ヒッピー文化と現代のバックパッカーたち

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はじめに

ヒッピーという言葉は、どこかで耳や目にはしていても、またなんとなくイメージすることはできても、本来のヒッピーがどんな目的を持ち、どんな活動をしていたかを知る人は多くありません。また、「自分はヒッピーだ」とカムアウトしている多くもまたはありません。

しかしヒッピー文化は、現在急激にその名が知名度を上げている「バックパッカー」と切っても切れないつながりを持っています。その関係上、ヒッピー文化に対して新鮮な興味を向ける人が現れています。

ヒッピー文化の発生から今までを振り返り、どんな変遷を遂げてきたのか、そしてバックパッカーとどんな関わりを持つのかまとめてみました。

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ヒッピーとは

ウィキペディアによると、ヒッピーとは「伝統・制度などの既成の価値観に縛られた人間生活を否定することを信条とし、また、文明以前の野生生活への回帰を提唱する人々の総称」だとあります。何やら難しい表現ですが、簡単にすると、「現代社会のルール」に反抗して「ノールール」を求める人の呼称といえます。

この考え方のきっかけとなったのは「ベトナム戦争」。正しい戦争というものが存在するかどうかは分かりませんが、ベトナム戦争は「正義なき戦い」と呼ばれ、多くの若いアメリカ人が「愛」と平和」と「戦争反対」の旗を掲げて、社会が求めるあらゆる「ルール」に反抗したのです。

その行動は、「徴兵拒否」という直接的なものだけでなく、「薬物の使用」や「東洋思想の悟り」によって「精神的な解放」を求め、各地でグループ化して共同体「コミューン」を形成し、全米へ、そして全世界へと広がっていきました。

マスコミュニケーションがワールドワイド化した時代とも重なり、その頒布のスピードは驚くほど早かったものの、ベトナム戦争が終わり、薬物取締りが厳しくなると、その勢いは急激に衰えました。

現在も世界中にヒッピーはかなりの数がいるものの、過激な傾向は減り、思想よりも文化的な存在としての存在色が濃くなっています。

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ヒッピー文化とは

ヒッピーたちが当初目指したのは、「Back to Nature」。「文明以前の野生生活」が理想でしたが、かといって洞穴に住み、狩猟で生活していたわけではありません。

一部はコミューンを形成して自給自足に近い生活をし、また一部は精神的な自由を求めて放浪を続けました。

また、「自然」・「愛」・「平和」・「セックス」・「自由」がヒッピー文化の中心であり、自然への回帰を求めて自然保護活動へと導かれたグループもあります。「フリーセックス」や「薬物によるトランス」を推奨するグループも生まれました。「反体制」の部分が強調されたグループも存在しています。

そんな枝分かれしていったヒッピー文化の中に、東洋的精神的聖地の集まる「シルクロード」への巡礼というスタイルも生まれました。

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ヒッピートレイルとバックパック旅行

今のようにLCCもなければ、格安航空券もほとんど存在していない、飛行機が就航している路線も非常に限られていた1960年代~1970年代のヒッピー全盛期。ヒッピーたちはその移動範囲を、空路は最低限に主に陸伝いでアメリカからヨーロッパ、そしてアジアへと拡大していきました。

アジアを目指したのには、文明から遠ざかりより自然な(原始的な)生活を安く長く続けることができるという理由と、東洋の悟り文化が存在するインド・タイ・ネパール・イスタンブルや中近東のシリア・ヨルダン・イラク・イランなどを訪れたいという欲求が関係していました。

彼らは徒歩、ヒッチハイク、バスなどで移動し、野宿や売春宿などの最低金額の宿泊施設で時折埋没しながら、ヒッピー文化を世界各地に知らしめ、各地域にはそんなヒッピーたちを受け入れる宿や旅行代理店などが作られていきました。

そう、これが現在のバックパッカーたちが移動手段とするローカルルートや安宿の原型となっているのです。

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ヒッピー文化がバックパッカーに与えた影響

ヒッピーたちの自由でローコストな旅のスタイルは、後のバックパッカーたちに大きな影響を与えました。

ヒッピーたちは旅の目的に「自然回帰」・「反体制」・「自由」・「トランス」などを掲げ、低予算でそれらの目的にかなう場所としてシルクロード地域を旅先に選びました。それまで、外国人旅行者といえば、探検家かビジネスマンか、ごく一部のリゾートを訪れるセレブに限られていましたが、ヒッピーたちが通り過ぎたあとには、低予算の旅人の受け皿が作られていったのです。

そこへ、うまく乗っかっていったのがバックパッカーです。バックパッカーの起源ははっきりしないものの、ヒッピー文化に続いて現れた新しい旅の形として認識されています。

ヒッピーたちの旅のスタイルを見聞きしたヒッピー的な思想を持たない若者たちが、その旅のスタイルだけを真似たのです。バックパッカーたちの旅の目的は「旅」そのもの。ヒッピーたちと共通したり似通っている点としては、ある程度の自由を求めていること、予算が限られていること、少しでも長く旅をしたいことなどがあげられます。

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現在のヒッピーとバックパッカー

現在はヒッピーとバックパッカーの境界線は非常にあいまいになっています。

今もアメリカやヨーロッパを中心にヒッピーのコミューンが存在し、自然保護や反体制活動などを含めたヒッピー文化を受けついでいます。しかし、ヒッピー誕生当時のような退廃的だったり強行的な活動を行うヒッピーは多くありません。

それでも、ヒッピーは世界に一つの文化として根をおろし、音楽や映画などの芸術や、宗教にも似た思想として存在感を持ち続けています。分かりやすい例ではヒッピーファッションもその一つでしょう。しかし、現在はもう大きな流行や活動には結びついていません。

一方で人口を増やし進化を続けているのがバックパッカーです。現在のバックパッカーは、ただ旅行グッズを背負って、限りなく低予算で安宿を転々と渡り歩いていく貧乏旅行者だけではありません。旅の予算も期間もスタイルさえも幅を持ち、飛行機や快適な宿を利用することもあれば、パソコンとインターネットで仕事をして収入を得ながら旅を続けていることもあります。貧乏だからではなく、いかに低予算で旅をするかというチャレンジ感覚がバックパッカーという旅のスタイルを選ばせていることもあります。

ヒッピーにとって旅は現実社会からの脱出方法であり、非文明の中で生活する方法の一つでした。旅そのものを目的とするバックパッカーとは、外側から見た旅スタイルは同じですが、目的は違っているわけです。

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現代のバックパッカーにとってのヒッピー文化

ヒッピー文化はバックパッカーにとってその土台とも手本とも先駆ともいうべき存在かもしれません。

しかし、世界中を旅するバックパッカーたちにとっては、ヒッピー文化はあくまでバックパッカーとよく似た貧乏旅行の手段の一つだったり、ファッションやスタイルに過ぎません。

また、ヒッピーたちにとってのバックパッカーは同意味の場合もあれば、旅のスタイルは似ていても目的意識が違うと区別している場合もあるようです。

そして、バックパッカーでもヒッピーでもない多くの人の目には、年代によってヒッピーに対する認識が異なるものの、現在ではほぼ同じに見えています。

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まとめとして

ヒッピーを自称する人たち、バックパッカーたちの間からは、「一緒にしないでくれ」という苦情も出そうです。

ヒッピーとバックパッカーは確かに目的が異なり、同じものではありません。しかし、ヒッピー文化がより柔軟性を持つようになり、バックパッカーの幅が広がっていることから、その境界線は限りなくあいまいになってきているのもまた確かなのです。

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