THE NEW GATE

風波しのぎ

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第十六章『魂の帰る場所』

【1】

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 罪源の悪魔による侵攻を一先ず退け、シンはまずシュニーに連絡を取った。
 ルクスリアの力によって召喚陣やそこから現れたモンスターこそ消えたものの、建物や人的被害は少なくない。シュニーも全体は把握していないようだったが、モンスターが消えたことで怪我人の治療や救助に動き出した人もいるらしい。

「俺は街に行くつもりだけど、ルクスリアはどうする?」
「そうね。私はヒラミーと合流するわ。メッセージで外はもう安全だと知らせたから、シェルターから出てくると思うし。でも、その前にシンにちょっとお願いがあるんだけど、いいかしら?」
「内容次第だ」

 またはいてないだの、つけないだの言われても困るので、シンはあらかじめ予防線を張っておく。

「そんなに警戒しないで。ちょっと服を借りたいのよ。ほら、今の私、この帯っていうか布っていうか、まあそんな感じのものを体に巻いてるだけじゃない? これは私の力が形をとったものみたいなんだけど、さすがにこのままうろつくのはまずいと思うのよね」

 そう言って肩をすくめて見せるルクスリア。シンが注視してみると『天使の帯布』とでた。素材アイテム扱いのようだ。
 『天使の帯布』はルクスリアの胸から太もも辺りまでを隠している。体に沿ってぴったりと巻きついているので、体の凹凸がかなりはっきりと出ていた。体に巻きついた部分以外に腕にも帯布は展開している。こちらはゆったりとしたもので、腕の周りに浮いていた。
 戦闘が終わったからか、背中にあった光の輪やそこから伸びていた羽らしきものは消えている。

「まあ、そのくらいなら協力するか。とりあえず、靴と服」

 シンはアイテムボックスを操作し、まずは適当な衣服を取り出す。これといった特殊効果のない、スキルレベルを上げるために作ったものだ。
 ルクスリアのつけてない、はいてない発言があったので、もし入れっぱなしにしていたら程度の気持ちでアイテムボックス内でソートをかけてみる。すると、いくつか明らかに忘れていたのだろうとわかるものが残っていた。

「あとは……下着か」
「……あら? 今下着って聞こえたような」

 ルクスリアはばっちり聞いていたようだ。

「ねぇ、シン? なんであなたが女性ものの下着をさも当然のように持っているのかしら? まさか、自分で作った好みの下着をシュニーちゃんに――」

 カード状態のそれを見て、ルクスリアはシンに問いかけてくる。話している途中で、まさかといった表情になった。

「違うわ!! 生産系のスキルを上げるときに作ったものがアイテムボックスに入れっぱなしになってただけだ。まだ駆け出しの頃のやつだから、サイズ自動調節機能もついてないしな」

 容量が無駄に多いとまで言われたアイテムボックス。それ故に、最初のころに作ったものがアイテムボックスの奥底で忘れられていたりするのだ。シンのような生産職のプレイヤーではよくあることで、他にもまだガラクタとしか言えないようなものも残っている。
 シンも残っているとは思っていなかったくらいだ。

「ふ~ん、へぇ~」
「なんだかひどい誤解を受けている気がする」

 あからさまに疑っていますと言わんばかりのルクスリアに、シンもなんと言うべきか迷う。男性であるシンのアイテムボックスから女性ものの下着が出てきたのだ。何を言っても言い訳に聞こえるのは間違いない。

「なんでもないわ。じゃあさっそく着替えるわね」

 ルクスリアがそう言うと、体に巻きついていた帯布がすっと消える。
 いきなりのことでシンはルクスリアが何をしたのかすぐには理解できなかった。目の前にあるルクスリアの裸体を見て数秒かたまる。そして、何が起こっているか理解するとばっと体ごとルクスリアからそらした。

「そのまま見ててもいいのよ?」
「勘弁してくれ……」

 もとが色欲の悪魔だけに、天使となってもその美しさと悩ましいボディラインは健在だった。これが悪魔のままならば過剰ともいえる色香を感じたのだろうが、天使になったせいかそれほど強い色香を感じなかったのが救いといえば救いだろう。裸婦像のような芸術品を見ている感覚が多少だがあったのだ。

「ねぇ、シン。わざわざ用意してもらっておいてなんだけど、サイズ自動調整機能をつけてもらっていいかしら」
「……カードだけくれ」

 理由はお察しだ。一応、持っていた中で一番大きいサイズを渡したのだが、それでもダメだったらしい。同じような背丈の女性の平均値をはるかに越えているだろうそれを知っているシンとしては、やっぱりかという感想しかない。
 ルクスリアを見ずにカードだけ受け取り、シンはささっとサイズ自動調整機能を付与した。今まさにルクスリアはつけていないのだ。

「うん、ぴったり。話には聞いていたけれど、便利よね。いつも特注だったから、助かるわ」

 背後から聞こえる衣擦れの音が止んだのでシンが着替え終わったか声をかけようとすると、背中に誰かが抱きついてきた。当然、相手はルクスリアだ。体を密着させてきているので、シンの背中で何か柔らかいものが押しつぶされている。

「おい」
「ふふっ、ちょっとしたお礼よ。このくらいならいいでしょう?」

 背中の感触が離れたところでシンが振り返ると、ルクスリアがいたずらが成功した時の少年のような顔で笑っていた。白いセーターと黒いロングスカート姿のルクスリアは、その仕草のせいで少しだけ幼く見える。

「ほんとはキスをしてあげたいところだけれど、シュニーちゃんに怒られそうだからやめておくわ」

 ただし、次の瞬間には唇に人差し指を当てて妖艶な雰囲気出し始めたせいで、どこまで本気なのかシンにはわからなくなった。

「はぁ、どちらかといえば俺がやばいからやめてくれ」

 確実にシュニーが不機嫌になる案件だ。シンとしては、そんな爆弾を投下されてはたまらない。
 シェルターからの転移先に向かうルクスリアと別れ、シンは街に向かう。アワリティアによって破壊された外壁から街中へと進むと、モンスターのもたらした破壊の後がよくわかった。全壊、半壊したものも多いが、どちらかと言えば入口付近だとか屋根の一部だとか、ちょっとした損傷のほうが多いように見える。これは誰かがモンスターと戦ったのが原因だろう。
 シュニーから聞いていたとおり、人々の表情からは危機感は感じ取れない。モンスターが消滅したことで
危機は去ったと理解しているようだ。

