大東亜戦争時の日米戦力比について語るスレ

61 : ななしのよっしん :2012/12/11(火) 23:14:27 ID: YOKtFAEvCu
ワシントン軍縮条約がいかに日本に有利な条約であるかよくわかるなw
英5:5:日3という一見日本に不利な保有制限だが、メリケンが本気になると、この5という数字が10にも20にも際限なく膨らむ

それをわざわざ制限してくれるなんて、アメさんは本当に縛りプレイが好きやでえ
(どのも予算が逼迫していたからでもあるけど)
62 : ななしのよっしん :2012/12/26(水) 21:19:06 ID: Lie4QWmcvN
>>61
陸奥は諦めるべきだったのになあ…
いろんな意味で悪い印しかないw
63 : ななしのよっしん :2013/02/05(火) 16:20:30 ID: 5f9cNl+vJ4
政治が官僚組織を制御できないという問題は、1930年代中頃から帝国滅亡までの時期の事ではなく
際協調体制にあったはずの大正期もまったく変化なかったということですなあ

官僚がから与えられたのは権利ではなく権限であって
その権はすべて政治側の決定を遂行するためのみに使われるものである、という
官僚統治の大原則は今もどれだけ機していることやら……
64 : ななしのよっしん :2014/01/06(月) 20:00:25 ID: VXMOs+33AH
よく日べて当時の戦争謀さがられるけど、これに関しては「相手が悪かった」としか言えないよなぁ……
アメリカの物量が規格外過ぎただけ(論いろんな箇所でアメリカ戦争が上手だったが)で、当時の世界の中なら日本だってそこそこのがあったはずなのに。
65 : ななしのよっしん :2014/01/06(月) 20:17:43 ID: ISYBseZ11c
本当の問題は日間なんて単純なものに限らずアメリカ相手だとどのべても大体似たような率になるということ
これでも日本帝国は当時有数の先進国で富強なんです、少なくともワーストではなくベストで数えられるべきところにいた
ただしベスト3までがリアルチートアメリカソビエト、腐っても大英帝国で埋まっている時点でお察しということですわ、そして最終的に日本は全部敵に回すというね
66 : ななしのよっしん :2014/01/24(金) 15:15:59 ID: ZvlmUKmsdE
外交軽視、外世論工作軽視、
政治特定企業の癒着が過ぎて大企業(財閥)にに甘い
としては無能すぎるんだよ。今も昔も日本

外交敗北からの戦争なんてその時点で負け確定なんだし
67 : ななしのよっしん :2014/02/05(水) 22:09:09 ID: ui67K2mDfI
なんだこれ
くっだらねえ記事www
68 : ななしのよっしん :2014/02/28(金) 08:02:25 ID: LRzyDXNpyk
偏ったひでえ記事だなwこんな偏った機種を較してどうする?
航空機生産数は米国32万機 日本軍7万機だろ
10倍のアメリカはどもかく4倍のナチスが12万機だったのと
較すると日本はよく生産してるよ

あと日本軍叩きには大体 ZvlmUKmsdE みたいな電波が登場して
現代とべる論繰り広げて日本叩きにはしるのも定番だなw
仕事でやってんのかね
69 : ななしのよっしん :2014/08/17(日) 02:27:59 ID: DZF8e8tb9L
なぜお情け程度のガンバったで賞をまるでメダルのように誇るのか
私は理解に苦しむね
70 : ななしのよっしん :2014/09/07(日) 01:23:34 ID: 3y04jEfUju
まぁ、でも日露戦争時の日露の格差もこれぐらいあったし。

(中国/欧州戦線を考えず)日本アメリカの、タイマンとした場合、
他の列強が日本に結構好意的で、
アメリカ内の共産主義者や人などの暴動の危険性がかなりあって、
同時に、メキシコにも大軍を配置しないといけない様な
状況なら、ドローに持ち込めたんじゃないか。

