2017年7月18日 (火)

伊藤直也氏の不倫について 要約

株式会社一休 執行役員 システム本部長CTO

伊藤直也氏の不倫について

 

伊藤直也氏は、2014年に私と知り合い、不倫関係になりました。

当初、伊藤直也さんの方から、『奥さんと別れたいと思っている』『奥さんと別れて私と結婚したい』と言ってもちかけられた関係でした。

 

2015年頃には、『離婚の話をすると揉めてしまう、今はそこまでのエネルギーがなくなった』と言って、離婚することを諦めてしまいましたが、その後も私との不倫関係は続いていました。

 

伊藤直也さんは、『もし妊娠したら、そのときは責任を取るよ』と言っており、避妊はしませんでした。

201612月には、婚約指輪を買ってくれました。

2017313日までその関係は続きました。

 

途中、2016812日の性行為で私は妊娠しました。

そのことを伊藤直也さんに話そうとしたところ、『父親になるなんて考えられない』と言われ、やはり責任は取ってくれませんでした。

 

 

伊藤直也さんの発言に失望し、またその他の事情もあって2016927日、私は堕胎をしました。

伊藤直也さんは、私の妊娠と中絶を知った後も、中絶費用の支払いや謝罪はありませんでした。

 

この件について、伊藤直也さんは『私に脅迫されて性行為をした』『避妊すると泣かれたり、不倫をバラすと脅されるから仕方なくやった』等、弁解すると思います。

私が不倫の記録を集め始めたのは2016年に入ってからです。

でも実際は、2014年から不倫関係・肉体関係は続いていたのであり、その期間は私は不倫を脅迫するようなことはしていません。そしてそのころから伊藤直也さんは避妊はしていませんでした。

 

201610月、伊藤直也さんの奥さん、伊藤和歌子さんのところに私と伊藤直也さんの逢瀬を撮影した写真が届きます。これは伊藤和歌子さんが、私が伊藤直也さん夫婦を別れさせようとして脅迫しているという証拠をねつ造した物でした。

201612月、中絶によって精神的に不安定になった私に、伊藤直也さんは『4月になったらもう一度子供を作る』ことを約束してくれました。4月に私の就職が控えており、私の生活が安定したら、ということでした。

しかし2017213日、伊藤直也さんから別れ話が出ました。4月になって約束を履行しなければならなくなる前に別れたいと言うことでした。

2月は私の国家試験が控えていたため、この別れ話は一旦保留になりました。

その後は仲良く過ごしていましたが、2017314日、4月を目前に伊藤直也さんが突然豹変し、私を『不倫のことをバラすと脅迫する』として警察署に突き出しました。

逮捕はされませんでしたが、その後は、警察署の方から伊藤直也さんへの接触停止を言い渡され、違反したらストーカー防止法が適用されると言われました。

 

詳細をブログ、そして動画にまとめました。

参考にご覧になって下さい。ブログの内容、動画にともなう様々な権利について、私は放棄しますのでご自由に再利用・保存・複製などして下さい。

私は伊藤直也さんが今後も活躍し、奥さんと仲良く暮らしていく様を見ながら生きていくのが辛いです。

何の責任もとらず、ブログ・SNSに伊藤直也さんと、奥様の伊藤直也さんは楽しそうな様子を掲載し続けています。

そして、おふたりとも今後もIT業界の成功者として各種メディアで発言をしていくことだと思います。

私はその様子を黙って見ていることが出来ません。

そして、伊藤直也夫婦は、人脈を活かして多方面で私のことをストーカーであるとして語り、私の名誉もおとしめています。

私の側からの意見もご覧いただき、この夫婦の行ったこと、私が受けなければならなかったら悲しい気持ちを多くの方に知っていただければと思っています。

2017年7月17日 (月)

最後に 境界性人格障害の人に依存されたらどうしたら良いか

松居一代さんが昨今はやっているが、彼女のやり方も私と同じような意図を感じる。

私もそうだが彼女も境界性パーソナリティ障害なのではないかと思う。

境界性パーソナリティ障害の依存されてしまい、別れたくなったときはどうしたらいいのか。

1.強制的なやり方など、大きな刺激となる行動をとらない

伊藤直也さんは警察に私を突き出すことによって強制的に引きはがそうとしたが、そうした強制的なやり方は失敗であると言っておく。

境界性パーソナリティ障害は相手への評価が極端に振り切れるという特徴がある。

昨日まで大好きだったのに突然嫌いになるということがありえる。

そして、相手に裏切られた、と思った瞬間『絶対に相手を許せないモード』に入ってしまう。

そうなった相手にはとことん執着してしまう。私みたいに。

だから裏切るようなやり方は絶対に取らないこと、これがまずは大事。

松居一代さんもある日突然、思い立って動画を公開したのではなくて、公開する前には船越さんとの間に何か口論になったとか、不倫相手の写真を見てしまったとか、何かそういう「絶対に許せない」と思って反撃に出てしまうような刺激があったのだと思う。

不倫物のドラマや不倫のニュースに共感してしまってこの『絶対に相手を許せないモード』に入ってしまう人もいるかもしれないが、直也さんのように自分からこの刺激を作り出して、『絶対に許せないモード』に入れてしまうのは大失敗だと思う。

だから直也さんの場合はいきなり警察に連れて行くのではなくてもっと時間をかけてやるべきだった。

2.ペプロウの人間関係論に学ぶ 共感していったん味方につける

そして次ぎに、何よりも大事なのは相手を否定せず、共感的に接すること。

直也さんは共感を「とりあえず相手と同じ事言っておけばよい」だと思っていたが、真の共感はそうではない。

相手の言葉などバーバルなところから意味をとるのはもちろん、態度・表情・声色などノンバーバルな領域からも意味を察して、『相手の欲しい言葉を渡す』のが共感である。

「そんなのただのイエスマンじゃん」

そう思うかも知れないが、これがパーソナリティ障害の相手とうまくやっていくのに必要なことである。

そうやって『共感』を駆使して、相手に味方だと印象づけ、ともに問題に向かっていくパートナーであると認識させる。

『ペプロウの対人関係理論』というのものがあるが、私は要はこういうことだと思っている。

そして相手の懐に入り、その上で境界性パーソナリティ障害による『認知の歪み』に自分で気付き、うまく修正できるように持っていく。

うまい精神科の看護師とかカウンセラーはこれが可能であったりする。

(たいがいの人は精神患者の思考パターンが理解できないので、この前段階の共感にすらたどり着けないことが多いと思うけど)