「俺も、出来る限り手伝うかな」

 マップと気配察知を使うことで、倒壊した建物の中にまだ取り残されている人たちがいるのがわかる。まずはその救助からと、シンは一番近い場所に向かった。

「……2人か」

 建物の中には反応が2つある。

「おいあんた、中に人がいるかわかるのか?」

 近くにいた男が、シンのつぶやきが聞こえたのか声をかけてくる。。レザーアーマーを身に着けているので冒険者だろう。

「気配を探る技術の応用でな。まずは建物が崩れても大丈夫なように魔術で安全を確保する。念のため、少し離れていてくれ」

 シンがそう言うと、男はうなずいて回りにいた男たちにも離れるよううながした。この一帯で救助活動をしている人たちのリーダーのような立ち位置らしい。
 シンはまず透視スルー・サイト分析アナライズを併用して、取り残された人がどんな状態かを確認する。運が良かったのか、柱と柱の隙間にできた空間にいるようだ。シンは土術系魔術スキル【アース・ウォール】を発動し、閉じ込められている2人を覆うように展開した。

「よし、OKだ。中にいる人を土壁で覆った。ちょっとやそっとじゃ壊れないから、とっとと瓦礫を撤去しよう」

 シンの言葉を受けて、男たちが瓦礫をどかし始める。シンもその中に加わり、運ぶのに時間のかかりそうな大きな瓦礫をひょいひょい持ち上げては別の場所に積み上げていった。
 人命救助に自重は不要と、壁の一部がそのまま残っていようが丸太のような柱が折れて転がっていようがお構いなしに持ち上げていく。シンが一つが礫を撤去するたびに、ズンッやドンッといった音が響いた。

「なんじゃありゃ……」
「すんげぇ……」

 自身の数倍はある瓦礫を片手で持ち上げるシンを見て、同じように瓦礫を撤去していた男たちが唖然としていた。

「おまえら、手ぇ止めてる暇なんざねぇぞ! でかいのはあの兄ちゃんに任せて細かいもんを動かせ!」

 一足早く我に帰ったリーダー格の男が棒立ちの男たちに発破をかける。他の男たちもはっと我に返るとすぐに動き始めた。大きな瓦礫をどかした後はシンが要救助者のいる場所をピンポイントで指示し、しばらくすると土でできた球体のようなものが姿を現す。
 固めすぎて男たちでは土を壊せないので、シンが穴を開けた。中には身を寄せ合っている親子の姿があった。男たちの手で引き上げられた母と娘は、何が起こったのか分からないという表情だ。

「後は任せた。俺は他の場所を見てくる」
「おう、こっちは任せてくれ。――頼んだぜ」

 その言葉にシンはうなずき、すぐに他の生き埋めになっている人のところへと急いだ。


 ◆


「ずいぶんと、活躍してくれたようだな。エルクントを代表し、礼を言う」

 アワリティアの襲撃から3日後、シンとシュニーは王城にてクルンジード王たちと会っていた。
 ルクスリアから事情を聴いたヒラミーによって王城へ連絡がいき、アワリティアが討伐されたことはその日のうちにクルンジード王や上層部の者たちに伝わっている。それなのに謁見が3日後となったのは、連絡に来た騎士にシンが救助を優先したいと伝えたからだ。
 王都の謁見を先延ばしのするというシンの行動は、それを伝えに来た騎士からすれば不敬に当たる。しかし、理由が理由だけに問題とはならなかった。シンのところに来た騎士も、理由を聞いて自分も救助に向かいたいと言ったくらいだ。先のアワリティア襲撃で、自分たちがほとんど何もできなかったことを悔いているようだった。

「いえ、こちらも後手に回ることが多かったですし、今回の被害が少なくてすんだのは単に運が良かっただけです。大口をたたいておいてあまり役に立てず、申し訳ないくらいで」

 人質を取られてほとんど何もできなかった身としては、居心地の悪いシンだった。

「シン殿が役に立てなかったのなら、我々は役立たずどころではないのですがね……」
「そうだな。シン殿が提供してくれた武器がなかったら、今頃私たちは生きてこの場に立つことはできなかっただろう」

 苦笑いのシンに、ファガルとシーリーンが同じく居心地の悪そうな顔で言う。ナムサールを操っていたとはいえ、分身に苦戦したことを気にしているようだ。
 アワリティアに操られていたナムサールは、心身ともにかなり消耗していてまだ意識が戻らないらしい。

「はいはい、そこまで! 結果論だけれど、被害が少なかったことは喜んでいいでしょう? みんな手なんて抜いてなかったんだから、反省するところは反省してうじうじ引きずるなんてだめよ」

 ふがいなかったところばかりあげるシンたちの会話に、ルクスリアが割り込んでくる。こちらはあきれ顔だ。

「そうですね。次はもっとうまくやれるように精進しましょう」
「うむ、ルクスリア殿やシュニー殿の言うとおりだな。今後は、悪魔やモンスターについてより多くの情報を集め、対処法を考えるとしょう。だが、今はまずシン殿たちへの報酬の話が先だ」

 クルンジード王は一つうなずいて話題を変えた。ただ、それはシンたちが予想していたものとは違う。

「ドロップ品がいただけるなら、それで充分なのですが」

 今となってはほしいと思ってもほぼ手に入らないアイテムだ。報酬としては申し分ないとシンは考えていた。

「それは承知している。ただ、爵位と領地を与えてはどうかという声もあってな。功績が功績だ。無理もない話なのだが」
「最初にお断りしたと思いますが?」

 冒険者がその活躍から貴族へと取り立てられる。それ自体はない話ではない。そういった成り上がり系の創作物もシンは読んだことがあったが、面倒事の方が多いという印象しかなかった。
 ギルドホームの捜索や聖地の調査など、まだやらなければならないことは多いのだ。国仕えなどしている暇はない。無理にと言うならば、相応の対処をすることになる。

「無論承知している。だが、本人の口から聞かぬと納得せん者もいてな」

 シンたちと会う前に報酬の件について話し合いがあったようで、ファガルやシーリーンも苦笑していた。強大な力をもつ者ならば抱え込みたい。そう考える者はどこにでもいるようだ。