…相当に厳しい条件だな。
71 : ななしのよっしん :2014/10/26(日) 18:28:45 ID: JspNHWZ7XV
20世紀初頭のロシアは外にも内にも敵だらけで血の日曜日事件まで起きたけど40年代のアメリカはそこまでひっ迫した状況じゃないんだよなぁ
72 : ななしのよっしん :2014/10/27(月) 01:23:20 ID: YOKtFAEvCu
割とマジで当時日本アメリカに勝つには『アメリカを南北戦争で統一させない』ぐらいしなくてはならないと思うw
73 : ななしのよっしん :2014/11/08(土) 09:30:46 ID: 8iAqwdeRjn
~なんて堅苦しい表現しなくても、
宇宙ヤバイ」ならぬ『バイ』でよくね?
74 : ななしのよっしん :2014/11/08(土) 09:49:08 ID: DGma01Djmo
>>70
日露戦争時はロシアが膨政策を取っていて英日本支援に回ってくれたわけだけど、
太平洋戦争時は日本が膨政策を取っているから、
際世論を味方にするのはまず理と考えていいんだよな。
最後の切り札際連盟も脱退しちゃったし。
75 : ななしのよっしん :2014/12/16(火) 13:07:14 ID: XF/Mn59h4r
>>68
そりゃドイツ戦車の生産にもを入れてたからな
第二次大戦において日本の生産数が4600輌程度に対してドイツ40000輌近く生産してたし
76 : ななしのよっしん :2015/01/03(土) 00:42:28 ID: jQBb9lv6eG
>>68
 66を擁護するわけでも日本くわけでもはありませんが、戦争で勝つために必要なのは高性な武器でも多くの戦でもなく、外交でより多くのを味方にして自分に有利な状況を作り、相手を不利な状況にする事です。その時点で勝敗は決まっています。
 
 戦術<戦略<外交 の関係であって、いくら戦場で敵兵を多く倒しても、標の拠点を取れなかったり味方の拠点を奪われたりすると、その戦果は意味になるし、外交で味方や支援かったら、重要拠点を守れてもその拠点に価値はいんです。
 
 ベトナム戦争がいい例で、ベトナムソ連中国の将校や軍事顧問を基地や港に駐留させてアメリカに基地を爆撃させづらい状況を作った上、アメリカの世論に厭戦気分を蔓延させ反戦デモを起こさせて、戦争継続を不にさせました。(他にもアメリカの敗因は色々ありますが)
 
 つまり外交戦略に勝利したり、内外の世論を味方につけるのはとても重要な事なんです。長文すいませんでした。
77 : ななしのよっしん :2015/04/19(日) 22:33:22 ID: yfFS6Rkaci
イタリア日本フォードの大量生産システムロジックを取り入れ損ねた。
だからWW2での生産数でも大差がついたってのもあるやろという話を聞いて、
あーなるほどそういう考え方もあんのねと思った。
78 : ななしのよっしん :2015/06/12(金) 08:21:00 ID: T0Yq9srmf/
>>77
といっても戦前日本でそんな大量生産なんかやっても
在庫の山が築かれるだけでけなんかできんのですよ。投資するだけ駄。
だから開戦不可避になってからあわてて大量生産システムの導入に奔走し、そしてほとんど成果を残せなかった。
79 : ななしのよっしん :2015/06/21(日) 22:21:22 ID: MmVxnDoeoK
日本はミッドウェー見ても、もし物量で勝ってても結局アメリカに負けてるんじゃないかと思ってしまう。
戦略とダメージコントロールの差がでかい。
航空パイロット三交代で休ませて本で教官にもするアメリカと、パイロットブラック前線で使いつぶす日本との差も致命的
80 : ななしのよっしん :2015/06/21(日) 22:28:57 ID: Pe3gAYNR1Z
それにミッドウェーで勝っても慢心しきった日本軍がもっとヤバイ失敗を犯すと思う。
81 : ななしのよっしん :2015/08/25(火) 17:30:31 ID: PdBBhOet44
>>79
理由の二つって戦局が厳しかったから行ってたことだと思うんだけど、
それに、物量で勝っている状況だと、そもそもアメリカ戦争を挑む必要性がなくなると思う。
82 : ななしのよっしん :2015/08/27(木) 19:17:50 ID: J4v13d99TJ
とは言えアメリカ軍パイロットの戦死者は日本の3倍以上なんだが
太平洋戦線に限っても日本軍よりアメリカ軍パイロットの死者が多い
日本は特攻もあれば地上戦で亡くなったパイロットも多かったのにも関わらずな
83 : ななしのよっしん :2015/09/10(木) 20:03:36 ID: DZF8e8tb9L
投入機数が違うからね
あと乗員数の多い大爆撃機とか日本は投入できなかったし・・・
84 : ななしのよっしん :2015/09/11(金) 00:25:04 ID: YOKtFAEvCu
ようは「どの軍の、どの戦場でどのように死ぬ割合が大きいか?」ということだ
上記にもある通り、米軍は多量の軍戦を投入できたからこそ、その分の兵士の死者数は多くなったわけだし、東南アジア植民地への攻略や防衛が多かった日本軍将兵は大本営によるセルフアウシュビッツのお陰で餓死や病死などの割合が多くなってしまった
85 : ななしのよっしん :2016/01/18(月) 01:51:52 ID: yrxXQnP8eO
そもそも戦差以前にインテリジェンスの面で日本はダメダメすぎた
アメリカですら開戦してすぐに国家総動員体制に突入したのに何でで大きく劣る日本長にしてたのよと
86 : ななしのよっしん :2016/01/28(木) 17:23:02 ID: tk/H0zvcsh
>>85
当時は
な物質文明=ユダヤ人が支配する西洋
深遠な精文化=大日本帝国が統一する東洋
という発想だったらしい
劣等民族である禍(ユダヤ人とその手先欧人)の悪行を神の国日本人が打ち破るとか
異論もあったにせよ、大日本帝国ユダ陰謀説に受けてアーリア人(自称)のナチスと同盟組むくらいだったから、絶対勝利できるんだと神話宗教的感覚で信奉していたんじゃないかな
87 : ななしのよっしん :2016/01/28(木) 18:41:08 ID: vD0XxnP+IT
ここには載ってないけど毎週空母作ってくるなんて
チート無理ゲーすぎる生産
88 : ななしのよっしん :2016/01/28(木) 20:41:45 ID: T0Yq9srmf/
いや別に一週間で作った訳じゃないけどねw
もっともそれは要するにそれだけ同時並行で作るがあるってことで、実はそっちのほうがよっぽど恐ろしい