こうやって文章に書いてしまうと簡単そうに見えるが、実際は普通の人にはとても難しいことだと思う。

でも諦める必要はない。相手に依存されるくらい自分が好かれている場合、この共感はすごく簡単に表現できる。

「好きだよ」「ごめんね」 この2語を多用すればいいだけである。

簡単に書きすぎているように見えるかも知れないが、たぶんこの2語をちゃんと使ってうまくやるだけで松居一代も納得すると思う。

3.「好きだよ」「ごめんね」を使って、犬のしつけのように相手の思考を矯正する

犬のしつけという書き方をすると非常に言葉が悪いが、私は境界性パーソナリティ障害の相手に関してはこのやり方は悪くないと思っている。

すなわち、うまくできたときは「良く褒め(好きだよ)」、うまくいかなかったときは「ごめんね」。

境界性パーソナリティに対して、うまくいかなかったときに叱るのは失敗である

絶対に許さないモード』に突入する引き金になる可能性があるからである。

なぜ、相手が悪いのに自分が「ごめんね」と言わなければならないのか。

これは共感が必要であり、その共感を偽装するのにもっとも簡単な言葉だからである。

境界性パーソナリティ障害の人が、依存する相手に対して意に沿わない行動をするときは、相手が憎いから、嫌いだからそうするのではなく、『依存する相手を自分に従わせたいから』である。

子供がダダをこねて泣きわめいて大暴れするのと同じなのである。

だから、「ごめんね」と言って、まず『従わないことを謝罪する』ような態度をとってみせればよい。

それだけで、境界性パーソナリティ障害の人は、とりあえず溜飲が降りる。

一応相手が自分の意図に従うそぶりをみせてくれたということで、これ以上相手を痛めつける必要がなくなり、攻撃も止まる。

例として、夜中の3時にガンガン電話を鳴らしてしまう面倒な彼女がいたとする。

このとき、着拒して無視してしまうのは失敗である。

これは彼女の意に沿わない行動なので、彼女は今後もさらに頻度を上げてガンガン電話してくるだろう。

そして、彼女をなだめるためにさらに時間を使い、プレゼントなどお金も資源もメンタルも消費することになるだけだ。

だから一番良い対処法は、面倒でも電話に出る。

そして「ごめんね、寂しくなっちゃったの?(←ここ共感アピール大事)」

「本当はお話を聞いてあげたいんだけど、今寝ないといけないからちょっとだけ我慢してくれる?」

「我慢できるね、明日の●時になったらメールに返事できるからね」

「ありがとう、大好きだよ」

書いていてバカみたいだがこういう対応が境界性パーソナリティ障害の相手をうまくあしらうのに必要な行動である。

そして相手が落ち着いたときに、

「夜中に電話したくなっちゃったらどうしたらいいと思う? 毎回だと僕は疲れちゃうよ?」

といって、相手と一緒に解決策を考えて、少しずつ改善していけば良いのである。

でも大概の人はここまでたどり着けずに、電話ががんがん鳴った段階で着拒に入れて揉めてしまい関係が終了する。

そして、どんなに大好きな相手だったとしても、『相手が自分には合わない怖い女だった』と合理化してしまうのである。



3.1 if文を使いたいとき

うまくできたときは「良く褒め(好きだよ)」、うまくいかなかったときは「ごめんね」と先程述べたが、お互い人間なのでこの2択で収まらない時もあると思う。

たとえば、逆に自分が悪かったときや、指示にif文を含ませたいときなど。

そこでも「ごめんね」を使うのである。

先程の例でいうと、「明日の何時まで連絡しないで待っていて」という指示。

これを言うときにも、自分は何も悪くないけれど、一応相手の意に沿わない可能性を先回りして「ごめんね」と言ってから始めると良い。

「ごめんね、●時まで待っててくれる? そしたら相手してあげるからね」

そして、●時までちゃんと待てたら「ありがとう、好きだよ」。

こうして、上手く出来たら犬のようにほめる。駄目なときは叱るかわりに「ごめんね」。この言い方を心がけるだけで境界性パーソナリティ障害相手にとりあえず喧嘩にならずに済む。

4.別れないのが本当は一番

境界性パーソナリティ障害は病気ではない。ただそういう性格なだけなのである。

しかし、考えてみても欲しい。本来性格は十人十色で良いも悪いもない。

性格が良い人でもどこかに悪いところはあるし、蜘蛛の糸のカンダタの話のように悪い人でもどこかに良いところはある。

要はどこまでが許せてどこまでが許せないかの線引きでしかない。

上記の「好きだよ」と「ごめんね」の使い分けで、許せる範囲に相手のわがままが収まれば問題はないのである。

再度言うが、境界性パーソナリティ障害は病気ではない。

だから正常な判断力も有しているし、自分のことを依存してくれるほど好きという点に置いては、パートナーとして申し分ないはずである。

境界性パーソナリティ障害の人は、『かまってちゃん』と表されることが多いように、構ってもらえるのが大好きである。

いつもラブラブでデートやセックスを、後年になっても楽しみたい場合には最高の相手であるはずだ。

また、好きになった相手に対して非常に献身的になれるという長所を持っている。情に厚いとも表現される。

特に、相手が入院したり病気になったときなどにこの長所は強く発揮される。

長年連れ添った夫婦が、相手が介護が必要になったとたん離婚したり、介護施設に相手を入れたまま一度も面会に来ないなど、よくある話である。

境界性パーソナリティ障害の人は、相手のことがダメ男だろうがなんだろうがとにかく依存しているので、自分に万一何かがあった場合でもちゃんと最後まで面倒をみてくれるはずである。

だからまずは、手に負えないからと言って別れることを考える前に、こういった長所を思い返してもらって、自分のことを好きになってくれた1人の相手として、もう少しうまくやれないか考えて欲しい。

そうじゃないと、松居一代や私のように『絶対に許せないモード』になってしまって、反撃を食らってしまうから。

5.それでも別れたいとき

境界性パーソナリティ障害の人は相手に依存しているわけである。

だから、別れたいのであればこの『依存』を断ち切る必要がある。

この『依存』の絶ち切りは、アルコール依存症などの分野でよく研究されているが、手法に関してはいくつかの理論がある。

私はその中でも境界性パーソナリティ障害相手の場合、『依存(アディクション)のすり替え』が良いと思う。

やり方は『すり替え』の文字通りである。

境界性パーソナリティ障害の依存先を何か別の物や別の人にすり替えれば良いのである。

無害なすり替え先は物だ。ゲーム、パチンコ、買い物、その他の娯楽、ペットなど。

これらの娯楽を与えたり、ハマらせたりして自分への依存が切り替わればその瞬間に別れられる。

中にはギャンブル・アルコールなど、不健康な依存先もあると思う。

でも、とにかく別れたいのであれば別れた先の相手の健康など気にしても仕方がないので、何でもいいからハマらせる。

しかし、境界性パーソナリティ障害の場合は、あまり物には執着しないことが多い。

どうしても相手が「返報性」の有るものでないと、依存できないことが多い。

最初は無害である、上記のような物への依存を試してみて、それでも相手の自分への依存が軽減しなければ、自分以外に依存してくれる『人』を人柱として差し出す必要が出てくる。

