(い)物質界(生命系を含め)の法則:熱力学の第二法則
断熱孤立系のエントロピーは増大する
等温閉鎖系の自由エネルギーは減少する(秩序の崩壊、情報の喪失)
@エントロピーと自由エネルギー
われわれの宇宙は150億光年の拡がりをみせる、という。その彼方の果てに外部があるとしたら、そこも、われわれの宇宙の中に含めなくてはならないだろう。だから、われわれの宇宙に外部はない。熱力学第二法則は、永久機関が作れないこと、すなわち仕事の効率は100%ではあり得ないことを教える。これは、自然の過程が不可逆で、これに伴って、エントロピーと呼ばれる乱雑さの度合いを表す物理量が絶えず生産されることを意味している。こうして、宇宙では絶えずエントロピー(乱雑性)が生産されている。だが、宇宙はそれを捨てる外部をもたないので、宇宙のエントロピーは増大を続けていくのである。
もちろん、われわれの周りは、でたらめの世界にはみえない。原始の地球を想像して見れば、そこには森林や草原もないし、虫や獣もいない。家や道路もない。裸の土地や海が広がるばかりで、今日のわれわれの眼から見れば「荒涼」そのものである。宇宙のエントロピーは増大している筈なのに、今日どうして、われわれの世界は「でたらめ」ではないのか。
仕事が行われたからである。物理学では、「力」x「移動距離」=「仕事」、と定義されている。ぶらぶら散歩するだけでも、立派な仕事である。重い荷物を運べば、仕事量はもっと大きくなる。どんな仕事をするにも、エネルギーが必要である。エネルギーとは、仕事をする能力のことであり、物理単位としては同じで、J(ジュール)とかkcal(?カロリー)が用いられる。成人男子は、単にじっと安静にしているだけでも、毎日約2000kcalの栄養を摂取することが必要である。
- 整理整頓している部屋には秩序がある。整理整頓を怠れば部屋は散らかり、乱雑になる。この乱雑の度合い(量)をエントロピーという。整理整頓とは、人間の頭脳活動と筋肉労働に他ならず、エネルギー投入を行っていろいろな物体を移動させるわけだ。
- 紅茶の入ったカップに角砂糖を沈める。角砂糖は次第に崩れ、砂糖分子が紅茶全体に拡散されて甘くなる。溶液中に溶けている分子は、濃度が高い方から低い方へ拡散していくのである。スプーンでかき回せば早く溶けて、全体が均質になるが、放っておいてもそうなることに変わりはない。しかし、この逆を行わせることは、特別の仕掛けとエネルギー注入なくしては絶対におこらない。これが、自然の方向なのである。角砂糖が一点に集中して秩序ある状態から、くまなく均質に溶けた状態へ移行する。均質になった状態では、もう変化することはできない。これを平衡状態といい、乱雑さ(エントロピー)が最大になっている。高温の物体と低温の物体を接触させると、熱は高温の物体から低温の物体へ移動していくのみである。したがって、両物体の温度が等しくなったときもうそれ以上の熱の移動は起こらない、熱平衡状態に達している。
仕事の効率は100%ではあり得ない。必ず、損失がある。エネルギーのすべてを仕事に変換することはできない。では、エネルギーのうち、最大限、どれだけの部分が仕事に変換しうるのだろうか。この最大量のエネルギー部分を、自由エネルギーという。特に、圧力差や温度差を仕事に変換できない場合には、エネルギーのうち、エントロピーとして失われるエネルギー部分が熱であり、仕事に変換しうるエネルギー部分が自由エネルギーである。
われわれが仕事を行う限り、村や町をつくることができる。この仕事の源泉は食糧であり、食糧はもちろん、植物が太陽エネルギーを利用して植物自身を育てていること、植物の生命活動に由来している。こうして、宇宙のエントロピーは増大しているにも関わらず、その内部では秩序や構造がつくられていく。
A系について
仮想的にせよ、現実にせよ、一つの境界が定められるとき、その内部を系(システム)という。外部は、外界、或いは環境とも呼ぶ。細胞や個体、或いは地球はどれも系である。地球と地球生物の全体をひっくるめて地球生態系という。
