キレる梅沢富美男のなだめ方

今回取り上げるのは、ここ数年急激にテレビ出演を増やしている梅沢富美男。歯に衣着せぬ発言が話題になりますが、それが支持されているということなのでしょうか。梅沢富美男がよく使う「正論」という言葉から、彼のなだめ方を考えます。

だめなもんはだめなんだなんてだめだ

評論家や専門家の方々が繰り返し言及しているので、そんなんもう分かってるよという事実だろうが、少年犯罪は年々減っている。統計が証明している。それでもアンケートをとれば、少年犯罪は増えていると答える人が圧倒的に多い。是非とも少年少女の皆さんは、警察庁が発表している「昭和24年以降における刑法犯少年の検挙人員及び人口比の推移」あたりのグラフを出力して持ち歩いてもらいたい。最近の若者は何をしでかすか分からない、と言われる場面に年に数回は出くわすだろうから、そういう時には、そのグラフの出力紙を渡して「ちょっと急いでいるのでお先に」とその場を立ち去ると良い。

梅沢富美男の口癖は「だめなもんはだめなんだ」である。自著『正論』のオビにも大きくそう記されている。その口癖に対抗する言葉を探し出し、何とか導き出された言葉が「だめなもんはだめなんだなんて、だめだと思う」なのだが、なぜって、こういう人こそが、体感治安の悪さをいたずらに煽ったり、最近の若者を低く見積もったりするからである。梅沢は言う。かつての日本では「ジジババは、町内の治安を守ってくれていた。今の日本では、町内のつながりなんて皆無だ。隣近所の付き合もなくて当たり前」「おかしな野郎がうろつこうとも、隣の家でとんでもないことが起こってようとも、誰も気づかないし、気にもしない」(梅沢富美男『正論』)という。ジジババがもっと若者に物申せば町の治安がよくなるという。こういう時の為に、若者には少年犯罪件数のグラフを持っていて欲しい。たとえ少年犯罪についての話ではなくとも「あっ、そちらが子供だった頃はもっと多かったんですよね」という申し立ては「正論」になる。

「目上の者には、何があっても『ハイ』と言え」

昨年来、とにかく梅沢富美男を見かけるようになった。誰かが梅沢に突っ込み、梅沢を怒らせて、スタジオ全体で梅沢をなだめて、梅沢がひとまず落ち着く、という場面を週に1、2度は見せられている気がする。それを受けて、ほんの少しであってもTVの前で感情を上下させられていることを考えると、私たちは日々、梅沢によってそれなりのカロリーを消費している。梅沢は『嫌いな司会者ランキング』(女子SPA!)で第4位にランクインしているが、彼はどの番組でも司会を務めていない。コメンテーター的な立場がほとんどである。おそらく、テレビを適当にまわした人が、その画面の主役として彼を把握し、条件反射的に嫌悪したからこそ、彼を「司会者」と誤解しているのだろう。

個々人が、言いたいことが言えない、やりたいことができない、という現状を打破する為の手段を探している最中に、「いや、俺はやるよ」と一本調子でこられるのは本当に困る。なぜならそれは解決ではないからだ。梅沢の「正論」をいくつか拾う。「目上の者には、何があっても『ハイ』と言え」「叩かれてはじめて、人生がわかるんじゃないですか」「休みたいなら、舞台で倒れな」である。えっ、今、この時代に、そんなこと言う人がいるんだ、と思うことを、片っ端から並べてくる。

「高畑にもヤラせておけば」

今、自分はふと「この時代に」なんて書いてしまったけれど、これがよくない。こうやって「時代との適合性」なんてものを考えるから、梅沢がイレギュラーな存在だと重宝され、それが本音・正論として持ち上げられる。「この時代に」なんて考えるべきではなく、彼からの提示に対して、それぞれ「目上の者にはすべて『ハイ』と言う必要なんてない」「叩かれなくても、人生はわかる」「舞台で倒れてからでは遅い、その前に休んだほうがいい」と答えて終わらせるべきなのだろう。梅沢の意見を総論として扱う前に、あくまでも各論で片すべきなのだ。

昨年、俳優の高畑裕太が強姦致傷容疑で逮捕された後、高畑に好きと公言されていた橋本マナミと共演した梅沢は、「高畑にもヤラせておけば(こんなことにならなかったのに)」と発言し、ネットニュースとして配信されるや否や大炎上した。この手の発言を重ねながら、梅沢は、自分の本業はあくまでも役者だからと繰り返す。でも、そんなの、何の弁明にもならない。そもそも、ワイドショーのコメンテーターの仕事なんてやりたくなかったのだが、ある時に、「女房の母親と叔母とお手伝いさん、つまりうちのババアども(笑)」がある事件の容疑者に向かって「バカ野郎!」「死んじまえ!」と叫んでいるのを見て「こいつらの代弁者でいいのなら、俺にもできそうだな」と出演を決断したという。言葉に詰まる。ただただ、イヤだなぁ、と思う。

更新されない正論にはエビデンスを

彼は、自分自身の中での緩急を自覚し、厳しさと優しさ、怒りと慰め、みたいなものを調整できていると思っている。その上で、嫌われてもしかたないと言う。でも、見るほうは、その「ぶっちゃけ」姿勢を嫌がっているのではなくて、厳しさや怒りのそもそもの判断基準を嫌がっている。誰がなんと言おうとぶっちゃけるぞという姿勢に満ちているが、こちらはただ、その判断について「あっ、それ、ナシでしょう」「あっ、それ、データ的に間違ってますよ」「あっ、それ、セクハラですね」と伝えたいのだが、伝わらない。梅沢はしきりに「正論」という言葉を使うのだが、正論とは自分の意見を他人の意見とぶつけながら更新されていくものだと思うから、「だめなもんはだめなんだ」という姿勢って、実はもっとも正論から遠いものなのだと思う。もし、彼に会って一方的に叱られた時のために、官公庁の資料をいくつかプリントアウトしておこう。更新されない正論にはエビデンスを示し、キレる彼をなだめよう。

(イラスト:ハセガワシオリ


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「天然パーマという自然エネルギー」文化はコンプレックスから生まれる

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ワダアキ考 〜テレビの中のわだかまり〜

武田砂鉄

365日四六時中休むことなく流れ続けているテレビ。あまりにも日常に入り込みすぎて、さも当たり前のようになってしったテレビの世界。でも、ふとした瞬間に感じる違和感、「これって本当に当たり前なんだっけ?」。その違和感を問いただすのが今回ス...もっと読む

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コメント

mame623 それな。という気持ち。> 約2時間前 replyretweetfavorite

kareigohan42 今回もかわらず素晴らし。坂上忍回と若干近いものを感じるけど、それよりタチ悪いな。 約7時間前 replyretweetfavorite