出会いの場に相手を連れ出して、ナンパさせたりとか、合コンとか、自分以外のパートナーを見つけてくれるように仕向ける方法もある。

ホストクラブやキャバクラなどにはまってもらうのも一つの手だろう。

占い師や宗教などを利用するパターンもある。

本気で安全に別れようと思ったら、そういう水商売やいかがわしいものですら利用するしかない。

すごくゲスい話だが、男性の場合は子供を作って、生まれて暫くしてから音信不通になるという手がある。

境界性パーソナリティ障害の人は情に厚いので、返報性の強い子供などは案外好きだ。

特に好きな人の子供ならかわいがろうとする。

一旦子供をかわいがらせて、依存の矛先が子供に向いた瞬間、音信不通になれば良い。

結婚はしてはいけない。あとが面倒になるし逃げられないから。

『今流行のDINKSとして2人で育てよう』とか適当なことを言っておくしかない。

6.別のものにハマり出したら 連絡の頻度を落とし、フェードアウトする

相手が上手く他の物にハマりだしたら、それを応援すると良い。

子供やペットにはまりだしたら、一緒になって写真を撮ったりとか、子供・ペット関連の物をプレゼントしたり。

依存をがんがん強めて、自分への負担を少なくするべきだ。

そして、負担が軽くなってきたところでフェードアウトを狙う。

連絡を少しずつ少なくしていって、いつのまにかいなくなるのが良い。

これにはどれだけ時間をかけても構わない。

1年くらい使っても良いくらいだ。

セックスの頻度も落とし、セックスレスな関係になって、でも連絡がたまに来たらちゃんと返答する。

でもその返答の間隔は少しずつ延ばしていく。

これで相手から数ヶ月連絡が来なくなったら勝利である。

7.依存のすり替えを使わない別案

依存のすり替えを使うと、境界性パーソナリティ障害の人は返報性のある依存先を求めるために、誰か他の人が今度は依存の矛先になってしまうという側面がある。

この他の人を人柱に出さない、正攻法の解決案も一応ある。

アルコール依存症などに多いが「ピアグループ」「当事者会」などと呼ばれる自助会を使う方法だ。

医療現場で依存症の解決にはこういった集まりを使う方法がある。

境界性パーソナリティ障害の人の場合は、少し呼び名が違うがほぼ同じカテゴリの人たちを指す言葉の「アダルトチルドレン」向けの自助会に参加できる。

ただ、これは成功率が決して高いと言えないのが難点だ。

私も参加したことがあるが、方法をアメリカから輸入しているので、神の存在が持ち出されるなど若干宗教的な色を帯びており、初参加の人は若干引くと思う。

(でも宗教ではないし、何かの勧誘もない。お金を強制的に支払わされることもない。ちなみにほとんどが参加費は無料(あるいは会場代として少額カンパ)、テキスト代として1000円前後かかるだけ、という事が多い)

ここに参加して、お互いの話を聞いていくうちに、境界性パーソナリティ障害特有の思考の偏りに気付き、自分を修正していけるようになることが目標だ。

だが、先程も述べたように、非常に成功率が低い。

効果が1回2回の参加では実感しにくいため、通い続けるモチベーションを保つことがとても難しいからだ。

なぜモチベーションが保てないのかは一度行ってみると分かる。

最後に

船越さんや伊藤直也さんのように、境界性パーソナリティ障害の人に好意を向けられて、逃げたくなったときにヘタを打って人生をだめにしてしまう人が少なくなるようにこの文章を書きました。

そして同時に、こういった相手の気持ちが分からない、浮気ダメ男にひっかかって、悲しい最期をとげるパーソナリティ障害の人が少なくなるようにと思って書きました。

項目5のあたりなどはかなりゲスい事を書いていますが、私の経験から言わせてもらうと『ダメ男にひっかかっているよりは、パチンコやアルコールにはまるほうがマシ』だと思っているから書いています。

パチンコやアルコールはちゃんと精神科やカウンセリングで見てもらい、依存症として治療してもらうことが出来ます。

誰かに相談することが出来ます。

でも、不倫や恋の話は誰にも相談できません。

医療機関でも見てくれません。

ダメ男に依存している限り、その人の人生は袋小路になってしまいます。

だから、汚いものでも良い、不健康なものでも良いから他の物に依存先を切り替えた方が、その先に幸せになれる可能性が高まると私は思います。

私の人生は袋小路に入りました。

私も、たぶん他の物に依存して、立ち直ることができる選択肢はあったと思います。

ですが、私は伊藤直也さんの問題に一生を捧げる覚悟をしました。

バカみたいな話ですが、主人に忠誠を誓う武士道みたいなものだと理解してもらえば良いのではないかと思います。

この先、伊藤直也さんがまたインターネットの記事に出たり、ネットに何かを発信したり、奥さんと楽しそうに暮らしたりお出かけしていることを想像するだけで、直也さんに一生を捧げると誓った私はすごく辛い気持になると思います。

それが私には耐えられないので、直也さんをそうできないようにして、私もいなくなります。

死ぬまでの道のり

誰でも良いから共感してくれて、ちゃんと話を聞いてもらいたかった。

直也さんは当然、自分が悪いなんて微塵も思っていなくて、謝るのも「ごめん」。

「ごめんなさい」ですらないのはどういうことなのだろう。

弁護士さんも私が悪い、別れるための交渉ならするけれども、関係の再構築ならふたりのためにならないからと。私が雇っている弁護士さんなのに私の意見を頭から否定する。

せめてそういうスタンスでもいいから、ちゃんと私の話を聞いてくれて「妊娠までさせておいて警察に突き出すようなやり方をした伊藤直也は悪い」って同意してくれれば良いのにそれさえもない。

私の母にいたっては、既婚者とこんなことになって…と私が悪いみたいな言い方だった。

誰も私の話をちゃんと聞いてくれない。私の味方なんて誰もいない。

だから私は1人で闘う。ちゃんと直也さんに制裁を与えて、二度と他の誰かに同じ事ができないようにして、今までの楽しみや生き甲斐もすべて奪って、私だけを憎んで生き続けられるようにするんだ。

