字数が収まりきらないので続きは植民地朝鮮の実情を記した当時の記事(2)
朝鮮関連では「京城日報」がよく出てくるが、これは朝鮮総督府の機関紙である。
なお朝鮮は植民地ではない、という主張については過去エントリ日韓併合は植民地支配ではなかった、というウソ参照

やまと新聞 1912.6.21-1912.7.4(明治45)
朝鮮半島見聞記 (一~十)
雲客外史

(三)
労働能力と賃銀
鮮人が、労働者として、如何なる能力を有するやは、充分研究を要する問題なり、蓋し、事に当って従順なるは、其特兆とすべきも、臨機応変の才、統一的能力に就ては欠くる処多きが如し、京城淹留の日、東亜煙草株式会社の工場を観る。一事務長は、自己の監督せる数百の労働者に就て、其経験を語る、曰く、「当工場に於ては、日鮮人を混淆して、使役して居りますが、朝鮮人は統一的の能力がありませんから、監督の地位に置くことが出来ません、又主動的に物を工夫すると云う様な考及び臨機応変の才が欠けて居ますから、仕事を云い付ければ、其命ぜられた事丈けを行って、途中で障害が起っても工夫して其場を切り抜ける事が出来ません、でありますから改良発案と云う様なことは、夢にも望まれません、根が安逸本位の国民でありますから監督が見て居なければ、油を売る、少しも目を離されません、又少年少女の労働者も使役して居りますが、年齢は十二三歳から十五六歳までで、日給は二十銭から四十五六銭の間であります、之れも目に文字が乏しいのと、頭の働きの鈍いのとで云い付けた仕事しか出来ません、併し鮮人労働者の特兆は従順の点のありますから監督さえしてやれば、相当に用いられます」と、以て其一端を窺うに足るべし。 
次に労働賃銀は、これを在鮮邦人に比すれば、一般に低廉にして、同職業に於て四五十銭乃至七八十銭の安値なるが如し、去三月総督府の調査によれば、邦人一日の賃銀に比し大工石工五十銭、木挽八十銭、煉瓦職五十銭、表具師四十銭、車夫三十五銭、人夫四十銭何れも低廉なるを見る、即ち次の如し。 

[図表あり 省略] 

斯く、日鮮両労働者の間に賃銀の差違を生じたるは、上記の如く能力に於て日人に及ばざるものあるに由ると雖も、第二の原因として数うべきは、生活標凖を異にする点に存するが如し、即ち、日本の労働者は、文化の度遥に高きが故に、衣食住に対する慾望も、複雑且高尚なれども、鮮人は之れに反し、単純卑近なる生活に甘じ得ると共に、低廉なる賃銀も、尚能く糊口を支うるに足る、是れ学者の所謂「生活最低限度」を異にするものなり。鮮人の労働賃銀は、斯の如く低廉に、其特性は従順なり、工業に農業に、以て其労力を利用すべし、頃者、人力車夫の如き、特殊の技能を要せざるものは、賃銀の低廉なるより、鮮人を用うる傾向ありと、其将来軽視すべからずと云うべし。 


(十)
最後の苦言甘言
 鮮人同化非同化の問題は、日韓併合当時よりの案件なるが、半島を廻りて今尚聞く処のものは、同化難の嘆声なり、「トテモ駄目ですよ、朝鮮人程度し難いものは無い、風俗も改めず、習慣も変更せず、如何に協同一致の歩調を取ろうと思っても到底不可能です」と某有識は語る、鮮人風化の難き、或は某の言の如くならんと雖も、同化の業や、蓋し百年の大業にして、一朝にして能くすべからず、露の波蘭に於ける、独のアルサス、ローレーンに於ける、其阪囲を併せたる以来、幾年を経過したる、而して現勢は、如何の状態ぞや、三千年の歴史を有する鮮人の風俗習慣、一朝にして変改すべからざる宜なりと云うべし。 
 外国宣教師中、口に民生の陶冶を唱え、心に半島政治を毀害せんとするものあるは、前既に述べたるが、日本の宗教家も、其意気地なきと其人格の卑陋なるに至ては、言語に絶す、将来人物の内容を改善すると共に、相当の人格あるものを派遣するは、我国宗教の体面を維持するのみならず、布教政策上最も肝要なるべし、今日の如く、纔かに酒と煙草とを用いざる小善人のみを派遣せんか、遂に何等の功績をも立て得ずして却て外国宣教師の嗤笑を招くに至らん。 
 一日京城を去って新義州に入る、彼の鴨緑江は、雄大にして滾々たり、其上に架せる長橋を渡って安東県に抵る、満洲の山河は、之より限りなく眼前に展開し、幾万の人口を収容するも、毫も其狭きを感ぜざるが如し、年々五十万の人口増加と、米価物価の騰貴に苦しむ内地の同胞を此天地に移さば、一には人口問題を解決し、二には満洲の荒野を開拓し得ベく、所謂一挙両得ならんか。 
 鮮人虐めの声は、久しく伝え聞く処なるが、今尚此弊風は改められざるが如し、友人と共に京城電車に乗る、車掌と運転手は皆鮮人なり、隣席に居合せたる一日本人は、頻りにプカプカと葉巻を燻らし居たるが、例の車掌はツカツカと進み来り、室内禁煙の由を告げたれども、倣然として之に応ぜざりき。此は単に一例に過ぎざれども、大国民として取るべき態度にあらず、かかる事は最も注意を要す。予は足初めて鮮地を踏み、其見聞に就き、感じたること此の如し、茲に大方の清覧を汚したるを謝す。(完) 

東京日日新聞 1912.12.10-1912.12.17(大正1)
朝鮮政治 (一~七)
桐島生
 
(七)
新聞退治
・・・これ即ち総監部武断政治の端緒にして言論の圧迫特に最も戦慄すべしとなす、彼等は朝鮮中の新聞紙を圧迫し、従わざるものは其の発行を禁止し根柢の薄弱なるものは御用紙をして買収せしめ、毒にも薬にもならぬものをばワザと存在せしめて公平を衒い、其実姦殺の情態に彷徨せしむ、日本内地の新聞特に大阪の二大新聞の入鮮を防がんとして今度は御用紙の売捌人をして種々の策を運らさしむる等殆ど至らざる所なし、試みに一二の例を示さんか、某新聞が明治天皇崩御の際郡長共を勧誘し「謹んで弔意を表す」という広告を出さしめたるに対し広告勧誘手段に不都合の廉ありとて其発行を停止せし事あり、紙上に掲げたる記事又は広告文にして治安妨害或は風俗紊乱の嫌いありとならば兎も角も、広告勧誘手段に不都合の廉ありとて新聞紙の発行停止を命ずるは没常識ならずや、群山には株主中に党派あるがために発行を禁止されたる新聞紙あり紙上の議論又は記事のために発行禁止又は停止を食いし新聞はあらんも株主間に論争ありとの理由にて禁止又は停止に遇いたるも稀なるべし、此他何人の出願なるに拘わらず京城に於て新たに新聞紙を発行する事を絶対に許さざる、現に朝鮮の各地に於て発行しつつある新聞社を京城に移す事を許さざる等其行為の非立憲なる一々挙げて数うべからず、勿論彼等は単に御用紙を保護せんために此等の非行を敢てするにあらざるべし必ず他に相当の理由ありてなるべしと雖も、言論圧迫の便を知りてこれより生ずる恐るべき弊害を見る能わず、人民をして危惧恐怖の念に堪えざらしむるの、政治の要道に照して最も危殆なるを識らざるは憐れむべき也、余は言論圧迫より生ずる恐るべき弊害、険悪なる傾向に就て総督の注意を喚起するに吝ならざれども今や政局多事にして静かに筆を執るの余裕なし、茲に於てか一端擱筆し他の東拓問題、朝銀問題、居留民団問題、裁判制度、会社令の影響等と共に必ず後日を期せんとす。(完) 
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00472182&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1

東京朝日新聞 1913.6.22(大正2)
朝鮮の新聞政策

朝鮮総督府現時の新聞政策は、其の管内に御用新聞のみを発行せしめ、中立若くは総督府に反対する新聞を存在せしめざる方針なりと謂うも不可あるとなし。
日韓併合後に於て、朝鮮総督は、第一に中立若くは反対新聞の多くを買収して之を廃刊し、第二に其の買収に応せざる新聞に対して、発刊を禁止し、第三に御用新聞の改革を行うて、之をして単純なる総督謳歌機関と化せしめたり
今や京城、釜山、仁川、平壌、群山等朝鮮の重要なる都市に発行せる新聞紙中には、総督及び総督府の官吏を謳歌し、新聞紙本来の天職を全うせざる者少からず。而して朝鮮の新聞紙規則は、内地の新聞紙に関する法令と異なりて、一種厳酷なる規定を有し、新聞紙を発行せんと欲する者は、官庁の認可を受くるを要し、又治安を妨害したる者は、内地の如く裁判の判決を待たず、行政処分を以て、其の発行を禁止し得るが故に、総督府は新に新聞紙を発行せんとする者に対して、容易に認可を与えず、又自家に不利なりと信ずる新聞紙に対しては、其特権を濫用して発行を禁止し、管内の新聞紙は一に総督を謳歌する機関のみとなせり。然れども此の如き政策は、吾人が殖民地の発展の為めに取らざる所なり。
抑新聞紙が社会の文化を助長して、国運の発展に貢献する所以のものは、独立の地位に立ちて、公平の意見を述べ、読者をして信じて其の説に従わしむるが故なり。初めより偏頗なる御用新聞として之を発行し、半島の人民皆之を目して、総督府の機関となす時は、其の議論は些毫の権威を有せず、読者亦其の公平無私を信じざる可し。
特に此の半島の新聞紙が悉く総督府の御用機関となりて、単に之を謳歌するを以て職分となし、毫も其の非行欠点を挙げざるに於ては、只さえ専横に傾かんとせる総督政治は、一層専横に流れ、只さえ腐敗に陥らんとする殖民地の官吏は、憚る所なく腐敗に向うべし。古人曰く、他山の石以て玉を磨く可しと。阿媚追従を事とする御用新聞を以て、総督政治を磨蠣せんことは、思いも寄らざることにして、朝鮮に一の公平なる独立の新聞紙なきは、此殖民地の大なる不幸と謂わざる可らず。
全体朝鮮総督府の新聞政策は、武断専政主義を発揮したる者にして、耳を掩いて鈴を盗むの類なり。寺内総督及び総督府の大小官吏が其御用新聞の常に彼等を謳歌するを見て、意驕り気弛める間に、殖民地の不幸なる事情は、あらゆる方面に進行すべし。且朝鮮半島の新聞紙が悉く御用機関となり、中立若くは反対の新聞紙なくんば、何を以て人民の総督政府に対する不平を発露するを得んや。人民の不平を公に発露する能わずして、総督府の専横と腐敗が、年を追うて其の多大を来さんには、半島の空気は勢い陰険なる呑と化せざるを得ず。近年此半島に種々の険悪なる陰謀の行わるる者、其の原因索より一二に止まらざるべしと雖も、総督府が新聞策を誤りたる者、或は其の重大なる一因なるべし。文明の諸国に於て、議会を設け、新聞紙の発行を許可し、言論の自由を認めて、国民の思う所を発表せしむるは、畢竟之が安全弁に外ならず。若し朝鮮総督府にして種種の陰謀を防止し、管下の険悪なる思想の潮流を緩和せんと欲せば、其手段の一として新聞政策を改むるの必要あるべし。少くも其の新聞紙規則を内地と同様の自由なる者として、中立若くは反対の新聞と雖も、之が発行を許可し、猥りに其の発行を禁止す可らず。是れ日本が真に文明国たるを証する所以にして、其の理に於て正しく、其の実際の政策としても、最も緊要なる者なり。

福岡日日新聞 1913.8.16-1913.8.19(大正2)
朝鮮視察談 (一~三)
大阪毎日社長 本山彦一氏

朝鮮人中には我統監政治に就いて反対のものが多い彼等は所謂排日の思想を抱いて居たのである、此思想を有せるものは儒生とか両斑と云って祖先伝来文武の官吏となる資格のあったもの又は近来の基督教信者等である彼等は今では何がの隙があったら朝鮮人を煽動して事を挙げようと考えて居るから警察制度も決して等閑に附せられない是又亡国に際し一片の忠義心の存するにも依るべく大に考慮すべき事なり。

