せないモード』に入れてしまうのは大失敗だと思う。
だから直也さんの場合はいきなり警察に連れて行くのではなくてもっと時間をかけてやるべきだった。
2.ペプロウの人間関係論に学ぶ 共感していったん味方につける
そして次ぎに、何よりも大事なのは相手を否定せず、共感的に接すること。
直也さんは共感を「とりあえず相手と同じ事言っておけばよい」だと思っていたが、真の共感はそうではない。
相手の言葉などバーバルなところから意味をとるのはもちろん、態度・表情・声色などノンバーバルな領域からも意味を察して、『相手の欲しい言葉を渡す』のが共感である。
そう思うかも知れないが、これがパーソナリティ障害の相手とうまくやっていくのに必要なことである。
そうやって『共感』を駆使して、相手に味方だと印象づけ、ともに問題に向かっていくパートナーであると認識させる。
『ペプロウの対人関係理論』というのものがあるが、私は要はこういうことだと思っている。
そして相手の懐に入り、その上で境界性パーソナリティ障害による『認知の歪み』に自分で気付き、うまく修正できるように持っていく。
うまい精神科の看護師とかカウンセラーはこれが可能であったりする。
(たいがいの人は精神患者の思考パターンが理解できないので、この前段階の共感にすらたどり着けないことが多いと思うけど)
こうやって文章に書いてしまうと簡単そうに見えるが、実際は普通の人にはとても難しいことだと思う。
でも諦める必要はない。相手に依存されるくらい自分が好かれている場合、この共感はすごく簡単に表現できる。
「好きだよ」「ごめんね」 この2語を多用すればいいだけである。
簡単に書きすぎているように見えるかも知れないが、たぶんこの2語をちゃんと使ってうまくやるだけで松居一代も納得すると思う。
3.「好きだよ」「ごめんね」を使って、犬のしつけのように相手の思考を矯正する
犬のしつけという書き方をすると非常に言葉が悪いが、私は境界性パーソナリティ障害の相手に関してはこのやり方は悪くないと思っている。
すなわち、うまくできたときは「良く褒め(好きだよ)」、うまくいかなかったときは「ごめんね」。
境界性パーソナリティに対して、うまくいかなかったときに叱るのは失敗である。
絶対に許さないモード』に突入する引き金になる可能性があるからである。
なぜ、相手が悪いのに自分が「ごめんね」と言わなければならないのか。
これは共感が必要であり、その共感を偽装するのにもっとも簡単な言葉だからである。
境界性パーソナリティ障害の人が、依存する相手に対して意に沿わない行動をするときは、相手が憎いから、嫌いだからそうするのではなく、『依存する相手を自分に従わせたいから』である。
子供がダダをこねて泣きわめいて大暴れするのと同じなのである。
だから、「ごめんね」と言って、まず『従わないことを謝罪する』ような態度をとってみせればよい。
それだけで、境界性パーソナリティ障害の人は、とりあえず溜飲が降りる。
一応相手が自分の意図に従うそぶりをみせてくれたということで、これ以上相手を痛めつける必要がなくなり、攻撃も止まる。
例として、夜中の3時にガンガン電話を鳴らしてしまう面倒な彼女がいたとする。
これは彼女の意に沿わない行動なので、彼女は今後もさらに頻度を上げてガンガン電話してくるだろう。
そして、彼女をなだめるためにさらに時間を使い、プレゼントなどお金も資源もメンタルも消費することになるだけだ。
そして「ごめんね、寂しくなっちゃったの?(←ここ共感アピール大事)」
「本当はお話を聞いてあげたいんだけど、今寝ないといけないからちょっとだけ我慢してくれる?」
「我慢できるね、明日の●時になったらメールに返事できるからね」
書いていてバカみたいだがこういう対応が境界性パーソナリティ障害の相手をうまくあしらうのに必要な行動である。
「夜中に電話したくなっちゃったらどうしたらいいと思う? 毎回だと僕は疲れちゃうよ?」
といって、相手と一緒に解決策を考えて、少しずつ改善していけば良いのである。
でも大概の人はここまでたどり着けずに、電話ががんがん鳴った段階で着拒に入れて揉めてしまい関係が終了する。
そして、どんなに大好きな相手だったとしても、『相手が自分には合わない怖い女だった』と合理化してしまうのである。