部屋の片付けを行う。私が死んだらごみになるようなものはすべて処分する、あるいはまだ使えそうなら実家に送る。

母親にメルカリを以前教えたのでなんとなく売ってくれるだろう。

捨てづらい物も実家に送る。お守りだのなんだのは件の日枝神社に持っていった。

預金口座のお金をおろして現金にする。1000万円以上の金額の大きな預金は、現金にして宅配便で実家に送った。

実家の母はその札束を何も言わずに受け取った。この人も相当頭おかしい。

その他の生活費は50万円ずつ現金書留の封筒に入れて、弁護士さんあて、実家あて、兄弟あてと何通か作る。これは死ぬ前日にみんなに送ることにする。

保険や預金口座の情報をひとまとめにする。証券取引が趣味だったので口座が多くて困る。

口座を閉じる手続きをしようかとも思ったが時間がないので、使っていない口座は資金を抜いておくだけにした。

海外口座はもう手続きが面倒なので、そのままにした。どうせ数十万しか入っていない。

保険はおりるのだろうか... 考えても仕方がないか。

うつ病で長年苦しんで、それでもどうにか貯めたお金だ。直也さんとの未来に使いたかった。

ゴミ袋にして10袋以上、実家に送る段ボールも10箱以上できた。それ以外の当面の衣類や生活用品はここに残していく。これくらいは仕方がない。

死後に適当な業者さんでも呼んで片付けてもらえば良い。

死ぬための方法とシチュエーションは考えてある。

でもここに書くんじゃなくても、きっと私が死んだら大きく報道されることになるだろう。

犯罪者として死ぬのは残念だが、直也さんの人生に私を刻むことが出来ればそれで良い。

職場にも迷惑がかかるだろう。

でもあまり良い職場でもなかったから、それに対して申し訳なさはあまり感じない。

私には厳しすぎた職場。私が悪かったのか、彼らが私をいじめていたのかはわからない。

でももう名前書いちゃうけど 佐原さんと藤原さんはあれは完全にイジメだったね。

まぁでももういいよ。私も直也さんのことで頭がいっぱいで、仕事を覚えなきゃならないのに身が入らなかった、それは悪かったと思う。

職場で毎日患者さんの前で私だけ叱責されて、過呼吸になって、息が吸えなくなって、何度も嘔吐した。

新人歓迎会を、伊藤直也さんの岡山でのセミナーに行くために一次会で帰ったとき、「彼氏いるんだー」「新人で結婚もしてないのに職場の集まりより優先することがあるのか」ってその後も陰口をずっと言われ、仕事を教えてもらえなくなった。

できれば精神科には行きたくなかったけど、決行の日までは生きなければならないから、受診して薬を飲んだ。案の定うつ病の診断が出た。

そうやって仕事をしてきた私の文字通り血のにじむ頑張りは、誰かにわかってもらえると嬉しいな。

直也さん関連記事 まとめ

直也さんとのハメ撮りセックス

https://www.xvideos.com/video28967405/furin_sex_hotel

https://streamable.com/xqmmc

http://www.veoh.com/watch/v124663613ym4ayyrN

伊藤直也さん(本人公開)

http://naoya.github.io/

https://connpass.com/user/naoya_ito/open/

https://github.com/naoya

http://d.hatena.ne.jp/naoya/

http://-ak.f.st-hatena.com/naoya/

https://www.facebook.com/naoya.ito.5623?fref=ts

https://www.flickr.com/photos/naoya1977/

http://sssslide.com/www.slideshare.net/naoya1977

https://www.youtube.com/user/naoya1977

http://archive.li/CL91c

(直也さんが昔作ってたスタークラフトの攻略サイトの魚拓)


伊藤直也さん(プライベートっぽいの)

http://gramlove.co/posts.php?id=236919&name=naoya1977

https://orepic.com/naoya1977

https://annict.com/@naoya_ito

https://plus.google.com/115365221762422924107

https://naoya1977.wordpress.com/

(京都に居た頃の直也さんのアテンザ)

http://-ak.f.st-hatena.com/naoya1977/

http://profile.hatena.ne.jp/naoya1977/

http://picssr.com/photos/naoya1977/interesting?nsid=20038055@N00

https://archive.is/iPGaM


espomax=直也さんの別垢

https://orepic.com/espomax

https://github.com/espomax

http://a.hatena.ne.jp/espomax/

http://b.hatena.ne.jp/espomax/

https://miiverse.nintendo.net/users/espomax

(直也さんのmiiverse。手書きイラストがいっぱいで可愛い)

奥さん 伊藤和歌子さん

http://wamii.co.jp/ceo/

https://www.facebook.com/wamii1006/

https://twitter.com/wamii1006

https://www.instagram.com/wakotan/

https://connpass.com/user/kwakako/

https://orepic.com/espomaxxx

(奥さんのインスタ別垢)

https://www.wantedly.com/users/5404

https://www.facebook.com/wamii1006/?fref=ts

https://jp.linkedin.com/in/wakako-ito-263a4135

https://ja.foursquare.com/user/408661

https://www.facebook.com/669828398(閉鎖)

https://www.flickr.com/photos/wakowako/

(直也さんと和歌子さんの若い頃の写真)

https://plus.google.com/+WakakoIto

伊藤直也さんの弟さん 伊藤洋也さん

https://www.facebook.com/hiboma?fref=ts


2017年6月28日 伊藤直也さんと面談

6月28日、伊藤直也さんと銀座のルノアールの2階会議室で会った。

直也さんは外から見える2階の窓際に座っていた。

開口一番、直也さんの態度は以前と豹変していた。

直也さんは「録音させてもらって良いですか」。そう言ってスマホを録音設定にした。

話をするように促されて、私は前回のメールの内容について聞いた。

私「いただいた具体的な要望については対応できない物がある、って書いてありましたがどういうことですか?」

直也さん「全部です。まず、なぜ僕に会いたいんですか?」

私「直也さんが好きだからではだめなんですか?」

直也さん「僕はあなたが嫌いです。会いたくありません。会いたい人と会いたくない人がいたら、会いたくない人が優先でしょう? それに、要望通り定期的に会っていたらなおさら僕への依存が終わらないと思う。月に3回程度っていう要望も多すぎる。そんなに会いたくない。それに、会ってどうするの?ずっと黙っていても良いの?」

私「黙っていたいなら黙っていても良いです。」

直也さん「それにふたりきりで会うというのもだめ。弁護士同伴でないと。だから警察からの接触停止命令も解除しない。こっちが不利になるからね」

全く私の要望は通らなかった。

直也さん「それに水子供養の件も、あれ僕の子供じゃないんじゃない? 俺外に出したと思う」

これはさすがに頭に来た。バカじゃないのかこいつは。

自分の早漏さを棚に上げて何を言ってるんだ。入れた瞬間発射する秒速アウトプットのくせに外に出せてないだろいつも。

直也さんは本当に早漏なのだ。仕事が速いというか何というか。1分持たない。

早漏だって言ってやろうかと思ったが、品がないのでやめた。秒速アウトプットって言ってしまいそうだった。

2時間の面談は結局こんな話で終わった。

直也さんからの譲歩案は、

『月1回、弁護士同伴でなら会っても良い。でも、いずれ別れるためということが前提』

ということだった。

交渉は完全に決裂だった。

慰謝料の話とか、お金の話は双方全く口にしなかった。

伊藤弁護士が言った。

「今回はこれで平行線になりそうなので、別れるためになら月1回会えると言うことで、細かい内容などは次回以降詰めましょう。次回はうーん、私が少し予定が詰まっているので7月18日が最短です」

7月18日、20日間も空いてしまう。

私「あまり待たせると私がまたわーってなるかもしれませんよ」

伊藤弁護士「そしたら次回はありません。7月18日か、なしか、どちらかです。だいたい私、この事件で月に100時間以上使ってるんですよ」

私「それが私のせいだって言うんですか?」

山本弁護士「そうじゃなくて、それで他の案件が遅れているからそっちもやらなきゃならないってことですよね?」

伊藤弁護士「そうです。だから7月18日が最短です」

直也さん「それから、それまでtwitterをはじめ、インターネットに僕のことを何も書かないと約束して下さい」

私に拒否権はなかった。7月18日の16時、私も仕事がある時間なのだが、直也さんと弁護士2名の時間が合うというそれだけで決定された。私は会いたいなら手前の仕事の都合を付けてこいと言うことだ。