系は外界とのエネルギーや物質のやりとりの有無に応じて三つに大別されている。孤立系では全く交換がない。宇宙がその典型であるが、例えば、発泡スチロール製の閉じた箱や魔法瓶の内部も、「擬似的な」孤立系とみなすことができる。この中では、エントロピー(乱雑性)は増大するばかりである。
第二の系は閉鎖系。エネルギー交換はするが物質交換はない。地球は太陽から輻射エネルギーを受け、熱を放出している。隕石が衝突したりしているので厳密には物質交換はゼロとはいえないが、地球を閉鎖系と見てよいだろう。だが、等温閉鎖系ではないから、太陽輻射が続く限り、地球の自由エネルギーが消滅することはない。
第三の系は開放系である。エネルギー交換も物質交換も行う。森林生態系、草原生態系、湖生態系、、など様々な地域生態系があるが、どれも開放系である。一つ一つの種個体群、例えば高崎山のサル個体群なり、日本列島に棲む人々全体の個体群も、開放系とみなすことができる。もちろん、生物個体や単細胞生物の細胞は(明瞭な境界をもった)開放系である。
このように定義された系(システム)は、工学的システム論におけるシステム(系)とは異なる。システム論におけるシステムは、目的と制御を内在させていることに特徴があるが、ここで述べたようなシステムには、そのようなものはなく、純粋に物理学的見地からみたシステムであることに注意したい。
B生命と物理法則
生物体(細胞)は物理法則にしたがう。中でも重要な法則が熱力学の第二法則である。このように表現されると、がっかりしたり反発したりする人々がいる。生物は単なる物質の単なる寄せ集めではない、と。まさに、その通り、寄せ集めではないのだが、先の命題には誤りが微塵もない。
生物体(細胞)が物理法則にしたがうとは、生物体(細胞)は物理法則に違反したり対立したりすることはできないということである。この原則は、生物体(細胞)が生命をもたぬ物質界と全く同じ法則にしたがっているといっているのでもないし、物質界(ここでは非生命界という意味)の法則だけで生命を理解できるといっているのでもない。物理法則にしたがうという共通の性質をもちながらも、生命が単なる物質の寄せ集めとは異なる独特の様相を示すのは、何故なのか。この謎に面白さがある。
生物はエントロピー増大法則にしたがっている。もしそうでなかったとしたら、生物は永遠の生命をもつことになるだろう。われわれが老化するのも、衰弱して死ぬのも、或いは地上に様々な種類の生物が生息するのも、すべてエントロピー増大則にしたがっているからこそである。つまり、肉体の磨耗や遺伝子複製の誤りは避けることはできないのである。われわれが、健康に生きているということそのものでさえ、もちろん、エントロピー増大則に沿った活動である。生きるということは自由エネルギーの消費(すなわち仕事)である。だから、毎日栄養を補給して、肉体の自由エネルギー減少を補うのである。
生命の秩序はエントロピー増大則に対抗して形成されるているのではない。断熱孤立系のエントロピーは増大する。等温閉鎖系の自由エネルギーは減少する。不可逆過程では常にエントロピーが生産される。生命系は自由エネルギーを摂取しエントロピーを捨てて、生命系としての秩序(例えば細胞の構造と機能)を維持する。生命系はこうして熱力学の第二法則(エントロピー増大則)と矛盾せずに活動している。しかし、細胞を構成する蛋白質や核酸などの分子や、葉緑体やミトコンドリアや細胞膜などの細胞内構造の一つ一つには、生命機能がない。つまり、分子や細胞内構造の行う反応過程に伴って生産されるエントロピーを、これらの分子や細胞内構造それ自体が捨てる能力はないし、自由エネルギーを自ら補給する能力ももたない。それらの一つ一つが関係しあいながら、まとまった一つの細胞に統合され、そのとき細胞が発揮する能力が、自由エネルギーの補給でありエントロピー廃棄なのである。だから、分子や細胞内構造は「エントロピー増大則」にしたがって磨耗するが、細胞は生きている限り「エントロピー増大則」にしたがって、この磨耗から「細胞」を守ろうとする。そして、この修復が限界に達したとき細胞は死ぬ。