「シンとシュニーちゃんの力は魅力的だものね。ちなみに私は防衛以外に手は貸さないわよ?」
「無論だ。天使の力を侵略に使うなど、どんなしっぺ返しがあるかわかったものではない。できる限り、その情報は隠蔽するつもりだ」

 ルクスリアが悪魔から天使になったこともクルンジード王たちには伝えてあった。悪魔であるが故に問題だったことも、天使ならば話は別だからだ。疑う者もいたが、ルクスリアが天使の羽――光の輪から出る八枚の模様――を見ると誰もが驚きとともに納得した。羽を展開しているルクスリアは神聖なオーラとでも言えるものを発しているのだ。
 シンとシュニーも、ルクスリアについてはもう危険なものとは思っていない。ただし、性格は変わっていないのである意味で危険度が変わっていないのが残念だった。
 クルンジード王たちの方は、ルクスリアの放つ神聖なオーラに気圧されているだけだ。シンたちはさほど気にしていないが、この世界の住民からすれば神々しく映るらしい。
 THE NEW GATEにおいては伝承という形でしか存在しない天使が目の前にいる。それはまさに、伝説の存在が顕現したといってもいい。純粋な力で敵わないのはもちろんだが、天使を利用するなど恐れ多いといった雰囲気だった。これについては、上層部の中でも反対意見は出なかったらしい。

「賢明な判断だと思います。天使の存在を公にすれば、他国とも今までどおりの関係ではいられないでしょうし」
「私も学院の仕事に支障が出ると困るから、その方が助かるわね」

 シュニーとルクスリアの発言に、シンは気にしてることの規模が全然違うなと苦笑した。ルクスリアの正体が公になれば、保健室で生徒の世話などできるはずがない。

「話はこんなところですかね?」
「うむ、わざわざ足を運んでもらってすまぬな。ここ数日は住民の救助にも尽力してくれたと聞いている。改めて礼を言う」

 クルンジード王が頭を下げる。王族が軽々しく頭を下げるなど、と臣下なら言いそうなものだがファガルもシーリーンも何も言わなかった。王が頭を下げるだけのことをシンとシュニーはしているのだ。
 このあとも、復興作業の手伝いをする予定である。

 ◆

 王城を出た後、シンとシュニーはルクスリアとともに学院に向かった。街の被害も多かったが、悪魔同士の戦いの舞台となった学院は一部とはいえかなり無残なことになっているのだ。

「あいつらと合流するまでまだ時間がありそうだし、がっつり治せるな」

 門をくぐり、ヒラミーの元へと向かう途中、ぼろぼろになった校舎を見ながらシンが言う。
 鍛冶師であるシンが建物の修復に自信ありなのは理由がある。六天のメンバーは、自分の得意とするものを他のメンバーともある程度共有していた。シンならば鍛冶スキルや彫金スキルをレードやクックに教えている。
 そして、シンはといえば、マイホームである月の祠を作る際に六天の1人『青の奇術師』ことカインにいろいろと指導を受けている。そのおかげで、建築スキルこそ高くないが応用力はついていた。建築家には想像力も必要と、ゲームであることをいい事におかしな建物もかなり作っている。

「シンがすごいってことはわかってるつもりだったけれど、なんていうか、万能よね」
「そうでもない。ある程度は鍛えたってだけで、本職から見れば全然ダメだ。鍛冶関係以外でものになったのは、錬金術と建築関係のスキルくらいだろうな」

 建築はスキルレベルⅣ。錬金術はスキルレベルⅩ。鍛冶に必要な薬品もあり錬金術が飛びぬけているが、それだけだ。赤の錬金術師と呼ばれるヘカテーと同じものが作れるかと言われれば、答えはNO。ただ錬金術のレベルが高ければいいというものではない。
 反対に商業関係のスキルや農業、畜産などのスキルはほとんどⅠかⅡで、取っただけという程度だ。ユズハをパートナーとしたことで調教系のスキルは多少ましになったが、それでもこの世界で調教師を本職として活動している者と比べると、シンは劣っている。

「それだけできること自体が、もう十分すごいのだけれど。まあ、あなたが活動していたころを基準にしたら、そうなんでしょうね」

 ルクスリアは栄華の落日前、ゲーム時代を知っているのでシンがする自身への評価に一応の納得を見せていた。

「こちらとしては願ってもないことですが、いいんですか? あまり力を見せると、目立ちますよ?」

 学院長室でシンからの提案を聞いたヒラミーは、複雑な顔でそう言った。
 戦闘力が高いというだけでも目をつけられるには十分。そこに生産系にも強いという情報が加われば、接触してくる者も増えるのは間違いない。事情があったとはいえ、自分たちにかかわったことでシンが人前で必要以上に力を使っているとヒラミーは思っているようだ。

「そこはさすがAランク冒険者と思ってもらうさ。それに、目立つのはもう今更って感じだし」

 シンはもう、目立つことに関しては仕方がないと割り切っている。もともとどこかの国を拠点しているわけではないので、国を出てしまえば連絡を取ることはほぼ不可能なのだ。もし追ってくる者がいようとも、振り切ることはたやすい。

「この際だから、甘えちゃいましょうよ? その分、しっかりお礼をすればいいんだし」

 背後からヒラミーの肩に手をおいてルクスリアは言う。ヒラミーからは見えないが、御礼のところで笑みが深まったのをシンは見逃さなかった。

「まて、お前の言うお礼はろくなもんじゃない気がする」
「あら、失礼しちゃうわね」

 拗ねたように唇を尖らせるルクスリア。大人の女性という外見のルクスリアがするには少々子供っぽい仕草だが、彼女の魅力を全くそこなっていないのが不思議だ。
 しかし、そんなルクスリアに、シンはジト目を向ける。天使になった今でも、ルクスリアが言うとお礼という言葉に『性的な』という言葉が付属しているように聞こえてしまうのだ。悪魔ではなくなったのだからもう人の情動からは力を得られないのではとシンは思ったのだが、予想に反してその能力はまだ持っているとルクスリアから返答をもらっている。

