2017年7月15日05時00分
劉暁波(リウシアオポー)氏が帰らぬ人となった。61歳だった。
中国で自由を追い求めた一徹な生涯は、きわめて不当な獄中生活の中で閉じた。
この蛮行を世界は忘れまい。中国の政権に断固抗議する。
政治犯として長い服役を強いられ、その間に肝臓がんが悪化した。処遇に重大な問題があった疑いが濃い。そもそも投獄されたことが理不尽だった。
中国当局は、米独の医師を招いて、対応の適切さを訴えた一方、国外での治療希望は拒み、見舞客を受け入れなかった。
妻の劉霞(リウシア)さんも含め、最後まで監視を緩めぬやり方は、人権感覚が欠落した中国政府の体質を改めて世界に露呈した。
劉氏が投獄されたのも、ノーベル平和賞を受けたのも、民主化を追求したがゆえである。89年の天安門事件を含め、たゆまず市民の権利を問うてきた。
劉氏らを中心に08年に発表された「08憲章」は、共産党の一党支配に反対し、権力分立、人権保障、公正な選挙を求めている。多くの国で実践済みの、ごく穏やかな提案にすぎない。
こうした真っ当な意見表明を「国家政権転覆扇動罪」に処した共産党政権こそ、正当性を問われるべきである。
多種多様な意見が交わされる社会。複数の党が政策を競いあう政治。劉氏が構想したのは、そんな自由な中国だった。
「私には敵はいない」
その文章が広く記憶される。09年の法廷での陳述書として劉氏自身が筆を執り、のちに、出席できなかったノーベル賞授賞式で読み上げられた。取り調べの警察官や検事らにも敬意を表し、憎しみを全面否定した。
これは寛容の精神である。自由な社会は、各人が自らの意思で責任をもって行動するのを原則とする。各人の選択は互いに尊重される必要があり、だから自由と寛容は不可分なのだ。
ささやかな批判すら許さぬ不寛容の体制と向きあい、投獄間際にあって「敵ではない」と言い切るのは、究極の共産党政権批判といっていい。
この文章を劉氏は、こう締めくくっていた。「中国で綿々と続いた言論弾圧の最後の被害者となることを望む」
その願いに反し、弾圧は今も続いている。習近平(シーチンピン)政権下で厳しさを増し、人権活動家、言論人や弁護士が獄中にいたり監視されたりしている。
民衆を敵視する政治は間違っている。劉氏が命をかけて紡いだ言葉と精神は、中国のみならず自由を愛する世界の人びとが厳粛に受け継ぐことだろう。
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