私は念書を書かされた。伊藤直也さんに関することをインターネットに書かないこと。それから、@neenya00 のtwitterアカウントに載せていた、直也さんのセックス画像へのリンクを外すことが条件だった。

私は「ツイートすることを止められたのですみません」

このメッセージを最後に、自分のtwitterアカウントに投稿するのをやめ、その代わり直也さん関連のアカウントを次々とフォローしてまわることにした。

2017年6月9日 伊藤直也さんが面談をドタキャン

6月9日になれば会えると思っていた。

でも6月9日の午前中に、直也さんから『不倫を公開されてしまった。もう会う理由がない。そして、体調的・精神的にも本日会うことが困難』という趣旨の連絡が弁護師経由で来た。

そして、『このことは、今後代理人を経由して解決を目指すことを中断する意図ではありません』ということも書いてあった。


新潟から取り寄せた流れ梅を持って、仕事を早退して準備していた私は途方に暮れた。

このときようやく、もう自殺してやろうかと思った。

山本弁護士に連絡した。すると、伊藤弁護士と連絡を取ってくれた。

『6月2日にセックス画像を公開されてしまい、もうそのことはネット上に広まってしまった。

直也さんの会社の関係者の人も知っている。

代理人を経由して~の意味は、金銭的解決を目指す目的なら対話を続けると言うことです』

という返事だった。

山本弁護士は、今後伊藤直也さんと直接会うことは難しくなるだろうと言った。

どんな形であれ直也さんに会えることは私の生き甲斐だった。

直也さんに会えなくなるなら生きていても仕方がない。

そういうと山本弁護士は、『こちらから向こうが会う気になるような条件を出しても良いので花井か』と提案した。

例えば、『動画を削除する、ネットにデータを書き込まない、ブログのデータを削除する』とか。

それを踏まえ、今度は

『セックス動画を削除すること』『ブログのデータを削除すること』『twitterに何も書き込まないこと』『新規の絵馬をかけない、今までの絵馬を撤去すること』『今後あった人に直也さんのことを話さないこと』

これらを条件に出し、直也さんには以下のことをお願いした。

『今後も定期的に会ってくれること(最低でも月数回程度を希望)』

『警察に接触停止命令を解除してもらうこと』

『直接の連絡先を用意してくれること』

『水子供養に行ってくれること』

を提案した。

特に、twitterは直也さんに見てもらうために書いているという側面が大きいので、直接の連絡先を用意してくれればtwitterで何も発信することはしないということを強調した。

コレに対して直也さんから返信が来た。

以下全文である。

ご連絡および諸条件の検討ありがとうございました。

また、こちらからの返信が遅くなり大変ご迷惑をおかけしました。

まず、私が過去、●●さんにご迷惑をおかけしたことについてはこれまでと変わらず私は謝罪するつもりでおります。その前提も含め、直接の対話機会を設けることについて承知いたしました。

しかしながら、いただいた具体的ご要望については現時点では対応が難しいものもあります。また継続的な面会にあたっての目的については、双方の期待のずれがないようにしていきたいと思っています。

まずは一度直接面会の上、そのあたりについて相談させてください。

なるべく近い日程がよいかと思います、以下の候補いずれかでいかがでしょうか。

こちらは既に伊藤弁護士と調整を行いました。山本弁護士とご相談の上、ご検討ください。

6/27 () 19:00

6/28 () 任意の開始時間

6/29 () 任意の開始時間

なお、先日よりかほ里さんが諸々をインターネットに投稿されたことで、私も公私および体調面で大きな被害を被っております。この点についてはご理解いただき、こちらについて、●●さんにも誠実な対応を希望いたします。

また、今後ネットへの投稿そのほかが続く場合、ご要望に応じることはできかねます。その点も改めてご了承くださいませ。

よろしくお願いします。ご自愛ください。

2017 622日 伊藤直也

●●さんは私の名前。

この日程の中から弁護士さんと相談して、6月28日の16時に伊藤直也さんと会うことになった。

2017年6月7日 スラドに記事が載る

直也さんのセックス動画のキャプチャは、実は投稿して1時間もしないうちに削除していたのだが、その1時間の間にアーカイブを取った誰かがいたらしい。

私は取ってない。本当に。警察にマンションを囲まれてそんなところまで頭がまわらなかった。

このアーカイブを見たのであろう誰かが、スラドというサイトに伊藤直也さんの不倫の暴露記事を書いた。

この暴露記事は2chやツイッター、はてなブックマークに拡散されて広まった。

2017年6月2日 再び警察に連行される

5月30日に伊藤直也さんと話をし、カンファレンスやセミナーは聴きにきても良い、という話を確認したのに、その後伊藤弁護士から『そのような約束はない』『5月13日も接触禁止なのに勝手に来てしまっている』と文句を言われた。

相変わらず直也さんから聞く話と、伊藤弁護士の意見は食い違っていた。

そして直也さんはなぜかinstagramにたまご蒸しパンの画像を連投し始めた。

ファミマのたまご蒸しパンは直也さんの大好物である。私もその話は聞いていた。

直也さんは毎日毎日、賞味期限の表示の違うたまご蒸しパンを投稿し続けていた。

誰かに向けた生存確認だろうか?

意味が分からなかった。

いろいろ頭に来たので、私のアカウントでは直也さんの知り合いのアカウントはフォローしないようにしていたのだが、フォローする代わりに『リスト』に追加することにした。

このとき、私はリストを使ったことがなかったので、twitterのリストに追加すると相手に通知が行くと言うことを知らなかった。

そして、リストに追加しながらもう一度『直也さん本人から連絡下さい』と書いた。

私は知らなかったのだが、このとき直也さんは会社を早退して、伊藤弁護士、山本弁護士と麻布警察署に集結していた。これが6/2の18時ごろの話らしい。

リストに追加されたことで、事態が周知の物になってしまったからだろう。

そして私の母にも連絡が行った。

母は、私が荷物を実家に送り、家の整理をしようとしていると弁護士に言ったらしい。

これがどう勘違いされたのか、これらの情報が統合されて、『直也さんの情報を拡散する強硬手段を取った=私が今にも自殺しようとしているのではないか』と思われてしまったことだ。

確かに過去のtwitterには直也さんがいないと生きていても仕方がない、死にたい、という事を書いた。

でも、母に送った荷物は私が飲めないもらい物のコーヒーとかで、最近母が覚えたメルカリで売ってくれれば良いかなと思っただけなのだ。遺品の整理ではない。

しかし、どうやら麻布警察署に集結した彼らはこういった情報を統合して、私がこれから直也さんの情報をネットに拡散したあげく、自殺しようとしているという風に思ったようなのだ。

最初に家に来たのは母だった。

20時頃、インターホンのモニターに母がいるのを見て、そんなに事態が大事になっていると思っていない私はびっくりした。

そして、新潟に居るはずの母が居る=これは警察がらみである、と考えて扉を開けなかった。

母はしつこくチャイムを押していたがしばらくしてやんだ。

やはり警察が後からやってきたのだ。

インターホンのカメラで見ると、母と警察が『万が一の時は取り押さえますが良いですか』とか打ち合わせしている。また私は男数名に取り押さえられて痣だらけになるのか。勘弁してくれ。