大阪毎日新聞 1914.12.25-1914.12.26(大正3)
朝鮮増税苦痛 (上・下)
十二月二十二日在京城 皐天生

(上)
昨今の朝鮮経済界は十数年来稀有の不況不振に沈淪せり此不景気は世界的影響に依ること勿論なりと雖も米価の大低落は有力なる源因なりとす、然るに本月は徴税期に際し今春囂々たる非難を排して決行したる地租増徴の新税率を実施し其納税期は制令を以て第一期を十二月、第二期を二月と布告せられたるに拘らず財政当局は徴税の便宜上一期二期分を通じて本月一度に徴収に着手したるを以て農民の困憊窮迫実に悲惨を極むるものあり黄海道の趙道長官は徴収困難にて本月内に約半分位ならんと云い其部下の財務当局は漸くして三分の二位ならんと語り増税の主唱者なりと自称せる忠南の朴道長官は各郡を巡回して徴税の督励に寧日なき有様に徴するも如何に徴税に多大の困難を感じつつあるかを想察せらる 
試みに農業上の施設最も進歩したる全北における農家経済の統計を見るに監益水利組合区域内の収穫は平均反当籾二石にして小作料は折半法なれば地主の収得は一石此価格四円として之に対する支出は水利組合水税二円二十銭地税及附加税金約一円合計三円二十銭を要し差引八十銭の利益に過ぎず更に小作人に就て見るに収穫一石四円より肥料代約一円を差引き三円を存す一戸の小作面積一町歩とせんか総所得三十円に過ぎず全北の例を以て各道を律する訳に行かざるは勿論なりと雖も米価余りに安きが故に農民は多少の米穀を擁するも金融の途なく其窮状に大差なきは各道同一也 
総督府が増税の断行に籾一石の相場を七円と見做し決定したる当時に比し未だ一年ならずして以上の如く半額若くは半額以下に低落したるは当局の一大違算にして不明の誹を遁るるに由なし然るに総督府は増税成績の不良を掩わんが為めに極力徴税に鋭意せる結果地方郡吏は農民の窮迫に同情しつつも中央よりの厳命に余儀なくせられ可燐農民は暴政の犠牲となりて苛重なる納税の為めに土地を売り家屋を売り家財家畜を売り或は公売処分に附せらるるに居たるもの頻々たり、黄海道海州郡の一農民は五円七十銭の租税を納めんが為めに今春四十九円にて購入したる畜牛を市場に放売し僅に十二円を得て納税を了し余す所実に六円三十銭なりしという昨今地方到る所に斯の如き事実頗る多し豈悲惨ならずや 
今や地価暴落して昨年の半値となり小農唯一の財産たる畜牛又三分の二若くは半額に低落せり鉄道水運の便なき地方は運搬費寧ろ米価よりも高く売らんと欲するも売る能わず金融杜絶し納税資金すら調達出来ざる有様にて困難名状すべからざるものあり、斯くして数年来総督府が産業の開発振興に鋭意苦心し指導奨励したる当局の恩恵も此の非常事変に際会し一朝にして水泡に帰せんとし地方随所に怨嗟の声鬱積しつつあるを見る最近黄海道の黄州郡に於ける小作人暴動の如き好例証にあらずや、借問す寺内内総督は果して此の悲惨なる実状を詳知するや否や 

大阪朝日新聞 1916.10.20(大正5)
更迭せる朝鮮総督 [社説]

吾人は寺内伯を以て今日の内閣組織者として不適当なりとするが如く、長谷川子も亦朝鮮総督として不適当なりと断ずる者なり。朝鮮併合当時最も憂慮されたる日鮮人の調和は、其後順境に進み、総督府始政より茲に六年、朝鮮は頗る平穏なり。併合の初め寺内伯は枕を高うして眠むる能わず、朝鮮人の背叛を憂慮し、明石警務総長を煩わして、殆んど戒厳令に近き滑稽極まる警備を敷けり。而も案外に朝鮮人は併合の天命を知り、又彼等は案外に柔順にして聖恩の深きに感じ、寺内伯の物々しき警戒を以て手持無沙汰の観あらしめ、益日鮮人の親密を加えんとす。寺内伯は初め其軍隊式政策を以て一は鮮人を威嚇し、一は鮮人を苦しむる所謂内地人の不逞の徒を圧迫せんとしたり。而も寺内伯の行動は中庸を失し、極端に走りしが為め、折角保護せられたる朝鮮人も、有難迷惑を感じ、一方圧迫せられたる内地人の不平は非常なるものありき。加之ならず、寺内伯は正々堂々の政を行うに言論を圧迫せりと云わんよりも、寧ろ言論の途を杜塞し、新聞記者の強硬なる者は、其行動を妨害し、軟弱なる者は直に懐柔し、遂に朝鮮の実状を広く社会に知らしめざるに至り、人をして恰も寺内伯の朝鮮なるかの感を抱かしめき。成程伯は言論を圧迫したる結果として自己の欲するままを施すに於て便宜多く、面倒なる手数を省き得たらん、又自己に媚ぶる者のみを採用して、益総督の威を振うに妙なりしならんも、実際に見て、之れが為めに、朝鮮、朝鮮人、及び内地人の受けたる損害は計り知るべからず。宜なるかな、今回の内閣組織に関し、在鮮者は声を一にして其本国政界の為めに弔するも、朝鮮の為めには以て大に慶すべしと為し、一人として其留任を望む者なき事や。過去六年に於ける伯の勤勉は之を認むべきも、勤勉なる総督は豈独り伯のみならんや。又聖徳国威の輝きを後ろにして八道に臨む、苟も普通行政の才あるものにして、豈伯に劣るものあらんや。されば六年間の伯は軍人警察の弊害を残し一般の進歩を妨害したる以上に、何等効績の特記すべきなし。而して今や伯に代うるに長谷川元帥を以てす。一旦伯の去るを聞いて喜べる在鮮者は、恐らく再び失望の歎を禁ぜざるべし。元帥の戦陣に於ける勇名は、人或は之を知る。又日露戦後朝鮮駐屯軍司令官として威名ありしも、人之を知る。而も是れ今の李太王が奸策を弄したる時に於て、彼れを威嚇するに林公使よりも都合好かりし一事を除きては、何ものもなく、而して今日其雄武を平和なる朝鮮に施して将如何の効果あるべき。元帥は伊藤公統監時代公に親炙したるも、果して公の統治の精神を体得したるやは疑わし。左れば今回の任命も只寺内前総督の方針を襲套して改めず、只伯の命のままに其方針を執るに過ぎざるべければ、吾人は朝鮮の施政に於て何等改善を期待し得ざるを恐る。元来寺内長谷川何れにしても泰平なる領土内に於て、台鮮を通じて依然軍人を総督とし、文官を採用せざるが大間違なり。軍人は外敵内乱を撃破討伐すれば其任務完し。若し彼等にして文官総督の命を奉じ難しなど云わば、是れ彼等が国政を私するものにして、決して国に忠実なりと謂うべからず。新領土の併合又は獲得は時に軍隊の力に待つも、之を治むるは産業の発展と共に文官の行政に待たざるべからず。故に吾人は主義に於て先ず武官総督の継続に反対す。長谷川総督が寺伯の傀儡に過ぎず、又行政の才幹見るべきものなくば、是只員に備わりて従来の余毒を持続するに過ぎず、其成績知るべきのみ。切めて山県政務総監をして有為ならしめ、或は他の適任者と交替せしめ、元帥が万事を政務総監に委任するに於ては、稍々今日の諸弊を除き得るの機会あるべきも、元老復活の今日に於て山県総監を動かすは、到底不可能なるべく、結局現状持続の外なかるべし。而も寺内伯は悪政は悪政なりしも、一方風紀の振粛に力めたり。長谷川総督が悪政の持続に加うるに一朝風紀の弛緩を誘致せば、朝鮮は更に現状よりも弊害多からん。斯の如く元老跋扈の弊は遠く朝鮮にも及ぶ、其源濁って其末流の澄む道理なし。吾人は朝鮮施政の前途を思うて、茲に又更に現内閣存立の無意義を断ぜざるを得ず。
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大阪朝日新聞 1918.6.20(大正7)
現内閣の殖民政治

内地にて内閣組織一年祝を為したる寺内伯は、朝鮮に於ても統治五年祝を為したることあり。実は日清戦争より加算せざるべからざるも、寺内伯は五年祝賀会を開きたり。見懸けに寄らぬ児戯的お祭りを為し、人は其何の為なかるを知らず。若し治績を言わば、単に治安を維持したるのみにて、経済的発展に於ては頗る遅々たり。斯くて内地人も朝鮮人も総督政治に不満を抱き、総督府官吏すら之を非議するものあるも、唯寺内伯の権威に怖れ、敢て之を仰議せず、空しく其の日を送るのみにて、有名なる会社令なども、自然的経済発展を妨げつつ其儘となり居れり。今は此政策を推拡して、一切の植民地に及ぼさんとす。是れ現内閣の植民政策たり。又他に統一を期したるは、言論取締のみ。植民地の内地と同一ならざるは、何人も之を知る。故に、言論取締りも或る程度に於て必要なるも、今日の如く一切の言論を御用的とし、又内地への通信を禁圧し、植民地の住民をして自由の空気を吸わしむる能わざるのみか、内地人をして植民地の実際の事情を知るに難からしむ。言論機関は、文明の統治上欠くべからざるものにて、植民地に於ても或る程度に之を解放し、自由批評を許さば、其の啓発する所多く、腐敗防御ともなるべし。然るに現内閣は此の言論取締りを一層厳重にし、内部の情弊を隠蔽し、悪事を助長し、植民地を挙げて朝鮮式たらしめんとするのみ。又他に統一せられたるは、寺内伯若くは朝鮮総督府に縁故あるものをして、台湾にも、山東にも、乃至満洲にも任官せしめたることなり。
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京都日出新聞 1919.2.1(大正8)
民族主義と朝鮮統治 (上)

文明の程度低く、多年暴政に悲泣し来った朝鮮民族が、彼の日韓併合によりて、我国の統治下に立つに及んでは、始めて良く文明生活の恩恵に浴し得るに至ったのであるが、而も彼等の間に強烈なる排日思想の牢固として抜く可らざるものあるは、抑如何なる原因に基くのであろうか朝鮮民族の排日思想乃至感情が其歴史的感情に基くものなる事は疑いを容るる余地がないが、他面に於て其幾分は統治上の失当欠陥に責を負わしめねばならない。而して鮮民族が、併合によって独立国民たるの地位を失いたりと云う単純なる歴史的回顧によりて、頑迷なる排日感情を抱くに至った事は、啻に鮮民族に付いて之を見るのみならず、世界植民史上に於て屡々相似の実例を認むる所であって、蓋し止むを得ざる所である。此種の主情的思想は、鮮人の我国に対する正当なる了解と、健全なる同化政策の力とに相俟って之を除去するの外に途はない、唯排日の原因が、鮮民の歴史的感情以外、統治上の欠陥に存するものなりとすれば、大事の発せらるるに先って十分に之を改善するの方途に出でねばならないのである。而して統治上の欠陥とは、畢竟現総督政治の武断的官僚万能主義を意味するに外ならないが、此主義はやがて又、鮮人に対する極度の圧制政治を所産して居る。杉本正幸氏は其箸「最近の支那と満鮮」中に於て、総督政治の欠陥を指摘し、「官有地の地籍を実地に踏査する場合など、少しく陳述に不審な点があるとすぐ没収して仕舞う。如何な鮮人でも悲憤に堪えないではないか(中略)道路を開通する場合などでも、公共の為めだと云うて余り入りもしない所まで召し上げる事もある。現に私は中清北道で軽便鉄道を敷設せんが為めに、総督の許可を得た以外に徴収してある事も聞いた(中略)極端な事例を挙げ来れば、実に数限りもない程あるが、要するに弱者だ、是位の強圧を加えても、大韓時代よりは彼等にとって幸福でないかと云う、観念が総督には微塵もないが、下級官吏殊に憲兵などに潜在して居る様に見受ける。一事が万事総て此筆法で行くのである。(中略)鮮地に於ける行政の弊害は、また制度の不備なのに因っても生ずる。即ち各道長官は内地の如うに警察権を持たぬ。警察権は中央警務総監に属し、各道に警務部長を置いて長官と対立させて居る。其結果互いに反目嫉視して時に扞格不統一を免れない。(下略)と述べて居るのであるが、此記述によって見ても、朝鮮現在の政治が決して善政と称し難いのは略窺知し得るのである。総督政治の武断的官僚万能主義たる事は、独り鮮人に対して然るのみならず、内地人に対しても同様なのである。権利自由とを享有し得たる内地人と雖も、一度朝鮮に移住する場合には、最早極端なる約束と干渉との下に立つ一平民たるに過ぎない。言論結社の自由は一切認められず、人民の生命たる参政権も附与せらるる事なく、口を篏し筆を奪って殆んど自由を認めないのである。然しながら此の如き統治方針が、果して良く将来の発展的機運に適合しえるであろうか。吾輩は世界の気趨たる民族主義の確立を連想して、甚だ寒心に挙えないのである。(樅堂) 

大阪朝日新聞 1919.3.8 (大正8)
朝鮮の騒擾
朝鮮人は民族永遠の幸福を熟察するを要す

 去る一日京城に勃発したる鮮人の騒擾は、不逞の徒に絶えざる煽動と無辜の鮮人が事の真相を知らざるとにより、其後各地に蔓延し、南は鎮南浦より北は咸興元山に至るまで所在官憲と暴徒との衝突あり、鮮人の殺傷せられたるもの既に数十、官憲側に於ても政地成川憲兵隊長の重傷後死亡せるを初め暴徒の手に殪れたるもの数名あるを伝う、日韓併合以来既に十年、皇沢年と共に十三道に洽く、庶政の刷新改善と連れて、独り生命財産の安固のみと曰わず、一千万鮮人の幸福の著るしく増進せられたる今日、突如斯の如き不祥の報の伝えらるるあるは、大にしては国家のため、小にしては鮮人永遠のため、吾人の痛嘆措く能わざる所なり。
 最初吾人の騒擾の報を耳にするや、吾人は其の何の理由なるやを解する能わず、殆ど報道の真否を疑えり、暫くにして其の天道教徒及び耶蘇教信者の陰謀に出でたるを聞き、之あるかなと思えり、蓋し普通鮮人の情意としては今日暴動を構え、官憲と抗争せざるべからざる理由あるを想像する能わざればなり、暴徒は表面上民族の自決を叫びつつあり、而して民族自決の四字は在外鮮人のウィルソン大統領に致せる請願書中にも之有り、而も民族自決とは何の為の民族自決か、一民族は民衆の幸福を離れても尚自決を叫ばざるべからざるか、民族自決は今や世界の流行にして、又已むを得ざるの趨勢なり、而も民族自決の必要あるは、民衆の生存を自由にし、民衆の財産を安固にし、即ち民衆の幸福を増進せんが為のみ、標準は民衆の幸福如何にあり、断じて自決の為に自決の要あるに非ず、在外鮮人の対米請願書に曰く、「韓国は近古数百年の間年々支那に貢物を献じたるも、内政の自由は曾て如何なる干渉をも受くる事なかりき」と、其の「朝貢を必要としたる独立」は果して多数鮮人の為に幸福なりしか、何等外部の干渉を受けざりし内政は果して生命の安全と財産の安固とを民衆に与えたりしか、謂うところ近古数百年の回顧は果して自覚ある鮮人に快感を与うるものか否か、今日我が総督府の政治は固より未だ非難無きものに非ず、其の欠陥は吾人も之を知る、而も其の欠陥ある統治と雖も、之を旧韓国時代の専制政治に比すれば、民衆の自由と幸福とを擁護する上に於て殆ど同日の談に非ず、
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10091203&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA

中外商業新報 1919.3.9 (大正8)
朝鮮の統治
移植を奨励せよ

 李太王国葬儀に際し、朝鮮各地に暴動の勃発したるは、深く歎ずべき也。此暴動の動機計画等に就ては詳細を知る能わざれども、大体朝鮮に於ける所謂民族自決主義を実現せんとするに依るものの如し。尤も之には朝鮮人士以外の煽動者ある模様にして、殊に鮮人の基督教信者が多く此暴動に参加し居るの点は、深く注意すべき事なりとす。元来朝鮮の人士が民族自決主義を実現せんが為め、事を起すが如きは、事理を解せざるの甚だしきものにして、朝鮮人と日本人との間に人種上の差異あるに非ず、従って殊更朝鮮に於ける民族自決を計るべき理由存せざる也。殊に今日の朝鮮を以て、合併前の当時に比すれば、其発達の顕著なる殆ど隔世の感あり。之れを是れ思わず、徒らに事を起すが如きは、其無謀も極まれりと云うべく、又以て大多数の朝鮮人士の康寧を保持し利福を増進する所以に非ざるなり。政府は大多数朝鮮人士の康寧利福を図るが為め、斯かる無謀の人々に対し厳重に取締る所無かる可からず。
 更に翻って考うるに、今後の朝鮮統治の方針は、果して従来の如くにして其完全を期し得べきか大に講究を要すべし。余輩は先ず武人総督制改善の要を思わざる能わず。蓋し武人総督制を維持するは、今回の如き暴動の虞あるが為め、其統治上の必要あるに依らんが、武人総督制たらずとも暴動鎮圧を為し得ざるに非ず、又朝鮮の治安を維持し得ざるに非ず。否、武人総督制たりとも、猶お今回の如き暴動を見るに至れるに非ずや。朝鮮の治安保持は、武人総督制を必須とするものに非ず、却って武人総督制たることが、朝鮮人に対し種々の誤解を抱かしめ延いて他の憎むべき煽動者の乗ずべき機会を与えしむるの嫌い無しと云う可からず。聞く所に依れば現内閣に於ては植民地武人総督制改善の意嚮ありとの事なるが、是れ誠に幸にして政府は成るべく速かに武人総督制廃止を断行すべき也。次に朝鮮統治上必要なることは、我が国の人々の朝鮮人士に対する態度の改善なり。這は必ずしも我が国人全部が然るに非ざれども、我が国人の間には我々と朝鮮人とか同民族たることを悟らず、朝鮮人に対し動ともすれば侮蔑の態度を以てするものあり。然も朝鮮在住者たる我国人の間に斯かる態度を以て接する者があるが為めに、常に朝鮮の人士をして反感の念を抱かしめつつあるが如し。
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報知新聞 1919.3.9 (大正8)
北朝鮮の騒擾
論説

李太王の国葬に当り、京城を起点とせる北鮮に騒擾起る、併合以来茲に十年、其間多少の騒乱は之を見たるも、区域広汎に亘り而も脈絡を有する運動の表面に顕われたるは、今回を以て嚆矢とす、是豈軽々に看過すべけんや。
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時事新報 1919.3.10-1919.3.24 (大正8)
朝鮮暴動の由来 (一〜五)
京城 漢江漁史

(一)
本月一日世は太平の春ながら二日の後は其旧主と永久に地上に別れまつるべき御葬儀を営ませらるることとて愁雲深く鎖せる漢陽の地に白昼突如として「鮮国独立の示威運動」なるもの勃発したのは意外であった殊に其大多数は二十歳未満の男女学生に依りて行われたことは驚異に値するものであった而も当日京城の騒擾は格別の不祥事を誘発すること無く僅に五時間余にして鎮まったが其日平壌及び元山にても騒擾の勃発したことを伝えられた翌二日は鎮南浦、宣川、昌原の各地に三日には成川、広州、開城に四日は春川に而して平壌にも再発した五日には再び京城に起らんとしたのを未然に防遏した。忠清北道も不穏の形勢があるとの報に接した叙上同日まで騒擾の起った諸都邑は京畿道、江原道、黄海道、平安南北道の五道に跨り就中平安南北道に於ては血を流す迄に至った同地方は古来人気が悪く李朝時代にも孰れかと云えば王家に懐かず李朝の末期基督教を信ずることを許されてからは相率いて其信者と成ったのも外国宣教師の保護の下に一種の治外法権を獲る方便であった然り初めは方便であったが後には真実の信者に成った去りながら宗教心の極めて幼稚なる朝鮮人に基督の教徒が解るもので無い況んや彼等の頭には先天的「未来」というものを想像する力が無いことを慧敏なる宣教師が察知し得ない筈は無い即ち「天国」を地上に築き得るものであることを信ぜしむべく説法した鮮人は訳も無く之を信じ且つ欣んだ日本は彼等の胸中に描ける天国ではない従って朝鮮の事情に通ぜる人々は平安南北道の基督教徒はおしなべて排日思想を有って居ると信じて居る、事実そうで無いまでも血性の頗る危険なる性情を備えて居るので平壌の紛擾を耳にした時に何人も京城の如く穏かに治まるものとは思わなったが果して一般の想像は中った同道内の成川の如きは純然たる暴動であったらしい斯る危険性を帯むだる平壌の学生は京城の示威運動を手緩しと見たものか一日以来多数京城に侵入した形跡があり其為めかあらぬか京城の学生の思想も漸次険悪に成って来た様である五日の朝は未だ集団を為さざる中に見当り次第警察憲兵隊に引致した男女学生は其数五六百名に上るであろうと推察されて居るが中には赤布を腕に纏える者も少くなかった巡査が一女学生を捕えようとすると逃げる処じゃない足を飛ばして蹴ったのを目撃した者もある偖て是から何うなるであろうか拡大すべきや否や事態は益々悪化せざるべきや否やを警察官憲に問えば「サアー」と首を捻ねる、分らないのである之が今日迄の経過及現在の状態である然らば此騒擾は如何にして起ったかというに無論的確に決定し得る者はあるまい騒擾を起した当の学生等も知るまい其目的も一様ではあるまい無論記者も斯くと断言することは出来ないが判断の資料たるべきものは有って居る

(二)
鮮人が朝鮮の独立をイヤ「独立なる」文字を喜ばぬとは云えまい是れは人情である総督以下の官憲は「鮮人は新政を悦んで居る」と云って居る是れも嘘ではない新政を謳歌するのは苛斂誅求跡を絶ったからである道路は開け産業は開け社会状態は改善され裁判は公平というので新政に悦服して居るのである左りながら若し「独立」の下の善政と「日本の統治の下の善政」と二者択一の自由を許したならば鮮人は一も二もなく独立を選ぶに極って居る此の情を緩和する為めに政府は日鮮人に対して一視同仁の所謂善政を布いて居る且つ常に日本人を戒めて朝鮮人を侮蔑させまいとして居る然るに鮮人の中に独立の下の善政の期し難きを知らず或は之を知るも単に「独立」を虚名恋しく如何にしても諦め得ない連中がある其は独立宣言書の署名者の一人天道教主孫秉煕の徒輩であるそれから独立は得て望むべからずとするも切めて朝鮮の自治…も出来なければ朝鮮議会なりと開設して欲しいと願って居る者もある之れは両班等である又韓国時代の権家及其一族一門は何が無しに昔恋しの情を禁じ能わぬであろう今一つ厄介なのは独立ということに就て一種の思想を懐いて居る一派である此輩は単に虚名を恋るのではない併合当時露国へ出奔した排日派の如きは虚名党である即ち韓国の独立を祈念して其事が朝鮮民族の幸福であるか否やは問題としてなかった然るに前記の一種の思想というのは「独立而して自由」と進むで居るので其の夢みつつある地上の天国は必ずしも韓国の名に於て復興するを必要の条件として居ないらしい此思想の淵源はバイブルでは無いがバイブルを手にしたことのある青年の頭である尤も此種の頭も米国大統領に依りて民族自決なる新熟語を作製されるまでは甚だ朦朧たるものであったに違いない処が新熟語が出来て在米鮮人が飛躍を試みるに及むで瞭然として来たと同時に在米鮮人は郷国の知人に対して盛んにプロパガングを試みた仍で之を受け入るる素地を有って居る青年が共鳴した別して東京に留学中の学生及其先輩等は新しき教育を受け相応自負もあり殊に東京に住むで彼等が朝鮮人であるが為めに毎々其自負を毀けらるる其非哀を痛切に感じて居る処から最先に在米鮮人の運動に策応した東京留学生の独立宣言書は恁うして出来たのである当時宣言書に署名して居なかった為めに検挙に洩れ得た学生は忍び忍びに帰鮮した其数二百余名と註せらる彼等は帰るなり闇中飛躍を試みた虚名党の孫秉煕等は直ぐに説きつけられ舁がれた孫秉煕が親分顔して宣言書の筆頭に署名して居るけれども其実舁がれたのに過ぎない茲で一寸断って置きたいのは孫秉煕が舁がれたのは昨今のことじゃない其証拠には昨年の暮頃から「来年三月には朝鮮に一大事変が起るが天道教に帰依した者は災難を免れるのみならず福運が開ける」と教徒に説き聞かせつつあったことを以て推すときは当時既に在米鮮人と声息を通じて居たものと思われるから舁いだのは東京留学生のみの思い付きではあるまい又国葬当日を期して示威運動を行うことに成ったのは李太王が薨去遊ばされたからの思い付きで三月を選むだのは当時取沙汰されたる講和会議の日取から好時機と見たものらしい兎もあれ彼等の謀った示威運動は行われたが虚名党の考えでは「独立即ち韓国の復興」である学生組の思想とは大分距離がある唯独立さえ出来れば後は何うにでもなると双方とも思って居るだろう平壌の学生が騒擾の際に旧韓国国旗を押立てて居たのは人寄せの目標としか信じられない

(三)
要するに鮮人今次の妄動は単に国の独立を目的とするのみでは其真相を捕捉することは出来ない即ち叙上の通り妄動者及其同情者間にも地方に依り身分に依り又は年齢に依りて思想の根柢に於て差異あるを認めらるるのである然らば若し彼等が為すがままに放任したと仮定すれば何うなる其の落着を想像する代りに左に一つの挿話を掲ぐることにする 各地方から騒擾勃発の報頻々として到れる去る四日或者は相当身分ある一鮮人に向って「一体何うしたと云うのだろう如何に騒いでも何等の効があろうとも思えないが」と問い試みに鮮人は冷然として「馬鹿な事を行りますナ併し効が無いと知りつつ身命を賭して独立を要求する民族は可憐です」と変な答えをするので・・・

(五)
・・・京城に大正親睦会とて全鮮中総督府の認許せる唯一の結社があって子爵趙重応之を率い一種の社交機関として京城の有力者三百余名の会員を有し内鮮人融和の為めに相応努力しつつある其会の一員は次の如く語った 人類から政治を奪っては人類としての誇りは無い日韓併合に依って鮮人の生活は幸福にされた願わくば此の幸福に誇りを添えて貰いたい夫れも鮮人の気心の十分に分らざる今が今というのではない武力を以て奪ったる而して絶えず反抗的態度を持続したるアルサス、ローレンに対してすら独逸は領有後半世ならずして自治を許した相互の利益の為に談笑の間に併合の大事を決したる日鮮の間は相許すの時機も早く来なくてはならない道理だ自治が初めて朝鮮議会でも開設して欲しいと云うのは非望と申すものであろうか 言うことは小賢しいが之も権力結晶の一分子の口から出たものと思えば真面目に相手にする気にもなれぬ併しながら一度は考量を加うるの必要がありはせぬか鮮人の妄動が如何に永く続くとも之に対する方法もあるし又如何に永くとも講和会議の終了と共に終熄するのは知れて居ると多寡を括って可いか何うか 根本的方針 在鮮の内地人は併合後十年にして今度の騒擾が起った次の十年には何事が起るだろうかと云って居る朝鮮の憲兵警察制度に慊焉たる者も此制度の撤廃は先ず十年は延ばさねばなるまいと云って居る斯る成行は朝鮮統治の目的に副うものである夫は忠良なる官吏の手と口とに依りて仁政主義の下に同化政策を行うこと茲に十年今更御破算で出直すのは甚だ厄介な話だが「有り難い御政治で人民は悦服して居ります」という鮮人のお世辞や「日本は朝鮮の統治に成功した」などと観光外人が土産代りの挨拶は姑く余所事と聞流して居て朝鮮は植民地とするか母国の延長と見るかの根本方針を樹てて歩武を進むるので無ければ又も万国環視の裏に自慢の鼻をヘシ折らるるの憂目を見ることに成るかも知れぬ然らば植民地と母国の延長との間に如何なる相違があるかというに是れは題を更めて論ずべき問題である(完)
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大阪朝日新聞 1919.3.12 (大正8)
元山騒擾と其の経済界に及ぼせる影響
咸興方面の情況