「天使に奉仕してもらうなんて、王族だって無理なのに」
「本性知ってるからな。それに、シュニーがいるのに他の女にそっち方面のことなんて頼むかっての」

 そう言って、シンは隣にいたシュニーの肩を掴んで抱き寄せる。ルクスリアの言動に鋭い視線を向けていたシュニーは、突然のことに目を白黒させていた。夫婦となった今でも、シュニーはこういった接触に初々しい反応をするのだ。

「むぅ、妬けちゃうわね。この世界じゃ一夫多妻なんてよくあることなのよ?」
「俺のいたところは一夫一妻だったし、ハーレムなんてフィクションで十分だ。というか、なんでそんなに絡むんだよ? 俺がハイヒューマンだからか?」

 最初は物珍しさからからかわれていると感じていたシン。しかし、事ここに至ってはそれだけで説明が付かないような気がしていた。

「ピンチのときに助けてくれた相手に惚れちゃうって、よくあることだと思わない?」
「ぼこぼこにされるのを黙って見てて、最後にちょこっと剣で斬っただけの俺に惚れる要素とかないだろ」

 天使になったきっかけはシンの一撃だったとルクスリアは言っていたが、それとこれとは話が違うだろうとシンは指摘する。

「それも理由の一つではあるのだけどね。しいて言うなら、私が色欲の悪魔だったから、かしら」
「どういうことだ?」
「あなたがシュニーちゃんと交わるときの強い感情。他の人種とは一線を画すそれに、私は惹かれたんだと思うわ」

 色欲の悪魔だからこそ、それを感じて興味を持った。そして、それはいつの間にか恋とも愛ともいえない奇妙な感情へと変化していったらしい。

「あとは、そうね。私の正体を知っても過剰な反応をしなかったから、とか? 普通、悪魔に触れられるなんて拒否反応がでて当然だし」
「いや、疑問形で言われても」

 シュニーを抱き寄せているのとは反対の手に、ルクスリアはそっと手を這わせる。シンはけろっとしているが、これが悪魔だったころで相手が一般人ならば悲鳴を上げて手を払っているところだ。悪魔であるということは、それだけで近くにいることすら許容できないものなのだ。選定者でもなく、元プレイヤーでもないクルンジード王がルクスリアと対面して会話をしているが、それはまさに異例中の異例であった。
 しかし、そんなルクスリアもシンにとっては『倒せる相手』である。厄介な相手ではあるが、過敏な反応をするほどでもなかったのだ。

「仕方ないじゃない。今はもう、きっかけなんてどうでもよくなってるんだもの。自分でも、ここまで執着するなんて少し驚いているのよ? こんな気持ちになったのは、生まれて初めてなんだもの」

 シンの手を包むルクスリアの手に力が入った。
 悪魔は基本的に相手を翻弄し、弄ぶ。心の隙をつき、欲望を刺激し、相手を惑わせる。そこに、好意などない。
 逆に言えば、好意を持って相手に接し、操るのではなく純粋に自分を思ってくれるようにすることにかんしてはずぶの素人だった。

「戸惑う気持ちは……まあ、なんだ。まったくわからないわけじゃない。でもそれとこれとは話が別だ」

 人で言うところの、初恋を自覚したような状態なのだろうとシンは思う。そして、そう考えるとルクスリアの言動もまったく理解できないわけでもない。「好き」という気持ちは、自分でわかっていても押さえが利かないときもあるのだ。
 とはいえ、ここでうなずくわけにはいかない。抱き寄せたシュニーがいつの間にか抱きつくように身を寄せていて、シンとルクスリアの間に体を割り込ませているのだ。シンの位置からではシュニーの表情が見えないのが少し怖い。

「シンよりもシュニーちゃんが難敵ね」
「これ以上は見逃せませんよ?」

 笑顔の2人間で、見えない火花が散っている。シュニーもすでに臨戦態勢だ。
 しかし、そこに成り行きを見守っていたヒラミーが割り込む。

「あのぅ……できれば復興の話を、ですね。したいかなぁって……あわわ!?」

 2人の視線がヒラミーに集中する。それだけで、ヒラミーは数歩後ずさった。その勇気に、シンは心の中で敬礼する。

「え、なんだこれ……」

 そこに、あとから到着したマサカドが困惑した声を響かせる。穏やかざる気配に、「やべぇときに来ちまったか!?」と表情が語っていた。

「とりあえず、今はヒラミーの言うとおり復興の話をしよう。な?」

 シンは2人によってもたらされた間を使って全力で話題をそらす。実際、その話をしに来たのであってルクスリアの話の方が余計なのだ。

「……はぁ、わかったわ。この話はね」
「勘弁してくれ……」

 ウインクしてくるルクスリアに、シンは頭が痛くなる思いだった。
 どうにか軌道修正は出来たので、ルクスリアのことは考えないようにしつつ校舎の修復についてヒラミーと話をする。シンのスキルレベルならば、半分が礫の校舎も元の形に戻すことが可能だ。この際なので、もとより頑丈にしようという方向に話が進む。
 学院はギルドハウスの技術を一部応用したものだが、建物自体はこの世界の水準と変わらないものだった。

「私やマサカドは戦闘系のスキル構成でしたし、素材をなるべくいいものにしていくらか頑丈にするのが精一杯なんですよ」

 ゲーム時ならば生産系ギルドに依頼すれば金額次第でモンスターの攻撃でもびくともしないような、要塞のごとき校舎も作れた。しかし、それは今は望めない。悪魔の戦闘の余波でボロボロになるのは当然だった。

「なるべく強度を上げる方向でやるか。俺もスキルレベルは低いほうだけど、そこはカイン直伝のテクニックでいくらか補えるだろうし」

 シンの言うテクニックとは、現実世界の技術をこの世界で使うことをさす。シュニーが破られた外壁を一時的に塞いだときに使用した土の網を氷で覆った壁は、現代で言うところの鉄筋コンクリートを参考にしたものだ。
 ゲームゆえに壁と言えば土や金属を固めて板にしたものとプレイヤーの多くは考えていたのだが、リアルで建築士をしているカインはこれをやったらどうなるのだろうと思い至り実際にやってみた。そして、現代の技術が一部だが応用可能とわかったのだ。
 生産系スキルをただあるがままに使っているだけでは気付かない。そのことを発見するプレイヤーはカイン以外にもおり、生産者の一部だけがその技術を知っていた。
 ちなみにシンも自力で気付いたプレイヤーの一人だ。鍛冶をするに当たって、せっかく自分の体を動かすのだからと本物の鍛冶師を真似ているうちに出来上がる品の質の違いに気付いた。