そのやりとりを聞いて絶対に扉を開けるもんかと思った。

警察官もインターホン越しになにやら話をしてきた。

私が自殺するかも知れないとみんなが思っているので、安否確認で来たのだということだった。

「そうじゃなくて今度こそ逮捕するつもりなんでしょ?」

私はそう聞いたが、そうではなく、自殺予防の保護だと言うことを繰り返し念押しされた。

それでも扉を開けるわけには行かなかった。

私は扉を開けずに籠城していると、今度はマンションの下に覆面パトカーが集まりだした。

普段駐車禁止で、車など止まらない道路である。ベランダからマンションの下を覗くとハザードをたいたワゴン車やセダンが集まっていて不自然だった。

そのうちに母と、警察と、なぜか妹が来た。

不信感全開で私のストレスは最高潮だった。

こいつら私の家を取り囲んで、好き勝手話し込んで何をやっているんだ。

そして直也さん本人は一向に出てこない。

頭に来たのでもうどうにでもなれと思って、直也さんとのセックス画像のキャプチャをtwitterにあげた。


インターホンや携帯電話にじゃんじゃん連絡があって、とにかく扉を開けて欲しいということが言われたが、警察がいるなら開けない、と私は一点張りを通した。

そして、直也さんと直接話がしたいということを伝えた。直也さんと話が出来るなら扉を開けると。

最終的に直也さんから電話があった。22時ごろだっただろうか。

直也さんは最初、「こわかったね。大丈夫だった?」と優しい声を出した。

「みんな自殺するんじゃないかと思って心配しているんだよ。今マンションの下にいるよ。これから行くから扉を開けてくれる?」

「リストに追加したでしょ? あれって追加されると通知が行くんだよ。それで会社の人もみんな知っちゃったみたい。もう笑うしかないよ」

私の母や警察官がいる前だからだろう。わりと穏やかな声だった。

私は直也さんに言われても、警察が居るなら扉を開けない、と言った。

直也さんと話をするためなら出て行っても良いけれども、警察がいるなら行かない。

警察のいないところでなら話す。

それが条件だった。

「そうか、ちょっと待ってて」

そういって電話が切れて3時間が経った。

マンションの下では、直也さんと私の母、妹、そして伊藤弁護士、数人の警察官が集まって話をしているようだった。

そのうち、母が「トイレを貸して欲しい」とまたインターホンを押してきた。

その手には乗るか、というかコンビニがそのへんにあるからそこまで行ってくれ。

私はやはり扉を開けないでいた。

3時間がして、妹と何度か電話で話をして、最終的に警察抜きで話をするということで決着がついた。警察官無しで、直也さんと話をするが、直也さんと二人っきりにはさせられないので、母と妹もついてきた。

近隣に話が出来るようなファミレスがあれば良いが、石川台はそういう店はもう閉店しているので、仕方なく私の狭い家に4人をあげることになった。

まず私は別に死ぬ気はないという事を言った。

そして母に、「荷物送って自殺しようとしている、って言うけどもその荷物見たの?」

母いわく「見てない」

「見てないって…見てから言ってよ。コーヒーと使わない不用品とかそう言うのだよ。ママさん最近メルカリにはまってるっていうから」

そして直也さんとも話をした。

直也さんは私の布団の上に座って、妹と母が居る前でちゃんと、今度はちゃんと謝ってくれた。

「子供を中絶させたこと、警察に連れて行くときに怪我をさせてしまったこと、いろんな約束をやぶってしまったこと、本当に申し訳ないと思っています」

私とふたりで居るときには絶対この人は謝らないのだが他人がいると直也さんは外面が良い。

母と妹が居ることで直也さんはようやく謝ってくれた。

(※しかし、次回の面談でまた豹変して全然違うことを言われるのだが)

謝ってくれたのはわかったのだが、なぜ私と居るときにそれをちゃんと言ってくれなかったのか、6月までなんで引き延ばすようなことをしたのか、私はせめた。

妹と母は直也さんからの言い分しか聞いていないので、ふたりが居る前で、直也さんは『子供が出来たら責任を取る』と言っていて、避妊をしなかったことなどをちゃんと説明した。

しかし直也さんは「それは違う、避妊すると怒るから仕方なくやっていた」と言い、また平行線になった。

そもそも避妊するかしないか議論の前に、そういう雰囲気になると必ずゴムもせずに挿入して「ふたりのセックスはそういうもの」という雰囲気になっていた。

直也さんは「昔の彼女は1回も生でさせてくれなかった」と言い、生でするのをステータスだと思っている節があった。私も、昔はピルを飲んでいたし、仕事を辞めてピルを止めた後も妊娠しても直也さんが責任を取ってくれると思っていたから、避妊すると怒るとかそういう議論すらなかったのだ。

妹と母には、なぜ不倫を公開するブログを書いたのかと尋ねられた。

これは5月に、直也さんと喧嘩した後3週間着信拒否にされたことがあった。そのときに、喧嘩の内容やデートの内容を記録しておくものがあると良いと思って書き始めたのだ。直也さんは、こういう世間に公開するメディアという抑止力があることで、それ以来喧嘩しても着信拒否して逃げると言うことをしなくなった。

親の前でこんな話をするのもどうかと思ったが、とにかく揉めた。

そして直也さんが疲れてきた。

でも話は終わらなかった。なぜなら私の行動には全て「直也さんが●●したから、私もこうした」という理由があるからである。直也さんが私を否定すればするほど、直也さんの過去のどうしようもない行いが露見するのである。

