いやあ、きょうも負けた。
負け方が様式美になりそう。マテオの股関節は大丈夫なのか?そうでなければ藤川球児を、と思ってしまう。明日の新聞はそんなかんじなのかなあと予想しております。
投手起用についてまたぞろ問題がでてきた、という感もある。
いや、分かる。守護神はチームの中でも特別な存在。そこをスパリと変えてうまく行ったとしても、もともとその座に在った投手はよく思わないだろう。そんなもんどうでもええねん!外人やし!とはいかない。監督は選手たちを見て采配を振るうが、選手たちもまた監督を見ている。士気にかかわる、というやつだ。傍目には影響なくとも小数点レベルでマイナスがつく、そんな事態でさえも避けたいところ。
そんでもって先日コメントをいただいたのだが、今後必ず浮上してくる問題に「勝てなくなったときどうする問題」がある。いま起用している若手選手たちが結果を出せなくなったとき。そして、采配の手腕の問題。金本知憲監督はいまさら言うまでもないが新人監督だ。判でついたような采配を見せることなく、かといって無策でもなく。そのイイ塩梅が難しい。新人にそれができるのか、という問題だ(と受け取りました)。
たしかに野球は采配がものを言うスポーツではあると思う。采配が勝敗を左右する、というよりも、ファンの感情を左右する意味でものを言う。結果がすぐ見えてしまうので。サッカーだと動き続けるボールに隠れてしまい素人からはなかなか判別しにくいが、野球の場合はずばりアウト/セーフで見えてしまう。見てるこっちの感情のスイッチも入りやすい。
でも、今年は、というより金本監督の場合は、采配云々は関係ないんじゃないかなと思う。なんとなくですが。試合「中」の作戦立案なんてものはないような気がしている。こう書くとかなり「大味」な印象があるのだけど、大味とはまたニュアンスが違う。
金本監督の場合、試合「前」の選手起用プランで采配は終わっているのではないか。
金本監督と世間一般の采配についての意識が違うというか。
もひとつ言えば、采配とは選手起用のこと、と思ってるのではないか。スタメンは誰々、先発からのリレーはこうで、代打はコイツ。手札を揃えるのが仕事というか。これまでの試合後の談話など読んでみても、シンプルに「打てよ!」と叱責していたり、「工夫がない!」と言ってみたり。試合のあとで「試合中に言ってやってよ」的なことを言っている。…なんだかここまで書いてみるとかなりダウトを出しているような文章になっているが、そうではない。逆説的だが、試合中は選手に任せている、とワタシは読み取っている(この流れで言うと、きょうのマテオ起用はミスではないかな、なんて)。
試合中の自身の「ひらめき」、そんなオカルトめいた話は信じていなくて、選手たちの一瞬の「きらめき」を信じているというか。
これが無策と謗られる、そんな日は来そうだ。
そのときは全力で擁護したい。
お知らせのあとは「ちな虎」からのおねがいがあります!
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コメント
「何もしていないように見えても何かしている」ことが伝われば無策と言われることは無いと思うんですよね。
今季ここまでの金本采配やコメントを見てるとそれは期待できそうに思います。
金本監督が送り出した選手が、精一杯プレーして精一杯悔しがっていればそれでいいんですよね、極論。監督については「何もしていないように見えても何かしている」、まさにこういうのを読み取りたいわけです、ワタシは。
話は逸れるかもしれません(データの話ではないので)が、これまでの体質からいって1番北條史也はありえなかったわけで、こういうのは何もしてないようで何かしていると思うんですよ。
この場合の「何かしている」は、マスコミなどには伝わらない北條に対する無言のメッセージというか。スタメン表を見て感じるところをグラウンドで表現せえよ、と問いかけているというか。北條やファンに対してでも、です。
答えになっていないような気もしますがご容赦下さい。
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