「カインさんみたいに、自爆装置だけはつけないでくださいね?」
「つけない、つけない……わざわざあんなものつけるのはカインくらいだから」

 自分の作品にはほぼ必ずといっていいほど自爆装置を付けたがったハイヒューマンを知っているヒラミーに、シンはしっかりと否定を返す。シンも月の祠完成時に自爆装置の取り付けを進められて断った記憶があった。
 自爆装置の作成者はヘカテーで、建物とその内部だけを見事に吹き飛ばず仕様だ。外部に被害が出ない優れものと豪語していたが、その分威力が集束していて巻き込まれるとハイヒューマンでも無事では済まない恐ろしい威力があった。

「自爆装置のことは忘れるとして、さっそく作業に取り掛かろうと思うんだが、優先して欲しいところはあるか?」
「そうですね……授業はすぐに再開とはいきませんし、まずは校舎の隣に併設された学生寮をお願いします。遠くから来ている生徒に長期の宿暮らしはかなりの負担になってしまいますから」

 エルクントに留学してくる生徒はそれなりにいるが、一部の裕福な者を除いてほとんどが学生寮暮らしだ。家賃として多少学費は増えるが、在学中宿に泊まり続けた場合を考えればはるかに安価である。
 街ではモンスターによって宿も被害を受けているので、トラブルも起きている。生徒のことを思えば、学生寮の修理は急務だろう。

「よし、ならすぐに取り掛かろう。今日中に仕上げて、安心して休めるようにしてやらないとな」

 時間が惜しいと、シンは学生寮がある場所へと移動した。そこにあったのは、半壊状態の建物だった。崩れていない部分も、いたるところにひびが入っていていつ崩れてもおかしくないという印象を見る者に与える。

「ふむふむ、これなら問題なくいけるな」

 スキルの効果で学生寮の構造図がシンの脳裏に展開される。建物の材料は珍しいものではない。シンでも十分対処可能なものだ。瓦礫と化した部分も含めて手つかずなので、材料には困らない。
 シンは瓦礫に手を触れさせると、スキルを発動させた。脳内展開されていた学生寮の構成図が、シンの目の前に実物と同じ寸法で展開しなおされる。シンが空中で手を振ると、目の前の学生寮と重なるように展開されたそれに瓦礫が液状に変化して吸い込まれていく。透明な入れ物に水を入れるように、瓦礫はきれいに構造図を満たしていった。
 その様は、まるで見えないタクトを振るって物体を操っているようだ。

「あとは、ちょちょいと手を加え――」
「シンさん?」

 先ほどの自爆装置のことを忘れるはずがなく、作業を見守っていたヒラミーが背後からシンの肩を掴んだ。声音だけで、ふざけることを許さない気配が伝わってくる。

「まてまて、妙な事をする気はない。せっかくだから、少し壁の強度を上げるだけだ」
「本当ですか?」
「当たり前だろ」

 シンは心外なという顔で応える。生産能力は折り紙つきだが、人格に信用がないのがハイヒューマンだった。
 シンが改めて操作をし、強度を3割ほど底上げして実行する。ほぼ完成していた学生寮がほのかに輝き、壊れる前と同じ学生寮が姿を現した。学生たちが使っていただろう家具や小物の類は外に残したままだ。瓦礫の下敷きになって壊れてしまっているものも多数ある。

「これは俺にはどうにもできないから、まかせるな」

 詳しく調べれば直せなくはないだろうが、今は建物のほうが優先度が高い。それらの処理はヒラミーに任せることにした。

「中の構造は壊れる前と同じだ。家具はどうしようもないから、そこは我慢してもらうしかないけど」

 寝袋のようなものがあれば、多少はましになるだろう。とりあえず、泊まる場所もないということにはならない。
 ヒラミーはさっそくマサカドに心話で伝え、そこから生徒へ連絡を始めた。学生寮が直り次第すぐに連絡が回せるように、マサカドには無事な校舎に残ってもらっていたのだ。

「さて。じゃあ、次にいこう」

 スキルを使った再建作業はその手の業者も真っ青なスピードだ。構造の把握と再構築。そして、おまけの強度上昇が加えられて、その日のうちにエルクント魔術学院は元の姿を取り戻したのだった。


 ◆


「ええと、何で俺、呼び出されたんですかね?」
「本当に心当たりがないんですか?」

 街の復興の手伝いをしていたシンたちは、冒険者ギルドからの呼び出しを受けて冒険者ギルドエルクント支部にやってきていた。詳しいことはギルドで話すと言われてきてみれば、個室に案内されて現在に至る。
 呼び出された理由はいくつか考えられるが、これといった確証はない。

「復興に協力してくださっていることは承知しています。ですが、であればこそ冒険者ギルドに来ていただきたかったのですよ」
「は、はぁ……」

 受付嬢の話によると、復興については国とも協力して行うことが決まり、能力に応じて指名依頼が出ているらしい。シンの場合もその力による救助の手助けが期待されていたのだが、本人はギルドに寄り付くことなく目に付いたところから救助をしていた。

「我々も、シン様たちには感謝しています。お二人がいなければ、亡くなっていた方も多かったでしょう。でもですね。こちらで手続きをしていないので、シン様の功績として評価に加えることができないのですよ」

 ギルドのシステム上、依頼を受けていない場合の働きについてはほとんどが評価なしになってしまうらしい。シンの場合、やっていることがことなので全くないということはないらしいが、正当なものに比べるとかなり低くなってしまうようだ。

「報酬も少なくなってしまいますし……この国に住んでいる身としては、申し訳なく」
「あー……なるほど。なんか、すみません。でもこちらとしてはもともと報酬のことなんて考えてやっていたわけじゃないですし、次からは気をつけますよ」

 シンとしては今回のようながあってほしくないのが本音だが、そこは言わずにおいた。

「お願い致します。それと、こちらがシン様へでている指名依頼です」

 受付嬢が机の上にあったファイルから、1枚の依頼書をシンの前に出す。内容は倒壊した建物の瓦礫の撤去および取り残された人の救助の支援だ。シンの戦闘力の高さから、力はかなり強いと考えられているらしい。日数が経っているので、人命救助はもし生きているならばという条件付きだった。