去る一日に突発したる民族自決とか朝鮮独立とかいう騒擾は晴天の霹靂否薮から棒に打たれた感じをした、其れより種々な情報を耳にするも之に関する一切の通信を其筋より禁止せられたるを以て其の自由を得ず漸く六日午後に至り解禁せられたるを以て茲に元山地方に於ける概要を報ずれば騒動の勃発は一日午後二時頃であった、此日は恰も元山里鮮人部落に於ける市日なるに依り近郷より多数鮮人の雲集するを知れる元山里居住の巨魁数名は先ず公立簡易商業学校及び普通学校等の学生を使嗾し独立運動宣言書なる印刷物を撒布せしめ次で音楽隊を先頭として腕車を連ね市場に繰出し此処に集まれる群集に向い朝鮮の独立は米国大統領の同意を得たりとか仏国巴里に於ける列国講和予備会議に於て承認されたりとか種々無根の言辞を弄して煽動的演説を試みしより元来流言蜚語に惑わされ易き鮮人群集は知らず知らず好奇心に駆られて附和雷同し数千人の多人数は朝鮮万歳を叫び午後三時過ぎに及び示威運動をなさんとて本町四丁目なる警察に殺到し警察署前の大道二三丁の間は蟻の這出る隙もなく群集を以て埋められ此処にても演説を為すもの万歳を叫ぶもの喧々囂々たりしが警戒の憲兵警官に支えられて署内に侵入し能わず又内地人市街に前進する能わず而も容易に解散せざるより臨機の処置として警察署庭内の水道喞筒より群集目蒐けて放水せるより漸く浮足立ちて三々伍々退去せんとするも尚水を浴びつつ狂い躍り叫び廻る者を煽動者と認め一時警察に拘留したる者九十三名に達したるが翌二日元山法院支廰より警察署に検事出張して取調の結果首魁と認むべき者十四名を収監し其他は全く野次馬なること判明し放免されたり・・・而も此の暴動は延いて人心未だ安定せず為に財界に影響する所尠少ならず・・・又咸興方面情況は例の風声鶴唳的の情報のみにて其真相を確知する能わざるも二日に至り初めて不穏の兆あり爾来六日に至るも尚お熄まず諸学校男女学生の拘引せられたる者頗る多数に上り甚だしきは慈恵医院の鮮人看護婦まで引致せられたりと由来咸興は土着人多く且つ剽悍を以て聞えたる地なるを以て騒擾も一層甚だしく遂に血を見るの惨状を呈し内地人側は頗る危険状態にて大商店は概ね閉店の有様なりと(元山発)
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大阪朝日新聞 1919.3.14 (大正8)
奇怪なる宣教師等の行動
京城 破翁生

三月一日朝鮮の旧王都京城に於いて大なる不祥事が勃発し、それが全国に弥蔓して遂に流血の惨事を見るに至ったことは朝鮮統治上千載の恨事である、当時京城にある内地人中には熱狂せる幾万群衆の妄動を目撃して不知不識の中に群衆心理に魅せられ盛んに誇大妄想的な報道をしたものもあるし、捏造の無根事を伝えて人心を惑乱した者もないでもない、それはそれとして予は茲に今回の騒擾について最も異様に感じた一ツの事実を報道しよう それは外でもない、京城其他の大都邑に於ける彼等の運動が従来の如く暴動的の形と色彩とを離れて最も根強く又比較的に秩序を追うて行われ、彼等の背後には用意周密なる或る勢力が潜在して居るという事を誰にも感知せしめる一事である、今回の騒擾は既に報道した通り西鮮の各所には全く暴徒と化し憲兵、警察署を焼き、我警戒隊に反抗して死傷者を出し且憲兵将校を殺害し、巡査部長を縛したという様な全然十年前に蜂起した暴徒と同様な状態を演出した地方もあるが、京城、平壌、開城、大邱鎮南浦等に於ける彼等の運動は我警戒隊の制止に反抗し其行動を妨害すべく多少の小競合を見たるものあるも彼の孫秉熈一派の発した宣言書にも又彼等の手によりて全道に散布された独立新聞と称する印刷物にも運動中「乱暴的、破壊的の行動をなすべからず」という意味の文字を書いてあった如く殊に三月一日の京城の如きは万余の学生が中堅となって独立万歳を叫び示威運動を行ったが、石一ツ投げるものもなく我警戒隊も之れに対しては何うすることもできなかった状態であった 尤も当局が二月二十六日此計画を看破し同日中に宣言書署名者を一網打尽すべく、夫れ夫れ手配りを了したが、その留守中突如パコタ公園に学生の運動勃発を見た次第で甚だ手抜かりである、然し若し彼等が暴動的行為に出でたならば我官憲の手によりて彼等を打尽すべき幾多の手段も方法もあったのであるが、前述の通り女学生を先導として只万歳を連呼して練歩いたのであるから之れに対して高圧手段を講ずるの却って危険なるを慮って手控えた次第である、デ彼等が一日から今日に至る迄再三運動を開始したが当局は早速一日の如き緩慢なる取締で済まさない苟も多数集合し喧騒の行為あるものは治安維持上容赦なく検束して厳罰に処する方針で出づるに至った・・・
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大阪新報 1919.3.18 (大正8)
鮮人の騒擾尚熄まず
感化政策必要

朝鮮に於ける無意味の騒擾は最近に至るも小規模ながら尚熄まざる不幸の状態に在る耳ならず、内地在留の学生までも結束して同盟退校せんとする如き不穏の挙動を敢て試みつつあるは、蓋し彼等に取り極めて遺憾の事たると同時に我国家の面目の上より見るも亦甚だ傷心すべき事なりと謂わざる可らず。
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時事新報 1919.3.25-1919.3.29 (大正8)
朝鮮統治方針 (一〜三)
在京城 漢江漁史

(一)朝鮮の騒擾は勃発以来二週日を経て稍下火に成った様である併し執拗なる煽動者は尚お各地に出没して騒擾を拡大すべく暗中飛躍を試みて居る・・・彼等は少しも悔悟の状を見せないのみならず殆ど自暴自棄の態度を示して居る今三月卒業証書を授与さるべき各種実科学校生徒の如きは「日本人の立てた学校の卒業証書なぞは不用である」と豪語し一人の登校者無きは勿論、途上教職員に出会っても敬礼する者も無いと聞く総督府は騒擾を鎮圧するであろうが此の不逞の思想を如何に緩和するであろうか事態を案ずるに騒擾は容易に鎮静に帰するであろうけれども之を軽視すれば禍根を将来に貽すことに為る殊に次代の相続者たる青年学生が厭うべき思想を懐抱するに於て一層憂慮に堪えざるものがある
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万朝報 1919.3.27(大正8)
朝鮮の施政

  朝鮮の暴動は諸外国新聞に於て益す大問題となりつつある、在支米国新聞記者中には特に調査の目的を以て朝鮮に赴くものもある、若し日本自ら速かに暴動の真相を発表するに非ざれば、如何なる誤報が伝播せらるるかも知れぬ
  我当局者は既に事件の勃発したる後に、尚力めて其事実を発表せざらんとする形跡がある、為に朝鮮に於ては流言蜚語盛んに行われて、内地人すらも頗る不安の状況に在りと伝えられる、況や朝鮮人に於てをや、司法省に達したる報告に拠れば、暴動の為の収監者数は四百五名であるが、支那の外字新聞中には一万人余と伝えられて、其大部分は無辜の婦人小児であると報ぜられて居る、斯かる報道が益す事実を誇大ならしめて、日本政府は比類なき暴政を行いつつあるが如くに誤らるるのである其れが外人に依りて朝鮮人の間に流布せらるる時、彼等の不安は益す増加するを免れぬ、暴動に加担せざる朝鮮人に対しては速かに彼等を安堵せしむる方策を執ることが目下の急務である
  暴動は何れの国にも在る、印度にも非律賓にも在る、之が為に直に其原因を統治政府の失政に在りと做すは頗る不穏当である、今回の暴動の原因に関しては充分なる調査を経たる後に非ざれば固より之を詳にすることは出来ぬのであるが、単純なる大道教の企画に出たのでないことは、既に明白であって、東京其他の土地に留学せる朝鮮学生中莫大なる資金を携えて帰国したものがある、何処よりか多額の運動費が朝鮮人の間に盛んに撒布せられた疑いがある。又何者に依りてか民族自決其他の思想が秘密裏に朝鮮人の間に注入せられたのは事実であるらしい。然も外紙は悉く其原因を軍人たる総督政治の弊に帰して、盛んに我施政を攻撃しつつあること恰も米西戦争前西班牙の施政を攻撃した如きものがある、是れ頗る重大の事であると共に、我朝鮮に於ける施政は何等の非難を加うるの余地なきものたらしめなければならぬ
  朝鮮が日本の支配に帰して以来十三年、其間朝鮮人は甚だしき自由を楽むに至った、殊に伊藤公の施政に関しては外人も嘆称を禁じ得なかったのである、朝鮮人が残忍なる官吏の為に虐げらるることは公の時に於て既に全く一掃せられた、軍人の総督政治となってからは、圧伏的の手段が行われ、殊に言論に関して不必要な束縛を加えたのである、東京に在るものに対しても甚だしく其の自由を拘束するが如き手段に出たのである、然も之れは敢て我日本の植民地に限られたことではないのである、此時に於ても我総督府は朝鮮の経済上の発達に注意し、其発展は頗る見るべきものがあり、外人も尚お且つ称讚しつつある、若し試みに朝鮮政府の治下に在った時と今日とを比較するならば、朝鮮人の幸福に於いて雲泥の相違あることは何人も之れを拒むことが出来ぬ、然も朝鮮人等の満足し得ぬは何故であるか、試みに之れを外人の説に聴くときは、総督府の軍人政治は強いて日本に対する忠実心を養成せんとし、却て反対の結果を招きつつあると云うのである、植民地民を同化することの困難は明白な事実であって、欧羅巴の諸国に就て見るも彼のチェック、スローワック人の如き又波蘭人の如き久しく他の治下に在りて、統治国民の人口が其土地に於て甚だしく増加しても、絶えず統治国に対して不平を抱いたのである、僅々十三年の間に於て朝鮮人を日本化するが如きは容易に望まれないことである、更に又経済上の発展が日本人に利益を与うることの多いのは確に不平の一因であると考える者がある、其真偽は暫らく措いて、若し朝鮮人に対して更に多くの経済上の希望を与えたならば、或は今日の様な暴動を惹起さなかったかも知れぬ、要するに朝鮮の総督政治は朝鮮人に対する同情が薄かったのである此点は我政府が大に反省しなければならぬことである
  或る外紙の如きは総督府に於て属吏までも内地人を使用するのは大なる誤りであると云って居る、英国が印度を治むるに極めて少数の英人を以てして居ることは大に注意すべき事実である、内地人は朝鮮が往時の朝鮮政府時代に於ける秕政に陥らぬ様に監督することを以て足れりとする、朝鮮人は頗る鋭敏なる感受性を有する、内地人の意衷は容易く之を理解する、彼等に対するに劣等民を以てし、若くは強いて内地人に対して偏頗なる所為に出るならば彼等は決して之を忍び得るものではない、軍人政治は動もすれば圧伏主義に傾き易い、而して今のデモクラシーの世の中に於ては如何なる国民に対しても軍人政治は行われないのである、我総督政治は大なる施政的錯誤に陥ったのである、今回の暴動に際しては断じて之を改めなければならぬ、然らずんば諸外国に対して、日本を非デモクラシーの国として、□々なる排斥を招くのである、否日本を非難する口実を与うるのである
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時事新報 1919.3.28 (大正8)
米紙論評区々
朝鮮暴動問題に就き

二十日紐育タイムスは社説に於て埃及と朝鮮と題し両者の独立運動は人民自治権の問題と共に更に重要なる人民自治能力の問題を包含す朝鮮埃及共に此能力を欠如せるが為め日英の治下に帰せるものなり日本の朝鮮に対する時に不必要なる峻厳を示し不幸なる結果を見るの嫌無きに非ざるも日本の施設は有能的にして人民の繁栄を開拓せるは由来蔽うべからず日本にして朝鮮人に自治を約し漸次之を教導して進歩せる政治思想を鼓吹するは望ましきも若し直ちに自治を許さば朝鮮は忽にして無政府状態に陥るべく日本に取り重大の危険たるべきは明にして姑く外部より文明的統治を行う事世界一般利益の為め必要なり云々と論じ尚同日ハースト新聞アメリカンは日本の朝鮮を奪取せるは独逸の白耳義を犯せると同様背信の行為にして其鮮民に対する虐政は戦□中独逸の犯せる凡ゆる残忍非道にも超ゆるものありとの意味合の社説を掲げたり(紐育発二十六日某所着電)
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読売新聞 1919.3.29 (大正8)
朝鮮の統治 (再び)