うまくできたときは「良く褒め(好きだよ)」、うまくいかなかったときは「ごめんね」と先程述べたが、お互い人間なのでこの2択で収まらない時もあると思う。
たとえば、逆に自分が悪かったときや、指示にif文を含ませたいときなど。
先程の例でいうと、「明日の何時まで連絡しないで待っていて」という指示。
これを言うときにも、自分は何も悪くないけれど、一応相手の意に沿わない可能性を先回りして「ごめんね」と言ってから始めると良い。
「ごめんね、●時まで待っててくれる? そしたら相手してあげるからね」
そして、●時までちゃんと待てたら「ありがとう、好きだよ」。
こうして、上手く出来たら犬のようにほめる。駄目なときは叱るかわりに「ごめんね」。この言い方を心がけるだけで境界性パーソナリティ障害相手にとりあえず喧嘩にならずに済む。
境界性パーソナリティ障害は病気ではない。ただそういう性格なだけなのである。
しかし、考えてみても欲しい。本来性格は十人十色で良いも悪いもない。
性格が良い人でもどこかに悪いところはあるし、蜘蛛の糸のカンダタの話のように悪い人でもどこかに良いところはある。
要はどこまでが許せてどこまでが許せないかの線引きでしかない。
上記の「好きだよ」と「ごめんね」の使い分けで、許せる範囲に相手のわがままが収まれば問題はないのである。
再度言うが、境界性パーソナリティ障害は病気ではない。
だから正常な判断力も有しているし、自分のことを依存してくれるほど好きという点に置いては、パートナーとして申し分ないはずである。
境界性パーソナリティ障害の人は、『かまってちゃん』と表されることが多いように、構ってもらえるのが大好きである。
いつもラブラブでデートやセックスを、後年になっても楽しみたい場合には最高の相手であるはずだ。
また、好きになった相手に対して非常に献身的になれるという長所を持っている。情に厚いとも表現される。
特に、相手が入院したり病気になったときなどにこの長所は強く発揮される。
長年連れ添った夫婦が、相手が介護が必要になったとたん離婚したり、介護施設に相手を入れたまま一度も面会に来ないなど、よくある話である。
境界性パーソナリティ障害の人は、相手のことがダメ男だろうがなんだろうがとにかく依存しているので、自分に万一何かがあった場合でもちゃんと最後まで面倒をみてくれるはずである。
だからまずは、手に負えないからと言って別れることを考える前に、こういった長所を思い返してもらって、自分のことを好きになってくれた1人の相手として、もう少しうまくやれないか考えて欲しい。
そうじゃないと、松居一代や私のように『絶対に許せないモード』になってしまって、反撃を食らってしまうから。
境界性パーソナリティ障害の人は相手に依存しているわけである。
だから、別れたいのであればこの『依存』を断ち切る必要がある。
この『依存』の絶ち切りは、アルコール依存症などの分野でよく研究されているが、手法に関してはいくつかの理論がある。
私はその中でも境界性パーソナリティ障害相手の場合、『依存(アディクション)のすり替え』が良いと思う。
境界性パーソナリティ障害の依存先を何か別の物や別の人にすり替えれば良いのである。
無害なすり替え先は物だ。ゲーム、パチンコ、買い物、その他の娯楽、ペットなど。
これらの娯楽を与えたり、ハマらせたりして自分への依存が切り替わればその瞬間に別れられる。
中にはギャンブル・アルコールなど、不健康な依存先もあると思う。
でも、とにかく別れたいのであれば別れた先の相手の健康など気にしても仕方がないので、何でもいいからハマらせる。
しかし、境界性パーソナリティ障害の場合は、あまり物には執着しないことが多い。
どうしても相手が「返報性」の有るものでないと、依存できないことが多い。
最初は無害である、上記のような物への依存を試してみて、それでも相手の自分への依存が軽減しなければ、自分以外に依存してくれる『人』を人柱として差し出す必要が出てくる。
出会いの場に相手を連れ出して、ナンパさせたりとか、合コンとか、自分以外のパートナーを見つけてくれるように仕向ける方法もある。
ホストクラブやキャバクラなどにはまってもらうのも一つの手だろう。