「シン様とユキ様のご活躍は耳にしていますので、受けていただければ少しは功績を上乗せできると思います」

 シンとシュニーの透視スルー・サイトと土術系魔術スキルの組み合わせは非常に効果的だった。瓦礫の中に取り残されている人をいち早く発見し、魔術スキルによって先に安全を確保する。本来ならば慎重に行わなければならない瓦礫の撤去も、中にいる者を気にせずスピード重視で進められた。
 冒険者も衛兵も、今回のような瓦礫に埋もれた人を助ける訓練などしていない。だが、ただ腕力を頼りに瓦礫を撤去するだけならば話は別だ。現場で四苦八苦していた人からも、シンたちは感謝されていた。

「こちらとしても、依頼を受けるのを断る理由はありません」

 依頼用紙にサインをする。依頼の期限は設けられておらず、いつ辞めるかは受けた側の自由だ。功績や報酬が出るとはいえ、あくまで臨時の救助要員ということらしい。
 査定の仕方などはギルドの機密ということなので、とにかく復興活動をやればいいようだ。どのような方法で活動内容を査定しているのか気になったシンだが、今はそれを調べている時間はないとすぐに頭を切り替えた。
 ギルドを出たあとは、ヴァルガンたちの工房のある地区へと向かう。

「この辺は崩れた建物が少ないな。さすがは工房が多い地区ってところか」
「何かあった時の為に、外へ被害が出ないよう強度を増して作る必要がありますからね」

 この世界の工房は、基本的にかなり頑丈に作られる。それは、この世界に魔術という科学とは違う技術が広まっているからである。魔力の込め過ぎで爆発などということもあり、内部から外部へ被害が出ないようにする必要があるのだ。その副次的な効果として、外部からの攻撃にも強いというのがこの世界の工房事情である。
 ヴァルガンたちの工房がある地区でもモンスターは暴れていたが、その持前の頑丈さで崩れるほど破壊された工房は商店街や宿場などの集まる地区に比べるとはるかに少ない。

「問題は、破壊されると瓦礫が他の建物より重いうえにでかくてなかなか運べないってことか。俺たちが呼ばれるわけだ」

 現実世界ならば重機を使っても作業が難航するレベルだ。この世界独自の素材で作られているので、重さも頑丈さも段違いなのである。

「おう、お前らが来たか」
「おやっさんも瓦礫撤去の手伝い?」
「ヒューマンよりは力があるからな。それに、今は剣だの鎧だのを打つよりもこっちを優先せにゃな」

 先の戦闘でヴァルガンの工房にはこれといった被害はなく、ヴァールも無事とのことだ。建物の頑丈さが被害を少なくしたのは間違いない。また、モンスターは人よりも大きいタイプがかなりいて、工房の中に入ってこられなかったのも幸いした。頑丈な工房に立てこもれば、少なくとも人的被害は免れるのである。

「それにしても、わかってたつもりだが随分と力があるな」
「俺みたいなのがいないわけじゃないだろ? 上級冒険者なら珍しくないぜ」
「そりゃワシも知ってるが、お前さんのは桁がいくつか違うというか。いや、あっちの嬢ちゃんに比べりゃ違和感はそこまででもないんだがな」

 シンの場合、男ということもあり力が強いことはさほど違和感がないとヴァルガンは言う。仕事柄、選定者を見る機会も多いからだ。
 ただ、女性であるシュニーがその細腕で自身より大きな瓦礫をひょいと持ち上げている光景は、さしものヴァルガンでさえ呆気にとられずにはいられないようだ。これについては、シンも自分がゲーム時の能力を持っていなければ同じ思いだっただろうと苦笑いを浮かべるしかない。
 シンたちが加わったあとは凄まじいペースで作業が進み、崩れた工房の軒数が少ないこともあってその日のうちに地区内の瓦礫撤去作業は終わった。救助者はなしだ。

「思えば、結構長居してるな」

 宿に戻り、夕食後の一服をしていたシンはふと思ったことを口にした。1つの国に1月近く滞在したのは、この世界に来てはじめてのことだ。ある意味ではヒノモトの滞在期間が長いが、同じ場所にとどまっていたわけではないのでシンには一国に長居をしていたという感覚はなかった。

「パーティがばらばらになるのは初めてのことですからね」

 最初こそシン一人だった。そこにユズハが加わり、シュニーが加わり、ティエラが加わりとあれよあれよと言う間に増えていき、今では総勢6人と2匹の立派なパーティである。
 離れて行動と言えばヒノモトで国に着く前にパーティから離脱したシンだが、あれはばらばらになったのではなくシンだけが単独で離れただけだ。
 そんなことを思い出していると、右腕と右肩に柔らかくも暖かいものが触れた。

「ですが、私はもう少しだけ、この時間が続いてもいいと思ってしまいます」

 シンに体を預けながら、シュニーが言った。どのメンバーもよほどのことがない限り心配が要らないので、シンもシュニーもアワリティアがいなくなった今を穏やかに過ごすことが出来る。

「そうだなぁ。他の面子がいると、シュニーは恥ずかしがって思い切り甘えてくれないもんな」
「それは! …………だって、恥ずかしいじゃ、ないですか」

 顔を赤くしたシュニーが、視線を泳がせてつぶやく。真面目な性格が災いしてか、人前であからさまにイチャイチャするのが苦手だった。ただし、誰かが挑発したりするとその限りではない。
 単純に甘えているところを見られたくないだけという理由もあるのだろう。

「それに、フィルマやセティは絶対根掘り葉掘り聞いてきます。このあとも、合流したら何があったか質問攻めにしてくるのは間違いありません」

 内容が内容だけに女性陣は食いつかずにはいられないようだ。どの世界でも、恋愛関連の話は需要が尽きないらしい。

「俺は別にいいと思うけど。全部話すわけじゃないんだろ?」
「ダメです! 絶対にダメです! あの2人のことです。ここぞとばかりにからかってくるに決まっています!」

 この際開き直ってしまってもいいのではと思うシンだが、慌てるシュニーが可愛いので黙っていることにした。これはこれで、と内心ほっこりする。
 シュニーの頭を撫でながら、シンも少しだけあとどのくらいこの時間が続くのか考えた。