話の途中で妹が突然立ち上がった。私はトイレにでも行くのかと思った。

そして次の瞬間、私の家に3人の警察官が勝手に上がり込んできて、私を取り囲んで腕や肩を押さえつけた。

妹が扉を開けて警察官を招き入れたらしい。

話が違う。私は、警察官がいないところで話をすると約束していたのに。

私は震えて泣き出した。前回の麻布警察署で怒鳴られ、何度も押さえつけられ、痣だらけになった記憶がよみがえった。本気で怖かった。

「連れて行かないで下さい、お願いします! やめてください! 直也さん助けて!!!」

私は泣いて懇願した。でもだめだった。

警察官に囲まれて震えて泣いている私に直也さんは手をさしのべようとしたが警察官が止めた。

「あなたは手を出さないで下さい」

そして私は両脇を警察官に捕まれて、無理矢理立たせられ、また靴も履かないで外に連れて行かれた。

靴と上着は母が持ち、私だけがパトカーに乗せられ、母・妹・直也さんは別のワゴンで麻布警察署に移動した。時刻は日付が変わって6/3の3時だった。

麻布警察署に行く途中に、最寄りの田園調布警察署に立ち寄った。

そこでまた小部屋に私だけが連れ込まれ、事情聴取された。

母と妹はついてきたが、直也さんは田園調布警察署で知らない間に帰ったらしい。

その後、母、妹、私で麻布警察署に連れて行かれ、また麻布警察署で小さい小部屋に3人詰め込まれ、怒鳴られたりした。

もうここからは何がなんだかわからなかった。

警察はどうやらこれから東京都のひまわりに連絡をとって、そこから紹介される精神病院に私は連れて行かれるらしい。

そこで診察を受け、入院の必要があればそのまま入院させられるのだと言われた。

そのひまわりが稼働するのが9時以降で、それまで小部屋のパイプ椅子の上に留め置かれた。

本も携帯電話も取り上げられ、何も暇つぶしをする物がない。

ひまわりに連絡が取れても、そこから病院が見つかるまで何時間かかるかわからない。

ずーっとパイプ椅子の上に座って、警察官の方が少し話し相手になってくれたりして、眠ることもせず、ずっと待った。

6/3の11時頃、ようやく私の行く精神病院が決まった。

麻布警察署に連れて行かれてからパイプ椅子の上で8時間待たされたあとだった。

精神病院は西東京にある山田病院というところらしかった。

警察の乗り心地最悪のワゴン車で、母と妹、そして私と3人乗せられて精神病院に行った。

診察はシンプルに問診だけだった。

女性ドクターは警察からたいした情報を受けていなかったらしく、直也さんに警察に引きずって行かれてからの顛末を話したら、素直に引いていたのが印象的だった。

出来事をありのままに説明して、今の心境も素直に伝えたところ、一旦席を外すように言われた。

その間に、妹や母、ついてきた警察官からもドクターに説明がなされ、しばしの後に診察室に戻された。

結果はわかりきっていたことであるが、私は精神疾患ではないという鑑定が下された。

これでもし暴れているのであれば入院して安定させるということも考えられるが、今は落ち着いているし、精神疾患的な問題はみられないのでこのまま帰れという鑑定だった。

これに対して警察や家族がどう思ったかはわからない。

西東京市まではるばる私たちを運んできた警察は、ご丁寧に私たちを石川台の家まで送ってくれた。

そして、「もう会わないように頼むよ」と言われて解放された。

家に戻って、妹はさっさと自宅に帰っていった。

その後母に新潟に帰る切符を買ってやり、足が悪いので東京駅に連れて行くことにした。

その途中で、私の家に警察官を呼び入れたのが母と妹だと言うことが告げられた。

そして、必要なら入院してもらおうと思っていたと母から言われた。

この母は、あんなに警察官がいるなら話さないと何度も言っていたのに、警察を呼び入れ、しかも娘を精神疾患だとして病院に入院させようとしていたのだ。

もう母親のことも妹のことも信用できなかった。

東京駅で私は母に切符を渡して、もう親でも子でもないから連絡してこないようにと伝えた。

母は黙って帰って行った。

2017年5月30日 直也さんと電話で話す

この間、弁護士さんといくつかのやりとりがあった。

しかし、伊藤弁護士から伝わってくる情報のいくつかは、5/13に直也さんと直接会って話した内容と食い違っていた。

例えば、あの日直也さんは、『セミナーやカンファレンスを聴きに来るだけなら構わない』と言っていた。

しかし、伊藤弁護士から届いたメールには『直也氏はそんな約束はしていない』という趣旨で書いてあった。

また、もう一点6月9日という日付、これは5月末で直也さんが退職して行方をくらまそうとしているのではないかと思われた。

伊藤直也さん夫妻の住んでいた麻布十番にあるマンション(パークアクシス南麻布801号室)が、5月末で解約された。これはネットに空室情報が出ていたのでかなり早くから情報は入手していた。

何度かマンションを見に行ったが、夜になっても電気がつかない日が多く、マンションにはすでに4月下旬から誰も住んでいないようだった。

これも私が6月まで待てない理由の一つだった。

これらの意見の食い違い、6月9日という長い空白期間で私の不信感がふくれあがってしまった。

とくに食い違いは、直也さんが伊藤弁護士にそう言わせているのか、それとも伊藤弁護士が勝手にそう言っているのか私には分からない。

だから直也さんと直接話をしなければならないと思った。

山本弁護士経由で直也さんにそのように伝えてもらっても、もともと私に対して否定的な山本弁護士のことだ、『直也さんと電話でも何でも良いから直接話したい』と言っても『やめておきなさい』と言われるだけである。

だから私はこのことを直也さんに直接伝えなくてはならない。

私は @naoyasan_e のtwitterに直也さんから直接連絡をくれるように書いた。

『弁護士と直也さんの間で言っていることが違う、直也さんから直接連絡下さい。』

すると多少揉めたが、直也さんから電話してもらうことが出来た。

電話では、直也さんは6月で退職して行方をくらますつもりはないということ、6月9日は弁護士さんの都合で決まった日程であり、時間稼ぎの意図はないと言うこと。そして直也さんは『セミナーやカンファレンスを聴きに来るのは構わない』という意見は変わらない、という話をした。

内容は納得できる物ではなかったが、とりあえず電話が来たのでこのときは溜飲を下ろし、一旦おとなしくこの日は終了した。

2017年5月13日 岡山のセミナー#OSOに行き、直也さんに抱きしめて撫でてもらう

伊藤直也さんは3月11日のCodeIQ感謝祭以来、セミナー関連に出演しなくなった。

しかし、このイベントだけは以前から頼まれていたのか、出演が決まっていた。

岡山まで行けば直也さんに会うことが出来る。

私は前日の金曜日の夜の高速バスを予約し、岡山へ向かった。

ちょうどその金曜日は私の配属部署の歓迎会があった。

この夜行バスに乗るために一次会で退席しなければならなかったのだが、このせいで「歓迎される側なのに一次会で帰るなんて」と陰口を言われることになる。

歓迎会の日程調整を聞いてくれればこんな金曜日を選ばなかったのだが、私の配属部署は歓迎される側の新人には日程の調整権利がない。主役の予定を聞かない歓迎会なんてどういうことかと思うが、旧態依然として年功序列がまかり通っている看護師業界では、先輩方が何よりも優先で何よりも正義、そんなものらしい。

ちなみにこの際だから名前を出すが五反田のNTT東日本関東病院の部署はICUだ。この病院は上層部が他病院や、他業種・他業界を知らない生え抜きばかりが採用されており、組織管理がかなりやばい。

患者としてかかる分には良いが就職するのはおすすめしない。

関係無い私の事情はさておき、そんなわけで金曜日の夜に五反田からタクシーに乗って東京駅まで多きそぎで移動して岡山行きの高速バスに飛び乗った。

10時間バスに乗って到着した岡山駅はさっぱりとした作りでわかりやすかった。

バスは午前中に到着し、セミナーの開始まで1時間ほどあった。その間に私は化粧をして身なりを整えて、会場に向かった。

最前列で直也さんをみて、ちょっとびっくりさせて、そのまま帰ろうと思っていたのだが、私は直也さんにもうすぐ会える喜びでtwitterに書き込みをしてしまった。

#OSO のハッシュタグをつけて、直也さんに会いに来ました、と書いた。

直也さんの出番は午後だった。ランチのあと、2つめの演目だ。

昼休憩で私は岡山駅の外に出た。直也さんを知っている人がいたら話しかけようかと思ったが、周囲が皆男性ばかりで、フリルのスカート姿で来た私は完全に浮いてしまっていて、仕方なくひとりで岡山市街を探索した。

