全財産を奪われ店も売却、無職・所持金44万円から再出発。『ベクタービア』小川雅弘社長の再起物語
ライナ株式会社 小川雅弘社長
飲食店経営をしていると、思わぬトラブルに巻き込まれることがある。大きな事故や病気などの場合、経営を断念しなければならない状態に陥ることも少なくないだろう。ライナ株式会社(本社:東京都新宿区)の小川雅弘社長(36)は以前大阪で2店舗を経営していたが、安易に人を信用した結果、2007年に財産のほとんどを持ち逃げされ、店舗の売却を余儀なくされた。再起をかけ東京で事業を再開、10年後の2017年には16店舗を経営するまでになった。自己破産寸前から奇跡的な復活を果たした、その軌跡を追った。
被害総額1300万円、相手は犯罪のプロ?
大学を卒業し会社員を1年経験した後に大阪市内でカフェバー、鉄板焼きの店を始めた小川社長は、2店舗目をオープンし3店舗目の準備を進めている時に、ほぼ全財産を持ち逃げされるという被害に遭う。イベントで出会った20代半ばの男性Aは仕事ができる雰囲気を持ち、交流を持つうちに「彼を入れると会社も成長するかな」(同社長)と考え監査役に就任してもらった。同時に経理も任せ、会社の預金通帳や印鑑、個人のクレジットカード、キャッシュカードも預けた。Aはそれら小川社長と当時の会社の全財産を持ち逃げしたのである。被害総額は約1300万円。会社の資金約1000万円と、クレジットカードでのキャッシング等が約300万円だったという。「僕は若かったし、会社も立ち上げたばかりで何も考えていませんでした。甘かったし、ちょっと調子に乗っていましたね」と振り返る。
後にAは女性から多額の現金をだまし取ったとして詐欺罪で逮捕されたことが全国ネットのニュースで報じられた。小川社長の場合は、詐欺罪ではなく横領罪か業務上横領罪による被害と思われる。同時期にベンチャー企業仲間6、7人が被害に遭い、他のグループも含めると被害総額は2億円程度という。警察に被害を申し出たが「民事不介入だから」と言われ、刑事責任の追及は断念。このあたりの警察サイドの事情は不明だが、事案が私的な契約違反と見えるような外形があって、すぐに捜査できる状況にあるとは判断されなかったのかもしれない。そこで小川社長はAに対して民事訴訟を提起したが、肝心のAが逃げ回っている状況のため失った資金は回収できなかった。
取材は醸造施設も備える『Vector Beer Factory』で行った
自己破産寸前から、東京で事業を再開
小川社長は店舗を売却して清算資金とし、クレジットカードの支払い等は元本を分割で弁済することとした。それが認められなければ自己破産するしかなかったが、信販会社と交渉し最悪の事態は免れた。手元に残った資金は44万円。3店舗目も準備していた25歳の若き起業家は、一夜にして店も職も失った上に借金が残り、手持ち資金が44万円という状況に転落したのである。
「もう、言葉もないですね。落ち込むというよりは、相手に対して『ふざけるな』という怒りです」と当時を振り返る。しかし怒りに任せてAを捕まえるよりも、これからの人生をどうするかが大事なことに気づくのにそれほど時間はかからなかった。3、4か月かけて清算を終えると、手元に残った44万円を持ち、自分を慕ってくれる仲間2人を伴ってトラックに荷物を積み東京へ出た。「その時の気持ちは『やるしかない』ですね。仲間とは『3年で10店舗ぐらい行こうぜ』と話してテンションを上げてました」。もっともその2人も3か月で小川社長のもとを去った。
東京に出てきても定住する場所もなく、台東区の稲荷町駅近くにある一泊1300~1500円の簡易宿泊所に泊まって物件探しを開始。同時に店舗の「オーナー制度」というシステムを考案して、400万円を集めた。これは出資者を募り、一定の金額を支払ってもらうことで、「共同オーナー」として様々な特典をつけるというもの。出資者(=オーナー)は毎日ランチは無料、夜はドリンク2杯無料サービスという特典がつく。こうして2007年8月に東京の1号店『カフェ・ドリバネス』を新宿区四谷にオープン。2008年11月には2号店『ルバード(現 かいのみ別邸)』を同じく四谷でオーナー制度を利用し開店した。2009年11月の3号店『鉄板居酒屋ウシカイ』(四谷)からは自己資金で開業し、この3店舗でようやく経営が軌道に乗って来たという。
醸造施設の説明をする小川社長
月給14万円で店舗に寝泊まり、再起への遠い道のり
1号店の開店当時、小川社長の給料は14万円。店舗に寝泊まりしながら生活をして、その中から何とか1万円をひねり出して、月に1回、スタッフを連れて飲みに行ったという。休みの日は疲れて1日中寝るだけ、店舗を経営しながらギリギリの生活が2年近く続いた。20代後半で働きづめ、収入は学生のアルバイト程度というハードな生活も「僕の後ろは崖で、前に進むしかないですから」と全く迷いはなかったという。「1回来ていただいたお客さんには100%リピートしてもらうという気持ち」で接客。数店舗のオーナーとなっても、店を見て回る際に人が足りない時は、ウェイターとなって皿洗いをして注文を取った。「お客さんにどうやったら喜んでいただけるか、それ以外考えていなかったですね。考え続けて改善してという感じです。必死になれば知恵も出ますよ。結果、売り上げにつながりますし」。