 そんな時だ。
 シンの視界の端に、メッセージを受信したことを伝える表示が出現する。

「これは、ティエラからか」
「メッセージですか?」

 シンのつぶやきに上機嫌で撫でられていたシュニーも顔を上げた。

「ああ、何々――おぅ……これはまたややこしいことになってるみたいだな」

 メッセージの内容を読んだシンは、その内容に苦笑いを浮かべる。穏やかな日々は、ここでいったん終了のようだ。

「何かあったのですか?」
「ああ、ティエラとシュバイドが世界樹を復活させるために動いていたのは知ってるだろ? どうにもうまくいってないというか、かなりややこしいことになってるみたいだ」


 ◆


 翌日、シンたちはティエラたちのいる場所へと向かう準備をしながら、知り合いにエルクントを出る旨を伝えて回ることにした。今までの国ならばささっと出発してしまうのだが、エルクントは王族から元プレイヤーまでいろいろと関わった者も多い。
 また小言を言われないようにとギルドに旅に出ると伝えてからまず向かったのが、ヒラミーのいる魔術学院だ。元プレイヤー同士、何かあったら連絡をくれと伝えたところで、どこで話を聞きつけたのかルクスリアがやってきた。

「もう行っちゃうの? もっとゆっくりしていけばいいのに」

 シンの右手を両手で握って胸元にもっていきながら、ルクスリアは上目使いで話しかけてくる。その仕草からは、「ここに留まって」という言葉が口にしていなくても伝わってきた。

「仲間から伝言が届いたんだよ。ちょっと面倒ごとに巻き込まれてるみたいでな。パーティを組んでる以上放ってはおけないだろ?」

 その視線だけで選定者でも落とせそうだと思いつつも、シンはルクスリアの手をゆっくりと解きながら言う。わざわざメッセージが来たということは、助力が必要な事態になっているということなのだから。

「知り合いに挨拶したらすぐにたつつもりだ」
「慌ただしいなぁ」
「仕方ありませんね。ほら、ルクスリアさんも諦めが悪いですよ」

 合流してから日が浅いマサカドが肩を落としながら言い、ヒラミーもルクスリアを宥めながらさびしいという雰囲気を隠そうとはしていない。ゲーム時代も、今の時代も知っている元プレイヤー同士。せっかくなら一緒の国で、と思ってしまうのだ。

「元悪魔だもの、当然よ」

 ヒラミーに止められているルクスリアも、引き止めるのは無理だと悟っているようだ。演技ではなく、本当に残念そうにしている。

「……でも、そうね。仕方ないわね。私もついていきたいけれど、ここにも愛着があるからそうもいかないし」

 魔術学院の保健医。その肩書きが、もうすっかり染み付いてしまっているようだ。天使となってから、ルクスリアのいる保健室はなんだか神々しい雰囲気があると噂にもなっているとマサカドが補足した。

「何かした覚えはないんだけれど」
「せっかくだし、もう少し天使らしい振る舞いをしたらどうよ?」
「シンがお淑やかな方が好みだって言うなら、考えてもいいわよ?」

 シュニーに視線を向けて言うルクスリアに、シンは両手を上げて降参を示す。ちょっとした冗談のつもりだったのだが、これ以上は冗談ですまなくなる気がした。

「まあ、何はともあれ、お世話になりました。近くに来たときはよっていってください。歓迎します」
「次は俺のいるときに来てくれよな」

 まだ回る場所が残っているので、ヒラミーたちは気を使って次に行くよう促してくる。この調子では延々と話しこんでしまいそうなので、シンもそれに乗ることにした。

「残念だけれど、また会えるのを楽しみにしているわ」

 さすがに諦めたようで、ルクスリアも別れの言葉を口にする。
 シンがそれに返事をしようとすると、すっと顔を寄せると別の言葉を紡いだ。

「戦いのあとにもらったあれ、なんだかあなたに包まれてるみたいに感じるから、それでしばらくは我慢することにするわ。次はあなた自身で暖めてね?」
「ちょ、おまっ!?」

 最後の最後で爆弾を投下してきたルクスリアの口を塞ぐも後の祭り。ヒラミーたちは聞こえていなかったようで首をかしげている。しかし、すぐ隣にいたシュニーに聞こえていないはずがない。
 シンが恐る恐る視線を動かすと、そこにはいつもと変わりない微笑を浮かべるシュニーがいた。

(寒気がするほどいつものシュニーだ)

 変わりないことがこんなにも恐ろしいと実感するシンである。能力面で上だろうがパワーバランスはどちらかというとシュニーに傾いている。ある意味、尻にしかれていると言えた。

「さあ、シン。そろそろ次に向かわないと出発前に日が暮れてしまいますよ」
「あ、ああ、そうだな。じゃあ、またな。何かやばそうなことがあったら遠慮なく連絡しろよ」

 シュニーの笑顔に急かされて、シンは早足に学院をあとにした。残りはシーリーンたちのいる王城とヴァルガンたちのいる工房だ。
 レクスたちにも会っていきたかったが、今回のアワリティア襲撃事件で所属する場所からいろいろと問い合わせやら使者やらが来ているようで、しばらく動けないらしかった。仕方がないので餞別代りのアイテムと手紙をヒラミーに預けてある。

「そうか。いってしまうのか。残念だ。ナムサール殿も直接礼を言いたがっていた」
「仲間からの救援要請ですからね。あと、ナムサールさんも回復してよかったです」

 まだ自力で動くのも辛いようだが、ナムサールは順調に回復しているとシーリーンが教えてくれた。
 眠りから覚めたナムサールは、今回の事件の責任をとって騎士団長の地位を辞すると言ったらしい。しかし、クルンジード王が失態を埋めるだけの功績を積めと言い放ち、思いとどまらせたという。
 ナムサールがダメならファガルやシーリーンでもほとんど差はなかったとシンたちが話したこともあり、より一層の鍛錬を積み、王国の為に戦うと宣言したようだ。
 実際問題、辞められても後釜になれるほどの実力者がいないらしい。それだけ、ナムサールと勇者2人はエルクントにおいて重要な立ち位置にいるのだ。