何かサックリ食べられるご当地グルメでもあればと思ったが、岡山駅近辺にはそのようなものがなく、駅前のドンキホーテまで行ってグミを何個か買ってそのまま帰ってくると、なんと会場の入り口に伊藤直也さんが居た。

「何しに来たの?」開口一番、直也さんはそういった。

私はひるんでしどろもどろになった。直也さんが直接出てくると思わなかったからだ。

接近停止命令を破ったことで、今度こそ警察に逮捕されるかも知れない。

「何しにって、講演を聴きに来たの」

「聴きに来ただけ?」

「そうだよ」

「本当に?」

「本当だよ! というか私が何をすると思ってるの!?」

「知らないよwww」

直也さんは案外ニコニコしていた。

会場の控え室に入ったら、OSOの運営の人から『twitter見てたんですけど直也さんの知り合いの人が来ているみたいですよ』と言われ、確認したら私のアカウントだとわかり、大急ぎで探しに出てきたのだという。

「講演まで時間があるから喫茶店に入ろう」

そういって、会場に併設されているケーキなんかが出る喫茶店にふたりで入った。

「財布控え室に置いて来ちゃった。あとで払うよ」

「いいよ、そのくらい」

そういって私が紅茶、直也さんがコーヒーといつもどおりのメニューを注文して、席に着いた。

喫茶店ではふたりきりで久しぶりに話が出来た。幸せだった。

内容は、私がずっとbot化してお手紙を読ませ続けている @naoyasa_e のtwitterを、最初はほほえましく読んでいたが、後半悲しいツイートが多くなって読んでいて辛くなってきたこと、私が日枝神社に毎日絵馬をかけに行っており、絵馬が大量になってきていること。その絵馬が誰かに写メを撮られ、twitterで拡散されたこと。

絵馬に関しては面白い話があった。

私は最初、「直也さんともう一度会えますように」と書いた絵馬を、神社内の絵馬掛け所ではなく、社中の様々な木にひっかけていた。だから神社内のあちこちの木に、伊藤直也と私の名前が書かれた絵馬が散らばっていたことになる。

これがある日、神社の奥の稲荷殿前の絵馬掛け所に集められていた。

私はこれは神社の人が、あちこちに絵馬が散っているから集めて掛けたのだろうと思っていた。

しかし、これをかき集めて一箇所にまとめたのはなんと直也さん本人だったらしい。

「いや、びっくりしたよ。会社の部下が、木に掛かってる絵馬を写メとってきて『これ直也さんでしょ~』って言うんだよ。で、見に行ったらいろんなところにかかってるじゃない? あちこちに。で、全部回収して、どうしようかと思ったけど、一応神様にあがっているものだし、捨てるわけにも行かないし、絵馬掛け所にまとめておいた」

私はというと、直也さんが何枚も書いた私の絵馬をそこの一箇所にまとめたせいで、稲荷殿前の絵馬掛け所がまるで私専用みたいになってしまっていたので、『今後はここに掛け続けたら良いのかな』と思い、どんどん絵馬を増やしていた。

そして絵馬掛け所の1/3が伊藤直也さんのことで埋まったところで、ゴールデンウィークに誰かが写真を撮ってインターネットに流すという事態になってしまった。

あちこちに散らばったままにしておけばよいものを、こうして一箇所にまとめて周囲の目を集めてしまったせいで拡散されることになってしまったのである。

絵馬を一箇所にあつめた直也さんにも責任があるというものだろう。

ちなみにこの絵馬画像は「伊藤直也 絵馬」とかで検索すると出てくる。

そんな話をして、とにかく楽しく和気藹々と喫茶店では過ごした。

直也さんも、「久しぶりにあえて嬉しいよ」と言っていた。

そして、「弁護士さん経由で伝えてもらって、こういうセミナーやカンファレンスを聴きに来るだけなら全然構わないよ」とも言っていた。

しかし、今後の交渉のことになると言葉を濁した。

「ここで何かを話しても証拠が残らないし、それは6月9日に弁護士さんを交えて伝えるから」

6月9日まで待てないから私はこうして岡山まで来たのだ。

6月まで引き延ばすことに何か意図はあるのか。6月まで引き延ばして、直也さんは5月末で一休を退職して行方をくらまそうとしているのではないのか? 私はそう勘ぐった。

セミナーを最前列で見たい、という希望は却下された。

「いつも通りの講演が出来なくなる。仕事に支障が出るから、見ても良いけど後ろの方にして」

私は食い下がったが、「俺は仕事しが能がない人間なんだよ。たのむよ」

と言われ、分かったとしか言うことが出来なかった。

開始時間だから行くね、と席を立った。私がお会計をした。

「直也さん、だっこして」

そう言うと直也さんは、周囲を見渡して、建物の影に入った。私も一緒に入った。

そこで、ぎゅっと抱きしめてくれた。泣きそうになると、頭を撫でてくれた。

暑かったので数秒だったが本当に幸せだった。直也さんに触ることが出来た。

「もう行くね」

「うん 頑張ってきて」

直也さんは先に会場に向かい、私は見られないように時間差で客席に入った。

直也さんは開始時間前から壇上に立ち、私が後ろのほうの席に座るか確認していた。私は席を探してうろうろして、後ろの方の目立たない席に座ると、壇上から「うんうん」と頷いた。

結局私は後ろの方の席で、直也さんの講演を録音しながら聞いていた。

帰り道のバスの中で、直也さんの声を聞きながら帰れるからだ。

講演の出来や内容は、ネット上に公開されているので見てもらったら良いと思うが、程よく笑いも取れていて、内容もIT業界の方達に非常に共感できるもので評価が高いようだった。

直也さんのスライドが後日、ネットにアップされると案の定、twitter上ではバズっていた。

直也さんは昔から、自分の記事がバズると、デート中でも携帯を出して「今バズってんだよ」と言ってニコニコ嬉しそうにしていた。(こういうところが承認欲求モンスターだと思う)

私は今回その顔は見られなかったが、きっとこのときも直也さんはホクホクと喜んでいただろうと思う。

講演が終わって、私は直也さんに言ったとおりそのまま会場を後にした。

後半の講演も聴いてみたかったが、直也さんが会場から飛び出してきて、私を岡山駅まで送っていった。

有無を言わさず会場から立ち去れと言うことなのだろう。

わりと和やかな雰囲気のまま岡山駅まで私は見送ってもらった。直也さんは荷物を控え室に置いてきていたようで、手には飲みかけの爽健美茶のペットボトル一本だけを持っていた。

岡山駅について別れるとき、私は直也さんにその飲みかけのペットボトルをくれるように頼んだ。

そうすると、直也さんは「ほんと変態だな」と笑いながら渡してくれた。

あとは特に何もない。私はそのまま穏やかな気分で岡山から帰ってきて、しばらくはおとなしくしていた。

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