日本帝国は其存立を確保するの必要上、朝鮮半島を併合せり、是れ実に公然の事実なり。併合以前の朝鮮の状態が屡我国の独立を脅かし、而して日本帝国の存立が天意に合する以上、朝鮮の併合も亦実に天意の存する所なり、我が国民は世界の他国に対して之を憚るの必要なし、朝鮮人に対しても亦正々堂々之を正面より説明して、日本の茲に出でたるは誠に已むを得ざるの理あるを了解せしめ、其観念の臍を固めしめざる可らず、生中に併合は鮮人の利益なりなど手製の理屈を用いるは却って事に害あり、何程巧妙なる理窟を製造するも、事実は到底掩う可からず掩う可からざるの事実は始めより之を明示して、観念せしむべきは之を徹底的に観念せしむるに如かず。
 一国の独立は利害を以て代う可からず、是れ実に感情の問題なり、面目の問題なり、莫大の利益を喰わしむるも、容易に虫の納まることにあらず、国に分野の差ありと雖も、此感情は人類に共通なり、即ち併合は強制を必要とする所以なり、既に之を併合すとも万一に対する準備は、之を平日に整え置くべきこと固より論なし、唯此準備は力めて之を公衆の耳目より遠ざけ、以て其感情の挑発を軽微ならしめざるべからず。
 さらでだに恨みは尽きぬ習いなるを、併合以来殆んど九年、武断的統治は我が威力を示すこと過分にして、悲憤の情を激するの効少からず駐屯の将卒は言わずもあれ、大小の官吏より普通学校の訓導に至るまで、悉く長剣を横えて市朝を来往す、譬い無智の蛮民というとも豈に心に快きことを得んや、民を治むる者は人情を察せざる可からず、一たび民情を激発すれば武威も尚お足らざる所あり、孟子曰く今王政を発し仁を施し天下の仕うる者をして皆王の朝に立たんことを欲せしめ、耕す者をして皆王の野に耕さんことを欲せしめ、商買をして皆王の市に蔵せんことを欲せしめ、行旅は皆王の途に出でんことを欲せしめ、天下の其君を疾まんと欲する者、皆王に赴き愬うることを欲せしめば、其れ是くの如くんば孰か能く之を禦がんと。又曰く明君の民の産を制するや、必ず仰いで以て父母に事うるに足らしめ、俯して以て妻子を蓄うに足らしめ、楽歳には身を終るまで飽き、凶年には死亡を免れしめ、然して後、駆って善にゆかしむ、故に民の之に従うや軽しと。
 鮮人は気の毒なる人民なり、武備は力めて其耳目より遠ざけ、不幸を追想するの機を稀ならしめ、其生活を安固に□□感情を慰め、以て日本臣民たるの必ずしも不快ならざるに到らしめざるべからず、武治を廃して文治を与うること、是れ其要諦なり。(西疇)
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東京朝日新聞 1919.4.5(大正8)
植民地統治の革新

吾人は現行の殖民地統治制度を以て、根本的に不可なりとなし、常に其革新を思念して止まざりしが、這般の朝鮮擾乱勃発以来、此革新を熱望するの情、更に一層切実なるに至れり。彼の騒擾者に対する糾弾は、目下司法官憲にて捜査若くは審理中に属す。吾人は今日の場合騒擾者其ものの処分問題を説くを欲せず、又之に論及する十分の自由を有せず。然れども擾乱の有力なる一原因が、我総督政治の欠陥に存することは、掩う可からざる事実なり。此重大なる事実は、殖民地に対する我が国策を樹立する上より見て、大に考慮し反省するの必要あらん。元来朝鮮の民は文治に慣れたる国民なり、我本国にては数百年の封建的武断的歴史を有するも、朝鮮の歴史は然らず。半島が仙人国と称せられ、国民性が女性的なるは、或は此歴史の結果なるべし。此民に対し帝国政府は武官総督制を施き、憲兵制度に依る軍隊的警察を全道に行い、医院の如きすら軍医をして之に当らしめ、甚だしきは助長行政にまで、電人をして容喙せしむるの制度を施行す。表面は之に威服するを得んも、衷心より我に悦服せしむるは望み難き也。彼の殖民地統治の機微を解せざる軍人政治家が、単に其民の面従を見て満足し、而も其後言を介意せざる如きは真に浅慮の至り也と云うべし。抑軍人政治は高抑威圧の政治なり。総督武官制の下に、武断専政の弊あるは当然にして、憲兵警察の下に、人権蹂躪の頻発するは免れ得ざる処なり。朝鮮にては言論の抑圧世界に比なく、御用新聞以外は、新聞の発刊を許さず。斯くて総督政治の欠陥は何人が之を指摘し矯正す可きか。在朝鮮某勅任検事は語りて「朝鮮人に犯罪人あり、之が捜査に赴く憲兵は其家の婦人を強姦し、財物を強奪するを常例とす。鮮民は此暴行に対し、救済を求むるの道なきのみならず、之を検挙す可き検事も、憲兵に依らざれば犯罪を挙げ得ざる為、憲兵自身の犯行を如何ともす可からず」と云えり。又「内地の警察署長位の憲兵隊長すら、小学校生徒に出迎をなさしめ、皇室に対して見る如き敬礼を強うるもの多し」と云うにあらずや。之以上は今期議会に於て発せられたる、某議員の陳述中の一二を引用したるもの也。吾人も亦之に類似の事実を屡耳にしたるを以て、茲に言語道断の実例として之を掲げたるなり。憲兵は軍隊規律に養成せられたる兵卒なり。命令服従は彼等の金科玉条なり。此人をして人権擁護の任に当らしめ、一般人民と最も接触多き、幾多の行政事務に当らしむる。其結果の甚だ不可なるは当然のことなり。吾人の確知する所に依れば、今回の暴徒の中心勢力たる彼の天道教の如きも、日韓併合の当時にありては、寧ろ併合の賛成者たりしなり。此裏面の消息を知るものより見れば、彼等の今回の民族自決論に幾何の権威あり執着あるやは、甚だ疑いなきを得ず。而かも彼等をして竟に総督政治に対して、斯ばかりの反感を抱かしむるに至りたるは何故ぞ。是□吾人が殖民地統治の機微は、到底思想単純なる軍人政治家の、解する所に非ずとなす所以也。 
然らば総督政治の革新策は如何。吾人は茲に特に革新と云う。是れ小改正小刷新の能くする所にあらざればなり。而して革新の第一義としては言うまでもなく武断政治の廃止を主張せんと欲す。今回の擾乱に於て、米国の新聞紙が、頻に我統治策を批難するも、制度其ものが武人政治なるが為なり。先ず総督軍人制を撤廃して、総督政治と軍人指揮権とを劃然区別し、憲兵制度の警察を廃止して、通常の警察官をして之に当らしめ、鮮民の如きも、努めて広く之を任用して其局に当らしむるを要す。次に殖民地議会の問題の如きも、此際相当考慮の必要ありと思う。朝鮮の制令、台湾の律令は、全く総督の独断制定に属すと雖も、斯くの如くして果して真に朝鮮民台湾民の利害に適合せる正当の法制を設け得可きや否や。勿論帝国議論の如き拘束力ある決議機関を設くるは、事頗る重大にして、且尚早の嫌いなきを得ざれども、広く住民の希望を徴し得可き、適当の諮問機関を権威ある勅令の形式に依り、設置する如きは、決して尚早にあらず。又有害に有らず。隣邦支那には参議院あり衆議院あるに、之と接壌せる朝鮮及支那種族中の寧ろ優等分子たる台湾人は、彼等の利害に直接且重大の関係ある制令律令の立法行為に対し、諮問にすら参与するの権能なしとなすは、決して真に彼等をして我皇治に悦服せしむる所以にあらざるべし。時は正に世界改造の歳也。世界的思潮が、思想上に及ぼせる影響は、母国民のみ□限るにあらず。否、殖民地住民に及ぼす刺撃は、或を意味に於て、却て母国民に対するよりも、更に甚だしきものあるを覚知せざる可からず。此期に方り、依然従来の方針を墨守し、武断的高圧政策に依り、朝鮮台湾の良民に臨まんとするは、断じて不可なり。当局者は此点につき須らく三思す可き也。 

大阪毎日新聞 1919.4.6(大正8)
朝鮮と言論

(一)
朝鮮の近時、真に言うに忍びざるものあり、長谷川総督、山県総監、児島総長等の引責辞職すべしという、蓋し当然なり。然れども、引責辞職は引責辞職のみ、朝鮮統治において大に改良する所なくんば、百千の走馬灯的更迭も益なきなり。原内閣の覚悟、果して如何。 
 
(二)
総督、総監、総長にして更迭するも、官制旧によって変ぜず、対鮮政策依然として改らずんば、是時勢を無視するもの、鮮人の心理状態を解せざるもの。噴火口を掩うの蓋を新にして以て噴火を阻止し得べしとするの愚のみ。別に統治の方針について深く考慮し遠く計画する所なくんば、更迭は寧ろ鮮人の不平と侮慢とを加うべきのみ。 

(三)
民族自決主義の流弊や英米各国の堪えざる所。埃及然り、印度然り、愛蘭然り、比律賓然り。英国の彼等を鎮撫し彼等を緩和するに急なる、我の朝鮮に対するの比にあらず。されど、彼等の民族自決主義は以て我が鮮人の学ぶべきにあらず。鮮人の独立自治を云々するは、寧ろ日鮮同種の根本を無視して民族自決の本義に反し、閲牆を以て一家の破滅を図るに同じきもの、弊の弊たる、吾輩の既に論破したる所。然り、然りと雖も、一尺の布猶縫うべく、一斗の粟猶舂くべし、兄たる日人は弟たる鮮人の訴うる所に対して之を聴き之を容るるの雅量なかる可らず。 
 
(四)
総督府官制の改正は其一なり、鮮治の方針を偏武より矯むるは其二なり、日人の鮮人に対する言語態度より侮蔑の形容を去り一切平等の精神を持するは其三なり、鮮人任用の道を拡大し鮮人向上の希望に副うは其四なり、制度においても事実においても、日鮮無差別、共同同化の標榜を失わざるは、其五なり、鮮人の修養を助け鮮人の向上を促し鮮人に参政資格を与うるの方針を取るは其六なり。而して最も速に言論の自由を与えざるべからず。是最初のものにして又最後の物なり。 
 
(五)
朝鮮に関しては、報ずべきこと論ずべきこと甚だ多し。又鮮人の吾人に訴え来れる所のもの、机上に堆積せり。然れども、我が新聞紙法は、之を掲げ、之を論じ、之を紹介すべく、余りに峻厳なり。仮令、内地における新聞紙法の之を寛化する場合ありとするも、一たび朝鮮に入らんか、総督府の峻令は、忽ち之を没収し、吾人をして其目的を一空せしむるのみならず、経営上非常の混雑と困難と損失とに会せしむ。対鮮政策の真相知るべからず、総督政治の得失、内外の目に映ぜざる、怪むに足らざるなり。言論の自由なくして、焉ぞ政治の改良あらんや。 
 
(六)
朝鮮において最も必要なるは、言論の自由を拡大するにあり。言論の自由は無上の安全弁なり、言論にして自由ならんか、仮令、制度、機関の完全なるものなしとするも、猶且善政を望み得べく、又鮮人の満足を買い得べし。吾人一日総督府機関紙の論ずる所を見、独り内地における操觚者として侮辱を感じたるのみならず、其舞文曲筆、臭を蓋うに急なるを見て唖然たるの外なかりき。鮮人の永く黙々に堪えざるは同情すべきなり。 
 
(七)
内地の新聞紙法と雖も改正を以て焦眉の急務とす、然も、議会は、余日なきに藉口して改正法案を提出せず、纔に建議案としてお茶を濁せり。次期議会、政府の果して此精神を採用するに至るべきや、疑なしとせず。立憲を叫び、民本を唱うる代議士輩の、神経遅鈍にして国政改良に忠且勇ならざる、此くの如し、朝鮮における言論の不自由如何なるかを知らざるが如き、亦怪しむに足らず。然れども、対鮮政治機関の組織如何に改まるも言論の自由を拡大せずんば、実際に益なきを熟知せざらんか、彼等は其任務を果すの資格に欠くるものというべし。吾輩の朝鮮と言論とを説く、偶然にあらず、当局も議員も深く考慮せざるべからず。 

大阪朝日新聞 1919.4.6 (大正8)
朝鮮暴動
当局者談

初め騒擾の中心たる平安南北両道は其の後引続き平穏にして黄海道も亦概ね平静に帰せり三月中旬頃より慶尚南北両道殊に不穏住民の巣窟たる安東を中心として暴徒頻発し就中寧海附近に於ては群衆警務官憲に暴行し警務官を拉し去りしことありしも三月下旬に至り該地方も概ね平静に帰せり全羅南北両道、忠清南道等も亦三月下旬迄諸所群衆不穏の行動ありしも其の後平穏なり京畿道は当初京城に於ける独立運動以来引続き概ね平穏の状況なりしも三月下旬に至りて種々の流言蜚語盛に行われ京城を中心とし其の附近各所に群衆不穏の行動あり京城に於ては電車に投石し又は之を破壊せんとする暴行あり去る二十九日の如きは始興郡富川郡、水源郡、竜仁郡、楊州郡、抱川郡等十一箇所少きは二三百多きは約二千の暴徒起り官憲に対し暴行し就中水源南方地区に於ては巡査派出所憲兵駐在所を襲い之を破壊し民家に火を放つ等のことあり是等は一部不良なる朝鮮人の煽動が群衆を駆って凶暴を逞しうするの傾向あり官憲は首謀者を検挙して極力之が鎮撫に努めつつあるも状況前述の如きを以て之を鎮圧するに兵器を使用するの已むを得ざるに至り為に暴民並に官憲側にも死傷者を生ぜる所少からず尚従来比較的平静なりし忠清南北両道方面へも京城より煽動者入り込み種種平穏の兆あり(東京電話)
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読売新聞 1919.4.6 (大正8)
文官総督遼遠
朝鮮現状顧慮

