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「家庭連合の現状の指摘」の記事はお父様の本当の意図をわかっていない!
「家庭連合の現状の指摘」の記事はお父様の本当の意図をわかっていない!
今日は「家庭連合の現状の指摘」という題目で7月16日に記事をアップしていたブログ「維新の翔ぶがごとくに」(UCI分派ブログ)の記事の内容に対して、真のお父様の真意というものを伝えたいと思う。
私が以前「統一原理から見た『分派』の意義と価値」という記事の中で「教会の牧会者のみ言を信じて一つになって歩む」と述べたことが気に入らなかったようである。
そのブログでは「徳野会長をはじめとする統一教会幹部は、カイン・アベル理論によって教会員を搾取する奴隷文化に満ちている」教会だと家庭連合を批判している。
この批判は、本当にお父様の心情の世界、日本に対して心配されている内容を正確に把握していない発言である。
1967年8月9日に日本の東京で語られたみ言で次のようにある。
「日本を離れるに当たり、心配されることの一つです。どのようにすれば、教会の指導者を父母様の分身として感じられるのでしょうか。教会の責任者を自己中心的に見つめず、神様と同じ立場から見つめなければなりません。教会責任者の成長過程や学歴などを見るとき、自分より優れていないこともあるかもしれません。ある面では、教会責任者が自分に学ぶ立場に立つべきときもあります。そのようなとき、普通の人々は、責任者を一から十まで批判するものです。お父様はそのような文化になることを憂慮しています。日本の教会に、父母のような心情をもった食口がどれほどいるかが重要です。お父様は、そのような食口たちが多くなることを願っています」(天一国経典『真の父母経』p696より)
真のお父様は、1967年に巡回されながら、日本を発つときに日本教会に対して今後どのような文化が根付いていくのか心配されたみ言である。
み言を基準としてみれば、どのような教会の指導者だったとしても、「神様と同じ立場で見つめなさい」と語られ、「父母のような心情をもった食口」の重要性を訴えられ、「責任者を一から十まで批判」してはならないと語られました。そして、お父様の日本の教会に対する願いはそのような中心者を批判する「文化になることを憂慮」しておられるということをはっきり知らなければならない。
「家庭連合の現状の指摘」での記事はまさに、お父様が一番心配された「批判文化の憂慮」の部分である。
父母の心情を抱かず、神と同じ立場で見つめることが出来ないので、教会の責任者に対するふつふつと湧き上がる不平不満、さらには徳野会長までも批判する。残念な歩みである。
ブログの記事者は上記のみ言をよく読んで、お父様の真意というものを知らなければならない。
そして、新たな信仰生活を出発してほしいものである。
お父様の真意がわかった方はポチッとボタン押してください。応援お願いします。
↓↓↓↓
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私が以前「統一原理から見た『分派』の意義と価値」という記事の中で「教会の牧会者のみ言を信じて一つになって歩む」と述べたことが気に入らなかったようである。
そのブログでは「徳野会長をはじめとする統一教会幹部は、カイン・アベル理論によって教会員を搾取する奴隷文化に満ちている」教会だと家庭連合を批判している。
この批判は、本当にお父様の心情の世界、日本に対して心配されている内容を正確に把握していない発言である。
1967年8月9日に日本の東京で語られたみ言で次のようにある。
「日本を離れるに当たり、心配されることの一つです。どのようにすれば、教会の指導者を父母様の分身として感じられるのでしょうか。教会の責任者を自己中心的に見つめず、神様と同じ立場から見つめなければなりません。教会責任者の成長過程や学歴などを見るとき、自分より優れていないこともあるかもしれません。ある面では、教会責任者が自分に学ぶ立場に立つべきときもあります。そのようなとき、普通の人々は、責任者を一から十まで批判するものです。お父様はそのような文化になることを憂慮しています。日本の教会に、父母のような心情をもった食口がどれほどいるかが重要です。お父様は、そのような食口たちが多くなることを願っています」(天一国経典『真の父母経』p696より)
真のお父様は、1967年に巡回されながら、日本を発つときに日本教会に対して今後どのような文化が根付いていくのか心配されたみ言である。
み言を基準としてみれば、どのような教会の指導者だったとしても、「神様と同じ立場で見つめなさい」と語られ、「父母のような心情をもった食口」の重要性を訴えられ、「責任者を一から十まで批判」してはならないと語られました。そして、お父様の日本の教会に対する願いはそのような中心者を批判する「文化になることを憂慮」しておられるということをはっきり知らなければならない。
「家庭連合の現状の指摘」での記事はまさに、お父様が一番心配された「批判文化の憂慮」の部分である。
父母の心情を抱かず、神と同じ立場で見つめることが出来ないので、教会の責任者に対するふつふつと湧き上がる不平不満、さらには徳野会長までも批判する。残念な歩みである。
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