「では、俺たちはこれで。わざわざ時間を取ってもらってすみませんでした」

 訓練の時間に押し掛けてしまったので、短めに切り上げる。ファガルたちはむしろ引き留めたそうにしていたが、仲間からの救援要請と聞いてはそれもできない。諦めたように苦笑しながら見送ってくれた。
 シンとしても、王城に長居すると面倒事がやってきそうだったのでさっさと退散する。いきなりいなくなるのも不義理だと思い、とくに関わりのあった人のところを回っているが、あまり時間もかけていられないのだ。
 早足で道を進み、すっかり見慣れた工房の扉を開く。受付にはヴァール。その近くにドワーフが3人ほど。今までの経験から、シュニー目当てなのはわかっている。

「こんにちは、シンさん。ユキさん。――なんだか急いでいます?」
「よくわかるな。ちょっと急用が出来て、すぐにたつことになったんだ。一言も言わずにっていうのもどうかと思ってさ。あいさつにきた」
『っ!?』
「それは、残念ですね。師匠も残念がると思います」

 シンの言葉に、ヴァールはわずかに目を見開いたあと肩を落とした。なぜか近くにいたドワーフ3人組がこの世の終わりのような顔をしている。

「おやっさんは?」
「職人たちの会合に行っています。幾分か落ち着いてきたとはいえ、街の受けた被害はまだ解決には程遠いですから。いつ頃たつんですか?」
「残念だな。俺たちは今日たつんだ。馬車を使うより走ったほうが速いから、その辺の準備がいらないからな」
「え、今日ですか!?」

 訪ねて来たその日に出発するとは思っていなかったようで、ヴァールは驚いていた。

「急いでるのはそういうことなんだ。ヴァルガンさんには、次に来たとき、また鍛冶談義に花を咲かせようと伝えておいてくれ」
「……わかりました。お気をつけて」

 ヴァールとドワーフ3人に見送られて門への道を歩く。ドワーフ3人が泣きながらハンカチを振っているのが妙に印象に残ったシンだった。

「さて、じゃあいくか」
「はい」

 エルクントの門を出て、シンとシュニーは人の目がないところまで移動してから走り出した。隠蔽ハイディングも同時にかけているので、ここからは他人の目を気にせず速度を出すことができる。
 向かう先は『ラナパシアの園』と呼ばれているエルフの園の一つ。シンはその名前に心当たりがなかったが、シュニーは行ったことがあるという。

「世界樹の復活か。ティエラのメッセージによると完全に枯れてるわけじゃないらしいし、何とかなるといいんだけどな」
「そうですね。私はどちらかというと、ティエラのほうが心配です」
「ティエラが? どういうことだ?」

 シュニーの表情と声音から、シンの胸中は嫌な予感でいっぱいだ。

「ラナパシアの園は、ティエラの故郷なのです。おそらく、メッセージにあった話し合いがすすまないのもそのせいでしょう」
「……なるほどな」

 シンの脳裏を、以前映像として見た女性の亡骸を抱いて泣き叫ぶティエラが脳裏をよぎる。

「ティエラももう大人ですし、そこまで心配する必要もないとは思います。ですが念のため、心にとどめておいてください」
「わかった」

 危機感を強めるシンとは違い、シュニーはさほど強い危機感は持っていないようだ。考えてみれば、ティエラが故郷を亡くしてからずっと一緒にいるのがシュニーである。シンよりもはるかに付き合いが長い2人だ。少なくとも、自分が考えるよりは信頼できるとシンはシュニーにうなずき返す。実際時間だけはあったわけで、折り合いをつけていてもおかしくはない。なにせ三桁に及ぶ年数があったのだから。

「それにしても、とばされた先が故郷の近くとか。なんだか意図的なものを感じるな」

 思い返してみれば、ティエラの故郷の名前は聞いたことがなかった。メッセージにもそれについては書かれていなかったし、ティエラが呪いの称号を得てしまった後、何があったのかはシンも大まかにしか知らない。世界樹の巫女という特異な存在だった所以だろうかと、シンは思考を巡らせる。
 ただ、一緒にいるのはユズハやガケロウに加え、いろいろと経験豊富なシュバイドだ。もし本当に危険がせまっていれば、そちらから心話で連絡が来る。
 メッセージには詳しい内容までは書かれていなかったが、どうやら膠着上に近い状態になっているらしい。それを打破するために、シンたちの手を借りたいという内容だった。

「とりあえず、休みは取りつつ急ぐってことで」

 夜は月の祠でしっかり休み、あとはすべて移動にあてる。ラナパシアに着いたとき疲れを残さないようにしつつ、最大速度で向かうことにした。

「わかりました。ああ、そういえば、あとで伺いたいことがありますので、夜に少し時間をください」
「ああ、了解だ」

 シュニーの言葉に、とくに考えることなく返事をするシン。
 しかし、シンは忘れていた。一刻一秒を争うような事態ではないが故に、避けて通れない追求がくるということに。

「ルクスリアさんが言っていた、シンに包まれているようだという言葉の意味。しっかりと、説明してもらいますからね?」
「うぐっ!?」

 その夜、シンがどんな説明をし、その結果何をすることになったかは、2人だけが知る秘密である。
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みんなの感想(157件)

しわん
2017.07.17 しわん

こんばんは(^^)

シュニー寒気がするほど、変わらない笑顔…素敵です(笑)

途中、『ティエラ』が『ディエラ』になっていたり

ティエラからのメッセージ受け取ったあと
シュニーに対して
『シュニーとシュバイトが世界樹…』とあり気になりました

風波しのぎ
2017.07.17 風波しのぎ

 感想&ご指摘ありがとうございます

 変わらない方が恐ろしい(笑)

 本文修正しました

白黒パンダ

シュニーとシュバイトが世界樹を
ティエラでは

ふざけることを揺らさない
許さないでは

風波しのぎ
2017.07.17 風波しのぎ

 ご指摘ありがとうございます

 修正しました

touf
2017.07.17 touf

前回と同じ感想になってしまいますが、ルクスリアが乙女していて可愛い!
また、嫉妬するシュニーも同じく。(^^)

ルクスリアとは離れ離れになってしまいましたが、再会、再登場を期待しています!

風波しのぎ
2017.07.17 風波しのぎ

 感想ありがとうございます

 ルクスリアは書いていて楽しいキャラになりました。
 過去に出たキャラも再登場させたいですね。
 どうにかしてやりたいです。


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