朝鮮暴動の経過及現状に就ては四日閣議に於て山県朝鮮総督府政務総監より委曲報告せるが暴動も初期に於ては単なる弥次馬騒動に過ぎさりしに其の後日を経るに従って性質漸次悪化し手段の巧妙にして執拗なる其の根柢の意外に深く且つ組織的となりし事等は露国の過激派運動と殆ど異るなきに至れり暴徒の根拠は今や浦塩方面を始め哈爾賓や遠く上海方面に在り朝鮮各要地の同志と相呼応して盛に過激思想を鼓吹し鮮民を煽動し或は誘惑し凡ゆる言辞手段を以て我が施政を妨害し果は鉄道の破壊、電信電話線の切断、官衙公署の焼打をも敢てするに至り暴状真に言語に絶するものあり成行に放任せんか将来由々しき大事を惹起するに至るやも知るべからず事情斯の如くなれば此際朝鮮統治の方針を変更するか若くは緊密にするの要ありされば今日武官総督制度を撤廃して文官総督とすべしとの説あるも此の如きは実際に通ぜざる迷説なりとして有力なる反対意見ある由なれば朝鮮台湾の武官総督制度の撤廃は前途尚遼遠なるべしと
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東京日日新聞 1919.4.7 (大正8)
朝鮮騒擾善後 応急、根本両策
閣議決定要旨

政府は這回の朝鮮暴動問題に関し過般来種々調査する所あり且之が善後策に就き慎重考究したる結果愈四日の定例閣議に於て之が対策を決定するに至れり即ち今回の暴動は実に吾朝鮮統治上の重大問題たるのみならず同時に帝国の植民政策上の及ぼすべき影響亦測るべからざるものあり故に先ず此際之を根本的に終熄せしめ次いで更に将来に亘る適当の統治方針を策定せざるべからず殊に這回の暴動は簡単に朝鮮人自身の自動的騒乱とのみ目すべきに非ず朝鮮人の背後に或る有力なる勢力の潜在せるも最早や掩うべからざる事実なるを以て是等の点に就いても政府は最も慎重の考慮を加えたるが大体 一、応急策として此際断然たる処置を執る事 二、将来の方策は凡て暴動鎮定後に決定する事 に決し直ちに右の方針に基き第一段の応急策として断然たる処置を為す事となり即日朝鮮総督に之が命令を発するに至れり尤も右第二段の方策たる将来の統治方針は暴動鎮定後徐に考査する事となるべきも政府部内多数の意嚮は国家内外の大勢に鑑み朝鮮民族大多数の意嚮を尊重し成るべく文治的精神を拡充して其利福を増進せんとするに意嚮一致しつつあるが如し
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報知新聞 1919.4.7 (大正8)
朝鮮暴動重大
帰化鮮人の過激思想宣伝
漸次全道に波及せんとす
当局者談

京畿道内の騒擾漸く甚しく又同道に隣接せる黄海忠南江原道に波及しつつあり其後絶え騒擾を見ざりし平安北道にも去る三月三十日以来不穏の兆ありしが三十一日以後同道北部各所及其他の各道にも若干の騒擾ありて漸次朝鮮全道に波及せんとする形勢にあり三月三十一日より四月二日に至る三日間に於て騒擾の著しき箇所百有余に上れり即ち暴民の多数は棍棒、鎌、斧、剃刀等兇器を携え或は警察官を殺傷し平北義州永山市の如きは憲兵駐在所に三千の暴民押寄せ庁舎を破壊し忠清南道并川に於ては約六百の暴民二回に亘り憲兵駐在所を襲い器物を破壊し郵便署事務所を襲い電線を切断し、京畿道安城郡陽城警官駐在所へ約二千の暴民来襲し放火して之を全焼せしめ郵便署事務所を破壊し電柱を焼却す其他或は内地人の家屋を破壊し或は橋梁を焼却するが如き兇暴各所に続出する状況なり然るに交通の不便と応援の困難との為め僻地の駐在所中には憲兵一補助員三名位にて数千の暴徒の襲撃に対抗し弾薬尽きて退却の已むなきに至りたるものあり斯の如き騒擾の激変は在外鮮人就中露領任留の帰化鮮人、間島在住鮮人及上海に根拠を有する鮮人等種々画策声援を与うるのみならず其一派のものを朝鮮内地に侵入せしめ密に過激思想を宣伝し愚民を煽動して先ず朝鮮内の秩序を破壊し次で累を日本内地に波及せしめんとするものの如し
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神戸又新日報 1919.4.8(大正8)
鮮人暴動鎮圧策
政府の方針決定

今回の鮮人暴動に対する政府の方針は去金曜日の閣議に於て決定する所あり取敢えず右応急策とし先ず不逞の徒を掃滅し施政百般の改善は之を後日に譲ることとなり之が為め関係当局に於ては右に関する諸般の計画を定め一両日中には其完成を告ぐべきに依り八日の閣議に於て更めて右顛末を報告し全閣僚の同意を得たる上は成るべく早く応急策を実施すると共に其方針を公表し内外の誤解を一掃するに努むる筈なり因に朝鮮内地の暴動に関連し浦塩以北ニコリスク、西伯利沿線在留鮮人中にも近時活動せんとするものありしも我官憲より露国軍隊に依嘱したる結果直に鎮撫されたりと(東京電話) 

誤れる統治策 江木翼氏談

憲政会総務江木翼氏は語って曰く予は数年前より何れの時か植民地統治の困難状態に遭遇すべきを憂慮しいたるが今や不幸にして予の予想は適中するを見たり是れ全く我政治家学者等の対植民地政策を誤りたる結果なり今回の朝鮮事件の如き近因は慎重なる調査を要すべきも其遠因は所謂同化主義に胚胎すること大なるものあり同化主義の殖民政策として非なるは英仏等の諸国に於ても之に失敗し既に放棄せる実例に見て明白なり殊に朝鮮の如き三千年来の文化を有する国民に対して之を行うは根柢より誤れるものにして我邦政治家等が殖民地を以て本国の附属地視するとも誤れる第二にして殖民地は独立せる文化と経済的単位を有す又殖民地住民を以て被治者階級として一段低く取扱う如き誤れる第三なり殖民地統治の根本義は須らく文明の宣伝を以て任ずべく要するに政治家も実際家も今少しく殖民政策を講究し従来の悪弊を矯正せざる可らず云々(東京電話) 

大阪朝日新聞 1919.4.8(大正8)
日本の朝鮮統治
米国ワイル博士の批評

 米国ニュー・リパブリック誌の主筆ワイル博士は今次の極東漫遊に際して親しく日本の朝鮮統治の状態を調査し之に対する批評を二月のハーパース誌に掲載した左に掲載する 
日本は朝鮮を合併して以来専意土民の教化に務め以て完全なる同化を齎しめんとして居る。朝鮮は日本に取っては横腹に擬せられた短刀の如き者で、大陸よりの日本の外患は鶏林八道よりのみ到来なし得るのであるから、日本が極力朝鮮の統御に務むるのは無理ならぬことである。日本は既に之れが為め日清日露の両戦争をも辞することをせなかった。現今朝鮮総督府は小学校に於て鮮人の児童に、生活上の準備としてに非ずして愛国心の涵養の為め教育を授けて居る又日本政府は一方に於ては右の如く教育の普及を計ると共に、他方に於ては内地人を移住せしめて日鮮両国民の合同を計らんと試みて居るが、右の政策は失敗に終るであろう。現今都市を除いては朝鮮に於ける内地人の人口は極めて僅少である。統計表は内地人の数を三十万人としてあるが、土民の人口は千七百万人であるから、数字の上から円満なる混合は殆ど不可能である而して将来に於ても内地人の数は激増しないであろう。何んとなれば朝鮮人の労働賃金は内地の労働賃金に比して遥に低廉なる上、内地の農夫達は移住を嫌う風があるからである。故に今より五十年後に於ける朝鮮は現今と余り変りない住民を有するであろう。日本が真に朝鮮を日本化せんと欲するならば、土民の児童に日本の国体の精華皇室の尊厳を教うることか、或は少数の移住民を送るが如き事丈けでは成功は不可能であろう。日本政府の執る可き唯一の賢明なる政策は正しい施政を以て土民に臨み朝鮮をして人類の住場所として適当なる者にすることである。日本の武器は生産的文明と彼が有する独特の施政上の能力でなければならぬ。朝鮮合併以来行われた日本の施設に見る可き者が多い、道路の改善運輸の便等あるが殊に留意すべきことは、日本の統治が土民をして安寧を有せしむるに至った一事である 
 合併前に於ては彼等土民は常に掠奪の悲境に居たが、今日では日本の法律の下に保護せられ安んじて生活を送って行くことが出来る様になった。去れど賢明なる施政及び夫れより来る繁栄が土人をして衷心より日本に忠誠ならしむと考えるのは大なる間違いである現在土民は近代の経済組織の初期を通過して居るが、将来彼等がより大なる機会を要求することを忘れてはならぬ。朝鮮の土民が進歩発達するに従って経済的並に政治的機会を要するに至るは火を賭るよりも瞭であるが、其際日本政府は果して如何なる態度に出ずるであろうか、日本政府は柔温しく彼等の新しき要求を容れ、変り行く感情を推察して、彼等により大なる自由を賦与し、言論の自由を許容するであろう乎又是と成反対に武力を以て其要求を郤くるであろう乎、過去に於ける日本の統治より推察すれば、将来日本政府は武力を以て土民に臨むであろうと観測せざるを得ぬ。現在に於ても朝鮮には言論の自由なく、検閲の如き頗る峻厳を極めて居る。政府は毎年朝鮮統治の経過を報告して居るが吾々は其公報に信を置くことが出来ない、而して之に対しては同半島に於ける日本の軍閥政治が責任を有して居ると思う。現今朝鮮に於ける日本の施政は帝国主義の色彩を帯びた軍事的経済的侵略の手先となって居るの観がある。斯くの如くにして果して日本は将来朝鮮の国民性を根本より破壊して、新しく日本化し得ると考えて居るのであろう乎、日本は果して右の政策に成功するであろう乎、夫等の質問を発する者は宜しく昔時の猶太、ゴール、波斯、英国、愛蘭アルサス及び波蘭の歴史を繙く必要がある。何んとなれば夫等の国国にも一度は現在朝鮮半島に行われて居る国民的一大活劇が演ぜられたからである。日本政府の政策が成就して日鮮人共に同一の国民的感情を有し皇室を仰ぎ胆るに至るであろう乎と疑う者は先ず左の質問に対して正確なる回答を与えねばならぬ。即ち如何なる国家と雖も稠密にして日々繁殖する人口を有する他の国民の言語、文明及び伝説を圧倒することが出来るであろう乎。此質問の回答如何に依って将来の朝鮮の運命は決せられるであろう、今後三十年を経れば朝鮮の人口は約二倍となるであろうから、日本政府が教育なし能わざる程多数の児童が出生するであろう勿論政府は多数の小学校を建立して以て之に対するであろうが、それにしても家庭に於ては児童は朝鮮語を語って居るから其言語は依然として存続するであろう。若しも朝鮮半島が日本に取って外敵に対する防禦物であるならば、日本は其国民をして日本に対して忠誠なる者とならしめねばならぬことは瞭である。併し民主主義の発達、国民性の自覚と共に、若しも日本が武力を以て彼等の言論を抑圧し、同化を強うつ時は朝鮮は却て日本に取って危機を齎す者となるかも知れぬ。普魯西は一人に六人の割合で波蘭を普魯西化することが出来なかったが、日本は一人に三人の割合で朝鮮を日本化し得るであろう乎。 

報知新聞 1919.4.8 (大正8)
朝鮮の悪化
論説

朝鮮事変は、昨今著しく朝野を刺戟し、貴族院方面に於ては、当局に怠慢を責め、之が善後に就き内閣を鞭撻す可く寄々相談中なりと伝う、蓋し是当然の事なり。今回の事変発生に就ては、遠因近因甚だ多し。然るに之に対する総督府当局の無能怠慢言語に絶し、当初は単純なる附和雷同の騒民たりしものを、漸次悪化せしめて、今や著しく暴動的色彩を帯ばしむるに至りたるは、全く総督府当局の無能怠慢に帰せざる可からざると同時に、更に斯の如く無能力者を局に当らしめたるに就ては、溯りて其制度の不備を責めざる能わず。
 三月一日北鮮一斉に騒擾するや統治者として之を予知す可き徴候多々之ありたり。東京に於ける朝鮮学生の妄動。米国に於ける所謂独立請願。間島満洲方面に於ける鮮人の不穏。而して更に西伯利に在る帰化鮮人が、常に本国同志と脈絡を通じて独立運動を継続し来りたるが。欧洲戦役開始以来露軍に徴募せられたるもの一万に達し、親しく欧露の革命を目撃して思想益兇険を加え、帰来運動に生気を添え来りたる等、其顕著なるものに属す。然るに総督府当局は、斯の如き歴々たる事実に会しても毫も防遏的手段を執らず、三月二日午後二時を期し一斉に蜂起す可く全道に飛檄したる印刷物さえ、大半発送したる後、即ち事変発生前僅に三日の二月二十七日に至り漸く発見したりと云うにあらずや、之をしも怠慢と謂わずして何ぞ。而して之が善後に対しては、拠々然として為す所を知らず、俄に鬼面を脱し寛容を示し、以て彼等の悦服を期したるが如き、殆ど抱腹に堪えざるものあり。之に対し煽動者、宣伝者の運動振りは、序を追いて巧妙を極め、最初先ず李太王毒殺説を伝えて日本に対する悪感を挑発し。次で民族自決主義に依り朝鮮は独立したるを以て、三月二日を期し大に祝す可しと愚民を惑わし、之を徹底せしむ可く或は日本官吏引揚説を伝え、或は米国大統領は飛行機に乗り来る可しなど、如何にも馬鹿々々しけれど、而も愚民の耳に入り易き妄誕を伝えて民心を極度に惑乱せしめ。而して徐々に政治的色彩を宣布す。総督府の無能に比し一段の巧緻を見る可し。
 併合以来十年、幾億の国帑を縻して一に鮮民の安寧幸福を企図し来りたるに、其結果斯の如くとすれば、任に局に当る者如何にして其責に任ぜんとするか。世の総督政治を説く者、先ず第一に武官総督、憲兵制度の弊を挙ぐ。然り、政治を解せざる武弁を以てせる結果、威圧を知って悦服を知らず。部下の官吏は倨傲暴慢人を人とも思わず、小学校教員にまで劒を吊らしめ、其教育の方針の如きも、邦人と全く差別する等、数え来れば悉く是武官制度の余弊たらざる莫し。然れども今や斯の如きことを論じ居る場合にあらず、即ち此等は事後の解決に譲り、差当りては如何にして此事変を鎮圧す可きかに在り。総督政治甚だ愚なりしと雖も、旧来の朝鮮に比すれば、産業も発達し、安寧も保維し。鮮民の幸福増進せられたるは事実にして仮令一部に世界的思潮に感染したる者ありとするも、多数は日本の統治に安ずるの実情に在れば、此際恩威並び行いて些の弛緩なう之が善後に処せば、遠からず鎮撫し得べきは固より論を俟たず。而も夫れ一歩を誤らんか、啻に総督府当局のみならず、実に内閣の責任たるを回避すべからず。(不来生)
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新愛知 1919.4.8 (大正8)
武断より文治へ
最後の解決は自治に在り