もちろん、そうした熱い情熱の裏には経営者としての冷静な計算も働かせていた。初期投資を抑えること、客の流れが多い地域(新宿・四谷周辺)に店舗展開するという原則を忠実に実行。自分の給料をアップさせなかったのは、会社に資本を蓄積して店舗展開の資金に回すためである。新店舗は居抜き物件を選んだり、内装で手作りの部分を増やしたりして費用を抑えた。新宿周辺は賃料が高いが「空中階の1年以上空いているような物件を選びました。坪単価は1万5000円以下と決めて、そういう物件にしか手を出しませんでした」という戦略を徹底した。
2013年12月に7号店『Vector Beer』(新宿区新宿)をオープンしたが、ここではブームになる前のクラフトビール(日替わりで10種類)を扱い、人気を集めた。2014年12月オープンの10号店『Vector Beer Factory』(新宿区新宿)では店内に新宿では初めてとなるビールの醸造施設を設けた。ブルワリー名「新宿 Beer Brewing」で「Vector pale ale」と命名した商品を提供し、日替わり17種類のクラフトビールが楽しめるようにした。「Vector pale ale」は生の酵母を使っているために「香りが華やかで、フルーティーです。苦味も若干あり、ビール好きな方にはご好評いただいています」という。
さらに現在、台東区浅草橋の物件に5000万円かけて醸造所を造っている。年内には行政の許可がおりる見込みで、完成後はビールの製造、販売、流通まで行う。1300万円持ち逃げされ一文無しになった男は、10年で5000万円を事業に投資するまでになった。今季の年商は7億円程度を見込んでおり、事業計画を順調に進めれば2年ほどで10億円に到達する見込み。将来的には国内80店舗、海外5店舗、売り上げ100億円を目標にしている。
フルーティーな味わいが魅力の「Vector pale ale」
“不屈のライオン”の教え「自分を信じて突き進め」
同時に持ち逃げの被害に遭ったベンチャー企業の仲間は、小川社長ともう1人を除き、ビジネスをやめているという。それだけ被害が甚大であったということの証左であろう。今、事件を振り返って小川社長は「被害に遭ってなかったら、大阪で商売をしていたと思います。あと何店舗かやって、これでいいと満足していたでしょう。今から考えると、被害に遭ったのが若い時でまだ良かったのかもしれません。ある意味、授業料だったかなと。今だからそう思えます」と言う。経験者だからこそ語れる「災い転じて福と為す」。
今、小川社長は事件の教訓として、こう考えているそうだ。「調子に乗らないことですね。重要な所は全部自分で握らないとダメだなと思います。たとえば金銭関係とか、むやみやたらと人を信用するのはやめた方がいいと思います」。もっとも、気軽に人を信用して全てを失った小川社長だが、再起のために力を貸してくれたのは、信用して出資してくれた人たちである。「とても感謝していますし、僕も必死だったんでしょうね、今から思えば。それで信用していただけた。今、僕が出資する立場に立てば、やっぱり相手が信用できるかどうかで決めます」。要は信用すべきを信用し、信用すべきでない人間は信用してはいけないという、人の見極めを誤らないことが肝要ということである。そこを見誤った点に2007年の事件の原因があったと言えよう。
最後に、同じような環境で再起をかける方へのアドバイスを聞くと、こんな答えが返ってきた。「大事なのは意志です。心が折れた段階で、すべてが終わってしまうので。自分でビジョンをしっかり見つけ、そこに対して突き進んで行くしかありません。自分を信じ、成功すると信じ、やるしかないです」。
最後まで穏やかな表情の小川社長だが、柔和な笑顔の下には、どんな状況でも諦めない強い心が隠されている。千尋の谷から這い上がってきた“不屈のライオン”の冒険は、まだ序章に過ぎないのかもしれない。
将来的には国内80店舗、海外5店舗、売り上げ100億円を目指す
小川雅弘(おがわ・まさひろ)
1981年、兵庫県城崎郡日高町(現豊岡市)生まれ、36歳。2004年に大阪市立大学商学部を卒業。1年間、SEとしてサラリーマン生活を経験した後、2005年に退職して大阪市で飲食店を立ち上げた。2007年4月にライナ株式会社を設立。大阪では2店舗を経営したものの2007年に会社の財産を持ち逃げされ経営ができなくなり店舗を譲渡。同年8月に東京で事業を再開し1号店『カフェ・ドリバネス(現 牡蠣丸)』をオープンした。2013年12月に7号店の『Vector Beer(ベクタービア)』を開店しクラフトビールの扱いを開始。翌2014年12月には10号店の『Vector Beer Factory(ベクタービア・ファクトリー)』をオープン、自家醸造のクラフトビールの販売も始めた。
<ライナ株式会社>
オフィシャルホームページ https://www.lifeart-navi.com
クラフトビール情報サイト「Brewing Japan」 https://brewing-japan.com
<主な店舗>
『Vector Beer』
住所:東京都新宿区新宿1-36-5 新宿ホテルパークイン1F
電話:03-6380-0742
『Vector Beer Factory』
住所:東京都新宿区新宿1-36-7 川本ビル1F
電話:03-5315-4744
『Vector Beer 錦糸町店』
住所:東京都墨田区錦糸3-10-4
電話:03-6456-1120
『塊肉&麦酒 BLOCKS 中野店』
住所:東京都中野区中野2-11-4 ルネッサ紅葉山1F
電話:03-6304-8113
ほか12店舗
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