ナルサス ――必然の戦術家―― 千年戦争アイギス
作者:魔王の手先
――1――
その日の王子は朝から憂鬱だった。
初手ナナリーに頼りすぎたせいで、王子軍には矢の在庫がなかったためだ。
ここは遠征先のキャンプである。新規の仕入れは難しい。
「リオンに買いに行かせるしかないか……」
王子が頭を抱えていると、部屋にケイティが飛び込んできた。
息も絶え絶えの逼迫した様子である。
ただ事ではないと察した王子は、すぐさま発言を促した。
ケイティは震える声で叫ぶ。
「王子! 我が軍のキャンプがゴブリンに包囲されています!」
「数は?」
「少々お待ちください……ヘクター!」
テントの入口の影からヘクターが現れる。
「報告します! 敵数五万! 十秒後に接敵!」
「なんということだ……終わった」
王子は頭を抱えた。ゴブリン一匹一匹は弱兵だが、厄介なのはその数である。
どれだけの強兵であっても、津波のように押し寄せるゴブリンを処理し切ることは困難だ。
ナナリーの処理能力に頼っていた王子軍に、為す術はない。
側近のアンナは絶望の涙を流し、ケイティは唇を噛む。
その時、テントの入口に人影が差した。
「お困りですかな」
「お前は――」
怜悧な顔つきに艶のある長髪。
およそ戦場を駆ける男に似つかわしくない、女神に匹敵するその気品の持ち主は――
「――ナルサス!」
王子たちの目に驚きが浮かぶ。
なぜなら彼は、この絶望的戦況においてなお、笑みを浮かべていたからだ。
ナルサスはテントの中央に備え付けられた作戦会議用の仮設の机に歩み寄り、バン!と叩きながら、
「私に策があります」
余裕の表情でそう言い放ち、机を叩く。
「それは本当か!?」「バカな……」「新参者が……」
テントの入口の影から現れた兵士たちが口々にざわめく。
ナルサスは軍に編入したばかりである。しかも、その戦場には似つかわしくない風貌から、荒くれ者も多く所属する兵士の信頼を得られていなかった。
しかし、それは承知の上。
ざわめきを一蹴するように、ナルサスはバン! と机を叩いた。
対象的に、王子は冷静なまま続きを促すと、ナルサスは言葉を続けた。
「策はある。ありますが――お伝えするには条件があります」
兵たちからヤジが飛んだ。
ふざけるな! この期に及んで条件だと! 気が狂っているのか!?
怒号が飛び交うなか、ナルサスは冷静に机をバン! と叩いて、条件を告げた。
それは、場にいる全員を拍子抜けさせるものだった。
「成功の暁には――王城の壁という壁に、私の絵画を貼って頂きたい」
――2――
「私の策、それは――包囲殲滅戦です」
ナルサスの提案は驚くべきものだった。
(なるほど……)
王子は胸中で感嘆する。
王子軍50名に対して、テントを囲む5万のゴブリンの集団。
その絶望的な兵力差を覆すには、敵を包囲するのが最良に思える。
それだけならば、幾多の戦場を潜り抜けてきた歴戦の王子や、王国最高の戦術眼を備えるケイティにも浮かびうる発想だった。
しかしである。
一つだけ、致命的な問題があった。
王子はその疑問を口にする。
「敵は我々を取り囲んでいる。包囲するためには一点突破を狙うしかない。しかし、それは戦力を集中した箇所以外が手薄になることを意味する。運が悪ければ壊滅は免れないぞ」
「ご心配なく」
涼しい顔のナルサスの背後、テントの入口の影から姿を見せたのは――
――エスタ率いる天馬騎士団の面々。
「そうか! ペガサスライダーならゴブリンが何万いようと飛び越えればいい……これで包囲が完成するぞ!」
喜ぶ王子を尻目に、戦術教官ケイティは浮かない顔で、情けない言葉をこぼした。
「たしかに包囲は可能です。しかし、彼女たちが大群を飛び越えるまで、我が軍の歩兵が持ちこたえられるとは思えません」
しかしナルサスは涼しい顔でバン! と勢いよく机を叩いた。
「私に考えがあります」
――3――
「ギャッ! ギャッ!」「殺される!」「ギャー!」「やめろ!」
考えがある――ナルサスのその言葉を頼りに会戦したものの、戦況は思わしくなかった。
敵の数が多すぎたのだ。
ペガサスライダーたちが飛び去って一分も経たず、王子軍は押され始めていた。
「くっ……ゴブリンキラー! はぁっ、ゴブリンキラー!」