>>85
山積する外交問題を最終的に戦争で解決できるがあるから、39年の欧州大戦開始時にもう国家戦体制に切り替えの用意ができるアメリカだからね
日本アメリカ相手に開戦したら死亡確定なので極戦争は回避したかった、それで戦争を回避するために全を注ぐ方向に向かうのではなく戦争の準備をしない方向に向かう、っていう
つい最近どっかで見たような構図が当時も普通に起きていただけの話

1941年は維新から74年、1945年からウン年経つと……くわばらくわばら
89 : ななしのよっしん :2016/01/30(土) 23:50:21 ID: uuLRej5qsA
>>85-86
1933年に際連盟脱退したころの日本には、反西洋的な日本至上義・世界制覇思想が見られるという話を聞いたことがある。

例えば1930年8月31日朝日新聞は、「今や西欧の物質文明が黄昏を示さんとして居る時、東方の精文明は正にを告げんとして居る。」と掲載した。
1936年に関東軍が配布した「満州国根本理念と協和会の本質」によると、「満州八紘一宇の理想に基きたる第一段階」「第二次、第三次て逐次支那に、印度に、濠州に、西利亜に同様の王道国家完成する」。
地政学者の小牧実繁が1941年に発表した「『大東亜戦争』宣言」では「大東亜戦争、それは決していはゆるアジア大陸の東の一部のみ対とする如き規模の狭小、理念の低卑なるものをすのであつてはならない」「皇世界被、八紘一宇具現のための皇世界維新戦の一環、否、皇世界維新戦そのものですらある」
哲学者の三木清が1938年に講演した「支那事変世界史的意義」では、「日本世界史的使命とは、コミュニズムに対抗する根本的理念を身を以て把握することにある。それを間的にいえば東洋の統一であり、それをまた時間的にいえば資本主義社会の解決である。」
蔵原伸二郎は『撃滅せよ』(1932年)というを書いている。「われらの血脈は憤した」「民族の純血の中に」「われら民族よ すべてをとれ 立つて口をむけよ かの西欧的なる われらを蝕みつつある 片のごとき思想に対して そののごとき虚妄の正義に対して 今ぞ 敢然として口をむけよ」
「はつらつたる東洋の若者たちよ! かの憂なる 兇悪なるガスのごときらを その盲目どもを ちかつて陰山の北に撃滅せよ 遠く 遠く陽関の西に追放せよ」

何というか、当時の日本人は自分の軍事について、全体的にかなり自信満々だったように見える(特に、大日本帝国領をインドオーストラリアシベリアにまで広げるつもりだった関東軍は)。裏を返すと、日本は「長にしてた」というよりだったんだろう。ロマン義と根性論の塊としてのさだが。
90 : ななしのよっしん :2016/10/28(金) 16:44:22 ID: kKBQV8sZJr
1868年から貧乏と不等条約、有色人種という数々のハンデに苦しみながら近代化を進めたと19世紀中に資豊富な大陸丸々一つ使えるようにして大陸のいいとこどりができるようなとの差なんてこんなもんだろ。
最も戦争回避なんて地政学上と人種問題、資等の立地条件等から不可能だし、期に総戦に耐えうる国家育成を怠ってきた日本人が悪いとしか言えんわな。
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