・・・朝鮮に於ける我武断政治□最近に於て、此苦き経験を甞めつつあるではないか。
 李太王の葬儀に其端を発した□朝鮮の暴動は、今に於て鎮圧されず、事態頗る急なるが為、政府は已むを得ずして、ここに最後の□心を為せりと報ぜられて居る。□後の決心は固より私共の是正し得る所である、特に米国宣教師の輩が其背面に隠れて暴動の糸を操りつつあるの跡あるに至っては、帝国政府の断じて許すべからざる事であって、斯かる不埒千万なる宣教師輩はこれを厳罰に処するか、若くはこれを領土外に追放しなければならぬ。然らざれば、帝国の威信地に堕ちて、以後幾度となく今回の如き暴動を繰返さないとは限られぬ。而も朝鮮を如何に統治すべきかの根本的問題に至ってはこれ等の不埒なる宣教師及び暴民を庸懲したるのみを以て解決されない。帝国政府たるものは此際従前の如き、鬼面人を脅かすの武断政治を廃して、能く朝鮮人の思想を諒解し、兼ねて彼等の地位に同情を表すべき文治を以て、これに臨まなければならぬ。朝鮮を如何に統治すべきかの根本的問題は或は此一事を以て解決されはすまいか。聞くところによれば、政府は遠からず文官任用令を改正し、朝鮮台湾の総督にも文官を配せんとするの意志があると云う。此意志にして実現すれば、朝鮮を如何に統治すべきかの根本的問題は或はこれによって解決されはすまいかとも思う。軍人者流の政治は由来威圧を以て生命となし、而して其間に自然発生すべき面従腹背の人情を知らず、表面従順なれば則ち統治の実を挙げ得たりと為し、揚揚として以て自得するの弊がある。彼等は対手の人格を無視し、人格の無視即ち平和であるが如くに心得て居る。心得違いの甚しきものであって、其心得違いの為、終に今回の如き暴動の勃発を見たりとせば、帝国政府たるものは此際三度反省しなければならぬ。朝鮮総督に文官を配するが如きは即ち此反省の一端を示したるものであって、私共は双手を挙げてこれを歓迎するものである。
 併しながら、単に朝鮮に於ける武断政治を廃して、これに代うるに文官政治を以てしたるのみにては、将来の朝鮮問題は断じて永久に解決されないであろう「武断より文治へ」は朝鮮を如何に統治すべきかの根本問題を解決すべく、最適当なる一手段たるに相違なきも、そは唯一時的の解決に過ぎない。かの愛蘭すらも、自治を要求して、動もすれば大英国を八花八裂の混乱状態に陥れんとしつつあるの跡あるに察すれば、帝国政府たるものは将来の朝鮮問題を解決すべく、此一事を以て満足してはならない又かの比律賓の如き米国が爾く寛大なる政治を施しつつあるにも拘らず、機会ある毎に、其羈絆を脱して独立せんとする形勢あるに徴しても、将来の朝鮮問題が単に此一事を以て解決されないことは、是亦何人も首肯する所であろう。言い換えれば朝鮮の文化が漸次進歩するに従い、帝国は進んでこれに自治を許し、以て彼等の個性を発揮せしめ、帝国の文運に貢献せしむべく、今よりして予め用意、覚悟する所がなければならぬ。
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万朝報 1919.4.9(大正8)
朝鮮騒擾批判

朝鮮騒擾事件に関し、江木翼氏曰く 
 我邦の学者政治家は、総じて植民地の統治に関する研究を怠れる憾みあり、予は数年前より植民地の統治を憂懼せる折柄、科らず今回朝鮮の不祥事を現出せるは最も遺憾也、而も其の原因に就ては慎重の調査を要すべきも、遠因は統治の方針宜しきを得ざるに在ること、正に明白なる事実也、即ち我が政治家学者等の所謂同化主義の如きは、其の名或は各々相違あるも、事実は根本的誤謬と做すべく、三千年の歴史を有する国民は、之れを容易に同化し得べきものにあらず、唯だ我が政府は此の誤謬政策を採用し、教育は内地同様の制を用い、我が国語の普及を強い甚だしきに至っては 下級役員たる巡査郵便局長まで土語を修得せしむる要なしとし、恰も内地同様の政治を以て、殖民地に●まんとす、誤まれるの甚だしきものと謂うべく、且つ植民地を本国の附属地と做すこと、亦大なる誤謬とすべく、植民地には独立的文化と経済的単位とあるを忘るべからず、更に第三の誤謬は植民地の住民を被治者階級として扱うに在り、此等は最も著大なる誤謬と做すべく、尚お幾多の誤謬政策を挙げ得べきも、要するに植民地政策の根本的方針が、文明の直伝に在るを忘るべからず、予は当局者が能く従来の事例に徴して、此の方針を会得せんことを希望す 

大阪毎日新聞 1919.4.9 (大正8)
植民地統治の誤謬
江本翼氏談

今次の朝鮮の暴動事件は其近因が何れに在るやは慎重なる調査を要すべきも其遠因は畢竟するに統治方針の誤謬に帰せざるべからず今其主要なるもの二三を挙げんに第一は同化主義にして是は政治家及び学者等の頻に唱道せる所なれども其根本に於て誤謬に陥り居れり三千年の歴史を有する国民の到底同化し能わざるは西班牙、仏蘭西、英国等の植民史によりて之を知ることを得べく苟くも植民史を研究せる人にありては一言の疑を容るるの余地なきなり而して同化主義の政策は内地に於ける教育を殆ど其儘朝鮮及び台湾に行わんとし又は国語の普及に力を費して役人は巡査、郵便局長の末に至るまで必ずしも土語を習熟するを要せずとなし恰も内地に政治を行うが如く各植民地を統治し植民地を全然内地化せしめんとするにあり然るに英国の植民政策の根本方針を一瞥するに征服又は割譲に依る植民地に於ては土人の言語風俗習慣等を尊重して決して本国の言語風俗習慣等を以て土人を羈束せざるを原則と為せり多年植民地統治の経験を有する英国に於て既に然り、日本の政治家が同化政策を以て植民地統治の精髄を得たるが如く思惟せるは誤まれるも亦甚だしというべし 第二は植民地を以て本国の附属物と心得る事なり是は多言するまでもなく独立せる文化を有し独立せる経済単位を有する植民地を本国の附属物と心得て統治せんとするに於ては失敗せざらんとするも豈得べけんや 第三は植民地の住民を下級の人民として取扱う事なり即ち内地人は治者階級にして植民地人は被治者階級なるが如く判然区別するに在り是は単に役人のみに止まらず我国民一般に通ずる謬想にして容易に矯め難き誤解なりと雖も斯る思想は之を根本的に打破せざるべからざるなり 要するに我国の植民政策は統治の根本義の那辺に在るやを了解せずして植民地を統治し過去二十年間を無裏に経過せるの感あれども植民政策の根本義は植民地住民に文明の宣伝をなすの外あるべからず即ち極めて公正なる文明の普及が其根本義ならざる可からず斯かる明白なる根本義の尊重せられざる結果或は制限威圧となり或は武断政治となり或は植民地の民心を一時沈静せしむる鎮撫主義となるなり斯かる状態にて帝国の植民地統治の成果を挙げんこと百年河清を俟つと一般なり余は国民各自が植民政策に就て十分の攻究をなさんことを望むと共に特に植民地統治の実際に当る人々の植民地統治に関する従来の事例を研究せんことを切望するものなり云々(東京電話)
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大阪毎日新聞 1919.4.10 (大正8)
朝鮮新統治方針
文治的政策を実施せん

政府は朝鮮暴動応急策として速に断然たる処置を執る事に廟議一決し目下之が画策を遂行しつつあるが之と同時に将来永遠に亘る新統治方針の策定に関しても夫々攻究調査しつつあり抑も今回の暴動原因は一にして足らざるも朝鮮併合以来十年間に於ける総督政治の上に多少の欠陥あると同時に日鮮民間の関係又必ずしも円滑なりというを得ざるべく従って一面内地人の対鮮人感情を全然根本より改善する以外朝鮮統治上に於ける各般の改革を断行せざるべからず即ち従来の統治方針を一変し大に文治政策を実行し鮮民大多数の利富を主眼とすべきは勿論なるが尚之が具体的方法として着手すべきは警務総監部の改革にあり
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京城日報 1919.4.10 (大正8)
増兵決定
朝鮮騒擾鎮圧の為め
陸軍省公表

陸軍省公表=今回朝鮮騒擾鎮圧の必要上近く左の如く兵力増派さるるに決せり(東京特電)
一、第八師団(弘前)歩兵第五連隊、第二師団(仙台)歩兵第三十二連隊右両連隊より各一大隊を青森より乗船元山へ揚陸す
二、第十三師団(高山)歩兵第五十八連隊、第九師団(金沢)歩兵第三十六連隊右両連隊より各一大隊を敦賀より乗船釜山へ揚陸す
三、第十師団(姫路)歩兵第十連隊、第五師団(広島)歩兵第七十一連隊右両連隊より各一大隊を宇品より乗船釜山へ揚陸す
以上の外憲兵四百名を増派す

疾風迅雷的に 陸軍当局者談
朝鮮騒擾の初期に於ては単に市街地に於ける単純なる示威運動に過ぎざりし為め警察機関のみに依りて可成穏便なる手段を執り首謀者を逮捕し群衆を解散せしむる等の処置に出でたるも近時漸く兇暴危険性を帯ぶるに至り又其箇所も著しく増大し今や騒擾全道に波及し最近に於ては僅々三日間に於ける顕著なる暴行箇所のみにても其数百有余に上り且つ良民を脅迫して之を騒擾の渦中に投ぜしめ又は営業を妨害する等暴行益甚だしきを加う・・・
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東京日日新聞 1919.4.10 (大正8)
朝鮮の暴動
植民政策革新の必要

朝鮮の騒擾は全道に波及し、最初は単純なる示威運動に過ぎざりしが、今や兇険なる暴動を化し、遂に内地より軍隊の出動を見るに至れり。斯くの如きは、朝鮮統治以来、未だ曾て見ざる事態にして、我植民政治に於ける一大恨事と謂うべし。・・・斯くの如き国民を統治するには、我植民政治の根本的革新を要すべく、動もすれば鮮人の誤解を招き易き同化政策の如きは大に考慮せざるべからず。鮮人は日本の同化政策を喜ばず、彼等は以為えらく、同化とは朝鮮民族を絶滅せしめ、日本民族を移植するの謂にして、日本の同化政策の完成せらるる暁は、朝鮮民族絶滅の時なりと。然らば日本に於て同化論の高調せらるればせらるるほど、其反響は逆比例となり、同化の実は益疎んぜられ、親切は却って仇となる如き事なしとせず。故に植民政治の根本義は彼等の誤解を一掃し、共利共福の主義を以て進まざるべからざるなり。我政府に於ても、従来の植民政治は時代錯誤に陥れるを以て、根本的に是を革新せんとの議あり、折角調査中にして、其実現も遠からずと聞けるが、若しこの新制度にして数ヶ月以前に実現されたらんには、今日の騒擾を未発に防ぎ得たるやも知るべからず。
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時事新報 1919.4.11 (大正8)
軍隊の派遣