ゴブリンが得意なフィリスが叫びながら敵を斬るが、次から次へと襲い掛かってくる大群に、もはや体力の限界は近い。
「私の旋風でも処理できないなんて……!」「フルガード!」「くっ、もうダメか……」「やはりナルサスはクソだな……」
次々に絶望の声が上がる。
その背後で一人目を瞑っていたナルサスは、すうっと目を開き、おもむろに右手を上げた。
その数秒後――王子軍、そしてゴブリン軍にまでどよめきが広がる。
大地に影が差し、雷鳴のような轟きが戦場を包んだのだ。
――それはまさしく、天空の唸り声だった。
戦場にビリビリとした威圧感が走る。
ゴブリンたちは野生の直感に従い、撤退しようと踏みとどまるが、とき既に遅し――
――瞬間。戦場におびただしい矢が降り注いだ。
ゴブリンの大軍を洗い流す、矢の豪雨。
肉を裂き、臓器が舞い散り、舞った血しぶきすら射抜き続けるそれは、戦術などという域を超え――もはや天災のそれだった。
「――十六翼将の矢計」
ナルサスはぽつりと呟く。
「ば、馬鹿な……何が起こったというのだ」
唖然として状況を把握しかねている王子たちに、ナルサスは微笑で答えた。
「こんなこともあろうかと、空に矢を仕組んでおいたのです」
王子たちの動揺よりも早く矢の豪雨が収まると、そこにはゴブリンミート工場のような肉の山と、満身創痍のゴブリンリーダーが残っているのみだ。
「王子、ご指示を」
ナルサスの声で我に返った王子は指令を下す。
「今だ! 敵を包囲しろ!」
「わかった! ゴブリンキラー!」
最後のゴブリンの首が飛び、戦いは王子軍の圧勝に終わった。
――4――
「俺は信じていたぜ。ナルサスならやってくれるってよ!」「モーティマお前、クソだっていってたじゃないか」
戦いが終わった夜、王子軍では宴が開かれ、勝利に酔いしれる兵たちは口々にナルサスへの賞賛を送った。
つい半日ほど前までは快く思っていなかった荒くれ者たちも、敵を豪快に殲滅したナルサスの武勇を目の当たりにし、バツの悪そうな顔で、しかしどこか嬉しそうに活躍を讃えるのだった。
テントの中。満足そうにそれを眺めていた王子は、傍らのナルサスに笑みを送る。
「これでナルサスの存在も皆から認められたというわけだ。しかし、俺も驚いたよ。一時はどうなるかと思ったが……あんな戦術があったとはな」
「私は矢を降らせたまでです」
「いや……なかなかできることではない。ペガサスライダーを使った作戦も見事だった。個々の能力を把握していないと生まれない、悪魔的発想だ。どうだナルサス、今後は我が軍の指揮を補佐してくれないか」
王子のなかば冗談のように口にした本気の一言に、ナルサスは笑って断りを入れる。
「新参者の私には身に余る話です。今回はたまたま上手くいきましたが――実力ではケイティさんにも及びますまい。当分はお傍で学ばせていただきますよ」
「そうか、残念だな」
謙遜するナルサスに苦笑いする王子。この男には性格面でも敵いそうにない。
「残念といえば――矢は残念だったな」
あの激しい戦闘の後のことだ。ふと、王子は戦場に散らばる山のような矢を再利用できないかと思いつき、一本拾い上げてみたが、どれも折れていたり血が染み込んで柔らかくなっていたりして、使い物にならなかったのだ。
「やはり、リオンに頼むしかないか」
「それならば私に考えが」
ナルサスがスッと右手を上げる――と、大量の矢が天幕を突き破り、作戦会議用の仮設机にびっしりと突き刺さった。
「うわっ、危ないじゃないか! ――すごいな、こんなこともできるのか」
「私は矢を降らせたまでです」
王子が矢を一本引き抜くと、それは新鮮な矢だった。これならばナナリーも満足するだろう。
「やれやれ、お前には敵わないな」
王子とナルサスは顔を見合わせて笑いあい、ワイングラスをチン! と擦り合わせる。
そうして何でもないことのように、ナルサスはこう告げるのだった。
「ところで王子、私の絵画の件ですが――」
――遠征後。
王城の廊下にはナルサス自慢の絵画がずらりと隙間なく並び、防犯効果を発揮する一方で、廊下を走る兵が続出し、ほどなく全て燃やされてしまった。
戦場では冷静沈着なナルサスも、この時ばかりは泣きそうな顔をしていたという。
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