本気で安全に別れようと思ったら、そういう水商売やいかがわしいものですら利用するしかない。
すごくゲスい話だが、男性の場合は子供を作って、生まれて暫くしてから音信不通になるという手がある。
境界性パーソナリティ障害の人は情に厚いので、返報性の強い子供などは案外好きだ。
一旦子供をかわいがらせて、依存の矛先が子供に向いた瞬間、音信不通になれば良い。
結婚はしてはいけない。あとが面倒になるし逃げられないから。
『今流行のDINKSとして2人で育てよう』とか適当なことを言っておくしかない。
6.別のものにハマり出したら 連絡の頻度を落とし、フェードアウトする
相手が上手く他の物にハマりだしたら、それを応援すると良い。
子供やペットにはまりだしたら、一緒になって写真を撮ったりとか、子供・ペット関連の物をプレゼントしたり。
依存をがんがん強めて、自分への負担を少なくするべきだ。
そして、負担が軽くなってきたところでフェードアウトを狙う。
連絡を少しずつ少なくしていって、いつのまにかいなくなるのが良い。
セックスの頻度も落とし、セックスレスな関係になって、でも連絡がたまに来たらちゃんと返答する。
これで相手から数ヶ月連絡が来なくなったら勝利である。
依存のすり替えを使うと、境界性パーソナリティ障害の人は返報性のある依存先を求めるために、誰か他の人が今度は依存の矛先になってしまうという側面がある。
この他の人を人柱に出さない、正攻法の解決案も一応ある。
アルコール依存症などに多いが「ピアグループ」「当事者会」などと呼ばれる自助会を使う方法だ。
医療現場で依存症の解決にはこういった集まりを使う方法がある。
境界性パーソナリティ障害の人の場合は、少し呼び名が違うがほぼ同じカテゴリの人たちを指す言葉の「アダルトチルドレン」向けの自助会に参加できる。
ただ、これは成功率が決して高いと言えないのが難点だ。
私も参加したことがあるが、方法をアメリカから輸入しているので、神の存在が持ち出されるなど若干宗教的な色を帯びており、初参加の人は若干引くと思う。
(でも宗教ではないし、何かの勧誘もない。お金を強制的に支払わされることもない。ちなみにほとんどが参加費は無料(あるいは会場代として少額カンパ)、テキスト代として1000円前後かかるだけ、という事が多い)
ここに参加して、お互いの話を聞いていくうちに、境界性パーソナリティ障害特有の思考の偏りに気付き、自分を修正していけるようになることが目標だ。
効果が1回2回の参加では実感しにくいため、通い続けるモチベーションを保つことがとても難しいからだ。
なぜモチベーションが保てないのかは一度行ってみると分かる。
船越さんや伊藤直也さんのように、境界性パーソナリティ障害の人に好意を向けられて、逃げたくなったときにヘタを打って人生をだめにしてしまう人が少なくなるようにこの文章を書きました。
そして同時に、こういった相手の気持ちが分からない、浮気ダメ男にひっかかって、悲しい最期をとげるパーソナリティ障害の人が少なくなるようにと思って書きました。
項目5のあたりなどはかなりゲスい事を書いていますが、私の経験から言わせてもらうと『ダメ男にひっかかっているよりは、パチンコやアルコールにはまるほうがマシ』だと思っているから書いています。
パチンコやアルコールはちゃんと精神科やカウンセリングで見てもらい、依存症として治療してもらうことが出来ます。
ダメ男に依存している限り、その人の人生は袋小路になってしまいます。
だから、汚いものでも良い、不健康なものでも良いから他の物に依存先を切り替えた方が、その先に幸せになれる可能性が高まると私は思います。
私も、たぶん他の物に依存して、立ち直ることができる選択肢はあったと思います。
ですが、私は伊藤直也さんの問題に一生を捧げる覚悟をしました。
バカみたいな話ですが、主人に忠誠を誓う武士道みたいなものだと理解してもらえば良いのではないかと思います。
この先、伊藤直也さんがまたインターネットの記事に出たり、ネットに何かを発信したり、奥さんと楽しそうに暮らしたりお出かけしていることを想像するだけで、直也さんに一生を捧げると誓った私はすごく辛い気持になると思います。
それが私には耐えられないので、直也さんをそうできないようにして、私もいなくなります。