朝鮮に於ける騒擾は遂に内地より軍隊を派遣するの已むなきに及べり其軍隊は六箇師団より一箇大隊宛、即ち都合六箇大隊に加うるに補助憲兵約四百名を以てせるものにして其一部は釜山、他の一部は元山に上陸せしめ之を細分して便宜各地方に分屯せしめ更に必要に応じて所在に派出せしむるの計画なるが如し而して内地より軍隊を派遣するに至りたる理由を聞くに去月上旬以来、発生したる朝鮮人の騒擾は当初は割合に鎮撫し易き見込ありしも日を経るに随いて険悪を加え内地官民の被害ますます多きのみならず温良正直なる一般朝鮮人にも圧迫を加えて附和雷同を強い其生業を妨ぐるに至り然も其暴動の範囲は次第に拡大して各道に波及したるを以て従来直接に朝鮮の安寧秩序を維持するの任に在る約八千の憲兵(内約四千六百は朝鮮人)及び約三千の警察官の力を以て之を鎮撫すること殆んど不可能と為りたるのみならず必要に応じて警察機関を援助す可き軍隊とても現在の所にては第十九第二十両師団を合せて歩兵六箇大隊騎砲兵各一箇連隊工兵一箇大隊即ち僅に一箇師団半の実力を有するに過ぎず是れ亦鎮撫の功を奏するに不充分なるを免れざるを以て已むをを得ず内地より歩兵六箇大隊即ち二箇連隊に相当するものを派遣し朝鮮に於ける二箇師団の実力を完全に充実せしむることと為りたるものなりと云う
 朝鮮の騒擾が遂に内地より軍隊派遣の必要を見るに至りしは悲しむ可き事態と云わざるを得ず騒擾の起りし以来、一箇月以上を経過したる今日に及んで始めて軍隊派遣を実行するを見るときは実際に騒擾の性質が変化し来りたるものなりや或は当局者が其性質に対する観測を誤り早きに及んで適当なる処置に出づるを得ざりしものなりや両者何れを事実とす可きやは明白ならざれども朝鮮の安寧秩序が一箇月以上に亘りて殆んど破壊し尽されたる後に及んで更に軍隊を派遣せざるを得ざるが如き実状なりとすれば仮令是等の軍隊が火蓋を切る如き場合なしとするも其騒擾は当分の間継続するものと認めざるを得ず之が為め罪を犯し刑に服する暴民輩の身の上は自業自得なりとするも無辜の良民にして其側杖を喰い生命財産を害われ琉離困頓の悲境に陥るもの或は少からざる可きを想像するときは誠に同情に堪えざるなり
 固より軍隊の派遣は必ずしも騒擾に対する政府の処置に著しき変化を生じたるものには非ざる可し従来とても暴民に対して一概に武力的弾圧を為すを憚り成る可くは警察官憲兵をして説諭を加えしめ穏便の間に之を鎮撫するの方針に出でたるは隠れもなき事実にして寧ろ斯る穏和手段がますます彼等を増長せしめたるの形跡を存する程なれば今後とても軍隊自ら直接に騒擾に触るる如きは万已むを得ざる最後の手段と為し事情の許す限り警察機関行使の任に在る警察官及憲兵をして其事に当らしむることならん殊に暴民とは云いながら殆ど武器らしき武器を有せず只極めて少数なる警察官憲兵の駐屯所に対し多数を頼みて欲するが儘に殺傷放火を行うに過ぎざれば兵火を以て此種の輩に臨むは決して好ましきことに非ず只此騒擾は現に非常の勢を以て各道に伝播し其区域甚だ大なれば警察官憲兵又は朝鮮の師団を以てしては徒に奔命に疲るるのみにして到底手廻り兼ねるの実状なるを以て拠所なく内地より軍隊派遣の必要をも認むるに至りしものならん即ち軍隊の派遣は騒擾に対する政府の態度に別段の変化を生じたることを意味するに非ざるは之を察するに難からざれども暴民の暴動極度に達し実際警察官憲兵の手に余る場合に於ては軍隊が充分の威力を発して之を弾圧せんことを希望せざるを得ず多数を頼み或は警察力の不充分なるに乗じて違法の挙に及び一般の安寧秩序を害するものは苟も国に国法を存する以上、毫も容赦す可きものに非ず之に対する警察力足らざるときは軍隊の力に依り之を弾圧するは当然のことにして毫も憚る所ある可からず其点は内地人たると朝鮮人たるとを問わず同一に処分せらる可きものとすれば朝鮮に派遣せらるる軍隊は彼地の師団と協力し必要に応じて適当なる行動に出づること肝要なる可し朝鮮今後の統治に就ては考慮す可きもの少からず従来の制度慣例或は内地官民の動作等、夫れぞれ改良を加う可き点ありと雖も当面の騒擾は其れとは全く別問題なれば一日も早く安寧秩序を回復し一般人民をして其堵に安んぜしむるは当局者に取りて差当りての重要任務たるを忘る可からざるなり
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神戸新聞 1919.4.12 (大正8)
朝鮮の騒擾

初め朝鮮の暴動は三月三日李太王国葬を機会に勃発し、先ず京城に於て数千の群衆韓国独立万歳を高唱して運動を開始し、騒擾は忽ちにして各地に飛火し、幾許もなく各地の暴動は鎮静に帰したりと伝えられしが、其後に至りて再燃し、騒擾は逐日甚だしきを加うると与に、各地方に波及したり。騒擾の中心点たりし平安南北両道は引続き不穏の形勢を示し、黄海道も概ね不穏の模様あり。慶尚南北道及び不穏鮮人の巣窟たる安東を中心として暴動頻発し。全羅南北道忠清道等に於ても暴動あり。京畿道に在りては、当初京城に於る独立運動以来概ね平穏の情態にありしも、三月下旬以来種々の流言蜚語盛に行われ、京城を中心として附近各地に不穏の情勢あり。始興、富川、水原、竜仁、楊川、抱川等各郡内に於ては、少きは二三百、多きは二千の暴徒官憲に暴行を加え。就中水源南方地区に於ては巡査派出所、憲兵駐屯所を襲うて之を破壊し、民家に火を放つ等狂暴を逞しうする傾向あり。京畿道内の騒擾は黄海、忠南、江原各道に蔓延し。騒擾は斯の如くにして全道に波及しつつあり。最近に至りては僅々三日間に於て顕著なる暴行箇所のみにても其の数百余に上り、良民を脅迫して、或は之を騒擾の渦中に投ぜしめ、又は成業を妨害する等、騒擾範囲の拡大と共に暴行も亦益々甚だしきを加えつつあり。
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神戸又新日報 1919.4.13 (大正8)
朝鮮暴動原因

又併合以来在鮮内地人にして鮮人を所謂被治者扱いにして公私共に多数彼等の権利を害する事あり其の結果甚だしく反感を買い居たり是等の侵害事実は一部排日鮮人の為に大袈裟に伝えられたるなり・・・植民統治の方針を改革して斯る暴動の再現を根絶するに在るが如く今や或る成案に就て各当局者間に取急ぎ意見の交換中なりとの事なれば其の発表も遠からざるべしとの事なり其の内容は明記する能わざるも朝鮮暴動の原因に鑑みて立案せられたるや疑うの余地なしされば文官総督制を採用して植民地の人心を緩和し憲兵制度は抜本的に改革し成績不良なる補助憲兵の廃止官吏任用の途を植民地人民の為めに開き教育方針の変更植民地に在る内地人の取締又た鮮外に在る鮮民の取締等は実に其の重要なるものなるべし植民地と云えば朝鮮、台湾、樺太を含むも然も台湾、樺太は今日迄の経過に懲すればさしたる統治難なし問題は朝鮮統治に在りされば統治方針も朝鮮を主として樹てらるべきか何分朝鮮は三千年来の文化を有する国なれば十分其の歴史を尊重して日本の附属地と云うが如き観念を以てせざる方針なりと(東京電話)
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大阪朝日新聞 1919.4.13 (大正8)
朝鮮人同胞に檄す
速に反省自覚せよ
京城は静平
民は其業に励みつつあり
京城 橘破翁

朝鮮の騒擾は京城に其端を発して今や全鮮に波及弥曼し且つ其騒擾は漸く有識階級より下級労働者等に伝播し暴動的色彩いよいよ濃厚となり或は憲兵派遣所に放火し我警官を殺戮する等暴行破壊至らざるなき状を呈して来た、
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京城日報 1919.4.14 (大正8)
時局の対応策
代議士 牧山耕蔵氏談

代議士牧山耕蔵氏は十二日夜帰城したるが氏は曰く
騒擾問題
朝鮮の騒擾事件は中央に於ても事態極めて重大なりとし対応策及び善後策に付慎重に講究を尽し居れり政府の大方針は此際事件勃発の責任者を当局に求むる如き若くは紊りに政策の更改人事の異動を云為するを避け鮮人に対してはその正当なる要求は漸次之れを容認すべし、然も国権の恢復という如き事を口にし暴動を行い叛逆を企つる徒輩は内外人を問わず峻烈に之れを罰し良民を保護し紛糾せる局面の収拾を急ぐべしと云うにある
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京城日報 1919.4.15 (大正8)
緊急制令発布
騒擾鎮圧の為め

総督府にては朝鮮騒擾の推移に鑑み暴動鎮圧の根本策として之が取締及び処罰に関する緊急政令を発布す可く目下立案審議中に属し山口総督府法務課長は其の要務を帯び東上中なるが近く成案を得其発布を見る可し
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新愛知 1919.4.16 (大正8)
革新の機
貴族院議員 江原素六

一、朝鮮統治問題
朝鮮暴動に際し総督府が如何なる鎮圧手段に出でたるかは今更論ずるの要なし、吾人は其後種々なる報道により事態の益々容易ならざるを知ると同時に、之が対策として今後政府が採らむとする方針に就き深き考慮を払わざるべからず乃ち一千万の朝鮮人民が所在に蜂起して暴行を敢てする裏面に何者の潜在するやは暫く措き、朝鮮人全体をして斯くの如き挙に出でしめたる我総督政治は正に改革を要する悪政にして是を一日も忽諸に□するを許さず・・・彼の拓殖会社は如何、莫大のボーナスは全然内地人の壟断する所にして鮮人は毫も此恩恵に与らず政府は好んで彼等を教育すと称するも彼等の為に設けられたる学校果して幾許ありや、加之従来の郡司は廃せられ鮮人は属官にだも為る能わず、今や彼等は総ての権利義務を褫奪せられ殆ど人間としての価値を失わむとし霊肉共に満足なる能わず、是を愬うるの道なく壊裂四出遂に収拾の策なきに至りし也(東京電話)
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国民新聞 1919.4.21 (大正8)
噫朝鮮を如何せん
小松緑

次に朝鮮統治は絶対的専制政治にして、其の人民に対し毫末なりとも参政権を与えず、全然民は由らしむべし知らしむべからずという旧主義を以て終始せるが最も不可也。併合当時に於ては旧態に激変を加うるを不可とせる事情もありたらむ、今日に至りては、寧ろ政治制度の改革に依り人心を一新するを緊急とすべし。マダカスカルは阿弗利加東南端の一小土にして三百余万の人口を有するのみ、而も仏国の之を併合するや、地方自治の制度を施し、且つ其の地方長官は勿論、市長、郡長に至るまで悉く民選とし、中央政府は唯々其の総督を任命するに止めたり。布哇の如きも米国政府は人口の関係上未だ之をステートたる地位に置かざるも、中央政府は一知事を任命するのみ、普通選挙に由る議会を設けて全然自治権を与うること他の白人より成るテリトリーと毫も異なる所なからしめたり。
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時事新報 1919.4.26(大正8)
失敗寧ろ当然
某外調委員談

朝鮮の善後
若し夫れ朝鮮の騒擾に至りては既往十年間に於ける我が植民政策の過誤に由来するものと云わぬばならぬ、三百年前に併呑せらえた韃靼人でさえも日露戦役当時露軍の不利を計って彼の鉄道破壊の事を敢て企てたではないか、况んや四千年の歴史を有する鮮人を同化せしめ様などと云うのが根本の錯誤である、而かも之に臨むに賄賂か然らずんば威圧を以てしたのだから堪まらぬ、内地人の朝鮮に於て成功したと称する者が十中七までは不正不法の所為に依って居る事実に見ても従来の政治及び内地人の遣口が其当を得て居なかったことが知れよう、而かも是等の事実を知って居る外国宣教師などが事実を指摘し□煽動するのだから騒ぎ出すのも不思議ではない、但し英国の印度に於ける仏蘭西の安南に於ける皆大同小異であって、独り我国の植民政策のみが誤って居る訳でもないか、英国などは流石に慣れて居るから其の遣方が巧妙であるのに反し、我国は初めての事であるから頗る露骨不手際である、其処に来ると独り米国の比律賓に於ける政策は見上げたもので先ず学校を建てる反逆者も宣誓さえすれば其罪を寛恕すると云うのであるから謀叛も起らぬ訳だ、我国も朝鮮騒擾の善後策としては現行の総督政治、憲兵制度を廃して文官文治の政治を行うと共に大に教育の振興を計り機会を見て選出の議員を帝国議会に送らしめ以て彼等の主張を聴いてやらねばなるまい。 

京城日報 1919.5.14-1919.5.18(大正8)
啓蒙小言 (一〜五)
 
(一) 張継等が日支関係論に就き
 彼等はいうこともあろうに、日本の朝鮮統治は、朝鮮人を奴隷視すと呼はる。悪口を吐かんがために事実を誣うるものに、真面目の弁解を為すは愚に似たりと雖も、世間の広き、万一かかる誤解を抱くものあらんことを恐れ、一応の事を述べ置かんに、元来日本の朝鮮統治の根本主義は、決して朝鮮を植民地扱いにするに非ず、即ち朝鮮を以て帝国構成の一分子と認め、結局は日本内地同様の政治を敷かんと欲するにあるを以て、断じて英仏の印度、安南に対する所謂植民地政策なるものと同視すべきものに非ず。但し現時の必要政策として、朝鮮人に対して多少の自由と政治上の権利を制限しつつあるは、併合後日尚浅きの今日、実際余儀なきことにして、若し鮮人の知識徳行にして、日本内地と雁行し得るの程度に至らば、完全に憲法を実施するに躊躇するものにあらず。而も其の速かに此域に躋らんことを希望し、諸般の施設に汲々たるは、世界列邦の共に認むる所にして、彼等がいう如き鮮民を奴隷視するの事実は、何処の隅にも存するなし。看よ日本に就いて平生随分毒口を吐く米国新聞すら、近時の朝鮮独立運動を評して、無意義にして人道に反するものと為し、朝鮮は現に日本統治の下に於て文明の恵沢に浴し、其幸福を進めつつありといえるにあらずや彼等にして若し朝鮮統治が鮮人を奴隷視しつつあるの事実を捜し口あて得るならば、是れ実に奇跡的の発見なり、吾人亦其詳細を聞かんこおを庶幾う。